かえせ…
どれが本当の夕月で
どれが本当の癒智なの?
ゆちと癒智は別人なの?
混ざり合う意識の彼方にあるのは、夕月の涙だった。
朝起きると、いつもと違う日常で溢れていた。むくりと起こす体が小さく思い、自分の手を確認すると小学生のような手だった。何が起こったのか分からず、パニックになりそうになる。しかし防衛本能と言うのだろうか。心のまま動いても、発狂しても、何も変わらないような気がした。そしてこの現状を考えてみると分かる。ドクドクと鳴りやまない『心音』をゆっくりと動かす為に、深く深呼吸をする。過呼吸にならないように。ゆっくりゆっくりと。心のままに…。
「癒智。おはよう。今日は朝に起きれたんだな」
『……』
私を癒智と呼ぶ、この人は誰だろう。私の名前は癒智…?癒智…癒智。どうしてだろう、凄く不思議な感じがする。まるで別人の名前を呼ばれているみたいに。カクンと首を左に傾けると、黒髪の『青年』は私の頭を撫でながら、気づかれないように小さく溜息を吐いたような気がした。流れゆく空間は夕空の風景と共に溢れながら、心にグサリとくる。頭の中で流れる『映画』は夕空と月。凄く懐かしい題名であり、風景である。どうして『懐かしい』と思うのか自分でも理解不能。思い出そうとすると、警報音のサイレンが鳴りながら、意識を奪われそうになる。
「もう少し寝てもいいよ癒智」
見つめてくる青年の瞳は優しくも温かく見える。勿論普通の人が見たらだ。私から見たら温もりに包まれているように錯覚を演じながら、本当の自分を隠しているようにしか見えない。観察するとそんな感じ。例え気付いた事があったとしても『気付かない振り』をしなさい。誰かに残された言葉が身体を巡って思考の奥底の中枢へと入り込み刺激する。支配されていく。青年…いや『彼』と呼ぶ事にしよう。彼から毀れる言葉は二つの言葉が存在している。口で零す言葉と心で毀れる言葉。何故だろうか。二つの言葉と感情が私には全て筒抜けだ。
特殊能力みたい。自分自身の呟きは空気に消され、私の心の微笑みに変換されていく。残り香は何も残さない。残らない。誰の耳にも私の言葉や感情は届かないと思うから。
「癒智、何か言った?(空耳か……?)」
私は癒智なのか不明だが、この癒智と言う身体の持ち主の身体を使っている訳だから、癒智を演じてあげよう。そう……啓介に。
「何も言ってないよ?慶ちゃん」
無意識に出る言葉は私のものではない。彼と出会ったのは今なのだから。初対面の彼の名前をどうして知っているのか。呼び名やもう一つの名前までインプットされているのか……。まるでアンドロイドみたい。
私は誰なのだろう。
癒智とは私なのだろうか。
リンクする心と体。
≪うちの身体を返せ≫
≪夕月に取り込まれるなんて……≫
≪うちは人間になるのに、邪魔するな≫
≪この身体は『癒智』うちの為に創られた作品≫
≪かえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせ≫
夕月とは誰だろう。
この声の主が『癒智』なのだろう。
私が口を開き声を発そうとした瞬間、違う音色が流れる。
「うちの……から……だ……」
その呟きを聞いたのか聞いてないのか知らない『啓介』の口元が笑みを零した。