第三幕・魔王編 第四話 あなたに最善の未来を
夜が深まった魔王城の作戦会議室に、同盟軍の主だった幹部クラスが集まっていた。
少し前に、俺に断りもなく勝手に戦線離脱した女の能力によって、時間が巻き戻るという信じられないことが起こった。それによって、昨日戦死したはずのケロスが生き返り、救出したはずのサキュアが姿を消した。
正直この場にいるほとんどの者がすぐには状況についていけず、一番今回の妄想を把握していそうな同じ異世界人の小童が今の状況を説明することになった。
ひとまず落ち着くために全員が会議室の椅子に座った。
何故かケルだけがドラキュリオの膝の上に無理矢理座らされている。あの二人はよく口喧嘩をしているが、幼少期から俺を含めて一緒に行動をすることが多かったので、何だかんだ言って仲が良いのだろう。
(ドラキュリオはケロスが死んだと聞いてかなりショックを受けていたからな。時間が巻き戻って本当に良かった)
俺はあまり顔に出ないように嬉しさを噛み殺した。
「それじゃあ俺の知る限りの情報で推理して説明しますね。今回神谷さんがした妄想は恐らく、俺たちの世界でよく題材に取り入れられる『タイムリープ』ものを参考にしたものだと思われます」
「たいむ、りーぷ?それは、一体どういうものでござるか?」
「さっき俺はみんなに伝わりやすいように時間が巻き戻ったって言いましたけど、正確には時間が巻き戻ったんじゃなくて、神谷さんが予め能力で指定したと思われる俺たちだけが過去に飛んだんス。意識…、魂が記憶を持った状態で過去に飛ばされたっていうか~、これ、説明するの難しいッスね。ゲームと違うから原理とかそもそも分からないし」
佐久間は腕を組みながら体ごと首を捻って唸る。
言葉を探して悩んでいる間に、優秀な参謀が自分なりの見解を述べ始めた。
「今ある情報と彼の話を私なりに繋ぎ合わせた結果を述べさせていただくと、今回のえりさんの妄想は零時になると鐘の音を引き金に私たちだけが記憶を保持した状態で一日前に飛ぶ、というものでしょうか。そして彼女が歌っていた歌を参考に分析すると、これはある条件を満たさない限り何度でも過去に飛ぶことができるものでは」
「何度でも過去に!?ていうことは、何度でもサラマンダーと万全な状態で再戦可能ってことか!?」
「はいそこ。話し合いの邪魔だから黙っててくれる」
「んだとクソガキ!んん!?」
空賊が騒がしくなる前に、クロロが真顔で氷魔法を発動させる。空賊の口が見事に氷漬けになった。これで静かになるだろう。神の子も安心している。
「クロロさんの言う通り、あの歌も妄想するのに一役買ったんだと思います。あれは俺の世界で今流行っているゲームの主題歌で、ゲームのストーリーそのまんまの歌なんで」
「げーむ?確か遊びという意味でござるな」
横文字が苦手な凪は、なんとか話についていこうと頑張っている。佐久間はなるべくこの世界の人間でも分かり易いよう言葉を選びながら話す。
「えっと、俺たちの世界では色々な物語を題材にした遊びがたくさんありまして、自分が物語の主人公になって追体験できるというか、主人公を直接操作するというか。まぁ、そんな遊びがあるんですよ。物語にはタイムリープとかタイムスリップ、タイムトラベルものの作品って結構あって、神谷さんはその中でも今一番人気のある物語を参考に妄想したみたいッス」
「フム。ちなみに、それはどんな内容の物語なのだ?」
俺は上座の椅子に座りながら小童に問いただす。特に殺気も魔力も纏っていないのだが、若干佐久間はビビっていた。
「え~と、俺自身は部活が忙しくてプレイしたことはないんスけど、友達に聞いた話によると、ヒロインと平和に暮らしていた主人公が、ある日国の戦争に巻き込まれてしまうんです。それから仲間を集めて一緒に戦争を乗り越えていくんですが、結局戦争が終結する頃には仲間は全員戦死してしまって、自分一人が生き残ってしまうんです。もちろん戦争の途中でヒロインも亡くしてしまいます」
「哀しいお話ですわね…。やはり、戦争というものは忌むべきものですわ」
お優しい聖女は作り話だというのに共感して心を痛めているようだ。チラッとクロロに目をやると、冷めた目で聖女を見ている。
「長年の激しい戦争で自然環境は破壊され、とても人が住めない環境になってしまった世界で、生き残った人々は絶望して死を待つばかり…。でもそんな時、時間を司る女神が主人公の前に現れます」
「時間を司る女神様ぁ?」
仕方なくドラキュリオの膝で大人しくしていたケルが興味津々で復唱する。他の者も『時間』と聞いて一気に話に引き込まれたようだ。
「ヒロインや一緒に戦った仲間たちを救いたかったと後悔している主人公に、時間の女神は過去に渡る力を与えます。それが時間の鐘です。神谷さんの上にあった銀色のベルッスね。あれの力で主人公は過去に戻ってやり直すんです。ヒロインや仲間を救うため、そして戦争を早期に終わらせて、人が住める環境を守るために。本来はこの物語だと、主人公しか体験した記憶を引き継げないんスよね。女神の加護を受けているのは主人公だけスから」
「そうなのか。じゃあ俺たちはえりさんの妄想で、仲間内だけは記憶が保持できるようにしてくれたってことなのかな」
カイトの考えに、クロロが肯定して頷く。
「恐らくそうでしょうね。過去に戻れるだけでなく、記憶を引き継いでいけるというのはそれだけで大きなメリットですから。えりさんが能力発動時に歌っていた歌で、ある程度予想はできていましたが」
「む~?歌ってなあに?」
「そっか。ケルはあの時もう死んでたから聞いてないのか。残念だったネ~。えりちゃんの美声が聞けなくて」
「よくえりが歌っていた鼻歌のやつだ。傍にいたからお前も一度は耳にしたことがあるだろう」
自慢してくるドラキュリオに頭突きを食らわしながら、ケルは思い出したと耳をピンと立てた。
「あぁ!お姉ちゃんがよく口ずさんだり鼻歌してたやつ!あれが妄想に関係してたの?」
「あの歌は今話した物語の主題歌ですから。妄想するにはもってこいだったんじゃないスか。ゲームの中でもグラフィックがメッチャ綺麗で、歌もストーリーに沿ってて良いから動画の再生回数がすごい評判なんですよ」
「ぐらふぃ…?どうがとは何だ?勇斗」
「あ~。こっちの話ッス。凪さんの今後の人生には一切関係ないんで忘れていいです」
側近があっさり説明を放棄したので、凪は少しヘソを曲げた顔をした。
「物語の概要は大まかにそんな感じなんスけど、余談を話すと、このゲームって結構クリアするまでに時間がかかるみたいッス。ヒロインが助かる一番良いハッピーエンドを迎えるには、仲間107人全員が生存してないといけないみたいで、そのためにはあえてバッドエンドを見て何度も過去に戻って試行錯誤しないといけないらしくて。だから俺たちもそうならないように気合を入れてやり直さないといけないッスね」
「仲間107人?何それ。少なくない?107人ぽっちで戦争してんの?そりゃ負けるヨ」
「え?いや、仲間107人って、全体でその数じゃなくて、なんていうかな、軍の幹部が107人ッス」
「エ!?今度は逆に多いネ!幹部クラスが107人!?どんな大軍団!?」
「ドラキュリオ。これはあくまで物語の話だろう。あまり設定を真に受けるな」
俺に注意され、ドラキュリオはムスッとしてケルの頭に顔を乗せた。重たいから止めろとケルが抗議の声を上げる。
「これで大体分かりましたね。今回のえりさんの妄想は今聞いた話を元にしており、おそらく我々は今回の戦いで勝利を収めるまで何度も試行錯誤をすることができるのでしょう。……多分妄想としてはこんな感じでしょうか。一つ目の妄想は我々を一日前の過去に戻すこと。二つ目は記憶の保持。三つ目は納得のいく結果になるまでこの妄想を繰り返し続ける妄想。えりさんの能力は体に負担のかかるものです。その都度妄想していたのでは、体に負担がかかりすぎて能力が使えなくなるでしょう。だからあえて自動的に繰り返し能力が発動し続ける妄想にしたのでは」
「なるほどな。本来こんな型破りな妄想をしたら、間違いなくあいつはぶっ倒れているだろうからな」
「ぶぶ、ぶっ倒れている、というか、下手したら次の日まで眠り続けるレベルじゃ…。過去に戻ってやり直せるからって、僕たちもあまりのんびりしてられないんじゃないですか。クリスタルの中に入っていてえりさんの体調を調べることはできませんが、あまり時間をかけないほうがいい気がします」
ジャックの顔には不安が現れており、最悪の結末を想像している。俺自身もジャックの意見には賛成だった。いくら女の能力のおかげで過去に戻れるからと言って、そう何回も昨日の戦争を繰り返すのは御免だった。
(さっさと蹴りをつけて、俺に相談もなしにこんな勝手な能力を発動させたえりに仕置きせんとな。………なにが『俺がハッピーエンドを迎えられるように全力でサポートする』だ。もっと自分の体の負担を考えろ。お人好しの馬鹿女め)
俺は無意識に両拳を握りしめると、苛立たし気に眉間に皺を寄せた。
「そんな心配すんなジャック。そう何度も同じ奴との喧嘩で負けるかよ。俺たちはもう敵の切り札も分かってる状態なんだ。天才の参謀様が良い作戦を立ててくれるだろうよ」
「敵の切り札…。ガイゼルの援軍か。今度はそれを踏まえて兵を配置し直すのもありだな。参謀殿、どうする」
ジークフリートを始め、全員がクロロに注目する。
クロロはモノクルに一度手をかけて調整すると、力のこもった声で言い放った。
「あまり時間がありませんので、大急ぎで作戦を立て直しましょう。昨日の反省を踏まえ、今度こそ敵を追い詰めます。えりさんがくれた反撃のチャンス、最大限に生かしましょう!」
魔王城に戻って来てから先ほどまで、昨日の敗戦の反省会は十分やった。後はその情報を踏まえて作戦を練り直すだけだ。クロロを中心として、それから一時間かけて同盟軍はリベンジを果たすための戦略を立てたのだった。
なんとか新たな兵の配置と作戦を立て終わり、全員が若干の不安と期待を持ちながら解散の流れとなった。
「よぉ~っし!今度こそダッシュでサキュアを助けるぞぉ!ケル!今度は簡単に死んだりするなってケロスに伝えといてよネ」
「うん。ていうか、今度はもう誰にも負けないって息巻いてるよ」
ケルは己の中で聞こえてくるケロスの叫びを代弁した。
「一つ気になったんだが、今回のえりさんの能力ってどうやったら解除されるんだ?俺たちが今日の戦いに勝てば自動的に能力が解除されて明日を迎えられるのか?」
「わたくしもカイト様と同じでそう思っておりましたが、違うのでしょうか?」
小僧と聖女は二人揃って退室しようとしている神の子に視線を注ぐ。どうやら星の戦士側では最年少の神の子がうちのクロロポジションのようだ。
「……さっき聞いた話を踏まえると、どうやら神谷さんが時間の女神様役をしているみたいだね。そして僕たちが女神様の加護を与えられた者たち。だけど、過去にまた戻るか否かを判断する人物が予め決められていると思うよ。さすがに毎回この人数で多数決はないから。魔王軍側で誰か心当たりがあるんじゃない。その選ばれし主人公が誰なのか」
「選ばれし主人公…。だだ、だったら!主人公は魔王様だと思います!えりさんが能力を使う前に、ハッピーエンドを迎えられるように全力でサポートすると魔王様とお約束したと言っていましたから!」
「へぇ~。だったら魔王で決まりだね。ということは大げさに言えば、たとえ戦争に勝とうが、魔王の納得のいく戦果でなかった場合、何度でも過去に戻ってやり直す羽目になるということだね」
棘のある言い方をされ、俺は眉を吊り上げて神の子を威嚇する。しかし、かつて存在したという聖騎士同様何故か神の加護を持つ少年は一切ビビらなかった。
「戦争に勝利してもやり直すのは、場合によってはあまり得策ではなかろうな。ギリギリの戦いであった場合、また再び勝てるという保証はないでござる」
「殿様の仰る通りですが、こればっかりはどうしようもないですね。我々の王は見かけによらずお優しい方ですから。簡単に人を切り捨てることができない性格です。仮にいつも小僧と見下しているあなたが死んで勝利を収めた場合でも、魔王様は迷わずまた過去に戻るでしょうね」
「エッ!?まさか!」
小僧が信じられないという目でこちらに目を向けてきたが、すでに俺は真っ黒い怒りのオーラを纏っていた。クロロはいち早く危険を察知して無言でじいの背後に回る。
「いらんことは喋らんでいい。戦争前に戦線離脱させられたいのかクロロ。どうせまた過去に戻れるんだ。たまにはキツ~イ仕置きをしても構わんぞ」
「いやいやご冗談を。参謀の私が戦線離脱したら、勝てる戦も勝てませんよ」
「フォッフォッフォ。図星を突かれたからってそこまで怒らんでも。真面目な話、魔王様の責任は重大ですぞ。局面によっては仲間を切り捨て進むことも考えねばならぬからのう」
「…………そんな話は一度でも奴に勝ってからにしろ。今のところ俺は誰も犠牲にするつもりはない」
俺は横を通り過ぎると、そのまま会議室の扉をくぐり廊下に出た。そして昨日まで女に提供していた自室へと向かう。
(あいつが作ってくれたチャンス。無駄にはしない。今度こそサラマンダーとネプチューンの説得を成功させる。ケロスも、誰も、死なせはしない!)
俺は決意を固くすると、二度目の決戦に向けて闘志を漲らせるのだった。
決戦の地にて迎える二度目の約束の時間が近づいた。
今回俺はサラマンダー軍側ではなくネプチューン軍側に布陣している。夜中の会議で一部配置換えを行い、俺はネプチューンの説得から入ることになった。そうすることで少しでも命の危険にさらされる佐久間の生存率を上げようという作戦だ。
俺がネプチューン側に移動したことで、代わりにじいがサラマンダー軍配置となった。空賊と協力して俺が行くまで持ちこたえてもらう予定だ。
クロウリー軍にはクロロ軍と神の子、ユグリナ騎士団、オスロ兵が配置されているが、一部ケルベロス率いる獣人族が加わっている。これは途中で乱入してくるガイゼル軍対策であり、ケロスが再びネプチューンの側近に討たれないようにするための処置でもある。強制武装解除能力を持つ相手には、肉弾戦に強い獣人族もしくは吸血鬼一族が適しているためだ。
そしてサキュア軍には新しくジークフリートが配置換えになっている。前回は思いのほかサキュアに到達するまでにドラキュリオとカイトが時間を要していたため、二人のサポートとしてジークフリートがつくことになった。空から援護することで、より早くサキュアの下へと到達できるようにするのだ。
基本的に配置換えを行ったのは魔王軍だけで、星の戦士たちは前回と変わらずそのままだ。人間側は元々前日入りしている軍も多く、兵の混乱を招きかねないため動かさないことにした。記憶を保持して過去に戻ったのは自分たちだけなので、一般の兵に細かい説明をしても混乱するだけだったからだ。
「そろそろだな。今度こそやってやろうぜ!魔王様!」
レオンは巨大な斧を持ち上げて肩にかけると、頭上に飛んでいる俺に牙を見せてニカッと笑った。俺は黙って頷くと、浮遊魔法で宙に浮かんだまま、海の沖に姿を現したネプチューン軍を見据えた。
各方面からも敵軍の気配が現れ徐々に近づいて来ている。気配を読む限り、兵力は前回戦った時と変わりないようだ。本当に過去に戻っているのだと今更ながらに実感する。ケロスが生き返っていた時点で疑う余地はないのだが、本当に型破りな妄想の力だと思ってしまう。
(さすがのクロウリーも、俺たちが過去をやり直しているとは夢にも思うまい。今回は完璧に奴の裏を掻いている。……今までずっとクロウリーの裏を掻く妄想をしろと言い続けていたが、ちゃんとえりはその役目を果たした)
俺は後ろを振り返ると、後方のジャック軍が配置されている場所にあるクリスタルと巨大な鐘の建造物を見つめる。先ほど間近で見てきたが、女はクリスタルの中で眠ったように動かなかった。
(もはや説得に自信がないなどと思ってはいられん。魔王としての務めを果たさなくては!…すぐに、目覚めさせてやる)
俺がクリスタルから目を外すと、どこかで聞いたような台詞が頭の中に響いてきた。
『グフフフフ。ごきげんよう。魔王軍と星の戦士軍の皆さん。今日はわざわざ素敵な場を用意してくださってありがとうございます。後手後手に回る状況を打破しようとしたようですが、このワタシにはさしたる影響はありません』
前回と全く同じ言い回しに、思わず地上にいるレオンが噴き出して笑っていた。周りにいる配下たちは不思議な顔をしている。過去の記憶を保持している者からしてみれば、もうその台詞は聞いたとツッコミたくなるところだ。かくいう俺も、鬱陶しいから念話で遮ってやろうかと少し思ったくらいだ。
『むしろ…、ん?いつの間にやら変なものがありますねぇ。最後の星の戦士の能力ですか?まぁ今更足掻いたところでこのワタシには勝てませんよ!さぁ、全員まとめて目障りなものを片付ける好機です!存分に暴れさせてもらいましょう!』
クロウリーは途中で不思議な鐘の存在に気づいたようだが、大して気にも留めずに号令を出した。敵軍は一斉に雄叫びを上げて進軍を開始する。
俺は一度深く息を吸うと、目に鋭く力を込め、戦場一帯に念話を飛ばす。
『不屈の闘志を宿す戦士たちよ!この長きに渡る戦争に終止符を打つ時が来た!どんな逆境に陥ろうとも、俺たちには仲間がついている!恐れず己の全力を出して戦え!全軍、突き進め~!』
「「「「「おぉぉぉぉ~~~~~!!!!!」」」」」
俺の念話に応え、各地で雄叫びが上がり士気が最高潮に達した。各軍それぞれの敵に向かって進軍を開始する。
「ガハハ!魔王様はクロウリーの野郎と違って演説を変えてきたなぁ!」
「当たり前だ。前回と今回では俺の意気込みも違う。それにこんなところでお前たちの笑いを取っても仕方がないからな」
「一字一句同じことを言ってたら、キュリオあたりが腹を抱えて喜びそうだったんだがなぁ!」
「あいつなら確かに狂ったように笑って指まで指してきそうだな」
俺は容易に想像できる絵を頭の中に思い浮かべる。
「それにしても珍しいな。魔王様が『仲間』なんて口にするなんて。他種族が集まる魔王軍では、あまり仲間なんて言葉は口にしないからな。配下や眷属同士、上下の繋がりは強いが、他種族である横の繋がりはあまり強いとは言い難いからな」
「………この戦争は俺たち魔族だけの戦いではない。魔族と人間が手を結んで挑んでいる戦いだ。…もしまた不本意な結果が訪れようとも、俺たちにはえりがついている」
「なるほど。嬢ちゃんという心強い仲間か。つっても今回は俺様も負けるつもりは一切ねぇぞ!今度こそあのババアをブッ飛ばす!」
「おいレオン。まずは俺が説得を試みるんだからお前は手を出すなよ」
作戦そっちのけで喧嘩を売ろうとしているレオンに俺は呆れた声を漏らす。彼は豪快に笑ってすまんすまん、と謝った。
レオンは父の代から七天魔を務める古参だが、戦闘で頼りになる反面、細かいところを気にしない大雑把な部分がある。良く言えば思い切りが良く豪胆で決断も早い。頭に血が上ると色々抜けてしまうことがあるので、近頃はケルベロスが上手くそれをフォローしている。しかしケルベロスは今日クロウリー軍に配置されているので、もし暴走しても止める者がいない。ジークフリートがいれば少しはまだ安心できたのだが、彼もまた別の戦場に配置されてしまった。
俺は一抹の不安を抱えながら、視界に捉えたネプチューンを見つめる。
「会いたかったぞ魔王よ!よくもこの間は妾を謀ってくれたのう!よりにもよってリアナの偽物を用意するとは!なんと性格の悪い!一体誰に似たのかのう。久しぶりに妾自らお仕置きしてくれよう!」
声を張り上げながら矛を掲げて威嚇してきたネプチューンに対し、俺は暗黒剣を召喚すると、説得に向けて颯爽と飛んで行くのだった。
その日の深夜。女の警護に残ったジークフリートを除いて、俺たち同盟軍幹部は再び魔王城の会議室へと集合していた。それぞれ椅子に座り、一様に暗い表情をしている。
前回と比べて被害は抑えられたものの、結局クロウリーたち連合軍を追い詰めるには至らなかった。それどころか、俺はまた今回もサラマンダーに引き続きネプチューンの説得に失敗していた。
「はぁ~。……幹部クラスに死者はでなかったものの、今回も一気に流れを向こうに持っていかれてしまったな。やはりサラマンダー軍が隣の戦場に乱入してしまうと、クロウリーが一気に攻勢を仕掛けてくる。今回は俺たちも連携が上手くいって、早い段階で悪魔の彼女を救出できたんだけどな」
「そーそー。サキュアもあまり衰弱してなかったし、ジークを加えて救出に向かう作戦は成功だったんだけどネー。竜人族とガイゼル乱入後の戦場がヤバ過ぎ。ボクらも隣の戦場に加勢しに行ったけど、人間相手ならいざ知らず、竜人族に魔力なしで突貫するのはさすがにキツイよ」
ドラキュリオはぐったりした様子で机に突っ伏した。
今は五体満足にしているが、聞いた話によるとかなり無茶な戦い方をして、あちこち深手を負って血だらけだったらしい。聖女の能力のおかげで大事には至らなかったが、その怪我からも竜人族の相手がどれほど大変だったのかが分かる。
「…今日は本当によくやったドラキュリオ。お前が無理をして強者を優先的に相手してくれていたおかげで、クロロやケルベロスの軍が総崩れせずに済んだ。竜人族がもっと好き勝手に暴れていたら、きっと前回同様壊滅的な被害が出ていただろう」
俺が珍しく素直に褒めてやると、ドラキュリオはガバッと身を起こして得意げな顔をした。
いつもふざけて問題行動が多いドラキュリオだが、やる時は命を張ってやる男だと知っている。一応俺より年上で、吸血鬼一族の王族としての誇りも持っているため、いざという時は頼れる男だ。その代わり平時の時はあまり真面目に働かないが。
「ヘヘ☆まぁ、吸血鬼界の王子であるこのボクが本気を出したら、竜人族にだって引けを取らないからネ~♪ただ強いて言うなら、あのガイゼルの強制武装解除はホント止めてほしい。空も飛べなくなるから満足に戦えないんだもん。それなのに敵の竜人族は魔力ありでバリバリ戦ってくるからさぁ。不公平だヨ!」
「……ごめんなさい。無茶して戦ってもらって。昨日ケロスが死んだせいもあって、尚の事負担をかけちゃいましたね」
レオンの隣に座っているケルベロスは、向かいに座っているドラキュリオに謝罪した。
前の日にケロスが死んでしまったことが頭に残っていたドラキュリオは、再び命を落とすことがないよう、ケルベロスをあまり前線に出させなかったらしい。その代わりに自分が二倍以上働き、結局深手をあちこちに負って死にかけていたと最終報告を受けている。
「べっつに~。ボクはケルベロスの兄貴分だからネ。あのくらい何ともないよ。むしろ魔力さえあればみんなギッタンギッタンにしてやったさ」
「あまり調子に乗るなよドラキュリオ。聖女から死ぬ寸前だったとちゃんと報告を受けているぞ。身内を守りたい気持ちも分かるが、己の限界もちゃんと見極めろ」
「な!?全然死にかけてないし!それ嘘情報だから!ちょっと聖女!魔王様にカッコ悪いこと報告しないでヨ!」
「も、申し訳ありません。一応怪我人の報告が義務となっておりますので」
「おい!セイラを責めるなよ!死にかけていたのは事実だろうが!助けてもらっておいて何て言い草だ」
くだらないことでドラキュリオと小僧の言い合いが始まった。
仲裁するのも面倒な俺は、ひとまず今日の反省点をクロロにまとめさせた。
「やはりこの戦いで鍵になるのは竜人族の戦場ですね。前回と今回を比較してみても、サラマンダーの足止めの如何に係わらず、配下の竜人族が空賊を突破して隣の戦場に雪崩れ込むと、途端に流れがあちらに傾いてしまいます。どうにかして竜人族の勢いを止めませんと、我々の勝利は遠いかと」
「フン。じいは今日何をしていた。サラマンダーの相手だけではなく、配下たちも一遍に
相手してもいいのだぞ」
「いや、いいのだぞ、と言われてものう。あのじゃじゃ馬娘の相手だけでもかなり大変じゃぞ。昨日戦った魔王様も知っておるじゃろう。今日だってこれでも一応空賊を援護はしていたぞ。でも如何せんサラの猛攻が激しくてのう。しょっちゅう魔法で援護するのは無理じゃ」
じいは大して凝りもしていない肩を杖で叩きながら髭を撫でる。
昨日に引き続きサラマンダー軍にこてんぱんにされた空賊は、意気消沈しているのかずっと俯いている。手元をよく見てみると、紙に何かを熱心に書き込んでいるようだ。あそこまで集中している空賊は珍しい。会議に口を出されてもうるさいだけなので、そのまま放っておくことにする。
「魔王殿の方は今日も説得は無理だったようだが、サラマンダーとネプチューン、双方と話してみて、どちらの方が手応えがあったでござるか。とりあえず今後は説得しやすい方を狙ったほうがよいであろう。それで何度も失敗するようであれば、説得路線を諦めることも考えなければなるまい」
「…………」
隠密殿様の見解は当然の話だったが、俺個人としては説得を諦めることだけはしたくなかった。竜人族と魚人族は命令に反してはいるが、クロウリーほど堕ちてはいない。力で屈服させるには抵抗があった。
それに父の代ではきちんと魔王に従っていた者たちだ。俺だから従えないというのなら、きちんと認めさせて配下に加えたい。それでこそ魔界を統べる王というものだ。
「まだきちんと会話が成り立つのはサラマンダーだったな。ネプチューンはとりあえず人の話を聞かない。それは昔からだが」
ネプチューンをよく知る魔族たちは、うんうん、と力強く頷く。
「しかし説得のしやすさで言うならネプチューンの方だろう。俺はまだ、サラマンダーの求める答えに辿り着いていないからな。今のままでは何度説得しても一騎討ちに付き合わされるだけだろう」
「サラマンダーの求める答えって?彼女に何か謎かけでもされているの?」
踊り子は持っている扇で長い髪を弄びながら訊ねる。
「…そのようなものだ。とにかく引き続きネプチューンを当たったほうがいいだろう」
「わかりました。では魔王様は明日もまたネプチューンの説得を。では、竜人族対策について話し合いましょうか。皆さん気づいたことがあればどんどん発言してください」
それから女の能力が発動するまで、俺たちは夜食をつまみながら話し合いを続けた。
零時になると前回と同じように、どこからともなく鐘の音が聞こえてきた。窓の外では蒼白の光が世界を覆うように駆け抜けていっている。俺たち自身も蒼白の光に包まれ、また記憶を引き継いで過去へと戻っているようだった。
鐘の音の余韻が消えて光が止むと、体の疲れと減っていた魔力が完全に回復していた。過去に戻ったことで、戦う前の状態にまた体が戻ったようだ。
「無事にまたえりさんの能力が発動したようですね。それでは、話もまとまったことですし、また今日の決戦に備えて休みましょうか」
「うへ~。またサキュアを助けるのかぁ。助けても助けてもきりないなぁ。正気に戻った状態でサキュアも過去に戻れたらよかったのに」
「そう言うな。ヒロインを助ける王子役とでも思えばいいだろう」
俺がニヤッと意地悪く言うと、ドラキュリオはすぐさま猛抗議してきた。
「サキュアがヒロインて全然やる気出ないんだけど!むしろ部下だし!どうせヒロインを助けるんだったらえりちゃんがいいヨ~」
「それは残念だったな。あのクリスタルで眠るお人好し馬鹿を目覚めさせる役は俺だ。お前はサキュアで我慢しろ」
「ちょ、ずるい!たまたま自分が主人公に選ばれたからって!ボクもえりちゃんがヒロインがいい~!えりちゃんを助ける王子様役やる~!」
「はいはい。えりさんはヒロインじゃなくて時間の女神様役ですって。今日もまたキュリオには頑張っていただかなくてはいけないんですから、さっさと解散して寝てください」
過去に戻ったせいで体力が有り余っているドラキュリオをなだめ、クロロは自室に帰るよう促す。
そして全員が会議室を後にしてから、参謀は俺に向き直った。
「隠密殿様にあえて返答はしていませんでしたが、魔王様のことですから、説得を諦めるつもりはないんですよね」
「…あぁ」
「……わかりました。幸い何度失敗してもチャレンジはできます。えりさんの世界の物語のように試行錯誤を繰り返すのもいいでしょう。ですが…、あまり時間をかけすぎないよう注意してください。えりさんへの体の負担が未知数だというのもありますが、記憶を保持して何度も過去に戻る我々の精神的負担も大きいです。回数を重ねれば重ねるほど、精神にかかる負担が増大します。場合によっては心が壊れる者が出てもおかしくありません。それだけは心に留めておいてください」
真剣な顔で諭すクロロに、俺は素直に頷いた。
「あぁ。そこまで陥る前に必ず説得してみせる」
「えぇ。魔王様ならば絶対成し遂げられると信じておりますよ」
クロロはそう言い残すと、先に会議室から出て行った。
(諦めることだけは絶対にしない。必ず、必ず説得して戦局を覆してみせる!)
俺は強い意気込みとは裏腹に、自分の心の中に芽生え始める焦りにこの時はまだ気が付いていなかった。
それから何度も何度も同じ決戦の日を繰り返したが、俺たち同盟軍が完全なる勝利を収めることはなかった。毎日毎日その日の反省を踏まえ、作戦を調整して次の決戦に臨むのだが、思うような成果は得られない。時折正攻法とは異なる兵配置をして変化を試してみたりもしたのだが、あまり有効となる情報は得られなかった。
今まで一応三度クロウリーを追い詰める未来へと到達したのだが、三度ともかなりの人的被害を出しての成果だった。一度目はジークフリートとメルフィナが犠牲に、二度目はサキュアと凪、そして三度目の今日は小僧が犠牲になった。
今日はクロウリーを追い詰めた結果、小僧がガイゼルを討ち取った。本当はクロウリーを狙ったそうだが、小癪にもクロウリーは手を結んだガイゼルを盾にしたらしい。そしてガイゼルを殺したことに動揺していたところをまんまとクロウリーに狙われ、小僧はそのまま命を落としたそうだ。
治療に駆け付けることができなかった聖女は、先ほどからずっと後悔で泣き続けている。星の戦士の仲間たちが気休めに声をかけているが、泣き止む気配は一向にない。もし今の光景を聖女に惚れている小僧が見たら、喜びで舞い上がるところだろう。いや、自分のせいで泣かせていると後悔するだろうか。
「これでは話し合いどころではありませんね」
俺の傍に控えていたクロロは、ため息を吐いて今までの戦いを記した記録に目を落とした。紙の束は分厚く、それほど一日をやり直し続けている証拠だった。
記録を記した紙は女の能力が発動すると、過去に戻って手元からなくなってしまうので、その都度記憶力の良いクロロが書き起こし直している。
「……魔王様、そろそろ精神力の弱い者はキツくなってくる頃合いです。いくらリーダーである輪光の騎士を失ったからとはいえ、聖女があれほど心を乱しているのもそのせいでしょう。優に一か月以上も同じ日を繰り返しています。もうすぐ五十回目です。私はできる限り魔王様の意思を尊重したいとは思っていますが…」
クロロは表情を曇らせながら会議室を見渡す。
俺が見ても明らかに当初より心が疲弊している者が見受けられた。聖女、踊り子、異世界の小童、最前線でいつも無理をさせているドラキュリオ、今は女の警護で不在のジャック、そして表に出てこなくなったケルとケロス。数日前から精神的に参っているようで、ケルとケロスの人格が表に出てこなくなった。今は一番成熟していて精神が強いケルベロスが表に出ている。
俺は心を支配する焦りに奥歯を噛みしめた。
もう何度もやり直しているというのに、サラマンダーはもちろんネプチューンの説得も成功していない。戦いが中盤にさしかかってくると、他の戦場との兼ね合いもあり、仕方なしにいつも力押しで対処してしまっている。
(どちらか一方だけでも味方につけば戦局もだいぶ変わってくるのだが…。俺の、何がいけない。どうすれば……!)
俺が肘掛けに持たれて頭を抱えていると、硬い声で凪が問いかけてきた。
「魔王殿。今回我々はガイゼル王を討ち、クロウリーも追い詰めることができた。全体の兵の被害は相変わらず少なくないが、それでも明日猛攻をかければ勝てぬことはないだろう。星の戦士には人的被害が出てしまったが、魔王軍にはそこまでの被害は出ておらぬ。………明日へと進む道も十分あると思うが、如何するつもりでござるか」
凪の言葉を聞いて、星の戦士たちが一斉にこちらを向いた。決定権を持つ俺を。
「ま、待ってください!もしかしてカイト様を犠牲にして明日を迎えるおつもりですか!?そんな、あんまりです!今まで一緒に乗り越えてきたのに!」
「俺も反対です!カイトさんにはいっぱい今まで世話になったんスよ!そのカイトさんを犠牲にする未来なんて断固反対ッス!」
「しかし二人とも、この機会を逃したらもう二度と我々が勝てる未来に行きつく可能性がないやもしれぬぞ。お主たち自身が感じているであろうが、精神的に心が参っているはず。このまま続けば体は健康体でも、先に心が死んでしまい戦えなくなってしまうでござるよ。そうなる前に妥協することも考えねば。それがどんなに辛い選択でも」
凪の厳しい発言に、聖女と小童は唇を震わせて俯いた。踊り子は扇で顔を隠し、神の子も口を引き結んでいる。空賊だけが自分の世界に入っており、一心不乱に書き物をしている。
クロロに聞いた話によると、毎日新しい飛空艇の設計図を描いているらしい。戦うごとに色々と工夫して内蔵する大砲を変えたりしているそうだ。夜の内に設計図を描き、朝から昼までに急ピッチで毎度大改造しているそうだ。意外にもクロロ並に機械に強い男のようだ。
「カイト殿から予め、もし自分が死んだ時に一番勝てる見込みのある未来に辿り着いたら、自分を犠牲にしてくれて構わないと言質を取っている。だからもし魔王殿が明日へと進む判断をするのなら、拙者はその判断に従うでござるよ」
「フォッフォッフォ。だそうですぞ。明日へと進んで猛攻をかけますか、魔王様?」
空賊以外の全員が俺に注目する。
どれだけ心が焦りに追い詰められていようと、その答えだけは最初から決まっていた。
「俺の求める最善の未来はこれではない。そもそもここで妥協しては、俺は女に会わせる顔がないではないか」
「あ、魔王様。どちらへ」
俺ははっきり言い放つとともに、席を立って扉へと向かう。クロロはそんな俺に慌てて行先を訊ねてきた。
「少し席を外す。一人になって頭を整理したい」
俺が退出する際、扉が閉まる直前に星の戦士たちが安堵の息を吐くのが耳に届いた。
(この戦争で、もう誰の命も犠牲にするものか)
俺は一人廊下を歩き始めると、誰の邪魔も入らない安息の場所へと移動するのだった。
母の墓がある、魔王と人間のみが入れる特殊部屋。誰にも邪魔されず考え事をしたい時、人間の血が濃くなる日は決まってここに閉じこもる。
俺は母の墓前に手を合わせると、そっとその墓石に触れた。
「母上…。母上のことを大事に想うあまり、あなたの親友が全然耳を貸してくれませんよ」
俺はため息混じりに思わず愚痴をこぼした。もし母がこの場にいたら、困った笑みを浮かべてネプチューンを擁護していたことだろう。昔から母はネプチューンに甘いところがあった。
俺は顔を上げると、月明かりの光が差し込む、壁一面がガラス張りになっている窓へと向かう。
いつか女と一緒にここで月を見上げてから、もう一か月以上が経っていた。過去に戻り続けているため実質は一日前の出来事なのだが、本当に遠い昔のことのように感じられる。
俺は以前女が立っていた場所をぼうっと眺めながら、あの日の言葉を思い出した。
『フェンリスの魅力は、魔神族としての強さだけじゃない。みんなに対する心配りや配慮、一見分かりにくい優しさ、困ったことがあったら何とかしてくれるっていう安心感。判断の速さや決断力など、一年未満の付き合いの私でもたくさん言えるよ』
「困ったことがあったら何とかしてくれる、か……。何とかしてやりたいが、今回ばかりはそう簡単に進まんな。もうあまり時間がないのは分かっている。だからこそ、気ばかりが急いて結果に繋がらん。どうすればあの二人を説得できる…?」
俺は不甲斐ない自分が情けなく、拳をギリギリと握りしめた。爪が食い込んだ手の間からは、血がポタポタと滴り落ちる。
(せっかくえりがくれたチャンスだというのに、俺はどれだけの回数を棒に振ったのだ!あいつが己の体の負担を省みず、俺が最善の道を選べるようにお膳立てしてくれたというのに!クソッ!自分が情けなさすぎて、怒りで我を忘れそうだ!)
俺は身の内に渦巻く怒りが制御できず、体から黒いオーラが漏れ出ていた。
出口の見えない袋小路に入ってしまったようで、全ての思考が悪循環に陥っている。時間がないことは理解しているのに、自分を責めることを止められない。
自分にはまだ父のような強さが備わっていない。父のような人望もない。父と同じ生粋の魔族でもない。足りないことだらけで、優しさだけでは皆を守ることも引っ張っていくこともできない。自分にこれだけ嫌気がさしているというのに、どうやって相手を説得できるのだろうか。
(俺の求める未来なんて、いくらやり直そうが訪れないか………)
俺は握っていた拳を広げると、血塗れになった手の平を虚ろな瞳で見つめた。
『また、お父さんと自分を比べてる?私が言ったこと、もう忘れちゃったの?』
「ッ!?」
俺は自分の耳に届いたあり得ない声に、すぐさま顔を上げて周囲を見回した。久しぶりに聞いた声だったが、俺がその人物の声を聞き間違えることはない。つい先ほどその人物のことを思い出していたのだから。
しかしいくら辺りの気配を探っても、声の主の姿は見当たらない。
俺はその人物の声を聞いただけで暗く沈んでいた心が少し浮上していることに気づき、何とも言えない敗北感や悔しさを味わい紅潮してしまう。
苦い顔をしながら以前女が立っていた場所を見やると、再びあの日の言葉が蘇る。
『お父さんとフェンリスを比べる人も確かにいると思うけど、わざわざその土俵で勝負する必要はないよ。フェンリスはフェンリスなんだから。あなた自身が持つ魅力で勝負して周りを納得させればいい。私はありのままのフェンリスで十分魔王に相応しいと思うもん』
「俺は、俺……。ありのままの、ハーフである、自分……」
『フェイラスさんにはない、ハーフとしての強み』
「ッ!?えり!?」
また耳に届いた女の声に、俺は今度こそ気配を捉えようと躍起になる。しかしそれでも女の姿を捉えることはできなかった。
(クリスタルの中から念話でも飛ばしているのか…?しかし、こちらの行動を把握しているような言動。それにそもそもあいつの能力は回数制限があるから念話の妄想ができるはずはない)
俺がキョロキョロしていると、すぐ隣でまた声がした。
『ハーフを自分の弱みとして捉えるんじゃなくて、ハーフだからこその強みを見出せばいい。背伸びして相手に良く見せたって、後々疲れるだけだよ。そもそもサラマンダーには通用しなさそうだけど』
「……ハーフの、強み?」
今までハーフは自分のコンプレックスで、弱点としか認識していなかった俺は、女に別の視点を与えられて考え込んだ。
『ちゃんとありのままの自分を見てもらって、魔王としての威厳とか一回取っ払ってさ、ちゃんと自分の言葉で説得したほうがいいんじゃない。今のフェンリスはまだ、お父さんのような立派な魔王として振る舞わなきゃってのが出てるよ。それが自分を追い詰めて、無理してるようにも見える。だからさ、昔のフェンリスみたいに話せばきっと分かってもらえるよ。フェンリスのこと、ずっと子供の頃から見てきた人たちでしょ』
「………威厳も何もかも無視して話せと?それでは本当に、ただの俺ではないか。とても魔王として認められるとは思わん」
『魔王として作った自分を認めてもらうより、本当の自分を曝け出して認めてもらったほうがよっぽどついてきてくれると思うけど。正直に自分の本音や弱さを相手に打ち明けられるのも、強さの一つだと思うよ』
「…………」
俺は姿の見えない女の助言に、眉間に皺を寄せながら思い悩む。
俺の今までの説得の言葉は、魔王として配下の七天魔を諭す言葉。恐らく誰が聞いても一般的な、模範解答のような、当然のことを言っていただろう。一応俺なりの見解や、魚人族、竜人族の今後を考えた言葉で説得はしていたが、それではあいつらの心には届かなかった。
だからと言って、女の言うようにありのままの自分を見せて言葉を伝えるには、ハーフとしての自分を認めさせるには、まだ心の準備と覚悟が足りなかった。
『……リアナ姫がいた頃でもさ、こんな状況考えられなかったんじゃない。魔王城に人間がたくさんいること。戦争中で手を組んでるっていっても、普通の人間が魔王城に一緒にいるんだよ。しかも仲間として。フェイラスさんが魔王の時は、人間と交流することまでは考えていなかったでしょ』
突然突拍子もない話が始まり、俺は最初話についていけなかった。
「あ…?あぁ。人間は弱い生き物だからな。不必要に接触して刺激しないほうがいいからだ。人間より強い魔族は、恐怖の対象でしかないだろうからな」
『でも、フェンリスが魔王になってからは、人間との交流が増えたね。私と仲良くなって、戦争の原因の誤解を解いて、人間と同盟を結ぶまでになった。私が一応仲立ちに入ったとはいえ、無事に同盟が結べたのは、魔王がフェンリスだったからだと思うよ。魔族のみんなを大切にできて、弱い人間の気持ちも分かるフェンリスだからロイド王も信頼できたんだよ』
突然の話題に戸惑ったが、女が俺に何を伝えたかったのかを理解した。ハーフとしての強みを俺に伝え、勇気づけようとしてくれている。
『このまま一緒に戦争を乗り越えて、これから先もずっと交流が続くといいね。フェイラスさんとリアナ姫が結ばれたように、魔族と人間は分かり合えるから。魔王のフェンリスが先頭に立てば、きっと歴代魔王の中でも一番平和で発展した時代が送れると思う』
「それが父上にはない、俺のハーフとしての強みか」
『まぁ、ハーフの一つの可能性だよね。フェイラスさんにはないもの。どんな道を進むかはフェンリス次第だけど。これっきりの縁にしないで、共存の道に進むのもいいよね。魔王としてとっても忙しい毎日になりそうだけど』
声だけだが、嬉しそうに微笑む女の姿が目に浮かんだ。
あれだけ悪循環に陥っていた思考が、少し女と話していただけで嘘のように冴え渡っている。俺の中で色々な想いや考えが沸き上がってくる。
以前ここで珍しく柄にもなく女に弱音を吐いてしまったが、こいつの前だと俺はどうやら調子が狂う傾向にあるようだ。二人きりだと特に。
(今度会ったら思い切り頬を潰してから引っ張ってやる。俺を振り回す罰だ)
沈んでいた気持ちが安定してきた俺は、いつものように鼻を鳴らした。それをどこからか見ていたのか、女は安心した声で語り掛けてきた。
『フェンリスがハッピーエンドに辿り着くまで、ちゃんと見守ってるからね。あそこで、ずっと待ってるから…』
「おい!えり!!」
声が遠のいていき、そして何も聞こえなくなった。
月明かりが照らす広い空間には、夜特有の静けさが満ちている。辺りが静まり返っていると、今までの女との会話も、俺が作りだした幻聴なのではないかとさえ思えてくる。
「…いや、俺があいつの声を聞き間違えるはずがない」
俺は室内を振り返ると、定期的に流れ込む風に舞う、花びらと花粉を何の気なしに目で追った。
(これだけ回数を重ねて説得に失敗しているんだ。クロロたちは一度も俺を責めないが、正直いい加減失望しているはずだ。今更本音を曝したところで、俺に失うものはない。見限られたら、俺がそこまでの男だということだ。……父上にはない、俺の強み。ありのままの俺がどこまで通用するか分からないが、もう覚悟を決めるしかない!)
「これ以上女を待たせては、男として示しがつかんからな」
俺は真っ直ぐ前を見据えると、全員の待つ作戦会議室へと確かな足取りで歩き出すのだった。
日付が変わるまで後一時間もない。後数十分でまた聞き慣れたあの鐘が鳴り出すだろう。しかし今日はもうその鐘を聞くまで待っているつもりはない。明日で全てを終わらすため、俺は早く寝るつもりだった。
作戦会議室へと戻ると、待ちわびたようにクロロが俺を出迎えた。星の戦士たちも俺の考えが変わっていないか、不安そうにこちらを見てくる。
「お帰りなさいませ。頭の整理はつきましたか」
「あぁ。明日で戦を終わらせるぞ。作戦は特に立てん。布陣は昨日と同じ。ただし、じい。お前は最初俺の傍に控えていろ。いいな」
「「「「「エッ!?」」」」」
一方的な宣言に、全員が驚きに身を固くした。同じ一日を繰り返し過ぎてついに自棄になったのかと、失望した目を向けてくる者もいる。
「作戦なしって、ただ暴れりゃあいいのか魔王様よぉ。いくらなんでも雑すぎねぇか」
「フォッフォッフォ。まぁ待てレオン。何か考えがあってのことじゃろう。サラマンダーから離れ、儂は魔王様と共にネプチューン側にいればいいんじゃな」
「……俺は明日、正面に布陣する。クロウリーの前にな。じいは俺の隣にいればいい」
「えっ。ネプチューンとサラマンダーの説得は諦めるのですか!?」
クロロを始め、全員がまた驚きの声を上げた。特に魔族側は大幅な方針転換だと動揺している。
「誰が説得を諦めたなどと言った。心配せずとも細かい作戦は不要だ。あの二人がこちらにつけば、戦力差は歴然だからな」
「な、なんか今までで一番自信ありげスね。よっぽど上手い説得方法でも思いついたんスか」
「フン。これ以上お節介な女を待たせる訳にはいかないからだ。俺はもう寝るぞ。小僧が生き返ったら小僧にも伝えておけ。ついでに今度は死ぬな阿呆とも言っておけよ」
俺は自分の言いたいことだけ伝えると、何か追及を受ける前にさっさと会議室を後にした。
その場に残された者たちは困惑しっ放しだ。
「見違えるほどお元気になられていましたが、えりさんにでも会ってきたのでしょうか。お節介な女とか言っていましたが」
「いや。城から出た気配はなかったがのう。でも明らかに目に強い力が宿っておった。これは明日は期待できるかもしれんのう」
「本当に、作戦を立てずに挑むのでござるか?皆の精神力が減っている中の貴重な一日。無駄にする訳にはいかぬでござるよ」
「凪殿。ここは魔王様に任せてはくれないだろうか。魔王様が明確な意思を持って指示を出されたのは久しぶりのこと。きっと明日は何かしらの成果が得られるはず。我々はそう確信している」
絶対的信頼を寄せるジークフリートに続き、他の七天魔たちも同意した。
「うむ。そなたたち全員がそう思うのなら、拙者たちも信じるほかないか。明日で終わらせるという魔王殿に賭けてみよう」
こうして、明確な作戦を立てぬまま、同盟軍は四十八回目の決戦の日に臨むのだった。
正午、キナリス国跡地。全軍配置につき、俺はじいと共にクロウリー軍を待ち構えていた。もう数分もすれば連合軍がいつものようにやって来るだろう。
「じい。そろそろだ。上空で待ち構えるぞ。浮遊魔法をかけてくれ」
「むぅ?なんじゃ。浮遊魔法分も魔力を温存するとは、本気モードじゃな」
「今日は俺の全てをぶつけるつもりだからな」
いつになく真剣な俺を見て、じいは黙って浮遊魔法をかけた。そして俺はじいと一緒に全軍が見渡せる遥か上空へと昇る。
背後を振り返ると、女が眠っているクリスタルが目に入った。俺は密かに心の中で女に呼びかけると、空間転移の兆しが現れた前方をキッと睨みつけた。
「どうやらお出ましのようじゃの。して、ここからどうするつもりじゃ」
「じい。俺の声が敵味方全軍に届くように、念話を繋いでくれるか」
「なに!?その分の魔力も温存するのか!?戦う前のいつもの演説のやつじゃろう!?はぁ~。本当にいつもと気合の入り方が違うのう」
じいは魔力を練ると、俺の声が届くように念話の準備に取り掛かった。
その間にクロウリー軍、サキュア軍、サラマンダー軍、ネプチューン軍の布陣は整った。そしてもういい加減聞き飽きているクロウリーの演説が始まった。
『グフフフフ。ごきげんよう。魔王軍と星の戦士軍の皆さん。今日は』
『全軍、俺の話を聞けぇ!!!』
念話の準備が整った俺は、クロウリーの話を遮り大声で呼びかけた。少し離れた正面に飛んでいるクロウリーは、明らかに気分を害したようだった。
『ひ、人の話の最中に割り込んでくるなど、良い度胸していますねぇ!』
『悪いが今日はお前を相手にしている暇はない。俺はサラマンダーとネプチューンに大事な話がある。……じい、俺の守りは任せたぞ』
「ま、守りじゃと?」
俺は深呼吸をすると、意図的に魔力を静めて魔族の血を眠らせていく。
「な!?魔王様まさか!?」
俺の意図に気づいたじいは焦った声を上げ、正面にいるクロウリーは妖しい笑みを浮かべる。
二人が凝視する中、俺の姿は魔族から人間へと変わった。女を除いて、人間の姿を人前で見せるのは二十年ぶりだった。
父に忠告されて以来、今まで人間の姿を見せることを避けてきた俺だったが、自分自身と向き合い、自分の言葉で二人を説得するためにはこれしかないと覚悟を決めた。
(これでもう後には引けない。後は本音をぶつけるのみ)
『グフフフ!まさか自ら魔界を統べる王に相応しくないことを証明するとは!いやぁ、これは驚きましたねぇ!魔族の皆さん見てください!遠くても気配で分かるでしょう!魔力がこれっぽっちもないことが!人間の姿をしたこの小僧が、我々魔族の頂点に立つ王に相応しいと!?グフフフフ!いくら先代の息子で、魔神族の力を受け継ぐ者でも、こんなハーフの小僧に魔王など務まりません!いっそのこと、ここでワタシが始末してあげますよ!!』
「させるか馬鹿者!魔王様には指一本触れさせんわ!」
じいはクロウリーの強力な魔法を結界で防ぐと、纏う空気が柔らかくなった人間の俺に、唇を尖らせて抗議してきた。
「魔王様!そういう心臓の悪いことをするなら前もって伝えておいてほしいのう。こっちにも心の準備というものがあるぞ」
小言なら後で聞く、と言おうとした時、各方面からも抗議の声が殺到した。
「ちょっと何自殺行為なことしてんの!?馬鹿なの!?クロウリーの前で人間になるなんて!?ボクも守りにつくからそこ動かないで!」
「待て!キュリオはサキュアの救出がある。俺が魔王様のお傍に行く!」
ドラキュリオとジークフリートが隣の戦場で騒いでいる中、俺たちのすぐ下の戦場でもクロロとケルベロスが取り乱している。
「何かお考えがあるのかと思いきや、まさか人間に戻って説得に当たられるつもりだったとは。いくら何でも無謀すぎる!下手したらそのままクロウリーに討ち取られますよ!」
「血のコントロールで戻ろうと思えばすぐに魔族に戻れると思いますけど、それでもやっぱり危険すぎます!……あぁ。ケルとケロスも中で大暴走しています。とりあえず早く魔王様を保護しなくては!」
レオンやジャックの方からもすごい大声が響いているが、この距離ではさすがに何を言っているのか聞き取れない。
俺は過保護な連中に少し困った笑みをこぼしてため息をつくと、人間になった俺に動揺してざわざわと騒がしくしている竜人族と魚人族の長に語り掛けた。
『サラマンダー!ネプチューン!今日は俺の誘いに応じてこの地に来てくれたことに感謝する!本当は魔王としてお前たちを説得したかったが、ある人物から、それでは俺の本心がちゃんと伝わらない。認めてもらえないと言われた。…だから今からは、取り繕うのは止める。魔王として認めてもらおうと躍起になってきたけど、その前にまず、俺自身を今日は認めてもらう!』
いつもならもう両軍が衝突して戦争が始まっているところだが、全軍が俺の声に耳を傾けて止まっている。
正面にいるクロウリーだけが、俺の命を取ろうと魔法を連発していた。
「魔王をやる絶好の機会だというのに、全く邪魔な老人ですねぇ!」
「邪魔をしているのはそっちじゃろう。大人しく魔王様のお言葉を聞けぃ!」
目の前で魔法合戦が繰り広げられていたが、一番信頼しているじいの結界があるため、無力な人間でも俺は怖くはなかった。
『……俺はまだ、父上のように強くない。魔神族としての力が伸びるのはまだまだこれからだし、暗黒剣の扱いもこれからもっと洗練させていくつもりだ。サラマンダーと本気で一騎討ちしたら、まだ十回に三回。いや四回は負けるかもしれない。それが今の俺の実力だ。父上と比べたら、頼りなく思うのがお前たち竜人族の本音だろう』
左手の空にいる竜人族は俄かに騒ぎ出したが、先頭にいるサラマンダーが一喝して周りを静めた。じっと俺の言葉に耳を傾けてくれている。
『俺はずっと、父上のように皆を引っ張っていける強い魔王になりたいと願ってきた。そうであろうと振る舞ってきた。…でも、それでは駄目だと諭された。いくら背伸びしたところで、俺は俺でしかないから。ありのままの俺で勝負するしかないと。だから俺は、ハーフである自分の強みを活かす!』
「ハーフである強みだと?何を血迷ったことを!人間の血は魔族にとって弱みでしかない!戦争社会で築かれた魔界で、人間の弱さが何の役に立つ!」
『クロウリーの言う通り、今まで俺もハーフということがコンプレックスで、人間の血を忌み嫌っていた部分はあった。生粋の魔族であればどれだけ良かったか、と…。でもそれと同時に、俺は人間である母上と魔族である父上の子供であることを誇りに思っていたし、人間の母上を嫌ったことなど一度もなかった。その二つの矛盾の感情に、俺は長年悩まされてきた』
今まで誰にも話してこなかった胸の内を語るにつれ、じいの魔力が少しずつ高まっているのに気が付いた。ふと周囲の魔力を探ると、ドラキュリオやクロロたちも魔力が高ぶっていた。
『でも、母上と仲の良かったネプチューンなら分かるだろう。母上は人間だったが、とても素晴らしい人だったと。あの母上の持つ優しさで、多くの魔族たちが救われていたって。俺は父上の強さと、母上の優しさを受け継ぎ、一切後悔していない。ハーフである俺だからこそ、今は進んでいける道があると確信している!』
「進んでいける道ぃ?お前に用意されている道は死だけですよ!喰らえ!!」
「お前さんもしつこいのう!ちょっと本気で、黙っとるんじゃ!!」
二人の超級魔法がぶつかり、すごい爆風が吹き荒れる。俺はじいの結界のおかげでなんとかその場に踏み止まれた。
『今回ある人物の助けを借りて、初めて人間と手を組んだ。今まで魔族は弱い人間を刺激しないよう、あえて人間との接触は避けてきた。力の強い魔族は恐怖を植え付けるものでしかないと思っていたから。だが、これをきっかけに、少しずつでもいいから交流を持てたらいいと思ってる。今回の戦争で人間はかなりの被害を受けた。最初は支援という形でもいい。父上と母上のように、人間と魔族の縁が少しでも続いていけばいいと思う。ハーフの俺なら、そんな未来を実現できると思うんだ』
『へぇ~。それが魔王様の考えるハーフの強み?魔族と人間、両方の気持ちがわかり、寄り添うことができるという』
遠くの空にいるサラマンダーが念話で話しかけてきた。俺は左の空に浮かぶ人影を見ながら返答する。
『そうだ。父上にはない。俺だけの強みだ。人望があり、面倒見がいい父上でも、全ての人間に恐れられない保証はないからな。それでは人間と同盟を結べるかもわからない』
『うふふ。人間の姿を持つ魔王様なら心を開いてもらって今後も同盟が結べると。……今までの頭の固い魔王様では絶対に出てこない発想ね。一体誰の入れ知恵かしら』
『うっ…。確かにある人物から助言をもらったけど、俺自身もその考えは悪くないと思ってる。父上と母上が実現できなかった共存の道。そんな平和な世界を目指すのも悪くないだろ』
サラマンダーは品定めするように遠くから俺を見つめると、やがて口元に妖艶な笑顔を浮かべて矛を構えた。
『合格よ。魔王様。自分の弱さを素直に認め、ハーフというコンプレックスすら自分の強みとして認識を改めるなんてね。正直言うと、私たちの前で人間に戻った時点で、かなり心を揺さぶられちゃったわ。そこまで許すには、それ相応の覚悟があったでしょうからね。今まで一番見せたくなかった人間としての自分。それを私たちに見せられる心の強さと勇気。しかと見届けたわ。その強さと覚悟に敬意を表し、今この時よりサラマンダー軍は魔王軍に復帰する!』
サラマンダーが矛を天に振り上げると、竜人族全体から雄叫びが上がった。過去に戻ってやり直すこと四十八回目。ついに俺はサラマンダーの説得に成功した。
サラマンダーの宣言を受け、じいと交戦していたクロウリーが血相を変えて慌て始めた。
「な、なんだと!?竜人族が寝返ったというのか!?あんな自らの弱さを曝し、人間との共存などと夢物語をぬかす小僧に!」
「フォッフォッフォ!愚かなお前さんには魔王様がご両親から受け継いだ強さが分かるまい。ハーフだから弱い、劣っていると決めつけるお前さんにはな」
「クソォ!おのれ~!混ざりもののくせに生意気なぁ~!…しかしまだこちらには魚人族の兵がいる。もう一つの伏兵も。このままおめおめと引き下がれるか」
クロウリーは忌々しそうに俺をねめつける。
サラマンダー軍のおかげで風向きがこちらに傾いてきているのを確信した俺は、ここで一気に勝負に出ることにした。ダメ押しでネプチューンに魔王軍へと寝返るよう呼びかける。
『ネプチューン!お前が母上のことを今でも大切にしていることは分かってる。五日前、ここに誘い込むために変身魔法で母上の偽物を用意し、お前の心を深く傷つけたことは謝る。作戦とはいえすまなかった。だけど、今日だけでもいい!俺に力を貸してくれ!母上を嵌めたクロウリーを追い詰める絶好の機会なんだ!俺を魔王として認められないならそれでもいい。今だけ母上の息子としてお願いする。助けてくれ、ネプチューン!』
「グフフ。何が助けてくれ、だ。魔王としての威厳も捨て、なんたる無様な姿。同族以外を全て下等生物と見なす魚人族相手に、そんな泣き落とし作戦が通用するはずがない!」
クロウリーは切実にお願いする俺を嘲笑った。
右手でヤマト水軍、レオン軍と対峙している魚人族は、遠目からでも分かるほどざわざわ騒ぎ立てていた。恐らく俺への野次を飛ばしているのだろう。敵意がここまで届いてきている。
父の代の時は、その圧倒的強さで魚人族を黙らせ魔王として認めさせていた。しかし今の俺では、父と同じ手は使えない。むしろ人間の姿になっている俺は、思いっきり侮られ下に見られているだろう。しかし俺は、女の『あの言葉』と過去同じ時間を過ごしたあの頃のネプチューンを信じることにした。
『昔のフェンリスみたいに話せばきっと分かってもらえるよ。フェンリスのこと、ずっと子供の頃から見てきた人たちでしょ』
俺が祈るようにネプチューンの返答を待っていると、先に痺れを切らしてクロウリーが念話でネプチューンに呼びかけた。
『何をグズグズしているんです!?魔王としての威厳も捨て、恥を晒して頼み込んでくる人間の小僧にこれ以上付き合う必要はありません!全軍で早々に攻め込むのです!そして一緒に小僧の首を』
『やかましいぞクロウリー!妾に指図するでない!下等生物が!』
ネプチューンは念話でクロウリーを一喝すると、波を操って後方から軍の前方まで移動してきた。魚人族たちは黙って女王に道を譲る。ついに魔王軍相手に攻勢に出るのかと、魚人族たちは殺気を漲らせながら女王の命令を待っている。
『クロウリーよ。妾は別に正式にお前と同盟を結んだわけではない。たまたま今回同じ戦場に居合わせただけじゃ』
『それは仰る通りですが、現魔王に思うところがある者同士、ここは仲良く共闘するべきでしょう』
『アッハッハッハ!お前は妾のことを何も分かっておらぬな。この状況で誰がお前の味方などするものか』
『……ハ?今、なんと?』
じいと一旦距離を取りつつ、クロウリーは遠くの海にいるネプチューンの方を見やる。
ネプチューンの周りにいる魚人族たちも、顔を引きつらせながら自分たちの女王に注目する。兵たちは、いつもの女王の我儘に振り回される嫌な予感を募らせていた。
『誰にでも分かる簡単な話じゃ。下品な笑い声のおっさんとの共闘と、大好きな親友が残した可愛い息子の頼み。どっちの味方につくかなど一目瞭然じゃ。あのフェンリスが素直に妾に頼み事をしてくるなど幼き時以来じゃからな。聞いてやらねばなるまいて。無下にしたら天国のリアナにも嫌われてしまうからの』
『…ネプチューン!』
『ただし!妾はまだ正式に魔王として認めてはいないからの。リアナ譲りの優しさと芯の強さは認めてやる。しかし先代のような武の強さはまだまだじゃ。もっと良い男になった暁には、ちゃんと魔王として認めてやる。それまではまだ半人前じゃ。一人前になるまでは、リアナの可愛い息子として、仕方なく支えてやるとしよう』
「えぇぇ~~~!あの魔王に力を貸すんですか!?」
「獣人族と肩を並べて戦うのかよ!?敵の方が思いっきり戦えるのに!」
女王の決定に、魚人族たちはブーイングの嵐を起こす。彼らの嫌な予感は的中した。一気に戦う気力が削がれている。
ネプチューンはトライデントを掲げると、大波を作りだして文句を垂れる配下たちを飲み込んだ。
ネプチューン軍と向かい合っていたヤマト水軍の者たちは、味方にも容赦がない女王を見て呆気に取られていた。
『やかましい!女王たる妾の決定は絶対じゃ!我が軍もこれより魔王軍に復帰する!妾の大事な親友を嵌めたクロウリーの首を討ち取るのじゃ!タイガ、後ろの指揮は任せたぞ』
「はぁ…。女王様の、仰せのままに」
ネプチューンの側近の男は、ため息を吐いてから観念したように命令を受け入れた。もはやいつものことだと割り切っているようにも見える。竜人族とは違い、魚人族たちは渋々女王について雄叫びを上げた。
「サラマンダーに続きネプチューンまでも!くっ…。『ネプチューン!姫君を嵌めたというのは魔王の言いがかりです!魔王が私を悪者に仕立てて嵌めようとしているんですよ!』」
一気に形勢が不利になってきたクロウリーは、なんとか矛先を変えようと必死になっている。だが、今更そんな嘘に惑わされる者はいない。
『馬鹿者!フェンリスは昔から人を貶めるような嘘はつかん子じゃ!リアナがそんな子に育てるとでも?妾が直々に相手をしてやる故、そこから動かんことじゃ。ええい、さっさと道を開けよ!人間と獣ども!』
「誰が獣だ!?おい、お前ら!ネプチューンのババアより先にクロウリーを討ち取るぞ!」
『誰がババアじゃ!念話でなくても聞こえておるぞレオン!』
ネプチューン軍とレオン軍は、お互いに意識し合ってこぞってクロウリー軍目指して進軍を開始した。
逆の戦場にいるサラマンダー軍も、フォード軍を焚きつけて進軍を開始する。
「あら。これは急がないとレオンやネプチューンに獲物を取られちゃうわね。『坊や。今日のところは味方だけど、せっかくだから勝負でもしましょうか。先に多くの敵を倒したほうが勝ちよ』」
『その勝負乗った!野郎ども!サラマンダーに良いところを見せるためにも、ガンガン敵を蹴散らしていくぞ!』
船内のスピーカーマイクで即答したフォードは、竜人族と競うように隣の戦場に雪崩れ込んだ。
もはや戦力差は歴然だった。俺はサラマンダーとネプチューンに感謝しながら、戦場一帯に念話で告げる。
『長き決戦の一日も今日で終わりだ!全軍、突撃!!』
「「「「「おぉぉぉぉ~~~~~!!!!!」」」」」
待機していた他の軍も進軍を開始し、残った敵勢力であるクロウリー軍とサキュア軍に攻め込んでいく。
人間から魔族の姿へと戻った俺は、守りを任せていたじいに礼を言うと、暗黒剣を召喚して先頭に立って戦うのだった。
キナリス国跡地での決戦を終えた夜。魔王城の作戦会議室では主だった幹部たちが勢揃いしていた。メルフィナは救出が無事成功したサキュアについて席を外しているが、サラマンダーやネプチューンも加わり、いつもの面々がジャックの用意した特製ティーを飲んで寛いでいた。
その日の戦いを終える度に疲弊しながら毎日反省会をしていたが、今日はようやく緊張が解けてリラックスできている。限界まで擦り減っていた精神力も、何とか持ちこたえて全員が乗り越えることができた。
今日の決戦は、結局同盟軍が数の差で押し切り圧勝に終わった。ドラキュリオとカイト、ジークフリートは協力してサキュアを早々に救出し、サキュアが指揮していた軍を無力化させた。
兵力が劣っているため、クロウリーは早々に切り札として隠しておいたガイゼル軍を空間転移で呼び寄せようとしたが、悪運の強いガイゼルは負け戦だと悟ったのか、空間転移に応じなかった。
そして皆がこぞって大将首を狙い攻め寄せたため、クロウリーはさっさと見切りをつけて空間転移で撤退してしまったのだった。残された敵兵たちも、三つ目族たちが分担して空間転移で引き上げていった。未だかつてないほど同盟軍の大勝利だった。
魔王軍へと復帰したネプチューンとサラマンダーは、これまで同盟軍幹部たちがいかに過酷な決戦の一日を繰り返していたのかの説明を受けていた。
星の戦士たちからは、こちらに寝返ったばかりの者たちに今までの経緯を説明するのは止めたほうがいいのでは、との反発の声が上がった。しかし、心を開いて味方になってくれた二人に隠し事をしたくないと魔王本人の希望で、タイムリープのことを打ち明けることにしたのだ。
「へぇ~。つまり、ここにいる者たちは一か月以上も記憶を引き継いだまま同じ日を繰り返し、毎回違うことを試しながら戦いに興じていたわけね。それは惜しいことをしたわ。最初からそうなると分かっていたら、私も魔王軍に味方していたものを。毎日あの規模の決戦を行い、その都度色々試せるなんて。なかなかできない経験だわ」
目をギラギラと輝かせながら言うサラマンダーに、フォードを除いたタイムリープ組はげっそりした顔をして無類の戦闘狂を見た。
「あぁ。俺様も毎回その日の反省点を踏まえ、大砲や飛空艇を改造してお前との決戦に臨んでたんだぜ!」
「あら、そうだったの。記憶が引き継がれていなくて残念だわ。坊やの頑張りを実感できなくて」
「大丈夫大丈夫!今まで改造した分の設計図は全て頭の中に残ってるからな!いつかまたやり合う時にお披露目するぜ!」
「まぁ、それは楽しみね。期待しているわ」
サラマンダーとまともに話せてご機嫌のフォードを放っておき、感覚がまともなネプチューンはタイムリープ組に同情した。
「妾だったら早々に根を上げて自分の領域に戻っているところじゃな。よくぞこの日まで戦い続けたものよ。妾たちの説得が成功する保証もなかったというのに」
「魔王様が誰の犠牲も出さず、二人も説得して勝利を収めると固く決めていましたからね。昔から、一度決めたことを曲げるのは嫌いなお方ですから」
クロロはようやく参謀としての役割から解放され、久々に安らいだ顔をしている。毎日同盟軍をまとめて相当疲れていたはずだ。
「その固い決意のおかげで、カイト様が助かる未来にいけて本当に良かったですわ。もし昨日妥協していたら、こんな素敵な未来には辿り着けなかったですから」
「……生き返った時は、せっかくの貴重な機会をなんでみすみす棒に振ったんだと思ったけど、まぁ無事理想の未来にいけて良かったよ」
「死ぬ覚悟ができていたとはいえ、本当は生き返った瞬間ほっとしたでござろう。セイラ殿と今生の別れにならなくて」
「なっ!?そこはセイラっていうか、みんなと今生の別れにならなくて良かったって言うところでしょう!?」
「えぇ~?アタシたちは二の次なんじゃないの~?カイト~?」
メルフィナが凪に乗っかってカイトを冷やかすが、セイラはよく分かっておらず、ニコニコして仲の良い仲間たちを見守っている。
「それにしても、あの責任感の強い真面目っ子に、良き理解者の相談相手ができて良かったのう。しかも魔族じゃなくて人間の娘とは。ハーフのあの子には、我の強い魔族ではなくて、リアナと同じ人間の優しき娘が合うじゃろう。魔神族の血は、たとえ人間の血が混ざろうと、そうやすやすと薄まらぬしな」
「ちょっとちょっと!なんか勘違いしてない!?えりちゃんを勝手に魔王の姫君候補にしないでよネ!えりちゃんはボクのお気に入りなんだから!ボクが先にアプローチしたんだよ!」
「何を言っておる!そのえりという娘は、あの子が良き未来へと進めるように今回の過去に戻る能力を使用したのであろう?ということは、もはやあの二人は相思相愛であろう。そちの入る隙など微塵もない。二人の邪魔立ては許さぬぞ」
「なに勝手に決めつけてんの!?絶対両想いなんかじゃないから!てかさっきまで敵だったくせに、いきなり魔王様寄りすぎない!?親友の息子だからって贔屓すぎ!」
ネプチューンとドラキュリオは恋路をめぐり、言い争いを始める。
あちこちで賑やかに騒ぐ者たちを眺めながら、ジークフリートと老魔法使いはここにいない魔王について話す。
「もうそろそろで時間になるな。えり殿と無事再会できるといいが」
「戦いが終わった途端、後処理もそこそこにお嬢ちゃんに付きっきり。人払いを済ませて一人であの地に残るとは。先代様も愛妻家じゃったが、魔王様もきっと相当なものになるのう。フォッフォッフォ」
「えり殿が姫君になってくれるなら、俺たちも安心だ。彼女なら魔族の者とも仲良くやっていける」
「……魔王様を支え、ハーフのコンプレックスさえ変えてくれたお嬢ちゃんには、感謝してもしきれんわい。これでお嬢ちゃんの能力が解けて、無事二人が再会できたらハッピーエンドなんじゃが、能力を使った体への反動だけが心配じゃ」
ジークフリートは老魔法使いに同意すると、キナリス国跡地に残る二人の無事な再会を祈るのだった。
全軍が引き上げたキナリス国跡地。俺は視界を遮るもののない満天の星空の下、女の眠るクリスタルの前で日付が変わる時を待っていた。
クロロの考察だと、恐らく女の能力が解除されるのは、日付の変わる零時ではないかと予想している。俺の納得のいく結末になった今、零時を過ぎれば能力が解除され、ようやく明日へと進めるはずだ。
俺はクリスタルの表面に映し出されている時計を確認し、眠る女を見つめる。時計の針はもう一分足らずで零時を指し示すところだった。
(五十回近くも過去をやり直してしまった。昨日あいつの声が聞こえたということは、確実に生きてはいるだろうが、それでも体への負担がどれほどかかっていたのかが分からない。能力が解除されたら、すぐにでも聖女やクロロに診せたほうがいいだろうな)
俺がそんなことを考えていると、目の前のクリスタルと頭上のベルが蒼白の光を放って輝き始めた。時計の針はてっぺんを指し、ついに待ちに待った明日が訪れた。
幾度となく聞いてきた鐘の音は鳴ることなく、蒼白の光と共に巨大なベルは消失した。女を閉じ込めていたクリスタルも透けるように消えていく。
俺は支えを失って倒れ込む女を抱きとめると、すぐに体を揺すって呼びかけた。
「おい!えり!しっかりしろ!」
しかしいくら呼びかけても女は無反応で、まるで死んだように眠り続けている。嫌な考えが頭に浮かび、俺は震える手で女の頬に手を触れる。死人のように冷たくはなかったが、十分体温は低かった。
(まさか、間に合わなかったのか…?能力を酷使し過ぎて、もう……)
俺は歯を食いしばり、ぎゅっと女を抱きしめる。少しでも体を温め、命をこの場に繋ぎ止めようとするかのように。
「えり……!」
「………フェ、ン……リ…ス………」
か細い小さな声が耳に届き、俺はゆっくり体を離した。すると、女が虚ろな瞳で視線を彷徨わせていた。俺の顔が視界に入っていても焦点が定まらず、衰弱しきっているようだった。
俺は辛うじて意識を取り戻した女に安堵し、その頬に優しく触れる。
「全く。心配させおって。女のくせに、この俺の呼びかけを無視するとは言い度胸だ」
憎まれ口とは裏腹に、俺の口から出る声音は柔らかいものだった。自分でも信じられないくらいに心が温かみに溢れている。
「……ちゃんと………聞いて、た…。夢の、中で…立派な、………演説……。これで、…ハッピー……エンド、だね…」
「あぁ。お前のおかげだ。誰の犠牲も出なかったのも、サラマンダーとネプチューンを説得できたのも、クロウリーを追い詰められたのも、全部…」
「えへへ…。………ずっと、寝てたのに……。なんか、………疲れ、ちゃった…。ねむ、い……」
女はもう目を開けていることすら辛いのか、瞼を閉じて呟いた。俺は頭を撫でて眠りを促すと、意識を手放していく女に囁く。
「安心して眠れ。お前は十分働いた。あとは俺が責任を持って魔王城に連れ帰ってやる」
そうして女は俺の腕の中で再び眠りについた。
一度意識を取り戻したからなのか、女の体温は少しだけ上がっているように感じる。だが衰弱が酷いのは変わらないので、帰ったら真っ先にクロロたちに診せたほうがいいだろう。
「………良かった…!本当に…!無事で、良かった……!」
俺は一人女を強く抱きしめると、城に帰る前にしばしの間、腕の中の大事な命を噛み締めるのだった―――。




