78.〈砂痒〉星系外惑星系―12『前夜・祭―1』
「みぃ~ゆぅ~きぃ、ちゃんッ♡」
今日も今日とて、飛行(一)科の科員居室を清掃中のことだった。
ふいに名前を呼ばれると、背後から両方の胸をつかまれた。
「ぅわ!? わッ!? わッ!? だッ、誰!?」
つかまれた、だけじゃあ済まなくて、不躾にぐにぐに揉み込まれ、その感触に背筋がよだって悲鳴をあげた。
「あっはっはぁ。一体、アタクシ様は誰でしょ~♪」
いや、『アタクシ様』とか言ってる時点で正体はバレバレなんですが。
そもそも〈あやせ〉の艦内で、こんな不埒をするのは他にいないしね。
「艦長」
だから、わたしは(可能な限り)呼吸をととのえ、首を後ろにねじまげて、生まれてこの方金輪際、誰に揉まれたことも、もちろん、自分で揉んだこともない、わたしのおっ○いに無法をはたらいている犯人の名を呼んだ。
のに……、
「ご名答~~♡」
にしししし……という笑い声と一緒に、ひときわ強く、ぶにん! と胸をつかんでいる手に力がこめられた。
「ちょ……、や、やめてください!」
痛いイタイいたい……、いや、痛くはないけど気持ちがわるい!
ちゃんと正解したでしょう!? しょ~もない悪さはすぐやめて!
もう、何なの一体。人が仕事してるのに頭オカシイんじゃない!?
「って、そう! 仕事! わたし、仕事中なので放してください!」
腐っても(?)上官。乱暴に振り払うことなど出来なくて、でも、今のままだと困るし掃除も続行不可だから、不敬にならない(だろう)範囲で身体をよじる。
胸にまわされた腕をつかんで引きはがそうとし、背筋をのけぞらせたり、上半身、下半身をちがう向きにねじったりして、クッツキ虫の抱擁を解除するべく頑張った。
効果は全然なかったけど。
なんて言うか、こう、ね――先読みが凄いの。
わたしがこう動いたら、ああ返す、みたいな。
身体が子供でチッコいからか、敏捷性の塊よ。
何をやってもピッタリへばりつかれたままで、一ミリだって隙間をひろげられやしなかった。
むしろ反対に、カサカサカサ……ッと黒い悪魔を連想させる動きでわたしの背中に這い上がり、いっそうピタリと身体を密着させてくる始末。
あまつさえ、
「あ、あぁあ~~ッ! あ、足が……、足がぁ……ッ!」
爪先と言わず、踵と言わず――床面と接する靴底から、ぴちょんぴちょんと油滴の滴る半長靴をわたしのおなかに巻き付けてきたのよ――強制おんぶな格好で!
「ひっひっひ……。その程度の動きでアタクシ様から逃げようだなんて、甘い甘い。ぜんぜん修行が足りてないわよ、深雪ちゃん」
わたしの肩にアゴを乗せ、耳の中に、ふ~~っと息を吹き込みながら悪魔が囁く。
振りはらおうとしたのが裏目にでちゃった!?
て言うか、問題(?)はそんな事じゃない。
わたしのお腹の前で交叉したちいさな靴から滴る脂。
うっすら黄色く臭い、とろみある汁が恐怖の対象だ。
でぶから生じて、触れるものすべてを犯す産廃原液。
艦載機搭乗員どもが、ダラダラ(垂れ)流した汗また涎の一滴。
ヤだ! ヤだヤだ。染みになる! 臭いがつくし、汚汁が肌まで浸透してきちゃうぅう~~ッ!
「やめてください! はなしてください! 脂が……、脂がぁあああぁ……ッ!」
叫ぶ声まで蒼白にして、わたしはジタバタ死に物狂いでもがきまわった。
足許でバチャバチャ科員居室の床全面をおおった汚液がしぶきをあげる。
(せっかく苦労して、必要以上に靴が脂まみれにならないよう掃除してたのに……)
脳の片隅にのこった冷静な部分でそう考えて唇を噛む。
この一画に巣くうクリーチャーどもに不意に接近されたりしないよう、周囲への警戒を常に怠らず、足の甲より上が汚液で濡れたりしないよう、可能な限り静かに油面に波紋をたてない、でも、スピーディーに動いてモップをかけていた、のに……。
お風呂にはいって禊をすれば、綺麗な身体に戻れるなんてのはウソ!
ううん。物理的にはそうであっても、精神的な穢れは祓えやしない。
家で飼ってた畜獣に、ウ○コぶつけられた時並……、いや、それ以上のダメージを喰らって、しばらく鬱から立ち直れなくなる。
「艦長、やめて! お願い! お願いしますからぁあああぁッ! 足をはなしてください! 巻き付けないで! あぶら……、脂、いやぁあああぁぁッ!」
もう、背中にのってる相手が誰でも関係なかった。
不敬だ、仕事中だとか、気にする余裕なんてない。
万が一でも、足がもつれて汚液の海に倒れ込んだりしたら、ホント最悪。死んだ方がマシな気分になること請け合いだ。
それはわかっているけど、どうしようもない。児啼爺(婆?)の撃退こそが、わたしが最優先で達成すべき案件だった。
きっと傍から見たら、踊りを踊っているみたいで、さぞや滑稽だったに違いない。
御宅曹長とかなら爆笑したんじゃないかしら。
でもね、そんなこと、正直もうどうでもいい。
動作をおおきく、はやく、激しいもの――ジタバタ踊ってるようなものにしたって、とにかく事態が好転しないんだから。
ぜんたい、こういうのも年の功って言ってもいいの?
驚くしかないほど長けた先読み。
感心するしかないレベルの敏捷性。
能力の無駄遣いだとしか思えないけど、とにかく、そんな、優れた洞察力と運動能力とでもって、わたしの意図や行動を予測し、常に先回りして、背中にピタリと張りついたままの姿勢でいるんだから。
しかも、
そうしてる最中にだって、むにむにわたしの胸を揉みしだきつづけたままでいるんだから……!
「も、もう、ホント……、や、やめてください。許して……」
しだいしだいに手足の動きがにぶく、全身がダルくなってくる。
ああ、やっぱり衰えている。
わたし、もう現役じゃないんだな……。
まだそんなに時間もたっていない筈なのに、アスリートとしてバリバリ(?)やってた頃との体力的な落差を感じ、あがりかけた呼吸のまにまにそう思った。
いろんな意味での諦念につつまれ、抵抗の動きもよわくなってゆく。
そして、
わたしが『運命』に逆らうことをやめ、すべてを諦めようとしたその時!
「悪霊退ッ散ーーッ!!」/「痛~~~~ッ!!」
コーーン……ッ! という硬質な打撃音と同時に幼い少女の絶叫が、汚部屋のなかに響きわたったんだ。




