四章 心の古傷(トラウマ)は傷みやすく治りにくい⑤
返事のない面会室の扉を、侍女が慌てて開けた瞬間、異臭がした。
そして次に目が行ったのは、床に流れる赤いもの……。
部屋では誰一人優雅にお茶をかわしておらず、女性は全員縄で手を縛られ猿轡を噛まされていた。その中に小春もおり涙で潤んだ青い目が私を見る。
小春のすぐ隣に、縛られている女性はぐったりと倒れ伏していた。床の赤は、その女性から始まっている……。
私は異臭が血によるものだと認識した瞬間、息を飲んだ。
「何をして——」
「喋るな」
男が一言命じると、侍女はすぐに黙った。男の手には剣が握られており、それを縛られた女性達向けていた。
宮女達だけではなく、いつでも小春を害せる位置に男が居る為、侍女は従ったのだろう。
小春は真っ赤に腫らした目でこちらを見た。
怪我をしている女性がどれぐらいの怪我なのかはここからは見えない。それでも床に水たまりができるぐらい大量の血が流れているということは、かなり大きな怪我だと思う。それなのにうめき声が聞こえないのは……。
「見られたからには仕方がない。お前たちも中に入れ。六花公主を害されたくなければ、二人とも腕を頭の後ろで組め」
扉の前に武官が居なかった。それは武官がこの男とぐるだった可能性を示している。そうなると、他の武官が来ないようにしているのかもしれない。
そうなってくると、ここで叫び声を上げても誰かが気が付いてくれるとは限らない。気が付いたとしても、ただの女官だと人質が増えるだけだ。
侍女が中に入ったので、私も続いて中に入り、扉を閉めた。そして頭の上で手を組み男を見る。
剣を持っている男は一人だが、後二人男がいた。縛られてないのは全員が金の国の者かその関係者と思っていいだろう。
「俺らはこのまま、六花公主を連れて金の国に帰らせてもらう。もちろん、正面の入り口からだ。お前たちはこのまま六花公主が居る様に見せかけ時間を稼げ。そうすれば、害さない。六花公主も、自分の意思でここから出るんだ。そこの侍女みたいに切り殺されたくなければな」
倒れている侍女を顎で指す。……見せしめにやられたのか。
痛ましい状態に目を伏せる。
「六花公主は白龍様の番ではございません。勘違いでございます!」
「それを決めるのは俺ではない。俺は皇帝の命令でここにいて、命じられたのは、六花公主を金の国へ連れ帰る。それだけだ」
六花公主が白龍の番であるという噂が本当かどうかを見極めるのは自分の仕事ではないと男は言う。事実その通りだろう。皇帝が納得しなければ、ずっと六花公主が白龍の番ではないかという、金の国の疑念は晴れない。
「ですが、六花公主は、土の国の皇太子に嫁いだ身でございます。許可を得ずに外へ出るわけにはまいりません」
「まだ嫁ぐ予定だ。婚姻の儀は執り行われてないから、六花公主は金の国のものだ。我が皇帝も土の国との密約を破棄しようとはしているわけではない。六花公主が嫁げない代わりに、別の公主を用意するおつもりだ」
密約が金の国の公主を嫁がせるという内容ならば、六花公主である必要はない。だがそれは小春にとっては絶望的なものだろう。
しかしもしもこのまま小春が、土の国皇帝及び皇太子に許可をとることなくここを出れば、二度と足を踏み入れることは無理だ。すでに後宮と言う場所にきたにも関わらず出たとなれば、脱走した罪人となる。
そして金の国での生活が再び始まるが、小春は白龍の番ではない。そうなると金の国で今でも微妙な扱いを受けているのに、どうなってしまうか……。
「……そのようなこと勝手になさるなど、わが国の皇帝を侮辱しているようなもの。認められるはずがございません」
「皇帝? ただの農民の王、農王ではないか。そもそも金の国の公主を嫁がせるだけでも、格別な配慮なのだ。別に婚姻前に違う公主に変えたところで構わないだろうが」
私たちが逆らえないことを分かっているからこそ、選民思想丸出しで土の国の皇帝を笑った。
「別に俺は、六花公主だけ生きていれば問題ないんだ。……そうだな。おい。六花公主の猿轡を解いてやれ。最終的には、縄もほどいて、自分の足で出てもらうんだからな」
剣を持つ男に命じられ、別の男が六花公主の猿轡をとく。
彼女だけは大きな怪我をしていない様に見えるが、服の中までは分からない。彼女は顔面蒼白になって、唇を震わせていた。
「どうやら新しく来た女は状況が理解できていないらしい。そうだな。もう一人ぐらい見せしめがなければ、現実が分からないかもしれないな」
「ま、待って……やめて」
侍女に向けて刀が向けられる。すでに血濡れの剣は、鈍く怪しい輝きをしていた。
「待たない」
そう言って、男が刀を一閃した瞬間、私は侍女に体当たりして突き飛ばした。
代わりに私の体に刃が突き刺さる。
すうっと体に異物が入ってくる気持ち悪い感覚がし、その部分が熱いと感じる。
でも思ったより痛みが感じないのは、致命傷のような傷だからだろう。呼吸しようとすると、痛みを感じてしまい、呼吸が浅くなる。
「あっ……ああ……」
「あーあ。正義感を振りかざして、助けようなんて無謀なことをするから。お前ら、叫ぶなよ。叫んだら、この女みたいになるからな」
うまく立ち上れず、私は横倒しになったが、そこにさらに剣が振り下ろされるのが見えた。
「これが俺に逆らう、無謀な女の末路だ!」
何が楽しいのか、見上げた先にで男は歪んだ笑みを浮かべていた。
痛みはもう、感じない。ただ、何とも執拗に剣が振り降ろされる音が聞こえ——やがて聞こえなくなり、視界が暗転した。
◇◆◇◆◇◆
「――花! 六花‼ 起きろ、六花‼」
私の名が呼ばれる。
その声で急速に頭が覚醒していく。
「……おはよ、白龍」
目を開ければ、子供の姿の白龍がいた。
白龍に起されるなんて、寝坊してしまったのだろうか? えっと。今日は何をしないといけないんだっけ?
「ごめん寝坊しちゃったんだね。今、何時ぐらい?」
「今何時じゃない! もう正午だ。こんなに修復に時間がかかるほど切り刻まれるなんて」
「へ? 昼? というか、切り刻まれた?」
そう言えば、まだ体のあちこちが痛い。腕を見れば私には珍しく包帯が巻かれていた。
腕だけではない。あちこちが包帯で覆われている。
「中々戻ってこないから、どうしたのかと見に行けば、お前はずたずたに切り裂かれ、体中血まみれだったんだぞ。小春も六花を呼びに来た侍女も居ないし。中には血まみれになって喋れぬものだけしか残されていなかった」
ずたずたに切り裂かれ……。
言われた瞬間、私は自分の体の中に異物が入った瞬間を思い出した。
その後も、見せしめとして振り下ろされたから、あちらこちらから血が滲んでいるのだろう。地味に痛いなと思うのは、今もなお中途半端に治っているからだ。
最初に切られた場所は致命傷に近い傷だったのだろう。痛みが麻痺してしまっていた。死の淵に立つほどの傷を追うととこういうことが起こるのは、知っている。
「多分侍女は小春を脅す材料として連れていかれたのだと思う。最初は置いて行って六花公主がいるように見せかけるとかなんとか言っていた気がするけど、私があまりにも無残に死に過ぎて計画を変えたのかも。……それにしてもこんなに剣を振るなんて、かなり危険な性癖な奴だったのね」
こんなに怪我をしたのは熊に襲われた時以来かもしれない。熊は私を恐れて執拗に切り裂いたのだが、あの男は私が反撃などできない状態だと分かっていて切り裂いたはずだ。
見せしめにするにしてもやりすぎだと思う。だとしたら、ここまでやったのは男の快楽のためだろう。実際楽しそうに笑っていたし。
そんな危険な奴が主犯なのに、小春たちは大丈夫だろうか?
「そんなのんきに考察している場合じゃないだろ!」
「それもそうね。早く小春を追いかけてあげないと。私が殺されたと思って、動揺して従ったに違いないわ。死ぬ思いまでして土の国に来たのに」
小春には私が死なない体だとは伝えてある。しかし意識もなかったし、かなり執拗に切り刻まれたようなので、死んだと思っただろう。
それに他の侍女まで同じように、自分の所為で殺されると思えば、犠牲を減らすために判断したに違いない。
「ふざけるな!」
私が体を起こした瞬間、白龍は私を押し倒す勢いで体当たりし、声を荒げた。
白龍はのしかかると、青い瞳で私を見降ろす。その瞳はまるで怒りが煮詰まったたような暗い色をしていた。
目がそらせない……。
「私は行かせない」
白龍はどこまでも冷たい声で、私の意思を否定した。




