第三幕・平和の調停者編 第五話 種族を超えた絆【前編】
各地に分散していた戦場がそれぞれ終結し、残された戦場はガイゼルが治めるアレキミルドレア国だけとなった。敵ももう後がないことが分かっているのか、ここ数日クロウリーの配下たちが続々と最終決戦地に集結している。全兵力を同盟軍にぶつけるつもりなのだろう。
敵が着々と準備を整える一方、私たち同盟軍も最終決戦に向けて合同作戦会議を開くことになった。今まではクロロが仲介役となり、魔王軍と星の戦士側の作戦や救援要請を伝えてきたのだが、最終決戦は魔王軍と星の戦士の全兵力をもって作戦にあたるため、主要幹部全員で会議を行うことになったのだ。
私はクロロが迎えに行った星の戦士たちを出迎えるため、魔王城の正面庭園にある魔法陣の前でケルと待機していた。
「もうそろそろ来る時間かな。…それにしても、みんなを魔王城に招待して会議なんて、少し前だったら考えられないことだよね。ついこの間まで戦場で戦っていた者同士だし」
「うんうん!魔族側は元々リアナ姫のおかげで人間に対してあまり抵抗感はないけど、人間側はケルたち魔族を恐怖の対象として認識しているだろうから、普通だったら魔王様の居城に来るのはかなり勇気がいるんじゃないかな」
「そうだよね。私も最初は魔王にいきなりここに連れて来られて殺されるかと思ったし。次に会ったクロロとメリィも怖くてさ、おまけに地下牢に入れられて…。なんかもうずいぶん前のことのように思えるよ」
私はこの異世界に来た日のことを思い出す。もうかなり昔のことのように思えるが、実際はつい数か月前の出来事だ。このラズベイルに来てからは毎日が新鮮で、時間の流れも異常に早かったように感じる。
「お姉ちゃんが来た時はまだクロウリーを探っている状態だったもんね。お姉ちゃんはケルたちにとって人間側と繋がるための切り札だったから、クロウリーに変なちょっかいを出されないようにあえて地下牢に入れられちゃったんだよね。一応人質として扱わないと、クロウリーは勘が鋭いから」
「そ、そういうことだったの?でも途中から普通に部屋を用意してくれたよね」
「それは魔王様が優しいから!それにお姉ちゃんのことをとっても気に入ってるからだと思うよ!」
「気に入ってる…?イジメるのにちょうどいい玩具を見つけたような感覚ね、きっと」
私はしょっちゅう頬を引っ張られたり、毒舌で攻撃されていることを思い出した。
(でも結局部屋を用意してもらったら、当初人質扱いしたのが無駄になったんじゃ)
そんな本末転倒なことを考えたが、過ぎ去ったことをこれ以上考えても仕方がないので忘れることにした。
それからしばらくケルと他愛のない話をしていると、階段上の魔法陣が発光して待ち人たちが現れた。フォード以外の星の戦士たちは魔王城に来るのは初めてのため、物珍しそうに辺りをキョロキョロ見回している。
「へぇ~!ここが魔王城!この間えりに聞いたけど、庭がとても綺麗なところね!城全体が黒だから、白い柱と石畳の庭園がとても映えるわ」
「えぇ!本当に美しいですわ!魔王様のお城なので、てっきりもっと邪悪で恐ろしいところだと想像しておりました」
「まぁ神谷さんがずっと不自由なく住んでた時点で、人間にとってもそこまで悪い場所じゃないとは予想してたけどね。……ちなみに今人間界のどこらへんの上空を飛んでるの?」
ニコは青い空と白い雲が漂う景色を見ながらクロロに訊ねる。
「今はちょうど海の上ですね。アレキミルドレア国の東の海上です。城の防衛の関係で、決戦当日はアレキミルドレア国上空で待機する予定ですよ」
「なるほど。だから近くまで来て今は海で待機中ってことか。それにしても、こんな大きな城が空を飛んでいるなんて信じられないな。魔族だけが持つ魔力ってのは本当にすごいんだな」
カイトは感心しながら、先に階段を下りて行った女性陣を追いかける。
「さすがに一人の魔力だけで飛ばしているわけではありませんがね。歴代の魔王様が溜めた魔力を元に、現魔王様とおじいさんの魔力で飛んでいるんです。実際空を移動し始めたのは先代様の頃からですよ。人間界出身のリアナ姫がずっと魔界にいるのでは息が詰まるだろうと考え、時々城ごと人間界に移動させ、上空散歩をするようになったのがきっかけですね」
「へぇ~。先代の魔王はよほど奥さんに惚れていたんだね。そんなに大事にしていたなんて」
男性陣が階段を下りてきたところで、改めて私とケルはみんなを出迎えた。
「いらっしゃいみんな!待ってたよ!どう?魔王城の感想は?」
「とても素晴らしいですわ!お庭もお綺麗ですし、お城の中もさぞかしご立派なのでしょうね!」
セイラは水が流れる美しい正面庭園を眺めながら少し興奮気味に言った。
セイラが城のことに触れたので、ちょうどいい機会だとクロロは横目でフォードを睨みながら嫌味をグチグチ口にする。
「そうですねー。廊下の至る所に貴重な調度品や絵画が飾られ、広い訓練場や西にも果物がなる庭園があるのですが、先の襲撃の時にどこかの馬鹿が盛大に魔王城を破壊したため、まだ修復が終わっていない箇所がありまして。破壊された訓練場や外壁などは魔王様やおじいさんの魔法でどうにかなりますが、粉々に割れた調度品や盛大にひび割れたり破れた絵画を元通りにするのは難しくてですね。被害総額は軽く億を超えますよ」
「お、億!?………さぁ~ってと、俺様は早速サラを探しに行こうかな。戦場で別れて以来ずっと会ってないからな」
フォードはそそくさと魔王城の方に退散しようとしたが、お目付け役のニコが素早く彼の服の裾を掴んだ。
「こんなもので良ければ死ぬまで魔王軍でこき使ってくれていいよ。もちろんタダで。それでも弁償できない分は、空賊団の飛空艇で支払うよ。全部売っぱらえば少しは足しになるでしょ」
「ふざけんなクソガキ!勝手に何言ってやがる!一生タダ働きすんのも飛空艇を売るのもごめんだぞ!……まぁ、サラの軍だったら考えてやってもいいが」
「私の軍で一生こき使いながら人体実験しつつ面倒みましょうか」
「ふっざけんな!人を実験用のモルモットを見るような目で見るんじゃねぇよ!」
フォードはニコを乱暴に振り払うと、一足先に魔王城の入り口に走り出した。
私たちは苦笑すると、今日の話し合いの場である作戦会議室を目指し、私とケルの道案内を聞きながら歩き出した。
作戦会議室に到着すると、魔王軍幹部と星の戦士同士改めてお互いに簡単な自己紹介をすると、それぞれ向かい合わせになって着席した。魔王はいつも通り一段高い上座の定位置に座り、クロロはその隣に参謀として立っている。魔王から見て右側が魔王軍、左側が星の戦士だ。ちなみに私は星の戦士側の一番前、魔王に近い席に座っている。
皆が座って落ち着き、静かになったところで、参謀のクロロがまず話し始めた。
「本日は皆さまお集まりいただきありがとうございます。今回はご存知の通り、来たるべき最終決戦に向けての作戦会議です。敵も魔族と人間の混合軍で戦ってきます。向こうは急造の軍で大した連携はないとは思いますが、それでもあらゆることを想定して事前に対策を立てたいと思います。こちらは幸い同盟を組んでから何回か共に戦場を経験していますし、その前からお互いに敵同士として戦いそれぞれの強みや個性は分かっているでしょう。その点を踏まえて今回は軍の配置や作戦を立てていきましょう」
「向こうの特徴としては、機械魔族の連中と魔法に特化した三つ目族にサポートが得意なスライム族、そして未だ洗脳されたままの他種族の魔族たち。そして一番厄介なのは星の戦士の能力だな」
クロロの話を引き継いだ魔王が敵戦力の分析を述べる。
ガイゼルの能力である強制武装解除は、範囲内にいる敵の装備を解除し魔力をゼロにする効果がある。基本的に魔力を使って戦うことに慣れている魔族にとって、このガイゼルの能力はなかなか厄介だ。また、武器を持って戦う人間にとってもこの能力はとても脅威だ。
「魔力が無くなると浮遊魔法すら使えないし、ひたすら肉弾戦だからしんどいよネ~。体術が基本のボクら吸血鬼一族と力自慢の獣人族はまだいいにしても、他の種族は辛いよね。竜人族も魔力がなきゃ竜化したり人型に戻ったりもできないじゃない」
「そうね。自由に姿を変えられないのは面倒ね。……いっそのこと、私の渾身の竜の息吹で奴がいる城を燃やし尽くすっていうのはどうかしら。そうすれば変な制約を受けずにのびのび戦うことができるわ」
「あ、じゃあ!俺の空賊団も砲撃でそれを援護するぜ!一緒にやれば効率がいいだろ!」
「はいはい。作戦会議の意義を根本から壊すような真似しないでくれる?頭お花畑の馬鹿は黙ってて。話が進まないから」
「サラも却下されると分かっていて無駄な提案はしないでください。時間がもったいないので」
ニコとクロロがそれぞれ注意し、フォードは悪態を吐きながら、サラマンダーは妖艶に微笑みながら口を閉じた。
「あの自己中王の能力は範囲内の味方には作用しないのがネックよねぇ。こっちは丸腰でも敵はどんどん武器で攻撃してくるんだもの。それに今回は魔族と手を組んでいるから、武器だけじゃなく魔法でも攻撃をしてくるのよね。きちんと対策を立てないとかなり味方に被害が出そうよ」
「あぁ。メルフィナの言う通り、俺たち星の戦士はガイゼルの力によって能力制限を受けることはないから問題ないが、他の兵たちは対処しきれないだろう。魔族の方もいくら元が頑丈だからと言っても、攻撃を受け続ければ厳しいはず。魔王軍の方では何か具体的な案を既に考えているのか?」
カイトは参謀のクロロに問いかける。
クロロはニコッと笑うと、私たちが座っているところまで来て、長いテーブルにあらかじめ置いてあったアレキミルドレア国周辺の地図の傍に人数分の駒を用意していく。そして私たちが見ている目の前で、まずは駒を大きく二つに分けた。
「私たち同盟軍の今回の決戦の大きな目的は、ただ一つ。裏切者のクロウリーの討伐とガイゼルの捕縛です。念のため確認ですが、我々魔族側はクロウリーの生死は問わないと決めていますが、そちらはガイゼルを生かして捕らえるのが目的ということは変わっていませんね?」
「あぁ。相手は一応曲がりなりにも一国の王だからな。各国のトップを交えて話し合ったが、殺すのではなく捕らえてきちんと裁くという意見で一致した」
「ガイゼル王がクロウリーに手を貸したせいで多くの命が此度の戦争で犠牲となったが、ただ殺すのでは何の解決にもならぬでござるよ。きちんとこれまでの経緯を聴取し、その上で厳正に裁く。それで最終的に処刑をすることになるのなら、それはそれで致し方ないでござるよ」
「フン。人間はお優しいことだな。クロウリーは言い訳などしてきても、弁解の余地なく問答無用で斬り捨てるがな。あいつには一欠片の慈悲も必要ない」
「当たり前じゃ!妾の大事なリアナを奪った奴には言い訳する暇も与えんわ!」
ネプチューンが鼻息荒く魔王に同調する。
まず話を聞いて原因や経緯などの裏の背景をはっきりさせておきたいと考える人間側と、裏切者には問答無用で厳しく対応する魔族側で、種族の価値観の違いがはっきり表れていた。
(クロウリーは先代魔王とその姫君の命を奪ったようなものだから無理もないけど。今更どんな言い訳をしてきてもみんなの心象は変わらないよね)
「ではその前提を踏まえて、今回は大きく二つのチームに分けようと思います。王都制圧チームと城内攻略チーム。王都制圧チームは平原に布陣する敵兵を倒し、城内攻略チームの進軍を補佐します。できるだけ速やかに城壁をこじ開け、そのまま王都を制圧してもらいます」
クロロは駒を一つ手に取り、その駒を地図上で動かしながら説明する。
「そして城内攻略チームは進軍経路が確保出来次第城内に突入。クロウリーとガイゼルをそれぞれ討伐・捕縛してもらいます。ガイゼルの能力の性質上、恐らく始めは戦場が見渡せる城壁周辺にいると思われますが、彼の性格からして自分の身が危険になればさっさと城内に撤退するでしょう。クロウリーも魔法であちこちの戦場を援護すると予想されますが、最終的にはガイゼルと撤退するか、もしくは魔界に逃げる可能性が高いでしょう」
「魔界に逃げられるのだけは勘弁してもらいたいな。奴の領域は厄介な場所だからなぁ」
「ぼぼ、僕も、レオンさんと同じであの領域はちょっと…」
魔族たちみんながうんうんと頷く中、星の戦士たちは頭上に?マークを浮かべる。魔王はクロウリーの領域については聞き流すように言い、話を進めるようクロロに促した。
「懸念事項はひとまず置いておいて、チーム分けについて私と魔王様、おじいさんで考えたものをお話しします。それを聞いていただき、その後皆さんの意見を反映させていきましょう。ではまず王都制圧チームですが、魔王軍からはドラキュリオ軍・レオン軍・サラマンダー軍・ネプチューン軍、ジャック軍を配置したいと思います。そして少数精鋭の城内攻略チームは、魔王様とジークフリート、道案内を兼ねて私が同行します」
「ん?道案内って、どういうこと?」
扇を軽く顎に当てながらメルフィナは小首を傾げる。
「アレキミルドレア国は閉鎖的な国ですが、クロロ様は元々アレキミルドレア国ご出身なので、恐らくここにいる誰よりも王都の中に詳しいのだと思います」
「へぇ~。元人間だって言うのは聞いて知っていたけど、あそこの出身だったとはね」
メルフィナを始めその事実を知らなかった者は目を丸くして納得したが、当の本人は冷めた目を聖女に向けていた。セイラはクロロからの視線に気づくと、その瞳から負の感情を読み取ったのか、気まずそうに俯いた。
二人の間からただならぬ空気を感じ取ったカイトは抗議の声を上げようとしたが、魔王から無言の圧力をかけられひとまず口を噤んだ。
(な、なんか私を通り過ぎて色々な視線の応酬が繰り広げられている気が……)
私の隣にカイト、その奥にセイラが座っているが、上座に座っている魔王とテーブルの前に立つクロロが私を間に挟んで無言のやり取りがされていた。大事な会議の場なので争い事だけは勘弁してほしいところだ。
「魔王軍の配置は今のところそんな感じです。あと今回の作戦を行うにあたって私たちが星の戦士側に要望したいのは、城内攻略チームにえりさんと踊り子を同行させてほしいことですかね。あとのメンバーの割り振りはそちらにお任せします」
気を取り直して話し始めたクロロは、城内攻略チームに私を指名してきた。正直私はどちらのチームでも構わなかったので、すぐに同行を了承した。
「ちなみに神谷さんとメルフィナさんを指名した理由を聞いてもいい?」
「えりさんは私たち魔族と人間の仲介役ですからね、今回の決戦の結末を一緒に見届けてもらう義務があるかと。それに加えて彼女の能力は回数制限があるものの、割と自由で幅が広い。策士であるクロウリーに対してもしもの時の切り札として備えておくのに良いと思いまして。あ、ご心配なく。今まで通りあなたには護衛として魔界の番犬をつけますので」
「じゃあ、当日はケロスも城内攻略チームで一緒なんだね」
私が反対側に座るケルベロスを見ると、目が合ってにっこり微笑まれた。
「神谷さんにはわざわざ護衛までつけるんスね。どんだけ手厚い待遇なんスか。本当に魔族たちに気に入られてるんですね」
「…神谷殿が好かれているというのも確かにあるだろうが、彼女は拙者たちが同盟するに至った大事な橋渡し役でござる。星の戦士の仲間でもあり、人間でもある彼女がもし魔族に殺されでもしたら、今度こそ拙者たちは血で血を洗う戦争に突入するだろう。だからこそ魔族側も、拙者たちの仲を取り持ってくれた神谷殿には細心の注意を払っているのでござろう」
「なるほど。そういうことなんですね。確かにあんだけ魔族を擁護していた神谷さんが殺されたら、さすがにもう魔族なんて信用できないッスからねー」
佐久間と凪の会話を小耳に挟みながら、ニコはもう一人の指名理由の説明を促す。
「ガイゼルの父親譲りの腐った性格上、追い詰められた場合必ず一般人を盾にするでしょう。その際に踊り子がいれば彼らを魅了して穏便に退場させられると思ったからです。王都民は幼少の頃からもれなくガイゼルに洗脳されています。みんながみんな必死になってガイゼルの盾になろうとするでしょう。そういった輩をわざわざ相手にするのは骨が折れますから、踊り子の力で魅了してしまったほうが効率がいいと思ったんです」
「洗脳をアタシの魅了で上書きしちゃうってことね。まぁ、そういうことなら同行するしかないわね。ガイゼルも城内に引っ込めば外で戦っている連中に対して能力は使えないし、アタシが魅了で援護しなくても外の兵たちは自力でどうにかできるか」
クロロの説明で納得し、私とメルフィナは城内攻略チームにそのまま決定した。
魔王軍からは他に特に要望はないらしく、後は自由に星の戦士側でチームを分けることになった。
「ガイゼル王と決着をつけるにあたって、拙者はその場に来れない各国の王の代わりに直接話を聞く義務があるでござる。悪いが拙者は城内攻略チームを希望するでござるよ」
「えぇ、凪様は当然の権利かと。俺も星の戦士のリーダーとして城内攻略チームに参加したいな。騎士団はサイラス団長に任せておけばいいし。いざという時の戦場の連携と指揮はニコにお願いしてもいいか?」
「いいよ。カイトさんとお殿様がいないんじゃボクくらいしか指示を出せる人間がいないからね」
最年少ながら一番危機管理能力と勝利の嗅覚に優れたニコが、星の戦士側の王都制圧チームの指揮官を引き受ける。しかしすぐにニコの隣に座っていたフォードが、クソガキの命令になんて従いたくないと断固拒否した。そこですかさずニコがサラマンダー軍と好きなだけ一緒に空で暴れていいからと言うと、彼はすぐに機嫌を直した。実に単純で恋に一途な男だ。
「それじゃあ俺も凪さんの側近として城内攻略チームでいいッスか?」
「いや、勇斗は王都制圧チームに参加してくれ。拙者の代わりにヤマトの兵を率いて外で戦ってほしいでござる」
「エッ!?俺がヤマトの兵を!?でも俺、元々異世界の人間ですよ。ただ戦うだけならまだしも、軍の指揮を執るなんてやったことないですよ」
「大丈夫だ。勇斗も最近はめきめき成長しているからな、先頭に立って戦えば皆が自ずとついてくるでござるよ。いざという時に拙者の代わりに軍を率いるのも側近の大事な仕事でござる。将来日向のような側近になるならばそのくらいこなせねばな」
「むむ。……わかりました。頑張ります」
佐久間は全面から不安を滲ませていたが、恩人だという亡くなった日向のために腹をくくって主の命に従った。
見るからに気負っている佐久間を心配し、メルフィナを挟んで隣に座っているニコが一声かけてあげる。
「今回は総兵力で言えば断然こっちの方が多いんだからそんなに心配しなくても大丈夫だよ。城攻めが前提だから二倍以上の兵力差だからね。もしも軍が崩れそうな場合は僕がすぐに指示を出すから平気だよ」
「ニコ~!本当にメチャクチャ頼りにしてるからなぁ~!」
切実な声の佐久間に、星の戦士たちは思わず笑いをこぼす。
最後にまだチームに割り振られていないセイラが、両隣に座るカイトと凪に自分の配置をどうするか判断を仰いだ。
「わたくしは、いかがいたしましょう?怪我人が多く出るのは間違いなく王都制圧チームだと思うのですが、城内攻略チームにも回復役は必要ですよね」
「う~ん。制圧チームには一応ニコがいるけど、ニコは回復に特化した能力というわけじゃないしなぁ」
「僕の能力はセイラさんほど範囲が広くないからね。それによっぽどのピンチじゃない限り回復の出目だってそんなに連続でホイホイ出ないし」
「強運を持ってるって言っても、一応ダイスの出目次第だものね。ニコの能力は。魔王軍にも回復担当はいるみたいだけど、セイラのように一瞬で治せるものじゃないのよね?」
メルフィナの問いに、魔王軍回復担当のジャックが背筋を伸ばして言葉に詰まりながら答える。
「はは、はい!花の花粉で痛みを一時的に麻痺させるとかなら、多分、そんなに時間がかからず効くと思いますけど。ちょ、直接的な治療になると、それなりに時間がかかります。薬草の効果もそんな一瞬では現れないから。聖女さんのように一瞬で治すのは~…」
ジャックは目を泳がせて魔王を見ると、申し訳なさそうに目を閉じる。星の戦士の能力より劣る自分を恥じ、七天魔として魔王の顔に泥を塗ってしまったと思ったのかもしれない。
気が弱くて優しく、真面目すぎるジャックを魔王は鼻で笑うと、参謀と星の戦士たちに提案を一つした。
「ならばうちのジャックを回復役として城内攻略チームに加えよう。外の連中の回復は主に星の戦士側に任せる。聖女と神の子にな。一応ジャックの軍はそのまま外に残すから、手が回らない箇所をジャック軍が受け持てばいい」
「人数の割り振り的にもうちはそれがちょうどいいかもね。ガイゼルが奥に引っ込むまでは王都制圧チームは怪我人が続出するだろうし、セイラさんの回復が不可欠だよ」
「セイラ殿はそれでいいでござるか?」
「はい。わたくしはどちらでも全力で皆様の怪我の手当てをするだけです」
「フン。決まりだな。ジャック、当日軍が混乱しないようしっかり引き継いでおけよ」
「は、はい!」
急遽城内攻略チームに加わったジャックは、緊張した様子で身を固くした。
そんなジャックを横目で見ながら、ドラキュリオはようやく一区切りついて発言できる機会が回ってきたと嬉しそうに挙手をした。
「ハイハイ!えりちゃんに護衛が必要ならケロスの代わりにボクが立候補する~!ケロスは当日レオン軍で暴れたほうがいいと思うんだよネ!」
「何を突然言い始めてるんですか。キュリオが城内攻略チームになったら誰が軍を率いるんです?キュリオはただお姉さんの傍にいたいだけでしょう。動機が不純すぎます」
「なんだよ~!自分はずっとえりちゃんの傍にいるからそんなことが言えるんだ!ケルベロスたちだけズルイぞ!えりちゃんをずっと独占して!ボクだってえりちゃんともっといっぱい話してかっこいいところも見せたい~!」
「くだらんことを喚くなドラキュリオ。立候補以前にドラストラがいない今、お前の代わりに軍を率いる有能な者がいないだろう。諦めろ」
ドラキュリオはブーッとふて腐れて椅子をガタガタ前後に揺らした。
現在ドラキュリオの従弟であり右腕ポジションのドラストラは行方不明状態になっている。魔界の治安維持の巡回中に、突如数人の眷属を連れて姿を消したそうだ。特に表情には出していないが、従弟の突然の失踪に本当はすごく心配しているのだと前にケルが呟いていた。
「それならば代わりに妾が立候補しよう。そもそもリアナの仇であるクロウリーと決着をつけるというのに、何故妾がその他大勢の相手をしなければならない。当然妾は城内攻略チームに入れるべきだ!犬っころの代わりにえりは妾が守ってやろう」
「今度はあなたですか!短気でクロウリーの挑発に易々と乗りそうなあなたは決戦の場には相応しくありません。あなたをお姉さんに付けるくらいなら百歩譲ってキュリオが付いたほうがマシなくらいです」
「なんじゃとこの犬っころめ!相も変わらずいちいち噛みついてくるやつじゃのう!七天魔に対する敬意というものが感じられんわ!全くどっかの筋肉馬鹿の躾が行き届いていないようじゃの」
ネプチューンは魔王軍側の一番上座に座っているレオンの方を見ながら嫌味を口にする。私の向かいに座るレオンは分かり易いくらいにそれに反応した。
「七天魔に対する敬意~?悪いがうちのケルベロスは獣人族の中では一番礼儀正しく利口でなぁ、お前とクロウリー以外の七天魔にはちゃんと敬意を払ってるぜ。単に敬意を払ってもらえるほどの威厳や力が魚ババアにないだけじゃねぇのか!?」
「魚ババア言うな!お主がそう言うから狂気の犬っころまで妾をそう呼ぶのじゃぞ!」
「へへ。ケロスはケルベロスと違って口が悪いからな」
「笑い事じゃないわ!長ならちゃんと教育せよ!」
「我儘女王様の口から教育なんて言葉が出るとはな。お前だって配下に礼儀の教育なんてしたことないくせに、よく言うぜ」
ケロベロスとドラキュリオ、ジャックを間に挟み、二人の口喧嘩がしばらく続く。魔族側はお馴染の光景にため息を吐き、星の戦士たちは珍しい魔族の一面に目を瞬いて見入った。
最終的にお互いに手が出そうになったところで魔王の一喝が入り二人は静まった。
「全く…。これ以上騒ぎを起こすなら城で留守番をしてもらうぞ二人とも」
「なに!?それだけは絶対に嫌じゃぞ!」
「わ~ったよ。とにかく俺もネプチューンも王都制圧チームだな」
「はい。そこは変更なしでお願いします。他の者も配置に異論はないですね?」
クロロが確認すると、ドラキュリオとネプチューンだけが渋々返事をし、他の者は黙って頷いた。
「そう言えば、城の防衛はどうするのだ参謀殿。全員が出払っては手薄になってしまうだろう」
「ご心配には及びません。城の防衛には私の配下とおじいさんが付きますので」
ジークフリートの指摘にクロロはさらっと答えたが、私は目を丸くして驚いた。
「エッ!?おじいちゃんて城の防衛担当なの!?てっきり王都制圧チームでガンガン魔法援護するのかと思ってた!」
「あぁ、その認識で間違いはないですよ。おじいさんは一応城の守り担当と位置付けていますが、城の傍の上空から魔法で戦場の援護をしてもらう予定です。ガイゼルの能力の範囲はかなり広いですから、魔法主体のおじいさんは極力離れていたほうがいいと思いまして」
「確かに。じーちゃんが魔力ゼロになったらもうただの使えない老人だもんネ。戦場にいたら真っ先にやられちゃうよ」
「つ、使えない老人って…。キュリオ君ちょっと言葉がキツすぎ」
ジャックはやんわり注意し、ケルベロスは軽くチョップをお見舞いしていた。
「じいの役割はそれだけじゃない。もう一つ重要なことがあってな、それで今回は城に留まってもらうことになった」
「もう一つの、重要なこと…。何なのですか、それは?」
ジークフリートが質問し、みんなが魔王の言葉に注目した。
「内通者の監視だ」
「「「「内通者!?」」」」
魔王軍と星の戦士側双方から驚きの声が上がった。
魔族と人間が同盟を結ぶ前からクロウリー側に情報が漏れて襲撃される被害にあったが、ついにその内通者が特定されたようだ。今もこの会議の場にはおじいちゃんは同席していない。もしかしたら今もその内通者の監視をしているのかもしれない。
「へぇ~。ついに裏切者が判明したのね。でもこの顔ぶれを見れば、大体その人物の予想はつくけど。魔王様の身近にいて有益な情報を得る機会があり、今この場にいない人物……。内通者の正体は暗殺人形のメリィかしら?」
「えっ…。メリィ!?!?嘘!メリィが魔王を裏切るなんて一番あり得ないよ!」
「あら。どうして?順当に考えても彼女が一番怪しいわ。なにせ彼女は機械魔族と同じ、三つ目族に生み出された存在ですもの」
「機械魔族と、同じ…?」
私がサラマンダーの言葉に動揺して魔王とクロロの方を見ると、魔王がクロロに目配せをして説明を命じる。
「魔族側は知っていると思いますが、メリィもベースはほとんど機械魔族と同じです。メリィは先々代の三つ目族の長が造ったもので、機械を愛するが故に彼は機械に直接死んだ者の魂を宿す禁術を施しました。その影響で、彼が生み出した人形と呼ばれる者たちは機械なのに明確な意志を持った存在でした。ただ、デメリットとしてメンテナンスがとても大変で、次第に個体数が減っていき、今ではメリィしか残っていません」
「死んだ者の魂を機械に宿らせる…。拙者たちからしたら考えられない所業でござるな。死者を眠らせるどころか鉄の塊に押し込めるとは。命の冒涜でござるよ」
「でも、機械の体になってしまっても会いたいと思う人はきっといるわよね。愛したかけがえのない人だったら特に。もう一度会って話したいって…」
メルフィナは目線を遠くに向けながら、誰かを思い出すように呟いた。星の戦士のみんなは自然と亡き誰かを頭に思い浮かべる。長い戦争を経験し、彼らは多くの仲間を今まで失ってきた。もう一度会いたいと願うのは当然だろう。
「あれ?でも人形タイプの魔族で話してるのってメリィしかボク見たことないけど。他の連中も話せてたっけ?こっちの話を理解して行動はしてた気はするけど」
「いえ。ちゃんと会話ができて感情を出せたのはメリィしかいなかったようですね。魂と機械の相性が悪いと感情が死んで会話ができないんでしょう。メリィはきっと唯一の成功例です」
「なんだよ。結局ほとんど失敗作じゃねぇか。魔族の技術者も大したことねぇなぁ」
「性根が馬鹿なあなたよりは間違いなく優れた技術者でしたよ。あなたの腕では一からあの人形を造るなんて、たとえ天才に生まれ変わっても無理でしょう」
「あんだと!?つか天才に生まれ変わってんのに無理なのかよ!?それもう天才じゃねぇだろ!」
クロロはフォードのツッコミを無視し、脱線した話を元に戻す。
「私も昨日魔王様から聞いたのですが、メリィは自分の意志とは関係なく三つ目族の長に服従するプログラムが組み込まれているようで、遠隔操作でいつでもクロウリーの手駒になってしまうようです」
「なんだって!?マジかよ!クロウリーの野郎!それで今までこっちの情報が向こうに筒抜けだったのか。この前魔王城が襲撃されたのも、メリィが同盟の件をクロウリーに話しちまったってことか」
「そういうことです。一度私がメリィの体を見てみたんですが、その強制プログラムを解除するのは容易でなくて。下手したら彼女の記憶や魂を傷つける可能性があったので、一旦保留にしました」
レオンは悔しそうに舌打ちすると、怒りで毛を逆立てた。メリィと交流の多い城勤めのケルベロスとジークフリートも怒りを露わにしている。
かくいう私も強制的にメリィを操っているクロウリーに対して怒りを抑えられなかった。
「それで、当のメリィは今どうしておるのじゃ。ちゃんと対処しておかねば今日のこの会議の内容すらクロウリーに筒抜けになってしまうぞ」
「メリィは今じいが見張ってくれているが、そもそもオーバーヒートして今は意識がない状態だ。メリィはプログラムの洗脳に無理矢理抗い、俺に内通者であることを伝え、自ら機械をオーバーヒートさせて戦線を離脱した。クロロの話ではしばらく目が覚めないそうだ。それでも不測の事態に備えて決戦中はじいを見張りにつけるがな」
「なるほど。大体事情は理解した。とりあえずそっちの懸念事項だった内通者問題が解決したようで良かった。後は決戦当日のチームごとの詳細な配置と攻め方、突入の流れとかを決めればいいか」
カイトの提案に魔王と参謀は頷く。それから私たちはクロロが中心となって机の上の地図に駒を並べながら、細かい作戦の打ち合わせを進めていくのだった。
それから数日後。同盟軍は決められた作戦通りそれぞれ準備を進め、いよいよ明日が決戦当日となった。私は魔王城の食堂で早めに夕食を取り終え、明日に備えて今日は早めに休むことにしていた。
「………準備万端で早めにベッドに入ったものの~、全然眠たくならないよ。もうかれこれ二時間近く経つんですけど~。これじゃあいつもより寝るのが遅くなっちゃうくらいだよ。う~ん。決戦前夜ともなると色々考えて眠れない~」
私はベッドの中でごろごろと寝返りを打つ。人間早く寝なければと思うと余計に焦って眠れないものである。私は頭の中をなるべく空っぽにして寝ようと努めるが、次から次へと色々な妄想が無意識に生み出され上手くいかない。こういう時だけは自分の妄想癖にうんざりしてしまう。
「あぁ~。……ダメだ!眠れない!ちょっと気分転換でもしなきゃダメだ!」
私はベッドから体を起こすと、カーディガンを羽織って城内を散歩することにした。
自室から出ると、私はひとまず西の庭園に向かうことにした。あそこならば夜風にも当たれ気分を変えるのにちょうどいい。それにこの城は基本的に雲より高い上空なので、星がとても澄んで見えて綺麗なのだ。星を眺めて頭の中を空っぽにするのにはうってつけだろう。
廊下を歩いて下への階段を目指していると、クロロの研究室から明かりが漏れているのに気が付いた。私は扉の前で足を止めると、そっと扉に耳を澄ませた。
(……中から作業をしている音が聞こえる。こんな時間にまだ何か作ってるのかな。もう数時間後には決戦なのに)
私は扉から耳を離すと、少し考えてから研究室の扉をノックした。するとすぐに中の作業音が止み、しばらくしてから扉がゆっくり開かれた。
「誰かと思えばえりさんですか。どうしたんですかこんな時間に。明日のことで何か確認したいことでも?」
「えっと~、別にそういうわけじゃないんだけど。眠れなくて散歩してたら、たまたま研究室の明かりが漏れてたのに気づいて。こんな時間にまだ何か作ってるの?」
「あぁ、別に一から作ったりしているわけではありませんよ。少し武器の調整をしているだけです。あとメリィの洗脳プログラムの解析をちょっと」
そう言うと、クロロは手術台に横たわっているメリィを振り返った。メリィの服ははだけ、遠目からでも手術道具ではなく機械の工具がお腹に刺さっているのが見える。頭にはコードが何本も繋がっており、メリィが機械であることを再認識させられた。
「メリィ…。クロウリーを倒したら、もうメリィが誰かに操られることもないんだよね?」
「えぇ。…クロウリーが後継者となる者にメリィを操る方法を教えていなければですけど。大丈夫です。この戦争が終わり、事後処理さえ済めば時間が取れますから。私がちゃんと洗脳プログラムを解除しますよ。その方がメリィも安心するでしょうしね」
「うん!頭の良いクロロならきっとすぐできちゃうよ!」
私がにっこり笑うと、クロロはモノクルに手を当てて当然ですと言い切った。ナルシストというわけではないが、自分の頭脳に絶対的自信を持っているのがよく分かる。私はその知識が悪いことに使われないようにと願うばかりだ。
「あぁ、そうだ。せっかくですから明日用に何か武器をお貸ししましょうか?初心者のえりさんでも扱える簡単な銃もありますよ。弾が自動装填でブレが少ない照準補助機能付きのものが」
「い、いやいや。私には打ち出の小槌がありますので。武器は間に合ってます。それにいざとなったらケロスも一緒だし大丈夫だよ」
「そうですか?女性が撃った際の詳細なデータも欲しかったのですが、残念ですね。またの機会にしましょう」
「ちょっと!善意からくる申し出じゃなかったのね!あくまで実験のデータがほしかっただけじゃない!」
私はプンプンと人差し指を突き出し指摘するが、クロロは少しも悪びれる様子はない。
「初心者で先入観がない人からのデータも重要ですからね。でもよくよく考えれば魔王様が傍にいますから、えりさんが武器を持って戦う機会はそもそもなさそうですね。輪光の騎士や隠密殿様もいますし」
「まぁ確かに。魔王の傍が一番安全だよね。なんてったって魔界で一番強い王なんだから」
私はその後クロロと少し立ち話をした後、予定通り西の庭園へと向かうことにした。
「えりさん、もしこの後魔王様に会うことがあったらできるだけ労わってあげてください」
「労わる?なんで?」
「昼間にネプチューンの精神攻撃をかなり受けておられたので、恐らく心のダメージが相当蓄積されているはずです」
クロロの話によると、昼間にネプチューンが魔王を訪ねて来て、自分も城内攻略チームに加えろと直談判してきたそうだ。それで散々魔王はネプチューンの相手をさせられ、彼女が帰る頃には相当疲弊していたそうだ。眉間の皺がこれでもかと刻まれるぐらいに。
「わかった。もし会えたら優しくしておきます。本当に苦労人だなぁ、魔王は」
「個性と我が強すぎる連中が多いんですよね、魔王軍は。根がお優しいせいで簡単に無下にはできない性格ですし。自然と気苦労が増えていくんですよね~」
「参謀なんだからちゃんと支えてあげなきゃダメだよクロロ」
「おや。もちろん私は魔王様を振り回す側ではなく支える側ですよ。…それでは、あなたもあまり遅くならないようにするんですよ。寝不足で隈なんか作らないように」
クロロは私の目の下あたりをちょんと指で突くと、彼にしては珍しく自然な笑顔で私を送り出してくれた。いつもは実験の獲物を見るような怪しい笑みを浮かべることが多いので、いつもあれくらい友好的ならいいのになぁと私は歩きながら思うのだった。
西の庭園に着くと、空には満天の星空が広がっていた。今魔王城はアレキミルドレア国のすぐ近くを飛んでおり、庭園の端から眼下を覗くと、きっと遠くに王都の明かりが見えるはずだ。おじいちゃんの魔法があるので落ちる心配はないが、わざわざ地上を覗き込みには行かない。
私が夜風に当たりながら何の気なしに庭園を歩いていると、軽い足取りで誰かがこちらに向かってくる音が聞こえた。私が音に気付いて振り向くと、ちょうどドラキュリオが両手を広げて抱きついて来るところだった。私は反射的に体を横に退き、寸でのところで抱きつきを回避する。
「ちょっと~!何で避けるのさ~!せっかく抱きしめようと思ったのに!」
「いや、そりゃ避けるでしょ。いきなり抱きついて来られたら」
ドラキュリオは頬を膨らませると、すっかりご機嫌斜めになってしまった。私より十年以上も長く生きているらしいが、こういうところを見るとまだまだ子供で気分屋だ。
私はとりあえず彼の機嫌が直るまで会話を投げかけることにする。
「それで、キュリオはなんで魔王城に?明日は自分のお城から直接戦場に行く予定じゃなかったっけ?」
「あぁ、魔王様に直談判しに行ってたんだよ!やっぱりえりちゃんの護衛がやりたい~って☆」
「えっ…。嘘でしょ?」
私は思わず顔を引きつらせてしまう。
昼間に散々ネプチューンの直訴を受け、夜にまたドラキュリオの直訴の猛攻を受けていたら、いくらなんでも魔王の精神ライフはゼロになってしまうだろう。
私があまりにも絶句しているので、ドラキュリオは少し慌てて理由を訂正した。
「じょ、冗談だよえりちゃん!いくらボクでもこんな土壇場でそんな我儘言わないってば!…本当はね、魔王様から呼び出しがあったんだ。ストラのことでネ」
「あ…、ドラストラの…。行方が分かったの?」
ドラキュリオの明るかった表情が少し陰ったので、私は遠慮がちに質問した。
「うん…。どうやらストラのやつ、クロウリーと一緒にいるみたい。多分、サキュアと同じ機械魔族に洗脳されてるんだ」
「あの、蜘蛛の形をした小型のやつだね。クロロが解体して色々調べてくれたんだよね?」
「そーそー。だからいくつか対処法とかは伝授されてる。明日はストラを見つけ次第、ソッコーぶっ倒して洗脳を解いてやらなくちゃ!」
ドラキュリオは胸の前でぐっと拳を握りしめて意気込んだ。
見た目のやる気は十分のようだが、表情には陰りがあるままで、ほんの少しだけいつもより元気がない。
(う~ん。こんなことなら大人しく抱きつかれてあげれば良かったかな。やっぱり従弟が心配で元気をなくしてるみたい。敵方にいるんだから当然だけど)
私がどうしたものかと悩んでいると、今度はドラキュリオの方から質問を投げかけられた。
「ところで、えりちゃんはこんな時間にこんなところで何してるの?ケルも連れずに」
「ん?あぁ、私は早く寝ようとしたんだけどなかなか寝付けなくて。気分転換に一人でお散歩してたの」
「ふ~ん。そうだったんだ。…大丈夫だよ!明日はえりちゃんのチームには魔王様がいるんだし、何も心配することはないさ!何だったらストラの件が片付いたら、ボクも後から城に乗りこんじゃうし☆」
「エッ!ダメだよ勝手に持ち場を離れちゃ!また魔王に怒られちゃうよ!」
私が注意すると、怒られるの上等!とドラキュリオが胸を張って答えるので、私はくすくすと笑ってしまう。私が笑うのを見て、ドラキュリオの表情も心なしか少し和らいだようだった。
「……ありがとう、キュリオ。自分も大変なのに私を気遣ってくれて。キュリオのそういう優しいところは私も認めてるよ」
「みと、めてる…?それはつまり、ボクのことが好きってことだネ!?」
「うん、違う。尊敬に値すると言っているだけです」
私は冷静に彼の発言を訂正したが、ドラキュリオの耳にはもはや届いていないようだった。
「あ~。せっかくだからえりちゃんともっとたくさんお話ししたいけど、城に帰って明日のストラ対策を配下たちに通達しないといけないんだよネ。名残り惜しいけどそろそろ行かなきゃ。部屋まで送ってあげられなくてごめんね」
「ううん。それは別にいいけど。さっきの私の訂正発言はちゃんと理解してもらえたかな」
「訂正?尊敬しちゃうほどボクのことが大好きってことだよネ♪」
「全然違う!どんだけ都合の良い解釈してるの!?」
ドラキュリオはすっかり上機嫌になって笑うと、マントをコウモリの羽に変えて空を飛んで離れていく。
「あ、そうだ!この戦争が終わったらデートしよう!何かご褒美があったほうがお互いやる気でるでしょ!」
「え、ちょっと!色々勝手に決めないでよ!キュリオ!?」
「それじゃあまた明日ね~!」
自由人な吸血鬼の王子は言うだけ言うと、手を振りながら玄関に向かって飛んで行ってしまう。
その場に一人残された私は、少しの間現実逃避をするように、空に輝く星の数を無意味に数えるのだった。
ようやく乱れた心が治まったところで、私はせっかくなので遠回りをしながら部屋に帰ることにした。もしかしたらまた誰かに会って話ができるかもしれないと思ったからだ。
(キュリオのせいでこのままじゃ余計眠れなくなっちゃいそうだからね。できれば別の人と話して気分を変えてから眠りたいなぁ)
そんなことを考えながら粗方修復が終わった東の訓練場横の廊下を歩いていると、訓練場の片隅で愛馬にブラッシングをしているジークフリートを見つけた。珍しく兜を取って、ペガサスに話しかけながら毛並みを整えているようだ。
私は笑みを浮かべると、早速彼に向かって駆け出した。
「ジーク~!ウィンス~!こんばんは~!」
「えり殿!?まだ起きていたのか。どうかしたのか?」
「どうっていうか、何だか色々考えちゃって眠れなくて。ちょっとお散歩してたんだ」
「眠れない、か…。明日は大事な一戦だからな。無理もない。…そうだ。ウィンスのブラッシングをやってみるか。動物と触れ合うと心が和むと言う。少しでもリラックスできればいいのだが」
ジークフリートは大きなブラシを差し出し、私はそれを笑顔で受け取った。
ジークフリートはちょうどウィンスに乗って城の定期巡回を終えたところで、明日一緒に戦う愛馬と意思の疎通を取りながら、高ぶる気持ちを落ち着かせていたらしい。
「なんか珍しいね。ジークが気持ちを高ぶらせているなんて。普段も戦う時もいつもすごく冷静なのに。やっぱり明日が最終決戦だから?」
私はウィンスの毛を優しくブラッシングしながら、隣に立つ寡黙な黒騎士に訊ねる。
「……もちろん決戦だからと言うのもあるが、俺にとってクロウリーと決着をつけるということは、とても特別な意味を持つんだ。えり殿には初めて話すと思うが、俺は人間だった頃、生まれ故郷をクロウリーの謀略で滅ぼされているんだ」
「えっ…!?」
ジークフリートの思いがけない告白に、私は呆然としてブラシの手を止める。突然のことにどう言葉を返していいか分からず、戸惑った表情を浮かべることしかできない。
ジークフリートは哀し気に目を細めると、困らせてすまない、と薄く笑った。
「それから俺は魔族になったが、元人間の俺の実力ではとてもクロウリーを討つことなどできなかった。だが、ついに明日、自分一人の力ではないが、奴と決着をつけることができる。これで少しは犠牲になった故郷の者に顔向けできるだろう」
「そっか……。じゃあ明日は私も頑張るね!必ず一緒にクロウリーをやっつけよう!」
私がブラシ片手に元気に意気込むと、ジークフリートはいつものように優しく微笑みかけてくれた。
「あぁ。人間と魔族、全員で力を合わせて明日は勝とう」
にっこり笑って私がブラシを持っていない拳を突き出すと、ジークフリートは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに意味を察して私の拳に自分の拳をくっつけた。コツンと軽い振動が伝わると同時に、お互いの中に気合が注入された。
「しかし、明日はあまり前に出過ぎないようにな。クロウリーはとても狡猾な男だ。いつどこに何を仕掛けているか分からない。ケロスが護衛についてはいるが、もしもの時はいつでも俺を頼ってくれていい。いくらでも盾になる」
「い、いくらでも盾になられちゃっても困るけど…。でも、危ない時は声を上げるね。代わりにジークがピンチの時は私も能力で助けてあげるから!」
「あぁ。頼りにしている」
私はジークと話しながらウィンスのブラッシングを続け、ウィンスがご機嫌に顔をすりすりしてきたところでブラッシングを終了した。
「さて、それじゃあ俺は門番に戻るか。えり殿は部屋に戻るのか?それなら部屋まで送るが」
「う~ん。もうちょっと散歩してから戻る。実はクロロに魔王に会ったら労ってあげてくれって頼まれてて。昼間にネプチューンと話してだいぶお疲れのようだから」
「それは…、大変気の毒なことだな。俺も彼女はあまり得意ではない」
「あはは。得意な人なんて親友だったリアナ姫か側近のタイガって人くらいじゃないの」
私は苦笑いしつつ、ジークフリートとウィンスに手を振って訓練場を後にした。
ここまできたらせっかくなので、私は魔王に会ってから休むことに決めた。とは言っても、こんな時間に魔王の自室を訪ねるのはさすがに気が引けるので、例の魔王と人間だけが入れる開かずの間に行って、そこに魔王がいるようなら会って話すことにした。
(もしいなかった場合は大人しく部屋に戻ってさっさと寝よう。明日は早いし)
私は複雑な場所に位置する開かずの間を目指して歩いた。
相変わらず分かりにくい場所にあり、曲がる角を一度間違えて廊下を戻ったりしたが、何とか私は目的地に辿り着いた。
綺麗な装飾の施された白い扉に手を当てると、扉は人間である私を認識して扉の鍵を開けた。
妄想で明かり用の光の玉を二個現実化させた私は、長く続く階段を一歩一歩下りて行った。光の玉は私を導くように、足元と道の先を照らしながらふよふよと浮いている。
階段を下りて狭い廊下を抜けると、久しぶりに幻想的な花畑と対面した。月明かりが差し込み緩い風が吹く白い花畑は、以前と変わらぬ美しさで咲き誇っていた。
私は花々に心を和ませながらも、お目当ての姿を見つけるとすぐにその人物へと駆け寄った。
「フェンリス~!明日は決戦だっていうのに、まだ起きてたんだね!」
魔王は目の前までやって来た私を呆れた様子で見ると、少し脅すような口調で注意してきた。
「それはこっちの台詞だ。こんな時間に何故まだお前は起きている。明日寝不足で使い物にならなくなって頬を引っ張られたくなかったら、今すぐベッドに入ってさっさと寝ろ」
「そう言いながらすでに頬に手を伸ばさないでくれます!?こっちはクロロに頼まれたから善意でわざわざ会いに来たっていうのに!すぐ追い返そうとするなんて酷い!」
「クロロに頼まれた?あいつに一体何を頼まれたのだ」
「フェンリスを労ってあげてほしいって」
私の言葉を聞いた瞬間、魔王はハ?っという顔をしてから、意味が分からないと眉間に皺を寄せた。
「昼間に散々ネプチューンの相手をして精神が相当消耗したって聞いたよ。それにさっきまでキュリオとも会ってたんだよね。キュリオは我儘言ってないって言ってたけど、二人のことだからまた口喧嘩くらいしたんじゃないの?決戦前だけど疲れてない?」
「…そういうことか。ドラキュリオ的にはあれは我儘ではないとはな。笑わせてくれる」
「えっ?我儘、言ったの?もしかして城内攻略チームにしてほしいとか?」
「あぁ。散々駄々をこねていたぞ。俺の考えが変わらないと分かると、最後にはたっぷり嫌みを言ってから帰って行った」
魔王は数十分前の出来事を思い出したのか、疲れた顔を浮かべて深いため息を吐いた。やはり精神的ダメージがかなり蓄積しているようだ。こんなことならジャック特製のハーブティーを持ってくれば良かったと私は心の中で後悔する。
「う~ん。私にはこんな土壇場で我儘なんて言わないよって言ってたんだけどねぇ」
「フン。あいつはお前の前では良い恰好をしたがるからな。…だが、確かにいつものような一時間オーバーして戦闘にもつれ込むほどの我儘っぷりではなかったな。あいつなりに一応抑えてはいたのかもしれん。まぁ、俺的には抑えているうちに入らんが」
魔王はげんなりした顔をし、私はそれを見て苦笑した。
私は魔王と話しながら、せっかくここまで来たのでリアナ姫の墓前に手を合わせようと歩き出した。
「ネプチューンは大丈夫だった?明日はちゃんと戦ってくれそう?」
「……とりあえずは大丈夫なはずだ。今日あれだけ俺の貴重な時間を費やして話を聞いてやったんだ。ちゃんと戦ってくれなければ困る。それに定期的な母上の墓参りも許可してやったんだ。それで明日足を引っ張るようならさすがの俺もキレるぞ」
「あ、あはは。精神を消耗した分ちゃんと報われるといいね」
私は綺麗に手入れのされた墓前に手を合わせると、これまでの報告と明日の決戦についての意気込みを伝えた。私が心の中で熱心に語り掛けて手を合わせている間、魔王は一歩後ろでそれを見守っていた。
私が目を開けて後ろを振り返ると、魔王は半眼で私を見つめてきた。
「お前はどれだけ母上に話しかけているんだ。いらんことまで報告していないだろうな」
「いらないことって?」
「…俺が周りに振り回されていることとかだ。ネプチューンやドラキュリオ、サキュアとか」
「エッ!全部報告しちゃった!」
「な!?貴様はぁ~!」
魔王は黒いオーラを纏うと、容赦なく私の両頬を片手で潰しにかかった。
私はバタバタ暴れながら、頬が潰されて喋りにくいまま彼に訴える。
「ごめんごめん!悪気はなかったんだってば!フェンリスはお母さんに良い恰好しいなわけね!」
「どうやら今日でこの頬ともお別れのようだ」
「わぁ~!!ごめんてば~!言葉の綾です~!お母さんに心配かけたくないってことね!」
魔王は私の反応をひとしきり楽しむと、ようやくほっぺたを解放してくれた。引っ張られるよりかは痛くはないが、潰されている間はメチャクチャ顔がブサイクになるので正直止めてほしい。
私は両頬に手を当てながら、恨みがましく一言呟かずにはいられなかった。
「………マザコンめ」
「ほう。どうやら命が惜しくないようだな。その頬、我が引き千切ってくれよう」
私の発言を聞いた瞬間、魔王はまるで空気が凍り付くような鋭く冷たい魔力を辺りに満たした。黒いオーラで凄んでくる彼に屈しまいと、私は両頬をガードしながら必死に数分間彼から逃げ回った。
その後結局魔王に捕まった私は、頬が伸びてしまうのではないかと思うほどお仕置きされた。
そして逃げ回ってくたびれた私は、眠るのにちょうど良いぐらいに体が疲れた。
魔王は思わず欠伸の出た私を見ると、ポンポンと頭に手を置いて、ここに来た時と同じ台詞を言った。
「さぁ、これ以上頬を引っ張られたくなかったら、大人しくベッドに入ってもう寝ろ。寝不足は判断力が鈍るぞ。それにお前の妄想する力にだって影響するだろう」
「うん…。色々考えて眠れなかったんだけど、良い具合に体を動かしたからすんなり眠れそう。フェンリスも私をイジメたおかげで少しは元気になったみたいで良かった」
「フン。イジメたとは人聞きの悪い。そもそもはお前が原因だろう」
私は花畑を歩いて出口へと向かう。魔王はまだここに残るらしく、私の後ろ姿を見送っていた。
「明日は絶対勝とうね、フェンリス!私も頑張るから!」
「あぁ。一応頼りにしておいてやる」
「もう!素直じゃないんだから!」
私がむくれると、魔王は表情を和らげて笑った。眉間の皺が取れ、大分精神的ダメージは回復したようだ。
私は魔王に手を振ると、光の玉の明かりを頼りに、暗い帰り道を進んで開かずの間を後にした。
白い扉を開けて廊下に出ると、そこには意外な人物が壁にもたれかかって立っていた。その人物は扉から出てきた私を見ると少し驚いた素振りを見せ、すぐに私に近寄って来た。
「おじいちゃん!?どうしたの?そんなところで。あ、もしかして魔王に会うために待ってるの?私呼んでこようか?」
「フォッフォッフォ。いや、わざわざ呼ばなくても大丈夫じゃよ。明日は長年待ち望んだ大事な日じゃからな。一人の時間も必要じゃろう。それより、お嬢ちゃんはどうして開かずの間に?まさかこんな時間に魔王様と逢引か?」
「あい!?そ、そんなわけないでしょ!私はクロロに頼まれて魔王の様子を見に来ただけです!」
おじいちゃんが楽しげな声でからかうように言ってきたので、私は顔を真っ赤にして否定した。確かにこんな夜の遅い時間に二人きりで会っていたら誤解を招いて当然だろう。しかも開かずの間は魔王と人間しか扉が開けられない特別製。密会するにはもってこいだ。
私がクロロに頼まれた経緯を説明すると、すぐにおじいちゃんはなるほどと髭を撫でて納得した。
「ネプチューンの相手は誰がしても疲れるからのう。それで、お嬢ちゃんと話して少しは魔王様の気分は晴れたかの?」
「うん。話して、というか、私をイジメて元気になったみたいだよ」
「イジメてとは穏やかじゃないのう。魔王様はお嬢ちゃんにとても気を許しておるからの。可愛くて思わず意地悪したくなるんじゃろう。見かけは成長しても、中身はまだまだ子供じゃのう」
「う~ん。気は確かに許してくれてるのかもしれないけど、あのオーラと魔力は可愛くて意地悪するレベルじゃないと思う。私の反応が面白いから玩具みたいに思ってるんだよ」
私が腕を組んでうんうんと頷くと、おじいちゃんは笑いながら私の頭を撫でてくる。
「フォッフォッ。もし儂の大事な友達を玩具のように思っておるのなら、儂がガツンと魔王様を怒っておくぞ。そんな者に大事なお嬢ちゃんは任せられんからのう」
「…ありがとう、おじいちゃん」
私はにっこり微笑み、いつでも優しく甘やかしてくれるおじいちゃんに感謝した。本当におじいちゃんは魔王軍の中で一番の癒しだ。モフモフで愛らしいケルももちろん癒しだが、おじいちゃんは困った時にいつでも相談に乗ってくれて頼りにもなるので心の支えとしては一番断トツだ。
「おじいちゃんは明日メリィを見つつ、魔王城から魔法で援護してくれるんだよね?」
「うむ。そうじゃ。儂はガイゼルの能力とは相性が悪いからのう。遠くから援護させてもらうわい。さすがに魔王城付近までは奴の能力も及ばないじゃろうしな」
おじいちゃんは万能な魔法で大抵のことは解決できる魔王軍最強の魔法使いだが、肝心の魔力がなければ戦うことができない。そこがおじいちゃん唯一の弱点だろう。
明日は幹部クラスのものは、ガイゼルの能力で魔力をゼロにされた後も戦えるよう、各自魔力を回復する魔法水というアイテムを支給されている。とても貴重なもので、ネプチューンの領域にある泉で抽出されるそうだ。一応泉は魔王軍の管理下にあるのだが、大量に泉の水を抽出するのをネプチューンが拒んで大変だったそうだ。
「明日もし戦ってる時に身の危険を感じたら、大声で儂のことを呼ぶんじゃぞ。そうしたらすぐに魔法で駆け付けるからのう」
「え?大声で呼ぶって、メチャクチャ離れてるのに聞こえるのおじいちゃん」
「友達のピンチだったらどこにいても聞こえるぞ。友情パワーというやつじゃ。お嬢ちゃんは儂の初めてできた、大事な一番の友達じゃからの。絶対に死なせたりはせん。…まぁ、明日は傍に魔王様がいるから儂の出る幕はなさそうじゃがな」
おじいちゃんは私の頭にぽんっと一度触れると、呼び止めてすまなかったと話を切り上げた。おじいちゃんが袂から取り出した懐中時計を覗き込むと、時計はもう日付が変わる直前だった。
「いっけない!本当にもう寝ないと!それじゃあおじいちゃん、明日は頑張ろうね!おやすみなさい」
「うむ。おやすみ。良い夢を」
私は挨拶を交わすと、駆け足で自室へと戻るのだった。
私は廊下に響く足音に配慮し、駆け足から早足に変えて自室へと急いでいた。ようやく廊下の先に自分の部屋が見えてきた時、部屋の前に小さな影があるのに気が付いた。廊下の蝋燭に照らされたそのシルエットを見て、私は驚いてその影に近づいた。
「ケルちゃん!?どうしたのこんな時間に!?何かあった?」
「お姉ちゃん!帰って来たんだね!……眠れそう?」
「え?」
「決戦の前の日だから、緊張して眠れないんじゃないかと思って様子を見に来たんだ。そうしたらお姉ちゃん留守にしてたから。匂いを辿ってお姉ちゃんのところに行こうかとも思ったんだけど、城の中を色々歩き回ってみんなとお話ししてるみたいだったから。ここで待ってることにしたんだ」
ケルはまるで忠犬のように、ずっと私が来るのを部屋の前で待ってくれていたようだ。嬉しそうに尻尾を振りつつも、ケルは眠たそうに目を擦っている。
私は早く部屋に戻っていればと少し後悔してしまう。
「ごめんねケルちゃん。私を心配して待ってくれていたのに、こんなに遅くなっちゃって。眠かったでしょ」
「ううん、大丈夫。ケルは少し眠いけど、ケルベロスとケロスはまだまだ起きていられるから。いざとなったら交代するつもりだったんだ」
私はケルちゃんの目線に合わせて屈むと、彼のフサフサの頭を撫でた。
「今日はずいぶん早く寝る準備してたけど、やっぱり眠れなかったんだね」
「うん…。いざベッドに入って目を瞑っても、頭の中で色々考えちゃってさ。明日は今までで一番規模の大きな戦いだしね。ケルちゃんたちと一緒に色んな戦場を経験してきたけど、やっぱり明日は特別だから」
「……怖い?不安?」
ケルは曇りのない真っ直ぐな瞳で私をじっと見つめる。無垢のケルに嘘は通じない。心配かけまいと強がっても、きっとすぐにバレてしまうだろう。
私は撫でていた手を離して自分の膝に置くと、ありのままの正直な気持ちを打ち明けた。
「ん~。色んな意味で、怖いかな。自分の身近で死を目の当たりにするのにもまだ慣れてないし、誰かが怪我をして血を流しているのを見るだけでも動揺しちゃう。明日は魔王軍のみんなや星の戦士のみんなが傷つくところも見たくないし、自分が痛い思いをするのも嫌。でも……、これを乗り越えなきゃ平和がやってこないなら、覚悟を決めて戦うっきゃないよね」
「お姉ちゃん…」
私がぐっと拳を握りしめて見せると、ケルは私のその手を自分の両手で包み込んだ。
「大丈夫!明日は絶対にケルたちがお姉ちゃんのことを守るから!優しいお姉ちゃんが心を痛めないよう、死傷者がたくさん出ないうちに速攻でクロウリーとガイゼルを倒すよ!」
「ふふふ。ありがとう、ケルちゃん。明日はいつも一緒のケルちゃんたちが傍にいてくれるだけで、大分心強いよ」
私の手を包み込む小さな手は、その見た目に反してとても安心感がある。この世界に来てから一番多くの時間を一緒に過ごした彼は、今や私の心の安定剤になっている。明日はどんな逆境に陥っても、魔界の番犬が一緒にいてくれれば心の不安は打ち消せるだろう。
「そうだ!お姉ちゃん!ケルを小槌でおっきくして!」
「え?今?ここで巨大化したら、置物や蝋燭に当たるんじゃない?」
「む?当たらないよ。獣化じゃなくて今の状態で大きくなるんだもん」
「え?今の状態って、人型で?」
「うんうん!」
ケルははしゃぎながら早く早くと私を急かしてきた。人型の状態で小槌を使ったことはなかったので、私もかなり興味が湧いた。
(人型のケルちゃんに小槌を使ったら、すごい長身の大人になるんだろうか。興味があると言えばあるけど、ケルちゃんは今の可愛いままの方が良い気もする…)
私が顎に手を当てて考えていると、ケルが服の裾を引っ張って催促してきた。
私は打ち出の小槌を出すと、わくわくして待っているケルに向けて小槌を念じながら振った。すると、すぐにケルの体は蒼白の光に包まれて、みるみる体が成長していった。そして、魔王より少しくらい背が高くなったところで蒼白の光は消失した。
「わ~!すご~い!見て見て!お姉ちゃんより背が高くなったよぉ!いつもはお姉ちゃんの腰ぐらいなのに、今はすっぽりお姉ちゃんが入っちゃう!」
ケルはいつものように私に抱きつくと、嬉しそうに尻尾をブンブン振った。いつもならばなんら抵抗はないのだが、さすがに自分より背の高いガッチリした男性の体で抱きしめられると、いくらケル相手でも抵抗が生まれる。
「あ、あの、ケルちゃん!ひとまず一旦離れようか」
「む~?どうして?少しでもお姉ちゃんを安心させて、ぐっすり眠れるようにと思ったのに。ケルはいつもお姉ちゃんにぎゅってしてもらって頭を撫でてもらって、すっごく安心してるよ」
「…そ、そのために大きくなったの?」
「うん!」
ケルは屈託なく笑うと、いつもと違う大きな手で私の頭を撫でた。
姿は大きくなっているが、顔立ちは童顔で幼いままだ。
私は純粋なケルの気持ちを無下にできず、とりあえず彼の胸に顔を埋めてされるがままにしておいた。
(いつもは私がケルちゃんの頭を撫でる側だから、なんか変な感じだなぁ。……でも、ケルちゃんもいつかこのくらい大きくなっちゃう日がくるんだよね。そう考えると、なんだか寂しいなぁ)
わたしがそんなことを頭の中で考えていると、ふいに首筋辺りに舌が這う感触を感じた。
「ひゃっ!?」
私はゾクッと体を反応させると、慌ててケルの体を押し戻した。混乱する頭の中私を見下ろす男性を見上げると、いつの間にやら中身の人格が入れ替わっていた。
「ケロス!?もう!いきなり何するの!?ビックリしたじゃない!」
「へへ!男相手に無防備なねーちゃんが悪い!相手がケルだからって油断したな」
「も~!」
舌を出して全然悪びれた様子のない狂気のケロスは、怒る私の頭をポンポンと叩いた。いつもは見下ろされる側なので、背が高くなって上機嫌のようだ。
「明日はこのケロス様からあまり離れんなよねーちゃん。規模のでかい戦争じゃあ、乱戦になったらどこから攻撃されるか分からねぇからな」
「うん、了解!頼りにしてるよ、ケロス!」
「おう!大船に乗ったつもりでいな!」
ケロスは犬歯をニッと覗かせると、私の髪をくるくる絡めとってそのまま口付けた。
ケロスはケルと違って童顔でも気の強さが顔立ちに現れており、成長した今の姿では思わず意識してしまうくらいかっこよくなっていた。
ケロスがまるで美味しい獲物でも見るような目でじっとこちらを見つめてくるので、私は何とも言えず目を横に逸らした。
(うぅ…。やっぱりいつもの姿じゃないと調子が狂う。これはさっさと小槌で元のサイズに)
「ねーちゃん」
ケロスは指に絡めていた髪を解くと、そっと私の頬に触れた。私はビクッと体を反応させると、距離を詰めてくるケロスに動揺を隠せなかった。
(い、いやいや。これはきっと私の反応を見て楽しんでいるだけだ。本気に受け止めたら後でからかってくるに違いない。きっとそうだ!)
俯いてぎゅっと目を閉じると、私を心配する声が耳に届いた。
「大丈夫ですかお姉さん。ケロスがやり過ぎたみたいですみません」
「っ!?ケルベロス!?」
私が顔を上げると、凛々しい顔をした青年が申し訳なさそうに立っていた。私は密かに安堵すると、人格を交代して助けてくれたケルベロスに飛びついた。
「良かったケルベロス~!ナイスタイミングで交代してくれました!なんか大きな姿のケロスだと調子狂っちゃって」
ケルベロスは両腕にしがみついてきた私に面食らったようだったが、すぐに顔を緩めると穏やかに微笑んだ。
「ケロスはああ見えて、ケルに負けず劣らずお姉さんのことが大好きみたいですから、ついつい調子に乗ってしまったんでしょう。後で僕の方から注意しておきますね」
「だ、大好き…?」
初耳だと私が首を傾げると、ケルベロスが突如顔をしかめて頭を押さえた。
「大丈夫?ケルベロス。頭が痛いの?」
「あぁ、大丈夫です。ケロスが余計なことを吹き込むなと大声で暴れているだけなので」
「も~。ケロスは。ケルベロスを困らせちゃダメでしょ。仲良くして」
私が表に出ていないケロスに呼びかけるように話しかけると、頭を押さえていたケルベロスの表情がすぐに楽になった。
「ありがとうございます、お姉さん。ひとまず大人しくなりました」
「ふふ。それは良かった。ケロスもなんだかんだ、根は良い子だからね」
「そうですね。僕らはみんな根っこの部分は同じですから」
ケルベロスは私の部屋の扉を開けると、私を中へと手で促した。
「さぁ、もうそろそろ寝たほうがいいです。こんな時間ですから明日はなるべくギリギリに迎えに来ますが、あまり寝坊しないよう気を付けてくださいね。決戦前に魔王様に叱られちゃいますから」
「うっ。…気を付けます」
私はケルベロスの忠告に頷くと、すごすごと部屋の中に入った。
「あ!そうだ。小槌で元のサイズに戻してもらってもいいですか。もしこのまま明日の朝キュリオにでも出会ったら、絶対自分も大きくなると言ってきかなそうですから。お姉さんにご迷惑がかからないよう秘密にしておかなければ」
「うわぁ。確かにキュリオなら言いそう。大きくするまでずっと付きまとってきそうだよね」
私はケルベロスの申し出通り、小槌を振って彼を元のサイズへと戻した。見慣れたいつもの姿へと戻り、私もなんとなく安心した。やはり彼らはこの姿が一番だ。
「それでは今度こそ、おやすみなさい」
「おやすみ。ケルベロス、ケルちゃん、ケロス」
私は三人それぞれに呼びかけ、扉を閉めるケロベロスを見送った。
ベッドサイドの置時計に目を向けると、もう日付は変わっていた。
私はのそのそとベッドに潜り込むと、すぐに意識を手放して夢の世界へと旅立ったのだった。




