ポチの病気と華の老衰
飼い猫が二匹になった後、数年してポチの体調が悪くなった。
猫エイズになっていた。念のため華ちゃんも検査したが華は陰性だった。
ポチが食事を欲しがるのに、餌が喉を通らない。
食事をすると激痛が走るようで可哀想だった。
心配して動物病院に連れて行くと、食道に穴が開いていると言われた。
それから柔らかいゼリーのような食事に切り替えた。
毎食スポイトで時間をかけご飯をあげる。週に二回は病院へ通った。
給料のほとんどを治療費に使った。
ある日、私が仕事の日に母がポチを病院に連れて行った。
携帯に電話がかかってきた。
食道に開いた穴は手術できない状態だと。
生きるために食べる。食べるたびに苦しむ。
ポチは14年、生きている。食べることは体力がいることだと。
生きることを強制することはポチにとって辛いことだと。
安楽死をすすめられた。私はわかりましたとしか答えられなかった。
仕事が終わり帰宅すると、冷たくなったポチが優しい顔で眠っていた。
ごめんねポチ。何もできなくてごめんね。
ポチが許してくれたかもと思えたのは、悪夢から、夢の中で助けてくれたとき。
心の弱った私に、旅行先で多分ナニカが憑いてきて、夢のなかでポチが戦ってくれたとき。
自分勝手かもしれないけど、ポチが許してくれたような気がした。
でも本当は今でも、ポチの気配を廊下で探してるんだよ。
ポチが最後を迎えてから、猫は華だけになった。
華は大人しく賢い猫で人の言葉がよくわかった。
お外に行く?と聞いたら首輪を咥えてきたり、ゴミ捨てに行く?と聞いたら一緒にゴミ捨て場まで来てくれた。悲しいことがあって泣いているとそっと寄り添ってくれた。
しっぽはウサギみたいなまん丸だったけど、猫又になってるかもねなんて家族で話をしていた。
華ちゃんは長生きをした。推定で22才は生きた。ポチと同じ生まれ時期だとすると、22才7ヶ月生きた。
華は老衰による不整脈で度々気絶して倒れるようになった。
気絶して頭を打つようになったので、日中は父母が介護し、夜から早朝にかけては私が付きっ切りで介護した。
トイレも行けなくなったので、小児用オムツにしっぽの穴をあけ、使用した。
ある日私が仕事中に嫌な予感がして自宅へ電話を架けると、ついさっき、とても大きな声で鳴いて、亡くなったと言われた。
ポチが最後を迎えてから、7年後の同じ日だった。
そして私の家に猫は居なくなった。
でも何年かして、ふらりと野良猫が家に入ってきた。
それから、その子は我が家にずっと居る。
乳牛みたいな白地に黒い柄猫だから、黒丸と名付けたら、やっぱりセンスがないと笑われた。
私はやっぱり猫が好き。
だから私は今も猫と暮らしている。