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コSign  作者: 浦世羊島
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8.蠢く繋がり

8.蠢く繋がり


 「えっ!ドローンだって?」

岩田と退院し立ての野津は異口同音に声を上げた。三鷹北署の窓外の桜は散り始めている。ぬくぬくと温暖な気候が訪れ、気を緩めると眠くなりそうだったが、事件を追う刑事たちの緊張感は日毎に増している。

「野津さんのマンションの防犯カメラ映像はすぐ抑えたので、犯行の様子を解析するのに手間取りましたが、黒い物体が横切るように見えて、それが人間ではなく飛ぶ物と判明しましたよ」

そう鑑識の課長が言う。

「160センチ前後の人間と間違えていましたが、よく鑑定したら人体ではなかったわけで」

「ドローンにナイフを装備したとしても、あの警告文は?」と野津。

「リモートのクリップに挟んで飛ばせばできることですよ。しかし、ドローンのカメラだけを見て操縦したとするなら、相当な高等技術ですけどね」

「ということは、凄い技術での操縦か、犯人はドローンを見える場所で?」岩田が尋ねる。

「そのどちらかですね。ただ、どの防犯カメラにもそれらしき人物は映っていませんが」

 野津と岩田は腕組みをした。野津は、

「操縦技術が凄いとしたら、どこを当たればいいのやら」と呟く。

 鑑識課長は、つと立ち上がってコーヒーメーカーから三人分のコーヒーを注ぎ、テーブルに並べながら、言葉を選んだ。

「野津さん。搭載カメラだけであの犯行ができる人間は、日本に百人と、いませんよ」

「ということは、その百人といない人物を全部当たればいいわけか」岩田が納得する。

「ですね。でも、ドローンは資格試験があるものの公的には免許制ではなく、誰なのか名簿があるわけじゃないですが」

「付近に痕跡はないんだね?」と岩田。鑑識課長は、

「残念ながら性別も年齢も体格も、いまのところまったく手掛かりはないですね」と首を振った。

「ダメモトで、もう一度現場を調べてくれないか。そうだ、科捜研同伴で」と言う岩田に、

「もちろんいいですが、日数が経過したいまでは、期待しないでくださいよ」と鑑識課長は少し困った顔になってコーヒーを飲み干した。

「わたしも現場に」と野津が言うのを、岩田が遮った。

「行けるわけがないだろ。ロクに歩けない癖に。車の振動でも悪化するぞ」といさめた。

 『この件に関してはとりあえず保留』という悔しい気持ちで、三人は顔を見合わせる。桜の木が強風に揺れ、花びらが吹雪のように舞う。ふと室内に春の匂いがした。


 捜査会議の席上、野津と岩田はもう一度驚くことがあった。

殺されている三人が、いずれも死んだ当時、すでにバイオレットピープルの会員ではなくなっていたという共通項が見つかったのだ。野津達は元会員になっていたのは梶谷だけと思っていたし、捜査員全員の思い込みでもあった。時系列の照合をしたデータ班の人物も、やや興奮気味に報告した。

「となると、グループの秘密漏洩を恐れたとか、非会員に会員特権は利用させないという都合とか、考えなくてはならないことが多いですね」そう野津は岩田に囁いた。

「だな」と岩田が同意する。

 「なぜパープルなんとかではなく、紫色をバイオレットと表したのでしょうか」という疑問を発言した捜査員もいた。しかし、ネーミングというのはセンスもあるし、直球で『パープル』と名付けなくても、そこに不自然はない、という意見が大半を占めた。

 モルヒネについて岩田は発言を求められたが、

「麻薬捜査官からのご報告で、殺人の線とは関係ないだろうとのことでした」と言うしかなかった。ただ、バイオレットピープルの会員に、露見してはマズい地位のある人物が少なかれ名を連ねているのは、その方面を探っていた刑事の報告で分かったが、実名は現状、会議の席上では情報共有するのははばかられた。捜査員も大勢になると、誰かが暴走やリークをしない保証はないからだ。

 岩田は会議が終わった後、三角という刑事に話しかけた。先程、要人に関係者がいると報告した人物だ。岩田は周りに聞こえないよう小声で

「バイオレットの会員に、例えば誰が?」と尋ねた。

「うーん、一番の大物は、労民党代表の千堂聡介ですかね」と三角。

「まだ、その、現役会員ですかね」

「調べた限りでは在籍しています」

「そうか。ありがとう」

 野党第一党の労民党代表となると、なかなか厄介だなと岩田は思った。

「ガンさん、どうしました?」と野津に声を掛けられ、岩田は振り向いた。

「ちょっと来い」そう岩田は言って、野津をトイレに連れ込んだ。

 モルヒネの事情を聞いた野津は、驚きながらも考え込む表情になり、

「それはどこまで探っていいのやら、微妙ですよね」と呟いた。


 中央区の党本部から車に乗り込んだ千堂聡介は、運転手に

「私用で寄るところがある」と運転手に言い、住所を告げた。

「そこで降りたら、きみはもう帰っていい。わたしはタクシーで帰る」と秘書の根尾に言う。

「わかりました」と初老の運転手は答え、車を西新宿へと向かわせた。根尾は、

「先生、ご身分をわきまえて、危険な行動はお慎みください」と言った。

「わかってる。大丈夫だ」聡介は少し不機嫌になって答える。

 千堂は48歳の若さで最近党首になった人物で、党内の人望もあったが、瘦身で眼光鋭く、何を考えているのか分からないような謎めいた雰囲気を漂わせ、国会議員にしては珍しく、髪を濃いブラウンに染めている。

 途中の桜並木はすでに半分ほど散っていて、道路をピンクの絨毯にしていた。快晴で温かい日なので、彼は「暑いな」と呟き、車内で上着を脱いでシャツの袖をまくった。手頃な値段だが英国ブランドのしゃれたスリーピースを着こなしている。

 裏道に面した小さなマンションの前で、千堂は車から降り立ち、入口で指紋認証をして402号室に行く。セキュリティーに関しては完璧な場所である。軽くノックをして「わたしだ」と言って中に入る。そこはバイオレットピープルの隠れ事務所兼現在の矢野元教授の住居だった。事務所用の6畳ほどの部屋と広いLDKで、外観の平凡さに反して一目で高級とわかる内装だ。床も壁もアイボリー一色だが、本物のフローリングと生木の壁である。

 小さなソファに座ると千堂は怒りを堪えるように言った。

「アレを流通させたのはきみか?捜査を止めるのに骨が折れたよ」

「いやいや、わたしは梶谷の元妻、ナースの篠崎さやかにしか渡していませんよ。もちろん梶谷にあげて欲しいということで」矢野はそう答えて首を傾げながら、千堂の向かい側の椅子に座った。

「あんたの教え子だった多和田茜と篠崎の弟が所持しているが?」

「ええっ!あの白いカプセルが、アレだったんですか?」と矢野は目を見開いた。

「そうか、あんたは中身を知らないからな。多和田に流れた経路がわからん」

「篠崎陽晴が持っていたとすると、もしかしたらですが、品田という女が絡んでいる可能性も」

「誰だその、品田というのは」

「陽晴の彼女です。多和田とは私的な繋がりがあって不思議はないので」

「私的な?」

「品田はアイグレーというフェミニスト団体の構成員で、あとは想像ですが、多和田がその団体員であれば」

「よく調べてあるな。だが、なぜそういう想像をする」

「多和田はキャビンアテンダント志望なんですが、一方でフェミニストであることは日頃の話の内容から明白だからです」

「なるほどな。まあとにかく、あのオモチャを広めないように注意しろ。それと、さやかとはもう切れているんだろうな」

「もちろんです」

「あと、多和田という女子学生との火遊びもいい加減にしておけよ」

千堂は押し込むように矢野を睨みながら言い放つと、きびすを返して部屋を出た。

聡介は、呼んだタクシーで三鷹に向かい、とあるマンションの駐車場で降りた。そこは黒猫みゃあこの住むマンションだった。


10畳程度の洋間プラスキッチンの部屋で、千堂は1つしかない椅子に座った。

「瑞穂、先日はご苦労だった。これを取っておけ」と帯封の札をテーブルに置いた。

「お前と血の繋がりこそないが、一応千堂家の人間だ。将来は政治家との結婚もあり得るから、絶対に素性はわからんようにな」

 ベッドの淵に座った、瑞穂と呼ばれる女はまさに黒猫みゃあこだった。彼女の生活費は義父が供給していた。

「きょうは大を10個、小を20個持っていく」

瑞穂は黙って手袋をはめた手をクローゼットの奥に差し入れ、木の箱を言われた通り取り出す。大は小の約2倍の大きさだ。大きな紙袋に木箱を入れた。ブランドで大物を買うと入れてくれる類の袋だ。

「こんなの、何に使うの?」

「こんなオモチャを見返りに欲しくて献金する者がいるからだよ。需要があるものは供給するべきだしな」と無表情だ。

 千堂は妻の連れ子である瑞穂を、高校卒業時からあえて別に暮らさせ、内密にしたいことのいくつかを彼女に委ねていた。瑞穂は、先輩議員が不倫の末産ませた子というマスコミの憶測もあるが、本当の事情は誰も知らない。千堂の視線の先には、高価で精密なドローンがあった。瑞穂には公的な資格を取得しないようにさせているが、千堂家の広い庭で練習を積ませ、熟練者に仕立てていた。

「必要な物はなるべくネットで買えよ。素顔で外出するのは控えて欲しい」

「このカードって」と黒いクレジットカードを瑞穂は見せた。

「利用限度額がないブラックカードだ。キャッシュも渡してはおくが、原則そのカードで決済するように言ったろ」

「あ、はい、わかりました」

紙袋を下げて、彼が次に向かったのは世田谷の自宅ではなく、今度は立川方面だった。


 三鷹北署。野津は上からの要請で加古に電話を掛けていた。

「いい?よく聞いて。実家に帰省、したことにして、暫く隠れて欲しい。おそらく2週間程度だと思うが、警備にも限界があるからだ。警察の寮に部屋は用意した。高島さんも一緒のほうが望ましい」

「えっ!でも、塾のバイトがあるから、それは困ります」と加古は驚いた。

「アルバイトは理由を付けて、一時的に止めてくれ。その分は警察が支給すると約束も取れているから」

「そうなんですか。ただ、普段の生活は?買い物にも出れないわけですよね?」

「毎日、警戒して用事を聞きに行かせる。そのときに必要な物を言えば代わりに買って届ける」

「分かりました。ただ、実家には『帰省していることに』と言うんですか?」

「だね。高島さんも同じ手を使うしかない。居場所は家族にも秘密だ」

「慶菜と一緒は、彼女の両親にバレるとまずいですよ」

「いや、絶対にバレることはないはずだ。彼女もいま説得中だが」

加古は、身の危険がそこまで、という恐怖心と、慶菜と疑似同棲できる嬉しさで複雑な気分になった。

「慶菜さんが納得してくれたら、僕はいいですよ。実家に警察のことは話していいですよね?」

「うん。それは止むを得ないね。口止めはしっかりお願いするとして」

加古の肩はようやく治ったので、慶菜は自分のアパートに戻っていた。とはいえ、会わない日はほぼなかったが。彼女の母親が来る日以外は、どちらかのアパートで一緒だった。移動の時の警備は申し訳ないと思いつつ、お互いに顔を見ないと寂しくなる。

 『それにしても大変なことになった』加古と野津は同時に同じことを思っていた。真相に迫っているから狙われているのか、推理自体を止めようとしているのか、何やら重苦しいものを感じる二人だった。

 加古が実家に電話すると美海が出た。

「かあさんかとうさん、いる?」

「お兄ちゃん、久し振りだね。春休み帰って来ないの?」

「あ、そのことで話があるんだ」

「お兄ちゃん、彼女できた?大学でさ」興味あり気の妹だ。

「さあね。美海には言わないよ」とつい笑った。

「あたしだって彼氏いるんだよっ」美海は茶目っ気たっぷりの声。

「おまえも、もう高三だもんな」微笑ましく思った。

「ちょっと待ってね」美海が、おかあさん、と呼んでいる。母親が電話に出た。

「芳也、どうした?」

「あ、かあさん、春休み中は帰れそうにない。けど、帰省していることにして欲しい」

「え?なにそれ。どうしてよ」

加古は事情を詳しく話した。母親はあきれたような声を出したが、

「野津のあんちゃんが刑事さんか。まあ、警察ごっこなんか、もうしなさんな」と言い、一応了解してくれた。もちろん、慶菜のことは内緒にしてあるが。

 加古は電話を終えてすぐ、クローゼットからスーツケースを出して、宿泊の準備に取り掛かった。帰省のときしか使わないので、小型の安物だ。これとショルダーバッグに着替えや必要品を入れて行こうと思った。下着の替えを中心に、トレーナーとカットソーを少し。パンツの替えはかさばるので、いつものデニムだけで過ごそうと考える。暑くも寒くもない季節だったのはよかった。まあ、どうせ外出禁止になるから同じだが。

 電気シェーバーに歯ブラシ、マグカップを2つ。そういえばコーヒーを飲めるのか聞いていない。最悪缶コーヒーになるかも知れないな、と思う。コーヒー好きの加古にはちょっと気になる。黙々と必要最小限の物を準備し、最後に『あ』と気がつき、あるだけの避妊具をスーツケースの隅に押し込んだ。


 野津と岩田が捜査の会議室で、また人間関係をホワイトボードに書き込み意見をやり取りしているところに見知らぬ刑事二人がやってきた。立川南署所属で捜査本部の聞き込み係だという。瀬上と名乗った刑事が、

「千堂聡介はご存知ですよね」と言う。

「最近労民党の代表になった?」と野津。

「そうです。あの人物の行動履歴を探っていたら、いくつか妙な点が」

岩田はわざと黙っていた。モルヒネの件なら知らぬフリをするつもりだ。

「できる範囲で尾行したんですが、西新宿のあるマンションに出入りしていますね。近所の人に写真を見せたら、見たことがあるという証言も取れましたし」

 もう一人の田代という刑事は、八王子の篠崎さやかの家を一応張り込んでみたという。まだ何も変わったことはないそうだ。だが、忙しいという口実で任意の聴取に応じないらしい。

 野津はふと思いついたことがあり、岩田の了解を得て警察の覆面パトカーで八王子に向かった。さやかの自宅は八王子駅の南にあるメゾネットだ。桜舞う夕焼け空の下を走らせ、野津は故郷の鳥取を思い出していた。ちょうど多摩川沿いで川面がオレンジ色に染まっている。彼の生家近くにも川があった。『なんの悩みもなかったな』と少年だった頃を思い出す。東京生まれ東京育ちの岩田には、望郷の機微が伝わらないだろうとも思った。

さやかの家近くにそっと降り立った野津は、さやかの家のインターホンを鳴らした。じつは、きょうのさやかは日勤で、まだ不在なのは勤務先に確認して分かっている。

 子供の声で「ハイ」と出た。

「えーと、警察なんだけどね。ちょっと聞きたいことがあるんだ。いい?」

数秒経って、チェーンを掛けたままのドアが開いた。旧姓梶谷、現在篠崎京という6歳児だ。もうすぐ小学校の入学式を控えている。

野津は、たくさんの写真を持参していた。

「見覚えのあるひとがいたら教えてね」と言って、小さく開いたドア越しに次々に写真を見せた。

京は矢野のところで「そのひと知ってる」と小声で言う。「前におかあさんと付き合っていたひと」更に小声になった。

野津は冷静を保ち、更に写真を見せてゆく。千堂聡介の写真に京くんが反応した。

「そのおじさん、時々おかあさんと一緒に帰ってきたり、僕が留守番で二人がね、出かけることもあるんだ」

「えっ」さすがに野津もドキッとした。

「一番最近はいつ?」

「えっと、1ヶ月くらい前だと思います」梶谷が殺される直前だろうか。

 子供だから、語尾が丁寧になったりする。

「おかあさんは、そのひとから何か預かっていたかな?」

「うーんと。それはわからないな」

ありがとう、と礼を言い、野津は車に戻った。千堂とさやかに接点がある。何かの手掛かりにはなりそうに思えた。10分ほど見張っていたが異変がないので、野津は諦めて車のエンジンを掛けた。まだコルセットで保護している腹部がズキンと痛む。


 そのころ千堂は立川駅で、さやかと素知らぬ待ち合わせをし、帰宅ラッシュの下り中央線に乗って合意痴漢ごっこをしていた。局部に手を這わされているさやかは、表情を隠すために前髪で顔を隠し、声を堪えて喘いでいる。聡介は顔を隠すようなサングラス姿だ。多くの一般人に知られた顔なので、絶対にバレてはいけない。脱いだ上着の議員バッジも外してある。

電車が八王子に着くと、二人は素知らぬ顔で降りるとしばらく離れて歩き、人気が少ない道で初めて合流した。

「ちょっと話したいことがある。オモチャの件で」

さやかは無言でうなずいた。いつもの喫茶店に入る。入口の前で千堂は身体に付いた桜の花びらをはらった。八王子駅周辺でも桜が舞い始めている。

 奥の席に目立たぬよう、二人は座った。さやかは通勤なので白のブラウスに黒のタイトスカート。多少ミニ丈なのを除けば、人目を惹くような服装ではない。

「弟が持っていた件ですか」小声のメゾソプラノが囁く。

「そうだ」

店員が来たのでオーダーをして、

「なぜ1箱持たせた?」

「持たせたんじゃないんです。取られたという感じです」すまなそうな顔になる。

「私から受け取った後、梶谷の自宅に行ったんだろ?」

「ええ。ただ・・・」

「ただ?」

「あの足で先に弟と待ち合わせがあったので・・・」

「で?」

「弟のライヴのチケットを受け取るために喫茶店で会ったのですが、私がトイレに立った隙に袋の中身に興味を持ったらしく、取り出してしまったんです。『姉さん、これやばい物じゃないの?』と聞かれて、『光さんの薬よ』と言い訳したのが逆効果で、『てことは、やっぱアレだよね』と詰問されて、絶対口外しないのを条件に1箱渡さざるを得なかったんです」最後のほうは申し訳なさで消え入りそうになっていた。

「そういうことか」と千堂は冷静に答えたが、

「お陰で出処を揉み消すのに一苦労したよ」とやや硬い表情になった。

「明日18時、高輪の例のホテルに部屋を取った。先にチェックインしてくれ。私はいつものように後から行く。1206号室相沢、と言えば大丈夫だ」

「わかりました。次の日は日勤なので朝早く出ますけど、お願いします」

 千堂は先に喫茶店を出た。さやかは10分ほど時間差をおいて、ひっそり店を出る。晴天の下、風の匂いも春そのものだが、彼女の心は複雑に揺れて曇っていた。再婚相手を真面目に探していたつもりが、気が付けば穏やかではない事情に呑み込まれそうになっている。そう思った。

「あたし、大丈夫かなあ」ポツリと小声で独り言を呟き、京の待つ家へと向かう。


 三鷹北署に訪れた矢野は、少しやつれた様子だった。失職、離婚、独り暮らしといろいろあったから仕方ないとも言える。

 岩田と野津は、あえて隣室のマジックミラー越しに様子を伺うことにした。ある捜査員がおもしろいことが判明したからと言って出頭させたので、その刑事が取り調べに臨んだ。

 江頭という刑事が、

「矢野さん、あなたさ、色盲ですよね。それも2型3色覚異常という珍しい種類の」

「補足すると、緑錐体が機能しない色弱ですね。青や緑が特に見分けにくい」平岡という刑事が発言する。

「・・・なぜ、それを?」

「身辺調査で分かることですよ。あなたには紫と黄色以外は見分けにくい。でしょう?」江頭が断定するように言った。

「まあ、そうですね」矢野は観念したように肩を落とした。

「しかし矢野さん、あなたにはピンクと紫も見分けにくいはずだ。おかしいな」

「いや、それは長年の慣れで、青みがかって見えるのが紫と認識できます」

 隣室の岩田と野津は、ちょっと驚いて顔を見合わせた。

「だから紫をサインとして色に採用した」

「ええ。前にも他の刑事さんに言いましたが、形や物も考案した結果、例えばですが動作や所作を除けば、色で判別するのが優れていると思い、わたしが個人的に分かる、かつ珍しい紫色にしました。だけど、それが何か問題ありますか?」

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