過去の檻
ベンツは親父の趣味だ。毎回の如く車をコロコロと替える。目移りするのも分からないでもないが、もう少し考えてもらいたい位だ。まぁ『親父』と言っても実の親でもないし、俺を拾った『物好き』な人。実の親と育ての親、二人いる。どちらもロクデナシな親。今俺が呼ぶ『親父』はある意味それ以上かもしれないが、俺は嫌いじゃない。寧ろ、あの親達以上に好ましい人種なのかもしれない。
『雄介様、着きましたよ。お義父様がお待ちです』
「早くついたな」
『お時間があまり取れないと聞きましたので』
「へぇ、俺の行動把握してるんだ」
『お義父様の命令ですから、ご勘弁を』
「はいはい(親父の犬が…)」
黒服の男の名前は禽上甲斐。俺と同じ年、今年で32歳になる。同い年と言うのもあるが、俺の事をよく思っていない狐の一人。仕方ないかもしれない。本当ならこいつが親父の後継者なのだから、それがパッと現れた俺に奪われる。屈辱しかないだろうな。ベンツから降りた俺は、トコトコと廃墟の奥へと進んでいく。
(懐かしい)
ここは…俺のもう一つの思い出の場所。『啓介』としてではなく『慶介』としての過去の欠片。ここから全てが始まり、そして再びここに舞い戻る。まるで過去の檻に閉じ込められたみたいだ。冷たい空気が流れながら『雄介』を包む。記憶がさかのぼりながら『壊命』を彩っていく。
「雄介だろ?俺だよ」
『そんなの分かってるよ』
あの時の頃の慶介と雄介がいる。時は流れ、遡る事は許されない。全てを消し去るのが俺のするべき事であり、隠す事でもあるのだから。
(あの時は……まだよかったのだろうか…)
今の俺には何が正しかったのか、何が不正解か分からない。流れに身を任せながら、漂い流れていくしか方法を知らない。
「遅かったな……雄介」
「……!」
リンクしていくのは過去と現在。過去に埋もれていた俺を親父の声が呼び起こした。その声と存在が雄介と重なったのは何故だろうか。別人なのに、どうして同一人物のような錯覚をしたのだろうか…。その答えは俺には分からない。
「どうした雄介?そんな驚いて」
「い…いや、何でもねぇよ」
「…ふうん?ならいいのだが」
「……」
いつでも感情を出してはいけないのが雄介。脳が壊れた人間を演じるのは自分自身を壊して成り立つ作業の一つ。少しの過去の匂いに心を搔き乱されていては、雄介として生きていくのは不可能に近い。過去を忘れるんだ、大切なのは現在なのだから。リスクを背負ってまで、思い出す事ではないんだ。
「…親父、携帯貸して」
「ああ、そうだったな。雪君と接触するのだな?」
「俺の我儘だ」
「いいのだよ、彼に目を付けるとはさすが模造品候補」
「その話はいいだろ。甲斐に悪い」
「いいのだよ、甲斐の事は雄介、お前が考える事ではない」
「ああ」
親父との会話はいつもこんな会話から始まり、同じように終わる。ああ、イライラする。煙草が吸いたい。雄介は壊れた人形、自我はないはずなのに、俺には自我がある。
(そりゃ別人だからな。俺は雄介になりきっているだけの弟慶介だから)
昔関わっていた奴らにさえ会わなきゃ、どうにか切り抜けれる。そう思っているのは、俺の弱さと甘さかな?