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 征士郎は、瀬戸内部屋で育った。


 征士郎は、自分と同じく、中学卒業と同時に角界に入門するのであろうと、父である武庫川親方は、当然のように思っていた。

 小学生時代のわんぱく相撲でも、中学時代でも、征士郎は全国大会で数多くの優勝を重ねていた。征士郎は、アマチュア相撲界では、かなり有名な存在になっていた。


 しかし、征士郎は高校に進学した。理由を尋ねた父に対し、

「高校に進学しても、部屋の力士との稽古は続けることができる。すぐに関取になれるだけの力をつけてから入門する」

と答えた。


 大横綱照富士は、引退後、相撲協会から一代年寄照富士を贈られ、照富士部屋を創設した。


 照富士には三人の息子がいた。

三兄弟の二番目、明は、大横綱を父にもち、幼少時代は部屋の稽古場で、よく相撲を取って遊んでいた。しかし、小学校二年生のときに野球を始め、以後は、プロ野球選手になることが、彼の夢となった。

 中学を卒業する前、彼は一度だけ、父親から、相撲界に入門する気はないか、と誘われた。

 父は「もし、お前が相撲を始めたら、兄弟の中でお前が一番、強くなるのではないか、と思う」と言った。

 そのとき、兄、洋は既に入門し、各段をスピード昇進で駆け上がっていたし、学年では一年だけ下になる弟、照也も各種の相撲大会で、極めて優秀な成績を残していた。

 明は父の言葉が信じられなかった。


 が、父は

「洋も、照也も、儂と同様、その相撲は、技が勝った相撲だ。その抜群の相撲勘とテクニックで、あるいは儂の域まで強くなるかもしれない。しかし、儂を超えることはできんじゃろう。じゃが、お前は、儂には想像できん種類の強さを、その身に秘めている気がする。儂はお前が化けるところを見たい、と思うちょる」

と言った。

 明は、吃驚した。父は、二十六回優勝した力士ではないか。たしかに、全勝優勝は三回。連続優勝は、四連覇と三連覇が一度ずつ、二連覇が五度。連勝数の最高は二十九。横綱時代の勝率は八割一分台。

 大横綱と称される力士の中では、それらの記録は際立ったものではなく、技巧派であった相撲の取り口にもより、優勝回数の多さほどには無敵と言う印象を与える力士ではなかったようだ。とはいえ、相撲史上に残る強豪であることは間違いない。

 今の言葉を素直に受け取れば、自分は、それを超える可能性がある、というのか。父の言葉は何の具体性もない、感覚的なものだ。だが、勝負の世界で大なる成功をなし得た人物が発した言葉でもある。

 明の心は動いたが、それでも少年時代からの夢を諦める気にはなれず、平成以降に三回の全国大会優勝経験のある、私立の野球名門高校に進学した。


 入学してすぐに、エースと主砲を兼ねることになった明は、高校の三年間で、甲子園に三度出場した。

 二年春、ベスト4。

 三年春、ベスト4。

 三年夏、準優勝。

 投手として甲子園通算十勝三敗(チームは、十一勝三敗)。

 通算防御率は、1.22(118イニングで自責点16)。

イニング数を超える三振を奪った(127個)。

 通算打率は.418(55打数23安打)で、ホームランは六本打った(二年春 15打数8安打、三年春 17打数5安打 二本、三年夏 23打数10安打 四本)。


 ドラフト会議では、中日ドラゴンズ、東京ヤクルトスワローズ、福岡ソフトバンクホークス、埼玉西武ライオンズ、オリックスバファローズの五球団から一位指名を受け、抽選の結果、バファローズが、交渉権を得た。


 明の夢がかなった、はずだった。

しかし、ここにきて明は迷った。中学時代の父の言葉を思い出していた。

 

 明は、野球が好きだ。野球史にもかなり詳しい。

 ONが全盛であった時代に球界に入りたかった、あの時代のプロ野球界には、明確なドラマがあった、と明は思う。

 九年連続日本一、無敵の強さを誇ったジャイアンツ。

 その中にあって、全国民的な人気を持ち、ふたりで十三年間にわたって、ホームラン王と打点王を独占した、王と長嶋。

 あの時代のプロ野球であれば、躊躇なく球界に身を投じて、ONを倒すために全力を傾けただろう。

 今のプロ野球にも数多のスター選手がいる。しかし、かつてのONのレベルで時代を体現するスターは、いない。明は、そう思った。


 振り返って、今の相撲界はどうだろう。

 前時代の覇者がいる。

 無敵の道を歩み始めた力士がいる。

 そして次々に登場してくる若手有望力士。そのうちのふたりは、自分の兄と弟ではないか。


 そんな思いを秘めながら、明は、その年の相撲の日本選手権を、国技館に見に行った。

 世間で話題になっている里井征士郎、という人物をこの目で見てみようと思ったのだ。


 土俵周りに、廻しだけを締めた数多くの裸の男たちがいた。が、その中にあって里井の姿は、すぐに分かった。立ち居振る舞いが、その他の力士と違っていた。

 明は、里井から目が離せなくなった。

 

 里井は、十八歳の高校生でありながら、大学生と社会人が中心となっているこの大会であっさりと優勝した。

 その力は図抜けている、と感じた。

 彼の姿を見て、明は、結局は甲子園で優勝することはできなかったおのれを恥じた。

 里井は、勝負にかける心構えが、まるで違っている、そう感じた。

「この男を倒したい」

明はそう思った。


「親父、俺は相撲取りになるぞ」

明は、父に自分の進路を告げた。


 バファローズの担当スカウトに対し、明は迷惑をかけたことを詫び、同時にこう告げた。

 「三年以内に横綱になります。横綱になって数場所勤めたら、テストを経て、貴球団に入団することをお約束します」と。

 その約束をメディアに公表してもよいか、と問われた明は、ひとこと「はい」と答えた。



 征士郎は、高校三年で、史上二人目の高校生アマチュア横綱となり、その時点で幕下付出資格も得たが、やはり、大相撲に入門しようとはしなかった。

 父に理由を問われた征士郎は、

「今入門しても、まだ無敗で上がっていく自信が無い。」

と答えた。

 そんなことを考えていたのか、と、又造は吃驚したが、征士郎は、大相撲の世界を特別なものと考えていて、不敗の信念を得てから、その世界に飛び込みたいのだということが分かった。


 照富士親方の次男、明が、大相撲に入門した時点で、長男の洋は二十歳。三男の照也は、十七歳になっていた。

 長男と三男は、中学卒業とともに、角界に入門していた。

 洋は、既に関脇になっていた。四股名は伯耆富士。

 照也は、その前年の春場所が初土俵であったが、既に幕下の上位に進出していた。四股名は豊後富士。


 伯耆富士も豊後富士も、父、照富士が残した記録を上回る昇進ペースであり、大横綱の息子としての期待に充分に応えていた。

 しかし、三兄弟の中で、力士として最も素質に恵まれているのは次男であると、彼らの幼少時代から、照富士は見ていたわけである。

 兄弟三人による横綱土俵入り。それが、照富士が未来に思い描いていた夢だったが、彼の想像世界の横綱土俵入りで、中心にいるのは常に次男だった。


 明は、近江富士の四股名をもらい、高校卒業前の初場所に、初土俵を踏んだ。

 近江は、照富士の母の出身地だった。


 その初場所、明は、彼が相撲界に入門する原因となった少年が、入門していないことを知った。

激怒した。


 場所が始まる前、明は、征士郎を、瀬戸内部屋に訪ねた。

 ふたりの少年は、初めて直接会い、言葉を交わした。

 入門しない理由を問われた少年は、その理由を問うた少年に対し、答えた。

「幕下付出制度というのを知っているかい」

「知っている」

「僕は一年後に入門する。入門したときの番付は幕下だ。僕が入門したとき、君はそこまで昇っていてくれ。一年後に対戦しよう」

 明は、頭の中ですばやく考えた。

「たしか優勝したら、一場所で、上の地位にいけるんだよな」

「ああ」

「春が序ノ口。夏が序二段。名古屋が三段目。秋が幕下・・・。おい、来年の初場所だと俺は幕内だぞ」

「そうか」

征士郎は微笑んだ。


 征士郎は、瀬戸内部屋の土俵で、部屋の力士たちと稽古を続けた。

 高校を出た年の夏、いつものように瀬戸内部屋の土俵で、十両の蒲生野と三番稽古(文字通り三番取るという意味ではなく、同じ相手と何番も取り続ける稽古を、こう称する)を続けていた征士郎は、突然、自分の相撲が、それまでよりも一段高い境地に達したのを感じた。

 相手の動きを、力の入れ具合を、すべて感じ取ることができた。征士郎が意識せずとも、おのれの肉体が常に最善の動きで相手に対処していた。

 稽古相手が、幕内上位の常連、曾木の滝に変わった。十番取ったが、すべて征士郎が勝利した。

「とうとうここまでたどりついた」

征士郎は、ひとり喜びをかみしめた。


 夏から秋、そして冬。征士郎は、おのれの相撲にさらに磨きをかけた。その中で征士郎は、おのれの相撲の型を見出した。

 そのとき、彼の稽古相手として、力量の面で何とか相手ができるのは、部屋頭の大関早蕨だけになっていた。


 その年、征士郎は、国体と日本選手権の二冠に輝いた。

 翌年の初場所、征士郎は角界に入門した。


 父、武庫川親方は、瀬戸内部屋を出て、独立した。師匠ひとり、弟子ひとりの部屋が誕生した。

 征士郎に付け人としての雑務を行わせないためであった。

 幕下十枚目格付出。四股名は金の玉征士郎。

 武庫川部屋には、まだ土俵はなく、征士郎は、瀬戸内部屋で稽古を続けた。


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