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第一幕・第六話 休むこともお仕事です

 ある朝珍しく魔王が地下牢を訪れてこう言った。

「朝飯を食ったならさっそく働いてもらおうか居候よ」

 その一言に、朝から私の怒りゲージはMAXを軽く振り切った。



 朝食を食べ終え、私はケルと一緒に今日は何をしようかと話しているところだった。突然ノックもなしに扉を開けて顔を出した魔王は、相変わらずの鋭い眼光と威張った物言いで命令してきた。

 出会った当初よりいくらか耐性が付き始めた私は、怒りを隠さずむしろ全面に押し出しながら噛みついた。

「だ・れ・が!居候よ!いつの間にか好きで私がこの城に住み着いてるみたいになってんじゃないの!あんたが私をここに幽閉してるんでしょうが!」

「なんだ、女の分際でこの魔王に口答えする気か。少し泳がせている間にずいぶん態度がでかくなったものだな」

 魔王は鋭い目つきのまま、微かに黒いオーラを纏いながら言った。

 しかし、その程度の威圧では、だいぶ度胸がついてきた私は怯まない。まるで抗議デモのようにさらにたたみかける。

「そ・れ・に!居候というならもっと良い部屋をあてがってくれてもいいでしょう。大体この城はもう探索済だから、ある程度空き部屋があることは調べがついてるのよ。わざわざこんな地下牢に入れて、断固抗議します!基本的人権の尊重を主張する!」

 私は選手宣誓のように、魔王に向かって右手をバッと上げて抗議した。

 魔王は目の前に手を突き出され一瞬目を見開いたが、すぐに私を変なものでも見るかのような目で見てきた。

「……なんだそれは。人質に人権もクソもあるか」

「な、何ですってぇ!私の国の憲法をそんな簡単に切り捨てるなぁ!そもそも異世界なんて治外法権だ!私の世界の法律や権利を遵守することを求めます~!」

 その後も私がギャーギャー喚くため、魔王は大きくため息をついた後、手を上げて私に黙るよう合図した。

「わかったから黙れ。全く朝から騒がしいやつだ。チガイホーケンだかなんだか知らんが、そこまで言うなら選ばせてやろう。今まで通りこの地下牢か、もしくはクロロの研究室で寝泊まりするかをな」

「!?」

 魔王の言葉に私の身体はピシッと凍り付いた。

(何故にその二択!?よりによって何でクロロの研究室なのよ!?)

「フッ、案ずるな。あの研究室には仮眠用のベッドがちゃんとある。今より確実にマシな寝床だぞ。確か今は寝ると背中が痛いとぼやいていただろう。ケルから聞いているぞ」

 魔王は鼻で笑うと、私が今寝ている木製棚をトントン指で叩いた。

 余裕の笑みを浮かべ私をからかっていることがありありと分かり、このまま引き下がるのは悔しいのでなんとか私は食い下がる。

「どうして空き部屋があるのにわざわざクロロの研究室なのよ。意地悪言わないで空き部屋を提供しなさいよ」

「勘違いしているようだが、この城に空き部屋などない。あるのは幹部が城に来た時寝泊まりする部屋と『客間』だ。貴様は客人ではないだろう」

 冷ややかな目を向けてくる魔王に、私は奥歯を噛みしめて小さく唸った。

 どう足掻いてもこれ以上魔王の意見を覆すのは難しいだろう。仕方なく私は現状維持を受け入れた。すると、魔王は実にわざとらしく残念がって見せ、私の神経を逆撫でしてきた。

「そうか。お前が研究室に寝床を移せば、クロロが飛び上がって喜びそうだったんだがなぁ。せっかくまともなベッドで寝れるチャンスを自ら棒に振るとは、愚かなやつだ」

「ベッドで寝れても、代わりにクロロの玩具にされるんだったら地下牢にいたほうが百万倍マシよ!…もういいから、さっさと本題に入りましょう。この調子じゃあ、私怒りすぎて疲れちゃいそうだわ」

「先に突っかかってきて話を脱線させたのはお前のほうだろう。まあいい、今日のお前たちの最重要任務を言い渡す」

 ずっと私と魔王の言い争いをハラハラ不安げに見つめていたケルは、ようやく任務の話に戻って安堵している。元気よく手を上げて返事をすると、尻尾をパタパタさせながら魔王の前に立った。

「どんな手を使ってもいい。あの『クソ真面目馬鹿』を一日休ませろ」

「……クソ、…真面目馬鹿ぁ?誰それ??」

 私は呟きながら大きく首を傾げた。

 人物についてもそうだが、休ませるという任務の意図もよく分からなかった。私の頭の中が疑問で埋め尽くされている間に、ケルはもうある程度任務について理解したようだった。

「お姉ちゃんお姉ちゃん、ケルわかったよ!ジークを休ませればいいんだよね、魔王様」

 そうだ、と魔王はケルの問いかけに頷いたが、私はいま一つ今回の任務について理解していなかった。

「確かにジーク、ここのところ休んでない気がするねー。ケルが知る限り、一か月以上前じゃないかなぁ。この間ジークが休んでたの」

「エッ!?何それ!?とんだブラック企業じゃない。私の世界だったら世間から叩かれて責任者がクビになるレベルよ」

 ケルの話に驚くと、私はドン引きしながら魔王をチラ見した。

 私と目があった魔王は、すかさず私の左頬を掴むと、あろうことか引っ張りながら弁明してきた。

「誤解がないように言っておくが、俺は前々からジークフリートに休めと言い続けていた。にもかかわらず、あの真面目馬鹿は飽きもせず門番に立ち続けている。もはや俺の責任ではなく、俺の命令を無視して働き続けているアイツが悪いのだ。断じて俺に非はない。わかったか女」

「わ、わきゃった!わきゃったから!ほっへぇはなひて~!」

 頬を引っ張る魔王の手をバンバン叩き必死に訴える。

 ようやく放してもらえた時には、ほっぺはジンジン赤くなっていた。おそらく通常よりかはだいぶ手加減してくれたはずだが、それでもあと数分は痛いままだろう。

 私をイジメて少しは腹の虫が収まったのか、魔王は気を取り直して話を続けた。

「これからそう遠くない未来に、戦いが激化することが予想される。その際に疲れが溜まって動けないなんてことになったら困るからな。今のうちに休ませたい。とりあえずジークフリートのところに行き、話相手になるでもよし。気ままに散歩でも、娯楽室で遊ぶでも何でもいい。とにかく今日一日でも休ませるんだ、いいな」

「わかった!ケルたちに任せて魔王様!」

 ケルは素直に返事をすると、さっそく私の手を引いて走り出した。

 人質でも平然とこき使ってくる魔王にまだ納得がいかないところはあったが、働き詰めのジークフリートは確かに心配だったので、私たちは今日の任務を果たすべく魔王城入り口へと向かうのだった。




 魔王城エントランスホールを抜け、ケルに大扉を開けてもらった先に、いつもと変わらず魔騎士ジークフリートは城の入り口に立っていた。

 魔王から与えられた任務を達成すべく、さっそく私たちはジークフリートに話しかけた。

「おはようジーク。今日も朝からお城の警備?」

 私が挨拶をすると、直立不動で立っていたジークフリートは頷きながら挨拶を返してきた。

 私はゆっくり話しながら散歩にでも連れ出そうと考えていたのだが、魔王直々の任務ということで張り切っていたケルは、いきなりジークフリートの腕を掴むと城の中へとグイグイ引っ張り始めた。その突然のケルの行動に、もちろん魔騎士は戸惑いの声を上げた。

「ど、どうしたケル!?何か異常事態でも起こったのか」

「む~、ちがうちがう。今日一日、ジークはケルたちと遊ばなきゃいけないんだよ」

 ジークフリートの腕を頑張って引っ張るケルだが、実際のところ彼は全然動いていない。元々の体格の違いもあるが、そもそも重そうな甲冑を着ているので、ケルの力じゃその場から動かすことは厳しいのだろう。

 ケルの言葉を聞いたジークフリートは、暇だから遊んでほしいという我儘と勘違いしたようで、引っ張るケルをそのまま両手で抱えると、私へと手渡してきた。

「すまないがケル、俺はこの城の警備があるからここを動くことはできない。遊びたければえり殿と共に娯楽室にでも行って遊ぶといい」

「む~!ダメだよジーク、お仕事ばっかりじゃあ。たまには休まないと倒れちゃうよ」

「そうだよジーク。ケルちゃんから聞いたけど、一か月以上も休まず働き続けてるんだって?そんなんじゃいつか過労死しちゃうよ」

 私は抱っこしていたケルを地面に下ろしながら忠告した。

「実は私たち、あなたに今日一日仕事を休ませるようにって、今朝魔王から頼まれちゃったんだ。だから、何としてでもジークには休んでもらわないと!もしジークが休まなかったら、あとで私たち魔王に何されるかわかったもんじゃないし!」

「そーそー。ケルたち魔王様に怒られちゃうよ~」

 私とケルに同時に詰め寄られ、兜越しだがジークフリートが困って小さく唸ったのがわかった。

 まだ短い付き合いだが、彼がとても優しく真面目な人物なのは知っている。あともう少し情に訴えれば大人しく休んでくれるだろう。

「だが、いつ何時敵が攻めてくるかわからない。入り口の警備を手薄にするのは…」

「そんなこと言ってたらジーク一生休めないってば!魔王が言ってたけど、肝心な時に疲れて動けなかったら本末転倒だよ。敵に攻め込まれた時にちゃんとお城を守れるように、今日は英気を養うこと!そうすれば明日からまたお仕事頑張れるし、私たちも魔王から怒られないし、良い事尽くめだよ」

「うんうん!休むことも仕事の内だから、魔王様から言われたらちゃんと休まないとダメなんだよ。心配しなくてもおじいちゃんがいるから、一日ぐらい休んでも大丈夫!」

 右と左から私とケルの言葉攻めを浴びたジークフリートは、これ以上言い訳をしても無駄だと悟ったのか、小さくため息を吐くとようやく観念した。

「魔王様もよく考えたものだ。魔王様や参謀殿に休めと言われてもはぐらかして上手く誤魔化しただろうが、えり殿とケル二人からこう言われたのではさすがの俺も折れるしかない」

「…なるほど。魔王もちゃんと考えがあって私たちに頼んでたんだね」

 ただの嫌がらせで仕事を押し付けてきたのかと思っていたが、ちゃんと筋の通った任務だったようだ。

 ジークフリートも納得したところで、さっそく何をして過ごすか希望を聞いてみた。

「う~ん。急に休みと言われても、特にこれといってしたいことは思い浮かばないな」

「え~、せっかくのお休みなのに。仕事人間すぎるよジーク。何か趣味とかないの、趣味」

 私の一言に、ケルの耳がピクピクっと反応した。嬉しそうにその場で飛び跳ねてジークフリートに提案する。

「ジークの絵が見た~い!この間描いてた絵、まだ途中だったはず。アレ完成させたらどうかな?」

「ん?あぁ、そういえば描きかけの絵があったな。ずいぶん前のことだったから忘れていた」

「絵?ジーク、絵を描くのが趣味なの?」

 私の疑問に、ケルが大きく頷いて答える。

 ケルによると風景画が専門らしく、かなりの腕前で、今まで知らなかったが城の廊下にも彼が描いた絵が数枚飾ってあるらしかった。

 結局ジークフリートの意志というよりケルのリクエストで、今日は絵を描いて息抜きするということになった。

 私たちはさっそく城の三階にある『アトリエ』へと移動するのだった。




 以前ケルに城を案内された時にアトリエは紹介されたが、その部屋は運悪く先日ドラキュリオが破壊した部屋の隣室だった。そのため、修繕作業中は近辺の廊下から立ち入りが禁止されていたため、アトリエに来るのは今日が初めてだった。

 ケルが先頭で扉を開け、次に私が部屋に足を踏み入れる。入った瞬間身体が独特の匂いで包まれ、鼻をクンクンさせながら匂いの元を辿った。

 周囲を見回すと、木材や画材、描きかけのキャンパス等が無造作に置かれていた。どうやら部屋に充満している匂いの正体は、木の香りや画材が入り交じったもののようだ。

 アトリエはそこそこの広さで、椅子が六脚とキャンパスを立てかけるイーゼルが四つ点々と置いてある。窓とは逆に面した壁には備え付けの棚が設置されており、そこには可愛らしい木彫りの置物がたくさん飾られていた。

 物珍しそうにキョロキョロしている私をよそに、ジークフリートは着々と絵を描く準備を始めていた。私は彼の邪魔をしないよう、戸棚にある木彫りの置物を眺めて準備が整うのを待った。

「その木彫りの置物、よくできてるでしょう。全部レオン様が作ったんだよ」

 自慢げに言うケルに、私は目をパチクリさせて聞き返した。

「れ、レオン様?レオン様って、この間一緒にお茶会した虎の魔族だよね。七天魔の一人だっていってた。コレ全部、あの人が作ったの!?」

「そうだよ!ああ見えて、とっても器用なんだよレオン様は。自分の爪で木を削って、木彫りの置物を作っちゃうんだから。ちなみに、この犬はケルがモデルなんだよ~」

 ケルは棚から犬の形をした手乗りサイズの木彫りを取ると、嬉しそうに尻尾を左右に振りながら私に見せてきた。

 手に乗せてまじまじと見てみると、犬の置物は今にも動き出しそうなほど精巧に彫られていた。

(このクオリティをあのゴツくて大柄な虎魔族がやったなんて、信じられない…。どっちかというと大雑把で不器用そうに見えたのに)

 私はケルの木彫りを元あった場所に戻したが、隣にも犬の木彫りがあったのにふと気が付いた。

「他にもケルちゃんいるね。レオンさんはケルちゃん彫るの好きなんだ」

「む~?ちがうよお姉ちゃん。横の二つはケルじゃないもん。ケルベロスとケロスだよ」

 私は目を見開くと、棚にある三つの犬の木彫りを見比べた。

 最初に手に持ったケルの木彫りは愛らしさが出ており、遊んでほしそうな人懐っこさが見てて伝わってくる。次に隣の木彫りを見ると、あまり表情が出ておらず、冷めたような印象さえ受ける。じっとこちらを見つめ、相手を見定めようとしている賢さが出ていた。おそらくこれはケルベロスがモデルなのだろう。最後の木彫りは、歯を剥き出し鋭い爪で今にも飛びかかってきそうな獰猛な犬だった。躍動感溢れる見事な仕上がりだが、その木彫りを見るだけで最後の一人、ケロスにますます会いたくなくなっていく自分がいるのがわかった。

(確かによく見ると三つとも全然性格の違う犬だ。ていうか、もはや職人技すぎるでしょコレ!自分の爪で木彫りって、どんな爪してんのよ!)

 心の中で盛大にツッコミを入れている私にはもちろん気づかず、ケルは私の手を引っ張ると、豪華な額縁に入れられた絵画の前に連れてきた。

 絵画には美しい女性が描かれており、こちらに優しい笑みを浮かべている。その絵を見ているだけで自然と温かい気持ちになるのは、きっとそのモデルとなった女性の人柄が絵から滲み出ているのだろう。そして、描き手自身がこの絵に込めた想いやモデルの女性に向ける温かい気持ちが伝わってくる。

 壁に掛かっている絵画をじっと見つめる私に、いつの間に入れ替わったのか、ケルベロスがこの絵画について説明してくれた。

「この絵の女性が、先日お話しした先代魔王の姫君、『リアナ様』です。この絵を見ていただければ分かるように、とても美しいお優しい方でした」

「…この人が、亡くなった魔王のお母さん。確かに、国一番の美女と言われていただけあって、綺麗な人だね」

「はい、我々みんなが慕っておりました。ちなみに、この絵を描いたのはジーク殿ですよ」

「エッ!?メチャクチャ上手いじゃん!ケルちゃんから風景画が専門だって聞いたけど」

 驚いた私は再度絵画を凝視する。色使いや筆のタッチ、影の付け方等、趣味の領域を超えてプロ級の腕前に見える。

 昔から不器用で美術の才能が無く、学校の図工や美術の成績が悪かった私には羨ましい才能である。

「確かにジーク殿は風景画や静物画が得意ですね。肖像画が得意なのはリアナ様のほうでしたから。姫様がおられた頃は、姫様に影響されて真似して絵を描く魔族がいてここも賑わったのですが、亡くなられてからは、ここを利用する者はめっきり減ってしまいましたね。今でもここを利用しているのは、ジーク殿とレオン様くらいでしょう」

「へぇ~。美人でしかも美術の才能もあったんだ。才色兼備というやつね。羨ましい限りだわ」

 女としての格の違いを見せつけられ、私はお手上げ状態だ。

 国の王子の婚約者に選ばれ、魔族ではあるが魔界の王様とも結婚し、不幸な最期を迎えてはいるが、リアナ姫は女性としての幸せは掴み取っていると思う。

 逆に自分はもう二十代の折り返し地点にいるが、今まで二次元一直線。恋愛のれの字も、恋人のこの字もない。別に今まで特別な相手が欲しいと思ったことはないが、目の前にある絵の向こうの女性を見ると、何とも言えない敗北感が胸に広がる。

(………確かに、恋人作って恋愛して、結婚するのも一つの幸せさ。だがしかし、自分の時間を大切にし、大好きなオタク趣味に没頭するのも一つの幸せ!私は屈しない、ブレません!)

 思わぬところでこれからの人生の決意を新たにした私は、気持ちを切り替えて絵を描く準備をしていたジークフリートの様子を振り返った。



 先ほどまで部屋の中央で絵の具や筆の準備をしていたジークフリートは、いつの間にか籠手の一部を外し、ずっと身につけていた兜も脱いで、壁に立てかけてある大剣の柄に引っかけてあった。初めて目にした彼の素顔に、口を半開きにさせたまま私は固まった。

(め、メチャクチャイケメン騎士じゃないかぁ!!優しくて頼りになって強くてイケメン!?ハイスペックすぎるだろぉ!しかも、騎士という設定オプション付き。漫画ならばかなりの女子が食いつくポイント)

 心の中で大興奮の大絶叫をして動かない私に、またしても知らぬ間に切り替わったケルが心配そうに服の裾を引っ張った。

「お姉ちゃんどうしたの?大丈夫?」

「エッ!?あぁ、大丈夫大丈夫!さっそくジークの絵を見に行こうか」

 我に返った私はケルと一緒にジークフリートの後ろに回り込むと、キャンパスの絵を覗き込んだ。

 キャンパスにはどこかの風景が描き途中で、どこかの丘か山から下を見下ろした風景のようだ。全体的に使用されている色合いから、時間的に夕暮れ時の絵に思われる。三種類の絵の具を混ぜて色を作り出しているジークフリートに、私は率直な感想を述べた。

「まだ描き途中だけど、すっごい上手だねジーク。本当にその風景を今目の前にしているみたいだよ。風景画って、実際その場所を見ながら描くのかと思ってたけど、そうじゃないんだね」

 私は兜を外したジークフリートを真横から見た。

 兜越しで今まで判別できなかったが、年の頃は三十前半から半ばに見える。茶髪のショートヘアーで精悍な顔立ち、元の世界ならばドラマの俳優さんと言われても納得してしまうレベルだ。

 求める色を作り終わったジークフリートはパレットから目を外すと、私の問いかけに優しく答えた。

「その場で描きあげる者ももちろんいるが、この風景は、俺の頭の中に鮮明に残っているからな。実際に見なくても描き上げることができる」

「へぇ~。思い出の風景ってやつだね。まだまだ白いところあるけど、今日一日で完成しそう?」

「あぁ。集中してやればお昼前には完成するだろう。楽しみに待っていてくれ」

 私とケルは同時に頷くと、彼の邪魔をしないよう少し離れたところで時間を潰すことにした。



 ケルは部屋にある収納棚から紙と色鉛筆を持ってくると、床にうつ伏せになりながらお絵かきをし始めた。私も一緒にやろうと誘われたが、昔から絵心は皆無だったので丁重にお断りした。楽しそうに絵を描くケルを、私はただ優しく見守った。

 何枚かケルが絵を描き終わった頃、さすがに黙って見ているだけでは飽きてきたので、ちょうど正方形の紙を見つけ折り紙をし始めた。私が手元で何事かやり始めたのに気づき、ケルは身を乗り出して手元を覗き込んできた。

「む~~?ソレ、何してるの」

「コレはねぇ、鶴を折ってるんだよ。私は不器用だけど、折り紙ぐらいだったらできるからね」

「つる…。ツルって、なあに?」

 首を傾げるケルに、私は目を丸くした。時々発生する異世界ギャップあるあるだ。

「鶴っていうのは、鳥の一種の名前だね。白くて首が長い鳥さんだよ。こんな風な感じ」

 私は完成した折り紙の鶴を手の平に乗せると、よく見えるようにケルの目の前に出した。

 目をキラキラさせながらジーッと鶴を見つめるケルが可愛くて、私は頭を撫でながら鶴をケルにプレゼントした。

「わ~い♪お姉ちゃんからツルもらっちゃった!あとで魔王様にも見せてあげようっと」

「ま、魔王に!?鼻で笑って握り潰されるんじゃない」

「エェ~。魔王様そんなひどいことしないよ!優しいもん」

 優しいと訴えるケルに、口には出さなかったが、それだけは絶対違うと私は心の中で突っ込んだ。

 他にも何か作ってくれとせがんでくるケルに、私は羽が動く鳥や紙ヒコーキ等を次々折ってやった。その微笑ましいやり取りを遠くから見ていたジークフリートは、温かい気持ちで心満たされながら絵に没頭するのだった。




 ジークフリートが作業を開始して二時間ほど経った頃、突然彼が腕を組んで唸り声を上げた。私とケルは顔を見合わせると、すぐさま彼の傍へと走り寄った。

「どうしたのジーク。絵を失敗しちゃった?」

「いや、ちがうんだえり殿。実はもう少しで完成というところまではきたんだが、使う絵の具を切らしてしまってな。どうしたものかと考えていたんだ。他の近い色で妥協するというのも嫌だしな」

「この絵の具って、魔界のジャックの領域にあるスプルス村原産のものだよね。だったら買いに行けばいいよ!みんなでお出かけしよ!」

 悩むジークフリートが理解できないという風に、ケルはあっけらかんと言った。

「ま、待て待てケル。みんなで買いに行くって、さすがにえり殿を城から出して魔界に連れて行くのはマズイのではないか。それに俺も城を離れるのは…。もし離れている間に敵に攻め込まれたら」

「こら~ジーク!今日はジークはお休みなの!お仕事のこと考えちゃダメ!お休みなんだからお出かけするのも自由だよ。それに、お姉ちゃんはケルと離れなければ大丈夫。怒られないよ」

 自分より倍以上ある体格のジークフリート相手に、ケルはプンプン怒りながらお説教した。その様子が可笑しくて、私は思わず苦笑してしまった。



 せっかくの休日だということで、結局ケルの提案通り魔界の村に絵の具を調達しに行くことになった。

 私たちは城の東側にある訓練場まで移動した。この訓練場は西側にある庭園のちょうど反対側に位置し、主に兵同士の鍛錬などに使用されているそうだ。十分な広さがあり、石造りの床には特別な魔法がかけられているため、かなりの衝撃にも耐えられる仕様だ。なんでも以前ここで魔王とドラキュリオが暴れた時にかなりド派手に破壊されたらしく、その修復の時におじいちゃんの手で強力な防護魔法をかけたのだという。

 そんな裏話のある訓練場までやってきたが、ここからどうやって魔界に行くのかはまだ教えられていない。

「この訓練場からどうやって魔界に行くの?私はてっきり正面庭園にある魔法陣から移動するのかと思ってたけど」

「確かにあそこからジャック殿の領域には行けるが、あの魔法陣からではスプルス村まで遠いからな。それに、ジャック殿の手を煩わせたくもない」

「あの魔法陣は自分が属する領域に移動する時は特に問題ないんだけど、他種族の領域の魔法陣に移動する時は、そこを治める七天魔の了承を得ないと移動できないんだ。昔魔族同士で戦争してた時期があったから、自由に行き来可能にすると、万が一魔法陣を使って他種族に攻め込まれたら大変だからね」

 私が質問する前にケルが疑問点を解消してくれる。

「それじゃあ、どうやって魔界に行くの?ホールスポットを見つけてそこからまず魔界に行くとか?でも魔界のどこに出るのかも分からないし」

 うんうん唸って考え込む私を尻目に、ジークフリートは指を唇に近づけると、思い切り息を吹き込んで指笛を鳴らした。

 そのまましばらく待っていると、遠くから大きな翼を羽ばたかせながら近づいてくる一つの影が見えてきた。その影が近づくにつれ、だんだんと正体が分かってくる。

「紹介しよう。俺の相棒の『ウィンス』だ。今回はこいつに乗って魔界に行く」

 目の前に着地した影の正体は、黒くて大きなペガサスだった。

 馬に翼の生えたペガサスは漫画やゲームでもよく目にしたことがあるが、黒いペガサスは初めてだった。てっきりペガサスといえば白馬だと思っていたが、この世界ではそうでもないらしい。

 私は見るからに利口そうなウィンスに、目を見て挨拶をした。すると、軽く会釈をして鳴いて返事をしてくれる。どうやら主人に似て礼儀正しい子のようだ。

「ウィンスは特別なペガサスでな、魔界と人間界を自由に行き来できる力を持っているんだ」

「なるほど!その力を使って魔界に飛んで行くわけだね!」

「そういうことだ。ウィンスと一緒ならそのまま移動も楽だからな。ケル、お前はどうする?元の姿に戻って自分の力でついてくるか」

 ジークフリートの言葉に、ケルはその場でバク宙をして答えてみせた。

 ケルは一回転すると、一瞬の内に大きな犬の姿へと変化した。黒いフサフサの毛並みに、ピンと立った耳。そして大きな三つの尻尾がゆらゆら揺れている。クリクリした見慣れた目から、その大きな犬が本当にケルなのだと認識できた。

 目の前で見ていたにもかかわらず、私は変化に思考が追いつかず、時が止まったように動かない。

「お、お姉ちゃん大丈夫?ビックリさせちゃった?」

 獣姿のまま発せられるいつもの声に、私は驚きながらも正気を取り戻した。

「び、ビックリしたけどもう大丈夫。いつものケルちゃんは仮の姿で、そっちが本当のケルちゃんの姿なんだね」

「うんうん!ケルは魔界の番犬だからね。お城の中だとこの姿じゃ移動するのに狭いから、普段は人型になってるんだ」

 ケルの言う通り、動物園にいるライオンどころではない。それ以上のビックサイズのため、城の中で移動したら間違いなく装飾品など割って回るだろう。

 以前ドラキュリオから聞いた話では、ケルは魔族の中ではまだ子供の部類に入るという。このサイズからまだ大きくなるのだとしたら、将来は名前に相応しい番犬になるに違いない。

 ケルにはウィンスと同じく互いのホシ間を移動できる力があり、さらに獣の姿の間は浮遊魔法が使えるのだとジークフリートは言った。

「それじゃあ、えり殿はどうする?俺と一緒にウィンスに乗ってもいいし、ケルの背に乗ってもいい。どちらにしろ、好きな方を選ぶといい」

 唐突に現れた選択肢に、私は心の中で作戦会議を行う。

(どっちにしよう。そもそも馬になんて今まで乗ったことないし。それ以前に異性と二人乗りすらしたことない。オタク女子の私にはいきなりハードルが高すぎる。かと言って、さっきまで小さい男の子だったケルちゃんの背中に乗るというのも気が引ける。今は大きい犬でも人型を思い浮かべると…。う~~~ん)

 しばらく頭を悩ませた私は、最終的にジークフリートと共にウィンスに乗って魔界に行くことにした。




 魔王城から飛び立った私たちは、まずホールスポットがある近くまで空を飛んで向かった。

 人間界と魔界が接する場所をホールスポットというが、その近辺でも十分互いのホシとの距離は近い。そのため、ホシ間を渡れる術を持つ者は、そこまで行けば人間界と魔界を行き来できるのだそうだ。

「魔界へと移動する時身体が慣れていないから、少し気分が悪くなるかもしれない。空を飛んでいる間に治まるだろうから、すまないが我慢してくれ」

 すぐ耳元から聞こえてきた声に、私はビクッと反応した。

 今私はジークフリートの操るペガサスに跨っている。私はてっきりジークフリートの後ろに座って彼にしがみつく絵を想像していたのだが、現実は全く逆だった。まず最初にウィンスに跨った彼は、私を引っ張り上げるとそのまま自分の前へと座らせたのだ。後ろから手綱を引く彼の腕が伸びているため、まるで背後から抱きつかれているようで全然落ち着かない。

 私はちょうど手で掴まりやすい鞍の出っ張りを握りしめ、空の景色も楽しめず俯いていた。

(うぅ。やっぱり三次元は私にはハードルが高かった。帰りはケルちゃんに乗って帰ろう…)

 しばらく空の旅を続けて十数分、無事に何事もなくホールスポット周辺へと到着した。

「ここら辺からなら十分魔界へ行けるね!ケルが先に行くから、みんなケルについて来て!」

 空を駆って進むケルは全身から青い光を発すると、周りの空間を歪ませながら、一点に吸い込まれるように消えてしまった。

「き、消えちゃった!!」

「俺たちも続くぞ。しっかり掴まっていろ」

 ジークフリートが手綱を引くと、ウィンスが両足を上げて嘶いた。そして次の瞬間、ウィンスは猛スピードで空を駆け抜けると、ケル同様青い光を発しながらホシを移動した。



 青い光に目が眩み、固く目を閉じている間に、無事人間界から魔界への移動は完了した。

 周りの景色は先ほどまでと様変わりしており、周囲には険しい峡谷が広がっている。また、遠くには白い煙を吐き出している火山が見えた。距離としてはそれなりに離れているのだが、心なしか肌にまとわりつく空気は暖かい。

 私は眼下に広がる谷に吸い込まれそうになる意識を必死で堪えながら、目的の村についてどのくらいか尋ねた。

「今俺たちがいる領域は七天魔の一人、『炎帝のサラマンダー』殿が治める領域の辺境だな。幸いにもジャック殿の領域と隣接している領域だから、ここからスプルス村までそう遠くはない」

「炎帝の、サラマンダー…。名前からしてメチャクチャ強そうな人だね」

 ゴクリッと生唾を飲み込む私に、ジークフリートは安心させるよう穏やかな声で言い添える。

「確かにサラ殿は竜人で、竜化したら手が付けられないほどの強さを持っているが、とても聡明で凛々しい女性だ。それに、今は一族の大半と共に人間界で任務の真っ最中だ。留守にしているから、サラ殿や他のドラゴンと遭遇する心配もない」

 初めての魔界に加え、サラマンダーというRPGでよく聞く竜の名前にビビったが、どうやら何事もなく村へと向かえそうだ。

(サラマンダーって女の人だったんだ。てっきりゴツイ竜を想像しちゃったよ)

 名前から勝手に色々連想していたが脳内から削除する。

「人間界での任務って?そんなに大人数での任務って、もしかして、人間界の街とかに攻め込んでるの?」

 不安の色を浮かべる私に、ジークフリートは途端に優しい顔を曇らせた。言いにくそうに口ごもる彼の代わりに、一歩先を飛ぶケルが深刻さの欠片もなく答える。

「街に攻め込む前の段階だよー。人間界の『マシックリック』ていう街に攻め込もうとしたんだけど、『空賊をしてる星の戦士』に邪魔されてね、かれこれ二年以上戦ってるんじゃないかな~」

「に、二年!?二年もその空賊とサラマンダーは戦い続けてるの?」

「うん!そうだよ~。サラは魔王軍の中でも空の戦いに長けてるんだけど、敵の星の戦士の能力が『飛行付与能力』っていうヘンテコな能力で、その能力を使われると絶対墜落しないんだって」

「飛行付与能力…?なんか、微妙そう~。絶対墜落しないって、それは安心かもしれないけど。すごく使える能力って感じはしないなぁ」

 私は何とも言えない表情を作る。

 自分が授かった能力は色々と使える幅が多いが、飛行付与はかなり使い方が限定されそうだ。そんな能力で二年以上も竜の魔族たちと戦い続けているとは、よほど実力のある空賊なのだろう。とりあえずのところは、その空賊のおかげで人間の街が襲われる心配はないようだ。

 私たちは連なる谷を抜け、ジャックが治める森林地帯の領域を目指し、空を駆け抜けるのだった。



 鬱蒼とした森が広がる一角に、少しだけ開拓されて開けた場所があった。私たちの目的地であるスプルス村だ。

 ケルとウィンスは村の入り口に向けて揃って急降下する。ケルは地面に降り立つ直前に一回転し、そのまま人型に戻って着地。ウィンスはバサバサと翼を羽ばたかせ速度を落とすと、ゆっくり地面に着地した。

(最後の急降下はまるでジェットコースターだったな…)

 なんとか叫ぶのは堪えたが、恐怖ですっかり涙目になっていた。

 先にウィンスから飛び降り私に手を差し出したジークフリートが、そこで初めて私の異変に気が付いた。

「えり殿!?大丈夫か!?もしかして、今地上に降りる時が怖かったのか」

「う、うん…。少し…、いや、正直言うとだいぶ…」

 ジークフリートに支えられて、ウィンスから下りながら歯切れ悪く答える。

「すまない。女性を乗せて飛ぶのは久しぶりで、すっかり加減するのを忘れていつもの調子で急降下してしまった。怖い思いをさせて悪かった」

「え!いやいや、そんな頭なんて下げなくて大丈夫だから。私も叫ぶの我慢しちゃったし。無理して我慢せずに言えばよかったから」

 本当に申し訳なさそうにする彼に、私はかえって気を遣ってしまう。

(今、サラッと気になる発言があったけど。女性を乗せて飛ぶのは久しぶりって、やっぱりこれだけイケメンならば、女性にモテモテなわけですね。すごい硬派に見えるけど、う~ん。魔族の恋愛事情、すっごい気になる!)

 私は脳内で恋バナ妄想を繰り広げかけたが、ケルに手を引かれてすぐに現実へと舞い戻った。

 ウィンスをその場に残し、私たちは村へと歩いた。

 ジークフリートは持ってきていた兜を手に取ると、村に入る前に再び装備し直す。

「あれ、ジークまた兜被っちゃうの?」

「ジークは『元人間』だからね。見た目で変なちょっかい出されないように、魔力の宿った鎧で完全武装するんだよ。でも、植物人は性格が穏やかで争いを好まない魔族ばかりだから、元人間だからって変に突っかかってくる人もいないだろうけどね」

「エッ!?ジークも元人間なの!?クロロと同じ。意外に多いものなの?人間から魔族になっちゃう人って」

 ケルと手を繋ぎながら、初めて訪れた魔界の村を物珍し気に眺める。

「いや、ケルが知る限り今はクロロとジークしかいないと思うけど。人間から魔族になるのって、本来は特定の条件下が揃わなければ成り得ないものなんだよ。とっても珍しいんだ。でも、元人間だから、純粋な魔族からは軽んじられて意地悪されたりするんだよ」

 ケルは怒ったようにプゥっと頬を膨らませるが、その様子が可愛くて私の頬は緩んでしまう。

「まあそういうことだから、今人間であるえり殿は、無用なトラブルに巻き込まれないようケルの傍から離れないようにしてくれ。魔界の番犬の傍なら心配ないだろうから」

 トラブルと聞いて、私は記憶に新しい人間の街でのトラブルを思い出してしまった。今度こそトラブルを起こさないようにと、ケルの手をギュッと握る。

 私が気持ちを新たにしていると、目の前を小さな切株と小さなキノコたちが仲良く走り抜けていった。サイズからしてまだ子供の魔族で、おそらくこの村に住む子供たちなのだろう。

(まるで某ゲームに出てくるキノコみたいだったな…。この調子だったら人喰い花も出てきそう)

 穏やかな性格とは聞いているが、私は絶対に二人からはぐれないようにしようと固く心に誓うのだった。



 スプルス村はそこまで広くない村で、魔族たちが住む家々に、商店が幾つかと子供たちの遊び場、小さな農園しかない。子供たちの遊具は全て植物でできており、ツタでできたジャングルジムに、枝や茎、幹でできた滑り台、ブランコ、シーソーなどがあった。

 遊びたそうにウズウズしているケルの手を引いて、私たちはお目当ての絵の具を取り扱っているお店へと到着した。

 店の中は実にこじんまりとしていて、すごい種類の絵の具や筆、色々な材質の紙など、様々なものが所狭しと置いてあった。

 ジークフリートの話によると、画材専門店というわけではなく、ここは雑貨屋さんで、たまたま絵の具を取り扱っているだけらしい。言われてみると、色んな花の種類の香水や押し花を使ったカード、リースなど植物に関する商品ばかり取り扱っているようだ。

「ねぇねぇ、魔界と人間界じゃやっぱり買い物に使う通貨はちがうの?」

 ジークフリートが絵の具を選んで買う間、私とケルは店の商品を手に取って見ている。植物人が扱う植物商品なだけあって、素人目でも質が良いとすぐわかる。

「むぅ?魔界でのお買い物は物々交換が原則だよ。あとは商品をもらう代わりにその人の頼みを聞いてあげたりする」

「へぇ~!通貨じゃなくて物々交換なんだ!なんか新鮮」

「待たせたな二人とも。無事に絵の具は調達できたぞ」

 ジークフリートは小さい手提げ袋を掲げてみせた。

「ジークは何と物々交換して絵の具を買ったの?」

「ん?俺はいつもここで絵の具を買うときは、植物人が好むドレスオイルというものと交換している」

 ドレスオイルとは、人間界で製造されたオイルで、料理にも肌に塗るのにも使える万能オイルだそうだ。以前絵の具の交換でジークフリートが持ち込んで以来、植物人の間で流行っているのだという。

「なるほど~。その人にとって価値のあるものと交換するわけだね。必ずしも高価なものが好まれるわけじゃないんだ」

 私はまた一つ、魔界の新しい常識を学んだのだった。

 店を後にした私たちは、せっかくなので村の商店を見て回ってから魔王城へと戻った。

 帰りはケルに乗っていこうと考えていたが、ジークフリートが帰りは気を付けてウィンスを乗りこなすからと言ってきたため、断ることができずに行き同様私はウィンスに乗って帰るのだった。




 魔王城のアトリエへと戻ったジークフリートは、早速絵の仕上げへと取り掛かった。私とケルは完成の瞬間を今か今かと待ちわびた。

 作業に取り掛かって一時間あまり、ようやくその瞬間は訪れた。

「よし!これで完成だ」

 ジークフリートの言葉に、私とケルは両脇から完成したキャンパスを覗き込んだ。

 キャンパスには夕日に照らされた城と城下町、見下ろしている丘の木々が色鮮やかに描かれていた。

「綺麗~!このお城は魔王城じゃないよね。街もあるし。これって人間界?どこにある場所なの?」

 絵を見て無邪気に尋ねる私とは対照的に、ジークフリートの横顔は哀しげな色を帯びていた。

「この場所は、この風景は、もう二度と見られない…。俺の頭の中に残る、思い出の場所なのだ…」

 寂しそうに答える彼に、なんだか私は聞いてはいけないことを聞いてしまったような、無神経に土足で心に踏み入ったような申し訳ない気持ちになる。何か言って空気を変えないと、と思った矢先、ケルから大音量の音が発せられた。耳を垂れさせ照れるケルは、自分のお腹を押さえて笑った。

「エヘヘ。ケルお腹空いちゃった~」

 みんなで顔を見合わせると、誰からともなく声を出して笑い始めた。

「さっき村でキャロットケーキとかぼちゃのタルトを試食したけど、もうとっくにお昼は過ぎてるもんね。絵も無事完成したことだし、みんなで遅めのランチにしようか」

「うんうん!今日はお休みだから、ジークも一緒に食べてお喋りしよう」

 ジークフリートの手を私とケルで片方ずつ取ると、有無を言わさず彼を引っ張った。まるで小さい弟と妹ができたようで、ジークフリートは抵抗することなく温かい笑みを浮かべたままついていく。今日一日だけは、可愛いこの二人に付き合ってゆっくり休みを満喫しようと彼は心の中で思うのだった―――。


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