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第二章その3 させてください!

 翌日も、晶と多香音は学校の授業を終えた後に讃岐アイスアリーナで練習に励んでいた。


「お、今日もいちゃついてるー!」


「あつーい! ここだけ氷が融けてるぞー!」


 互いに両手を絡み合わせてゆっくりと滑るふたりを、通りがかりの小学生たちが冷やかす。


「こら、あんたたち!」


 そんなふたりを間近で見守っていた人物が、子供たちを叱り飛ばす。香川の誇るシングルスケーター、さっちゃんこと長谷川小夜子だ。


「わー、さよねえが怒ったー!」


 すぐさま滑り去ってゆく子供たち。その背中に向かって、小夜子は「今度ちょっかいかけたらケツ叩き100回だかんねー!」と声を張り上げる。


「ごめんね、あの子たちアイスダンスのこと全然知らなくてヘンな風に思い込んでんのよ」


「別に、いちいち気にしてたらキリないし」


 だが多香音はどこ吹く風といった具合に、じっと晶と向かい合ったまま真剣な面持ちでそっけなく答えるだけだった。


「みぎー、ひだりー、みぎー、ひだりー」


 晶の声に合わせて、足を動かすふたり。高さや角度はまだ不揃いだが、昨日と比べると進む方向はかなりまっすぐに修正されている。


「お、いいじゃんいいじゃん!」


 小夜子がぱちぱちと手を鳴らすと、険しい表情で滑っていた多香音の顔も少しばかり緩んだ。


 ふたり組みながらでも思い通りの方向に移動できるようにはなってきた。つい1日前には情けない転び方を衆目に晒していたことを考えると、飛躍的な進歩だろう。


「だいぶ様になってきたんじゃない?」


「そうだな。じゃあ次はツイズルいってみようか!」


「ええ!」


 改めてホールドの形を組み合う晶と多香音。傍では小夜子も「がんばれー!」と声援を贈る。


 ツイズルとはスピンのようにふたりで回転しながら、一方向に進むテクニックのことだ。アイスダンスにおける必須要素ではあるが、お互いの息がぴったり合わなくては美しく決まらない。


「いっちにー、いっちにー」


 掛け声に合わせて、ゆっくりと回り始めるふたり。その際にエッジの片方だけに体重をかけることで、回転軸ごとその場から移動する。


 だがひとりでなら容易にこなせるこの動きも、ふたりそろってとなれば難度は跳ね上がる。晶と多香音はたしかに回転してはいるものの、その進行方法は右へ左へまるで酔っ払いのようにふらふらと定まらなかった。


「多香音ちゃん、もっと足高く!」


 横から見ていた小夜子が注意を入れ、多香音の眼差しはさらに真剣味を増す。だがその時、足を下ろすタイミングがずれ、多香音のブレードのつま先が晶の脛を小突いてしまった。


「いった!」


 とっさに飛びのいて、足を押さえてうずくまる晶。苦悶の表情を浮かべる相方に、多香音も「ごめん、大丈夫!?」と珍しく心配の声をあげる。


「へーきへーき、こんなことアイスダンスだとしょっちゅうだから」


 痛みに顔を歪めながらも、晶はぐっと親指を突き立てて応えた。


 そんなふたりの自主練を、リンクを見下ろす観覧席から眺める影がひとつ。


「あら小宮さん、お久しぶりです」


 プラスチック製の座席に腰かけてリンクに目を落としていた小宮しのぶは、声の聞こえた方を反射的に振り向く。掃除のために上がってきたのだろう、インストラクターでもある女性スタッフがモップと水の入った絞り器をそれぞれ手にして立っていた。


「あの子たちが気になるのですか?」


「いえ今日は仕事が早めに終わったので、ちょっと来てみただけです」


 話しかけるインストラクターから顔を逸らし、しのぶは再びリンクに目を落とす。ふたりは既に組みなおし、ツイズルの練習を再開していた。


「どうです小宮さん。あの子たち、見込みありませんか?」


 じっとふたりの滑走に目を向けるしのぶに、再び女性が話しかける。


「篠田さんはまだ動きをそろえることに不慣れなようです。それに定森さんもなんだかぎこちない。きっと以前組んでいた相手は、自分よりもだいぶ身長差のある方だったのでしょう」


「今日の滑りだけでそんなに見破れるなら、大したものじゃないですか」


 悪戯っぽく微笑むインストラクター。しのぶはぐっと口を噤んだまま、微動だにしなかった。


 そこから1時間ほどが経過しただろうか。ひたすら慣れないツイズルの練習に打ち込んできたふたりの足は疲労でまっすぐ立っているのもままならないはずなのに、ふたりは1分1秒が惜しいとばかりに同じ動きを繰り返していた。


「うん、どんどん良くなってる!」


 ふたりの隣を並走しながら、その滑りをスマホで撮影していた小夜子も今日一番の笑顔を見せる。晶と多香音は両者とも額に汗を滲ませつつも、上達を実感してか口元を緩ませていた。


 だが午後5時が迫った頃だった。リンク脇に立ったスタッフが手を叩き、場内にぱんぱんと乾いた音を響かせたのだ。


「みなさん!」


 声を張り上げるスタッフに、リンク上を滑っていた全員が顔を向ける。


「もうすぐ大学のアイスホッケー部の練習が始まります。滑走を中断して上がってください」


「おお、もうそんな時間か」


「滑り足りないなぁ」


 そう不満を口にしつつも、滑走していた人々は続々とリンクから引き上げる。維持費のかかるスケートリンクは施設の数も限られているため、貸切使用するために熾烈な予約合戦が繰り広げられるのは毎度のことだ。


「これが今日ラスイチかな」


 リンクを離れる人々を目で追いながら、晶がぼそりと呟く。


「だね、とりあえずリンクの端まで滑れるよう頑張ろう!」


 小夜子の声に晶と多香音は頷いて返す。そして一度大きく息を吸い込み、本日最後のツイズル練習に取り掛かったのだった。


 回転しながら、ゆっくりとリンクを移動する。螺旋模様を描きながらも回転軸は一定方向にスライドする、スムーズな滑走。


「いいよいいよ、決まってる!」


 撮影係の小夜子が思わず声をあげる。観覧席から見ていたしのぶも、唖然と口を開き固まってしまった。


 その滑走は風に舞う花びらそのものだ。タイミング、足の高さ、上半身の安定感、すべてがぴたりとそろい、まっすぐ同じ方向に同じ速度で移動している。つい1時間前までろくに進むこともできなかったカップルとは思えない、まるで長年連れ添って以心伝心の範疇まで信頼関係を高めた者同士としか映らないほど、ふたりのツイズルは見事なものだった。


「そんな、たったこれだけの練習で?」


 しのぶが口元を押さえる。いくら経験があるからと言えど彼らの成長速度は相当なもので、彼女がこれまでの人生で構築してきた常識をはるかに超越していた。


 そしてふたりのツイズルを見ていると、どういうわけかかつて自分が憧れた五輪選手たちの姿が重ね合わさる。目の前のリンクの高校生が、まるで歴史にその名を刻んだ名スケーターその人であるかのような錯覚に陥ってしまう。


「まさか……」


 たまらずしのぶは立ち上がり、そして駆け出した。


 一方のリンク上では、高校生3人が見事ツイズルを滑り終えた喜びを「イエーイ!」とハイタッチで共有していた。


「やったじゃん!」


「ふう、まさか本当にここまでできるようになるなんてな」


「舐められたら困るってもんよ」


 ぜえぜえと息を荒げながらも達成感に浸る晶と多香音。小夜子が「さ、急いで出よっか」と口を開いた、まさにその時だった。


「あの!」


 突如リンクに何者かが乱入し、


「小宮さん?」


 あっと驚いたままその場に立ち尽くす晶と多香音。小夜子は「どちらさん?」と首を傾げる。


 エッジの付いていない上履きのまま、氷の上を駆け寄るしのぶ。やがて3人の前で立ち止まると、ずずっと鼻をすすりながら赤くなった目を向けて話し始めたのだった。


「昨日はごめんなさい。色々考えてみたんだけど、篠田さんの言う通り。私、やっぱりアイスダンスを忘れられない!」


 互いに顔を見合わせる晶と多香音。疲れ切ったその表情が、再びにこりと笑顔に変わる。


「あなたたちの滑りを見て確信した。あなたたちなら日本の、いや世界の頂点にも立てる! だからあなたたちの夢、私にも協力させてほしいの。私があなたたちのコーチになって……いや、コーチをさせてください! あなたたちといっしょに、私も高みまで連れていって!」


「もちろんです!」


 断る理由がどこにあろうか。晶と多香音はそろって手を差し出す。


「ありがとう!」


 今にも泣き出しそうな顔と声。しのぶは左右それぞれの手で、ふたりの手をつかみ返した。

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