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コSign  作者: 浦世羊島
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6.アイグレーと秘密

6.アイグレーと秘密


 目覚ましのアラーム音とスマホの目覚ましで、やっと加古は気がついた。7時5分。5分ほどベッドでボーっとしながらテレビを見る。特に気になるニュースは流れていない。野津が刺された事件も30秒ほど報道されたが、それはもう知っている。

 コーヒーメーカーをセットし、オーブンレンジでトーストを焼く。そしてバナナを1本。彼の朝のルーティンである。『どれを着て行こうか』と少し考える。選択肢はあまりない。『やっぱり、いつもは見せてない黒のサテンパンツで、上はアンシンメトリー柄のグレーカットソーかな』と思う。加古の貧しいワードローブでは、値段が高い部類の服だ。

 コーヒーを飲みながらトーストを齧る。

「昨日、十文字光さんの葬儀が行われ…」とアナウンサーの声が。『あっ』と思った。行けば何かが違うわけでもなく、香典も用意できない身だが、失礼をしてしまったと悔いた。

 まあ、遺体の写真も見ていたし、頭部も解剖したので、親ですら遺体の顔を見ていないようだ。思い出は、毎週通ったあの家での会話と梶谷の表情が山ほどある。最終的に一番接していたのは自分だったな、と思いつく。子供に会いに行くのも毎週ではなかったし、時間的にも加古と一緒に過ごしたほうが長い。

 とにかく、原稿打ちの合間に、必ず習作の短編を見て貰い、散々けなされては時折褒められた。

「ここはいいんじゃないの」とぼそっと言われるのが嬉しかった。ちょっと京都訛りがあるので柔らかい口調だ。滞在時の飲食の面倒もある程度はさせて貰った。「飯炊いてくれる?」「コーヒー飲みたい」。そんな簡単な御用だった。

「きみはどうして小説書きたいの?」そう聞かれたことがある。

「それはもちろん、書くのが好きで、職業にしたいからです」

「なら需要があるものを書かないと、飯は喰えないなあ。『プロールの餌』を書いても仕方ないけどね」

「ジョージ・オーウェル『1984』ですか?」

「うん。無益な小説はウケても金になるだけで虚しいからね」

「はい」

「何かしら読者に爪痕を残し、かつ売れるものがいい。難しいけど」

そのときの声音すら思い出せる印象的な言葉だった。

 ふと気がつくと8時を回っている。加古はそそくさと歯を磨き、パジャマ代わりのスウェットから決めた服に着替えた。寝癖を整髪料で直し、スマホの充電を確認して、念のため予備バッテリーを持った。財布の中身は寂しい限りだが、学生でも持てるクレジットカードでなんとか乗り切るつもりだ。プリペイドマネーも3000円分はある。きょうは一般道だけを走り、江ノ島と鎌倉に行くプランだ。道の混雑状況では海のほうだけでもいい。海辺のカフェもネットで予約済み。

 服装をチェックすると、まだキレイなほうのバッグを持って自転車に跨った。ジャスト8時半にレンタカーショップに着く。

「おはようございます」と女性店員。

「あの、フェアレディを予約した加古です」

「あ、はい。いま出して来ますのでちょっとお待ちください」

朝早いので一人らしく、彼女は店の裏へと入って行った。

 2分ほどでシルバーのフェアレディZを運転して通りに出してくれた。

「受け取りのサインだけ頂きます」と言われて書類にサインして、

「今晩中には返すつもりです」と言う。

「いってらっしゃいませ」店員はそう笑顔で言って、見送ってくれた。

久し振りの運転。しかもマニュアル車なので、少しだけ緊張した。すぐにカーナビで三鷹のにゃあこのマンションを検索。道が空いているほうなので9時よりかなり前に着きそうだ。10分ほどで吉祥寺周辺を通過。ここを直進して三鷹駅手前で左折。そこから2度路地を曲がる。

カーナビ通りに走ると、目的のマンションを通過してしまった。後方確認をしてバックし、地下の駐車場に入った。両隣に車がいない場所を選んで停める。8時52分。スマホできょうの天気を再確認した。大丈夫、東京も神奈川も晴れだ。あちこちに桜が咲き始めている。五分咲きらしいが人を華やいだ気分にさせて、いよいよ春到来だ。

9時ちょっと前に、にゃあこに電話。

「おはようございます」とすぐ出た。

「何番に停めました?」

「えーと、15番という柱の所です」

「すぐ行きますね」

彼女は本当に1分ほどで駐車場に来た。最初はいつものマスクをしていないので?となったが、目や髪型でわかった。思った通りかなり美人だ。助手席のドアを開けると、

「加古さんですか?」

「ええ」

そっと乗ってきた。

 ベージュの前がファスナーのコーデュロイワンピだ。画面越しにも見たことがある。

「あの、きょうはこの後デートですよね?」

「はい」

「じゃあ、ちょっと言いにくいなあ…」

「なに?」

「情報代ってわけではないんですけど」と躊躇う。

「最近全然Hしてなくて、できればここでしたいんですけど」と俯いた。

「ええっ!それは困ったな。この車でデートするのに、ここでって」

「そうですよね。でもそこをなんとか」と手を合わす。

「いまゴムもないし、カーセックスなんてしたことないし」

「それは大丈夫です。実は生理が不規則過ぎてピル飲んでいるから妊娠の心配ないんです。で、加古さんは下だけ脱いでくれればわたしが服で隠します」

とワンピースのファスナーを自分で全部下した。なんと中は何一つ身に付けていない。全裸にワンピースだけ着てきたのだ。

「すいません。変態の欲求不満で」

 加古は美人の裸を目の前に見てしまい、つい体が反応した。抵抗はあったが、人気がないのを確認して、急いで下だけ脱ぐ。

「わたし24なんできっと加古さんより上ですよね」そう言いながら加古のを弄ぶ。

「4コ違いですね」と答える間もなく、にゃあこは加古に跨った。

「加古さん、周りを一応見ててください」と言いつつ腰を動かす。

お互いに息遣いが荒くなり、加古も下から腰を遣った。

「きもち、いいとこ、に当たる」とにゃあこは喘いだ。

5分と持たずに二人とも限界になって、

「中に、中に出してくださいっ」と言われて、そのまま同時に果てた。

「まだ、すぐ、抜かないで」と言ってにゃあこは抱きついてきた。

『こんなことして、匂いとかで慶菜にバレないかな』と思う。

「いま、ちゃんと始末しますから」

そう言って、にゃあこはゆっくり加古から離れ、用意していたらしいタオルで自分の股間を抑えて、二人の分泌液を拭き取り、加古のは口でしゃぶってから拭いてくれた。

そして

「念のため」と言って小さな消臭剤を車内にスプレーした。

慣れているのか準備も手際もいい。

「本職は介護でまったく出会いがなくて、彼氏も半年いないんですよ」

彼女は言い訳めいた様子もなく呟く。

「加古さん凄い。彼女さん、羨ましい」といつもの声で笑った。

加古はなんとか服を元に戻し、にゃあこもワンピースを着直した。


5分ほど雑談めいた話をしながら二人は息を整えた。にゃあこは自販機で缶コーヒーを買ってきてくれて

「お礼っ」と笑って加古に渡す。24歳だとしたら子供っぽいなと感じた。

「9時50分頃ここを出たいので、よろしくお願いします」

「わかりました。そう長い話ではないんです」

「僕の周辺に変な人がいるんですか?」

「その可能性は高いです。明京大って、偏差値高いじゃないですか。そういう大学にフェミニストってゆうか、ちょっと過激な考え方の女性が多いらしくて。わたしの高校の後輩が、明京の4年生だったんですけど『アイグレー』っていう組織の明京の代表者で、その、なんてゆうか、痴漢死ねみたいな、危険なことを言う子なんで。その子が文学部の英文科で、加古さんは国文科ですけど、同じ文学部だし、彼女さんは別として、お知合いとかに『アイグレー』がいたら、加古さん警察側なので、もしですよ、犯人かそれを知ってる人に狙われたら危ないな、と思って」

「『アイグレー』という単語は聞いたことがある。ある場所でね。やっぱり組織、それも女性のですね。それは聞き捨てならないな。狙われているかも知れないことは昨日あったし」

「えっ、なんですか?」

「自転車のブレーキワイヤーを何者かに切られていたんです。まあ、怪我はしませんでしたけど。あと、何かわかってること、ありますか?」

「わたしの後輩はもう卒業したので『アイグレー』の明京大代表はもう他の誰かに引き継がれていると思うんです。あと、これは不確かなんですけど、大学の教授側にも『アイグレー』支持者がいるかも知れないんです。もしいたらですけど、その人物、ヤバくないですか?」

「いや、教授って、女性とは限らず?」

「そうですね。男性かも知れないし、いるかどうかも不確かですけど」

「なるほど。痴漢で辞めた矢野教授の対抗分子的存在ですよね」

「あ、その矢野教授と出世争いをしていた人とか」

「それは警察が隠密に調べればわかりますね。僕はいま聞いたことは知らないフリをしないと余計に危険な状況になりそうだ。だから警察に言う前に僕に?」

「そうです。警察が知っていたとしても加古さんは知らないというフリで。『アイグレー』犯人説って、考えるのわたしだけかなあ」

「考えないことはない。けど、あまりにも説得性がいまのところ、ない」

「証拠がなければ警察も簡単に動けませんよね」

「岩田さんと野津さんに同じことを話してください。で、僕は知らないということにして」

「わかりました。Hしたことも秘密です」とクスクス笑った。

「ホントにピル飲んでますよね?」

「ホントですよ。わたしだってリスク犯したくないです」

「ならよかった。まさかあなたが『妊娠しました』とか言ってこないでしょうしね」

加古もつい笑った。

「無理なお願い聞いて貰ってありがとうございました」と、にゃあこは頭を下げる。

「いや、その、僕も共犯みたいなものですから」と慰めた。

「5分ほど早いけど、もう車出していいですか」

「あ、そうですね。何があるかわからないので気を付けてください。時間も余裕があったほうがいいです。じゃあ」と言って助手席から降りる。

「あなたも事件については程々に。番組であまり言うと危ない」

「はい。それはもう、気を付けてますよ」と、手を振りながら去ってゆく。

 カーナビを明大前方面に切り替えて、慶菜に聞いた地番を検索する。45分あれば余裕過ぎるくらいだ。大通りに出るとナビ通りに走り出す。フェアレディは初めてだが、運転の勘は戻っていた。オートマにするか車種で選ぶか、実は迷った。カッコつけてこの車でよかったと思う。


 東八道路を東に走り、人見街道を経て井の頭通りへ。ちょっとした渋滞はあったが順調に走った。京王線の下を潜ると彼女のアパートはすぐそこだ。慶菜の実家は八王子市南部の地主で、大学に通うにはいささか遠いという理由を盾に一人暮らしをさせて貰っていると聞いた。

 年頃の娘を持つ親は、心配で実家に置いておきたがるが、娘本人は年頃だからこそ実家を出たいものだ。異性との交際に口を出されるのが嫌だからに決まっている。

 ふと、加古は、同じ車が後ろをずっと走っていると感じた。確か車種も車体の色も同じだ。『尾行されているのか?』あまりいい予感はしなかった。慶菜のアパート近くだが、まだ時間に余裕がある。わざと路地に入り迷走して目的地を特定させず、かつ繰り返し早く角を曲って、尾行を振りほどいた。10時20分、あと10分あれば十分着く場所にいる。

 加古は慎重に後方確認をしながら、車を彼女のアパートへと走らせた。また尾行されては意味がない。わざと一度南側へ行ってから右、右と曲がるようにアパート前に着いた。怪しい車はいない。

 慶菜に電話する。

「おはよう。いま前に着いたよ」

「あ、おはようというかこんにちは?」と笑い、

「ちょっとだけ待ってね」と言う。

「うん。いいよ」

加古は服装や髪型を再確認し「よし」と独り言ちた。

 3分ほどで彼女が出てきた。

加古は服装を見てびっくりした。上はかなり胸元が開いた白キャミソール、下はネイビーブルーの超マイクロタイトミニ。同色のスエードブーツを履いている。顔や佇まいが清楚だから下品ではないが、大学では見たこともない露出度だ。隣に座られただけで興奮しそうで、彼女が乗ってくるまでに胸の動悸を抑え込んだ。助手席に座った慶菜は、すでにスカートの中がほの見えた。すべすべの太腿の奥に白いレースが。

「なに見てるの?」彼女は悪戯っぽく微笑む。

「いや、いつもとは違う服だから。でも似合うね」やっと言う。

「だってこれ、デート用だもの。普段こんなの着て電車乗れないし」

 メイクも多少濃い目だ。付け睫毛ではないものの、しっかりビューラーで上げてマスカラは青。眼の下にはラメを散らしている。きょうはミドルヘアを後ろに纏めて、知的な額を出していた。いかにも大人の女という感じだ。

「湘南方面に行こうと思うけどいい」と加古は訊く。

「いいわね。海見たくない?」

「そう思ってた。じゃあ走るよ」

 加古はそう言って、エンジンをかけた。周囲を見たが、通行人が一人いるだけだ。尾行されたかも知れないのは慶菜には言わないでおこうと思った。余計な心配はさせたくない。

「これ、なんて言う車?カッコいい」

「フェアレディZ。初めて乗るけど、まあまあだね」と微笑む。

「ドライブなんて、大学に入ってから初めて。嬉しいなあ」と声が弾んだ。

「そうなの?でも湘南は結構行ったでしょ、東京の人だから」

「うん。でもいつも夏に電車で泳ぎに行っただけ。車で、しかも人の少ない海は新鮮だわ」嬉しそうに言う。

「そうなんだ。僕は初めての湘南だよ」と苦笑した。

 遠回りだが早めに海沿いに出て、左に海を見ながら西へと走る。慶菜は半分窓を開けて、

「わあ、潮風の匂いする」とはしゃいだ。キャミソールの胸元がひらひらして谷間が強調されている。加古は運転に集中するのに大変だ。チューブトップだけの胸が見えるからだ。。

「ねえねえ、いまどの辺?」慶菜は無邪気だ。

「いま由比ヶ浜を過ぎたところ。遠くに葉山マリーナ見えない?」と下調べの知識で言う。

「あ、ホント。遠いけどボートがたくさん見える」

 信号が少ないので快調に飛ばした。ここでは60キロくらいが普通の流れだ。厳密にはスピードオーバーだが、警察もうるさくはないと思える。徐々に渋滞してきたが、稲村ケ崎、七里ヶ浜を経て、12時過ぎに江ノ島に着いた。神社に行くか、食事が先か。

「時間的にはお昼だけど、どうする?」

「まだお腹すいてないわ。きょうは朝ごはん遅かったから」

「じゃあ先に神社にお参りしようか」加古は少し腹が減っていたが、それは我慢した。

「ええ、そうね」

調べて置いたパーキングに車を停めて、二人は外へ出た。そのとき慶菜が

「なにこれ」と言う。座席の下から拾ったのは、透明プラスチックの、なにかのキャップだ。にゃあこが落としていったのか。『マズい』と思ったが、

「なんだろね。借りたときに、前の人が落としたのを気付かなかったんだね」としらばくれる。幸い、慶菜は気にしなかったので、加古は内心ほっとした。ドキリとした自分に、言えない罪の意識が芽生えたが、あえて、浮気というほどではないと考える。

 江ノ島に歩いて渡る。日曜日だけに、かなりの人出だ。

「ねえ、後ろ歩いて」

「どうして?」

「これ、後ろからすぐ見えちゃうの」とスカートの裾を気にしている。

慶菜の後ろに回るとわかった。スカートが少しでもずり上がると、尻チラしてしまうようだ。もう太腿ではない部位が少し見えていた。神社には、有料のエスカーというエスカレーターもあるのだが、慶菜はローヒールだし歩けると言うので、長い階段を上ることにした。 

 階段では、後ろからお尻どころかレースのTバックすら見える。加古は平静心を保つのが難しい。お参りをする前に人気のない場所に誘い、そっとキスだけさせて貰った。

「わたしもHな気分になっちゃう」と慶菜は眼を潤ませた。甘い体臭が漂う。

「ごめん。だって…」

「際ど過ぎる服だったわね」とすまなそうにする。

「いや、素敵だよ、とても」本心だ。すべての人に自慢したいくらいセクシーだと思った。

 二人で並んで参拝する。加古はいつも無心になる。何も具体的に願わない。ただよろしくお願いしますと祈る。慶菜は前かがみになれないので真っすぐ立ったまま拝んでいた。それでも若い男の目はかなり惹いている。本人ではない加古ですら、彼女に視線が集まるのがわかった。縁結びのお守りを二人、色違いで買う。加古が江ノ島を選んだのは縁結びの神社だからでもあった。

 神殿から折り返すとき、擦れ違った男の三人組が、小声で

「凄いね」「見えそう」「ヤバい」と囁き合っているのが聞こえた。

慶菜は露出に慣れてきたのか、スカートの裾を気にせず、姿勢よく歩いている。階段を降りるとずり上がりを直しながら、

「わたし、露出服好き過ぎかも」と恥ずかしそうに俯く。

「そんなことない。似合ってるし、きょうはデートだから、なんでしょ」と笑うと、

「そうよね。若いうちしかできない服装したいんだもん」顔を上げて微笑む。


 お目当てのレストランに慶菜をいざなうと、空席待ちの行列ができていた。加古は念のため予約していたので、入口で名前を言うとすぐに窓際の予約席に導かれた。やっぱり予約していてよかった、と加古は喜んだ。席からは海が一望できて最高の眺めである。

 加古が1品、慶菜が1品を選び、サラダときょうのお勧めを聞いてそれも注文した。ここはもちろんカードで決済できる。

 海藻系のサラダが来て、二人でシェアした。すでに塩味がついていますと言われ、確かにそのままでとても美味しい。慶菜も一口食べて、

「凄く美味しいサラダ!こんなの食べたことない」とニコニコしている。まあ値段が安いものではないので当たり前ではある。女性に見せるメニューには値段が記載されていないから、彼女はそこそこの高級店とは知らない。慶菜が頼んだマリネ風の小海老料理と、加古が注文したシーフードパスタが来た。テーブルに小皿があり、これもシェアして食べる。

「美味しい」「美味しいね」のやりとりが続いた。

「よくこんなお店」と慶菜。

「いまはネットで探せるからね」

「でもこんないい席、予約で取ってくれたの嬉しい」満面の笑みだ。

「そう言ってくれると僕も嬉しい」加古も破顔した。

お勧めのアヒージョも来た。海老とマッシュルームがよく合っている。

「なんか飲む?」

「わたしだけアルコール飲めないからレモンティーで」

「わかった、ありがとう」と言って店員を呼び、自分はアイスコーヒーを頼んだ。

 彼女が化粧を直しに立った間に、加古は会計を済ませた。ランチで六千円超だから身の丈以上の店ではあるが、改めて初めてのデートだからと背伸びしたのだ。その代わり、夕食は自分の部屋で簡単に、と思っていた。

 慶菜は赤い口紅の上にグロスも乗せてきた。いよいよデートモードというわけか。パーキングに歩きながら、

「道が混んでなかったら鎌倉もちょっと行こうよ」と言うと、

「うん、鶴ヶ丘八幡宮と、できたら由比ヶ浜も」

「わかった。夕方の由比ヶ浜に行きたい?」

「え?知らないの?超デートスポットよ」

「そうなんだ。日没ギリギリになりそうだけどね」

「それがいいの。ダーってカップルが並んでいちゃいちゃするんだから」そう含み笑いする。

少し道が混んでいたが、15時半に鶴ヶ丘八幡宮に着いた。

「じつはね、高島の先祖はこの辺りの出身なのよ」

「へえ。でも東京人なんでしょ?」

「遠い先祖は銀座生まれだけど、いま分家の本家があるのは鎌倉市。明治にはそこの分家が東京に戻って、ウチはその末裔なの」

「じゃあ、こっちのほうのデートでよかったんだ」

「そう、あなた、高島家のこと知ってるのかと思ったくらい」

「そんなこと、調べられるわけないでしょ」と二人で笑い転げた。

「高島易断って知ってる?」と慶菜。

「聞いたことはある」

「その高島は親戚なの。横浜では恩人扱いらしいわ」

「凄いね」ちょっと驚いた。

「わたしには直接なにも関係ないけどね」と彼女はまた笑う。

もう参道も終わりで本殿が目の前だ。きょうは神社巡りか。悪くはないなと加古は思う。きょう二度目のお賽銭を投げ、また無心になる。隣に露出服の彼女がいるのも脳裏から消す。この集中力は剣道のお陰だ。雑念を消さねば、すぐ相手の竹刀が飛んでくる。隙を作ったほうが負ける勝負なのだ。

八幡宮を出るときには夕日が眩しい時間帯で、由比ヶ浜に着いたのは薄暮だった。ずらっと路駐の車。加古もその隙間にフェアレディを入れて停めた。浜辺に自然に手を繋いで降りると、慶菜が言った通り、カップルばかりが皆腰を下ろして肩を寄せ合っている。

「ね?わたしたちも並んで座りましょ」彼女の声が踊る。

お互いの顔も段々見えにくくなっていた。少しの隙間を見つけて二人で砂浜に座る。昼間なら、慶菜の服装で体育座りは前から丸見えだが、誰も振り返らず日没も近い。

 加古は故郷の波の音を思い出していた。子供の頃は飽きずに聞いていた音だ。

 左の耳元で慶菜の囁きが聞こえる。普段よりもっとハスキーな声だ。

「ちょっとハグして」

「うん」と体を左に向けて、手探りで彼女の肩を抱く。

口に柔らかいものが当たった。彼女の唇だ。自分から舌を入れてきた。何分にも思える間、激しくキスをした。つい太腿に手を伸ばすと、

「ダメ。もう、触られたら帰るまで我慢できなくなるから」

「ごめん。もう少しキスしたい」

彼女は無言で加古の唇を口で吸う。もう舌は入れてこない。興奮し過ぎないようにか。しばらくすると慶菜は唇を離し、

「ちょっと待ってね」と言って、ほぼ暗闇でポーチを探る。ティッシュが唇に当たる。

「口紅が付いてるはずだから」と丁寧に拭ってくれた。自分の口も拭いている。

 しばらく海や景色の話をして砂浜から立ち上がると二人は砂を払った。

「お尻に砂ついちゃった」肌を叩く音がして、

「えへへ」と照れ笑いする。

「挑発するなよ」と加古はわざと怒った口調で言うと、

「ごめん、だってホントだもん」と甘える。

手を繋ぎ直して無言で車に戻った。

「ちょっと向こう見てて」と慶菜。そっぽを向くと服を直す衣擦れがして、

「いいわよ」と言う。

「スカートとか下着とかいろいろ大変」普通の話し方だ。

「ほら、細かい砂とか、下着もずれちゃって」お嬢様育ちにありがちな、ありのままを言う。

「ウチでシャワー浴びるときに風呂場で砂落としていいよ。服に付いたのも」

「うん。ちょっとルームライト点けて」

ミラーと口紅を出すと塗り直している。またグロスを乗せた。昼間は気付かなかったが、少しラメが入っている。それがキラリと光って、よりセクシーな雰囲気になる。メイクも簡単に整えた。


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