白昼夢
畜生。待てど待てど声の返事がない。慶介おじさんは『少し待ちなさい』と言うだけ言って僕を置いていった。身近にいる訳ではないけど『親戚』の人の声が凄く遠くて、一人ぼっちになった気分だった。慶介おじさんはずっと雪兎の後見人。母しかいない僕は。殆ど動かなくなり、機械で命を留めている母は保護者ではなくなり、ただの眠り姫。まるで誘われたように『夕月』も眠っている。二度と同じような過ちは繰り返したくないし、眠り続けて、最後は管を抜き、命を終わらす運命なんて、そんなの見たくない。夕月の身体はもう『人』とは呼べないかもしれない。不思議な生命体みたいだ。もう数か月、このまま何も栄養を取らず、一行に見た目に変化がないのが現実。人間ならば餓死するだろう。本当に昔からミステリアスで、こんな特殊な体になっても彼女は何も変わりはしない。そう思うんだ。サラリと長い金髪を触れながら、匂いを嗅ぐ。もう数か月風呂にも入っていないのに、どうして無臭なのだろう。不思議に思いながらも、僕の瞳が少しずつグラついていく。誰だろう、僕を包み込んでくれて触れてくれる温もりがある。
(だ……れ……?)
何も食べずに、少し残った水分を僕の口に注ぎ、夕月に口移しする。口を抑えれば、飲み込んでくれるのだろうか。でもそんな手荒な事などしたくない僕は、唇で押さえつける。彼女が水を飲み込むまで……。それでもタラタラ唇の横から流れる水分が蒸発しながら、僕の心も少しずつ消えていく。
(もういいでしょ?雪兎……)
空耳だろうか。夕月の声が聞こえた気がした。耳元で囁くように、甘くゆっくりと呟いていた。僕の知っている夕月とは何かが違うような異変を感じながらも、横を見る。誰もいない。あるのは静寂だけ。
(夕月の声がしたのに…なんで……体はここにあるのに)
どうして耳元で聞こえたのか?夕月は眠りながら僕の腕に抱かれているのに、耳で囁く『行為』次第出来る訳がない。そうやって長いようで短い時間は過ぎ去り、スマホを持つ手から誰かの声の振動を感じた。僕は……何をしているんだっけ。見えないもう一人の夕月に似た人物に誘惑されながらも、壊れそうな固まりそうな頭を回転している。スウッと見えるのは白いワンピースを着た『幼女』に近い子供。
≪ねぇおにいちゃん。もう忘れよう≫
(え)
≪あたしに会いたいのなら…雄介に協力しなさい雪兎……≫
(あたし?)
≪クスクス。この見た目だと分からないよ?おねぇちゃん?≫
≪そうね癒智。あたし達は二人で一つ。夕月に会いたいのなら、雄介の言う事を全て肯定する事≫
(え……)
≪動揺してるよ、どうする?≫
≪そうねぇ、この状況じゃ。こう言うしか方法がないから≫
≪夕月は、体を失ってもいつでも『冷静』なんだね。さすがもう一人のうち≫
(まさ……か。これは夢?)
二つの声色が聞こえる。右耳から流れるのは『幼い子供』の笑い声と呟き。左耳を支配するのは懐かしい『夕月』の声色。
≪いい雪?あたしの体と一緒に雄介に会いに行きなさい≫
≪それは難しいよ、夕月。雄介には来てもらう方がいいよ。甲斐でもいいし≫
≪あたし達が行く方が無難なのよ。貴女の『姉妹』にも会わないといけないし≫
≪あ!そっか。そうだね。じゃあ、夕月は癒智の体で待ってて?うちが夕月を動かすから≫
≪両手両足ない身体をどうやって動かすの?≫
≪両手両足なければ、もぎ取ればいいから。サンプルも沢山あるんだよー≫
二つの声色は納得しながらも同じ名前を呟く。
『『遊離がいるから』』
数時間経っている気がした。
「雪くん……雪くん」
スマホから慶介叔父さんの声が聞こえ現実へと舞い戻る。白昼夢を見ているような感覚だった。