第三幕・魔王編 第二話 盤面を変える一手【後編】
作戦決行当日。私は城勤めの女性兵士に手伝ってもらいながら、リアナ姫のドレスに着替えていた。魔王の許可をもらい、リアナ姫が愛用していたジュエリーもつけさせてもらっている。
着飾るのを手伝ってくれた鳥人族の娘は、私を見ると軽く宙を飛んで歓声を上げた。
「よくお似合いですよ~!リアナ姫と同じ小柄な身長なのでちょうど良かったですね!お綺麗です!」
「あ、ありがとう…。ドレスなんて着るの初めてだから、なんか緊張する…。戦場で汚したりしないように魔法でもかけてもらおう。クロロだったらそういう魔法できそうだし」
私はドレスを見回しながら心配する。私が今着ているドレスは、リアナ姫がよく気に入って着ていたドレスだ。夢の中でも見た純白のドレスで、細かい花と蝶の刺繍がされている。
(まるでウェディングドレスみたい)
私は肌触りのいいドレスを大事そうに撫でる。ジュエリーも見るからに高価そうで、本来の私なら手も足も出ないお値段のものだろう。
「さて、次は髪の毛をアップにして、その次はメイクですね!」
「め、メイク!?メイクは別にいらないんじゃないかな。どうせリアナ姫に変身しちゃうんだし。髪をアップにするだけでいいよ」
「ダメです!メイクまでやらなきゃ中途半端ですよ!確かにえりさんは基はいいものをお持ちですが、それでもやるとやらないでは大違いです!この私にお任せを!魔王様が思わず見惚れるくらいに仕上げてみせますから!」
「い、いや。全然そんなの求めてないけど。……お、お手柔らかにお願いします」
私は道具を手に目を輝かせている鳥人族の娘に圧倒され、仕方なく彼女の好きにさせることにした。
それからたっぷり一時間以上拘束された私は、作戦決行前に精神力をだいぶ消費することになった。
慣れないハイヒールを履きながら作戦会議室へと辿り着いた私は、少し緊張しながら遠慮がちに扉を開いた。中で待機していたいつもの面々は、私のドレスアップした姿を見ると一様に目を丸くした。
「わぁ~!お姉ちゃんすごく綺麗!姫様のドレスもとっても似合ってるよ!」
「す、すす、すごいお綺麗です!一瞬誰かと思っちゃいました!」
ケルとジャックは私に駆け寄ると、いつもと違う私を大絶賛してくれた。普段綺麗だと言われ慣れていない私は、照れながらぎこちない笑みを浮かべる。
「ほう。これは驚きました。変われば変わるものですね。どうです?魔王様」
クロロは隣でずっと時間が止まったように動かない主にわざと声をかける。魔王はハッと我に返ると、平静を装っていつものように鼻を鳴らした。
「フン。まぁ、いつもよりかは見れる顔になったか」
ケルたちと一緒に魔王の前までやって来たが、いきなり面と向かって失礼なことを言われた。
(フェンリスのことだから絶対褒めてはくれないと思ってたけどさ!)
私は大して彼の褒め言葉に期待していなかったのでダメージは少なかった。
「素直じゃないですね~、魔王様は。今さっきまでずっと見惚れていたじゃないですか」
「だ、誰が見惚れるか!」
「今日はとてもお綺麗ですね、えりさん。見違えましたよ」
「え?あ、ありがとう…。何故だろう。クロロに褒められるととてつもなく不安になるのは。褒めても血とかあげないからね」
私は笑顔を向けるクロロを警戒して素直に喜べない。
「おいクロロ。お前いつも俺と同じこっち側だろうが。何を企んでいる」
「お二人とも失礼ですね。私だってからかわずに素直にえりさんを褒める時くらいありますよ。魔王様もたまにはえりさんを褒めてもいいんですよ」
いつも自分と一緒になっていじめる参謀が急に裏切ったので、魔王は卑怯者を見るような目で参謀を睨みつけた。
魔王の不機嫌度が増しているので、とりあえず私は彼を褒めてご機嫌を取ることにした。
「魔王のその服はお父さんのお下がりだよね?いつもとちょっと違うけど似合ってるよ」
「ん?あぁ。父上のだから少しサイズがでかくて調整したがな」
魔王はいつもの黒いマント姿だが、中の胸当てのデザインや肩当が変わっていた。
それから私たちは最後の打ち合わせをし、いよいよ作戦決行に移った。私はリアナ姫に変身する妄想に取り掛かる。
「……魔王様、どうです?えりさんを姫君候補に」
参謀は妄想で集中している本人に聞こえないよう小声で話しかける。その顔は悪気なく笑っている。
「寝言は寝てから言え。それとも今ここで消されたいのか」
「お~怖い。では将来はサキュアを娶るのですね」
「何故その二択なんだお前は」
呆れた魔王はうんざりして首を振る。
リアナ姫の変身が成功し、少し休んでから先代魔王の変身へと取り掛かる。
打倒クロウリーに向け、一世一代の大芝居が始まろうとしていた。
まずアレキミルドレア国に空間転移してきた私たちは、戦場からほど近い場所に浮遊魔法で移動した。この戦場で戦っているレオンやカイトたちには事前に今回の作戦は伝えてあるので、私たちのなりきり芝居に乗っかってもらうよう頼んである。
クロロは戦っている両軍を眺めながら、改めてここでの目的について確認する。
「この戦場での目的は、姿をくらませているクロウリーにガイゼル伝手で情報を流すことです。死んだ先代様とリアナ姫が戦場に姿を現した、とね。あとは獣人族たちの士気向上でしょうか。獣人族は特にリアナ姫と仲が良かったですからね」
「知ってる!リアナ姫と一緒に絵を描く人が多かったみたいだね」
私はメリィに見せてもらった記憶を思い出す。
「では、お二人ともこれをお持ちください。私が開発した拡声器です。風の魔晶石をふんだんに使用して広範囲まで声が届くようにしてありますから、これで作戦通り良い演技をお願いします」
「うぅ。改めてそう言われるとプレッシャーだなぁ」
「フン。お前は俺と違って本番に弱そうに見えるからな」
フェイラスの姿で勝ち誇った顔をする魔王を見て、単純な私の心に火が付いた。見事にやる気スイッチがオンになった。
「あら。ご心配なさらず。あなたの足手まといにはなりませんから」
「フッ。それでこそ俺の愛しい妻だ」
私たちは顔を見合わせて笑うと、二人揃って拡声器を握った。
「では、ご武運を。私たちは近づく敵がいたら排除致しますので」
「がが、頑張ってください!」
「ケルはこの後レオン様と合流しちゃうからここでお別れだけど、応援してるからね!」
散開していく三人を見送ると、私は魔王に差し伸べられた手を取って、王都シャドニクス寄りの戦場へと少しずつ近づいた。
魔王は一度大きく息を吸って吐くと、瞳に自信を漲らせて声を張り上げた。
「配下を戦わせて城に引きこもる陰険王よ!久々に俺が相手をしに来てやったぞ!俺の愛しい妻を嵌めてくれた借りを返してやる!引きこもってないでさっさと出てきやがれ!」
記憶の中で見たフェイラスのように、魔王は余裕で自信に満ちた先代魔王を演じる。言葉遣いや言うであろう台詞も本人そっくりだ。実の息子だけはある。
突如姿を現した先代魔王に、事情を知らない人間や魔族は驚きに動きを止めた。口々に先代魔王や隣に立つリアナ姫の名を呼んでいる。
「ガイゼル王よ。私の愛する人を想う気持ちを踏みにじり、罠にかけたこと、ひと時も忘れたことはありません。そればかりか、私の愛する夫や息子、愛すべき魔族のみんなを長きに渡り戦争で苦しめた。私にとって、魔族のみんなはもう家族も同然です。あなたの醜い野望のため、これ以上みんなが苦しむなど許せません」
「リアナの言う通りだ。これ以上俺の家族たちを苦しめるなら、いくら人間であろうと容赦はしない。魔界を統べる王として、全ての始まりの元凶であるお前を排除する!ガイゼル!」
私と魔王の言葉を聞き、魔族たちは一斉に雄叫びを上げた。皆興奮状態に陥り、死んだ先代魔王とリアナ姫を見て、涙を流しながら夢でも見ているような気持ちになっている。
魔族たちの異様な興奮状態を受け、敵兵の人間たちは逆に怯えたように距離を取り始める。同盟を結んでいるユグリナ騎士団の者たちも戸惑っているようだ。事前に打ち合わせをしているカイトとセイラ、ユグリナ騎士団の団長は、兵の統率が乱れないよういち早く指示を出した。
「おっし、お前ら!先代様とリアナ姫が見ている前で無様な姿は見せられねぇぞ!いっちょ気合入れて暴れるぜぇ!」
「「「おぉぉぉ~~~!!!」」」
レオンの檄に、獣人族のボルテージは最高潮に達した。先ほどまで拮抗していた戦場は、瞬く間に同盟軍有利に傾いた。蒼白の光が戦場の一角を包み、ガイゼルの強制武装解除が発動している箇所も見受けられたが、それでも同盟軍の勢いは衰えなかった。
「能力が発動してるから戦場が見える範囲にはガイゼルが潜んでるはずなんだが、俺に恐れをなして姿を現さねぇな。仕方ねぇ。当初の予定通り一発かましたら次の戦場に行くぞ。時間は限られてるからな」
「えぇ。次はネプチューンの戦場ね」
魔王は浮遊魔法で今より更に浮上すると、超級魔法の術式を展開した。
先代魔王を恐れてガイゼルがこちらに能力を発動することも考えられたのだが、それを阻止するために事前にレオンに大暴れするよう指示を出しておいたのだ。ガイゼルはこちらの目論見通り、獣人族が特に暴れているエリアに能力を発動中だ。
魔王は遠慮なく超級魔法を発動させると、城塞都市であるシャドニクスの堅牢な城壁に向かって巨大な岩石を何個も立て続けに放った。岩石の大きさはまるでヘリコプター一機分くらいあり、それが何個も城壁を襲っている。頑丈と思われた城壁はボロボロと崩れ落ちていった。
「よし!ひとまずこんなもんでいいだろ!それじゃあ次に行くぞ!クロロとジャックとは向こうで落ち合おう」
クロロとジャックは私たちに近づこうとする敵兵を地上でせっせとさばいていた。私たちが無事戦場を離脱次第、彼らも追って離脱する予定になっている。
私たちはガイゼルの能力が発動される前に、魔王の空間転移で次の戦場へと移動した。
ヤマトの国のシラナミ海岸横の竹林へと転移してきた私たちは、密かに戦場を見下ろしながらクロロとジャックが追いついてくるのを待った。
海岸ではヤマト水軍を率いる凪と佐久間、援軍に出しているジークフリートが魚人族と戦っている。
「申し訳ありません。お待たせしました。足止めをしている間にガイゼルの能力を喰らってしまいまして」
クロロは乱れた息を整えながら報告した。
「ガイゼルの能力を受けたって、大丈夫だったの?」
「えぇ、魔力の方はアイテムを使って回復させましたから大丈夫ですよ」
クロロは懐から空の瓶を取り出した。魔法水と言って、魔力を回復させるアイテムなのだと言う。ゲームでもよくあるものなので特に驚かなかった。
「そそ、それにしても、お二人ともとても演技がお上手でした。まるで本当にご本人かと思いましたよ。これなら次もバッチリですね」
「フン。当然だ。俺を誰だと思っている」
隣で偉そうにさも当然のように答える魔王に若干イラッときたが、今は作戦中なので突っかからないことにした。私は褒めてくれたジャックに礼だけ述べる。
「あまり楽観視しすぎるのは良くないですよ。特に次はあのネプチューン相手ですからね。姫様と親友だったネプチューンを刺激するんですから、細心の注意を払わないともれなくこの戦場が海に沈むかもしれません」
「そこまで!?……メチャクチャ不安になってきたんだけど」
「別に偽物だとバレても構わない。挑発してこちらの望む戦場に誘き寄せるのが本来の目的だろう。母上に成りすます不届き者を成敗するためにネプチューンが戦場を移動してくれれば万々歳だ」
「ただ、戦場を移動するためにこちらが討たれてしまっては意味がないので、そこは魔王様がきちんとえりさんを守ってあげてくださいね」
「わかっている。ほら、行くぞ」
私は再び魔王の手を取ると、浮遊魔法で海の向こうへと飛び立った。
私たちが空を飛んでネプチューンの視界に入る海の上までやって来ると、魚人族たちはすぐに頭上に浮かぶ私たちに気が付いた。皆一様に進軍を止めて驚いている。
「あ、あれは!先代様に、リアナ姫!?嘘だろ?どうして!?」
「いや待て。お二人とも生きているはずがない。恐らく何者かによる変身魔法だ」
「質の悪い真似を。攻撃を受ければすぐにバレるというのに。馬鹿な奴め」
海の上にいる魚人族たちはすぐに私たち二人を攻撃対象として認識した。空中にいる私たちに向かって各所から水魔法が発射される。
魔王がそれを一部結界で防ぎ、一部は颯爽と現れたジークフリートが大剣で防いだ。
ジークフリートには前もって私たちの警護を命じてある。
「これはまた、妾の神経を逆撫でする命知らずな敵が現れたな。よりにもよって妾が大事にしていた親友に化けるとは」
波の椅子に座って軍の後方に待機していたネプチューンは、波に乗りながらこちらに向かってくると、怒りに燃える瞳で私のことを睨みつけた。殺気を放つその身には、少しだけ哀しみも入り交じっていた。
私は拡声器を握りしめると、リアナ姫に成りきって言葉を紡いだ。
「お願いネプチューン!これ以上人間と戦わないでちょうだい!今回の戦争は、全部クロウリーに仕組まれたものなの!病気で苦しむフェイラスを助けたいという私の気持ちを利用し、クロウリーがガイゼルと手を組んで陥れたの…。お願いよネプチューン。あの子を、フェンリスを傍で支えてあげて!あなたの力が必要なの」
感情を込めて涙を浮かべる私を見て、少しだけネプチューンの顔に動揺が走った。しかし、それはすぐになりを潜め、厳しい顔つきになる。
「なかなか迫真の演技じゃな。だが…、妾は冷たくなったあの子をこの手に抱いたことがある。リアナが、もう二度と会えない存在だということは嫌でも知っている。だから何と言われようと、偽物に貸す耳などないわ!姫を語る不届き者め!妾が海の藻屑にしてくれる!」
三つ又に分かれた矛に水を宿らせたネプチューンは、私目がけてそれを勢いよく発射した。
魔王は私の一歩前に出ると、先ほどより更に強力な結界を作り出してそれを防ぐ。
「おいおいネプチューン。俺の大事なリアナに堂々と敵意を向けるとは血迷ったか。いくらお前とリアナの仲だからって、喧嘩にしちゃあ笑えねぇぞ」
「くっ!先代にまで化ける馬鹿がおったとはな。歴代の魔王の中でも先代は特に人望の厚い奴じゃった。その先代に成りすますということは、奴を慕う魔族全員を敵に回す所業じゃぞ」
「おーおー!俺ってば愛されてるなぁ!まさかそこまで言ってもらえるとは!……でも、俺を慕ってるっていうんなら、俺の愛する息子も慕ってほしいところだな。どうしてフェンリスの命に従わない。あいつはただでさえまだ若く色々苦労している。これ以上困らせないでやってほしいんだが」
「よくもまぁそんなにポンポンと成りきった台詞が出てくるもんじゃのう。感心するわ。じゃが、これ以上偽物の言葉を聞いて不愉快になりたくないんでな。消えてもらう!」
「っ!お願いネプチューン!話を聞いて!」
「やかましい!」
ネプチューンは配下たちにも合図を出すと、一斉に私たちに向けて総攻撃を仕掛けてきた。
私を庇うように、魔王とジークフリートがそれに応戦する。ジークフリートはペガサスを操って海に急降下すると、海上にいる魚人族たちを大剣で斬りつけていく。魔王は結界を張って各方面からの攻撃を防ぎつつ、軍の総大将であるネプチューンを攻撃した。その手には召喚した暗黒剣が握られており、幾分手加減をしながら彼女に振るっているように見える。
ネプチューンは波の盾を作り出して魔王の攻撃に対処しているが、その瞳は激しく動揺し揺れていた。
「変身魔法で化けておるくせに、何故暗黒剣を!?……いや、そうか。お主魔王じゃな。暗黒剣は魔王にしか扱えぬ。そうか、息子が父親に化けておったとはな。滑稽じゃな」
「ハッ!何を全て分かったような口をきいてやがる!本当に、それが真実だと思うか?この事実を目の当たりにしても」
魔王はわざとネプチューンの矛をその身に受けた。腕に刃がかすり、そこから真っ赤な血が空に舞った。
攻撃を受けても変身魔法が解けない相手を見て、ネプチューンの動揺は更に広がっていく。
「な、何故じゃ…。何故変身魔法が解けない。攻撃を受けたというのに!そんな馬鹿なはずが!そ、そうか。いくらハーフといえど、魔王であれば少しくらい攻撃を受けても変身魔法が解けないということもあるか」
「クックック。なに無理矢理納得しようとしてんだよ。そんなに目の前の事実を受け入れられないなら、リアナでも試してみるか?」
余裕の態度を崩さない魔王を見て、ネプチューンは引きつった笑みを私に向けた。
「そんなこと、あるはずがない。妾を馬鹿にするのもいい加減にしろ!」
ネプチューンは矛に水の玉を乗せると、私目がけて発射した。水の玉は直撃する寸前に弾けると、バシャッと水風船が割れたように私の顔や服にかかった。小さい悲鳴を上げて濡れた髪や顔を拭っていると、ネプチューンが私を信じられないような目で見ていた。
「あ、あり得ぬ…。だって、リアナは…。リアナは……!」
彼女の声は震え、瞳には薄っすら涙が浮かんでいる。それを見た瞬間、私の胸は締め付けられ、同時にすごい罪悪感が心の中に広がった。
「お前たちと戯れるのはここまでだ。……ネプチューン。俺たちは五日後、全てが始まった因縁の地で決着をつけようと思っている。あの、今は無きリアナの生まれ故郷、キナリス国跡地でな。もしお前も気持ちの整理をつけて決着をつけたいと言うなら、五日後正午、キナリス国で待っている。あそこはちょうどすぐ近くに海もあるからな、軍を率いて全員で来い。もういい加減、終わらせようぜ」
「ま、待て!意味が分からぬ!こら!リアナは置いてゆけ!」
ネプチューンは酷く混乱し狼狽えている。私を見るネプチューンはまるで一緒に長い時間を過ごした少女のようだった。大事な、大切な親友を見るような眼差し。魚人族は自分たち以外を下等生物のようにしか思っていないと聞いていたが、彼女のリアナ姫を見る眼差しは温かい特別なものだった。
私は彼女の気持ちを踏みにじるこの行為に胸を痛めながら、作戦通りに最後の言葉を伝えた。
「ネプチューン、私も待っているわ。五日後の昼、炎に包まれなくなった生まれ故郷で」
「リアナ!待て!妾はお前に話したいことがたくさん」
魔王は言い寄るネプチューンを一瞥すると、私を連れて次の戦場に空間転移するのだった。
次の戦場は炎帝のサラマンダーがいるマシックリック近郊だった。今日もサラマンダー軍とフォード軍が激しい戦闘を繰り広げている。
私がどこか思い詰めた表情で黙り込んでいると、全てお見通しだというように魔王が珍しく頭を撫でてきた。
「お前はあまり気にするな。俺も……、ネプチューンが母上と一番仲が良いのは分かっていた。場合によってはあいつを傷つける結果になることも。しかし、それでもクロウリー優位なこの状態を突き崩すには、この作戦が有効だったんだ。この作戦の決定権は俺にある。お前は気にしなくていい」
「そんな…。私だって同罪だよ。メリィの記憶で見たことあったけど、まさかあんなにリアナ姫のことを今でも大切に想っているなんて。すごい傷つけることをしちゃった…。ネプチューン、本当にリアナ姫に再会できたと思って泣きながら喜んでた。どう謝ったらいいのか……」
私はぬか喜びさせてしまったネプチューンと次にどう顔を合わせればいいのか分からなかった。
私と魔王が戦場脇で待機していると、クロロとジャックが空間転移で追いついてきた。
「お二人ともお疲れ様です。少し冷や冷やしましたが、挑発は無事成功したようですね。あとは五日後、ネプチューンが釣れるかどうか」
「手応えは十分あったと思うがな。こればっかりは五日後になってみないとわからん」
魔王は腕組みをして小さく息を吐く。
「ま、魔王様たちが去った後、ネプチューンは興が覚めたようで全軍撤退を開始しました。きっと、だいぶ心に揺さぶりをかけられたと思います」
作戦が上手くいっているとジャックは無邪気に私たちを褒めてくれたようだが、私はネプチューンのことが気になり上手く笑って返せなかった。
私が暗い顔をしているので、ジャックとクロロは顔を見合わせて魔王を窺う。
「ネプチューンを騙したことに胸を痛めてるようだ。意外に繊細な心の持ち主だったらしい」
「ちょっと!意外は余計なんだけど!」
「そういうことでしたか。ネプチューンは姫様と仲が良かったですからね。五日後烈火の如く怒るかもしれませんが、全員で返り討ちにすれば済む話です。あなたが今気にすることではありませんよ」
「いや。返り討ちにして解決するのはどうかと思うけど。でもまぁ、今は作戦に集中しなきゃだよね。まだここともう一か所あるし」
私は空を見上げ、飛空艇とドラゴンが飛び交う戦場を睨みつける。大砲の轟音とドラゴンの咆哮が辺りに響き渡っており、私は無意識に体を固くした。
「そんなにビビるな。俺はもちろん、この戦場にはじいもいる。万が一にもお前に危険が及ぶことはない。……お前は俺の妻らしく堂々としていろ」
練習の成果なのか、魔王はとても自然にニッと笑った。姿はフェイラスのままだが、私にはフェンリス自身が笑った姿が目に浮かんだ。
私は微笑んで肩の力を抜くと、自分から魔王の手を握って戦場へと踏み出した。
飛空艇を撃墜しようと竜化した竜人族が舞う空の上で、私と魔王はおじいちゃんと合流して再び拡声器を使った。
「相変わらず戦場では生き生きしてるなぁ、お前ら。昔から戦場が遊び場だって竜人族は言うけど、俺に負けず劣らずの暴れっぷりだな。特にサラは」
フェイラスの声を聞き、竜人族は皆一斉に動きを止めた。声の主である魔王、そして隣に寄り添う私を見ると、面白い玩具でも見つけたような反応を示した。
私が内心ビビっていると、いつかの夜対峙した、紅の鎧に身を包んだ女性が竜に乗りながら目の前に舞い降りた。
「あら。面白い珍客じゃない。まさか死んだ先代様と姫君が現れるとはね。わざわざ化けてでも伝えたいことでもあったかしら。それとも……、ちゃちな変身魔法で我々竜人族を従えられるとでも?いくら先代様を買ってた我々でも、偽物に従うほど馬鹿ではないわよ」
「へぇ~。じゃあ、久々に俺と喧嘩して、全員叩きのめしたら潔く言う事聞いてくれるのか?」
魔王は私をおじいちゃんに預けると、魔力を解放して暗黒剣を召喚した。私の妄想のおかげで、対峙するサラマンダーの補正を受け、彼の魔力はどんどん膨らんで大きくなっていく。
生前と変わらぬただならぬ魔力を肌で感じ、サラマンダーの表情は嬉々としたものに変わる。配下の竜人族たちも目を爛々と輝かせていた。
「その魔力…。信じられないけれど先代様そのものね。もしかしたら魔王様が変身魔法を使っているのかと思ったんだけど、それとは違うみたいね。一体どういう仕掛けかは知らないけど、いいわ。相手になってあげる。この私を楽しませてくれたら、一つくらいは偽物さんのお願いを聞いてあげてもいいわよ」
「そうか。そりゃあ楽しみだ!おい、リアナを頼むぞ。俺はちぃとばかし相手をしてくる!」
魔王はおじいちゃんに言い含めると、サラマンダー目がけて突っ込んで行った。
そこからの魔王対竜人族たちの戦いは凄まじいものだった。どちらも加減というものを知らず、全力で相手を潰しにかかっていた。竜人族たちは命を奪うことになっても構わないという攻め方をしていたが、さすがに魔王は致命傷を避けて攻撃をしていた。命令に逆らって敵対してはいるが、クロウリーと違って竜人族を憎む気持ちなどはない。叩きのめしてまたこき使ってやると作戦前から魔王は言っていた。
「おらおらどうした!じいと散々戦った後だからもう疲れてんのか?そんなんじゃとても俺の相手なんか務まらねぇぞ!」
「くっ!さすが先代様だ!隙だらけのように構えているのに全然攻撃が入らない!圧倒的な強さだ!」
「くそ!次々に暗黒剣を喰らって拘束されていく!」
魔王は竜化した者には魔法で対処し、人型の姿の者には暗黒剣で斬りつけていく。暗黒剣は特別な特性を持っており、斬りつけた相手を黒い鎖で拘束することができる。使い手によってその鎖の強度は変わるが、父親に変身している今の魔王ならば、七天魔クラスでないと断ち切ることはできないだろう。
「うわ~!なんかどちらともすごいイキイキして戦ってるね。命のやり取りなのにそんなに楽しいの?」
「フォッフォッフォ。強い相手と戦うのが楽しいんじゃろうなぁ。竜人族は特に上を目指す種族じゃからの。魔王様に至っては、普段より使える魔力が多いから、何も気にせずのびのび戦えるのが楽しいんじゃろう」
「ふ~ん。私はちょっとついていけない感覚だわ」
目にも止まらぬ矛捌きで急所を狙ってくるサラマンダーをいなしながら、魔王は群がる配下たちを優先的に拘束していく。鎖に締め付けられ行動を制限された者たちは、竜化した仲間の背に撤退して勝負を見守る。
配下たちがどんどん離脱していき、最終的には魔王とサラマンダーの一騎討ちになった。
「うふふ。偽物の先代様にしてはやるじゃない。暗黒剣の扱いもなかなかね。ただ、………やっぱり剣筋はまだまだかしら。熟練度が足りてないわ。戦場経験が浅く、若い証拠ね」
暗黒剣を弾いて一度距離を取ったサラマンダーは、矛を胸の前で回転させて構え直すと楽しそうに目を細めた。
「戦いながら考えていたんだけど、もしかしたらあそこにいるリアナ姫の仕業かしら。変身魔法でなければ星の戦士の能力としか思えない。そして、私が詳細を知らない能力者は以前魔王城で対峙した胆の座った彼女しかいないわ。なかなか面白い能力ね」
「……さすがはサラだな。それだけの情報でそこまで看破するとは。お前は強さだけじゃなくて頭も切れるから厄介な女だよ」
「お褒めいただき光栄だわ。…それじゃあ、褒めてもらった代わりに私もご褒美をあげるわ。偽物さんに。一つだけお願いを聞いてあげる」
「いいのか?まだお前を叩きのめしていないが」
「いいわ。偽物のあなたに叩きのめされても意味がないから。あなた自身の力と強さで私を認めさせることができたら、無条件で何回でもお願いを聞いてあげるけどね」
サラマンダーは悪戯っぽく笑うとウィンクした。彼女の口ぶりから、もう私たち二人の正体がバレバレなのは明白だった。
魔王はフェイラスの姿なのを忘れ、眉間に皺を寄せて不機嫌な顔を出してしまったが、すぐに気を取り直して交渉に移った。
「こちらから提示するものは一つ。五日後の正午、リアナの生まれ故郷であるキナリス国跡地に来い。そこで全てに決着をつける」
「全てに、ね…。いいわ。五日後、そこでならちゃんと父親の力に頼らずあなた自身が相手をしてくれるのね」
「……あまり俺の息子を舐めてくれるなよ。あいつだって、やる時はやる男だ」
「うふふ。先代様の息子ですものね。ただ、…姫様に似て優しすぎるのが玉に瑕だわ」
サラマンダーは魔王に背を向けると、暗黒剣で拘束された配下の鎖を矛で断ち切りながら全軍に撤退命令を出した。五日後の約束に備え、万全の準備をして挑むようだ。
サラマンダー軍が突如引き上げ始めたのを見て、フォードが飛空艇の中からスピーカーを使って呼びかけてきた。
「ちょ、おい!サラマンダー!戦いの最中にどこ行きやがる!俺との勝負はどうするんだよ!」
「ごめんなさいね坊や。五日後に大事な予約が入っちゃったから、今日はもう引き上げるわ。もしかしたら坊やも五日後は参戦するのかしら。もしそうなら坊やも五日後に備えて英気を養うといいわ。せいぜい五日後、私を幻滅させないでちょうだいね」
「!?今までで一番ド派手な戦いにしてやるよ!」
フォードの言葉を聞いて楽しそうに微笑んだサラマンダーは、全軍を連れて空の彼方へと消えていった。
サラマンダー軍が引き上げた後、私たちは地上に残っていたジャックたちと再び合流した。フォード軍は飛空艇の修理や調整のため、早々に引き上げていった。
「サラマンダーには私の仕業だってところまで見抜かれちゃったね。七天魔の中でも彼女はやっぱすごいや」
「フン。あの竜人族をまとめ上げる長だからな。……いつまでも俺を子供扱いしおって。別に父上の力に頼っている訳ではない。今回は作戦上仕方なくだというのに」
魔王はサラマンダーの言ったことを気にしているようで、先ほどからずっと不機嫌な顔をしている。あくまで父親の強さを借りて戦っているから強いのだと言われたようで、プライドが傷ついたのかもしれない。
「フォッフォッフォ。そんなに拗ねるなら五日後にギャフンと言わせればいいじゃろう。とにかくあともう一か所、サキュアの戦場に行かねばならないんじゃ。拗ねるのは後にするんじゃな」
「拗ねてなどいない!」
(分かりやすいほど拗ねてる拗ねてる)
その場にいる全員の心の中の声が一致した気がした。
「次でようやく最後ですが、アレキミルドレア国、ネプチューン、サラマンダーと回り、情報収集に余念がないクロウリーならそろそろ私たちの動きに気づいていることでしょう。次はクロウリーの息がかかっているであろうサキュアの戦場です。もし奴が接触してくるならここでしょう」
「だろうな。上手い事釣れていれば色々手間が省けて助かるんだが。できれば面と向かって宣戦布告したいしな」
「五日後の決戦にご招待したい本命はクロウリーだもんね」
「能力が切れるまでまだ時間はあるが、次が最後だからって決して油断するなよ」
了解、と私は魔王に敬礼して答える。
おじいちゃんを共に加え、私たちはサキュアの戦場へと空間転移した。
太陽が照り付ける砂漠の戦場へと転移した私たちの目に移ったのは、クロウリーとサキュアが率いる兵に押し込まれ劣勢に立たされているメルフィナ軍だった。魔王はすぐさまおじいちゃんとクロロ、ジャックに加勢するよう指示を出した。
「まさかすでにクロウリーが戦場にいるなんて」
「チッ!人間側の被害が多い…。クロウリーめ!こちらの兵力を一気に割く気か」
「ど、どうする?私たちで一芝居打って、五日後の決戦に誘い出す作戦だったけど」
「やるだけやるさ。もうサラマンダーたちは釣り出せたんだ。このまま奴も引きずり出す」
魔王に手を引かれ、私は浮遊魔法を使って頭上から魔法攻撃を繰り出しているクロウリーへと近づいた。
ついに初めて対峙した七天魔の一人、禁魔機士クロウリー。その男は黒いローブを纏い、見た目は四十代ほどに見える。手には魔力を帯びた指輪をつけ、彼の横には分厚い魔法書が浮いていた。魔法書のページは開かれ、彼が魔法を発動させる度に光を放っていた。
クロウリーは私たちに気が付くと、不愉快な気持ちにさせるほど下品な笑い声を響かせて話しかけてきた。
「グフフフフ。これはこれは懐かしい顔ぶれですねぇ。偽物の先代様とリアナ姫様。各地の戦場を巡って混乱させているようですが、何が目的でしょうか」
クロウリーは馬鹿にしたような目つきで私たちを見る。先代と姫君を追い詰め殺した張本人だからこそ、自信を持って偽物と言い切れるのだろう。
仇を前にして気持ちが抑えきれないのか、魔王は微かに殺気を漏らしながら口を開いた。
「何が目的って、今更分かり切ったことを聞くんだな。お前をぶっ倒すための下準備に決まってんだろうが!お前がその気なら、今ここで引導を渡してやってもいいけどなぁ、クロウリー!」
「グフフフ。すごい魔力ですねぇ!まるで本当に先代様のようですよ!一体どんな仕掛けなのやら。今の魔王様ではこれほどの魔力は持ち合わせていないはず。……あなたの仕業ですか?最後の星の戦士」
(やっぱりクロウリーにも私と魔王が変身してるってバレてる!)
サラマンダーに引き続きあっという間に変身を看破され、一芝居する以前の問題だった。やはり一般の兵ならともかく七天魔クラスを騙すのは無理があったか。
私は心の動揺を悟られぬようゆっくり息を吐くと、毅然とクロウリーに言い返した。
「さぁ、何のことかしら。私はただ、可愛い息子のために力を貸しに来ただけよ。…クロウリー。あなたの数々の非道な行い、これ以上見過ごすことはできません!多くの魔族を精神魔法で洗脳し、自分の手駒として動かすなんて、到底許されることではありません!ましてやそんな者が魔界を統べる王を目指すなど、言語道断です!魔王とは、フェイラスのように器が広く、強さと優しさを兼ね備えた人物であるべきです!あなたのような命を軽んじる者は相応しくありません!」
「グフフ。これは驚きましたねぇ。あのお優しい姫君とそっくりな言い回し。もしや思考回路を真似る練習でもしたんですか。虫唾が走り思わずまた殺してしまいそうですよ!」
「ッ!?させるか!」
クロウリーは風の無詠唱魔法を放ち私の首を狙ってきたが、魔王が魔力を乗せた拳で乱暴にそれを弾き飛ばした。
両者の間に見えない火花と殺気がぶつかり合う。
「リアナ。お前は危ないからもう離れていろ。後は俺一人で十分だ」
「……あなた、くれぐれも無理はしないでね。今日ここで決着をつける必要はないのだから」
私は重い殺気を纏って気持ちが先走りそうな魔王を牽制するため、わざわざ釘を刺すような言葉を残してからその場を離れた。
「あなた、ねぇ。ずいぶんと姫に成りきっているようだ。いやそれとも、本当にあなたの姫君にする予定なんでしょうか」
「今はそんな冗談に付き合ってやるほど俺の心は広くねぇぞ。とりあえずその耳障りな笑い方ができないようぶちのめし、サキュアを正気に戻してもらおうか!」
暗黒剣を召喚して構えた魔王は、仇に向かってその刃を振り下ろした。
地上へと降り立った私は、一旦怪我人の手当てをしているジャックと合流した。おじいちゃんは敵陣の奥深くに入り込んで戦い、クロロは味方陣営の前線で配下を呼び寄せて応戦していた。
「負傷者が多すぎてかなり兵力差が出ちゃってるけど大丈夫かな」
「おお、踊り子さんの力で辛うじて総崩れにはなっていないけど、とても厳しい状況だと思います。僕も精一杯怪我人の手当てをして援護はしますが」
私は怪我人の手当てをするジャックを手伝おうかと思ったが、ふと視界に前線で戦っているサキュアが目に入った。彼女は伝え聞いた通り普段と様子が違い、クロロ相手にも躊躇なく攻撃を指示している。全くこちらの話が通じないようだ。
(精神魔法じゃなくて機械魔族の仕業じゃないかって言われてたけど…。死んだリアナ姫を見たら違った反応を見せたりしないかな。何かあっても、一応あと一回分の妄想は残ってるし)
私は遠くで戦うサキュアを見てから頭上で戦う魔王たちに視線を動かし、そして周りで苦しむ怪我人たちを見た。
(怪我人の手当ても人手が多いに越したことはないけど)
私はしばしの葛藤の後、ジャックに断ってから前線へと飛んだ。危険だから言ってはならないとジャックに止められたが、心の片隅で何か嫌な予感がしていたため、私はそれを突っぱねた。
前線はクロロが呼び出した配下たちとサキュア軍でもみくちゃ状態だった。サキュアの魔力が暴走しているのか、魅了をかけられた兵たちは鬼人の如き強さを発揮してクロロの兵を圧倒していた。
「クロロ!大丈夫なの!?なんか相手メチャクチャ強いけど!いくら魔族でも下手したら死んじゃうよ!」
「えりさ、いえ、リアナ姫!ここは危険です!今すぐ後方まで下がってください!誰か、姫様を安全な場所に!」
事情を知らない兵たちは私の姿を見て驚きに動きを止めていたが、今回の作戦を知っているクロロ軍の幹部たちは、いち早く私の護衛に付いた。悪魔族の不死者と鳥人族の不死者が私の手を引いて無理矢理後方へ連れて行こうとするので、慌てて演技をしながら声を張り上げる。
「ちょ、ちょっと待ってください!私はサキュアに用があってここまで来たのです!サキュアと話をさせてください!」
「無茶を言わないでください!いくら姫様でも今のサキュアに声なんて届きませんよ!原因を取り除かなければ無駄です」
「そんなことやってみなければ分からないでしょう!もし無理でも私には最後の一回分が残っています。何か有効な妄想があれば…」
「ねぇ、そこにいるのって、サキュアの見間違いじゃなければ偽物の姫君よね?」
ぞくっと背筋に悪寒が走るような冷たい声を聞き、私は声を発した主に顔を向けた。いつもの可愛らしい声はなりを潜め、暴走している魔力を体外に発しながらこちらを見つめていた。
クロロと配下たちは私を庇うように壁を作ると、異常な魔力を解放しているサキュアに向けて攻撃態勢を取った。
「クロウリーにさっき聞いたの。優しい魔王様を謀る悪い女がいるって。よりにもよって魔王様のお母様に化けるなんて、絶対に許せない!魔王様を傷つける者は、このサキュアがまとめてやっつけてやるんだから!」
「話す以前にクロウリーのせいでバレバレでしたね。リアナ姫!もう話す余地はありません!今すぐ引いてください!私たちが時間を稼いでいる間に!」
「だ~め☆その女はサキュアの手でお仕置きするって決めたんだから!二度と魔王様に近づかないように殺しておかなくちゃ!」
サキュアは魅了をかけた兵たちをけしかけると、私たちに向かって一斉に襲い掛かってくるのだった。
暗黒剣と魔法を駆使しながらクロウリーと一騎討ちをする魔王は、のらりくらりと躱して逃げる敵に苛ついていた。
クロウリーは魔王軍の中でも老魔法使いの次に魔法に長けた者で、結界の強度もかなり高かった。剣で結界を一刀両断しても、すぐさま二重三重の結界を張ってくる。直接攻撃が入らなければ暗黒剣の拘束は発動しないため、何としても攻撃を当てる必要があった。
「さっきから結界頼りで大して攻撃してこないじゃねぇか。よくそれで魔王になるだなんてほざいたな」
「グフフフ。正面から暗黒剣を持つあなたに向かっていくほど愚かではありませんよ。それにその腕の傷、まだ新しいですよね。にもかかわず、怪我を負っているのに変身が解けていない。攻撃を受けても変身が解けないということは、次に考えられる可能性は時間制限。時間の経過で変身が解けるのでは?」
こんな状況でも冷静に分析をしているクロウリーに、魔王は心の中で舌打ちをした。母を唆し、父をまんまと死に追い詰めた策士。この程度のイレギュラーでは取り乱すことはないらしい。
「その沈黙は肯定ということですね。ならば、変身が解けてから相手にしたほうが遥かに楽というもの。あなたは先代様と比べたらまだまだ魔力が劣りますからねぇ」
「時間稼ぎに付き合ってやるほど俺は甘くはねぇぞ!そうやって下品に笑ってられるのも今の内だ!」
魔王はギアを一つ上げると、魔法の手数を増やし、暗黒剣に纏わせる魔力量も増やした。剣の威力が上がり、喰らう魔法が増えたことで、クロウリーの結界は徐々に剥がれ落ちやすくなっていった。常に三重の結界を維持することに努めているが、間に合わせるために少しずつ強度が落ちていく。合間合間に無詠唱の攻撃魔法で対抗してくるが、ギアを上げた魔王には大した障害ではなかった。
劣勢になってきたクロウリーはさっと地上に視線を走らせると、口角を上げてまたも不快な笑い声を立てた。
「グフフフフ!そうだ、いいことを教えてあげましょう。今日私がこの戦場にやって来たのは何故だと思いますか?もちろん妙な動きを見せているあなたたちと接触するためでもありましたが、一番の理由はアレです」
クロウリーが視線を投げた先には、魔力を暴走させる悪魔族の少女がいた。
「そろそろあの手駒を処分しようと思いましてねぇ。魔力の暴走に体がついていけず、どのみちあと少しで使い物にならなくなりそうですから」
「貴様!俺の大事な配下をなんだと!」
「グフフフ!でも気が変わりました!今のあなたを苦しめる最高の玩具を見つけたんですよ!サキュアの代わりにその娘の命をいただきましょうかねぇ!」
クロウリーは急降下すると、獲物に向かって真っ直ぐ突き進む。魔王は瞬時にその狙いに気づくと、クロロに向かって叫びつつクロウリーの後を追った。
「クロロ!リアナを守れ!」
「っ!魔王様!?クロウリーまで!皆さん!サキュアの相手は任せました!私はリアナ姫を」
地上でバタバタと動きがある中、クロウリーは不気味に笑いながら魔王との距離を測っていた。攻撃を喰らうその一瞬を狙って。
自分目がけて急降下してくるクロウリーを見て、私はまたとないチャンスだと思い攻撃魔法の妄想に取り掛かっていた。
(よし!十分近づいて来たら、おじいちゃん直伝の魔法をお見舞いしてやるんだから!いくらクロウリーでも至近距離で喰らったらただじゃすまないでしょ。もし失敗してもフェンリスと挟み撃ちの状態だし、後ろから暗黒剣でズバッとやってくれるよね!)
「ぼけっと突っ立ってないで逃げますよリアナ姫!ここにいたら危険です!」
「ちょっと待ってクロロ!私が引きつけて強力な魔法を一発お見舞いしてあげるから!」
「そんなことしなくていいですから!どうせ結界で防がれるに決まっています!今は大人しく逃げてください!」
「そんなのやってみなく、ちゃ?え、これって」
私は足元に突然現れた転移魔法の兆しに戸惑う。危険を察知したクロロが魔法を撃ち消そうとするが、とても間に合わなかった。
私は訳が分からず強制転移させられた。
転移した先で私を待っていた光景は、暗黒剣を突き出す魔王の姿だった。
私と魔王、どちらも時が止まったように息を呑み、そして私は恐怖に身をすくめ、魔王は焦った表情を浮かべた。
「グフフ!娘を助けるために焦って攻撃を仕掛けてくるのを待っていましたよ!ドンピシャのタイミングで転移できましたねぇ!さぁ、串刺しです!」
耳障りな声を背後で聞き、魔王がまんまと嵌められたのを悟った。私を狙うクロウリーを止めるため、恐らく魔王は渾身の一撃を繰り出したに違いない。しかし、クロウリーはわざとその攻撃を誘発させ、私をわざわざ空間転移で呼び寄せて盾にしたのだ。魔王が私を殺すよう仕向けるために。
(だめ!とても妄想する時間はない!)
心臓を捕らえる剣を恐れ、私はぎゅっと固く目を閉じた。
次の瞬間、小さな爆発音と共に、私の左腕に鋭い痛みが走った。ドレスは裂け、真っ赤な鮮血が純白のドレスを染めていく。そして暗黒剣の効果で私は黒い鎖に締め付けられた。
てっきり心臓を貫かれるかと思っていた私は、目を開けて魔王を見た瞬間悲鳴のような声を上げてしまった。
「フェンリス!腕が!」
暗黒剣を持つ魔王の右腕は爆発を受けてボロボロになっており、火傷と裂傷で血が滴っていた。
「まさか剣の軌道を変えるために咄嗟に火の魔法で自らの腕を爆発させるとは。素晴らしい判断力ですねぇ。あと少し遅ければ串刺しにできたのですが」
「いつまでも貴様の思い通りに事が進むと思うなよ」
魔王は無事な左手で魔法の構えを見せる。
「できればその手で娘を殺して絶望に歪むあなたの表情が見たかったのですが仕方ありませんねぇ。こうなったらワタシの手で葬って」
「儂の大事な友達に手を出したらただじゃおかんぞクロウリー」
「ぬっ!?」
気配なく空間転移でクロウリーの背後に現れたおじいちゃんは、今まで感じたことのない冷たい殺気を纏って杖を振りぬいた。
クロウリーは尋常ない殺気に恐れをなし、飛びのいて杖を躱すと慌てて空間転移で距離を取った。
「遅れてすまなかったのう、魔王様。お嬢ちゃんを盾にされるとは一生の不覚じゃ。こんなことなら儂がずっと傍についておくべきじゃったのう」
「いや。人間の援軍も必要だったのは確かだ。クロウリーの追撃を阻止できただけでも上出来だ」
魔王は私を拘束する暗黒剣の鎖を解除しながら答える。
「ご、ごめんねフェンリス!私を助けるために、利き腕が…!」
あまりに痛々しいその火傷と裂傷に、私は涙を流して狼狽えることしかできなかった。
「この程度の傷、怪我の内にも入らんから心配するな。それより人間のお前の方が痛むだろう。間に合わなくてすまなかった」
魔王は自分の怪我の方が酷いというのに、私の腕の傷を見て辛そうに奥歯を噛んだ。
おじいちゃんへの警戒を解かずに私と魔王のやり取りを見ていたクロウリーは、今回は潮時と判断したのか、戦闘の構えを解いて撤退へと切り替えた。
「あともう一歩だったんですが、やはり昔から油断なりませんねぇあなたは。魔王を討つなら守り役のあなたをまず始めに黙らせる必要がありますか」
「フォッフォッフォ。儂はそう簡単に黙るつもりはないがのう」
「クロウリー。お遊びはこの辺で終わりだ。五日後正午、悪夢が始まった地、キナリス国跡地で決着をつける。ネプチューンやサラマンダーも集まってくるはずだ。お前抜きで始めてもいいが、ネプチューンとサラマンダーがこっちに寝返ればどっちみちお前の負けは確実だ。自分で選ぶといい。俺の用意した戦場で戦うか、自分一人で最後まで足掻くか」
「グフフ。一度整った盤面をぶち壊して挑むつもりですか。……いいでしょう。こうなったら派手に全面戦争といきましょうか。人間も魔族も関係なく、正面からぶつかるのもまた一興。ただ…、最後に勝つのはやはりこのワタシですがねぇ!グフフフフ!」
クロウリーは下品な笑い声を響かせながら空間転移で消えて行った。
当初の作戦、敵を一か所の戦場に集めて向かい討つという目的の第一段階は無事達成した。後は五日後、魔王軍と星の戦士の軍が協力して敵を各個撃破するだけ。
この世界でかつてない規模の戦いが、もうすぐ始まろうとしていた―――。




