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第五章その1 反響

「みなさんこんにちは! 本日、私たちはここ、讃岐アイスアリーナに来ています」


 テレビカメラの前で、リポーターの女性がにこやかにマイクを握る。その背後には、白一色の広大なスケートリンクが映り込んでいた。


 四国では珍しい通年リンクだが、現在のところ突出した実績を残した選手は輩出していない、全国的には無名の施設。ここに取材のカメラが入るのは滅多にないことだ。


「外は夏真っ盛りですが、ここはなんと室温13℃! ひんやり涼しいどころか、ジャンパーを羽織らないと寒いくらいです……あ、見てください!」


 話しながら彼女が手を差し出した先には、銀盤の向こうから滑ってくる若い男女。ボディラインにぴったりと貼りついたトップスに、すらりと細く伸びた脚を覆うレギンス――上下練習着姿の、篠田多香音と定森晶だ。


 両者片足だけで立ちつつも、ターンとツイズルを決めながら氷上を端から端まですいすいと滑る。回転の速さからエッジの傾きまで機械仕掛けのように一瞬の乱れも無い正確さを刻みながら、生きた人間だからこそ漂う艶めかしさも感じられる、そんなステップだった。


「こんにちわー!」


 呼びかけるリポーター。多香音たちはすぐさま練習を中断し、颯爽と駆け寄る。


「定森晶選手、篠田多香音選手、アイスダンス界の超新星カップルです!」


「こんにちは!」


 紹介に応えて、にこりと微笑みながらカメラに手を振る多香音。


 一方の晶はというと、普段の相方ならば絶対に見せないであろう愛想良い笑顔を目の当たりにして、とっさに手で口元を覆いながら吹き出すのを堪えていた。


 先日の合同合宿で会心の演技を披露したふたりの評判は、すっかり全国のスケート関係者が知るところとなっていた。


 いや、実際はそれ以上だった。誰が撮影していたのやら、ふたりの『火の鳥』の演技の動画がSNSに投稿されたのだ。そこから何者かの手によってリフトのシーンだけを切り取った動画が作成されるや否や、あっという間に拡散してしまったのが実情だ。


 逆リフトというわかりやすい大技のインパクト。SNSには「逆リフトSUGEEEEE!」だの「かかあ天下wwww」だのとコメントが寄せられ、拡散はさらに加速、トレンドワードに輝くほど大いにバズったのだった。実際に多香音たちが香川に帰ってきた翌日には、東京から飛んできたスポーツ新聞やネットニュースの記者たちが既にリンクまで押し掛けていたほどだ。


 あれから早3週間。この日はテレビ局の取材クルーが訪れていた。今日撮影した映像を、明日ワイドショーのスポーツコーナーで放送するらしい。


「おふたりがカップルを組まれたきっかけはどういったものでしょうか?」


 ハンドマイクが向けられる。多香音は少し前かがみになると、隣に立つ晶をビシッと指さした。


「こいつが私にいきなり『僕とカップルにならないか?』とか言ってきたからです」


「それを即OKしたんだから、篠田さんもなかなかのものでしょ?」


「はいそこ、記憶を改ざんしない!」


 ぺしんと晶の頭をはたく多香音。そのやりとりに、リポーターはつい失笑してしまった。


「本当に仲が良いんですね。ところで、おふたりの十八番と言えば逆リフトですが、本番でも披露されるつもりでしょうか?」


 またこの質問かと内心では呆れながらも、多香音は「もちろんです!」と強く意気込んで答える。


 篠田多香音の復活を印象付ける、自分たちにしかできない演技。それをやりたいとコーチに懇願したのは他でもない多香音自身であり、実際に成功させたからこそここまで注目されるようになったのだ。


 逆リフトがふたりの代名詞となった今、危険だからとプログラムから外すなどという選択は最早あり得ない。


「本番では皆さんのご期待に沿える滑走をお見せします」


 ややわざとらしい多香音とは対照的に、幼少から取材を受けてきた賜物か、晶は落ち着いた様子でにこやかに返した。


 10月の西日本ジュニア選手権まで、既に2ヶ月を切っている。


 通常、フィギュアスケートは毎年9月頃から関東選手権や中四国九州選手権といった地区ごとの大会が始まる。そこを突破した各地区の代表が今度は東日本選手権または西日本選手権で鎬を削り、11月の全日本ジュニア選手権への出場権を勝ち取るというのがおおまかな流れだ。


 だがそれはシングルに限った話。カップル種目に関しては国内の競技人口が少なすぎるため、地区ごとの大会は開催されない。


 とはいえ全日本一発勝負というわけにもいかないので、例年東日本または西日本のどちらかが、全日本の予選会として機能している。その際には東日本ではアイスダンスの予選会、西日本ではペアの予選会といった具合に東西で種目を分けて開催されるのが通例だ。全国大会が予選と本戦とで2回あると表現した方がしっくりくるかもしれない。


 今年の全日本アイスダンス予選会は、西日本選手権と併せて大阪で開催される。このカップルにとっては初めての公式戦であるが、ネットで生中継されるなど注目度は高い。


「本番では強力なライバルになるであろう倉木・岩下組に、おふたりはどう挑みますか?」


 リポーターの口から飛び出した名を聞いて、多香音の顔がわずかにひきつる。


 多香音たちよりひとつ年上で、合宿では本番の衣装を纏って見事な『ジゼル』を披露した倉木友恵と岩下誠太郎。


 鬼教官こと二階堂コーチに師事する彼女らは、既に世界で結果を出していた。つい先日、中国で開催されたアジアフィギュア杯のジュニアアイスダンス部門に出場し、2位で表彰台に立ったばかりなのだ。


 ジュニア世代でのアイスダンスの普及が遅れているアジアでは、国際大会そのものの数も少ない。首位中国カップルに僅差で及ばずも貴重なチャンスをものにした倉木・岩下組の実力は、アジアにおいてはジュニアトップレベルと言える。


 2月に藤沢夫婦が日本勢初の五輪入賞を果たしたことで、にわかに注目度が高まっているアイスダンス。次世代の台頭はメディアにとっても格好のネタであり、彼らの耽美なプログラムについてもこれまた大きく報道され、全日本ジュニア優勝候補筆頭とまで評されていた。


 逆リフトのおかげで名が知られるようになったとはいえ、多香音たちの方がまだ挑戦者の立場であることに変わりはない。


 その後、しばらくの間ふたりはインタビューを受け、逆リフトの練習風景を撮影される。


「お忙しいところありがとうございました」


 やがて一通り取材を終えたリポーターが、テレビ局のスタッフを代表して多香音と晶に頭を下げる。つられてふたりも「いえいえ、こちらこそ」と礼を返していた。


「ところで、ずっと気になっていたのですが……」


 だがその時、顔を上げたリポーターはふとリンクに目を向けた。


「さっきから後ろで何度もジャンプ跳んでるあの子……凄いですね」


「あの子?」


 多香音たちもリポーターと同じ方向に視線を向ける。


 そこでは香川のさっちゃんこと女子シングル選手の長谷川小夜子がポニーテールをなびかせながら、他者とは桁違いのスピードで氷上を滑走していたのだった。


 この日、多香音と晶は取材のためにリンクを借り切っていた。だが練習風景撮影に思いの外時間がかかり一般開放の時間を迎えてしまったため、途中から他の客が滑っているリンクを背景にインタビューが続行されることになった。


 その一般開放の時間を迎えた直後から、小夜子はジャンプとステップの練習に打ち込んでいた。取材陣のことも眼中に無いのか、黙々とただひたすらに本番さながらの気迫を滾らせながら一瞬もエッジを止めることなく滑り続ける。


 氷上をスライドしたまま全身にぐっと力を込めて跳躍、パワフルなトリプルルッツを決める。


「高いですね」


 感嘆の声を漏らすリポーター。その後ろでは片付けかけていたカメラを再び構えなおしたスタッフが、レンズで小夜子の動きを追いかけていた。


「あの子はシングルの選手です。本番も近いので、追い込みかけているんですよ」


 晶の説明に、リポーターは「なるほど」と頷いて返す。


 シングルの選手である小夜子は、西日本選手権の前に中四国九州選手権を突破せねばならない。大会まで残すところ1カ月、今は1秒でも時間が惜しいのだろう。


 元々得意だったジャンプにさらに磨きをかけるため、このシーズンに向けて彼女は下半身を中心に筋肉増強トレーニングを重ねていた。その甲斐もあって昨年以上の高さを手に入れた小夜子は、今では贔屓目無しで日本ジュニア有数のジャンパーにまで成長していたのだ。


「トリプルアクセルも跳べそうな勢い」


 ぽつりと漏らすリポーター。それを聞いて、多香音はほんの少しだけ残念そうに顔を歪めたのだった。




「いやー、滑った滑った」


 取材スタッフが完全に撤収した後、へとへとになった小夜子がリンクから戻る。


「お疲れー、いつもよりだいぶ長かったね」


 リンク脇でドリンクを飲んでいたふたりが迎えると、小夜子は「本番近いしね」と苦笑いを浮かべた。


「ところでさ、あたし、ちゃんとカッコ良く映ってたかな?」


 疲れで息を切らしながらも悪戯っぽく微笑む小夜子に、ふたりはきょとんと目を丸めた。


「ひょっとして狙ってたの?」


「うーん、密かに期待してたんだけどなー。あんたたちのインタビュー見た人が、あの後ろでジャンプ跳んでる子かわいくない、てバズるのさ」


 そう言いながらベンチに置いたドリンクを取り上げると、ぐびぐびっとボトルを傾ける、


「ぷはっ、うんめぇー!」


 そして他人の目も気にせずビールを飲み終えたおっさんのような反応を見せる小夜子。


 晶はダメだこりゃと言いたげに唇を曲げると、隣に座っていた多香音にちらりと一瞬だけその表情を見せる。そして二口目をさらに喉に流し込む小夜子に、「さっちゃん、二匹目のドジョウはもういないぞ」と呆れながら言い放ったのだった。

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