三章 一難去ってまた一難?③
「でも皇宮までどうやって行こうかしら。服もこんなのしかないから非礼に当たるのでは?」
私が今着ている服は、どう考えても皇宮に赴くのに適したものではない。そもそも家の中にある一張羅ですら、皇宮へ赴けるようなものではない。
それに川で顔や手は洗ったが、全身洗ったわけではないので嫌がられそうだ。
婚姻予定で着飾っている状態で遭難した小春とは状況が違う。
「私達が保障すれば、乞食だって入れるわよ。そもそも皇帝は農民の事情に詳しいもの。気にしないとおもうわ。でも確かに皇宮でその姿は浮くわね。ついたらまずお風呂と着替えね。あ、着替えはこちらで準備するから大丈夫よ」
「そうだな。安心して身一つでくるがいい」
流石は麒麟。
堂々と言われてしまえば、恥ずかしくてもこの格好のまま行くしかない。
「決まったなら、さっさと行くぞ。私の背に乗るのが一番安全で速いだろう」
白龍の背?
私が乗ったら潰れてしまうのでは? と思ったが、次の瞬間白龍の姿が歪み、最初に出会った時よりもずっと大きな龍があらわれた。
「えっ? 白龍、もうそんなに大きくなったの?」
『もともと龍は大きさを自分で好きに変えられるんだ。六花は私の背に乗るがいい。小春はそっちの麒麟の背に乗せてもらえ。お前達、まさか馬のような真似はできないとか言い、私に借りを作る気はないだろう?』
白龍の言葉に麒麟はお互いで目配せし合うと、人の姿から転変をした。白龍と並ぶと、麒麟は小さく見える。
『分かっているわ。六花公主はこれが特別なことだと認識しなさい』
「はい。矮小な身に数々のご配慮ありがたく存じます」
小春がとても丁寧な返事をするのを見て、やはり私もそうするべきだったのだろうかと迷う。誰も私の話し方に怒ったりはしていないけれど、公主が頭を下げて礼を尽くしているのに、一般人が砕けた言葉を使うというのは問題な気がする。
「白龍、私も小春みたいな感じでお礼を言った方がいい?」
普段使わない言葉なのでできるかなぁとちょっと心配だが、まねるぐらいなら何とか……。
『六花は私の番……候補なんだ。そんなことをする必要はない。馬鹿なことを言っていないで、早く背に乗れ。六花も早く休みたいだろ』
「うん」
白龍もこんなところで立ち話をし続けるのは大変だよね。
でも白龍の背ってどのあたり?
そう思いつつ、頭を下げてくれたので、頭に近い場所にまたがる。
白龍の体はうろこに覆われ、つるつるとしていた。体温は私より低いようで触れると冷たい。年下のような相手の背に乗るのが何だか申し訳なく思うが、馬とは違う不思議な感覚だ。
『落とすつもりはないが、しっかりつかまっていろ』
白龍は忠告をするやいなや翼を広げた。わたしの背丈より大きな翼が羽ばたいたその瞬間、周りに強い風が起こり、その背にしがみついて目を閉じる。
目を閉じていてもふわりと体が浮いた感覚がした。振り落とされるのではないかと手足に力を入れる。
風で髪がなびくのが分かるので、かなり早く移動しているのだと思う。
『六花、見て見ろ。綺麗だぞ』
「きれい?」
どこか笑っているような楽し気な声が頭に響き、私は恐る恐る目を開けた。
最初に見えたのは白龍の鬣だ。
そろそろと体を起こせば、とても高い場所に自分が居るのが分かった。いつもは見上げている山が、自分よりも下に見える。
それは今まで見たことがない不思議な光景だった。
「えっ。家が小さい……」
「高いところから見ているからな」
まるで玩具のように見えてしまうのが不思議だ。
『この世界はとても広いな。卵の中から見ていたよりもずっといい』
「……本当に広いね」
卵の中より広いのは当たり前だけど、空の上から見た地上は私が住んでいて知っている世界より広く見えた。
田んぼがある部分は青々とし、町に近づけば、たくさんの建物が見えた。あんなに沢山あるんだ……。
感動的な空の旅は一瞬だった。
歩いて行けば城下町まで行くのに二、三日かかるのに、一刻に満たないような時間で私は土の国の皇宮についてしまった。
空の上から見た皇宮は、真四角に高い塀で囲まれ、とても大きかった。
確か土の国の皇宮は、応国の皇宮だった跡地を使っている。これでも一部縮小したそうなので、応国はとてつもない規模だったのだろうなと思う。
あまりに広すぎて屋敷の手入れが大変そうだと思ってしまうが、使用人も多数いるに違いない。
そんな高い塀には大きなが付けられており、その前に何人かの人が立っていた。
「麒麟様、おかえりなさいませ。そして白龍様、お初にお目にかかります。私は土の国の第一皇子、己 泰然と申します」
門番と共にいた黒髪の美丈夫の服が何だかまわりと違う気がすると思えば皇太子だった。皇太子が白龍に対して丁寧に話しているのを見て、私は目を見張る。
本当に白龍ってすごい相手だったんだ。
私はただの一般人なので、すすすっと後ろに下がってしまいたいがまだ白龍の背の上に居るので逃げられない。
「白龍、おろしてくれる?」
『分かった』
自分は偉くもなんともないのに、皇太子を見下ろすのは心臓に悪い。
白龍が地面に体をつけてくれたので、私はその背から降りた。そのまま後ろの方に引っ込もうとしたが、すぐさま人の姿になった白龍に手を握られる。その顔はどこに行く気だと訴えているが、私が皇子の真正面に居るのはおかしいんだって。
そう思うが手を振りほどき、幼い白龍を一人にするのもよくない気がしてしまい結局私は近くで皇太子を見るはめになった。
皇太子は丁寧な話し方はしていたが、白龍の転変にも驚くことなく、名の通り泰然と構えている。まだ土の国の皇帝が農民だったころにはすでに産まれていたと聞くので、結構年上だ。見た限り、私より十ぐらい上な気がする。
見目は悪くないが、年の離れた男が結婚相手だ。小春はどう思っているのだろうと思い横目で見た。しかし麒麟から降りた小春はこれまで見たこともないようなすまし顔をしているので、よく分からない。
「ただいま帰ったわ。お出迎えご苦労様。こちらは貴方に嫁ぎに来た、六花公主よ。色々あって、私達が保護することになったの。そして白龍の隣に居るお嬢さんは、六花公主の命の恩人であり、白龍の番である六花よ」
えっ。番?
何度も説明したけれど、理解してもらえなかったのだろうか。否定しようと口を開きかけたが、手を握っていた白龍が、強めに私の手を握った。
いつもの少年姿になった白龍が何も言うなとばかりにこちらを見ていたので、私は口を閉じることにする。何か理由があるのかもしれない。
「二人とも山を下りて来たところだ。入浴と服、それから食事の準備をたのむ。すべては二人の身なりが整ってからでよいか?」
「かしこまりました。すぐに手配させます」
皇太子にも関わらず、彼は手を前に出し頭を垂れた。
「番様、湯殿にご案内させていただきます」
私は私よりもきれいな恰好をした宮女に六花とは別で案内をさせることになった。まずは入浴をということらしく、白龍とも別れる。
平民だし、井戸がある場所に案内してくれるのかなと思ったが、彼女についていき、案内されたのは個室の入浴場だった。並々と湯が入れられている。
「あ、あの。私、盥に水と布をもらえば十分です。むしろ井戸を教えて貰えば、そこで体を洗います。湯舟が汚れてしまいますので……」
「そう言うわけにはまいりません。皇太子殿下直々に、丁重におもてなしするように申し付けられております」
そう言って、服をひん剥かれた私は風呂の方に押されるように移動し、熱い湯をかけられた。
「体は自分で洗えます!」
「いいえ。隅々まで綺麗にしませんといけませんので。ご覚悟を!」
ご覚悟って何⁈
そう思うがあれよあれよと石のベッドに寝かされ、ごしごしと擦られた。恥ずかしいぐらい垢が出た。死にたい……。
本当に勘弁してと思うが、また湯攻めにされ、さらにべたべたと体に塗りたぐられた。
「番様は傷一つないとても美しい肌をしておりますね」
「あはははは。えっと、とりあえず、番様はやめて下さい。普通に六花で大丈夫です」
「そういうわけにはまいりません」
そんな丁寧に話されるような立場じゃないんだけどなぁとため息をつく。
それに褒められた肌は、何度も沢山傷を作ったはずだ。日にもしっかり焼けている。体質の所為ですべて綺麗になかったことになっているだけで。
そう思うと、肌の状態はご令嬢と変わらないのかもしれないが、やっぱりまがい物だよなと思う。
その後私は湯船に沈められた。こんなになみなみと贅沢にお湯を使ったのは初めてだ。もったいないと思ってしまうが用意されてしまっているので、どうしようもない。
入浴が終ると、果汁がふるまわれ、それで喉を潤す。あまりに暑く、辟易していたのでありがたい。冷たい果汁はとても美味しく感じた。
これで終わりかと思えば、今度は服と髪を整えられ、化粧まで施される。
今まで一度も化粧なんてしたことがないので、目元に筆を持ってこられたのは恐怖だった。顔でお絵描きをされている気分だ。
それもようやく終わったころには、色々疲れてぐったりしてしまった。
「六花大丈夫?」
「うん……。小春は元気そうだね」
「こういうのは慣れてるからね」
すべてが終わった私は、綺麗に着飾った小春と再び再会した。どうやら別々に案内されたのは、時間の節約のためだったようだ。これだけ念入りに体を磨いて、化粧をし、服を着替えさせられれば、一人当たりの時間がかかりすぎる。
「普段は水で体を拭くぐらいだから、あんな沢山のお湯につけられるのはちょっと辛いかも」
体が修復するのは、やけどなどの怪我をした時だけだ。やけどの心配のない湯につけられたのぼせは、治らないみたいだ。すこしくらくらする。
「それにしても、ここはどのあたりなんだろ。広すぎてどこに案内されているのかさっぱりわからないよ」
言われるままに歩いたので、方向感覚は完璧に失った。湯殿一人で戻れと言われても、戻れる自信がない。
「ここは後宮のつかっていない一室みたいだよ。多分私達の安全もかねて、そちらに案内されたのだと思う」
後宮だったか。
金の国に居た頃はそういう名が付く場所に住んでいたはずだが、ほとんど記憶がない。
そもそも金の国の皇帝は、元諸侯なので、後宮など持っていなかった。皇帝と名乗るにあたり、応国に倣って姫を何人か娶ってそれらしくしたはずだ。
ここは応国のものをそのまま流用しているので、規模が大きそうだ。
色々慣れないなぁと思いながら、私はぐったりと椅子の背もたれに寄りかかり天を見上げるのだった。