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吉原の大将  横綱玉武蔵、強豪力士たちの点描

 もうひとりの横綱、巨漢、玉武蔵達夫は豪放磊落な人物であった。

玉武蔵も独身である。彼の女性の趣味は、羽黒蛇と比較すると、もっと本能的だ。

玉武蔵は、関取になる前の若いころ、「ソープ君」というあだ名で呼ばれていた。小遣いが入ると、玉武蔵はせっせと風俗に通った。

横綱になった今もそれは変わらない。「ソープ君」は「ソープさん」に変わり、今はそのあだ名で呼ばれることもほとんどなくなった。

横綱審議委員会からは、しばしば、「横綱の体面を考慮して、風俗通いは慎むように。せめておおっぴらには行かず、隠れて行くように」という勧告がなされる。

しかし、横綱はめげない。

「このでかい体で、どうやって隠れて行けるんだ」

玉武蔵は、ソープランドを愛する。

羽黒蛇が、一部のファンから「アキバの御大」と呼ばれるのに対して、玉武蔵は「吉原の大将」と呼ばれる。

玉武蔵は相撲を愛し、人生を愛し、相撲界の頂点にたった自分自身の立場を大いに楽しんでいた。既に大横綱としての赫々たる戦績も残している。優勝二十三回。一部の謹厳な識者からの「素行に問題あり」との反対はあるが、引退後、一代年寄が授与されることは間違いないであろう。

だが、ここのところ、玉武蔵は、あまり面白くない。数年前までは歯牙にもかけていなかった羽黒蛇がどんどん力をつけ、すっかり勝てなくなってしまった。通算の対戦成績では、まだ十六勝十二敗と勝ち越しているが、ここのところ七連敗だ。最近は、先場所も含め、腰の故障によりしばしば休場もしているので、最後に羽黒蛇に勝ったのは、もうほとんど二年前のことだ。

三十の大台にのった自分の年齢のことも考慮すれば、そろそろ引退の潮時かとも思う。ここのところの相撲界は、有望な若手力士が陸続として表れている。

だが、あと一回でよいから羽黒蛇に勝ちたい。羽黒蛇に勝ってやめたい。玉武蔵はそう思っていた。

そして、若手の中でも豊後富士。この夏場所に初めて本場所で顔を合わせることになるが、あの男には負けるわけにはいかない。あんな顔をした小僧に、大横綱である儂が負けることは許されない。

 玉武蔵はかたく決意していた。



 照富士三兄弟の長兄、大関伯耆富士にとっては、きたる夏場所は横綱をかける場所になる。たとえ優勝できなくとも、十三勝すれば、初場所以降の三場所通算、三十八勝となる。一時期、やたら横綱昇進基準が厳しかったときがあったが、長い相撲史における幾多の横綱昇進例を概観すれば、この星なら昇進させるべきだ、という意見が今は主流だ。十二勝だったとしても昇進でいいではないか。との声もある。

 伯耆富士洋は、弟の明と同じく、少年時代は野球をやっていた。しかし、野球の才能では二歳下の弟に敵わない、と思い知らされ、中学生になったのを機に、野球をやめ、相撲を始めた。

 元々、大横綱、照富士の息子である。相撲は洋にとって、野球よりずっと合っていたようである。

中学時代から、各種大会で実績を残し、入門後も出世は早い。

技巧派の名人横綱でもあった照富士の衣鉢を受け継ぎ、今や現役有数の多彩な技を誇る名人大関である。

史上初の親子横綱誕生は間近い、というのが周囲の一致した評価である。


 彼はなかなかの読書家であり、特に推理小説を愛した。

 エラリー・クイーンの「Yの悲劇」。島田荘司の「占星術殺人事件」。綾辻行人の「時計館の殺人」。これまで読んだ推理小説の中では、この三作が最高だ、と思っていた。

こんな作品を自分も書いてみたい、と思い立った。

キャラクターは、すぐに思いついた。現役のお相撲さんが探偵役。シリーズのタイトルは「関取探偵」。

ワトソン役はふたり。現役の行司と呼出しである。

 結果的に犯人は必ず、女性。

 物語の最後で、探偵役の関取が、真犯人を指差しながら「犯人ほしは、星(相撲界の隠語で女性の意味。美人は金星)のあなたです」と指摘する。何故かその場面では、土俵上での装束に身を包んでいる行司が、軍配を掲げながら「これにて千秋楽でございます」という決め台詞を言いながらお辞儀し、その横で、やはり装束姿の呼出しが柝を鳴らし、一件落着。

 アイデアも色々考えてみた。

「本場所の土俵上を舞台にした密室殺人」

「容疑者は、関取探偵のライバル力士。しかし、殺人が行われたはずの時間、容疑者は、ほかならぬ関取探偵自身と本場所の土俵上で対戦しており、その映像は全国放送で流れていた、という鉄壁すぎるアリバイ。さあ、どうやってこのアリバイをくずす? 関取探偵」

 秀逸なアイデアだ。と、伯耆富士は自賛した。だが、このアイデアをどうやって具体化すればよいのか、思いつかなかった。

犯人は、前者は「作者」。後者は「神様」にしようか、というアイデアは浮かんだ。

「作者」に、そして「神様」に不可能なことはない。


が、しばし考えた末、

「それは、やめておいた方がよい」と判断した。

したがって上記のアイデアに基づく、1%の激賞と、99%の批難をあびたであろう推理小説は、まだ世に出ていない。



 大関、若吹雪は、相撲史オタク。相撲の記録マニアである。さほど知識をひけらかすわけではないが、メディアが間違ったことを言うのは許せない性分だった。

 取材にきた新聞紙の記者に「今日の朝刊の記事、過去の記録の間違いがありましたよ」と指摘したり、支度部屋に置いてあるモニターの相撲中継を見ながら、「今、間違ったな」とつぶやいている、という場面を多くの関係者が目撃していた。

 ある日、それは若吹雪がまだ大関になる前のことだが、学生時代に、相撲がテーマとなったクイズ番組に優勝した経歴をもち、相撲の記録に関する知識にも多大な自信を持っていた中央テレビの門岡記者との間で、こんなやりとりがあったそうだ。

 「若吹雪関。私は、学生時代、相撲クイズで優勝したことがあるんです」

 「知っていますよ。「難問速攻解答」でしょ。門岡さんのこと、覚えていますよ」

 「そうですか。それはどうも。私、ちょっと自慢させていただきますが、優勝制度が始まって以来の優勝力士をすべて記憶しているんですよ」

 「ほう、それはそれは」

 「若吹雪関も相撲の記録には相当詳しいと伺っています。よろしかったら、何か問題を出していただけますか」

 「そうですね。それでは、第五十代横綱、佐田の山の優勝回数は」

 「六回です」

 記者は即答した。特に難しくもない問題だ。よし、少し驚かしてやろう。

 「その六回をもう少し詳しく言ってみましょうか。

  昭和三十六年夏場所、平幕で優勝、十二勝三敗。

昭和三十七年春場所、関脇で優勝、十三勝二敗。

昭和四十年初場所、大関で優勝、十三勝二敗。場所後横綱昇進。

昭和四十年夏場所、十四勝一敗。

昭和四十二年九州場所、十二勝三敗。

昭和四十三年初場所、十三勝二敗。以上です」

 「なるほど。たいしたものですね。さすがクイズの優勝者」

 「いえいえ」

 「まあ、それはそのとおりですが、それじゃ、その初優勝の場所の三敗は、何日目に誰に負けたんでしたっけ」

 何を言ってるんだ、この人は。門岡は思った。

 「四日目、清ノ森に肩すかし。八日目、松登に寄切り。十一日目、安念山に押し倒しで負けていますね」

 「・・・・・・若吹雪関」

 「はい」

 「もしかして若吹雪関は、あとの五回の優勝についても、それが全部言えるんですか」

 「ご想像にお任せします」

 この話は、相撲を担当する記者の間ですぐに知れ渡った。以降、若吹雪に取材するときは、各記者は、ある種の緊張感を覚えさせられることになった。

 なかには、記録を調べる必要があるとき、若吹雪に問い合わせてすませる、ちゃっかりした記者もいた。

若吹雪は、いつも嬉々として教えてくれた。



 大関、早蕨。やや小柄で、押し相撲である。金の玉が、今の相撲を身につけることができたことについては、この人の寄与が大である、と言われる。

妻帯者で、去年、第一子となる女の子が生まれた。物静かな人柄で、しばしば美術館で、その姿が目撃される。趣味は絵画鑑賞。特にコロー、坂本繁二郎、金山平三の絵がお気に入りだった。

四股名は、彼の人柄を愛する、源氏物語の女性研究者であるファンが考えた。



 関脇、荒岩。よくよく見ればなかなか味のある顔をしているのだが、一見地味な風貌である。今は、若手美男力士が何人もいるので、彼には若い女性ファンは、あまりいない。彼のファンの年齢層はかなり高目である。

だが、彼は気にしない。彼は、二十歳の若さであるにもかかわらず、結婚はお見合いで、と決めている。

僕は、女の子には持てないけれど、高収入だし、結婚相手の条件としては、とてもよいはずだ。だから、かなりのレベルの女性を紹介してもらえるはずだから、その中から、選べばよい。それに僕は、女の子本人には、どう思われるかわからないけど、ご両親には気に入られる絶対の自信がある。親のいう事はよく聞く、素直な性格の美人さんが、僕の将来のお嫁さんになるに違いない。これが、荒岩が思い描く、明るい未来である。

そう、荒岩亀之助は、目上の人をきちんと敬う、礼儀正しく謙虚な好青年なのであった。



 照富士三兄弟の末弟、豊後富士照也は、稽古場の大鏡に映る自分の姿に、いつもうっとりしてしまう。

豊後富士は美少年である。そして誰よりも自分自身がそのことをしっかりと意識していた。

父、照富士も二枚目力士として人気は高かった。その血をひく兄ふたりも美男力士である。しかし、伯耆富士と近江富士が、一般人としてかなりの美男、というレベルであるのに対して、豊後富士は、芸能人の中に入ったとしても際立つ、というレベルの、美男である。

 若い女の子の間では「照さま」と呼ばれ、絶大な人気を誇る。

マスコミは、彼を「フンドシ王子」と呼んだ。


 豊後富士は、容姿だけでなく、歌も上手かった。

 夏場所後にレコーディングして、歌を出すことも決まっている。タイトルは「土俵の王子様」。

高名な振付師による、四股、鉄砲、すり足といった相撲の基礎訓練を基調とした、歌のフリも決まっている。歌って踊れるお相撲さんだ。

 この話を聞きつけた兄ふたりが「俺たちも混ぜろ」と言ってきた。レコード会社も、願ってもない話と、シングルデビューする末弟と別に、三兄弟によるトリオの歌手デビューも決まった。

トリオの名前は、「照富士三兄弟」と、いたってシンプルだ。

曲のタイトルは「土俵を駆ける青春」。

昔のヒット曲を基調とし、それにアレンジを加えた曲だ。 


 超人気力士、フンドシ王子豊後富士照也が、夏場所、ついに横綱、大関陣と顔を合わせる。



 金の玉征士郎が入門し、幕下十枚目格付出となった初場所、近江富士明は、幕内力士になれてはいなかったが、東幕下三枚目まで昇進していた。

その場所の七日目、三勝同士で、ふたりは対戦した。

近江富士は、立ち合いからの一気の押出しで、金の玉に敗れた。

 翌春場所、前場所六勝一敗だった近江富士は、東十両十四枚目。前場所、七戦全勝だった金の玉は、

西十両十四枚目。

 ふたりは、初日に顔を合わせたが、近江富士は、やはり立ち合いからの一気の押出しで、金の玉に敗れた。

 この場所の近江富士は、金の玉以外にもう一敗して、十三勝二敗。金の玉、十五戦全勝。

捲土重来。きたる夏場所の三度目の対戦では、近江富士は、金の玉との相撲の際、まだ一度も取れていない、彼の廻しを掴みたかった。

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