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第二章その1 ウィー・ニード・コーチ!

 実績十分ながら性格に問題のあるふたりがアイスダンスのカップルを組んだその翌日。讃岐アイスアリーナはクラブチームの小学生や定年退職を迎えたお年寄り、講義が無いので遊びに来た大学生カップルなど、平日ながらなかなかの賑わいを見せていた。


 そんな大勢が滑走している通年リンクの一角で、練習着姿の晶と多香音のふたりは互いに片手の指を絡ませ、もう片腕を相手の肩甲骨に添えた状態で立ち尽くしていた。社交ダンスでいうホールドの形だ。


「まったく、わかってはいたけど……何でこんな目に」


「仕方ないだろ、リンクの予約いっぱいだったんだよ」


 火が出そうなほど顔を赤らめる多香音を、あきれ顔で宥める晶。すれ違う人はことごとく奇異の目を向けるが、多香音の顔を見ると慌てて視線を逸らして滑り去っていく。


 アイスダンスは男女がふたりの腕を伸ばした長さよりも離れてはならない。滑走中は常に距離を保ち、エッジの角度から回転速度まで寸分の狂い無くシンクロさせることが求められる。男女同時のジャンプやスロージャンプなど大技の出来映えに重きが置かれているペア種目に比べて、いかにふたりの息がそろっているかの比重がより大きくなっているのだ。


 このカップルの距離の近さと一体感こそが、氷上の社交ダンスと呼ばれる所以だろう。


「じゃあさっき教えた通りに、はい右ー、はい左ー」


 ふたりの身体が氷上で横滑りを始めるが、その足の角度や高さはてんでばらばらだった。


「ちょっと、そんなに顔近づけないでよ、てか口くっさ! ちゃんと歯ぁ磨いてる?」


「失敬な! それにこれくらい近づけないと駄目なんだ……う、うわあ!」


 滑走中の言い争いでタイミングを誤ったのか、ふたりはバランスを崩してしまった。のけぞった多香音が尻もちをつき、そこに晶が覆いかぶさる形で倒れ込む。


「うう、こんな転び方したの何年ぶりかっての。恥ずかしい……」


「わーい、カップルだ!」


「お熱いですなー!」


 通りがかった子供たちが茶々を入れる。たしかに彼らには、リンクの上で絡み合う若い男女にしか見えないだろう。


「うっさい、とっとと散れ!」


「わーオニババが怒ったー!」


「逃げろー!」


 怒鳴り声も何のその、笑いながら走り去る子供たち。多香音は「ああもう、クソガキどもが!」と晶を押しのけて立ち上がった。


 この日、ふたりは学校が終わったその足で、リンクのある讃岐アイスアリーナへと直行していた。


 目的はもちろん練習のため。ふたりが息の合った演技を行うためには、氷上での動きを一日でも早く身に着ける必要があった。


 シングル種目ではあまり気にならないが、常に相手と触れながら滑るアイスダンスでは上半身の上下動を抑え、高さを保ちながら演技を続けなくてはならない。シングルから種目転向する多香音にとっては、身体に定着した滑り方をこのアイスダンスならではの滑り方へ矯正するようなものだ。


 何度も転んでもつれ合って、へとへとになったふたりはリンク脇のベンチに腰掛ける。


「アイスダンス用の靴なら、もうちょっとステップ踏みやすくなるかな?」


 多香音が自分の足を覆うシューズにそっと手を添えると、晶はドリンクを飲みながら「たぶんね」と返す。


 幼い頃からシングル一本の彼女の愛用シューズは、当然ながらシングル用だ。対して晶の靴はアイスダンスに特化し、足首が低くつま先に体重がかかりやすい構造になっている。ブレードもステップを踏みやすいよう、つま先に向けて長く、踵は短いものが取り付けられており、ふたり並ぶと違いは一目瞭然だった。


「やっぱ練習もふたりきりだと限界があるよ。ちゃんと指導できるコーチ見つけないとね」


「だよなぁ」


 珍しくふたりの意見が一致する。スケート靴を脱いだふたりは、受付窓口に向かった。


「うーん、協力したいのは山々なんだけど」


 窓口に座っていた若い女性スタッフが頭を抱える。


「私、シングルの経験しか無いからアイスダンスはさっぱりなのよね」


 がっくしと肩を落とすふたり。子ども向けの教室でインストラクターを務めるスタッフではあるが、ふたりの指導は難しいようだ。


 日本でアイスダンスがなかなか広まらない理由のひとつに、指導者が限られている点が挙げられる。競技を始めようと思い立ってもコーチに巡り合うことができず、スタートの時点でハードルが高いのが現在のアイスダンス界隈を取り巻く環境だ。


「あ、ちょっと待って」


 落ち込んでいる高校生を見て不憫に思ったのか、スタッフの女性は上着のポケットからスマートフォンを取り出す。


「もしかしたらあの人なら、教えられるかもしれない」


「心当たりあるのですか!?」


「うん、今電話してみるね」


 身を乗り出すふたりに指で作ったマルを見せつけながらスマホを耳に当てると、コール音が小さく鳴らされる。だが相手は一向に反応せず、何十秒か経ったところで留守番電話のアナウンスに切り替わったのだった。


「出ないなぁ。もしかしたら家に携帯置き忘れたまま出かけてるのかも」


 頭を掻きながらスマホを見つめるスタッフ。


「どんな方ですか?」


 尋ねる晶に、女性は「この人だよ」と画面を見せつける。そこには携帯電話の番号と、住所が表示されていた。


「香川県高松市……」


 途中まで読み上げたところで、多香音が細めていた目を大きく見開く。


「あれ? これ、うちの近くじゃん」




 練習を中断した多香音と晶は琴電に乗り込み、ブレザー姿のまま教えられた住所へと向かった。


「ここか」


 たどり着いたのは住宅街にひっそりとたたずむ、やや古びた小さなアパートだった。


 その人が住んでいるという1階の部屋の前に立つ。ドア脇のプレートには、『小宮』と印刷されたシールが貼りつけられていた。


 ピンポンと玄関チャイムを押してみるが、待てども家主が現れる気配はない。


「やっぱ出かけてるっぽいね」


「教えられた番号、もう一度かけてみるか?」


 話しながら晶がスマホを手に取ったまさにその時だった。


「あの、うちにご用ですか?」


 声をかけられ振り返ったふたりが目にしたのは、フードデリバリー用の大きなバッグを荷台に載せた自転車に跨るジャージ姿の女性。ちょうど今しがた、自転車をこぎながらアパートの敷地に入ってきたばかりのようだった。


「……て、ええ、篠田多香音……さん!?」


 そして多香音の顔を見るなり、配達員の女性は驚きのあまりぎょっと飛び退く。その拍子に支えを失った自転車が、けたたましい音を立てて倒れてしまった。


「だ、大丈夫ですか!?」


「え、ええ平気、いつものことだから」


 女性は額に汗を浮かべながら、いそいそと自転車を起こす。ふわふわと柔らかそうなセミショートヘアにくりんとした可愛らしい目の持ち主で、日々の配達業務の賜物か引き締まった身体つきをしている。歳は30代前半くらいだろう。


「あの、すみません。小宮こみやしのぶさん……ですか?」


 女性がスタンドを蹴って自転車を立たせたところで晶が声をかける。


「は、はい、小宮しのぶは私ですけど……」


 女性は申し訳なさそうに、小さく頭を下げながら答えた。

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