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歴史に残る場所

 歴史に残る場所が始まる。

夏場所を前にして、相撲専門雑誌「国技」の記者、長田は、内心の興奮を抑えきれなかった。

いや、近年の相撲界には大きな話題となる出来事が相次いでいる。

 人気もうなぎ上りで、テレビの相撲の実況放送は、高視聴率を記録し、昨年は、NHK以外に民放二社が、相撲の実況中継に参入した。

月刊誌である「国技」の発行部数も今や、百万部にせまる勢いだ。

人気力士に焦点をあてた増刊号も、ここのところ立て続けに出版したが、売れ行きは好調だ。


 そして、きたる夏場所。

今や、角界の第一人者となった羽黒蛇が、昨年の九州場所六日目から負けしらず、その連勝記録は、四十に達した。

横綱羽黒蛇にとって、四歳あまり年上の横綱玉武蔵が、長く超えることのできない壁となっていた。玉武蔵は巨大な体躯の持ち主であり、力で圧倒されていた。しかし、横綱になって二年。二十四歳になったとき、羽黒蛇の力は、ようやく玉武蔵に追いつき、そして超えた。羽黒蛇の後の先の立ち合いからの泰然自若とした相撲が完成されていた。


 大横綱照富士、今は照富士部屋の総帥、照富士親方の息子たち。

照富士三兄弟と称される、その長男、照富士の出身地の名山を四股名とした伯耆富士。

 昨年の初場所、関脇で初優勝し、二十歳九ヶ月(新番付発表時)で、翌春場所に大関昇進。昇進後は、好不調の場所を繰り返したが、今年になって、初場所、十二勝三敗。春場所、十三勝二敗。の星を残し、この夏場所の成績によっては、横綱昇進も望める。


 伯耆富士の下の弟、照富士の義父、先代照富士の出身地の名山を四股名とした豊後富士。

 三年前の春場所の初土俵以降、中学を卒業してすぐの入門と言う年齢を考慮にいれると驚異的な昇進を続ける。

 昨年名古屋場所、十七歳七ヶ月で十両昇進。

今年初場所、十八歳一ヶ月で幕内昇進。

ともに、史上二番目の最年少記録であった。

新入幕の初場所は九勝六敗。翌春場所は、前頭七枚目で、十勝五敗。

 この夏場所の番付は東前頭筆頭。三役のすぐ下の地位である。

 天才少年力士豊後富士が、ついに横綱、大関と対戦する地位に上ってきたのである。

さらに上の地位の史上最年少記録は、

小結は、十八歳十ヶ月。

関脇は、十九歳。

大関は、二十歳六ヶ月。

横綱は、二十一歳三ヶ月

である。

 十両、幕内については、史上二番目の年少記録にとどまったが、

以降は、横綱まで、最年少記録を打ち立てるのではないか、との声が高い。

だが、そう簡単にはいかないであろう、と予想する評論家も多い。

 今の相撲界の上位力士の平均年齢は低い。この初場所に、二十歳五ヶ月の若さで関脇昇進を果たし、初場所九勝六敗。春場所十一勝四敗。夏場所に十二勝すれば大関昇進確実。と言われている荒岩をはじめ若き強豪が目白押しだからである。


 だが、話題はそれにとどまらない。それらに勝るとも劣らない話題がある。

 照富士親方の次男。三兄弟で、ただひとり相撲では無く、別の道、野球を選択し、甲子園にも出場し、ドラフト一位で指名されながら、角界に入門し、三年以内に横綱になることを公言した近江富士が、この夏場所、入幕する見込みである。

 入門以来、序ノ口で六勝一敗。七勝(序二段優勝)。七勝(三段目優勝)。五勝二敗。六勝一敗。六勝一敗で関取昇進。十両は十三勝二敗で、一場所で通過。

 ここまでの通算成績は五十勝七敗。


 野球選手としては大型であっても、入門時の体重は八十五キロ。その後、一年余りで、二十キロ以上増量したが、それでも百十キロ足らずであり、現在、二番目の軽量関取である。この体重で、この昇進スピードであったのだから、幼少時代に相撲を取った経験があったとはいえ、少年時代の相当の年数を、格闘技でもない別のスポーツにその身を捧げていたこの男のもつ身体能力は大変なものであると言わざるをえない。だが、公約した三年以内に横綱になるためには、来年の九州場所までに横綱昇進を決める必要がある。残された場所数は、十場所である。


 そして、金の玉。金の玉征士郎である。ついにこの力士も幕内力士となる。八月生まれなので、新番付発表時の年齢は、十九歳八ヶ月となる。

かなりの若年昇進ではあるが、歴史的にみれば、さらに若年で幕内となった力士は数多くいる。

だが、ここにいたるまでの経緯は特別なものだ。

父親は、元前頭の金の玉又造。若手有望力士であったが、土俵上での怪我により、平凡な幕内力士として終わった。

 五歳の時に母と生き別れ、以後、父とともに名門瀬戸内部屋で暮らし、幼少時より、相撲の稽古に打ち込む。

 その稽古ぶりは常に一心不乱で、鬼気迫るものがあった。

 長田も、瀬戸内部屋の取材の際、何度も彼の稽古をみた。その稽古は、どの力士よりもすさまじかった。

 ひとたび、彼の稽古を目にすると、その情景に魅入られ、視線をはずすことができなくなる。

中学生になり、彼が、部屋の入門間もない若い力士と遜色のない力をもつようになってからは、土俵の上での三番稽古を繰り返すようになった。

彼が土俵にあがると、緊迫感がみなぎり、相手となる力士も、彼に引き出されるかのように、その持てる力のすべてをあげて、征士郎に対しているのがよくわかった。


 長田は、これまで何度も征士郎に声をかけた。彼の相撲にかける思いを、聞き出したかった。だが、彼から返ってくるのは、沈黙か、極めて短い言葉の断片でしかなかった。その言葉も、要は「相撲のことは・・・言葉にはできない」という意味でしかなかった。


 わんぱく大会、中学生、高校生の大会と。征士郎が優勝を重ねる大会を、長田は時間の許す限り観戦していた。

 稽古での激しさと打って変わって、公式大会の土俵上の彼の姿は静かだった。気合をいれる掛け声を出したり、体や廻しを叩いたり、といった動作は行わなかった。無駄なものはいっさい廃した、研ぎ澄まされた土俵態度だった。

 長田は、彼の土俵に最高度の品格を覚えていた。


 新入幕力士、金の玉征士郎。通算成績二十二勝無敗。


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