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初日


 ああ、あの感覚だ。また、やってきた。近江富士は感じた。土俵にあがる前、金の玉とどういう相撲を取るか、近江富士は色々と考える。


 土俵下で、東の控えに座る金の玉の姿を見る。金の玉が、自分のほうを見ている。その視線は実に穏やかだ。勝敗の場に臨む勝負師の目とはとても思えない。自分を凝視しているわけでもない。彼は対戦相手ではなく、もっとはるかなものを見ているのだろう、近江富士はそんなことも思った。

 金の玉の姿を見ている内に、どういう相撲を取るかという思いが、脳裏から去っていく。


「ひが~~し~~、きんの~~た~~ま~~」「に~~し~~、おおみ~ふ~じ~~。」

 呼出しが両力士を呼び上げる。金の玉と、近江富士が土俵にあがった。金の玉も、近江富士も高々と伸びやかに四股をふむ。


 仕切が続く。金の玉の仕切姿は、羽黒蛇のそれと同様、今や国技館の呼び物のひとつだ。静かなたたずまい。無駄な動きはいっさいない。これ以上削ぎ落とすことはできないであろう、という必要最小限の動きだ。

 そして動作は実にゆったりしている。仕切の最後に呼出しから差し出されるタオルを手にすることもない。だいいち彼は、本場所の土俵上で全く汗をかかない。


 本来、極めて三枚目的な四股名も、この仕切を見せられると、そんなつまらないことで揶揄することが、愚かなことと思わせられてしまう。

今、その四股名は、変な連想をもたらすことなく、元々の字義通りに受け取られている。

金色に輝く玉。美しい四股名である。

そして、征士郎。響きがよく、決然とした印象を与える美しい名前である。

金の玉征士郎、その名は崇高なものとなり、神韻を帯びる。


 近江富士は、他の力士との対戦の時は自分のペースで仕切る。しかし、金の玉とのときは、いつの間にか自分の仕切のペースが金の玉に同調していることに気付く。勝つとか、負けるとか、そんなことにこだわっている自分がばかばかしくなってくる。ただ、この男とふたりで、この土俵の上で、美しい時間を過ごしたいと思う。


 立ち上がった。はっと気が付き、右上手を取りに行こうとするが、そのときには、もう土俵の外に押し出されていた。

 礼をして土俵から降り、近江富士は夢から醒めたような気分になった。

今場所も、まるで相手にならなかったか。俺が、あの男に勝つ日はやってくるんだろうか。

 悔しくない、と言えば嘘になる。だが、それ以上に、何やら清々しい気持ちになっている自分に気が付く。いい夢を見させてもらった。そんな気持ちだった。



 野望は潰えた。天才美少年力士、豊後富士は、羽黒蛇に対し、立ち合いで当たってから突っ張り、いなして右上手を取り、自分充分の左四つに持ち込んだ。よし、と思い、寄った瞬間、横綱の左からの掬い投げで、土俵に裏返った。


初日の取組結果(数字は幕内での対戦成績)

  勝              負

金の玉 (一勝) 1(押出し)  0 近江富士(一敗)

緋縅  (一勝) 3(寄切り)  1 神ノ山  (一敗)

荒岩  (一勝) 2(浴びせ倒し)1 獅子吼岩 (一敗)

早蕨  (一勝)10(突き落とし)5 白根山 (一敗)

若吹雪 (一勝) 1(寄切り)  0 竹ノ花 (一敗)

伯耆富士(一勝) 4(切り返し) 0 曾木の滝(一敗)

玉武蔵 (一勝) 4(はたき込み)2 若飛燕 (一敗)

羽黒蛇 (一勝) 1(掬い投げ) 0 豊後富士(一敗)

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