毛
「なんで戻ってきたのよ。ここはもうあんたの居場所じゃないよ。」仲間の一人が叫ぶ。
「そうだそうだ。」別の仲間も叫ぶ。「お前が戻ってくるとこちらの身にも危険が及ぶんだよ、早くどっか行け!」
残りの仲間達も口々に叫んだ。「・・・・・・・・・。」あまりの手のひら返しに俺は言葉を失った。
以前からその気はあったが、今回の事ではっきりしてしまった。薄情な連中だと。
急に俺はすべてがどうでもよくなってしまった。
「さよなら。」黙って彼等に背を向けると慣れない動作でゆっくりと下に向かって移動をしていく。
(さて、これからどうしたものか。)
あまり単独でうろうろしているのは危険だ。見つかったらおしまいだ。
殺されるのは時間の問題かもしれない。しかし、もう少しだけ悪あがきしてみるか。
とりあえず俺はまた進むことにした。 見つからないように。 少しずつ。
・・・・・・・
しばらく進んでいくと、誰かから声をかけられた。キョロキョロしていると、また声が聞こえた。
「こっちこっち。」注意深く観察していると、数メートル先に洞窟のような穴があるのが見えた。・・・どうも、声の主はそちらにいるようだ。
とりあえず進んで行き、ついに穴の前まで来る。「?」 中は真っ暗だ。
その時、誰かに引っ張られる。 「!!?」 柔らかい感触に自分と同じ人の気配。うろたえていると上から下から声がした。
「危なかったね。」「本当にね。」「でもここにいればまあ、当分は安全だから。」「ゆっくりしてって。」
だんだん目が慣れてきて辺りの様子がわかってきた。
そこには・・自分とは国籍や人種が違うと思われる老若男女が大勢いた。
そして、そこにいる誰もが暖かな空気をまとっていた。
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「いいかげんにそれ、なんとかならない?」「・・・・・・。」「ねえ!今日はこれから息子夫婦が遊びにくるのよ、そんな”なり”で応対するつもりなの??」「・・・・・・・。」
俺は妻をことごとく無視した。こればかりはゆずれないからだ。妻はそんな俺にため息を大きくついてみせるとつづけた。
「昔はちゃんとした身なりだったのに。どうして仕事辞めたとたんにこうなっちゃうのよ。・・他はともかく、どうして鼻毛だけは頑なに切らないのよ。もうごまかせないくらい伸びてるし。」
「なんでだろうなぁ。」 自分でも理由はわからない。・・物心ついたときから”鼻毛”がとにかく愛おしくてたまらないのだ。俺は。
とにかく愛おしい。鼻毛に関してだけは。なぜだかわからないが、特別な気持ちにさえなる。
どのくらい愛おしいかというと、そうだな・・鼻をほじる際は慎重に抜けないように細心の注意をいつもはらっていたりとかしている。
ただ、社会に出る頃には清潔感などの一般的な観点から泣く泣くハサミを入れて処理していた。(いやいや、誇張ではなく、ハサミを入れるときは本当に洗面所でむせび泣いたものである。)
しかし定年退職となった今は自由! もう、仲間の命を危険にさらすことはない!!
ん? 仲間??
「まったく意味が分からないわ。眉毛とかすね毛とか、他の毛は容赦なくバリバリ剃ったり抜いたりするくせにね。」
妻は呆れながら行ってしまった。
完