雨ときどき飴
『今日は雨ときどき飴、傘を忘れずに持ち歩きましょう。』
何時もの通りの音調で美人キャスターは仕事を進める。彼は鬱屈としながらもいつもの通りにそれにレスポンスを示す、、、はずだった。
「はぁ…!?あ、飴!?」
彼は思わず驚きの声を張り上げた。
「聞き間違いか?いや、でも発音的には飴って…」
少し大きな独り言を唱えながら、スマホを弄る。何かに急かされてるように検索画面から天気を調べた。
「あ、飴って書いてある。」
彼は頭を悩ませながら、壁に掛けてあるカレンダーをチラ見した。やはり今日はエイプリルフールとは程遠い9月5日の水曜日。残暑と湿気の入り混じる嫌な日になることは間違いないだろう。
へんてこな事実に心は納得がいくはずもなく、頭脳はとめどない思考を繰り返し、指はスマホをこねくりました。数分もしない内に諦めたような疑った顔をしながら出社の準備をした。
洗面台の鏡の前で剃り残しがないか、新しいニキビが出来てないか、眼鏡が曲がってないか、という風にいつもの習慣通りに最終確認をする。鞄を手に持ち、財布をポッケに突っ込んで、靴は右足から履いた。今日もやるぞ、と少し意気込んで戸を開けた。
何時もと違う点はビニール傘を手に持ったこと。
まだ雨は降っていなかった。いつもの通りに新井薬師駅近くのバス停から池袋行きのバスに乗って、池袋で電車に乗り換える。満員電車の中でとにかくよろけないようにと、揺れる穂のようにして体にかかる圧をうまく逃していく。どうにか痴漢だと間違われないように男にも女にも手を触れないように必死だった。
会社に向かうまでの道でもう一度ウェザーニュースを見た。天気のマークも飴になっていた。彼は本当に世界がおかしくなったのだと思った。周りを見ても彼以外に焦ってる者が一人もいないのだからよりそう思わせた。
始業してからは昨日の残りの仕事や電話対応に追われあっという間に時間は過ぎた。日常はどんな有事も呑み込んで支配してしまう。息づく間もなく飯の時間になった。
彼は会社で唯一の友人の戸倉と飯を食う。戸倉は随分と飯に命を賭けてる奴で、昼休憩にはいると誰よりも早く社食に走り出す。必ず社食にいるので探さなくていいのも彼には楽でいい。一番安いかけうどんを頼んで勇み足で戸倉に向かった。机に勢いよくうどんを置き、座る間もなく声をかけた。
「なぁ、今日の午後は雨のち飴ってなんなんだ。俺は夢でも見てるのか。」
戸倉は飯を食う手を止めて笑って答えた。
「あぁ、俺達は夢を見てるんだよ。とびきりの夢だ。そして夢から覚めないコツは騒がないこと、疑問に思わない事だ。黙って日常を送るんだ。安心しろよ。退勤のときにはみんなソワソワし始めるぞ。だって今日は傘を逆に持たないといけないんだ。」
傘を逆に持てば飴を掬えるかと感心した。何よりも安心した。みんな同じならそれでよかった。それから退勤の三十分前までいつも通り仕事に追われた。お腹も空いてきて、時計が針が随分進んでいた事に気づいた。周りはもう帰る準備をしていた。戸倉に至ってはもう帰っていた。
少しだけ日常に騒がしさを感じた。彼が定時に会社を出るともう雨は降っていた。舞台が着々と整っていく高揚感に自然と足取りは軽くなった。早足で駅まで行き、階段はもう二段飛ばしだった。池袋駅からバスのロータリーまで走った。気持ちが溢れ漏れるのを抑えられなかった。
バスのロータリーで傘をたたみ列に並んだ。バスを待つ人達みんながスマホをいじりながらも雨音に耳を傾けていた。心地の良い雨音は気持ちを穏やかにしてくれた。
彼の隣の女性はこれから起こるかもしれない事への高揚感を抑えきれていなかった。彼女の雨空を眺める目は爛々と輝いて、口元はニヤついてた。その時、静かな雨音に紛れるように割れるような異音が混じった。
皆が少しだけ雨音に注意を引いた。
パリン。パリン。パリリン。
飴が地面にあたり、飛んで弾けて、咲いていく。緑、青、赤、数多の飴が降って、割れて、咲いていく。
パリン。パリン。パリリン。
飴が地面に当たって割れる音がそこらかしこから聞こえてくる。まばたきする間にも音は大きくなっていく。数え切れないほどの飴がもうそこら中に舞っていた。
彼はふと横を向いて隣の女性と目を合わせた。
お互いに微笑んだ。
彼は傘を開いて逆に持った。
彼女は少し驚きながら同じように傘を逆に回した。
掛け声もなく、目を合わせることもなく、けれど同時に光り輝く世界に飛び込んだ。
感想、評価いただけると嬉しいです!