高貴たれと希わん
両親を流行病で亡くしたのは、おそらく三歳の頃。
叔母に引き取られて今まで育ったが、穀潰しであり色欠けのわたしは持て余されていた。
見えるものが見えない。害はないが気味が悪いし外聞も悪い。
まして、この国では色はなにかと重視されることが多く、赤は情熱、青は誠実など色言葉なんてものまであるのである。
だから、色欠けは世間に浸透しているとはいっても歓迎されるものではない。
害はないとはいえ、見えないことで不便はあった。叔母のドレスの色をうまく褒められずに機嫌を損ねたことも何度か。その度にわたしを見る目が冷たいものになっていくのがわかり、凍りつく胃を抱えることしかできなかった。
義理で育てはしてくれたが従姉妹たちと同じようにとは言えないのは事実。最低限の教えを施してはくれたが、それ以外の扱いは使用人のようなものだった。
追い出されないだけましだ。逃げ出す度胸もないわたしは、そう言い聞かせながらここにいる。
十代も後半となればますます持て余すため、どこか僻地の成金貴族にでももらわれるのがちょうど良いと考えたようだ。
五日後、対面の場を設けられてしまった。
気が重いまま市場に買い物に出たわたしは、パンとじゃがいも、玉ねぎ、そしてチーズを詰め込んだ包みを抱えて人混みを縫って歩く。
曇り空からは今にも雨粒が溢れそうで人々は足早だった。
だから、慣れた場所でもドンッと肩が当たってよろけてしまった。わたしの手から包みが落ちて足元にじゃがいもが転がる。
「すまない」
「こちらこそ申し訳ありません」
振り返った紳士が、即座に謝罪する。足元のものを拾ってくれ、頭を下げたわたしも慌てて自分の近くのものを拾っていく。
最後のひとつに手を伸ばすと、すぐ近くに金色の小さな輪っかがあった。
わたしは驚きながらそっと拾い上げた。華奢な指輪だとわかる。設えたものがなんの宝石かまったくわからない指輪は、曇天でも微かな光を集めてきらきらしていた。
相手がはっと息を飲んで自分のポケットを探るので、ああ、とわたしはため息をついた。
「……綺麗な紫色ですね」
たぶん、きっと、そうなのだろう。
台座にあるのは何色ともつかない磨かれた石。
わたしは小さく零して、ハンカチで拭ってから指輪を差し出す。
見上げた紳士の見開かれた瞳は、同じようにひどく澄んでいた。
「失礼いたします」
余計なことを言ってしまった。
わたしはペコリと頭を下げて、足早にその場を去る。呼び止めるような声が聞こえた気もするが、不躾な言葉を紡ぐ娘へいい印象などあるわけもなく。恥ずかしさでいっぱいになったわたしは、荷物をぎゅうと抱えて走って帰った。
若い紳士はきちんと整えた銀髪を束ね、すらりとした身なりは上等。そんな方に芋を拾わせてしまったことが忍びなかった。
いつものように食事の支度をし、食べ終えた食器を片付け自分も少しつまみ、邸の掃除をし、五日はあっという間にすぎた。
従姉妹の古いドレスを着せられ、相手の到着を居間で待つ。
叔母たちは上機嫌だった。
余計なことは言うなと言われているため、いつもは座ることのないソファーに座り、背筋を伸ばしたままわたしは顔だけ俯かせる。
「お招きくださり、ありがとうございます」
部屋に入ってきた紳士に、わたしは小さく息を飲んだ。
やわらかな声色。
失礼にならないよう顔を上げた先には、何色ともいうことのできない瞳。
今日限りだが着飾ったわたしがあのときの姿と結びつくかはわからないが、緊張に身が強張る。
叔母が言うには、この方は功績が認められ爵位を授けられたカーティス卿である。ここ数年、人々の話題にのぼることも多くわたしでも話は聞いたことがあるほどだ。
それほどの方がいらっしゃったことはこの家にも箔がつく。わたしの貰い手には打って付けなのだと、叔母たちの雰囲気から察するに十分だった。
わたしがいかに従順であるかを目の前の紳士へ声高に説いた叔母たちは、気がすむとあとは若い人たちでと席を外してしまう。
唐突に静かな沈黙が落ちた。
「シリル嬢。単刀直入に伺うが、あなたはこの婚姻をどう思うのですか」
お歳は二十代半ばだろうか。
穏やかな声が紡ぐ落ち着いた口調は、威圧的なものはなく淡々と続いていく。
「私は一代限りの男爵を賜っているだけの元は商家。あなたのご両親は是非にとおっしゃるが、本当によろしいのですか」
真摯にこちらと向き合ってくださる言葉たちを、わたしは不思議な気持ちで聞いていた。
そっと口を開く。
「わたしは、どちらでも構いません」
返せる言葉の少なさに、ゆっくりと首を振って苦笑をこぼした。
「義母たちの言うとおりわたしに取り柄はございませんので、卿がお断りなっても噂にもならないかと」
「あなたの意思は」
じっと見つめられる瞳が、わたしに人として足りないものを教えてくれる。
わたしは、静かに目を伏せた。
「卿のお心のままに」
おそらくあの叔母たちのことだ。色欠けであることなど伝えていないだろう。早くわたしを手放したいのに、不利になることなど言うはずもない。
そしてわたしもずるいから。
言わずにただ相手に委ねた。心のどこかで今の暮らしに疲れを感じていたのかもしれない。
ただし、気の利いた言葉など持ち合わせていなかった。
従順でしかない野暮な娘を、一代限りとはいえ今をときめくカーティス卿が迎えることはないだろう。そう思っていたわたしに反して、前向きに進めたいとの返事が来たのは翌日のことだった。
叔母たちは大喜びである。
今までにないほど熱心にわたしの輿入れ準備をして、あれよあれよと話が進み、あっという間に式まで目前になっている。
卿は王家の求めていたものを他国から仕入れることに成功して爵位を賜ったのだという。偉業を成し遂げたわけでもないから、身に余るとはこのことだと頬をかいて笑った卿に、わたしの胸は少しだけ苦しくなった。
飛び回る忙しさだというのに数日に一度は顔を出し、来れないときは手紙をくれる。
疲れさせる一因であるわたしは、少しでも癒えるように香りのよい花を選び活け、丁寧に茶葉を淹れ、前日に作っておいたお茶請けを出す。そして対面では失礼のないよう言葉を選んで返事をするだけ。
それなのに卿は足を遠退くでもなく律儀に通ってくださった。なぜだろうと思っても聞くこともできない。
足繁く通う卿へ従姉妹が頬を染めて叔母になにかを訴えたけれど、そんなことを気にも止めずにわたしを見つめる何色かわからない瞳。
いいのだろうか。この向けられる優しさに、甘えてしまっても。
いくら目上げても、わたしにはその瞳の色がわからないのに。
じっと向けられる瞳は、どんな色なのだろうか。
見えないものは仕方がないと諦めていたわたしが、一生わかることのないそれを知りたいと思ってしまった。そして、わからないと言えずにいることに胃が重くなる。
卿のお祖父様に呼び出されたのは、そんなときだった。
馬車の手配までしてくださり、街中から少し離れた屋敷で迎えられる。
居間へ案内されると勧められるがままにソファーへ腰掛けることになった。
目の前には、身なりの整った姿勢のよい白髪の紳士。
挨拶を交わして、香りのよい茶を前にわたしは背筋を伸ばした。
「シリル嬢、カーティスについてどう思う?」
紅茶を一杯飲み干してから、穏やかな低い声が尋ねる。
まだひと口しか飲めていないわたしは、膝の上で手を握り締めながら口を開いた。
「……お優しい方かと」
答えると老紳士は目を丸くしてから声を上げて笑った。
どうやら卿は部下たちにも商売仲間たちにも厳しくて容赦がないと評されているらしい。わたしの答えが意外だったのだと言う。
「どんなお嬢さんかと顔合わせのときに心配したが、なるほど、孫が熱を上げるのもわかる」
すでに商いのことは卿に任せて退いているとはいえ、豪快さと強さがある人だった。
この方は立場で言えば庶民。けれどもわたしは不快とは思わず、不思議と親しみを抱いた。話しかたが、卿のそれと似ているようにも感じた。
だからわたしはホッとする。卿のことを大事に思って、だからこそわたしひとりを密かに呼び出したのだ。
わたしは緑色の目をじっと見つめた。
「本日お呼びくださったのは、どのような内緒話をなさるおつもりでしょうか」
率直な言葉をくださる方だから、わたしもそのまま畏まらずに伺うことにする。
すると、相手は苦笑して頬をかいた。
「……いくつになっても孫というものはかわいいもので。失礼ながら、あなたのことをお調べした」
わたしはその言葉で言いたいことがわかった気がした。
調べたのならわたしが噤んでいた言葉など容易く知り得ているはずだ。隠すことも必要ない。それなら、話は早い。
「わかりました。わたしに欠けているもののお話ですね」
「シリル嬢、あなたを責めたいわけではない。ただ知りたいのは、何色が――」
「紫です」
すべて聞かれるまえに首を振った。わかっている。わかっているのだ。
この国では自分の目の色を相手への贈り物に選ぶ風習がある。目の色が大事にされるのだ。
だから、相手の色を見ることのできないわたしは、本来ふさわしくないはずだった。
ここまでだ。初めからわかっていたことだ。
この方はわたしを責めないと言ってくださったが、きちんと向き合い、卿ために忠告もくださったのだ。
今まで胃を重くしていたものがすっとなくなり、気持ちが定まったような気がした。わたしはまっすぐと顔を上げる。
「教えてください。紫色とは、どのような色ですか?」
尋ねると、老紳士は顎を撫でてからふむと口を開いた。
「赤と青を混ぜた色で、気品があってどこかあたたかみもあるような色……だろうか」
「なるほど。だから、わたしには見えないのでしょう」
省みるものもなく、それなのに色欠けだと言い出すこともできずに騙し、自らの意思で決めることもしない狡いわたし。だからわたしは、彼の色を見ることもできないのでしょう。
色がまったくないのではない。わたしの場合は紫色を前にすると赤にも見え青にも見え、もちろん色のないときもあれば黄色にも緑にも、橙にも、何色にでも見えて色を定める前に揺らいで掴ませることがない。それが色欠け。
いつしか掴むことのできないたくさんの色であふれる彼の方の瞳を、うつくしく思ってしまった。
紫色を知りたくてたまらないのに、わたしには欠けたものであるのに。なんて罪深く浅ましいことか。
紫の色言葉は、高貴。
だからきっとわたしに天は紫色を授けなかったのだろう。
市場で会った卿は、瞳の色の指輪を持っていた。きっとそれは誰かに贈るはずのものだったはずだ。
わたしはその人を差し置いて、今この立場になっている。それはやはり、この先誰も幸せにしない。
「シリル嬢。色欠けは欠点があるからなどと言うのはただの戯言だ」
慰めの言葉はとてもやさしい。
わたしはおもわず笑った。
「ありがとうございます、ですがそれが事実です。元よりこの縁談も無理があったのでしょう」
「違う、そうではなく――」
「お祖父様」
遮ったのは、ここにいないはずの硬い声。
わたしはびくりと肩を揺らしたけれど、振り返ることができなかった。
あのうつくしい目に軽蔑されてしまったら……いやされるべきなのだろう。まだ傷を浅くしたいと足掻く自分がいて嫌になる。
「カーティス」
「シリルになにを吹き込もうとしているのですか」
聞いたことのないくらい苛立った声に、老紳士は諦めたようにため息をついた。
「悪かったよ勝手をして。けれども、お前もシリル嬢への言葉が足りていないようだ」
「……大きなお世話です」
「お節介ついでに言うが、今おそらくシリル嬢がひとりで決意したことがあるから、きちんと向き合わなければ悲しい結末になるぞ」
「わかっています。シリル、行きますよ」
お祖父様のお顔を見ずに投げやりな返事をしながら卿はわたしの腕を引く。
ご挨拶もしないままで慌てて振り返ると、にこやかに微笑んだ老紳士に見送られてしまった。
「ひとりで行くなど、なにかあったらどうするつもりですか」
馬車の扉が閉まるが早く、卿は眉根を寄せて声を低くした。
初めて見る様子に落ち着かないが、大袈裟な言葉にわたしはなんとか首を振る。
「ですが、お相手はお祖父様で――」
「道中なにがあるかわかりません。祖父相手ならなおさら私が一緒の方がよいでしょう」
「……申し訳ありません」
いつも穏やかに話される卿が声をきつくすることは初めてで、わたしは軽率なことで迷惑をかけてしまったと肩を落とした。
たしかに、未婚の女がひとりで出かけることは避けるべきだ。この婚約の話がある前は令嬢とはいえない生活だったから、正直なところそういうところに思い至らなかった。
反省はする。そしてこれ以上迷惑をかけないよう、先ほどようやく固まった胸の内をお伝えしなければ。
わたしはあのうつくしい目を見つめた。
「カーティス卿、お話がございます」
すっと姿勢を正しわたしに、卿はまっすぐと色のない目を向ける。
「わたしは、色欠けです」
生まれながらにすでに足りないものがある人間である。
だから、そのまま先を続けようとしたのに、相手は頷いてわたしを遮った。
「知っています。そしてそれが紫色であることも私は初めから知っていました」
驚きに目を丸くしたのはわたしである。
初めから? あの、市場で会ったときから?
わたしがなにか言おうとするのを遮って、卿は先を続ける。
「言う必要がないと勝手に決めて触れずにいました。――祖父の言うとおりです。私たちはもう少し話さなければならない。あなたの言葉の続きはそのあとに言うかどうかを決めてください。できれば、私は聞かずにすむことを祈ります」
卿は、一度言葉を区切って上着の内ポケットへ手を入れた。
長い指が華奢な作りの金の輪を取り出す。
「この指輪を覚えていますか」
忘れるわけがない。あの日、じゃがいもと一緒に転がったものだ。
「あなたは、これを綺麗だと言ってくれた」
やわらかに、微笑んだうつくしい瞳。
息をのんで戸惑うわたしに、彼は先を続ける。
「私の目はとても薄い紫色で、この指輪も不本意ながら同じように薄い色の石だから褒められるものではないと、自分でもよくわかっています」
卿は背もされにどかりと身を預け、諦めたようにため息をついた。
「現にあの日、取引先の家のご令嬢と顔合わせをしたところ指輪ごと鼻で笑われました。叙爵したとはいえ一代限り。功績はあっても、貴族のご令嬢は美しい宝石の方が好ましいようです。――惚れていたわけではありませんが、事業のために政略結婚をする気でいた私にはこんな色の違いだけで歯牙にもかけられない事実に打ちのめされました。そんなとき、あなたと会いました」
綺麗だと微笑んで、やさしく汚れを拭ってくれたのが、わたしなのだと言う。
それだけのことなのに。
それなのに、彼の胸には驚くほど響いたのだと言うのである。
「嘘ともお世辞とも思いませんでした。ただ、どう見ても綺麗とは言い難い色だから、もしかしてと思っただけです。それでも、うれしかった。むしろ指輪も私の目もあなたには美しく見えるのなら、それがいいと。そう言ってくれたあなたと一緒になれたらと思いました」
卿は、ひとつ息を吸って。
まだその先を続ける。
「すぐに市場の人たちに聞いて回って、もしかしてが確信になって、五日後に縁談の話があると知りました。慌てて手を回し相手を自分に据え変えるよう走り回り、もう一度機会を与えてもらったのです。……断られないのなら、どうにかしてあとからでも好意を持ってもらえるよう尽くそう。そう思って半ば強引に話を進めたわけですが、たしかに祖父の言う通り言葉は足りていなかったと思います。すみません」
そこまで言い終えると、ゆっくりと卿は体を起こした。
不思議な色の瞳が、そっとわたしの顔を覗き込む。
わずかに緊張したように目元が硬っている、ような気がするのは気のせいだろうか。
少しだけ強張ったような声が、こちらをうかがっている。
「やはり、決意したとおり別れを望んでいますか?」
「……ですが、わたしは色欠けで、足りないものばかりです」
驚きばかりで頭が追いついていかない。
辛うじてそれだけ絞り出すと、卿はやんわりと首を振る。
「シリル、見えないことが欠点とは思いませんよ。本人に原因があるから見えないのだと言う愚か者もいますが、私はそうは思いません」
「ですが――」
「見えない色を、あなたは心で見ている。どんな色だろうかと焦がれて、美しいと感じてくれる。それは、いけないことですか。少なくとも、私はあなたに救われました。見えないものまで見ようとしてくれるあなたに惹かれました」
そっと伸ばされた手。
伝わるあたたかな体温。
「だから、もう一度言わせてください。――私と結婚してください」
握られた手にぎゅっと力が込められる。
痛いほどにまっすぐと向けられる、うつくしい瞳。
ああ、とため息が落ちる。
「こんな、わたしで、よろしければ」
熱くなったまぶたから、ぽろりと色のない滴がこぼれていった。




