魔王開花
時が止まると同時。
いつの間にか頭に眠るようにいた子を手で抱き抱える。
その子は、ルーチェとは対極にいるような子だった。
見た目が猫なのは同じだけど、真っ黒な毛並みに、紺色に近い猫眼。
特に嬉しいのが、ルーチェと違い、声がとても可愛らしい所だ。
「ここからの流れは、別に説明しなくても大丈夫だよね?」
少し眠そうな声。
「うん」と頷きながら、止まった世界で男の焦る顔を見ながら牢屋を出る。
「でも、この魔力制御は大丈夫?」
「一応あっても大丈夫だけど……念の為」
手の中から抜け出して肩にまで登ると、首元にある魔道具を噛む。
多分石で出来た首輪は「ガキッ」と鈍い音と共にポロポロと崩れていった。
「それじゃあ、契約だけど……いいの?」
「何が?」
「貴方は勇者。魔力制御が壊れた今、勇者の力は使えるはず。それでも……いいの?もう、戻れないよ」
「いいよ。もう、決めたこと」
それに、この憎しみは勇者の力じゃ扱えない。
分からないことだけど、分かる。
「殺そ。この力で」
動き出した時と共に、身体中の血液が再加速する。
突然に真後ろに立たれたことに驚いた男は、私の増幅魔力量に驚いているのか。
それとも、この黒く染まりつつある髪の毛か。
「にゃー。それじゃあ契約。私に、続いて!」
世界に一つの闇が湧き出た。
「お、親方!この魔力は一体……!?」
時が動き出すと、目の前の男と部屋に入ってきた誰かは、契約に見惚れて動きを止める。
まるで、この世の終わりを見るかのように。
「「世界に光が包まれようと、汝の闇は傍にある。
正義の先にある悪を、私は受け入れる。
闇を纏い、理不尽を迎え討つ我は魔王!!闇の名は『フォンセ』!
漆黒の狩人は最後まで笑う!今こそ、我に力を!!」」
そこに、先程までのアンはいなかった。
真っ白で雪のような美しい髪の毛は、禍々しい黒髪に。眼の色も、白から黒に変わった。
素っ裸で生地の様な白い肌を見せていたけれど、魔力で編んだ黒い狩装束は、この薄暗い部屋の中では闇に溶け込みそうな程不気味で、帽子の下から覗かせる瞳は獲物をジッと睨んでいる。
その黒い眼で部屋に入ってきた男を、とりあえず殺した。
そいつ目掛けて撃った光線は、胸の辺りに大きく穴を開けて倒れた。
「ニオン!!……これはぁ、何が起きてるぅ?いや……俺の、終わりかぁ?」
男はやっと状況を理解する。
どうしてかは知らないけれど、アンは外に出て男は牢屋の中、つまり立場は逆転している。
「囚人」
「……皮肉が上手いねぇ、なんだぁ?」
「名前は?」
「……上等だ。俺の名は『ラーケン』だ。俺の本名は強ぇやつにしか言わねぇ。誇りな」
「三秒で忘れるくらい、どうでもいい名前」
そう言って、アンは軽く腕を振るった。
牢屋の中じゃまともに逃げられないと悟ったラーケンは、八つと手全てに武器を持たし床をくり抜いて地下へと逃げる。
一連の動作に一秒も掛からなかった早業で荒業な回避方法。
オクトパスのアジトは地上と地下に出来ており、売ったり物を一時的に保管する場合は地上、部下達の住処や他アジトとの行き来を繋げる通路となっている。
しかしそんな荒業も、刹那もしないうちにして良かったと悟る。
地下に潜りこんだ瞬間、頭の上で数本抜かれた髪の毛とその直後に鳴り響く爆音。
ラーケンは悟った。これはやばいと。
ポケットの中にある念話魔道具を使い部下の一人に通話を掛ける。
「キューレぇ、聴こえるかぁ」
「『き、聴こえます親方!この魔力は一体……』」
「緊急だぁ今すぐ地下通路から逃げろぉと全員に伝えろぉ、今すぐだぁ」
「『りょ、了解です!!親方は―――』」
「今すぐっつってんだろぉ!!」
使えない部下に久しぶりに怒鳴り声を上げながら部屋を出る瞬間、作った穴から再び闇が襲ってくる。
先程の攻撃は面のような広範囲に対して攻撃するのに対して、今度は矢の形をしたホーミングするタイプの闇魔法。
この程度なら結界でなんとかなるだろうと瞬時に防御魔法を展開し、さらにこれから指示出しや自分の逃げ道を考え複数枚の防御魔法で時間を稼ごうとする。
だが、魔王にとってそれは単なる紙切れだ。
闇は形を変え、姿を変え、黒蛇となった。
黒蛇は防御魔法をいとも簡単に食い破ると、次の防御魔法、次の防御魔法と次々に食い破って行った。
蛇の数はどんどん増える。
「う、うああ、あああ!!」
逃げ遅れた部下が一人転び、その胸が貫かれようと、そう思ったが。
何故か部下には目もくれず、未だ逃げるラーケンだけを狙い続ける。
「あくまで俺一人を殺すってことかぁ……それならぁ、ありがてぇ!」
ラーケンは見えない手を使い、飛んでくる黒蛇を鷲掴みする。
噛まれないように口を閉ざすように掴み、そのまま顔面を潰す。
生半可な実力じゃこの矢は掴めない。【黒級犯罪者集団】のトップの名は伊達じゃない。
潰れた黒蛇を離すと『ビクンビクンッ』とのた打ち回りすぐ動かなくなったかと思うと、一瞬にして紫色の魔力の霧となり虚空へと消えていった。
「スティーブ、花、聴こえるかぁ」
「『ん』」
「『お、親分!無事でよか―――』」
「クローバはスティーブを抱えて帝国アジトまで転移した後、二階四号室の一番下の一番右にある魔道具をスティーブに着けさせてからからこっちにこい。スティーブは、顔隠して北のバーテンアジトにま皆を避難させろぉ」
「『ん』」
「『北のバーテン……ってあれか!唯一地下通路に繋がってない孤立したアジトっすね!』」
「そうだぁ。それとぉ―――」
魔王は黒い矢を放ちながら高速移動する。
あいつさえ殺せばどうでもいい。弓を壊したあいつを殺す。
憎悪に塗れた殺意は立ち止まることを知らない。
眼と鼻の先で堂々と立ち止まる男は、手に持った何かを手放した後何かを呟いた。
矢は全て能力の手に捕まれる。
しかし、八つの手は蛇を掴むのに夢中で動かせない。だからこの一撃を放つ。
アンはラーケン顔を目掛けて強烈な蹴りを入れた。
死なない程度に。
避けもガードもしないで蹴りをモロに喰らったラーケンは、壁に吸い込まれるように飛ばされ、そのまま横たわる。
死んでは無い、起き上がる気配がないだけ。
ボサボサの髪の毛を左手で持ち上げ、右手でそのまま殴る。
人を始めて殴ったけど、なんとなく顔は殴りにくいと思った。
だから、真上に蹴り上げてから、いい感じの位置で思いっきりお腹を蹴ってみた。
また壁に当たって、跳ね返る。
「つまんないね。やめよっか」
「アンちゃん、優しい」
「殴るとか蹴るとか初めてだから。生き物は、ちゃんと一撃で殺してあげなさいって言われてるからね」
「お父さん、アンちゃんはいい子に立派な娘さんに育ちましたよぉ」
「じゃあ、殺そっか」
「うん、そうしよ」
「『黒大蛇』」
巨大。
高さだけでも十メートルを超える大きな黒蛇は、地下を突き抜けて地上にある木まで届いた。
崩れる天井から零れるオレンジ色の太陽と、眼前に広がるでかすぎる蛇を見て、ラーケンは目を閉じた。
勝てない。【黒】に勝ると言われた俺が。能力持ちの俺がこうも無残にやられた。
なら、仕方ない。受け入れるしかない。
「じゃぁなぁ……俺とぉ、世界ぃ……」
まさに飲み込まれるその瞬間、一言呟いた。
「花」
「ん。『対象強制瞬間移動』」
黒大蛇が男を食い殺した瞬間、背中に手を触れられ子ども魔法が聴こえた。
気付いた時にはもう遅い。
既に青い結界に入れられており、不用意に出たりしたら空間がずれてしまう恐れがある。
「やられちゃったね」とフォンセが一言。
と、いうか。
「私を、眠らせた子?」
「……」
アンは問いかけるがその子は黙る。
間違いない。
あの瞼が閉じる前に一瞬見た女の子。
緑色のフードを深くかぶり身長がとても低い。
一番印象的に残っているのは、その右頬っぺたの模様。
これは―――。
「アンちゃん!!」
「アン!!」
後ろから、聞き慣れた声。
ヒビキさんとルーチェ。
二人の安否が確認出来てほっとした次の瞬間。
周りの青色の結界が光りだす。
―――しばらくの間、お別れかな。
目も開けられないほど結界が光りだす。
一瞬だけ地から離れる感覚が訪れ、またピタッと全身に重力を感じ目を開けると、そこら一帯は荒廃した赤紫色の土だった。
「ここは、魔人領土」
アンの冒険は、まだ始まったばかり。




