四章 心の古傷(トラウマ)は傷みやすく治りにくい①
まさか白龍が大人だったなんて。
あの小さくて可愛い白龍が。私より年上に見える長身で、さらに傾国の美形で——。
とんでもない状況に頭の中が大混乱だ。
「そういえば、人の姿でこの姿を見せるのは初めてだったな」
「そうなの? 人は姿を変えられないのだから、教えておいてあげないと、六花ちゃんが混乱して当たり前よ」
「人の姿と竜の姿に変えられることを知っているから、分かっていると思ったんだ。龍の時に大きい姿も見せたしな」
分かるはずがない。
小さな龍から小さな子供に変化したのだから、姿の年齢が変わるなんて想像もしていなかった。龍の大きさが違うのは、ただ大きさを変えただけだと思っていた。見た目の年齢を変えているなんて分かるはずがない。そもそも龍の年齢なんて見分けがつかないのだ。
「六花、大丈夫?」
とんでもない新事実に混乱していると、小春が声をかけて来た。
大丈夫?
大丈夫なわけがない。だって、子供だと思った白龍が大人なのだ。
だったら私がこれまで白龍に対して子供だと思ってやってきたことは? 頭を撫でたり、手を繋いだり、一緒の布団で眠ったり……。
そういえば、白龍の前で着替えようとしたり、抱きついて感謝を伝えたりすると、慎みを持てと毎回言われていた。金の国の宝物庫の中に居たので、宮殿では貴族ばかりだからそんな風に躾されている皇帝の子とか見たのかなと、微笑ましく思っていたのだ。
……全然微笑ましい話ではなかった。むしろ非常識は私だ。
私は大人の男の前で衝立を立てずに着替えをしようとしたり、抱きついたりして——。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!」
なんということを。
痴女ではないか。そんなもの。
私は恥ずかしさから顔を押さえ、そのまま走ってその場を逃げ出した。
これはない。いくら家族でも、これはない。
逃げだしたとしても私に行ける場所などほとんどなく、今使わせてもらっている部屋に戻り、牀に飛び込むと、布団を頭からかぶり丸くなる。
どうしよう。
どうしよう。
どうしよう。
男の人の前で、裸になろうとしてしまった。
白龍は家族だけど、一応番候補で、もっと気を使わなければいけなかったのに。
それなのに、抱きつくなんてはしたない真似をしてしまった。まるで男を惑わす、娼婦の様に……。
「六花、いいか?」
白龍の声が布団の上からした。
いつもの高い声だから多分少年姿だと思う。でも布団から出ることができず確認ができない。
「六花が私を子供の様に扱っていたのは知っていた。でもまさか、大人の姿になれることを知らないとは思ってもなかったんだ。驚かせてすまなかった」
「ううん。ちゃんと私も確認しなかったから。……ちなみにだけど、白龍はどっちが本当の姿なの?」
「どちらも本物で、嘘の姿というのがない。あえて言うのなら、龍の姿が本当の姿になる」
その通りだ。白龍は龍で、人間ではない。
そして孵ったのはつい最近でも、卵の中には三百年はいたのだ。人間の年齢で換算するのが間違っている。
そして白龍は子供ではないとすでに言っていた。
「六花は何に怯えているんだ?」
怯えている。……そうかもしれない。恥ずかしいのではなく、恐ろしいのだ。
「ごめんね。突然抱きついたり、目の前で着替えたりして」
まるで男に媚びをうっていたかのようで気持ち悪い。
なんとおぞましいことを白龍にしてしまったのだろう。
「それなんだが……人は肌を見たら責任をとったりするのだろう? だから私が責任をとる——」
「とらなくていい‼」
とんでもないことを言い始めた白龍の言葉を遮るように私は叫んだ。
「……とらなくていいよ。白龍は私の家族だもの。同じ家の中で生活していたら、肌を見てしまうこともあるだろうし、そんなの事故よ。抱きしめてしまったのだって、私が無知だっただけだから。白龍は悪くないもの。だから責任なんていらないよ。一人前になったら、家から巣立っていって、たまに会いに来てよ。それで十分だから」
「しかしそんな無責任なことは——」
「私がしなくていいと言っているの! 白龍だって、私を番にするつもりはないって言ったじゃない。今更、勝手に変えないでよ!」
私がそう強く言うと、白龍が黙り込んでしまった。
布団の中にいるので、どんな表情でそれを聞いているのか分からない。
「……ごめん。ちょっとだけそっとしておいてくれない? 今、私、混乱していて、酷いことを言ってしまうかもしれないから」
落ち着け、私。
白龍は私が動揺して逃げ出したのを見て、責任をとると言い出したのだ。本当に番になりたいと言っているわけではなく、仕方がなくその選択をしようとしているだけだ。
「落ち着いたら、私ではなく小春でもいい。声をかけてくれ」
ぐるぐると考え込んでいると、白龍もまたしばらく沈黙していたが、そう言い残して部屋から出て行った。扉が閉まる音がしたので、完璧に外に出たはずだ。
私はそろりと布団から出ると、牀に腰かけ体を丸めた。
家族に対して、何ということをしてしまったのだろう。これは拒絶されたと思われても仕方がない。
悪いのは私なのに、白龍に酷いことをしてしまった。
「……どうしよう」
きっと大人の姿になったら、手のひらを返したように拒絶された白龍は落ち込むはずだ。気にしないでいてくれたら一番いいが、意外に繊細なところが白龍にはあると思う。
家族を傷つけたという事実が余計に落ち込ませる。
「六花、大丈夫?」
「……小春?」
「うん。入ってもいい? 今さっき、白龍からは、許可をもらったの」
白龍は小春でもいいから声をかけてくれと言っていたので、ちゃんと話を通してくれたようだ。
せっかく来てくれたのを断るのも申し訳ないし、どうしてこんなことをしているのかちゃんと伝えた方がいいだろう。
「うん。入ってくれる? ただ、できたら、小春だけでもいい?」
「大丈夫よ。侍女たちには、よほど大きな声を出さない限り、部屋の声が聞こえない場所で待機してもらっているわ」
「気を使わせてごめんね」
私が謝ると、小春が一人入ってきた。しかしその横を、白猫が一匹しゅるりと入ってくる。
「その猫、小春の?」
「いいえ。私は猫は飼っていないわ。他の妃の子かしら?」
白猫は気ままに歩くと、椅子の上を陣取り、丸くなった。……うーん。まあ、いいか。
猫が気にするようなものなんて置いてないと思うけれど、猫は鼠を捕まえてくれるし、役立つ生き物だ。もしかしたら鼠を見て入ってきたのかもしれないし、そのままにしておこう。
「気がすんだら出てくと思うしそのままにしとこう。近所の野良猫も、こんな感じで気ままだったし」
「ええ。それで、突然悲鳴を上げて走って行ってしまったけれど大丈夫? あっ。六花に酷いことをした男達は牢屋に入れて尋問するそうだから、安心して」
「……うん」
いや。尋問って安心できるかなぁ。また襲われることがないという意味では安心だろうけど。
どうやら小春は荒事の対処に慣れているらしい。やはり後宮で暮らすと危機管理が大切になるのだろう。……だとしたら、私がほんの少しの間だけそこに居ていじめられていて、母と一緒に殺されたぐらいで、いつまでもうじうじしているのは情けない気もする。
小春は後宮からいなくなった後、約十年間ほど、後宮で悪意にさらされていたのだから。
「まず、どうして悲鳴を上げて部屋に籠ってしまったのか聞いてもいい?」
「……私、白龍のことを本当に子供だと思っていたの。白龍に慎みを持てと言われても、目の前で着替えようとしてしまったり、感謝を伝えようと抱きついたりしてしまったの。それを思うといたたまれなくなってしまって」
「あぁ、なるほど。確かにあの姿なら子供だと勘違いしても仕方がないと思うわ。私もそう思ってたし」
小さな白龍しか見ていなかったから、あれが本当の姿だと思ってしまっていたのだ。
「でもさ、白龍は番と言うことは夫なわけだし、別にそこまで悩まなくても大丈夫じゃない? 白龍が見せられて怒っているわけでもない様子だし」
小春の言葉に私は首を横に振る。
私も過剰に反応しすぎていることには気が付いている。でもどうしても白龍を真っ直ぐ見れないのだ。
「白龍は番候補というだけで、番ではないわ。……でもそういう問題ではないの」
これまで私はずっと、年頃の娘扱いされることがなかった。
異国人の特徴を持ち、石の精霊を親と呼ぶ。本当の親は死別し、極貧生活で貧相な体。村で、私を嫁候補だなんて考える人はない。
でもそれに悲しむこともなく、当然と受け入れていた。その方が、私に都合がいいから。
「……私、色恋が苦手なの。拒否感が出るぐらいに」
私は誤魔化してきた自分の気持ちを認め、小春に告白をした。




