【第3話】託された「無謀」
【第3話】
物語は、少し過去へと遡る──。
ルキナティアナの体内で意識を得た瞬間、ルナは己の身に起った異変に狼狽し、その先に待つかもしれない事態の深刻さに震えていた。目の前には「最終局面」が広がり、転生か憑依かも定かではない状況が押し寄せる。
だが、その対象が敬愛してやまない「ルキナティアナ」であると知ったとき、陰る感情は霧散した。
『敬愛する存在に生まれ変わる』という絵空事。それが現実となれば、大抵の人間は驚きと歓喜、そして優越を覚えるのだろう。しかし、ルナに芽生えたものは、そんな軽薄な感情とは異なるものだった。
現実世界で生きていた頃──ルナの心を占めていたのは『ルキナティアナの救済』。それは、ルキナティアナの「消滅」を阻むことに他ならず、祈りに近い希求。
ルキナティアナの肉体に宿るという事象は、その願いを現実に変える“兆し”。それに気づいた瞬間、ルナの恐れは音もなく解かれた。
希望は、小さな灯火から始まった。ルキナティアナと対面し、言葉を交わしたことで炎となり、徐々にルナの胸奥に燃え広がっていったのだ。ルキナティアナが泡沫ではなく、確かにそこに在ると確信できたからこそ。
ところが、その希望は長く続かなかった。ルキナティアナの口から語られた『二つの真実』──そのうちのひとつが、炎を吹き消す風と化す。
第一の真実。「神キス」に描かた世界が、虚構ではなく別次元に実在する世界だということ。
信じ難いはずの話だったが、ルナは不思議なほど穏やかに受け入れていた。驚愕こそあれ、その感情は一過性で、やがて心に馴染んでいった。
第二の真実。「何者か」がアウローラの行く末を、本来あるべき姿から意図的に改変しているということ。
“ルキナティアナ救済”を掲げるルナにとって、それこそが希望の灯を消す最大の要因だった。直接的でなくとも、意味は十分伝わった。
つまり、ルキナティアナはその「何者か」によって故意に“悪役”に仕立て上げられており──その者は、ルキナティアナ以上の力を有しているということになる。ならば、人間の身であるルナなど、塵ひとつに等しい。
無力を痛感した瞬間、ルナの瞳から一筋の悲しみが零れ落ちた。
(やっとルキナティアナ様に会えたのに……私には、何も出来ない──)
沈黙のまま涙を流し続けるルナ。その様子を窺っていたルキナティアナは、ルナの頭に手を伸ばしかけたが、寸前で止める。まるで何かを逡巡するようなルキナティアナの面差しに、ルナは気づかないままだった。
やがて手を下したルキナティアナは、諭すように口を開く。
「……人の子よ。そこまで悲観することはあるまい。我が、何も考えずに汝を招いたとでも思っているのか?」
「ルキナティアナ様……私は、何の力も無い人間です。ルキナティアナ様を想う気持ちだけは誰にも負けないと自負しておりますが、それだけでは──」
語尾が、かすれてゆく。ルナの言葉には、『ルキナティアナの期待には応えられない』という思いが、静かに滲み出ていた。
ルキナティアナは一拍だけ沈黙を置き、柔らかな声で話を続ける。
「汝の気持ちの整理がつくように、順を追って話してやりたいところではあるが……既に申した通り、『時間』が残されておらぬ。すまぬが、要点だけを伝えさせてもらおう」
これまでの言動から、ルキナティアナはルナの適応力の高さを察していた。「ルナの世界」では到底理解し難い事象も、直感的に理解しようとする姿勢──それを信じたうえで、ルキナティアナは核心を告げる。
「我が望むのは──これより訪れる『世界消滅の日』の回避だ」
唐突に放たれたその言葉に、ルナの眼差しが揺らぐ。
最終戦争の果てに、「大団円エンディング」という平穏が待っている──それこそがルナの知る、アウローラに訪れるはずの未来。対して、ルキナティアナの口から告げられたのは、その記憶を否定するような真逆の展開。
“アウローラが消滅する”──想像を遥かに超える、過酷で救いのない結末。
知っているはずの物語と乖離したその展開に、ルナは思わず息を呑む。そして、それ以上に衝撃的だったのは、“その未来”をルキナティアナが「既に知っている」という点だった。
「そんな……! 私の知る『物語』では、この後のアウローラは平和なはずなのです。ルキナティアナ様は、そこにはいらっしゃらなくて……悲しみに暮れた事を覚えていて。でも、どうして……消滅の日のことをご存じなのですか? ルキナティアナ様は、その──」
言いかけた言葉を、ルナは慌てて呑み込んだ。“それ”は、本人の前で口にするべきではない。触れれば刺さる、記憶の棘──それが今も、ルナの脳裏で疼き続けている。
ルキナティアナが「未来」を知っている、というのは辻褄が合わない。なぜなら──「ミコト」達との最終戦争を経たルキナティアナは、その先の物語には“存在しない”のだから。
記憶との矛盾により、ルナの瞳からは戸惑いが隠せなくなっていた。
──沈黙が降りたのも束の間。ルナの様子をよそに、ルキナティアナは悪戯めいた笑みを浮かべながら応じた。
「我の使徒を名乗るには、まだ浅いようだな。……忘れたか? 我は“月神”。この世界において、時を統べる存在として“設定”された存在であることを」
その語調は軽口のように響いたが、続く一言が空気を変える。
「一度や二度ではない。その日が訪れるのを、我は何度も見てきた」
「──!」
雷光なような衝撃が走り、ルナの脳裏に眠っていた「設定情報」が瞬く間に蘇る。
「神キス」──そこに描かれていた、ルキナティアナの設定。最高神をも凌ぐほどの膨大な神力、そして“時間を操る”という特異な能力。それこそが、『史上最恐』と呼ばれる所以。ルキナティアナにとっては、“時を遡る”など造作もない。
そのなかで、『何度も』という一言が、ルナの心を掴んでいる。
短くとも、察するには十分だった。ルキナティアナは“消滅”の刻を迎えるたびに、時間を巻き戻し、因果律の修復を試みていたのだ。だが、いかに抗おうとも結果は変わらなかった。
抜け出せない因果の輪──ルキナティアナは、その構造に囚われていた。
やはり、ルキナティアナは“滅びを望む者”などではない。アウローラの為に、何度でも身を投げ出せる──気高き女神。ミストルティスや兄弟神達が口にした『闇に堕ち魔神となった』という言葉は、根も葉もない戯言にすぎなかった。
怒りが込み上げ、ルナの胸に再び炎が灯る。その熱はやがて、理を超えて確信へと変わっていった。
──「何者か」は、ミストルティスでも兄弟神達でもない。
ルナの知る“ゲームの設定”がそのまま生きているのであれば、アウローラの統治神である彼らには、因果律を操作するような能力などない。だとすれば、彼らよりも遥かに“高い位”に鎮座する者が介入しているということになる。
(そういえば……いた。黒塗りの人影。台詞のウィンドウだけが浮いていた“あのキャラ”……)
ルナは、ゲームプレイ時からこれまで、それは演出の一部か誤植の残骸かと思っていた。
伏された台詞、空白の名前。その場面の真相が、静かに輪郭を成していく。因果律を操る力を持つ者がいるとすれば、それはもはや一神格に等しい。
ならば、問いはただひとつ──それほどの力を持つ「神」とは誰なのか。
「ルキナティアナ様は時を戻して、“因果律の調整”をなさったのですよね? それでも同じ結末が繰り返されるということは……つまり、ルキナティアナ様以外にも因果律を操作できる存在がいる。そんな力を持ち得るのは、世界を“創造”した神ぐらいなのでは……?」
その問いが告げられた刹那、ルキナティアナは一瞬だけ目を見開く。次に『クックッ……』と、喉奥で音を転がし、耐えきれずに朗らかな笑い声を響かせた。
「ふふ……ククッ、はははっ!」
あまりにも見事に核心へと辿り着いた、ルナへの讃嘆と誇らしさが混ざる響き。その音は場に留まらず、銀河を撫でる風のように、美しい軌跡だけを残して消えゆく。やがて声音は語りの調子へと戻り、ルキナティアナは静かに言葉を紡ぐ。
「汝は──本当に、我の期待を裏切らぬな。そうだ。この因果の歪みは、『創造神達』のうち、アウローラを管轄する一柱によるものだ」
ルナにとってそれは、もはや常識外の話。それでも、ルキナティアナへ極めて強い想いを抱くルナは、一言一句すべてを受け入れるつもりでいた。
だが、次の一言はあまりにも唐突で──ルナの“理解の枠”をあまりにも超えていた。
「そこで、だ。汝には件の神の愚かな企みを阻止してもらいたい」
ルキナティアナは、まるで天気の話でもするような調子で、途方もないことを口走ったのだ。
「……!?」
一瞬、言葉の意味を理解できず、ルナは思考を止める。可否を口にするより先に、まずは揶揄されているのかと考えた。しかしルナは、ルキナティアナが意味もなく他者を揶揄わないと知っている。だからこそ、脈絡のない無茶苦茶なその要求は、ルナにとっては何よりも理解し難いものだった。
ルナは怪訝な顔を向け、ルキナティアナへ訴える。
「ルキナティアナ様、先程も申しましたが……私はただの人間です。私の世界にも『超能力』という異能を持つ者がいるとされていますが、極めて稀ですし、私はその類ではありません。こんなことを申し上げるのは不敬かもしれませんが──誰かと間違われていらっしゃるのではないのでしょうか」
その言葉に、ルキナティアナはひどく沈んだ面差しを浮かべ、ぼそりと呟く。
「……やはり、忘れているのか」
「えっ? 今……何とおっしゃいました?」
掠れるような声を受け、ルナは不思議そうに聞き返した。だがルキナティアナは答えず──むしろ誤魔化すように、口調を変えて話を進める。
「いや……何でもない。我は、汝の魂を他者のものと取り違えてなどない。何故汝を掬いあげたか──そうだな、『天音の乙女』の話をしよう。汝にとっては、それが最も納得に繋がるであろうからな」
「ミコト」──それは「神キス」の物語において、主人公として立つ少女。ルキナティアナの“宿敵”として対極に位置する者。
ルキナティアナと、その内に魂を宿していたルナは、その少女によって討たれて今に至っている。ルナにとっては忌むべき存在。そんな者の名を、今ここで語られて、いったい何を納得せよというのか──ルナの表情は、みるみる険しさを増していった。
ルナの苛立ちは、確かにルキナティアナにも届いていた。だが、ルキナティアナはその揺らぎに一切心を動かすことなく、語りを継ぐ。
なぜなら──ルキナティアナには、刻限までに果たすべき“使命”があり、残された時間の音が近づいているのを明確に聴き取っていたからだ。
「まあ、そうあからさまに怒るな。汝は、あの娘が“転移者”だと思っておろう?」
その問いに導かれ、ルナは憤怒の相を少しだけ緩めて、怒りの熱を僅かに冷ます。代わりに胸奥に浮かんだのは、知られざる事実への渇望。
ルナは、ルキナティアナの言葉の続きを──その真意を、逃さぬよう耳を澄ませる。
「……違うのですか?」
「──ああ。あの娘の本来の運命は、あの娘の世界で命を終えた後、まったく異なる魂として再構築されるというものだった。そして、前世の記憶は持たず、真っ新な状態でアウローラに生まれ落ちる……それが本来の筋書きだ」
それはつまり、“転移”ではなく“転生”。更に、記憶も人格も失った、純粋なる誕生。
ルナは何か言いたげに何度か口を開きかけるが、結局声にはできず、沈黙のまま留まる。その間にも、ルキナティアナの語りは止むことなく進んでいく。
「だが、件の創造神が──あの娘を、『あの娘の魂』のまま肉体ごと別世界から移動させてしまった。その結果、あの娘はアウローラにとって“異物”となり……以降、すべてが狂い始めたのだ」
感情を滲ませつつ、ルキナティアナは依然として言葉を重ねる。
「本来の流れならば、滞りなく“時”は進み、因果の歯車も回っていた。だが、ミコトという異物がその機構に挟まったことで狂い出す。特定の者を贔屓することなく、アウローラを治めていかねばならない立場であった愚父や愚兄弟たちは、ある日を境に狂気に陥り──あの娘を愛し求めるようになった。まるで創造神の意思を、そのまま映しているかのように……」
眉をひそめながら嘆くルキナティアナには、怒りと憐憫が交差していた。彼らに対する非難を抱きながらも、“操られた者”への悲しみも滲んでいる。
その慈悲の心はルナにも確かに伝わっていた。だが──許す気持ちは、生まれない。
(あんなにも酷いことをされたのに、ルキナティアナ様は何てお優しいの……。でも、私は違う。どんなお話を受けても、ルキナティアナ様が何を想おうと、私の“あいつら”への気持ちは変わらない! ……だから、何も出来ないことが、ひどく虚しい)
憎悪を募らせる一方で、「神」に抗う術がないことも、ルナは重々承知していた。
「雷霆の名を持つ神」そして「最高神」──その位階の者達であれば、ルキナティアナと並び立ち、因果の歪みに立ち向かうこともできたはず。だがその者達は、血を分けた娘を捨て、降り立ったばかりの「ミコト」へ手を伸ばした。
その選択は神々の座にある者が下すには、あまりにも浅はかで、あまりにも愚かだった。思い返すだけで、悔恨と無力という名の双影が、静かにルナの魂へと降り積もる。
(雷霆? 最高神? ふふ……易々と陰謀に巻き込まれておいて、どの口が言う。愚かな行動しかできないなら、私に頂戴よ──その位階も、力も、全部。 私なら絶対に、ルキナティアナ様を傷つけない)
創造神の思惑に屈しなかったルキナティアナこそ、“最高神”の称に相応しい──ルナは、常にそう思っていた。
ルキナティアナはそんなルナの想いを知る由もなく、刻限へ向けて語りの速度をわずかに上げる。そして、話の終端に差しかかるその瞬間── ふと意味深な沈黙を挟み、不敵な笑みを浮かべながら、ルナを見つめた。
「この世界の因果律は、あの娘が降り立った日を起点に、創造神の望む形に収束されている。その日の回避は不可能だと、一つ前の時間軸で気が付いた。あの娘の魂が因果律を狂わせる原因の一つであるならば──あの娘と同じ者……“因果律の外側”にいる者の魂を、もう一つ填め足せばどうなるのかと思ってな」
ルナはまだ、真意を汲み取れないでいるようだった。
『ルナの心が追いつくのを待ってやりたい』──ルキナティアナの本音はこうだった。しかし既に、目の前まで刻限が迫っていた。心を閉じ、ルキナティアナは自身の成すべきことを優先させる。
「我はこれより、再び時を戻す。だが──そこにいるのは我ではない。我の姿を纏いし、汝だ」
「ルキナティアナ様、一体何を仰っているのですか!? ──えっ?」
さらりと告げられたその一言に、ルナは思わず声を荒げる。しかし、言葉を継ごうとしたその瞬間、何かに気がつく。
「ルキナティアナ様! お、お身体が!」
ルキナティアナの背後にあるはずの星々が、ルキナティアナの身体を透して見えていた。
その異常を目の当たりにしたルナは、顔面蒼白となって叫んだ。ルキナティアナから『時間がない』とは伝えられていたが、この精神的空間が消失し、何らかの形で現実世界へ戻ることだと思っていたのだ。
いや──『絶対にそうだ』と己に言い聞かせていた。
ルナからの叫声を受け、ルキナティアナは自身に起っている事態を悟り、静かに瞳を閉じる。
「……残念だが、時間のようだな」
名残惜しさと口惜しさが混じる声色で、別れの刻が来たことをルナへと告げる。ルキナティアナは、しなやかに腕を上げ、手のひらをルナに向ける──そこに、神力が込められた。
ルナの身体が光に包まれ、宙へと浮かぶ。ルキナティアナが何をしようとしているのか察したルナは、必死に叫ぶが、光がそれを打ち消してしまう。
ルナの声は、ルキナティアナへは届かない。ルナの様子だけは見えていたが、ルキナティアナは敢えて見ぬふりをしているようだった。
そして、詠唱が始まる。
「──刻よ。因果を回せし歯車よ。汝、星綾の楔を万象の円環より断ち切らん。月神の名において、我、汝の魂に命ず──《時間遡行》!」
(ルキナティアナ様、嫌です! 私は……私はまだ──)
届かぬ声を発しながら、ルナの身体は徐々に光の粒子になって散っていく。意識もまた、遠ざかる──その最中、奇跡のように、ルナの耳に声が届く。
「許せ……ルナよ」
(──!)
その一言は、ルナの意識を一瞬だけ呼び戻すほどの力を持っていた。
ルナはまだ、ルキナティアナへ己の名を告げていない。アウローラの神であるルキナティアナが、「アウローラの生命」である者の名を言い当てることは十分可能だろう。だがルナは、「アウローラの外側の生命」──地球という、次元の異なる世界の住人。
そんなルナの名を、なぜルキナティアナは知っていたのか──?
その謎を解く暇もなく、ルナの意識は再び手放される。解けぬ問いを胸に抱いたまま、ルナの魂は過去へと返されていった。
──そしてルキナティアナは、ルナの旅立ちを見送ったあと、人知れず星海の中へと消えていった。
亀並みの更新で申し訳ありません。
◆2024/6/26
かなり足したり削ったりしました。
◆2025/7/18
引用符の調整、添削。
あ、れ……? 文字数が……。
◆2025/7/19
再度添削し、文字数減らしました。
それと、『詠唱』を追加!