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第一幕・第八話 月夜の邂逅

 ある日、一日外出禁止令が出された。

 その日は地下牢から一歩も出てはいけないと言われ、仕方なくこの世界の言語の勉強をして大人しく過ごしていた。数日前からケルを先生にして始めたが、だいぶ上達してきている。

 この世界に来た時に星の加護で会話は問題なくできるようにしてもらったが、読み書きについてまでは加護は与えられていなかった。会話さえできれば特に生活する上で支障はないと判断したのだろう。

 ケルが言った言葉を文字に起こしながら、私は今朝になって発令された外出禁止令について訊ねた。

「ねぇケルちゃん、どうして今日は牢から一歩も出ちゃいけないの。何か秘密の会合でもあるの?」

「むむ?む~。別に作戦会議も何もないけど、今日は出ちゃダメなの」

 ケルにしては珍しく難しい顔をして、余計なことを言わないようお口にチャック状態へと移行した。その後何を聞いても口を堅く引き結んだまま、首をブンブン横に振るだけだった。

(怪しい…。いつもなら何回か粘り強く聞けば少しだけでも教えてくれるケルちゃんが、今日に限って全然なびかないとは。今回はよほど強めに口止めされてるんだな)

 隠されれば隠されるほど、人間というものは気になってしまうもの。私は勉強に取り組みながら、頭の片隅である作戦の段取りを組み立てるのだった。




 その日の深夜。皆が寝静まった頃を見計らって私は行動を開始した。

 まず私は能力を使って、今日一日空を飛べる妄想を現実化した。これで足音を立てる心配はなく、もし不測の事態に陥った時も迅速に動ける。幸いこの間ドラキュリオのおかげで色々な空の飛び方を体験できたため、空を飛ぶ妄想は完璧にマスターしていた。

「よし。ではいよいよナイト探検ツアーに繰り出しますか」

 私はなるべく音を立てないよう静かに牢の扉を開ける。魔王から城を自由に見ていいと許可を得た日から、牢の扉には鍵をかけられることはなくなった。見張りもケルが一応ついていたが、廊下に陣とっているわけではなく隣の空き部屋に普段は待機していた。

 私は隣室で寝ているであろうケルを起こさないように、パーッと空中を飛んでさっさと上階へと移動した。


 一階へと到達した私は、まずは前回ドラキュリオが辿ったルートで魔法陣へと向かった。外出禁止令が出されたということは、もしかして今日は容易にこの城から脱出できる日なのではと考えたからだ。

(まぁ、本当に脱出できたとしても、今更他の星の戦士と合流する気もあまりないんだけど。何だかんだ言って、この城の人たちとも仲良くなって居心地も悪くないし)

 そんなことを考えながら、無事に誰とも遭遇せず魔法陣へと到着した。試しに魔法陣の上に乗ってみるが、予想は大ハズレで何の反応も示さない。別に期待していたわけではないが、わざわざ足を運んだため少々がっかりする。

「う~ん。何で今日は外出禁止なんだろう。気になる…。こうなったらとことんお城を探検してやる!もしかしたらとんでもない弱みを握れるチャンスかも!」

 脱出の線が消えた今、もはや外出禁止が示すものは、何か私に見られたくないものがあるためだと判断した。それから私は誰にも見つからないよう注意しながら、城を一通り見て回った。

 ナイト探検ツアー開始から約一時間後、私は何の収穫も得られず心が折れかけていた。どこを見て回っても特におかしな点はなく、むしろ異常に城内が静かで怖くなってきたくらいだ。

「いつもこんなに静かだったっけ。珍しくみんな寝ちゃってるとか?それにしたっていつも蝋燭チェックしてるラン君すら見当たらないし…。実はみんなでお出かけしてて城には誰もいないとか?」

 私は頭の中で色々な妄想が溢れ、考えがまとまらず同じところをグルグル飛んでいる。やがて頭を抱えてバッと天井を見上げた時、一つの重要なことを思い出した。

「そういえば、あそこはまだ見に行ってなかったな。開かずの間」

 私はそう呟くと、いつかのケルとのやり取りを思い出した。



『ケルちゃん、この部屋は何の部屋?綺麗な装飾の白い扉、この城では珍しいね』

 城を探検していた折、私は一つの一際目を引く扉を見つけた。扉には幾多の花と蔓、小鳥が彫られており、他の禍々しい扉と比べてとても清らかなイメージだ。

 私が扉の装飾に手を触れようとすると、ケルが鋭い声を発し制止してきた。

『ダメだよお姉ちゃん!この扉は〝開かずの間″と言って、ケルたちでも開けない扉なんだ!不用意に触ると大変なことになるよ!』

 強い口調でたしなめてくるケルに押され、私は扉から数歩後退った。

『じゃあケルちゃんもこの部屋がどうなってるのか知らないんだ』

『うん。この部屋は先代の魔王様が作った特別な部屋だから、今この中に入れるのは現魔王様だけだよ』

『ふ~ん。開かずの間、ねぇ』



 脳内で過去の回想を行いながら、私はいつか見た扉を目指した。

 その部屋はとても複雑な場所に位置しており、城を探検していた際も見逃しそうになったほど隠れた位置に存在していた。

 あの日以来開かずの間には行っておらず、何度か道を間違え迷子に陥りそうになりながらも、私はなんとか辿り着くことができた。

「よ、ようやく着いた…。三十分くらいかかっちゃったよ。魔王城広すぎ複雑すぎ」

 私は若干帰り道を心配しながらも、気を取り直して白い扉の前に立った。綺麗に彫り込まれた白い花に魅入られ、私はその名前も知らぬ花に手を伸ばす。

 すると、私が扉に手を触れた瞬間、ガチャリッと扉の向こうで鍵が開く音が聞こえた。私は意を決してドアノブを回してみる。

「あ、開いた……!」

 開かずの間と呼ばれていた扉は、何故か簡単に開いて私を内へと招き入れた。

 中は下へと続く階段になっているようだが、残念ながら暗くて何も見えない。私は一度廊下に戻ると、壁に備え付けられている蝋燭を拝借して明かり代わりにした。手を火傷しないよう蝋燭を水平に持ち、警戒しながら先を照らして階段を下りていく。元々開かずの間は城の四階に位置していたが、階段は二階分ほどを下りてようやく終わった。

 真っ直ぐ伸びる一本道の先には開けた空間が見え、そこから光がたくさん通路に漏れている。蝋燭の明かりでは心細かっただけに、私はほっと胸を撫で下ろした。



 そして空中を飛んだまま光の先へと進むと、今まで見たことがないとても幻想的な風景が私の目に飛び込んできた。そこは百八十度ガラス張りになっており、天井もガラス張りで吹き抜けになっている。外からは月明かりが差し込み、部屋全体を神秘的な光が満たしている。

 部屋には扉に彫られていた白い花々が辺り一面に咲き誇り、秘密の花畑という感じだ。花は一つ一つが白く光っており、その花から出る花粉のようなものも黄色く輝いている。

 どこかに空気の通り道があるのか、部屋には定期的に小さな風が吹き抜ける。その度に白い光があちこちで揺れ、黄色い輝きの花粉もキラキラと舞い上がった。月の光とその綺麗な花の光に魅せられ、私はしばらくその不思議な空間に浸った。

 私はひとしきり感動を味わったところで、少し先に呆れた様子で立っている男の人を発見した。幻想的な景色に目を奪われて気づいていなかったが、おそらくは最初からここにいたのだろう。

「やっと気づいたか馬鹿者が。ずっと間抜け面で景色に見入りよって」

 私はその声と偉そうな口調を聞いて、まじまじと相手の男を確認した。

 聞きなれた声や態度からこの城の主である魔王だと思ったのだが、今目の前にいる男は魔王と全然雰囲気が違う。威圧感やトゲトゲしさが全くなく、柔らかい雰囲気を持っている。それに顔の印象も少し違い、目元もきつくなく、少し若々しい感じがする。何より長い黒髪をかけている耳がエルフのように尖ってなく、自分と同じ人間のものだった。

「えっと、魔王さん、ですか?」

 私は恐る恐る目の前の男に確認してみたが、男はその質問には答えず、不機嫌そうな顔をして咎めてきた。

「貴様、今日は外出禁止令だと言われなかったか。何故こんなところにいる」

「うっ!…禁止と言われれば言われるほど、人は破ってみたくなるものです」

 目を逸らして言い訳する私に、男はフンッと鼻で笑って蔑みの目を向けてきた。

「欲深き愚かな人間らしいな。それと、貴様が何故浮遊魔法を使っている?それも星の能力か」

 私は内心でしまった、と叫びつつ、何事もなかったように地面に降り立って知らん顔をした。もう遅いと追及の眼差しを受けるが、私は気づかない振りをする。

「それより、私の質問の答え。魔王なんだよね?いつもと雰囲気全然違うけど。私のこと貴様なんて呼ぶ人、この城の中で魔王しかいないし」

「………知らんな」

「いやいや、無理があるってば」

 私と同じく素知らぬ振りをし、追及を逃れようと背を向けて歩き出した彼を私は追いかける。

 部屋の中央までついていくと、そこには小さな石碑が立っていた。石碑の目の前には真新しい花が供えられている。

(これってもしかして、お墓……?)

 私は背を向けたままの彼を見る。

(前にケルベロスから聞いた話だと、魔王の両親はもう亡くなっている。もしかしてこのお墓はその両親のお墓じゃ…。印象がだいぶ違うけど、彼は間違いなく魔王。魔族と人間のハーフだって聞いたし、この姿は人間の時の姿なのかも。私の世界の漫画でもよくある設定だし、人間の血が濃くなると人間になるってやつ。てことは、外出禁止令だったのは、人間になった時の姿を見られたくなかったから、とか?)

 無言のまま立っている彼に、私は遠慮がちに声をかける。

「そのお墓って、もしかして亡くなったご両親のお墓?……手を、合わせてもいいかな。ケルベロスに話を聞いて事情は知ってるから。せめてご冥福をお祈りしてあげたいの」

 無反応な魔王に辛抱強く待っていると、やがてぶっきら棒に好きにしろ、とだけ返ってきた。てっきり断られてここから追い出されるのではと内心ビクビクしていたのだが、無事に許可が下りて私はパッと顔を輝かせた。

 魔王の横に並ぶと、石碑の前にしゃがみこんで手を合わせようとする。がしかし、しゃがみこんだところで右手に持った蝋燭が邪魔なことに気がついた。どうしたものかと私が固まっていると、上からため息が降ってくるとともに、魔王の左手が差し出された。

「ご、ごめんなさい…」

 魔王に蝋燭を手渡すと、私は改めて目の前の石碑に手を合わせた。幸せな日々が唐突に終わり、悲しい結末が訪れた先代魔王と魔王の姫君に、私は心から冥福の祈りを捧げた。

 黙祷を終えて私が立ち上がると、魔王は蝋燭を手渡しながら口を開いた。

「ここには先代魔王の姫君だった母上が眠っている。この周りに咲いている花々は生前母上が好きだったもので、父がわざわざ母上のために植えたものだ。二人はよくここで月を見ながら色々語り合っていた」

「ここに眠っているのはお母さんだけなの?お父さんは?」

 一緒のお墓に入っているのだとばかり思っていた私は首を傾げた。

「父上は代々魔王が入る魔界の王墓に眠っている。母上の遺品と共にな」

「そっか……。そういう風習があるのなら仕方ないけど、でも愛する人の遺品が一緒なら、きっと寂しくないよね」

 そう私が笑いかけると、魔王は私を変なものを見る目で見てきた。

 私は何かマズイ事でも言ってしまったのかとオロオロするが、彼が表情を和らげ笑ったことで、私の焦りは消えた。

「ケルベロスから報告を聞いて知っていたが、本当にお前は変わった人間だな。異世界の人間はみんなそうなのか」

「え?…自分では変わっているつもりはないんだけど。どこら辺が変わってると思ったの?」

「自覚がないのか。そうか、変わっているのではなくお前は馬鹿なんだな」

「バ、馬鹿ぁ!?ちょっと、いくら何でも失礼なんですけど!?」

 いつも彼から感じられる闇のオーラがないため、私はついつい強気に言い返す。いつもの魔王ならここでギロリと睨み返し私を黙らせるのだが、今回は余裕の笑みで私を見下してきた。

「変人か馬鹿でなければ、敵であるケルベロスの話をクソ真面目に聞かないだろう。それに、話の結末を聞いて本気で腹を立てたらしいな。おまけにお前はお人好しなようだ」

「な、な、何かいつもより性格悪くなってない!?睨まれるより今の見下した目の方が無性に腹が立つ~!敵っていうけどね、異世界から来た私にとって、魔族とか人間とか関係ないから!魔族にだってケルちゃんやおじいちゃんたちのように良い人がいるし、私が人間だからって必ずしも敵になるとは限らないでしょ!ケルちゃんにも言ったけど、私は戦って人を傷つけたりしたくない!戦争なんて………、この間のキュリオみたいな、苦しんでいるのを見るのも、傷つけるのもどっちも嫌だよ……」

 話している間に感情が高ぶって段々と声が大きくなったが、この間の毒で命を落とした魔族やドラキュリオを思い出したら、自然と声のトーンやボリュームは小さくなっていった。

 二人の間に沈黙が訪れ、花を揺らす小さな風の音だけが聞こえる。表情を曇らせて俯いてしまった私に向けられた魔王の次の言葉は、意外にも感謝の言葉だった。

「今時人間が、ましてや我々魔族の敵である星の戦士が魔族の命を救うなど、本来ならあり得ないことだ。だが…、あの時お前がドラキュリオを救ってくれなければ、あいつは命を落としていたかもしれない。アレでも一応、俺の信頼できる数少ない配下の一人だ。幸い今は『魔王』ではないからな。礼ぐらいは言っておく。…アイツの命を救ってくれて感謝する、えり」

 初めて見る真剣な顔つきに落ち着いた声音、ふいに呼ばれた自分の名前に私の胸は何故か高鳴った。

「は、初めて名前呼ばれた!それに、今は魔王じゃないって、やっぱり今の姿は人間なんだ!」

 興奮気味に話す私に、魔王はもう見下した表情に戻す。

「ケルベロスに聞いたからもう知っているだろう。俺は魔族と人間のハーフだ。仕方なく今日は人間の姿をしているだけだ」

(し、仕方なくって…。何だろうこの負けず嫌いみたいな言い訳は。絶対月一とかで人間に戻っちゃうとかだよきっと)

「貴様、なんだその目は」

 興奮した様子から今度は憐れんだ目を向けていた私が癇に障ったのか、両手を伸ばすと私の頬を容赦なく引っ張ってきた。

「い、いひゃいって!すぐほっぺた引っ張る~!」

 私はすかさず持っていた蝋燭を魔王の顔面に突き出して対抗する。魔王は仰け反って避けると、最後にもう一度引っ張ってから開放した。

「もう~。女性のほっぺを容赦なく引っ張るとかあり得ないんですけど。…それで、今は魔王じゃなくて何なわけ?せっかくだから名前教えてよ。ほっぺた引っ張ったお詫びに」

 両手で頬をさすりながら私は魔王の名を尋ねた。今まで誰からも耳にしたことがなく、少しだけ興味があったのだ。

「フン。なにがお詫びだ。あまり調子に乗るなよ女」

「アッ!また女呼びに戻ってる!せっかくさっき名前で呼んでくれたのに!」

「いいからお前はいい加減に牢へ戻れ。もう二時を過ぎているぞ」

 外の月はだいぶ傾き、夜が深いことを示している。確かに少し眠くなってきているが、そんなことで誤魔化される私ではない。

「ケチ~!あなたの大事な仲間を救った恩人の頼みなのに~!」

「今それを持ち出すのか、卑怯な人間だな」

 卑怯という言葉に、グサッと良心に見えない刃が突き刺さる。そこまで言われてしまうと引き下がるしかなく、私はしょんぼりしながら帰りの階段へ向かう。

 花畑を抜けたところで、魔王の声が私の足を止めた。

「フェンリスだ」

「え…?」

 私が振り返ると、彼は少し不機嫌そうに繰り返した。

「フェンリス。俺の名だ」

 不機嫌ながらもなんだかんだ教えてくれた彼に、私は満面の笑みを返す。空を飛びながらさっそく彼の名を呼んで手を振った。

「おやすみ~、フェンリス!」

 私は蝋燭を消さないよう注意しながら、再び階段通路へと引き返す。

「全く、可笑しな女だ。名前ぐらいであれほど喜ぶとは」

 魔王は久しぶりに呼ばれた自分の名の感覚を懐かしみながら、母の眠る墓前をしばし優しく撫でるのだった。




 次の日の朝、私は眠い目をこすりながらケルちゃんと正面玄関に向かい歩いていた。昨夜の無理が祟り、眠すぎて先ほどから欠伸ばかりしている。

「大丈夫お姉ちゃん。昨日はよく眠れなかったの?」

 気遣ってくれるケルに、まさか外出禁止令を無視して城中を飛び回っていたとは口が裂けても言えない。

 私は曖昧に笑って誤魔化すと、無理に目をパチパチさせて起きているアピールをした。

 西の庭園を過ぎて通路を左に曲がろうとした時、ちょうど魔王とクロロにバッタリ出くわした。今日の魔王はもう昨夜とは違い、目つきの鋭い耳の尖った魔族だった。

「あ、おはようフェンリス!クロロ!」

「「「!?」」」

 私の言葉に、その場にいる三人の時間が一瞬止まった。そして次の瞬間、目の前の魔王から怒りの黒いオーラが沸き上がった。

「貴様は本当に馬鹿で間抜けなお人好しの変人なようだなぁ!どうやら命が惜しくないらしい」

「ちょ、ちょちょちょ!ちょっと待って!なんか間抜けまで増えて悪口がどんどんグレードアップしてるし、悪気は一切なかったんだけど。魔王の時は呼んじゃいけなかったの!?」

「魔王の時は…?おや。昨日は皆一日外出を控える日のはずですが、えりさん魔王様とお会いしたのですか?」

 クロロの問いかけに、今度は私の時間が止まる番だった。

 クロロとケルに見つめられ、不自然に視線を泳がせる。明らかに怪しい様子を見かねて、魔王は大げさにため息をつくと膨れ上がったオーラを引っ込めた。

「そいつは俺の命令を無視し、昨夜開かずの間に忍び込んだのだ」

 ケルとクロロは同時に驚きの声を上げる。

「あ~…、あそこは魔王様と人間にしか開けれない扉ですからね。確かに人間のえりさんならば中に入れます」

「む~。ケル、お姉ちゃんにあの扉には触らないよう注意したんだけど。ごめんなさい魔王様」

 開かずの間の扉の真実にも驚いたが、ケルが責任を感じて謝っているのを見て、私はすごい罪悪感に襲われた。

「ご、ごめんねケルちゃん!この件は全面的に私が悪いです。ケルちゃんは一切悪くない。約束破ってごめんね」

 肩を落としているケルに、私は必死に謝罪した。魔王はそのやり取りをじとーっとした目で見ている。

「お前は本当にケルには素直で甘いのだな。…安心しろケル。別に怒ってなどいない。好奇心旺盛で行動力だけはあるこの女のことだ。遅かれ早かれ、開かずの間に入っていただろう。なれば、俺がいる昨日忍び込まれてかえってよかったというものだ」

 魔王が怒っていないことに安心し、やっとケルの耳と尻尾は元気を取り戻した。私の顔にもようやく笑顔が戻る。

「そうだ女。ちょうどお前に用があったのだ。いい加減汚いから大浴場を使うことを許可してやろう」

「!?よろしいのですか、魔王様」

 魔王の申し出に、私は嬉しさ半分怒り半分。喜びたいのは山々だが、少しの差で怒りの感情が勝った。

「き、汚いって…。ちょっと、乙女に対して言い方…!これでも自分に出来得る限りのやり方で清潔さは保ってきたつもりなんだけど!」

 静かな怒りの気を立ち昇らせる私に、魔王はどこ吹く風で淡々と告げる。

「お前にはドラキュリオの命を救ってもらった借りがあるからな。『魔王』として、星の戦士相手に借りを作ったままにはできん。特別に許可してやる。そのかわり、これで借りはなしだ」

「なるほど、そういうことですか。確かに、人間相手に借りを作りっぱなしはよくないですからね」

 参謀は納得して頷いた。

(ドラキュリオを助けたお礼なら昨日聞いたけど…。『魔王』としてはお礼は言えないけど、その代わり借りを返す形でお礼をするってこと?……回りくどくて分かりにくっ!『人間』の時なら素直にお礼が言えるのに、『魔王』の時は言えないなんて。……種族の隔たりって大きいなぁ)

 ハーフの大変さ、種族の違い、魔王としての立場など、偉そうな彼にも色々抱えているものがあるのだなと私は思った。

「そういうことならありがたく使わせてもらいます。ねぇねぇ、せっかくだからケルちゃんも一緒に入る?」

「む!?ケルも!?」

 いきなりかかったお声にケルはクリクリした目を大きく見開く。

「ハイハ~イ!ケルが入るんだったらボクも一緒に入る~!特別サービスでえりちゃんの背中も流してあげちゃうヨ☆」

 背後から上がった高い少年の声に、私はバッと後ろを振り向く。案の定、そこには空を飛ぶ吸血鬼の王子がいた。

「ど、どうしてここに!?」

「もっちろん☆えりちゃんに会いに来たに決まってるじゃない」

 相変わらず自分中心のマイペースな彼に私は苦笑いする。

「ほう。よくもまあこの俺の前に姿を現せたなぁドラキュリオ。許可なく人質を連れ出して好き勝手やったくせに。どうやらセバスの説教の甲斐はなかったようだ」

 真横から尋常じゃない魔王の闘気が迸っており、私の背を嫌な汗が流れる。当の本人はニコニコ顔で、魔王をからかって遊ぶ気満々という感じだ。

「別に魔王様の前に姿を現す気はサラサラなかったんだけど。えりちゃんに会いに来たらたまたま魔王様がいただけで。それに、昔っからセバスの説教を聞きすぎて、もうボクの心には響かないかな~」

「そうか。ならばこの魔王の手で、直接その身に響かせてやろう」

 私を挟んで繰り広げられる不穏な会話に、たまらず両手を上げて両者を制した。

「ストーップ!またお城を破壊する気?危ないから二人ともやめなさい」

 交互に二人の顔を睨みつける。クロロも仲裁に加勢し、なんとかその場は平和に治まった。

「もういい。お前はさっさと風呂に入ってこい」

 すっかり興が削がれたようで、魔王は私をシッシッと厄介払いする。このままここにいてもまた喧嘩の仲裁で体力を浪費しそうだったので、私は素直に念願の大浴場へと向かうことにした。

「それじゃあボクも一緒に」

 すぐさまその後を追いかけようとしたドラキュリオの首根っこを魔王は捕らえる。

「お前とケルには新しい任務を与えてやろう。今すぐに取り掛かり早急に終わらせろ」

「えぇ~。目がマジで怖いんですけど魔王様~」

 ブツクサ文句を垂れるドラキュリオを無視して任務の概要を伝える。任務を把握した二人は笑顔で顔を見合わせると、二手に分かれてすぐに行動を開始した。

「たった一晩でずいぶんと対応が変わりましたねぇ。まさかお名前まで彼女に教えてあげるとは」

 クロロは責めるでもなく、むしろその変化がもたらすものを期待しているようだった。

「フンッ。ただの『人間』が持つ気の迷いだ…」

「では、『魔王』にとってはただの気まぐれですか」

 ニコッとどこか楽しそうに笑う参謀に、魔王はまた一つ鼻を鳴らすと仏頂面で歩き出すのだった。




 期待に胸を膨らませて大きな両引き戸を開けると、温かい湯気が私をあっという間に包み込んだ。湯気に覆われた先には、空を浮かぶ城の中とは思えないほどすごい造りの大浴場が広がっていた。

 どういう仕掛けになっているのか、黒い大きな岩石が湯船に鎮座し、その岩石から小さな滝のようににごり湯が流れ落ちている。

 大浴場に入る前にお風呂セットを用意してくれたメリィに聞いたが、湯は日替わりで変わる温泉で、水質や効能、色までも日ごとに違うらしい。一体どういう仕組みなのかと聞いたが、魔法よ、と冷たい一言で会話は終了してしまった。ちなみに今日は茶色の湯で、保湿効果があり貧血にも効くのだそうだ。

 湯船や床や壁も全部が黒い石造りでできており、私はキョロキョロ観察しながら桶を抱えて黒い床をペタペタ歩く。どうやら大浴場は真ん中にある岩石を囲むように三百六十度湯船になっているらしい。かなりの広さを設けており、軽く泳ぐこともできそうだ。

「これが先代の魔王が奥さんのために作ったお風呂…。やっぱり魔王だからスケールが違うなぁ。感謝しつつ、存分に久々のお風呂を堪能させてもらいましょう!」

 私はメリィに聞いたとおり、端っこにある体や髪を洗う専用の溜め湯へと向かった。溜め湯にあるのは普通のお湯で、一定量減ると自動で底から湯が沸き出てきた。

「これも魔法なのか、それとも別の仕掛けなのか。もう、あまり気にしないでおこう」

 桶でお湯を掬い、体を洗い流しながら私は考えることを放棄した。

 髪も体もサッパリし、私は楽しみにしていた温泉にどっぷり浸かる。体が芯から温まり、全身の筋肉がほぐれていくのを感じる。

 温泉に目を移すと、チラホラ葉っぱや小さな花が浮かんでいた。近寄って手に取ってみると、良い匂いが辺りに香った。

「良い匂い~。ハーブとかかなぁ。すごいリラックス効果ありそう~。疲れが取れる~」

 私はのぼせ過ぎないよう気を付けながら、昼間から念願のお風呂に癒されるのだった。




 ポカポカした体を手で仰ぎながら脱衣所を出ると、そこにはケルとドラキュリオが私のことを待っていた。

「よ~やく出てきた。先代の姫君様もそうだったけど、女の子はみんな長風呂だネ~」

「ご、ごめん。まさか外で待ってるとは思わなくて。久々のお風呂だったし、ゆっくり入らせてもらっちゃった」

 すまなそうに謝る私に、二人は気にしてないと笑ってくれた。

「お姉ちゃんがお風呂を気に入ってくれたのなら、きっと魔王様も喜ぶと思うよ」

「今度入る時はボクも一緒に入ってあげるネ!」

 私にウィンクを飛ばすドラキュリオの脛を、ケルは思い切り蹴り上げた。その場に浮かんで悶絶する彼を放置し、ケルは私の手を掴むと何やら嬉しそうに走り出した。

「ちょ、ちょっと待ってケルちゃん!いきなりどうしたの」

「お姉ちゃんに見せたいところがあるの!お姉ちゃんの新しい『お部屋』だよ!」

「新しい、部屋…?」

 私は火照った体を冷ます間もなく、ケルに引っ張られながら城の中を駆け抜けるのだった。



 ケルに連れてこられた場所は城の三階の一室で、今までに何度か通ったことがある場所だった。

「今日からここがお姉ちゃんの新しいお部屋だよ。ケルとキュリオでお掃除して、地下牢で使ってた物もちゃんと持ってきてあるから大丈夫だよ」

 じゃじゃーん、とケルが扉を開けて部屋に招き入れる。私は部屋の中央まで来ると、新しく与えられた部屋を見回した。

 決して広くはないが、狭くもない一般的な部屋だ。床は全てフカフカなワイン・レッド色のカーペットで、壁紙は柔らかい印象のクリーム色。家具は小さいチェストとワーグローブ、装飾が綺麗なドレッサーに、ずっと待ち望んでいたベッド。城の外側に面した部屋ではなく内側にある部屋のため窓がないが、それでも今まで生活していた地下牢に比べたら雲泥の差だ。

「どお?新しい部屋の感想は」

 いつの間にか追いかけてきていたドラキュリオが部屋に入ってくるなり訊ねてきた。

「すっごいよ!今日から本当にここを使っていいの?ベッドがあるのが超嬉しすぎる!」

 大はしゃぎする私に、ケルとドラキュリオは頑張って部屋を整えた甲斐があったと言葉をこぼした。

「二人ともありがとう!あたしのために。でも、どうして急に新しい部屋を?」

「魔王様がそれだけお姉ちゃんに感謝しているってことだよ。大事な仲間であるキュリオを助けてくれたから。だから少しでも待遇をよくしてあげようと、わざわざ部屋を用意してくれたんだ」

「そーそー。ボクを失うってことは、魔王軍にとって致命的とも言えるぐらいの損失だからネ」

 親指を胸に押し当てドヤ顔をするドラキュリオに、そこまでじゃないから、と冷静にケルがツッコミを入れる。少しだけしかやり取りを見ていないが、ケルはドラキュリオには当たりが強いというか遠慮がない。年が一番近いせいか話しやすいのかもしれない。

「そうだ!ちなみにここにかかっている服は全部ボクの好みで、そこにあるドレッサーもボクの城から持ってきたものなんだ。好きに使っていいからネ☆」

 ドラキュリオはワーグローブを開いて用意した服を見せる。私はその好意に複雑な表情で感謝の言葉を述べる。

「む~。また勝手なことして。また魔王様に叱られても知らないから」

「なんで必要なものを揃えてあげたのに怒られるのさ。女の子なんだから毎日違う服着たいだろうし、ドレッサーは女の子の必需品だよ!むしろ褒めてほしいくらいだネ」

 胸を張るドラキュリオと呆れた表情のケル。その後も続く二人の親し気なやり取りに割って入ると、その日は三人で仲良く新しい部屋で楽しく過ごすのだった―――。



 後日ケルから報告を受けた魔王が、私の気づかぬ間に洋服とドレッサーを別のものに取りかえてドラキュリオとまた喧嘩が勃発するのは、また別のお話―――。


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