親友のヒロインちゃんへ【殿下の前で盛大に転んでしまって困っています】公爵令嬢より
「そんなことでさ、わざわざこんなところに呼ぶのおかしくない? 来る私も私だけど」
夕焼けの照らす海辺で、空を見上げながら黄昏る令嬢に言う。その悲しげな表情はとても美しく、思わず見とれてしまいそうになった。
「しょうがないじゃない。あんなことしちゃったんだもの」
声が暗い。いったいどれほどのことをしてしまったのだろう。殿下の訃報は聞いていないが、もしかして転んだ拍子に階段から突き落としてしまったのだろうか? それならこの落ち込みようもあり得る。
「はぁ~、わかったよ。聞いたげるから何をしたか教えてくれる?」
よっぽど切羽詰まっていると思い込んだ私は、黄昏令嬢に問いただす。というか聞かないと帰してくれなそうだ。
「誰にも言わないでよね。親友のあなただからこそ言うんだからね?」
「わかってるよ。だから早く教えてくれる? 私買い物頼まれてるんだよね」
「……っ!? ちょっと、買い物とわたくしの悩みを比べないでくれる!? いったいどっちが大事なのよ!」
「買い物」
「早い! 判断が早い! ちょっとは悩みなさいよ!」
迷ってなんていられるか。今日の夕食が掛かっているのだ。いくら親友が相手でも私の胃袋事情の方が大事である。
「それよりも早く教えてくれる? 時間を無駄にしたくないんだから」
「それよりもって!」と怒りを露にしつつ、令嬢は一度深呼吸をした。冷静にならないと話が進まないと判断したようだ。腐っても公爵令嬢、こういうところは利口である。
「その……殿下が見ている前で盛大に転倒して、パン……を見せちゃったのよ」
「パン?」
殿下の前ですっ転んで、袋に入れていたパンでも落としてしまったのだろうか? 確かに公爵令嬢様が転んでしまうのは恥ずかしいことだが、こんなに落ち込むことだろうか?
「別にいいじゃんそれくらい。私だって何度も男の子の目の前で似たようなことしてるし」
「似たようなことを何回も!? あなた、そんなにも痴女だったのね! この変態! ああ、こんなのがわたくしの親友だなんて――最悪だわ!」
「言いすぎでしょ! たかがパンを見せただけで痴女って! そんなに淫猥な物だっけ!?」
「たかが、たかがって言いまして!? ああ、なんてこと……こんなにも常識がないだなんて。これじゃあ歩く猥褻物じゃない!」
「はぁ!?」
パンを落としたくらいで常識がないとか言い過ぎじゃないか? いやっ、確かに高等教育を受けている令嬢ならそう思うだろうが、猥褻物ってなんだよ。あれか、パンを落とすことって性的なことなのか?
「というかそんなに性的なことだっけ? だってただのパンじゃん!」
「変質者のあなたにとってはそうかもしれませんけれど、一般人にとってはとてもエロティックなことでしてよ!」
「エロいの!? 何それ、みんな食べてるじゃん!」
「食べてる!? 食べてるですって!?」
雷でも落ちたかのように衝撃を受けている令嬢。いったい何をそんなに驚いているのか?
「あれっ? もしかして食べたことないの? さっき落としたって聞いたんだけど……」
「落としてないし、食べもしませんわ! なにその特殊性癖は! もしかして子爵家では流行ってまして!?」
「流行とか関係ないと思うけど――」
もしかして公爵家では食べないのかな? う~ん、確かにどちらかといえば庶民向けの食べ物に思えるからなぁ……
「今度食べてみる? 気に入るか分からないけど、意外とハマるかもよ?」
「誰のを!? あなたのを!? わっ、わたくしにそんな趣味は無くてよ!」
私と少し距離を置く令嬢。そんなに引かなくても……と思う。
パンって結構ゲテモノだったんだ。以外。
「分かったよ。もう、そんなに離れないでよ。さすがに傷つくじゃん」
「あっ、ごめんなさい。ちょっと興奮しちゃいましたわ。でもいきなりおパンツを食べるって言いだしたあなたも悪いのよ?」
「はっ? なんだって?」
今この令嬢、なんて言った?
「それにしても下着を食べるなんて、変な食生活なのね。子爵以下の生活ってみんなそうなのかしら? 少し価値観を見直す必要がありそうね」
憐みのような目を向けながら話す公爵令嬢。本当に同情しているようだが、それがなんとも私のトサカを刺激した。
「食ってねーよ! 食パンの話じゃないのかよ!」
「はっ? 何を言ってるの? おパンツの話題でしょう?」
何か変だなと思っていたら、お互いに嚙み合っていなかったようだ。通りでドン引かれるはずである。私だって、目の前の奴がパンツを常食している変態だったら距離を置くわ。
「……何か察しましたわ。つまり、お互い勘違いしてお話をしていたってことね」
呆れたように溜息を吐く令嬢。私も同じ気分である。
「そのようだね。それで、本当の悩みって何なの?」
「それは……その……とても言いづらいんだけど、はっきり話した方がよさそうね。また勘違いされたら困るし」
「そうだね。今度はちゃんと説明してくれる? 殿下の前で転んで、いったい何が起こったの?」
「殿下の目の前で転倒して……それでーー」
顔を赤く染めながら、令嬢はとても言い辛そうに話を続けた。
「おパンツを盛大に見せてしまったのよ! もう、それはそれはもろに!」
余程恥ずかしかったのか、「うわーん!」と顔を両手で覆って泣き崩れる令嬢。心底どうでもいい。私はこんなくだらない悩みのために、わざわざ自宅から地味に離れた海辺まで呼ばれたのか。
「……どうでもいいわ」
それはそれはもう、物凄くどうでもよかった。飲み込むはずの言葉が口からでるほど知ったこっちゃなかった。
「ちょっと、ちゃんと聞きなさいよ! どうでもいいってどういうこと!?」
「はぁ~……」
一気に疲れた私は、食って掛かる親友を無視してそのまま買い物へと向かった。何てったって、今日のご飯はふわとろオムライスなのだから。
「お腹……すいたな」
「ちょっと、無視しないでよ!」
ふわとろオムライスエンド!
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