支配下
人は同じ事を繰り返しながら、少しずつ強くなっていく。本当の強さと言うものは、自分の弱さを認める所から始める。泣く事も、自分を見つめなおす事もして、本当の強さを獲得できるものなのだから。それが出来なかったのは現在も、過去も同じだったのかもしれないけれど…。あたしは雪兎の言葉の欠片で、過去にトリップしてゆく。歪んだ頭の中の映像は、あたしを地獄に堕としていく。それを助ける人なんて、誰もいないと思っていた。あの時までは……。
暗闇の中で立ち尽くす自分の姿が、悲しく揺れている。近くには誰もいない…そう思い込みながら、現実逃避を試みる。心の感情を喪失すると、他の身体の機能にまで影響がいくの。あたしの場合は瞳だった。一番最初の異変。それは視界の色彩を失う事だった。何を見ても、色が白。風景も、人も、どんなものを見ても、何も感じない。彩りが何もないの。心が固まっていく、冷たく冷たく。ぶたれた頬は悲鳴を上げ、口から血を垂れ流す。涙も勝手に流れていく。左目で回りを見て、色を失った事実を知った。右目は何も見えない。感じるのは、何かがポタリと流れ落ちている事だけ。
『夕月…愛しているよ』
誰かの声が右耳から聞こえる。フウと吐息を吐きながら、まるでおもちゃをつぶすようにあたしの心も体も壊していく。
『何も見なくていい。見ないほうが幸せだから。愛しているよ』
そうやって壊れたあたしを抱きしめる。そして押し倒し、首を絞め続ける。
『一緒に死のう。それが一番いい。君がついてきてくれるなら、私は幸せなんだよ。何もいらない。私が欲しいのは…』
――夕月、君の命そのものさ――
「……」
『苦しまなくなったね、やっと、ここまで狂わせれた。例え私の存在が消えたとしても、君の心の傷跡は誰にもふさぐ事は出来ないよ?ここまで君を狂わし、破滅へと追い込んだのは、自分のものにする為だからね。そこまでする人間は、私以外しないだろうね』
「……」
『人形は喋らなくていい。私の亡霊と共に君は生き続ける。そして私は君の心のトドメを打つ為に死の世界へと足を踏み入れるよ』
――二度と忘れられないだろう?私の事を――
「……」
『君は言葉を発する事を許さないと命令したからかな、無言なのは。よく出来たね。さすが私の支配下。可愛い操り人形だよ。……一生ね』
「……」
『うーん…何も返答がないのは寂しいかもしれないね。君がいるのに、私のモノになった君が傍にいるのに、話せないのは悲しいから。喋っていいよ。私が自殺をするまで、君と最後の会話を楽しみたいからさ』
「……これで満足ですか?」
『あはは。満足じゃないよ、まだ私の支配は完璧じゃないからね。私が君の心を壊す為に死ぬのに。こんな程度で満足なんてするかよ。私の死が成立して、呪縛は始まるのだから』
「…呪縛?」
『そうさ。君は何も知らなくていい。これは僕のシナリオだからね。誰も愛せないように君を私のものにするから、待っててね』
「…あたしは貴方のモノじゃありません」
『私のモノだよ?罠にかかった哀れな子羊だね。体にも色々異変が出てきているだろう?僕はここだよ?見えてないの?』
「……」
『あはは。もっと攻撃すれば君は失明するかな?それもいいね。誰も近づかないように、殴り続けてあげようか』
「ころして」
『え?』
「お願いします。あたしを殺してください」
『何言っているんだい?君を死なす訳にはいかない。生きて苦しんでもらわないと困るんだよ』
「……」
『君を逃がす訳にはいかないからね』
「そうやってあたしから自由を奪うの?」
『君に自由なんてあると思うの?』
「……あたしだって…」
『あたしだって…何?はっきり言わないと分からないよ?』
「人間だもの…自由がある」
その言葉を吐いた瞬間、周りの空気が変わる。あたしとあの人を取り巻く全てが、灰色になり、徐々にドス黒くなっていく。吐く言葉を間違えたと考えたけれど、一度吐いた言葉は取り消せない。その現実を知っているからこそ、この静寂に恐怖を感じる自分がいるの。
『君に人間としての自由があると思っているのかい?』
「……」
あると思っていると言えば、また崩壊が始まるのがオチだ。だから何も言わずに、知らない振りをするのが一番の得策だと思うの。完璧に実行する事なんか出来ない過去の夕月は、少しのミスであの人に心の状況を伝達してしまう。
『私に嘘が通用すると思っているのかい?目が泳いでいるよ。まだ君は僕の支配下とは言えないか…』
それは恐怖の始まり、また始まるあの苦しみが。体を震わせながら、コンクリートのように固まる自分がいる。
『君から視覚を全て奪って、廃人にしてあげるから、楽しみにしていてよ』
ふふふと笑い声が耳を刺激し、あたしは幼い子供に堕ちてゆく。誰にも止められない。