【閑話】ルナ──前世の記憶
【閑話】
──『ルキナティアナ様へ宿る』。それに至るまでの経緯を探ろうと、私は自分の記憶の底を覗いてみた。
生まれ育ったのは、どこにでもある平凡な家庭。私自身もまた、平凡な事務職に就いて淡々と生きてきた。名前は深雪ルナ。
アラサー、無害、地味めの人間……だったはず。
私の日常と言えば──朝起きて軽く化粧をした後に出勤。退勤し帰宅したらすぐに浴室に向かって汗を流し寝室に直行。そのままベッドに寝転んでゲーム機を起動し遊びながら寝落ちする……と、いうもの。
今、私が没頭しているのは、「神々のエンゲージキス」というタイトルの乙女系RPG。このゲームはジャンル名の通り「恋愛」が主軸だけど、私は、主人公と攻略対象キャラクターとの恋物語には一切興味が無い。
目的は、ただひとつ。私の最推し、月の女神「ルキナティアナ様」を愛でること。蓄積された1日の疲労も、ルキナティアナ様の非の打ち所がないほどに洗練された「美」を見れば、一瞬で消えるのだ。
これからもずっと、そんな日が続くのだと、何の疑いもなく信じていた。
──“あの日”の前日のこと……だったと思う。
その日は休日で、一日中「神キス」をやると決めていて、昼頃まではベッドの上でゲームをやりながら過ごしていた。いつも通りルキナティアナ様のご尊顔に惚けていると、ドアノブを下げる音がして部屋のドアが開いた。だけれど、人の姿はない。
視線を落として見てみると、そこには可愛らしい姿があった。
「ニャー」
「ルーン! こっちへおいで」
忘れてはならない、私のもうひとつの癒し、愛猫のルーン。青紫の瞳とシルバーアッシュの艶やかな毛並みが美しい猫で、幼少期から共に過ごしてきた、大切な家族。
……そういえば、年齢はかなりのものになるけれど──まあ、ルーンが生きていてくれるのなら、どうだっていい。
私の名前も、ルーンも……意味としては「月」だなんて! まるでルキナティアナ様に愛されているかの様で、まさしく『幸甚の至り』だ。名付けてくれた両親には感謝してもしきれない。
『ルーンが寛ぎ易いように』と、私はベッドフレームの頭部側にクッションを重ね、寄りかかるようにしてやや傾いて座る。すると、ルーンは『待ってました!』とでも言うかのように、私の腹部へ飛び乗ってきた。
私は、ルーンの首元と体全体を一通り撫でた後に、ルーンを腹部へ乗せたままゲームを再開する。ルーンは『グルル……』と喉を鳴らし、ご満悦のようだった。
私の記憶の中で、自分がゲームをプレイしているものは、これが最後。
突如、ホワイトノイズが挿し込まれたような事象が起り、脳内で見ている映像が切り替わる。次の記憶は、退社後の夜、職場から帰宅する道中のものだった。
──覚えてる。これは、“あの日”の記憶だ。
あの日、私は家の近くの交差点で信号待ちをしていた。ルキナティアナ様のイベント情報やグッズ情報をスマホで入念にチェックしながら、赤信号の時間を潰しているところまでは“いつも通り”だった。
でもその日は、疲れからか、信号が変わるまでの時間がやけに長く感じた。
「まだ変わらないの? もう数分経った気がするけど……」
私がスマホから視線を映したのは、歩道の先。すると──そこには5歳ぐらいの女の子が立っていた。周囲は街灯のない暗闇で、辛うじての光と言えば信号機のみ。もちろん、子供が外にいる時間ではないので私はギョッとした。
その子は、歩行者用信号機の赤色に照らされているからか、この世の者ではないような雰囲気を醸し出していた。腰まで届く髪、ワンピースのような服を纏っている。それ以外はよく分からなかったが──不気味と言うよりは、どことなく神秘的に感じる佇まいだった。
関わることを躊躇しそうにもなったが、相手は子供だ──『安全を優先しなければ』という気持ちが先行して、思わず声をかけてしまった。
「あなた、どこの子? パパかママは近くにいないの?」
「……!」
女の子は驚いたように顔を上げて、私を見た。そして嬉しそうに微笑み、私の方へと走り出す。歩行者の信号は赤のままだ──刹那、私はトラックがこちらへ向かってくるのを視野に捉えた。
「危ない──!」
体は、反射的に動いていたような気がする。ついさっき会ったばかりの、どこの誰なのかも知らない女の子を救う為に、私は道路へ飛び出していた。彼女を突き飛ばしたような感覚があったので、一先ず『最悪な事態は避けられた』と安心するも、なんとも言えない強烈な衝撃を受け私の体は宙へと舞う。
『轢かれた』────そう思った。
その後はこれから襲ってくるであろう激痛を覚悟した。だが何故か、それは訪れない。意識は朦朧としていたものの惨苦を感じることなどなく……寧ろ、とても安らかだった。
それでも意識が遠のいていくことは分かったし、体を動かせない状態も相まって、当然「死」を覚悟していた。
死を待つだけの少ない時間で、『死ぬってこういう感じだったのか』とか『お父さん、お母さん、ルーン……ルキナティアナ様にも会えなくなってしまう』とか、様々な思いを巡らせたけど──行き着いた思いはひとつ。
「未来ある子を助けられたなら、それもいいか」
──ふふっ。我ながら、かなりのお人好しだ。
「ニャーン……」
消えかける意識の中、何故か子供の声ではなく、ルーンの鳴き声を聞いた気がする。でもルーンは家猫で外には出ないし、きっと私の聞き間違いだろう。
ルーン……もっと一緒にいたかった。どうしても、あなたの方が先に歳を重ねて私より先に逝ってしまうだろうから、それを想うだけで涙に暮れてしまう日もあったけれど……でもまさか、私の方が先に逝くことになるなんてね。
──きっと私は、そこで前世での生を終えたのだと思う。
次の記憶が、魔剣ラグナレクを握るルキナティアナ様の中から“視ていた”、あの瞬間だから。
さて、どうしようか……? こうなるまでの記憶を覗いてみても、ルキナティアナ様が私の魂を掬い上げてくださった理由は何も分からない。思い出せた記憶は、「神キス」を最後に遊んだ日と、「女の子」を助けて事故に遭った日のことぐらいだ。
──女の子のことについては、今考えれば多少、不可解だけど……。
結局、私が出来ることは、『ルキナティアナ様の行動を受け入れる』ということだけなのだろう。ゲームの登場人物としてのルキナティアナ様しか知らないけれど、あのルキナティアナ様が何かを間違えるわけがない。
だったら、私はルキナティアナ様のために動く。ルキナティアナ様が「アウローラ救済」に関する行為をなさるのならば、私はその傍らでお手伝いをしよう。
微力な私でも、一人の味方がいれば……何かを変えることが出来るかもしれない。
(目覚めたら、ルキナティアナ様と何をはなそう)
そう思いながら、私は微睡みの先へと落ちていった。
閑話はタイトルの人物人称となります。
◆2024/6/28
加筆修正しました。
◆2025/7/20
加筆修正しました。
※ここでのアラサーは、25~34歳ぐらいです。ルナの年齢は読者様の想像におまかせします。