第三幕・平和の調停者編 第一話 魔界の治安維持
暖かな陽気と顔を撫でる心地良い風を受け、私は重たい瞼をゆっくり開けた。
ぼうっとする頭のまま視線を周囲に巡らすと、そこは見慣れぬロッジのようだった。ロッジ特有の木の良い香りが微かにし、天井には木製のシーリングファンが回っている。私の寝ているベッドの脇には大きな窓があり、外からの風を受けてカーテンが揺らめいていた。
「ここは……?」
私は凝り固まった体にだるさを覚えながら身を起こすと、ふと頭に感じる違和感に気づいて手を伸ばした。頭には包帯が巻かれており、傷の手当てを受けた形跡があった。幸い包帯の上から触ってみたものの、痛みなどは特に感じなかった。
(怪我の手当てがされてるけど、そもそも何で寝てたんだっけ…?ていうか、どこ、ここ?……ん?)
現状を整理しようと視線をベッドに落とした時、すぐ右側から小さな寝息が聞こえるのに気が付いた。ベッドの右下を覗き込んで見ると、私が被っていた肌掛け布団の端を握ったまま、床に丸まって寝ているケルの姿があった。状況から察するに、私の目が覚めるのをずっと傍で待っていたところ、そのままベッドに突っ伏して寝てしまい、最終的にずり落ちてしまったのだろう。
私は丸まって眠るケルに笑みをこぼし、ベッドに移動させようと手を伸ばした。
「んぅ……。…むぅ?」
ケルの頭と耳を一撫でしてから抱き上げると、クリクリした目がパチッと開いた。その瞳に私を移すと、へたっていた耳がピンと立ち、尻尾をブンブンと振り始めた。
「お姉ちゃん!目が覚めたの?」
「うん。たった今ね。おはよう、ケルちゃん」
私がにっこり笑ってベッドの上に下ろすと、ケルはすぐさま私に抱きついてきた。
「良かったぁ~!目が覚めて!もう三日も眠り続けたままだから心配してたんだよ!」
「三日も!?そんなに寝てたんだ…」
「どこか痛いところとかない?一応ジャックが手当てしてくれたんだけど」
「ん~。……特にないかな。大丈夫そう」
私は軽く体の状態を確認してから答える。
ケルは心底安心したのか、ぎゅっと抱きつきながら頭をすりすりしてくる。まるで母親に甘えるようだ。私はその可愛い仕草に癒されながら頭を撫でると、直近の記憶を掘り返し始めた。
(三日前……。え~っと、確か魔王城にサラマンダー軍が攻めてきたんだよね。それでみんなが劣勢になってきたから助けに行こうとしたんだけど、運悪くサラマンダーと遭遇しちゃって、一騎討ちになったんだ)
「そっか。私サラマンダーと戦って負けちゃったんだっけ。それでフォードが助けてくれたんだけど、その衝撃で訓練場が壊れちゃったんだ。それでそのまま落ちて…」
「そうそう!おじいちゃんの結界が破壊されてなかったらそもそも落ちたりしなかったんだけど、結界が壊されてたから落ちちゃったんだよ!ケロスがお姉ちゃんの匂いが城から遠ざかるのを感じ取ってすぐに助けに行ったんだ!」
「そうだったんだ。じゃあケロスが私のことを助けてくれたんだね。ありがとうケロス!って今言っても意味ないかな」
満足して体を離したケルは、ふるふると首を振って笑顔を浮かべる。
「そんなことないよ。ケルたちはみんな繋がってるからね。お姉ちゃんを助けるくらい朝飯前だってケロスが言ってるよ」
「ふふ。そっか。ありがとう、ケロス」
私はもう一度礼を言うと、ベッドから下りて体を伸ばした。ずっと眠っていたせいか、体中が固まってしまっている。
ケルはベッドから飛び降りると、部屋のテーブルに置いてある風呂敷を指し示した。
「お姉ちゃん。あそこにメリィが用意した着替えが入ってるから。あとそっちの部屋にシャワーもあるよ。準備ができたら、下に降りて来て」
ケルはそう言うと、パタパタと走って部屋の外へと出て行った。
私は自分が寝ていた間の状況を確認するため、さっさと身支度を整え階下へと急ぐのだった。
支度を整えた私が部屋を出て階下に降りると、そこにはケルとジャックが椅子に座って机の上の地図と睨めっこをしていた。ロッジにしてはとても広いリビングで、大金持ちの別荘のようだった。
ジャックは私に気が付くと、にっこり微笑んで椅子から立ち上がった。
「よよ、良かったですえりさん。気が付いて。城の瓦礫に頭をぶつけていたようなので心配していたんです」
ジャックは私の頭に触れて怪我の具合を診る。先ほどシャワーを浴びた時に頭の包帯は既に取ってしまっていた。ジャックは一つ頷くと、完治の診断をしてくれた。
「うん。もう大丈夫そうですね。あのサラと戦ったと聞いた時は驚きましたけど、本当に無事で良かったです。傷だらけのケロスが意識のないえりさんを連れてここに飛び込んできた時は本当に驚きましたよ」
「あ、そうだ。ここってどこなの?もしかしてジャックさんのお家?」
「うん。ここは僕が治める領域で、僕の家だよ。えりさんを助けたケロスは、魔王城での戦いから離脱して、怪我の手当てをするために僕のところに連れてきたんだよ。ケロス自身も結構怪我をしていたからね、やっと昨日戦えるまでに治ったところだよ」
「そうだったんだ。ありがとうジャックさん!おかげで助かりました」
私が素直にお礼を言うと、ジャックは照れ笑いを浮かべて首を振った。彼の髪の毛に咲く小さな花が揺れ、良い香りが周りに漂う。その香りを嗅ぐだけでも癒しの効果がありそうだ。
ジャックは私に椅子を勧めると、配下を一人呼んで食事の手配をしてくれた。
私は食事を待っている間に、ケルとジャックから現在の魔王軍の状況説明を受けた。
「魔王城がサラマンダー軍に攻められた次の日、予定通り魔王様とロイド王が同盟宣言を世界に公表したんだ。これで公に星の戦士と協力できるようになって戦局が変わるかと思ったんだけど、今のところ全然ダメダメなんだ」
「こ、今回の人間たちとの同盟の件、敵への情報漏洩を避けて、一部の七天魔には事前に通達すらされていなかったんですが、その影響なのか魔王様の命令を無視して暴走している軍があって」
ジャックは眉を下げると、各地で勃発している戦場の状況を教えてくれた。
魔王の命令を無視して暴れる七天魔の一人サラマンダーは、魔王城襲撃後、マシックリック近郊に戻ってフォード軍と神の子相手に戦いを続けていた。そしてもう一人命令を無視して人間を攻めている七天魔ネプチューンは、魚人族を率いてヤマトの国を防衛する凪と佐久間たちと戦いを繰り広げていた。
せっかく人間側と同盟を結んだというのにこれではまるで意味がない。魔王は二人の暴走を止めるため、サラマンダーの戦場にクロロ軍、ネプチューンの戦場にジークフリートを援軍として送っている。
そして同盟軍の敵であるクロウリーと人間側の裏切者ガイゼルは、二人揃って今はアレキミルドレア国にいるらしい。ガイゼルの住まう王都シャドニクスには、カイト率いるユグリナ騎士団とセイラ、レオン軍が攻め込んでいるそうだ。戦局が同盟軍優勢になると、その都度クロウリーが空間転移で現れ戦場を引っ掻き回しては撤退していくらしく、なかなか苦戦しているようだ。
私は説明を受ける中、一番意外な戦場を聞いて目を丸くする。
「え!?サキュアが魔王の命令を無視して戦い続けてるってどういうこと?」
「さぁ~?それがケルたちにも分からないんだよね。サキュアが魔王様と敵対するなんて普通あり得ないんだけど」
「もしかしてクロウリーに操られてるとか?確か洗脳する魔法が得意なんだよね?」
「う、うん。でも、サキュアは悪魔族だから、元々精神系の魔法に対する耐性は他の種族の魔族より高いんだ。そう簡単にクロウリーに操られるとは思えない。それにもし洗脳されたとしても、効果時間がそもそも短いと思うよ。こんなずっと命令を無視する訳がない。何か別の理由があるはず…」
ジャックは難しい顔をしながら顎に手を当てる。
命令を無視して砂漠の街ルナを襲おうとしているサキュアには、メルフィナ軍とおじいちゃんが当たっているそうだ。今は戦闘の最中、おじいちゃんがサキュアの異変の原因を探っているところらしい。早く何か分かればいいのだが。
「星の戦士と同盟を結んだら、後は一気にクロウリーとガイゼルを懲らしめるだけだと思ったのに、まさか全然戦場が減らないとはね」
私はジャックの配下である植物人が運んできた食事に手を合わせながら言う。三日ぶりの食事ですっかりお腹はぺこぺこだった。
「ぼぼ、僕とレオンも同盟の件については事前に魔王様から聞かされていなかったけど、それでもさすがに命令違反するほどヘソを曲げたりしなかったけどね。まぁ、魔王様から後日今までの経緯についてご説明を受けた時、レオンはちょっと怒ってたみたいだけど」
「なんでもっと早く俺に相談しないんだって、レオン様怒ってたね。情報漏洩を防ぐためにケルたちも魔王様に言われてレオン様には内緒にしてたし」
私はサンドイッチと大量に用意された新鮮野菜を用いたサラダを食べながら二人の会話に耳を傾ける。どうやら見かけ通り植物人は肉や魚よりベジタリアンなようだ。
「えっと、人間界の状況はざっとこんな感じなんだけど、今魔界でも困ったことになっていてね、クロウリーに洗脳された者たちが各地の領域を荒らし回っているんだ。多分人間界と魔界で騒ぎを起こすことによって、各地に兵を割き、魔王様の周辺を手薄にしようとしているんじゃないかと僕たちは推測してるんだけど」
「今魔界の治安維持にはジャックの軍とキュリオの軍が協力して対処しているんだよ。魔王様は魔王城でみんなの報告を受けて指示を出したりしてるから、メリィと城仕えの兵が護衛についているんだ」
「ふ~ん、なるほど。だからジャックさんは魔界にいるのね」
私は野菜を口の中でシャキシャキ言わせながら言う。
「この間の襲撃で魔王城はボロボロだから、お姉ちゃんはしばらくここにいるようにって魔王様が言ってたよ。目が覚めたらジャックと一緒に魔界の治安維持を頼むって」
「了解!じゃあしばらく私はジャックさんのサポートってことだね。ケルちゃんはどうするの?レオンさんの軍に合流するの?」
「ううん。魔王様からお姉ちゃんの護衛を言いつかってるから、ケルはお姉ちゃんと一緒にいるよ。危ない時はケルたちが守ってあげるから任せて!」
ケルは頼もしく胸をどんと叩いた。見た目は小さい男の子だが、実際今回も城から落下する私を助けてくれた命の恩人だ。とても頼りになる。
私はケルに頼りにしていることを伝えると、野菜ジュースを飲み干して食事を取り終えた。
食事を食べ終えた私は、ケルとジャックが睨めっこをしていた机の上の地図を覗き込む。地図はどうやら魔界のもので、各領域にそれぞれ駒がちらほら置いてある。私が駒の位置を確認していると、ジャックが魔界の治安維持について教えてくれた。
「えっと、今僕とキュリオ君で協力しながら魔界を巡回しているんだけど、キュリオ君担当がこっちの黒い駒が置いてある方。領域で言うと、レオンとネプチューン、キュリオ君が治めてる領域だね。それで僕が担当してるのがこっちの緑の駒が置いてある方。領域で言うと、サラとクロロ、僕が治めてる領域。ここのクロウリーの領域は異常気象地帯と言って、巡回するには危険なところでそもそも敵の本拠地だから、そこだけは見回りからは除外してる」
ジャックは地図上を指で囲って示しながら説明してくれる。地図で言うと右側がドラキュリオ担当、左側がジャック担当ということらしい。
私は魔界の真ん中に位置する場所がぽっかり空いていたので、そこを指で示しながらジャックに質問する。
「この真ん中は?広くはないけどここも誰かの領域なの?」
「そこは元々魔王城があった場所だよ。今魔王城は歴代の魔王様の魔力で空を浮いて人間界や魔界を行き来しているけど、元々はそこの大地にあったんだ。今そこ周辺は魔王様の一族が治めている。広い土地ではないけれど、歴代の魔王様のお墓がある大事な土地だから」
「さすがのクロウリーもそこには手を出さないよ。魔王様の一族が住む土地だし、お墓しかないから襲うメリットもあまりないしね」
ケルは机に両手をついて身を乗り出しながら答える。
私は二人の説明にふむふむと頷きながら、今度は地図上に存在する赤い駒について訊ねた。
「じゃあこの赤い駒ってなあに?緑がジャックさんで黒がキュリオだったら、これは敵?」
「その通りです。これは巡回に回っている配下たちから寄せられた情報で、暴れ回っている魔族がいる位置だよ。キュリオ君と情報を共有しながら鎮圧にあたっているんだ。今配下たちが現場で対処してるから、それの報告待ちをしているところ。場合によっては僕が直接行かないといけないからね」
「それじゃあその時は私も一緒に行ってお手伝いするね」
「ありがとう。その時はよろしくお願いします」
ジャックが微笑むと、ケルも頑張るよ、と隣で手を挙げた。
私はこれから魔界の治安維持に参加するにあたって、自分の能力について予め説明しておいたほうがいいだろうと思い、二人に授かった星の戦士の力について話した。回数制限はもちろん、失敗した時の回数消費、妄想の精度によって威力が変わったりすることについて詳しく説明した。
初めて明かされた私の能力に、二人はそれぞれ驚きの感想を漏らした。
「妄想を現実にする能力…!なんだかとっても楽しそうな能力だね!お姉ちゃんが前にお話ししてくれたお菓子の家とかもできるかな!?」
「あぁ~!お菓子の家ね!それなら多分頑張れば妄想できると思う。今度やってあげようか?」
「ホント!?わぁ~い!」
ケルは無邪気に万歳して喜ぶ。無垢なケルが考える妄想は、純粋でとても可愛らしい。お菓子の家を妄想して現実化したいなど、今の今まで私は思いつきもしなかった。
「でで、でも、能力を使うのに回数制限があるんですか。それはちょっと不便だね。三回使い切ってしまったら、もうその日は能力が使えないんでしょう。あまり戦闘向きではないかな」
「う~ん。そこがネックなんだよねぇ。いざとなればおじいちゃん直伝の魔法で敵を一網打尽にできるけど、三回しか使えないからさぁ。慎重に使わないといけなくて」
「よ、よくそれでサラと一騎討ちできたよ。本当に無事で良かった」
ジャックは冷や冷やした顔をして私を見る。私自身もよくサラマンダーと戦って生き残れたと思っているほどだ。
「そそ、それじゃあ、治安維持の巡回に行く時も気を付けたほうがいいね。ここぞという時に能力を使用しないと。……それか、回数制限を気にしないで戦えるように、何か武器を妄想で作り出すっていうのはどうかな?えりさん専用の、自分で扱いやすい武器を」
「妄想で、武器を?へぇ~!それは考えたことなかった!武器ね!確かにいいかも!武器を生み出せば、一回こっきりじゃなくて、その後もずっと使えるもんね!よぉ~し!何か考えてみる!」
ジャックのアドバイスを受け、私は一気にやる気スイッチが入った。早速どんな効果を付与した武器を生み出そうか、妄想に夢を膨らませる。
その日は結局ジャック自ら赴くほどの暴走した魔族は現れなかったため、私はケルちゃんと一緒に部屋で武器の妄想に試行錯誤するのだった。
それから二日後。私とケル、ジャックがリビングで各領域の被害状況をまとめていると、勢いよく玄関の扉を開けて騒がしい人物がやって来た。
「えりちゃ~ん!心配で会いに来たヨ~!怪我は大丈夫~?」
「キュリオ!?どうしてここ、ってちょっと!?離れてキュリオ!」
ドラキュリオは私の元気な姿を見るや否や、思い切りハグをしてきた。ご機嫌で抱きつく彼に、私はマントを引っ張って抵抗するが、全然ビクともしない。
ケルは毛を逆立てると、ドラキュリオの首根っこを掴んで引き剥がそうと加勢してくれたが、それでも彼の拘束は緩まなかった。
「もう!キュリオ!近すぎだってば!少し離れてよ!」
「だってぇ~、久々にえりちゃんに会ったんだもん!エネルギー補給したいじゃない?本当はボクの城で預かりたかったのに、魔王様が絶対ダメって言ってジャックのところに預けるんだもん。ズルイよ」
「当然でしょ!キュリオの城に住まわせたらお姉ちゃんの身が危な過ぎる!それにお姉ちゃんがいたら、そもそもキュリオが仕事しなくなるでしょ。お姉ちゃんに現を抜かして」
「当たり前じゃ~ん!一日中ずっとえりちゃんの傍にいるよ☆」
「…………」
相変わらずマイペースのドラキュリオに、私は最早苦笑いしか出なかった。
ずっとオロオロしていたジャックは、ケルからの助けを求める視線を受け、植物を操って無理矢理私に抱きつくドラキュリオを引き剥がした。そして再び私にちょっかいを出さないよう、そのまま蔦でグルグル巻きにしてしまう。
「コラ~!ジャック!何てことするんだよ!お前だけはいつもボクの味方だと思ってたのに!」
「ごご、ごめんねキュリオ君。でも、えりさんが嫌がってるみたいだから。今日のところは我慢して」
ブーブーと文句を垂れるドラキュリオを横目に、私はやっと彼から解放されて一息つく。念のためケルを呼び寄せると、私は膝の上に確保した。これでもしもの時はケルが間に入って戦ってくれるだろう。
「それで?今日は何しに来たの?本当にただお姉ちゃんに会いに来たわけじゃないよね?」
「エ?会いに来ただけだけど?まぁ強いて言えば、ついでに敵の情報を伝えに来たくらいかな」
「え……。敵の情報って、それっていつも通り念話でもいいよね。本当にただお姉ちゃんに会いに来たの?」
信じられない、といった顔でケルはドラキュリオを見つめる。二人は子供の頃からの付き合いだそうで、ケルはドラキュリオだけには結構当たりが強い。いつも誰にでも無邪気に笑うケルだったが、ドラキュリオには冷たい顔を平気でする。
「だからそうだって最初から言ってるじゃん!サラの奴と戦ったって聞いたから、心配してたんだよ!大した怪我がなくて本当に良かった!ジャックのところにいて何か困ってることとかない?ここが気に入らなければいつでもボクの領域に来ていいからネ」
ドラキュリオがジャック本人を前にしてズケズケ言うので、私とケルはもう呆れてしまった。
ジャックはドラキュリオの性格を熟知しているようで、さして気にしている様子はない。本人に直接聞いたことはないが、恐らくジャックはドラキュリオよりずっと年上なのだろう。まだ子供の部類に入るドラキュリオに対し、寛容なのかもしれない。
(キュリオのこと君づけで呼んでるし、お兄さんって感じだよね。植物人は争いを好まない平和主義って聞くし、キュリオ相手に怒ったりしないよね)
物静かで穏やかな彼は少し頼りない印象だが、心の広いお兄さん的存在である。
「そ、それでキュリオ君。新しく確認した敵の情報は?」
「え~っとね~、こことここだネ。今配下たちに当たらせてるけど、多分いつも通り洗脳されてる魔族だと思う。クロウリーの直接の配下じゃないね」
「やっぱりそうか…。これだけ連日新しい洗脳された魔族が出てくるということは、やっぱり三つ目族が手分けして洗脳して回ってるんじゃないかなぁ」
「え?どういうこと?」
ジャックの考察に、私は首を傾げて問いただした。
「ボクとジャックが前から立てている仮説なんだけど、イタチごっこみたいに連日新しい洗脳者が各地で現れ暴走しているんだ。その都度対処して正気に戻してるんだけど、それでも暴走者はいなくならない。だから、毎日精神系魔法が得意な三つ目族が各領域を回って魔法をかけているんじゃないかと思うんだ」
「い、いつも領域を荒らしている者たちは洗脳された者たちで、クロウリーの直接の配下ではないんです。だからクロウリーの配下である機械魔族やスライム族、三つ目族は暗躍したり、クロウリーの領域を守っているんじゃないかと予想していたんだ」
「自分の配下には領域を守らせて、魔界を荒らすのは洗脳された者を使ってやる。せこいやり方だよネ~。自分の配下が荒している訳じゃないから、もしもの時に言い逃れもできちゃうもんね」
「なるほど。相変わらず策士だね、クロウリーは。じゃあその洗脳して回っているであろう三つ目族ってのを探さないといけないわけだ。でないといくら暴走した人を退治しても終わらないと」
そういうこと~、と蔦の拘束を解かれたドラキュリオは答えた。
椅子に座り、ジャックの配下が用意した特製調合ティーを飲んでいる。植物人が調合する茶葉は、ほとんどの魔族が気に入って愛飲しているらしい。ドラキュリオは早速お替わりを申し出た。
「別動隊を作って哨戒に当たらせようか。このままだときりがないから、暗躍している三つ目族を見つけて叩こう。キュリオ君の方もお願いできる?」
「了解。魔界が平和になれば、えりちゃんとのんびりできる時間が増えるもんネ。頑張らなきゃ」
「こらこらキュリオ。ちゃんと真面目にやってよ。人間界で頑張ってる人もいるんだからね。魔界が平和になってものんびりする時間なんてないよ」
私は向かいに座るドラキュリオを困った顔で睨みつけた。ドラキュリオは口を尖らせると、椅子をガタガタ前後に揺らし始めた。
「ちぇ~。えりちゃんとのデートはまだまだ先かぁ。こうなったら最速でクロウリーをやっつけるしかないか」
「…そもそもお姉ちゃんはキュリオとデートする約束なんてしてないから。ほら!いつまでも油を売ってないで自分の領域に戻りなよ!別動隊を作らなきゃでしょ!」
ケルは私の膝から下りると、ドラキュリオのところに行ってグイグイと玄関に引っ張り始めた。まだまだここで寛ぎたいドラキュリオはしばらくケルと攻防を繰り広げていたが、やがて配下から念話が届いたのか、渋々領域に帰る気になった。
「それじゃあえりちゃん、またね!もし戦場でピンチになったら、必ずボクが助けに駆け付けるから!待っててね☆」
「キュリオが来る前にケルが助けるから大丈夫だよ!キュリオは自分の仕事に集中して!」
「も~!いちいちボクらの恋路の邪魔しないでよ!お邪魔犬!」
「邪魔はそっちでしょ!お邪魔吸血鬼!」
「アハハ…。またね~、キュリオ」
私は扉を挟んでいつまでも言い合いを続ける、ある意味仲良しの二人に苦笑するのだった。
それから更に三日後。敵の攻勢が強まったのか、各地で一斉に他の種族の領域を荒らす魔族が現れた。今までは配下たちに鎮圧を任せていたジャックも、今回ばかりは自ら動くことになった。
私とケロスもジャックを手伝うため、一緒に同行することを申し出る。
「ここ、今回僕たちが向かうのは、クロロの領域を荒らす竜人族のところだよ。戦闘能力が高いから一瞬たりとも油断しないように。えりさんはまだ武器の妄想ができていないし、無理せず僕とケロスから離れないようにね」
「はい!足手まといにならないよう気を付けます!」
私はジャックに敬礼をして答えた。
「ねーちゃんはこのオレがまた守ってやるからよ。安心してついて来い」
紫の毛並みを持つケロスは、小さい体に似合わぬほど頼もしく言い切った。この間城から落下した私を助けたことで、更に得意げになっているようだ。
「ありがとう、ケロス。頼りにしてるね」
私がにっこり笑いかけると、ケロスは分かり易いほど尻尾をブンブン振った。頼られることがとても嬉しいようだ。
私たちはジャックの領域に設置されている魔法陣を使うと、早速クロロの領域へと転移した。
クロロの治める領域は、主に沼と湿地帯が広がる領域だ。私たちは念話でクロロから承認を得て魔法陣で領域内にやって来たが、魔法陣がある場所から今回の標的がいるところまで結構な距離があるようだった。
「うわぁ~。ジメジメして生ぬるいところだなぁ。しかもあちこち沼地だし。誤って足でも突っ込んだ日には、そのまま抜けずに沈んじゃいそう」
私は沼地を警戒し、なるべくジャックから離れないように歩く。
「き、気を付けてくださいね。ここら辺のは底なし沼ではないけれど、中には本当に底なしのがあるから。…さて、暴れている標的までここから少しありそうだね。ケロス、えりさんを頼めるかい?」
「おう!任せろ!ねーちゃん!オレの背に乗りな!一気に移動するぜ」
ケロスは空中で一回転すると、獣化して四足歩行になった。獣化中は浮遊魔法が使えるので、長距離移動に適している。
私はジャックの手を借りながら大きくなったケロスに跨ると、落ちないようにゴツゴツした首輪をしっかり掴んだ。
「それじゃあ空から一気に向かおうか」
ジャックは手元に見たこともないほど大きな綿毛を出すと、それを片手に持ってから風魔法を発動させた。すると、風を受けて綿毛は大空へと舞い上がった。ジャック一人分の重さがあるというのに、綿毛はそれをものともせず風に乗って飛んで行く。
ジャックを追いかけるように飛ぶケロスに向かって、私は声を張り上げて訊ねた。
「ねぇねぇケロス!ジャックの持ってるあの綿毛なに?なんでジャックが持ってるのに平気で飛んじゃうの?」
「あぁ?あれは魔界に昔からある綿毛の一種で、浮遊魔法が使えない植物人が品種改良して生み出したものだってケルベロスから聞いたけど。重いもんぶら下げたまま何で飛べるのかは、ジャック本人か頭の良いケルベロスにでも聞いてくれ。オレは知らん」
ケロスは細かいことは気にしない性質なようで、見たままを疑問に思わず受け入れるようだ。
私は不思議な綿毛を興味津々で見つめながら、目的地へと先導するジャックに続いた。
クロロの領域を荒らす竜人族の下に到着すると、そこには必死に防衛にあたる不死者の鳥人族たちがいた。先頭で鼓舞しながら戦っている人物は、よく見るとかつてクロロの戦場で私を空から導いてくれた者だった。
「クッソ~。せっかく休憩が回ってきてサラマンダー軍の戦場を抜けてきたって言うのに、こっちでも竜人族と戦う羽目になるなんて。なんてオイラたちはついていないんだ。かと言って素通りさせて領域を荒らされたら、クロロ様に怒られて実験用に羽を毟られるかもしれないし」
鳥人族の男は愚痴とため息をこぼしながら器用に竜人族を攪乱している。他の鳥人族の不死者たちも、攻撃こそしていないが上手く攪乱して敵を翻弄している。
ジャックは地上の沼地に着地すると、奮闘している鳥人族たちに話しかけた。
「だだ、大丈夫かい?君たち!助けに来たよ!」
「あっ!ジャック殿!とてもいいところに!助けてください!オイラたち鳥人族は戦闘には不向きで!しかもさっきまでサラマンダー軍の戦場で戦っていたので、皆疲弊しているんですよ」
「ここは僕たちに任せて撤退してください!この竜人族たちは僕たちが正気に戻しますので」
「助かります!よし、お前たち、撤退するぞ!」
リーダー格の鳥人族の男は仲間を先導すると、速やかに私たちが来た方向に撤退して行った。
その場には私とケロス、ジャックだけとなり、竜化した竜人族の三人は新たな標的に敵意を漲らせた。
「竜人族なら相手にとって不足はないな。ねーちゃんは離れたところで大人しくしてろ。集中的に狙われたらひとたまりもないぞ」
「この間サラマンダーと戦ったばっかりだから、竜人族の強さは重々承知してるよ。二人が危ない時は援護するから、気を付けてね!」
私はケロスの背中から下りると、二人から少し離れた沼地の陰に待機した。
「平和主義者の植物人が、常に強者を求める我ら竜人族に勝てるとでも?」
「俺様の炎で燃やし尽くしてくれるわ!」
竜人族たちは目をギラつかせながら、一斉にジャックとケロスに襲い掛かった。一人は尻尾を叩きつけ、一人は鋭い大きな爪を振り下ろし、一人は上空から炎を吐き出した。隙のない三方向からの攻撃に、私は悲鳴を上げながら思わず目を瞑った。
そして二秒後、恐る恐る目を開けると、二人ともピンピンした様子で竜人族と戦っていた。
ケロスは俊敏さを活かし、竜人族の攻撃を躱しながら鋭い牙と爪で攻撃を繰り出している。きちんと竜の鱗の柔らかい部分を狙い、確実にダメージを蓄積させていっている。
ジャックはと言うと、見たこともないほどの大きな植物を召喚し、盾として利用している。その植物はラフレシア級の大きな赤紫の花を幹の所々に咲かせており、竜人族が燃やす度に妖しい花粉を周囲にまき散らしていた。ジャックは燃やすのをわざと誘うように、どんどんその花を竜人族の周りに咲かせていく。
「お~いジャック!ちょっと調子に乗って咲かせすぎじゃねぇか!?オレまでヤバイじゃん!」
「ご、ごめん!相手が本気になる前に早く終わらせようと思って。竜人族と真正面から構えたら、植物人の僕はすぐ力負けしちゃうから」
ジャックは話している間にも、どんどん植物を召喚して空に逃げようとする竜人族を追撃する。巨大な実を飛ばす植物が竜を攻撃し、態勢を崩したところを棘のある植物が拘束していく。そして先ほどの赤紫の花を咲かせた植物が周りを固めた。
「植物人如きがいい気になりやがってぇ!」
「我が炎で助けてやる!いくぞ!」
身動きが取れなくなった二人を助けるため、三人目の竜人族がジャックの植物を全て焼き払った。すると、燃えた花から大量の花粉が発生し、竜人族を包み込んだ。
ケロスは大きく迂回して私のところまでやってくると、つまんなそうに人型へと戻った。
「あ~あ。ジャックのせいでオレの見せ場なしかよ。つまんねぇなぁ~」
「植物が燃えたと思ったら、なんかすごい量の花粉みたいなのが舞い上がったけど、あれ何?」
「毒だよ毒。ジャックは基本的に毒で戦うスタイルだから。麻痺や眠り、幻覚何でもござれ。じわりじわりと追い詰める毒から即死級の毒まで自由自在。純粋な力対力じゃ負けちゃうけど、そうじゃなかったらかなり強ぇよ。普段は争いを好まないから、魔王軍では専ら回復担当だけどな」
毒で動けなくなって竜化が解けた竜人族を蔦で拘束していくジャックを見て、私は小さく口を開けたまま驚いた。
(ふわ~。まさかジャックさんがこんなに強いとは。そう言えば最初に自己紹介された時、翠毒のジャックって言ってたっけ。ゲームでも毒攻撃で敵のHPを削るとかあるけど、ジャックさんの毒は規格外だわ)
不完全燃焼なケロスを追いかけ、私はジャックを労いに駆け寄った。
「お疲れ様ぁ、ジャックさん!あっという間に敵を拘束しちゃってすごいね!さすが七天魔の一人!私の援護なんて全然必要なかったね」
「へへへ。これぐらいできないといざという時に一族のみんなを守れないし、魔王様を支える七天魔と名乗れないからね」
私が尊敬の眼差しを向けると、ジャックは照れくさそうに笑ってはにかんだ。
ケロスは自分の見せ場がなかったせいで機嫌を損ねたらしく、ジャックにぶつぶつと文句を言っている。
私が頭を撫でてケロスを宥めていると、綿毛に掴まってこちらにやって来る植物人が二人目に入った。ジャックもすぐにその配下に気づいて手を振る。
「ジャック様ぁ~!ついに発見しました!洗脳して回っている三つ目族です!」
「エ!本当!?今どこに!?」
「今ちょうど竜人族の領域から獣人族の領域に入ったところです。念話でキュリオ様の方には伝えたんですけど、キュリオ様も今ちょうど出払っているようで」
「そっか…。獣人族の領域はキュリオ君の担当だけど、逃がしてまた雲隠れされると面倒だからね、僕たちでとりあえず向かおうか」
「賛成~!ジャックが一人で片づけちまって不完全燃焼だからな!今度こそオレが敵をギッタンギッタンにしてやるぜ!」
ケロスは空中で一回転して獣化すると、早く乗れと私を急かしてきた。
ジャックは配下たちに拘束した竜人族たちの洗脳を解いておくよう言い含めると、また手元に綿毛を生み出し大空へと飛び立った。
ついに魔界の混乱を作り出している元凶と直接対決だ。
魔法陣まで一旦戻り、レオンの許可を得て獣人族の領域へと転移してきた私たちは、情報があった目撃地点へと急いだ。サラマンダーの許可を得て竜人族の領域の魔法陣が使えたら一番近かったかもしれないが、戦争中の今、サラマンダーの許可が得られるはずがなかった。
ケロスのふかふかな背に乗りながら前方に目を凝らすと、黒いローブ姿の集団が目に入った。どうやらあれが情報にあった三つ目族なのだろう。五人ほどいるようだが、三人の獣人族を囲うように包囲している。獣人族の方は片膝をついている者もいて、既に手負いの状態だった。
「ジャックさん!なんか獣人族のほうが追い詰められているみたいだけど!」
「う、うん!急いだほうがよさそうだね!相手を弱らしてから精神魔法をかけるのが三つ目族の常套手段だから」
「チックショウ!オレの仲間に手ぇ出しやがって!ゼッテー後悔させてやる!」
ケロスは鼻息を荒くすると、一段階スピードを上げて同じ獣人族を救いにひた走った。私は振り落とされないよう、必死に首輪にしがみ付く。なるべく空気抵抗を受けないよう、体を起こさず毛並みに顔を埋めて耐えた。
襲われている獣人族の上空に辿り着くと、ケロスは電光石火の如く爪を振り回しながら駆け回り、囲う三つ目族の包囲を解いた。
「おぉ!ケロス!いいところに!助けに来てくれたのか!?」
「たまたまな!こいつらはオレとジャックで倒すから、みんなはさっさと逃げろ!操られでもしたら面倒だからな」
ケロスに促され、仲間の獣人族たちはバラけた三つ目族の合間を縫って逃げていった。
標的を逃した三つ目族たちは舌打ちをして切り替えると、すぐに空間転移の術式を展開してその場から撤退しようとした。
「そそ、そう簡単に逃がさないよ!」
私たちに追いついてきたジャックは地面から蔦を生やすと、それぞれ三つ目族を攻撃し、空間転移するのを防いだ。
ケロスが思い切り戦えるよう私は背中から下りると、いつでも妄想できるよう二人の援護へと回った。
「チッ!魔界の番犬だけでなく、翠毒のジャックもか」
五人いる三つ目族のリーダー格の男は簡単に逃げられないことを悟ると、仲間の四人に対して迎撃態勢を取るよう指示した。
それを受けてジャックとケロスは一斉に攻撃へと移った。
ケロスが前衛となり、敵五人に対して鋭い爪を武器に縦横無尽に暴れ回る。ケロスの一番の売りは素早さで、敵の攻撃に被弾せずにどんどん攻め続けることができる。そして獣人族自慢の強い力を持っているため、弱い結界ならば一撃で壊すこともできる。
三つ目族は魔力に長けた一族らしく、魔法主体で戦うため、先ほどから常に結界を張ってケロスの攻撃を防いでいた。しかしおじいちゃんのような強固な結界は張れないらしく、ケロスの攻撃を喰らう度に壊され、逐一張り直していた。
無詠唱で下級魔法を連発し、時折中級魔法を放って迎撃してきたが、ケロスはその魔法を全て足で躱していた。
「一進一退って感じだね。相手の攻撃は躱せてるけど、ケロスの攻撃も結界にいちいち阻まれてダメージを与えられていないし」
「ぼ、僕の植物も火の魔法で対処されちゃってるしね」
「またさっきの毒の花で攻撃すれば?あれって燃やされるとすごい花粉が出るんじゃ」
私はつい先ほど竜人族を一網打尽にした花を思い出して言った。
「う~ん。三つ目族に毒攻撃は効かないんだ。彼らは解毒魔法が使えるからね。だから植物人族と三つ目族はあまり戦いの相性が良くないんだよ」
「そ、そうだったの!?だから今回はケロスのサポートに徹してるんだ」
ジャックはケロスに攻撃が集中しないよう、蔦で敵を攻撃して詠唱を妨げる役目をしていた。どうせすぐに火の魔法で焼き払われてしまうので、魔力を浪費しないために大技は控えていた。
戦いが拮抗している今だからこそ、妄想で二人を援護しようと私は精神を集中させた。
(とりあえず戦闘不能に追い込めば、後はジャックさんが拘束してくれるよね。……よし!おじいちゃん直伝、ビリビリ雷魔法で痺れさせてやる!)
私は体から蒼白の光を発すると、固めた妄想のイメージを現実へと解き放った。
『全員まとめて痺れちゃえ!!!』
上空に巨大な魔法陣が描かれると、そこから巨大なエネルギーを蓄えた紫色の矛が現れた。矛は一直線に地上へ突き刺さると、膨大な雷の力を放出して周囲に駆け巡った。
雷に打たれた三つ目族たちは、魔法の衝撃を受けて体が後方に弾け飛んだ。全員もれなく全身が痺れており、しばらく動けそうになかった。
私の妄想の力を目の当たりにしたケロスとジャックは、口をぽかんと開けて目をパチクリさせた。
「やったぁ~!全員いっぺんに倒したよ!やっぱりおじいちゃん直伝の魔法は強いね!」
「す、すごいですね…。まさかおじいさんの超級魔法を再現してしまうとは」
「一瞬ヒヤッとしたぜ~。マーキングがあるとはいえ、あの巨大な魔法陣が頭上に現れると。三つ目族の奴らも度肝を抜かれたんじゃないか」
ケロスは人型に戻って私のところまでやってくると、すごいすごいと興奮気味に褒めてくれた。
RPGなどゲーム上ではあまり意識したことがないが、現実の魔法にはちゃんとマーキング機能というものがついている。魔法発動前に敵味方のマーキングを行い、ちゃんと敵にだけ魔法が作用するようにできるのだ。そのため、三つ目族の至近距離にいたケロスだったが、今の私の魔法では一切ダメージを受けていない。もし現実にマーキング機能というものがなかったら、かなり魔法は戦闘で使い難かったことだろう。
「周りを洗脳して悪さする三つ目族を懲らしめたから、これで魔界の領域を荒らす騒動も解決かな?」
「い、いや。彼らは洗脳して回っている三つ目族の一部じゃないかな。他にも何人かに分かれて行動していると思うよ。全員を捕獲するまでは解決しないだろうね」
「なんだぁ。がっかり」
落胆の表情を見せる私に、ジャックはポンッと肩を叩いて元気づけた。
「そうしょんぼりしないで。今回はえりさんのお手柄なんだから。ちゃんと魔王様にも報告して、たくさん褒めてもらおう」
「う~ん。魔王に褒めてもらう図があまり想像できないんだけど、まぁいっか」
ジャックは私ににっこり笑いかけると、痺れている三つ目族たちを蔦で拘束していく。見かけによらず力持ちのケロスも、ジャックを手伝って三つ目族を一か所に運んでいく。
縛り付け作業が終了し、ジャックが念話で配下に連絡を取っていると、突如異変を察知したケロスが私を遠くへ突き飛ばした。
私がバランスを崩して地面に倒れ込むと同時に、ケロスとジャックが立っていた周辺が突然大きな爆発を起こした。驚きに目を見張ると、いつの間にか地面に赤い魔法陣が描かれていた。
「あれって、火の魔法!?」
私が体を起こして爆心地を見ると、五人の三つ目族が焼き切れた蔦を引き千切っているところだった。五人とも雷魔法の影響でまだ痺れているらしく、満足に体を動かせる状態ではなさそうだった。
「クソ。油断した。まさか星の戦士が超級魔法を使えるとは」
「予め上級魔法を一つ仕込んでおいて正解だったな。危うく魔王に突き出されるところだった」
「人間だからと後回しにせずに、最初に殺すべきだったな」
「番犬と翠毒がのびている間に、まずは女を殺るぞ」
三つ目族たちは魔力を共有して術式を展開すると、強力な魔法を唱え始めた。
私は咄嗟にケロスとジャックの姿を探したが、二人は至近距離で爆発を喰らったため、地面に倒れて気絶しているようだった、
(ま、マズイマズイ!とりあえず結界を!)
私は蒼白の光を纏い結界の妄想を現実化しようとしたのだが、賢い三つ目族は私が能力を発動させないよう、無詠唱の下級魔法を使って妨害してきた。
私は間髪入れずに飛んでくる火の玉や氷の刃から走って逃げ回り、とても妄想どころではなかった。少し体が痺れているとはいえ、そもそも五人対一人。あまりにも分が悪い。
ジャックやケロスを起こしに行きたかったが、二人に近づけないよう三つ目族に魔法で誘導され、私は叫び声を上げながら逃げることしかできなかった。
「岩石に押し潰されて死ぬがいい!」
魔力を共有した三つ目族三人による地の上級魔法が発動した。これは以前おじいちゃんに見せてもらったが、無数の岩石が降り注ぐなかなか強力な魔法だった。
(妄想する暇がないから結界も張れない!気合で避けるしかない!?)
「いやいやこの大きさを全部躱すのは無理!助けて誰かぁ~!!」
半泣きしながら叫ぶ私の上に、容赦なく大岩が降り注いだ。頭を庇って身構える私に、よく知る人物の声が耳に届いた。
「えりちゃん!伏せて!!」
私が咄嗟に声に反応して身を屈めると、声の主が上空から降下し、大岩に向かって蹴りをお見舞いした。重力と加速して降下した威力が上乗せされ、蹴りは物凄い威力で岩を破壊した。
声の主は私の前に着地すると、そのまま降り注ぐ岩石を全て体術で捌き始めた。その頼もしい背中に、私は自然と釘付けになった。
「このタイミングで吸血鬼の王子まで合流するとは!あと少しで星の戦士を殺せたものを!」
三つ目族たちは悔しそうに奥歯を噛む。
普段と違い一時的に元の年齢の姿に戻っているドラキュリオは、魔法を全て捌ききると私を振り返ってニッコリ笑った。
「危ないところだったネえりちゃん。このボクが来たからにはもう安心だよ」
「ありがとうキュリオ!本当にもうダメかと思った!何でここに?」
「そりゃあもちろんえりちゃんと約束したからネ☆ピンチの時は必ず助けに駆け付けるって!颯爽と駆け付けて助けたボクの雄姿を見て、えりちゃんも惚れ直しちゃったでしょ?」
「…そうだね。頼りになるキュリオを見て惚れ直しちゃった。すっごくかっこよかったよ」
私が素直にドラキュリオを褒めると、彼はきょとんとした後、すぐに顔を朱色に染めて照れた。まさか私が素直に褒めるとは思わなかったのだろう。
普段は問題行動だらけだが、いざという時は確かに頼りになるようだ。特に今は元の姿に戻っているので、いつもより少し大人びていてかっこいい。私を背に庇って岩石を拳や蹴りで砕いていた先ほどの姿は、思わず見惚れてしまうほどだった。
ドラキュリオは褒められて気分が舞い上がったのか、私にもっと良いところを見せようと、五人の三つ目族相手に特攻して行った。
「お前たち全員をやっつけて、もっとえりちゃんに褒めても~らおっと☆」
「まずい!本気を出されたら吸血鬼の王子相手は分が悪い!」
「残念だけど、もう一人も逃がしはしないヨ!」
それからは正にあっという間だった。ドラキュリオは五人相手でも一切怯まず、流れるような体術でどんどん敵を地面に沈めていった。魔法で攻撃されようが、魔力を纏った腕で薙ぎ払い、強行突破して攻め続けた。元々雷魔法の痺れもあり、三つ目族たちは今度こそ戦闘不能になった。
三つ目族たちを倒し終えたドラキュリオは、仮の姿に戻るとくるっと方向転換して私に駆け寄ってきた。
「えりちゃ~ん!敵を全員やっつけたヨ!ちゃんとボクの雄姿見ててくれた?」
「う、うん。あっという間にやっつけちゃってすごかったね。さすが七天魔の一人!」
褒めてほしい全開でドラキュリオがキラキラした目で見つめてくるので、私は笑みをこぼしながら彼を褒めてあげた。
「まぁ、ボクにかかればこんな奴ら束になったって敵じゃないけどネ。それに引き換え~、ジャックとケロスは何やってんだ。二人がのびてるせいでえりちゃんがピンチになったじゃないか」
ドラキュリオは眷属のコウモリをマントから呼び出すと、ジャックとケロスを起こすようにけしかけた。
無数のコウモリにペチペチと体の至る所を叩かれた二人は、ようやく目を覚ましてボロボロになった体を起こした。
ジャックは爆発の瞬間に植物を召喚して直撃を防いだようだったが、それでも着ていた和装が焼け焦げて全身を強く打っていた。ケロスは後ろに飛びのいてダメージを減らしたようだが、あちこち火傷したようで綺麗だった毛並みはボロボロになっている。
ジャックはドラキュリオに気が付くと、ゆっくりした思考で呟いた。
「…あれ?キュリオ君がどうしてここに?」
「どうしてじゃないだろ~!ここは元々ボクの担当領域じゃん。ジャックがボクの配下に三つ目族が現れたって教えてくれたんだろ。急いでやって来てみれば、二人はノックアウトされてえりちゃんがピンチになってるし。そんな体たらくじゃ、とてもえりちゃんのボディーガードは任せられないネ」
「め、面目ないです…」
ジャックは回復用の薬草を生やしながら、しょぼんと肩を落とした。
「三つ目族のヤロウ!獣人族の弱点の火魔法を至近距離でぶちかましやがって!あちこち火傷して最悪だ!もう交代する!」
目を覚ましたケロスは火傷の痛みに耐えきれず、早々に人格を交代した。毛並みの色が紫からグレーへと変わる。ケロスからバトンタッチしたケルベロスは、顔をしかめながら立ち上がると早速私に謝罪した。
「イテテテ。…すみませんお姉さん。肝心な時に助けられず。魔王様から直々に護衛を仰せつかっていたのに。キュリオが来てくれなければ手遅れになるところでした」
「そんな気にしないでケルベロス。あんな爆発を喰らったんだから仕方ないよ」
「せいぜいボクに感謝しなよケルベロス。えりちゃんにもしものことが起こってたら、魔王様に叱られるところだったんだからさ」
ドラキュリオは会話に割り込んでくると、ケルベロスに対してマウントを取ってきた。先ほどまでは文句なしにかっこよかったのだが、こういうところを見ると若干好感度が下がってしまう。
「今回ばかりは素直にキュリオに感謝しなければならないですね。大変不本意ですけど」
「ちょっと!全然素直に感謝してないから!これでもかなりすっ飛ばして来たんだからネ!余裕さを醸し出してるけど!本当は超ギリギリだったんだから!」
「ふふふ。分かってますよ。珍しく汗だくですもんね。ちゃんと感謝しています、キュリオ。お姉さんを助けてくれてありがとうございます」
「…別にケルベロスのためにえりちゃんを助けたわけじゃないけど。てか汗だくなのもバレてるって、かっこ悪いじゃんボク」
ドラキュリオはケルベロスの洞察力に眉をしかめると、怪我の手当てを終えたジャックを手招きした。ケルベロスの手当てを頼むようだ。
「それにしても、てっきりケルちゃんに代わるのかと思ったら、ケルベロスと代わるんだね。ケルベロスはもっと頭を使う場面で交代するのかと思ってた」
「…ケルが痛いのは嫌だと言ったので。ケロスも火傷はヒリヒリするから嫌だと言うし。仕方なく僕が表に出てきたんですよ」
「ケルベロスもなんか大変だね。三人の中で一番しっかりしたお兄ちゃんだから、色々と気を遣って損しちゃうんだね。二人のために我慢して偉いよケルベロス」
私がよしよしと頭を撫でると、ケルベロスは照れくさそうに微笑んだ。
「お姉さんに褒めてもらえるなら、痛みを引き受けた甲斐がありましたかね」
「コラ~!ケルベロス!えりちゃんを独り占めするな!今回大活躍したのはボクなんだけど!」
私とケルベロスの間に割って入ったドラキュリオは、自分より小さい相手にムキになって吠える。本当に彼は焼きもち焼き過ぎる。
軽く睨み合う二人の間に更にジャックが入り、ケルベロスの手当てを始めた。
「と、とりあえずあの三つ目族たちは魔王城に連行するとして、魔王様の尋問で他の洗脳して回っている者たちの情報が何か得られればいいんだけど」
「そう簡単にいくかなぁ。あのクロウリーの配下だヨ?何か情報を持ってたとしても、喋る前に自害しちゃうんじゃない?」
ドラキュリオは頭に両手を当てながら、あっけらかんと言った。
その後ケルベロスの手当てを済ませた私たちは、捕らえた三つ目族を連れて魔王城へと向かった。
魔界を荒らして魔王軍の弱体化を図るクロウリーとの攻防は、三つ目族の暗躍により、まだ当分の間続くのだった―――。




