#3
早く寝たつもりであったが、慣れない調査が身体に効いたのだろう。起きんとしていた時間に少し遅れてしまった。リュックサックにメモ帳や水筒を入れ、運動靴を履き足早に駅へ向かう。車は持っておらず、現地で山道に成る可能性も考えられるため、鉄道で行くこととした。起きるのが遅れたために乗る予定の鈍行列車は既に発車してしまったようだ。しかし、柳先生から特急が停車することを聞いていたため、次発の特急列車に乗車する。鈍行は1日に数本しかないが、特急は1時間に1本程の間隔でやって来る。乗った列車も意外にも多くの乗客がいた。だが、僕が乗り降りした駅を利用する乗客は少なかった。単なる通り道となっているのが現状だろう。特急を停めてもらえるだけでも有難いものだ。
閑散とした無人駅である。駅を出て通りに出るべく歩みを進めると、巨大な渓谷とそれに架かる橋が目の前に現れる。正に深山幽谷といった景観で、何処か妖しげな雰囲気も漂っている。ただ、心霊スポットのように「霊」が出そうかというとそのようなことは無く、どちらかと言うと昔から伝えられた「妖怪」でも出そうな雰囲気だ。
さて、奴の住所を登録した地図アプリを開き、駅からの経路を確認する。どうやら河川を挟んで駅とは反対側にあるようで、この橋を渡る必要があるようだ。橋を越えて暫く歩いた先にある小径から山に入るようだ。小径の入口を目指して歩みを進めると、やや古びた建物が現れた。建物が出来た当時からあるであろう塀には「祖谷村役場」と彫られており、その傍に取って付けたような「池田市役所 祖谷町支所 ・ 祖谷町公民館」と記された看板が立て掛けられていた。建物の外観を見ると、公民館に図書館が併設されていた。奴が生まれ育った地であるので、何か手掛かりになり得るものがある可能性はある。何があるか分からないが故に早い時間から足を運んだのだ。少し情報を集めんと思い、意を決して中に入る。
「あらぁ、いらっしゃい。」
「こんにちは。」
カウンターに座るおばあちゃんと挨拶を交わし、館内を見渡す。小規模な部屋に所狭しと本棚が並ぶ。そして、入ってきた客に見えやすいようなかたちで、3冊の本が立て掛けられていた。
『祖谷の歴史』
『空から見る 日本の絶景渓谷50選』
『里子・里親になるために』
最初の2冊は理解出来る。ご当地のもの、と言って良いだろう。あの渓谷美だ、50選にもきっと取り上げられている筈。だが、3冊目は一体何故ピックアップされているのだろうか。
「里親…?」
「それはねぇ、わしが置いたんじょ。」
疑問が声に出ていたようで、それに反応しておばあちゃんが教えてくれる。
「祖谷はねぇ、ここいらでもごっつ人が減っとるきん、ちょっぴんでも祖谷に人を、子どもを増やしとう思たのよ。まぁ影響はほぼ無かったやきんねぇ。」
「そうなんですね…ご苦労様です。」
彼女が個人的に置いたものならば、そこまで気に掛ける必要もあるまい。『祖谷の歴史』を手に取り眺める。だが、如何にも子供向けといった本で、詳細は全く書かれていない。
「すみません、この辺の歴史について調べとるんですけど、何か詳しい本とかってありますか?」
「あら、おまはんも物好きやねぇ。2階に古い本が置いとる部屋があるきん、行ってや。出て右手に階段があるじょ。はい、これ鍵や。」
「えっ、一人で行っちゃって良いんですか?」
「わしゃ腰が悪うて階段や登れんわい。変な本は開かんようになぁ。」
「じゃあ…はい。ありがとうございます。」
鍵を預かり、上階へ向かう。「室書蔵」と書かれた古い扉に鍵を恐る恐る差し込む。埃が溜まっているのか入れにくく回しにくい鍵。鈍い音と共に解錠され、けたたましい音を鳴らしながら開く扉。その先は薄暗く埃臭い部屋だった。1階とは異なって空間には余裕があり、本棚も古ぼけた分厚い本が並んではいるものの、隙間が目立つ。長年忘れ去られてきた様子だ。ラベル分類などもなされていないので、地道に1列ずつ確認していく。やや奥まったところにある本棚で一際異彩を放ったものが。在り来たりに感じるが「禁」と手書きで書かれており、題は『請麗術』。日に焼けたのか乾燥しきったのか、あるいは禁書として土に埋められたのか、茶色くくすんだその本は、それ自体の重量以上の重みを感じた。