36.裏宇宙航法―14『深淵を覗く者―1』
裏宇宙航法は、〈ホロカ=ウェル〉銀河系において使用されている二種類の超光速航行技術の内の一つである。大倭皇国連邦が連邦政体となる以前――数個の恒星系がその版図のすべてであった大倭皇国の当時に生み出された独自技術だ。
とは言え、古代銀河帝国華やかなりし往古より使い続けられている空間歪曲航法と較べると、その来歴は若く新しい。また、その航法が拠って立つ理論的背景、技術的基盤も独特であり、極論すれば異様とすら言えるものであった。
重力物理学、超時空宇宙論を基とするスペースワープ航法に対し、〈授学〉――通称を〈MAD仮学〉を礎としている裏宇宙航法は、まずもって、その根幹となる理論を理解することからして困難を極めたからである。
その一つの証を挙げるとすれば、それは、〈授学〉という正式名称を大倭皇国連邦の国民以外はほとんど用いない――〈MAD仮学〉という通称、と言うより蔑称でしか、その根本理論は呼ばれない事実を言えばよいだろう。
〈授学〉とは、建国当初より大倭皇国連邦を累代知ろしめす皇家――その最初の女皇が民に授けたとされる伝説から、そう名付けられた理論体系である。
大倭皇国連邦の国民誰しもが、畏くも有り難く思い、皇家に尊崇の念を抱く事績のひとつだ。
しかし、他国の……、特に学者、研究者、技術者――知識者層に区分される人間たちは、揃って現象に対する測定精度や原理検証、再現性等、彼らが『科学的』と判断するのに必要な要件を〈授学〉は満たしていないと断じ、この理論体系のことを〈仮学〉と呼び、更にはその言葉の前に〈MAD〉の三文字を冠するに至った。
〈MAD仮学〉。――すなわち、『Malediction Aberrant Delusions Psy-ence』。
訳せば、『まやかしく、あやふやで、デタラメな』『科学もどき』ということにでもなろうか。
ほとんど罵倒にちかい単語の選択、それから本来であれば、『Science』と綴るべきところに『Psycho』を接頭辞として当てはめ、『Psy-ence』なる新語をつくった事実からも、いかに彼らが〈授学〉、また、それによって実現された超光速航行技術――裏宇宙航法を忌み嫌ったかが推察できる。
『Psy-ence』――実際、裏宇宙航法のことを一言で表現するなら、それは、『機械による瞬間移動』ということになる。
特異点を内包した、巨大であり複雑であり精緻である超時空制御機関ではなく、この世のものとも思えない奇怪かつ理解不能な作動原理でうごく一種の電脳( なのだろう)が、自らを載せた母船を巻き込むかたちで裏宇宙という名の異空間を経由し、光の速さを超え移動させる。――人工的に再現された『観念移動』なのである。
妄念と呼ぶのが適当か否かは不明だが、独自かつ特異な論理で思考する電脳が、その妄念によって周囲の物理法則をも歪め、その歪みがついに臨界を越えた時、
すなわち完全に常軌を逸してしまったその時に、そのような『異物』はこの宇宙内には受け容れられないとばかり、航宙船ごと他の宇宙へと弾き出されてしまうのだ。
開発者たちが〈常軌機関〉と名付けたこの電脳――超光速機関、〈特機〉こそが〈授学〉の精髄なのであり、自らを正当ともって任じる他国の人間からすると、オーパーツと見なさざるを得ない何かなのだった。
『Out-Of-Place ARtifacTS』――そう見なさなければならないくらい、それは一般的な意味での『機械』ではなかったからである。
事実、使用している大倭皇国連邦の人間にしてからが、〈常軌機関〉を新たにつくることは出来なかった。
身体を組み上げることは出来ても、そこに宿すべき魂を新規に生み出すことが出来なかった。
〈常軌機関〉の基数を増やそうとすれば、初代の女皇から下賜された最初のそれを株分けするしかなかったのだった。
そのような代物は、理性の産物たる工業製品ではない。オカルトめいた在り得ざる品だと、他国の人間たちが断じても、だから、決して故無いことではなかったかも知れない。
端的に言って気味が悪いのである。
大倭皇国連邦宇宙軍二等巡洋艦〈あやせ〉――深雪は、そうして〈常軌機関〉が動作した結果、それまで生きてきた、生きている通常の宇宙とは違う宇宙へ遷移した。
裏宇宙である。
『遷移開始』
告げられた直後はなんともなかった。
一瞬、感覚がブレたような気がしただけだ。覚悟していたような肉体的な違和感――物理的なショックはまったく無かった。あまりにスムーズすぎて、またテストだったのかしらん? と疑ってしまった程である。
そうして、気がつけば両手や肌身が空っぽだった。
そこに今の今まで感じていた筈のぬくもりが無い。
つい今の今まで、そこには誰かがいた筈なのに……。
触れていた肌に、その温もりを感じていたのに……。
誰か……、誰……? 誰のものだったか……?
思い出せない。
とても大切なことだった筈なのに、どうしても思い出せなくなっていた。
なんだか頭に霞がかかったように、ボゥ……とする。
迷子になった幼子のような寄る辺ない不安……。
ひとりぽっちだと思った瞬間、深雪は猛烈に不安になった。同時に凍りつくような悪寒が総身にはしる。比喩表現でなく、実際に骨の髄から凍てつくような異様な寒けを感じたのだ。
「わ?! や、やだ……ッ?!」
知らず、悲鳴が口をついて出ていた。
ブルッと身震いするのと同時に両腕で我が身を抱きしめ、背中をまるめて膝を胸まで持ち上げた途端、身体ががクルリとトンボをきったからだった。――肌を刺す寒さに身を縮めたら、胎児の姿勢で身体が回転しはじめたのだ。
いつの間にか、座っていたはずの椅子が消失していた。それどころか、重力さえもが無くなっている。
深雪が焦って周囲を探ってみても、振りまわす手は何にも触れることなく虚しく宙をさまようばかり。まるで宇宙遊泳をしているかのようなのだ。さしてスピードが速いわけではないが、当初の勢いが殺されることなく、いつまでたってもグルグルグルグル……身体の回転がとまらない。何も見えず、我が身を護る術とてない素裸で、宇宙空間に放り出されてしまっている……?
衝撃も何も感じなかった。それは確かだ。でも、もしかすると遷移の際に生じた不測の事故――それこそ、超次元的な事故か何かで、宇宙……、いや、異空間にまろび出てしまったのだろうか? 部屋の隔壁を透過し、フネの装甲さえ貫通して、大海原をゆく船からポチャリと波間に落ちた乗客みたいに〈あやせ〉から外部に弾きとばされ、取り残されてしまった?――そんな疑念が脳裡をかすめ、深雪はゾッと血の気が引くのを覚えた。
(嘘! 嘘だわ! 嘘に決まってる! だって宇宙空間に裸でいたら、たちまち死んじゃうんだから! でも、わたしはこうして生きてるんだから! だから、そんな馬鹿げたことがあり得るはずない……!)
ありえない! ありえない! ありえない!――呪文のように繰り返し、心の裡でそう唱えることで、全身を蝕もうとする恐怖を振り払おうとした。しかし……、
しかし、次の瞬間、深雪は思わず息を呑んでいる。
闇黒……、一面、塗りつぶされたかのような常闇のなかで、ちいさく弱く、かそけく瞬く光の点を目にしたからだ。
(ほ、星……なの?!)
宇宙――その言葉を思い浮かべたからでもなかろうが、つい今の今まで文目も分かぬ、夜そのものが凝固したかのようだった深淵に、みずから光をはなつ針で突いたほどの綻びを見つけてしまったからだった。
(それじゃ、本当にここは宇宙なの?! 異空間……?!)
必死に打ち消した畏れが、真実その通りであった。――そう思って恐怖のあまり心も身体も麻痺したような状態で、彼方に瞬く星を見る。それがまずかった。
ひとつ、ふたつ、みっつ、いつつ、ここのつ、とお……、目を凝らすにつれ、どんどんその数を増していく星、星、星……。その星々が、深雪の視線に応えるかのように、揃ってギョロリと目を剥いてきたからである。
「ひッ?!」
身体の回転はまだ止まっていない。不規則に流れつづける視野のいずれの先でも、深雪は自分を凝視してくる『星の瞳』を見いだし悲鳴をもらした。
銀紗を撒いた如く、あたり一面に煌めく群星。――それらのすべてから、まるで昆虫のそれのような無機質な視線を向けられている。
まるで夢……、とびきりの悪夢のなかにいるようだった。




