4.中原という男 2
暫くは中原の回想が続きます
チュウさんの名で知られる男・中原圭司は過去、地域課に所属する"交番のお巡りさん"であった。班長(一般に警部補)の身でありながら、署内でデスクワークに勤めることはなく、本人たっての希望で生涯現役を貫く堅物気質な男である。その相棒役としてやって来たのが大木伸夫、階級は巡査長であった。
「なぁ大木、隣の管轄で目撃情報のあったひったくり犯ってまだ捕まってなかったよな?」
「はい。目深帽に紺色っぽいジャージを着た、40代くらいのおっさんだって聞いてます」
「ははは!40代でおっさんなら俺は爺さんだな!」
「なっ、違いますよ班長ぉ!自分、失礼を言うつもりなんてなくて、」
冗談を交えつつ、当時交番勤務に勤しんでいた2人だった。晴天の、穏やかな春の心地が眠気を誘う頃合いである。中で腰掛けながら日誌を記す中原に、大木は背を向けながらも慌てた調子で返答していた。会話の聞こえない小学生からしてみれば、交番入り口で町を見守っているお巡りさんと、奥で構える屈強なお巡りさんあたりだろうか。時たま手を振る子供に敬礼でもって返す大木も、中で新聞を読んでいた中原もこの時ばかりは、長閑なこの町であんな悲惨な事件が起きるとは思ってもいなかったのである。
本署地域課から無線が入ったのは、空に雲が出始めた午後16時の頃合いだった。
「程よい気候で…ふあ、眠くなって来ますね」
「…そうも言ってられなくなったぞ」
「え?」
春の気候に欠伸を噛み締め耐え凌いでいた大木を諌めるように、中原の低い声が響く。彼の眉毛がキッと寄るのは、現状が厳しいからに他ならない。どうしました、班長?と尋ねる大木の背中に、中原が無線内容を伝えた。
「4丁目のニオンスーパーに強盗が入ったらしい。犯人は逃走中」
「ニオンっていったら近いですね」
「だな。犯人は黒いキャップに紺のジャージ、白の運動靴を履いた40代くらいの中肉中背だと」
「それって、」
「ああ、俺もそう思う。コイツは噂のひったくり犯に間違いないだろうよ」
充分に警戒せねば市民の安全も維持できないと気を引き締め直した大木の視界の端、情報にあったのと良く似た背格好の男が歩いているのをその目に映す。
「班長!あそこを歩いてるヤツ、例の男だと思われます!」
「何だと!?…確かに似ているが、何故交番に近い場所を堂々と歩いてやがる?さては逃げ延びたと慢心して、凱旋の真っ只中か?」
「あり得るかもしれません。不審な様子を見せず交番の近くを歩けば、誰だって犯人とは疑わないでしょうから」
大木の一言が決め手になった。警察官2人の勘が、あれは連続犯だと確信している。中原は装備品の確認をすると、急いで休憩室の扉を開いた。
「オイ小島!悪いが休憩は少し早く切り上げてくれ!」
「ふぁい!?」
心地良い微睡みから一気に現実世界へと叩き戻された警察官・小島が、奥の休憩室からのそのそやって来る。班長、どこ行くんですかぁ?!なんて呑気な声を一喝する如く、
「逃走中の強盗犯が目の前にいるから大木と追う。お前は署に応援を頼んで此処で待機!」
的確な指示を出して走り出した。合わせて大木も飛び出していく。上擦った声で了解しました!と返答した小島は、慌てた様子で本署に一報入れるのであった。
「流石に制服じゃバレますよね、そりゃあ」
「つべこべ言ってないで走れ!向こうさんも気付いてんだ、追いかけっこは早く終わらすぞ!」
「了解であります!」
町中を、怪しい男が駆け抜けたかと思えば、今度は警察官2人が走り抜ける。何だ何だと群衆が騒ぎに託けて人混みへと変貌するより先に、2人は犯人を捕らえねばならなかった。彼ら一帯が野次馬になれば、見失う可能性だってある。
「しっかしなぁ、なーんか変なんだよな」
「ですね…この先って道、ありましたっけ」
「いや、このまま曲がらずに走り続けたら行き止まりに直面するはずだ。何を考えてるのか分からんが、知らないなら好都合。追い込んで確保するぞ」
大木から威勢の良い返事をもらったところで、2人は路地の行き止まりに辿り着く。慌てくさった犯人が両手を挙げて此方を向くので、投降の意思があるのかと躙り寄りつつ尋ねた。しかし、返答はない。
「全く、追いかけっこさせるくらいならこうして大人しく投降してくれりゃ良かったのに」
「そのまま大人しく膝をついて…そう。手は頭の後ろに、」
中原が無線連絡を入れている間、大木が犯人に近付いて身柄を拘束しようと手を伸ばす。すっかり大人しくなった犯人は、大木の言う通り頭の後ろに腕を回すと抵抗の意思を微塵も見せなかった。
しかし、実践経験を積んだ男の目から見れば、それは懐疑へと変わる。
「避けろ大木ッ!!」
不意に立ち上がった犯人が、右手を大きく振りかぶって大木へ殴りかかった。