表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/14

十三日目

 土俵の向こうに、金の玉征士郎が、静かに座っていた。

 この男はこんな顔をして、呼び上げを待っているのか。羽黒蛇はそんなことを思った。


 立呼出しが、羽黒蛇と金の玉の四股名を呼び上げる。

 地を震わすような大歓声が轟く。

 東横綱、羽黒蛇六郎兵衛、五十二連勝。

 東前頭十六枚目、金の玉征士郎、初土俵以来三十四連勝。

ついにそのときがきた。


 土俵に上がる。

 相対して礼をする。

 力水を受ける。

 塩を手に取り、蹲踞をして、背中で立行司の結びの一番の呼び上げを受ける。

 塩を撒く。

 塵手水を切る。

 再び塩を取り、塩を撒く。

 土俵中央で相対して四股をふむ。

 

 羽黒蛇と金の玉。ふたりのすべての所作がぴたりと合っていた。

 羽黒蛇は目に映っていようが、映っていまいが、金の玉の動きを、その呼吸にいたるまでを、全身で感じ取った。

 

 また塩を取りに行く。土俵に向かって振り返る。

 金の玉も同じタイミングで振り返っていた。


 土俵の上にいる行司が消える。

 土俵を掃く呼出しが消える。

 土俵の下にいる、勝ち残りと負け残りの力士が消える。

 検査役が消える。

 すべての観客が消える。


 この広い天と地の間で、存在するのは、ただ彼と我のふたりのみ。

 そうか、金の玉征士郎よ。お前は、こんなところまで私を連れてきてくれたのか。


 最後の仕切。

 両手をつく。

 静止する。

 立ち合う。

 後刻の確認によっても、刹那の差もない同時の立ち合いだった。


 当たる。

 金の玉が押す。

 羽黒蛇が受ける。


 土俵際までしばしの距離を残して止まった。


 両力士の静止時間は六秒に及んだ。

 後に「凍結の六秒」と称される時間である。

 このときの、押し込む金の玉と、受け止める羽黒蛇の姿は、相撲の攻防の理想の型が具現化した姿として、その映像、画像は、様々な場所で引用されることになる。


 金の玉は押した。おのれの十九年の人生を。相撲のことを思い続けた精神と、鍛え続けた肉体の、そのすべてをこの刹那にかけて。


 羽黒蛇は受けた。おのれの二十六年の人生を。相撲のことを思い続けた精神と、鍛え続けた肉体の、そのすべてをこの刹那にかけて。


 だが、羽黒蛇の精神と肉体は、その最も深い場所で、明日も、そしてその先も相撲を取り続けることを選択した。


 凍結の六秒が経過し、時間が再び動き出す。

羽黒蛇がじりじりと下がる。


 金の玉は、押して、押して、押し切った。


 羽黒蛇の足が、土俵の外にでるやいなや、金の玉の動きはぴたりととまった。

 これまで勝利しつづけた三十四番と同様、金の玉の体は、土俵の俵の中に残った。

 そのまますっくと立ち、土俵の外から、土俵に上がろうとする羽黒蛇に手を添えた。

 

 対戦を終えた両力士は、東西に分かれ、礼をする。

 金の玉は、美しい所作で勝ち名乗りを受け、常と変らぬ姿で、支度部屋に引き上げた。


 羽黒蛇が土俵を割ったあとの、いつもどおりの金の玉の姿は、彼の肉体が記憶する、力士としての最後の矜持だった。


 支度部屋に駆け付けた武庫川親方が見たのは、人としての光を失った、ひとり息子の眼だった。

 又造は征士郎を抱きしめ、まだ髷の結えないその頭をゆっくりと撫でた。


十三日目の取組結果(数字は幕内での対戦成績)

  勝                   負

豊後富士(六勝七敗) 1(上手投げ)  1 梅ヶ枝 (九勝四敗)

若飛燕 (四勝九敗) 4(引き落とし) 1 北都国 (六勝七敗)

曾木の滝(七勝六敗) 4(寄切り)   1 神ノ花  (三勝十敗)

緋縅  (六勝七敗) 1(寄切り)   0 竹ノ花 (四勝九敗)

荒岩  (九勝四敗) 3(寄切り)   4 若吹雪 (八勝五敗)

伯耆富士(十二勝一敗)8(首投げ)   4 早蕨  (八勝五敗)

玉武蔵 (十勝三敗 )1(突き倒し)  0 近江富士(九勝四敗)

金の玉 (十三勝  )1(押出し)   0 羽黒蛇 (十二勝一敗)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ