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アキバの御大 横綱羽黒蛇

「国技」の増刊号に、長田が書いた記事が収載された。それは金の玉の立ち合いを論じた文章だった。

羽黒蛇の立ち合いは後の先である。対戦相手が動くのを待ち、動いてから、羽黒蛇も動く。

そして、金の玉もまた同様であった。


 長田が書いたのは、そのことを紹介した記事である。羽黒蛇の四十連勝中の取組。そして、金の玉の入門以来の二十二番、さらにアマチュア時代の、長田自身の撮影も含む主要な対戦。あらためて、そのすべてのビデオを見てみた長田が発見したのである。

 羽黒蛇が後の先の立ち合いであることは、一般ファンの間でも知れ渡っていた。が、金の玉もそうであるとは、長田が紹介するまで気が付かれてはいなかった。

 金の玉は、絶妙のタイミングで、対戦相手と、ほぼ同時に動く力士であると思われていたのだ。だが、そうではなかった。羽黒蛇よりも、さらに短いタイミングで、相手が動いてから、動いていた。

 ビデオを超低速で流し、さらにカメラで連写した写真を並べて、長田は、それを見つけた。


 その記事が出た翌日、長田は、羽黒蛇から連絡を受けた。

 長田の手許にある、すべての金の玉のビデオを貸してほしい、というのが依頼内容であった。

長田は、快諾したが、ひとつ条件をつけた。

「横綱が、そのビデオを見られるときは、私も同席させてほしい」と。

電話口で、苦笑している様子が想像できたが、羽黒蛇は受け入れた。


 日時を約し、二日後、長田は、そのまま横綱に進呈するため、すべての映像をコピーしたDVDを持参した。

まだ独身の羽黒蛇だが、部屋からほど近い場所にある豪華なマンションを購入していた。庄内部屋にある彼の個室もそのままにしており、部屋とマンションを行き来する毎日であったが、その日は、マンションの、モニターを置いてある居間で、余人を交えず見ることとなった。


 羽黒蛇が、金の玉のビデオをすべて見終わった。

横綱は沈黙していた。

 長田からは話しかけなかったが、五分経っても、十分経っても、やはり、羽黒蛇は黙ったままだった。

同じ部屋に長田がいることも忘れているのではないか、と思った。

三十分経った。羽黒蛇の視線が動き、長田をとらえた。

横綱のため息を長田は聴いた。

「横綱」

長田はおそるおそる、羽黒蛇に話しかけた。

「どうでしたか。金の玉の相撲は」

横綱の口がようやく動いた

「無駄がなく、すべてが理にかなった動きというのは、あれほどに美しいものなんだな」

 この答えは長田を驚かせた。それは、羽黒蛇自身の相撲について、識者が評している言葉ではないか。

そのままを横綱に聞き返した。

羽黒蛇は、またしばし沈黙したのち、静かに話し始めた。

「相撲の取り口の理想というものは、ひとつではないと、私は思っています」

「はい」

「先ず、圧倒的な力で相手を制圧する相撲。雷電、太刀山、現役では、言うまでもなく玉武蔵関の相撲がそれにあたるでしょう。攻めを基調とした相撲です。体に恵まれ、卓越した力をもつ力士のみが取ることのできる相撲です。ですが、力に頼る相撲だけに、乗じる隙を見出すことも可能ですし、その相撲をしのぎきれるだけの力をつければ、対抗し、超えることも可能な相撲だと思います」

 それは、この横綱の実際の経験に基づく、感想であろう。長田はそう思った。

それにしても、

自分は、今、極めて大切なことを、大横綱羽黒蛇から聴こうとしている。長田は緊張した。


「次に、双葉山関の相撲です。後の先の立ち合いから、相手の動きに対応し、自然なかたちで勝利を得る。どちらかといえば守りを基調とした相撲です。近年でいえば、貴乃花関が、横綱に昇進する直前二場所の相撲がそうであったかと思います。私もこの相撲を、自らの理想として、双葉関の域まで達したい、と思っています」

「横綱は既に、その域に達しておられると思いますよ」

羽黒蛇は、否とも応とも答えず、軽く微笑んだ。


「が、理想の相撲はそれだけではない。もうひとつあると思っています」

もうひとつあるというのなら、横綱の口から出てくるのは、あの力士ではないか。長田は思った。

「栃木山関です」

当たった。長田もまた、金の玉の相撲からは、その力士を連想していた。


 栃木山守也。史上の強豪十傑に必ず名前があがる、大正年間に活躍した大横綱である。優勝九回。三場所連続優勝継続中でありながら、突然、引退。頭が薄くなり、髷が結えなくなったことが原因との説がある。その後、全日本力士選手権に、引退後六年経っていた栃木山が年寄春日野として出場。時の第一人者であった玉錦をはじめ、現役力士を破って優勝したという逸話の持ち主でもある。


「私は双葉関の相撲を理想と思い続け、今は相当に近づけたのではないか、と思っています。しかし、心の中に、この相撲は、本当に理想の相撲だろうか。まだ動きが多すぎるのではないか。理想の相撲とは、あるいは、もっとシンプルなのではないか。そんなことを思うこともありました。それは、昔、栃木山という力士がいたことを知ったからです。文章で読む、栃木山の相撲っぷりが、私の考えていたもうひとつの理想の相撲なのかもしれない、と想像はできましたが、映像はほとんど残っていないので、実際はどんな相撲だったのか分かりません。見たい。そう思っていました」

羽黒蛇は、今まで食い入るようにみていたモニターのほうに目を向けた。

「今日、分かりました。栃木山関は、きっとこういう相撲を取ったのでしょう」


 長田は驚いた。金の玉ほどではないにしろ、羽黒蛇も寡黙な力士である。自らの相撲を語ることもほとんどない。それが今日は、かくも饒舌に語っている。


「金の玉関は、アマチュア時代は、どちらかといえば双葉山型の相撲を取っています。あの体格で、その相撲が取れるということも驚きですが、入門前の、国体、日本選手権から、相撲が、変わっています。最も少ない動きで勝利する。一見、とても単純な相撲になっています。この間に、彼の相撲を変えるなにかがあったのでしょう」

ここまで語ると、羽黒蛇は、また沈黙した。


 長田は、質問した。

「横綱、金の玉関は、まだ十九歳です。その若さで、相撲はもう完成されているのですか」

「完成しています」

羽黒蛇は、あっさりと断定した。

「横綱」

長田はさらに訊いた。最も訊きたかったことを。

「金の玉関と今対戦して、勝つのは横綱ですよね」

しばらく黙ったあと、横綱は静かに頷いた。


 今日のことを記事にするな、とは羽黒蛇は言わなかった。

自分はジャーナリストとして、大変な特ダネを手に入れた。そのことも長田にはよく分かった。

だが、少なくとも、羽黒蛇と金の玉の最初の対戦が終わるまで、今日のことを記事にしてはいけないのだ。

長田は、そう思った。

それにしても、と、長田はさらに思った。

横綱の趣味は知っていたけれど、あのDVDの数はすごいな。


「今、金の玉と戦って、勝つのは私か」

長田が辞去したあと、ひとり居間に残った羽黒蛇は、心の中でつぶやいた。

横綱のプライドか。え、羽黒蛇さんよ。

羽黒蛇は目を閉じた。

先程見続けた金の玉の相撲の映像が、脳裏から離れない。

「勝てないかもしれない。あの男には」


玉武蔵と言う巨大な存在に追いつき。彼を超え、ようやく角界の第一人者となった。

自らが目指した相撲も完成した。

それなのに・・・・・・。


ひとつだけ、金の玉に確実に勝てると思われる方法がある。

金の玉の取組の映像を見終わったあとの沈黙の時間の中で、羽黒蛇はそれに気づいた。

金の玉の相撲は完成されている。ひとつの完璧な型が出来上がっている。

私が完成させた後の先の立ち合いよりも、さらに絶妙な短いタイミングでの後の先の立ち合いから、

見事としかいいようのない角度で相手に当たる。そしてそれは、全力で、すべてをそこにかけるという種類の当たりではない。相手がたとえ変わっても、柔軟に対応できる余力を残した当たりだ。現に、金の玉の初土俵以来、三人の力士が立ち合いに変化しているが、金の玉はこともなげにその変化に対応し、あっさりと押し出している。

当たってからは、右で筈押し、左でおっつけ、相手を最短距離で押し出す。判で押したような相撲だ。


 要はその完璧な型をくずせばよい。立ち合いがポイントだ。くずす方法は、体を開いての変化だけではない。私が考えた立ち合いを他の力士がやっても、金の玉には通用しないだろう。だが、私ならそれで勝つことができるだろう。

だがそれをやるのか、本当に。私自身の型をくずして。記録の上で白星がついたとして、それで満足できるのか。どうなんだ。横綱羽黒蛇六郎兵衛。


 しばし思いつめたあと、羽黒蛇は、

まあ、とりあえずはDVDを見よう。

と、AKB48を鑑賞した。


 羽黒蛇はアイドリアンである。

AKB48については、まださほど有名ではなかった時期から目をつけ、秋葉原に通っていた。

ただAKBの中でも最も好きだった、初期からのメンバーで、チームBに属するアイドルが、近年脱退してしまった。

 羽黒蛇は残念でたまらない。


 羽黒蛇が属する庄内部屋はもともと小部屋だった。羽黒蛇が入門した時、部屋に関取は不在で、弟子は五人しかいなかった。

 今も庄内部屋には、関取は羽黒蛇しかいない。しかし、弟子の数は、二十人近くまで増えた。今、二十歳前後の若手が四人、幕下上位に集結している。

 庄内若手四天王と称されるこの力士たちは、ずっと本名を四股名にしていたが、最近、新しい四股名がついた。四股名を考えたのは羽黒蛇である。

平羽黒。

蛇ノ嶋。

夏羽黒。

蛇ノ海。

羽黒蛇は自分が好きだったアイドルの名前を一字ずつ、弟弟子に分け与えた。

この四人の中では最年長の夏羽黒は、入門した時がちょうど羽黒蛇の十両昇進時にあたり、入門以来、ずっと羽黒蛇の付け人を務めていた。夏羽黒もアイドル好きだった。入門直後の会話からそのことが羽黒蛇に分かり、以後は付け人の中で、アイドルに関する業務担当となった。コンサートの予約。コンサート会場、握手会場でのご相伴。映像のダビング。写真集の購入。それらをほぼ一手に引き受けていたのである。

羽黒蛇は、四股名をつけて以降、このアイドル担当の付け人を「なっちゃん」と呼んだ。名を呼ぶときの声は、とても優しげで、夏羽黒は、他の付け人から羨ましがられた。


 羽黒蛇はアイドルを愛する。

だが、それは疑似恋愛の対象として見ているわけでは無く、アイドルの輝きが自分に与えるときめきを楽しむという、観察者としての愛し方であった。


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