言葉の迷路
静寂の中で響く音は金属音。このキーンと言う美しい音の主は『デュポン』の音。蓋を開ける時のこの音を聞く度ゾクゾクするのは親父もだろう。だからこのデュポンを片時も離せない。俺も何度も聞いているが、凄く安心する音でもあり、人の捉え方では刺激を与える音でもある。不思議な音色なんだ。1872年に若きシモンに創立された『デュポン』成功者の証、そして男のシンボルとも言われている。それを何個も揃えコレクションとして飾る親父は『成功者』の鏡なのだろう。
「いい音だな」
そう呟く声がクロスしながらデュポンの音色と争っているみたいに掻き消す。
『この音聞くと最高に頭の回転がよくなるのさ。私の神経の一部なのかもな』
「面白い表現するよな、親父」
『お前の親父だから、な』
そんな言葉なんてどうでもいいと思う人達がいるかもしれない。だがこれは言葉の、心理の争いの序章になるのだから、これがきっかけになる。傍から聞けばただの普通の会話にしか聞こえないかもしれないが、聞く人によれば、この会話の意味がどういう意図を組んでいるのかすぐに理解出来ると言うもの。
「ははは、じゃあ俺の事は何でもお見通しって訳かな?」
これは挑発でしかすぎない。ここで少しでも感情の乱れを表に出すと、俺に弱点をさらけ出す事にもなるし、囲い込む事も簡単であり、可能な事。さあ、この暗黒の蜘蛛の糸から逃げれるのかな?逃げる選択肢を考えるのは普通のモノの見方だが、俺からしたら普通でも、他人からしたら普通ではない。だからここでの『普通』は俺の価値観で言わせてもらおうか。その方が理解しやすいと思うし、言葉をバラバラにして、誘導しながら、テストの答案用紙の問題みたいに、答えを導き出すのも一つの楽しみだから、好きなように捉えてくれたらいいさ。さあ、この俺の吐いた言葉で少しでも恐怖や疑問が出てきてしまったのなら、もう言葉の術にはまっている証拠。何を言っているのか理解出来ないと思う事こそが一種の『綻び』なのだから。人はその綻びさえ出来れば、簡単に『壊す』事が可能。善と悪の言葉を巧みに使いながら、頭脳の思うままに道順を作る。そうやってこの『ゲーム』を楽しみながら、酒に酔ったように酔いしれて、溺れていけばいい。十中八九、この心理学から逃げる事は不可能。今までの俺の経験では、一度もミスを犯した事はないから。自信がある。まぁ、例えミスを犯したとしても、追い詰められたとしても、それは負けや恐怖などではなく、また一歩自分の『スキル』を身につけれるチャンスでもあるから、どちらに転んでも、この『楽しみ』は持続していくものなんだよ。
『お前の思う通りの答えでいいよ』
ほう。その言葉で来るか。へぇ賢いじゃないか、さすが親父。色々な人脈を動かす黒幕と言うのも嘘ではないのだな、と思いながら、全身を震わす自分の衝動を抑えるのに、必死だ。こんなゾクゾクした心理戦は、親父としか出来ないから。最近癒智とばかり居たせいで、この世界の空気を忘れていた気がする。改めて実感したよ。自分の立場と言うものを……。警戒心と自分の答えを呟かない時点でそれは逃げと捉える事も出来るし、様子見と捉える事も出来る。また別の見解では自分が『悪』にならない為の責任を負えないと言うサインでもあると推測出来る。一つの価値観で留まるより、複数の価値観を取り込む事により、複数の答えが産み出さられ、全て混ぜて相手を『分析』しながら『伝言ゲーム』を応用する。この言葉に引っかかっていけば、もう親父は俺の言葉の迷路から逃げる事は出来ない。
ははははあはは、そう『一生』な。