【第9話】封煌、常闇の律 <中編>
【第9話 中編】
『月環光癒』によって全快したルナは、遥か上空──自身の頭上に浮かぶラグナレクを見上げていた。
(最初の試練をクリアしたら、すべてとは言わずとも協力してくれると思っていた。けど──)
ラグナレクの心境を、ルナは理解しているつもりだった。かけがえのない“契約主”を、突然現れた小娘に奪われたのだ。悪態をつかれるのも、「試練」と称して鬱憤をぶつけられるのも、致し方ないことだと思っていた。
──少なくとも、封煌竜が召喚されるまでは。
(……私を殺す気で、封煌竜を召喚した)
その証拠は、ルナへ一切手を差し伸べることなく、ただ竜の上で浮遊している態度が示していた。
こうも力で好き勝手されるとなれば、話は変わってくる。下手をすれば、身体ごとルキナティアナの想いまで消滅してしまう。それは、ルキナティアナの意志を継ぐ者として決意を固めたルナにとって、何よりも許し難いことだった。
ルナは、重く静かな声でラグナレクへ問いかける。
「ねぇ、ラグナレク──私を消せば、ルキナティアナ様の魂が戻ると思った? 月虹 でルキナティアナ様を待つ日々に戻れると……思った?」
ルナの声には、怒りよりも悲しみが強く滲んでいた。なぜならば、ラグナレクとルナが抱える痛みは、根源では似ていたはずだったからだ。
しかし──ラグナレクが選んだのは“逃避”。ルナが選んだのは“克服”。その違いが、二者の距離を決定的に隔てていた。
封煌竜を倒せたとしても、ラグナレクがルナの手に戻らなければ──おそらく、ルキナティアナの願いは成就しない。
「ルキナティアナ様は、私に運命を託したの。この世界に挟まった“異物”を取り除くために、同じ異物をぶつける──そう仰っていた」
ラグナレクは内なる瞳を揺らし、ルナを見つめた。彼女の口から紡がれる『ルキナティアナ』の名は、なぜか無視することができなかった。
「でも……それも成功するか分からないぐらい、一か八かの賭け。それなのに──掬いあげた魂は、なんの取り柄もないただの人間の女。それでも、ルキナティアナ様は私に託してくれた」
ルナは一歩、ラグナレクへと歩み寄る。彼を見上げ、何かを想うようにそっと瞼を閉じ、静かに囁いた。
「私は──その想いに全力で応える。もし、私が封煌竜を制することができたら──」
────私と、ともに来て。
◇
その言葉は、封煌竜へ向き直るルナの姿とともに、ラグナレクの心へ深い残響を落とした。
『……』
銀糸のように煌めく長い髪をなびかせ、“脅威”へと歩みを進めるその背が──ラグナレクの脳裏に焼きついていた、あの日のルキナティアナと重なり、彼の胸奥で鼓動がひときわ速く跳ねる。
(……逃げてもいい。いや、本来なら逃げるべきだ。腐敗が定められたこの世界を、なぜ守らねばならぬ? 何の義理があって、その命を懸けてまで──)
その思考の流れに、ラグナレクはふと息を呑んだ。
月虹でルキナティアナの隣を歩きながら交わした会話の最中──まさに同じ問いを胸に抱いていたことに、今更ながら気がついたのだ。
(……私は剣にすぎぬ。だが、それでも“肩を並べて歩んだ”と言ってよいはずだ。長い歳月、彼女ともに幾多の苦難を越えてきた。あの手が離れた瞬間──それが彼女の確固たる意志であり、私への優しさだと悟った。だからこそ私は、『必ず戻る』という言葉を信じ、何も言わずに見送った)
沈めたはずの記憶が、ラグナレクの心を疼かせる。
(そうか──私は、悔しかったのだ。本当は、模造品などではなく『私自身を連れて行ってくれ』と叫びだかった。ひとり生き残った私は、安全な領域で眠り続けることしかできなかったというのに。あの小娘は、ルキナティアナの器の中で、ともに歩み続けることを許されたのだから)
その身体がルキナティアナ本人のものであることなど、ラグナレクにはとうに分かっていた。理性を曇らせていたのは怒りではない──胸の底に沈んでいた、醜くも切実な嫉妬。
それを自覚した瞬間、ラグナレクの内側に静かな冷気が戻っていく。そして先ほどルナに投げかけられた言葉とともに胸へ響いた“何か”が、ゆっくりと輪郭を帯び始めた。
(あの身体に宿る魂は、確かにルキナティアナのものではない。だが先刻、言葉を投げかけられた瞬間に感じた──ルキナティアナと同質の、揺るぎない心音。ルキナティアナは、あの者に“心志”を託すことで……私のもとへ戻ってきたというのか……!)
そこまで思い至った瞬間、ラグナレクの意識は弾かれたように封煌竜の足下へ立つルナへと向かった。
確かにルナは、この短時間で神力の扱いをある程度身につけてきた。
だが、相手は伝説の“六竜王”の一柱。神としては生まれたての赤子に等しいルナが、正面から立ち向かえるはずもない。
封煌竜を呼び出したのはラグナレクだ。だがそれは、あくまでも闇の力による“共鳴”を利用したにすぎず、彼と竜の間に主従の契りは存在しない。召喚が成立した瞬間、契約の糸は彼の手から離れ、竜を制御する権限は最初から彼にはなかった。
(これでは……死地へと送り出したようなものだ! ルキナティアナを、こんな場所で再び失うわけには──)
後悔というものは、いつだって先回りしてはくれない。気がついたときには、すでに手遅れなのだ。
『待っ────』
焦燥に突き動かされ、ラグナレクは存在しないはずの腕を伸ばすようにして、制止の言葉を吐き出していた。怒り狂う封煌竜の咆哮の前では、届くはずもないというのに。
◇
≪グオオォォォォォォォ!!≫
大地を揺るがす咆哮。巻き起こる突風は、ルナの小柄な身体を容易く吹き飛ばすはずだった。だが──彼女は守りの構えすらとらず、ただ静かにその場に立ち続けている。
「……竜、可哀想な子たち」
誰にも届かないほどの小さな呟き。そして、その瞳に宿る光は、初めて封煌竜と対峙したときの怯えや混乱とはまるで別物だった。
「さっき頭を打ったからかな? 私、また少し思い出したよ──ゲームのこと。“武装の書”のときから違和感はあったんだ。やっぱり私は、ここに来てから“神キス”の記憶が、ところどころ欠けてる。あなた……いえ、貴方たちの存在を、さっきまでの私は“恐怖”として捉えていた」
ルナはふっと口元を緩め、独り言のように続ける。
「そう、“星奏記”のことを忘れていたの。……きっと、覚えていたら都合が悪かったんだろうね。貴方たちに怯えて、私が押し潰されてしまえばいい──そう望んでいる“誰かさん”には」
その視線は、封煌竜にもラグナレクにも向けられていない。もっと遠く、もっと高く。この世界の天蓋のさらに奥に潜む、別の“何か”へと向けられていた。
「ねぇ────聞こえてる? 創造神さん」
鋭い眼光が闇の先を射抜く。一拍置いて、ルナは肩をすくめるように小さく笑った。
「……まあ、聞こえるわけないか。直接の干渉は、ルキナティアナ様の力で最初のときに切れてるはずだし。でも──伝わったよね?」
確信めいた笑みを浮かべながら、ルナは視線を封煌竜へと戻す。相変わらず、封煌竜はルナを敵視し、今にも襲いかかろうとする気配を全身に漲らせている。
だがルナは、その荒れ狂う咆哮の奥に、かすかに滲む“痛み”を感じ取っていた。
(ミストルティスやロキソニアスたちは、もう手遅れだろうし、絶許だから知らんけど──この子たちには、まだ救済の余地がある。ルキナティアナ様がしていたように、“神”以外に協力を求めれば、あるいは。……でもなぁ)
ちらりと封煌竜を見やり、ルナは小さく息を吐きながら、『はは……』と乾いた笑いを漏らした。
「問題は……竜たちが憎んでいるのは“神”で……今、その“神”なのよね、私」
ゲーム上の設定が絡む、なんとも厄介な問題だ。
“設定”というものは、対象を縛りつける“見えない鎖”に等しい。
そしておそらく、創造神はそれを巧妙に利用し、竜たちの憎しみを増幅させているのだろう。その証拠に、ルナへと怒りを露わにする封煌竜は、彼女と対峙した瞬間──言葉を交わす間もなく、本能のままに攻撃へと移っていた。
人間より遥かに叡智を備えた存在であるはずの“竜”が、一言の意思表示すらなく襲いかかってくる──そんな行動は、“竜自身の意志”だけでは到底説明がつかない。
(やれやれ、一息つく暇もない。……まずは、この子を正気に戻してあげないと)
ルナはそっと瞼を閉じ、かつて画面越しに眺めていた世界の記憶を静かに手繰り寄せた。
彼女の知る限り、竜族はルキナティアナとは異なる類の“敵キャラ”として描かれていた。
もっとも──敵といっても、恋愛シュミレーション特有の、ご都合主義を背負わされた存在だった。“神キス”における竜族とは、主人公を輝かせるためだけに配置された、薄っぺらい舞台装置にすぎなかった。
倒し方は、あまりも単純だ。
味方のレベルが1でも竜を上回れば、あとは、竜の属性とは逆属性の魔法や技を当てるだけで誰でも勝てる。そして撃破すれば、破格の経験値が手に入るのだ。
要するに──レベル上げのためだけに用意された、都合の良い“仇役”。彼ら自身の物語も、感情も、誇りすらも、システムの都合の前では「存在しないもの」として扱われていた。
(主人公側だけに有利な、あの酷いゲームバランス……心底うんざりしていた。数周目から竜族との戦闘を避けて進めたのも、ただの作業にしたくなかったから。星奏記があれほど深かったのなら──いつか、彼らの歴史や想いに触れられると信じていたのに)
ルナは唇を噛み、ゆっくりと拳を握りしめた。
目の前に立ちはだかる封煌竜を見上げ、怒りに染まったその瞳をまっすぐに捉える。
巨山のように聳える竜の姿も、今のルナには──理不尽な痛みに耐えきれず、泣きわめきながら暴れている子供のようにしか見えなかった。
「……あなたも私も、所詮は“ミコト”の物語を飾るための駒。でも──もし、ミコトではなく“私”があなたを打ち破ることができたなら……その瞬間、あなたの運命は書き換わる。誰かに与えられた役割じゃなく、あなた自身の物語が始まるはず」
静かに息を吸い込み、ルナは迷いなく一歩、竜へと踏み出した。
「用意された“役”なんて、いらないんだ。──私が、貴方を解き放つ!」
『……!』
その瞬間、封煌竜の瞳がかすかに揺れた。
ほんの刹那──だが、確かに理性の光が戻ったように見えた。
それは怒りでも、威圧でもない。長い封印の奥底に沈んでいた、名も知らぬ感情──戸惑いと、微かな希望が滲んでいた。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
更新スパンが長めの作品ではありますが、そのぶん一話一話に気持ちを込めて書いています。ゆっくりの更新ですが、最後まで見届けていただけたら幸いです。




