【第9話】封煌、常闇の律 <前編>
【第9話 前編】
──君たちが生まれるより、遥か昔のものがたり。
誰が語ったのが始まりか。詩人は既に知っていた。
詩人から母へ、母から子へ──継がれる悠久の調べ。
今こそ詠おう、星奏のうた。
宇宙の深淵に漂うは、名もなきもの。
鼓動を宿す六つの影──それら、彗星に非ず。
隕石を伴い、落ちるは原始の星。
地の核にて、深き眠りに沈む。
時は巡りて、幾重にも。
海、唄う。波の記憶、眠りの歌。
森、笑う。木々の語らい、芽吹きの声。
山、纏う。雲の羽衣、目覚めの夢。
夢──覚醒を誘い、咆哮す。
秩序なき星に理刻むは、生命の貌。
その名──【竜族】
《星奏記:第一章~竜の胎動~》
◇
ルナは、首が軋むほどにその巨躯を仰ぎ──やがて、視線を“ヒトの高さ”へと戻した。
(『シエル=ノワゼル』……私は、その名を知っている。ラグナレクの詠唱のなかにあった、『六竜王』という言葉も)
これまでルナが優先していたのは、ルキナティアナの肉体への適応。ゆえに、「神キスの記憶」は不要と判断し、脳の片隅に封じていた。
だが今、“竜”の出現とともに、脳裏の奥底から声が響く──『今すぐ、その記憶を呼び起こせ』と。
(ここは、知識を生かす……絶対に負けられない。六竜王──その名の通り、竜族の六匹の長。それぞれが異なる属性を纏っていて、『シエル=ノワゼル』は……)
ルナの視界に広がるのは、“常闇”そのもの。
一目見ただけで、世界が初めから闇だけで織り上げられていたかのような錯覚に陥る。そしてこれから先も、永劫にわたり闇の帳が大地を覆い、光を拒み続ける──そんな意志すら感じさせる、圧倒的な暗黒。
それでいて、その巨躯を覆う鱗は、銀と黒が交互に煌めく深い艶を湛えている。夜空に浮かぶ星々が、竜の肌に宿っているといっても過言ではない。その神秘的な輝きは、見る者の心を奪うほどの威厳と美を宿していた。
画面越しのスチルでは到底味わえない、“実在”が放つ威容。ルナの背筋に、ぞくりと震えが走る。
だが、それは恐怖ではなく、むしろ──未知なる強大な力へ抱く、憧憬にも似た本能的な昂ぶりだった。
「まさしく“闇の理”──これが封煌竜王。まったく……冗談でしょ? 私はまだ、万全じゃないのに。こんな……ダンジョンのラスボスみたいな存在とやりあえって……──はっ!?」
皮肉混じりの独白を吐きながらも、ルナの身体は反射的に動いていた。脳が命じるよりも早く、直感が導くままに斜め後方へ跳躍する。
封煌竜の動きは、山が息を吐くような重さと、悠然たる緩やかを帯びていた。遠目に眺めている限りでは、動いていることすら判別できないほどの静謐。
だが、空間が歪むほどの圧を感じ取れないほど、ルナは鈍感ではない。意識が別の思考に囚われていても、頭上から迫る“竜の脚”の気配を確かに捉えていたのだ。
「……あと一歩遅れてたら、踏み潰されてた。さっきの魔獣たちは、なんとかなったけど……アレと、今の私がまともにやりあったら──」
言葉の続きを呟く前に、ルナは息を整え、踏み下ろされた脚の位置へと視線を向ける──その瞬間。
「──っ!? うわああぁぁ!!」
先ほどまでルナが立っていた地を、封煌竜の脚が穿った。地鳴りとともに、天災と見紛うほどの衝撃波が奔り、容赦なくルナを吹き飛ばす。
爆風に乗って加速した身体は、抗う間もなく、結界の壁へと叩きつけられた。
反動すら許されず、鉛直に地面へと落下する。受け身も取れぬまま、地に転がったルナは、激痛に顔を歪めた。
「……っ、う……!」
あの時──この神殿で新たな生を歩み始めた瞬間、無条件でルナを守っていた“魔法陣”は、今回は沈黙したままだった。
うつ伏せのまま、ルナは「台座から落ちた時の記憶」を手繰り寄せる。
(……そうか。あれは、転生初期だけに付与された、“祝福”のような自動バフだったんだ。ルキナティアナ様の身体と私の魂が、完全に融合しつつある今──“不要なもの”として剥がれた。ラグナレク……それを見越して、こんな試練を仕掛けてくるなんて。やってくれるじゃない)
生まれ落ちたばかりも同然な“代替品”に提示されるのは、甘さなど一切無い苛烈な試練ばかり。身体の主が不在である以上、いかなる局面も、ルナひとりで突破しなければならない。
高所からの落下による裂傷、打撲、骨折。息をするだけでも、痛みが全身を貫く。
それでも、ルナの中に滾る炎は消えていなかった。
それどころか──その表情は、どこか楽しげだ。
(……ふふっ……そういうことなら、守護魔法も常時発動できるようにしなきゃ)
ゆっくりと地を蹴り、ルナは立ち上がる。
その姿を捉えた封煌竜が咆哮し、次の攻撃のモーションへと移行する。おそらく、次の一撃は直撃を免れないだろう。そうなれば──神の身体を持つルナとて、無事では済まない。
遥か上空で静観していたラグナレクが、冷ややかに告げる。
『いい加減、諦めたらどうだ? ルキナティナの身体とはいえ、このままでは死ぬぞ』
「……痛みのおかげで、思い出したんだ。私ね──」
ラグナレクを睨み上げるルナの瞳には、恐怖も逡巡もなかった。浮かべる笑みは不敵で、愉悦すら滲んでいる。
まるで、“最恐の魔神”が、ルナの内側から顔を覗かせたかのように。
その気配に、ラグナレクの剣身が微かに震える。
『──! ……ルキナ……ティアナ?』
一瞬、ラグナレクの記憶が揺らいだ。
ルキナティアナがこの世界に誕生したその日に、自身も生まれ、結ばれた強い絆。共に切磋琢磨し、幾度も境地を乗り越えてきた記憶。そして──月虹 で聴いた『必ず迎えにくる』という言葉。
だが、すぐにその感覚を振り払うように、ラグナレクは内心で吐き捨てる。
(──違う。あれは“代わり”だ。魂の形状が似ていようと……力も経験もない小娘に、月神の名を継ぐ資格など──)
ラグナレクの思考が追いつくよりも早く、ルナの声が空間を裂いた。
「窮地に立たされるほど、燃え上がる性格だったって!」
刹那、銀光の環がルナの足下に広がる。
それが緩やかに上昇し、頭上へと至った瞬間──空気が震え、神力が嵐のごとく吹き荒れた。
ラグナレクは、信じ難い何かを目の当たりにし、剣身を軋ませる。
『か、回復魔法……月環光癒だと!?』
瞬く間に、ルナの身体が癒えていく。
裂傷は閉じ、骨は結び直され、呼吸は整う──気づけば、全身を蝕んていた痛みは、霧のように消えていた。
「なるほど──こうやるのね。全身を巡る神力……ルキナティナ様の“月”の力……」
『バカな……癒しは、光属性の領域。闇属性の上位互換である月属性に癒しの魔法など、本来は存在しないのだ! “月環光癒”は、ルキナティアナの──』
ルナの瞳が、静かに輝きを宿す。覚醒の色──神心石タンザナイトが放つ、神秘の青紫。
ラグナレクは初めて、ほんの僅かに“認めざるを得ない”という感覚を覚えた。
それが、彼にとって屈辱であり、裏切りであることを理解しながら──。
9話は前編・後編に分かれます。
◆2025/10/6
少しだけ修正しました。




