人の名前を覚えるのは得意じゃない
業務成績にけっこう響くから何とか覚えてたけどな。
なぁ、考えてみてくれ。自分たちしかいないはずの無人島でなすべきことをなすためにせかせか働いていたら、どこからともなく全く見ず知らずの人間がふらっと現れたら。怖いよなぁ。オレだったら真っ先に警察に連絡するわ。あ、でも警察に連絡するってことはそれだけ事情聴取とかで時間食われるわけか。下手をしなくても業務成績に響くし、普通に逃げるな。……いやいや、何で社畜思考なんだよ。いかんな、せっかく異世界に来たって言うのに。
今何が起こっているかというと、オレはまるで怪物でも見るかのような目でじろじろ見られている。オレとシグマが辿り着いた三軒のログハウスのうち、一番手前にあったログハウスの戸を叩き、居住者の有無を確かめると、中から出てきた精悍な体つきをした金髪の中年男性に開口一番、
「うわ。」
と言われた。そこから現在までの数分間、オレは終始無言のまま、観察されるがままに中年男性にジロジロ見られている。そろそろ頃合いかと思って挨拶をしようと手を頭まで掲げた瞬間、中年男性が素早く動き、どこからともなくフリントロック式の拳銃(海賊が持っているような拳銃な。)を取り出し、俺の眉間に突き付けた。
「……何もんだ。」
妥当な質問だが、生まれてこの方拳銃を突き付けられた経験のないオレとしては大変に恐ろしい。膝が笑い過ぎて姿勢がぶれる。だが社畜生活で身に付けた持ち前の度胸で、なんとか対話を試みる。
「えっと……オレはマトイって言います。一応ご覧の通りのシャツとハーフパンツだけの薄汚いおと……女です。」
「……この島が何の島か、わかっているのか。」
ここは正直に答えるべきなのだろうか。いや、ここで下手に正答を出せば、かえって怪しまれるだろう。とはいえ「知らない」と嘯いたところで信用してもらえるかもわからない。シグマはと言えば、先程からつまらなさそうな表情で両手を後頭部で組み、他のログハウスの方を見ている。無責任な天使だ。
「……いいえ。」
「本当か?」
「そもそも、オレは記憶を失っています。気が付いたらここの砂浜で倒れていたんです。」
こういう展開になった際に便利なのは記憶喪失を装うこと。この世界について何も知らないこちらとしては、このまま世界情勢や世界地理などを教わった方が得だ。それとも、シグマは教えてくれるのだろうか? そう思ってもう一度シグマの方をばれない程度に一瞥すると、もはや別のログハウスへ赴き、何やら窓辺を覗き込んでいた。何やってんだあいつ。
まぁ、たとえこれから教えてもらったとしても、今「記憶がない」と言ってしまった手前、そんなホイホイ思い出すのも不自然か。
「……シャーリー!」
そんなことを考えていると、目の前の中年男性が、目線と銃口だけはオレに向けたまま、ログハウスの中に向かってその名を呼んだ。オレの世界の常識で言えば、シャーリーと言えば女性名だが。
かくして現れたのは、確かに女性だった。よく手入れされた眩い金髪のストレートロングを揺らし、元陸上部のオレから見てもしっかり整った走法で小走りに近寄ってきたそのローティーン風の少女に、中年男性は指示を出す。
「コイツの身体検査をしてくれないか。」
「この人誰? 父さん。」
「わからん。いきなりやってきた。記憶がないとか言っている。」
そうとだけ伝え、銃口をオレに向けたまま、屋内に入るよう促す中年男性。とりあえず高校生の頃よく見ていた洋画よろしく、両手を肩の上に掲げたままシャーリーと言うらしい娘の先導でログハウスの中に入る。
内部に設置されていた清潔感のあるウッドテーブルやウッドチェア、カーペットやタペストリーなど、調度品の数々は全てハンドメイド感が見て取れた。先程見た限りでは三軒のログハウスと充分な面積の畑以外には施設は見当たらなかった。ということは、このカーペットや毛布などは全て『帝国』とかいう本国産なのだろうか。
「えーっと……何か持ってるものとか、ある?」
通された部屋は、どうやらこのシャーリーの自室らしい。やや大きめの本棚やベッド、どうやら作業途中のまま玄関の様子を見に来たらしく文字列が書き連ねられたノートの山が積まれた机などから見るに、勉強熱心な性格のようだ。おっといかん、インテリアの配置から相手の性格を推し量ってしまうのはよくない癖だな。
「持っているものと言っても、見ての通りシャツとハーフパンツだけなんだが……。」
「だよね。一応、脱いでもらえる?」
言われた通り、すっぽんぽんになってみる。童貞でもなし、別に恥じらうこともあるまい。シャーリーは特にオレの身体に触れることもなくざっと全体を見終わると、本を読んで時間を潰していた。そんな様子のシャーリーに、オレはドアの向こうにいるであろう彼女の父親に聞こえないよう小声で尋ねた。
「……調べなくて良いのか?」
「えぇ、だって別に悪い人に見えないし。」
甘い。ぱっと見悪い人に見えなくても悪い人はたくさんいる。社畜時代のオレが最たる例だ。まぁ、今はしがない無一文の宿無し飯無し異世界転生者以上でも以下でもないんだが。まぁ、こんな閉鎖空間で暮らしていれば無理もないか、島にいる人間は皆家族みたいなものなんだろう。
さて、と本を閉じ、シャーリーは服を着るオレの横を通り過ぎ、ドアを少し開けると、案の定ドアの前に拳銃を持って立っていた父親にオレの安全を報告した。父親に何かを言われてオレの方を一瞥すると、こくりと首肯してドアを閉め、オレの方に戻ってくる。
「何か言われたのか?」
「島の周りを確認してくるから、あなたを監視していてほしいんだって。」
「随分と不用心だな……。年端もいかない娘に体格差の激しい人間の監視を任せるなんて。」
「父さんもあなたのことを心底から疑っているわけではないのよ。ただ、やっぱりこの島で採れる鉱石があんまりにも珍しいから、他の国の人が来るかもしれないみたいでね。」
「そうなのか……そういえば、お前たちはどうしてこの島で暮らしているんだ?」
その問いに答えたシャーリーの言葉は、シグマの回答と全く一緒で、『近年鉱床が確認された希少鉱石と有用な効果が見込まれる青果採取のための拠点開拓のため』だった。
「疲れてるでしょう、座っていいよ。」と言われ、オレはシャーリーのベッドに腰掛ける。彼女がもう一度手に取った本のタイトルを見てみると、『初級都市開発学』とあった。なるほど、やはりこの娘は勉強熱心な子だ。
「名前。」
そんなオレに、シャーリーが本を読みながら言った。
「え?」
「名前、聞いてなかったなって。」
「あぁ、オレはマトイ。よろしくな。」
「『オレ』だって、変なの。男性的な言葉遣いをするのね。私はシャーリー、シャーリー・レオ・ルークルス。今年で十五歳よ。よろしくね、マトイ。」
『帝国』の言語には男性口調と女性口調があるらしい。これがもし英語に似たようなものであれば、『俺』であれ『私』であれ、一人称は変わらないわけだから、男性的な口調、というのは即座にはわからないはず。まぁ、こうして日本語のまま会話できるんだからあとは何も言うまい。
そうこうしていると、オレの目の前の壁をすり抜けるようにぬるりとシグマが現れた。危うく変な声を出しそうになり、読書に集中しているシャーリーにばれないよう、ジェスチャーで何の用かと問う。
『いや、ちょっと天界の方に呼ばれちゃったから、僕はここで帰らせてもらうよ。あと思考読めるからジェスチャーしなくていいよ。』
(天使ってのはひとりにつき一体付従するもんじゃないのか?)
『いや? 僕は君になんとなく共感しちゃったから手伝おうと思っただけだよ。ホントは事態の説明だけしたら天界に戻らなきゃいけなかったからね。だからあんまりにも地上にいるもんで、クソ上司にお咎め食らっちゃって。』
(あぁ、まぁそうだよな。サボりはいかんよな。)
『でしょ? というわけでちょっとの間僕いないから、自力で何とかしてね。今回この企画の担当になって、地上の様子を巡視する係になったから、また地上に来た時に寄るよ。』
そう言い残すと、シグマはまた壁の向こうへと消えていった。
その後、戻ってきたシャーリーの父親にも「島の周辺に怪しげなものや舟はなかった」と疑ったことを謝罪された。
ひとまずついてくるよう言われて案内された場所は、三軒のログハウスの中央、斧が突き刺さった丸太がぽつんと置かれているだけの広場のような場所で、そこには数人の男女が待機していた。言われなくても、このログハウス群、ひいては島に住んでいる開拓民だろう。
左端に並んだシャーリーとその父親を含め、ざっと見渡すと左から、シャーリー、その父親、若い赤髪の男性、赤髪の少年、少年の手をしっかりと握って離さない金髪の幼い女児、金髪のボブカットの女性、シャーリーの父親よりも年上に見える筋骨隆々の茶色い毛色の壮年男性と、心優しそうな笑顔を浮かべる黒色のロングテールの淑女。
「え、何これ。オレ自己紹介すればいいの?」
いきなり連れてこられてもさすがに困惑してしまう。シャーリーの父親が鷹揚に頷くのを見て、とりあえず基本的な自己紹介を済ます。苗字は基本的には言わないことにした。先程のシャーリーのミドルネームも気になったし、とりあえずは他の皆の自己紹介を聞いてからだ。
オレの自己紹介が終わると、改めてシャーリーから順に自己紹介をしていく住民たち。
「改めて、シャーリー・レオ・ルークルスだよ。この島ではあっちにいるチャティとミューゼのお世話を任されてるよ。よろしくね。」
「シャーリーの片親、アーロン・ピスケス・ルークルスだ。この島では男手として主に開拓を行っている。よろしく頼む。」
「やぁ、俺はこの島でアーロンさん、ヒューゴさんと一緒に開拓のお手伝いをしている、シリル・レオ・レティフィアって言うよ。ほら、チャティ、ミューゼ。お姉さんにあいさつしなさい?」
「お、おれはチャティ・カプリコン・レティフィア!」
「……ミューゼ・リブラ・レティフィア……。」
「初めまして、マトイさん。私はエイプリル・タウルス・レティフィア。シリルの妻で、この島ではシャノンさんと一緒に畑仕事をしています、よろしくね。」
「ふふふ、なかなか色っぽい娘だなマトイとやらよ。わしは先程ちらと名前は出たが、ヒューゴ・アリエス・ユマ、この島きっての腕力を持つ男だ!!」
「ごめんなさいねマトイさん、うちの旦那が。私はシャノン・アリエス・ユマ、普段はエイプリルちゃんと一緒に畑を弄っているわ。これからよろしくねぇ。」
これ、オレの予想があっていればオレの名前はマトイ・サジタリウス・イーダになるな。しかし太陽と月の位置からこの世界が存在する惑星は地球によく似ているとは思ったが、こうして聞くとどうやら星座や黄道十二星座の存在もそのままらしい。
しかし一斉に自己紹介されると割と覚えづらいな。シャーリーとその父親がアーロン。シリル、エイプリルの息子がチャティ、同様に娘がミューゼ。壮年男性がヒューゴ、その奥さんがシャノン、と。ひとまずこの島を出るかどうかは別として、しばらくは世話になるだろう。とあらば、オレもオレにできることで何か彼らを手伝いたいが。その旨を伝えると、アーロン、シリル、ヒューゴの男衆が集まり、何やら話し始めた。
しばらくして、ヒューゴがオレの方に向き直る。
「そうだな、お前さん、何ができる?」
「すまん、今までの経験とかもほとんど忘れてるせいで、畑作も木こりもできねぇ。」
「はっはっは、まぁ生きてりゃ人間思いもよらんできごとにぶち当たることもあるわな! なら、学はあるか?」
そう言われても、この世界における一般常識は皆無なんだが。
「学……か。うぅん……多分、ある程度ならある。」
「そうか! ならばお前さんに島の開発を任せる! お前さんの将来がはっきりするまでの間、シャーリーと一緒にこの島をどうしていくか、考えてくれ!」
島の開発とは大きく出たな。つまりそれは、後々この島が多くの住民を抱える集落になった時のための計画の考案。よそ者にそんなことを任せていいのだろうか。
「よそ者? 何を言っているんだ。この島で世話になるつもりなんだろう? ならばお前さんもわしらの家族じゃあないか!」
「その考え方、オレ個人は大好きだぜ! おっさん、あんたとは仲良くなれそうだ!」
というわけで、ヒューゴのおっさん、および島の住民たちとのコネクションを取得したところで、オレたちは一度解散することになった。
シャーリーとアーロンの家に住むことになり、部屋としてあてがわれた屋根裏の小部屋に通された時だった。突如として右目の奥に鋭い痛みが奔り、やがてその痛みは右のこめかみの方へと移動していった。その痛みはオレが体の向きを変えればそれに対応するように移動する。どうやら、一定の方向にオレを誘っているようだった。
シャーリーに支えられながら痛みがする方向に取り付けられた窓を覗き込むと――。
そこには、遠く空の彼方から、一体の巨大なドラゴンが飛来する姿があった。