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第一章その2 絶対無理!

「ごめん、勘違いさせてしまって」


「わかってる、わかってるけどさ……もっと言い方ってもんがあるでしょが!」


 むすっとしかめ面を浮かべて歩く篠田しのだ多香音たかねの後ろを、定森さだもりあきらが小走りで追いかける。その晶の左頬には、痛々しい平手打ちの跡が残っていた。


「だいたい私はシングルの選手。アイスダンスなんて、無理!」


 振り返り、怒声にも似た一喝を飛ばす多香音にも、晶は「そんなこと言わずにさぁ」と食い下がる。


 彼の提案は、アイスダンスでパートナーになろうというものだった。


 フィギュアスケートはフィギュアスケートでも、定森晶はアイスダンスの選手だった。多香音がこれまで取り組んできたシングル競技とは、似て非なるものだ。


「キミの惚れ惚れするスケーティングはアイスダンスでこそ輝く、僕と組めば全日本優勝だって夢じゃない。ほらほら、いっしょにツイズルしようよー」


「だからそういう言い方やめろって言ってんの! だいたい僕と組もうって、あんたもう相手いるんじゃないの?」


「いやね、前まで組んでた相手が引退しちゃって、それからずっと相手を探していたんだよ。そしたらキミみたいな凄いスケーターが現れてさ、これぞまさに青天の霹靂、神の思し召しだと思ったね、僕は!」


「いちいち言い回しが気持ち悪い!」


 いくら多香音が声を張り上げようと、晶はしぶとくつきまとっていた。


 実際にシングルで上手くいかなかった選手がカップル競技に転向することは、決して珍しいことではない。1回転半を超えるジャンプが禁じられているアイスダンスにおいても、シングル種目で培った豊富な経験ゆえの円熟した演技を披露し、世界大会で活躍している選手も大勢いる。


 だが長らくシングル競技に打ち込み続け、小学生時代といえど全日本制覇経験もある多香音にとって、シングルからの転向はプライドが許さなかった。それもよりによって、こんなケーハクそうな男と組むなどもってのほかだ。


「だいたいアイスダンスってことは、あんたと手つないで滑るってことでしょ? そんなの絶対無理、まだチンパンジーと組んだ方がマシ!」


「ひでえ言われようだな、僕は類人猿未満かよ!」


 ガミガミと怒鳴り散らして歩いている間に、ふたりは学校の最寄り駅まで到着していた。


 琴平電鉄一宮駅。住宅街にぽつんとそびえる、入り口から正面すぐが改札口という小さな駅だ。


「お願いだよー。僕、明日も午後はずっとリンクにいるから、せめて覗きに来るだけでもさぁ」


「しつこい!」


 IC定期券を押し付けて自動改札を抜けたところで、多香音は振り向きながら怒鳴り返した。これまで最大級に気迫のこもった声に、さすがの晶も身を震わせて黙り込む。


「これ以上つきまとうなら警察呼ぶから!」


 そう言い残してぷいっと踵を返すと、多香音はつかつかとプラットホームへ歩み出る。


「そんなぁ」


 どれほど頼み込めども拒絶しか返ってこない相手に、晶は改札の手前で立ち尽くすしかなかった。




 4両編成の小さな車両に揺られること30分、多香音が降り立ったのは複数の路線の乗り入れるターミナル駅だった。


 学校の最寄り駅とは違って、大きな駅ビルに大規模なロータリーも併設されている。この周辺は県内でも有数の繁華街だ。


 そんな喧騒から歩くこと数区画、古い住宅や事務所のビルにはさまれる小さな一軒家にたどり着くと、カバンから取り出した鍵で玄関の錠を外したのだった。


「ただいまー」


 彼女の声にあわせて、引き戸がガラガラと音を立てる。だが返ってくるのは、しんとした無音のみ。


「と、お婆ちゃんは今日も病院か……」


 そしてつまらなそうに呟くと、静かに玄関を閉めたのだった。


 スケートの呪縛から逃れるため、多香音はひとりで祖父母の家に移り住んでいた。両親は仕事があるので、仙台を離れることができない。


 だが祖父はつい最近から持病が悪化して入院しており、祖母もそれに付きっきりなのでずっと病院に通っている。そのためこの家では普段、ほとんど彼女ひとりで過ごしていた。


 冷蔵庫で冷えた麦茶を一杯飲み干すと、すぐに二階の自室に上がる。


 日に焼けた畳の上に、桜色のカーペットが敷かれた6畳間。多香音はかつて母が使っていたという年季の入った学習机に腰掛けると、椅子にもたれかかりながら両肩をだらんと垂らした。


「初日から疲れた……」


 ぼうっと天井を眺める。まさか入学早々フィギュアスケートをしていたことがバレてしまうとは、予想外だった。


 だがそれ以上に、気になることがある。整った顔が台無しになるほど眉間にしわを寄せ、閉ざした口から「むむむ……」と唸り声が漏れ出る。


 彼女の頭の中では、晶の「僕とカップルにならないか?」の言葉がいつまでもこだましていた。


「定森晶、だっけ」


 床に放り出したカバンにするすると手を伸ばし、ポケットからスマホを取り出す。


 なんてことはない、単なる興味本位だった。腐っても全日本レベルのスケーターである自分をパートナーに誘ってきたのだ、あの男が自分と釣り合うだけの実力を備えているのか、調べてやろう。


「え?」


 ほどなくして、彼女は液晶画面を凝視しながら固まった。


「『日本人中学生が歴史的快挙、定森姉弟がアイスダンスでカナダジュニア3位』って……ええ!?」


 映し出されたのは2025年、去年1月のニュース記事だった。きらびやかな衣装を身にまとい、メダルを手にして白い歯を見せて笑う少年、少しあどけない顔立ちだがあの定森晶に間違いない。その隣では小柄な少女がにこりと微笑んで、二人仲良く並んでいた。


「カナダジュニア選手権に出場した定森さだもり皐月さつき定森さだもりあきらの日本人姉弟が、強豪ライバルとの激闘の末3位に輝いた。日本で生まれたふたりは幼少期からカナダに移住しスケートを始めると、才能が開花……え、ちょっと、これホントに!?」


 より一層、声が震える。


 カナダは世界でも有数のアイスダンス強豪国だ。競技人口も指導者の質も、日本とは比べものにならない。


 そのようなアイスダンス大国でジュニア世代とはいえ3位。それがどれほど凄まじいことか、スケートの世界で生きてきた彼女にわからないはずがない。


 さらに調べてみるとカナダ国内だけでなく、フランスやロシアで開かれたノービス、ジュニア世代の大会にも参加しており、いずれも上位に食い込んでいた。


 全日本なんてちゃちなレベルではない。それこそ五輪や世界選手権で金メダリストにもなり得る世界的な逸材だ。


 にわかには信じられない。だが調べれば調べるほどに見つかる大会の記録を目の当たりにすると、疑うことすらバカらしいと思えた。


 だがどうしてもひとつ、多香音が納得するに至らないひとつの事柄が胸につっかえていた。


 これだけ実績あるスケーターが、なぜ日本にいるのだろう。それに……パートナーのお姉さんは、今どうしているのだろう。

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