第三幕・魔王編 第二話 盤面を変える一手【前編】
ドラストラの裏切りがあった日から四日後。私はお風呂を終えて作戦会議室に向かっていた。相変わらず単独行動は禁止されていたが、どうしても一人で行動しなければならない時は、魔王に結界を張ってもらっている。
あれから各戦場拮抗した戦いが続いているが、ドラストラが率いている軍だけオスロから撤退し再び姿をくらませている。相対したドラキュリオの報告だと、ドラストラの様子が事前に聞いていたサキュアととても似通っていたと言う。魔法ではなく機械魔族関連で何かされているのかもしれない。
現在ドラキュリオ軍は人間界と魔界を回りながら、潜伏しているドラストラ軍を探していた。
(はぁ~~~。何かみんなの度肝を抜くようなとっておきの妄想はないかなぁ。私だけ戦場に出ずにずっと妄想ばかり。いい加減何か思いつかないと申し訳ないよ)
私はお風呂でポカポカになった体をパタパタ仰ぎながら心の中で呟く。お風呂の中でもずっと妄想を考えていたため、ついつい長湯して結構のぼせてしまっていた。
考え事をしながら歩いていると、廊下の向こうから気配なく誰かが近づいてきた。魔王城の廊下は暗く、あまり遠くまでは見通せない。
のぼせているのと考え事をしていたせいで、私はその人物がはっきり視界に入るまで全然気が付かなかった。
「あれ。メリィ…?」
私はすぐ近くまで歩いて来ていたメリィを正面から見据えると、彼女の様子がおかしいことにそこで初めて気が付いた。
(何だろう。何かいつもと様子が違う)
私の脳裏には、魔王が一番疑っている内通者疑惑がチラついた。詳しい事は聞いていないが、魔王はメリィが敵方に情報を漏らしていると疑っている。彼女は襲撃事件以降も変わらず城の雑用や家事をこなしてくれているので、私としてはあまり疑いたくなかった。
「メ、メリィ?どうしたの?私に何か用、かな」
「…………」
私の目の前まで来ても、メリィは何も喋らず無言だった。しかし纏う雰囲気がいつもと違うことだけは分かり、私は警戒をしながらいつでも妄想ができるよう身構えた。
人形のメリィは表情から感情を読み取るのが難しく、どこを見て何を考えているのか全く分からない。暗殺人形に相応しい微かな殺気と緊張感しか感じることができなかった。
「あなたの、能力…」
「え…?の、能力?」
メリィが喋るまでじっと待っていたところ、ようやく彼女は言葉を発した。心なしかいつもより声が硬い。声に感情が入ってないかのようだ。
「魔王様に聞いても、教えてくださらなかった…」
言葉通りに受け取ると、メリィは私の能力について魔王に訊ねたようだ。しかし魔王は私の能力を教えなかった。きっとメリィが敵に情報を流すかもしれないと疑ったのだろう。
メリィがガラス玉のような人形の眼で見つめてくるので、私は妙なプレッシャーを感じて一歩身を引いた。
「え、えっと、私の能力を聞きたいの?」
「…………」
(魔王が教えなかった以上、私も能力を明かすべきじゃないよね。もしここで教えたら、また警戒心が足りないって怒られそうだし。でも……、メリィの見えない圧が半端ないんだよなぁ!今すぐ襲い掛かってきそうではないんだけど、何とも言えない緊迫した空気が!)
私が心の中で悲鳴を上げていると、再びメリィが口を開いた。
「能力を知らなくても、大体予想はつくわ。ついて来て…。もうきっと、時間がない」
「時間って?メリィ?」
メリィは私の横を通り過ぎると、大広間に向かって歩き出した。会議室に向かう途中だったのだが、逆方向に歩き出したメリィに、私は右往左往してしまう。追うべきか追わざるべきか。
私は悩んだ末、いつもと様子の違うメリィを追いかけた。もしかしたら彼女の異変について何か掴めるかもしれないという期待を抱いて。
念のため一定の距離を保ってメリィの後をついて行くと、意外なことに向かった先はクロロの研究室だった。研究室は普段クロロが魔法で施錠しているのだが、メリィがドアノブに触れると何故か簡単に鍵が開いた。
「え。メリィって魔法使えたっけ?」
「…私は、ここの道具を使って体のメンテナンスをしているの。だから、いつでも私は出入り自由にしてもらっているのよ」
「へぇ~。そうだったんだ」
私はメリィの後に続いて研究室へと入る。
メリィは研究室に置いてある大きい特殊な機械を引っ張り出すと、手術台の近くに設置した。そして私が見守る中、その機械から伸びるコードを自分の頭やお腹に繋げ始める。
私は初めて目にするメリィの人形としての体に若干驚いてしまった。
(いつも服に隠れてるからあまり意識してなかったけど、そりゃあ人形の体だよね。………ていうか、見た目は人形っぽいけど、ベースはもしかして機械魔族と同じ?)
お腹が開かれて内部の一部分が剥き出しになり、メリィはそこに機械のコードを差し込んでいる。金髪を掻き上げて頭にも数か所コードが差し込まれた。
メリィは手術台に横になると、驚いたまま立ち尽くしている私に声をかけた。
「そこの、モニターの大きなボタンを押して。そしたら私の言う通り操作盤を動かすのよ」
腹部内部の機械化している部分を凝視していた私は、言われるがままに大きな機械についているモニターの電源を押した。そしてメリィの指示通り機械を操作していく。
(この機械は一体何の装置何だろう。メリィに言われるまま操作してるけど大丈夫かな。多分クロロが開発したものなんだと思うけど)
ボタンを押したりつまみを捻り、レバーを上げ下げしたりと色々続け、ようやっとメリィから最後の指示が出た。
「あとはその中央の緑のボタンを押せば終わりよ。きっとこれで私はしばらく目覚めない。この選択が、魔王様の助けになればいいのだけど…」
「え?どういうこと、メリィ。何か隠してることがあるなら言って。私が力になれることがあるかもしれない」
やはりメリィは人に言えない秘密を持っている。様子がおかしいのはきっとそのせいなのだろう。その原因を取り除けばいつも通りのメリィに戻るかもしれない。
私は反応の薄いメリィに何度も呼びかけるが、本物の人形のように彼女は全然答えてくれなかった。
「………口に出すことは、できない…。せめて、私のメモリーが、えりの能力の助けに、なれば……。ボタンを…」
それ以上メリィは何も言わず、微かな殺気が絶えず漏れるだけだった。
彼女が何を隠し考えているのかは分からなかったが、今は魔王や私のために動いてくれていたということだけは伝わってきた。
私は大きな機械の最後のボタンに指を置くと、意を決してポチッとその緑のボタンを押した。機械の稼働音が響くと、接続されたコードに繋がれているメリィの瞼が自然に閉じた。まるで眠りについたようだった。
何が起こるのかとドキドキ待っていると、機械についているモニターが砂嵐の後にある映像を映し出した。
「これは……」
私はモニターの前に立ち、流れる映像に釘付けになった。
暖かい陽気に照らされ、白いドレスに身を包んだ女性が柔らかい笑みを浮かべて小さい男の子を見守っていた。栗色の髪をアップにまとめ、噴水の縁に腰掛けている。どうやら背景を見る限り城の西庭園のようだ。映像はその女性に向かってアップになっていく。
『リアナ姫。紅茶とおやつをお持ちしました』
モニターのスピーカーから流れてきた声はメリィの声だった。映像から察するに、どうやらこれはメリィから見た視点のようだ。
『ありがとう、メリィ。ほら、フェンリス。おやつの時間にしましょう』
いつかアトリエの絵画で見た女性が、モニターの向こうで優しく笑っている。
「……これが、生きていた時のリアナ姫。フェンリスのお母さん…」
画面の奥にいた小さい男の子が、母親の呼びかけに答えてテクテク走ってくる。今と違ってまだ短い黒髪のフェンリスは、嬉しそうに母親に抱きついた。見た目は五、六歳くらいだろうか。まだ目も鋭くなく、クリクリしていて可愛い。
『今日はフェンリス様の大好きなプリンです。クリームもたっぷり乗せてありますよ』
『わ~い!ありがとうメリィ!』
フェンリスは母親の膝に座ると、手渡されたプリンをキラキラした目で見つめた。プリンにはクリームが多めに乗っけられ、ちょこんとサクランボまで乗っていた。
(フェンリスってプリンが好物だったんだ)
可愛いところもあるんだなぁ、と私は子供の頃のフェンリスを見て顔をニヤつかせた。
『今日は天気が良くて風も穏やかで気持ちがいいわね。あとでネプチューンやサラを呼んでお喋りでもしようかしら。夜は一緒に食事を取ってもいいし』
『でしたら私がおじい様に念話で伝えてもらえるよう頼んでおきます。サラマンダーはともかく、ネプチューンなら姫様の誘いを断ることはないでしょう』
『ウフフ。ネプチューンとはもう親友だものね』
リアナ姫はフェンリスの頭を優しく撫でながら答える。
リアナ姫は魔族のみんなから慕われていたとケルベロスが言っていたが、今対立しているサラマンダーやネプチューンとも本当に仲が良いようだ。
メリィとリアナ姫が雑談をしていると、モニター外から男性の声が聞こえてきた。
『よっ!おやつの時間か?』
『魔王様!』
メリィの視点が切り替わり、後ろから歩いてくる人物を映し出した。長い黒髪を一つに結い上げ、今のフェンリスと同じ服装をしている。しかしその表情は明るく、いつも鋭い目つきで真顔が怖いフェンリスとは大違いだった。
『父上!お仕事終わったの?』
『おぉ!我が息子よ!ちゃんとモリモリ食べてるか?仕事はな、サボリ中だ』
ニカッと笑った父親は、愛しい息子の頭をわしゃわしゃ撫でる。その後苦笑いしながら、リアナ姫は乱れた髪の毛を直してあげていた。
「フェンリスのお父さんかっこいい~!しかもフェンリスと違ってメッチャ笑顔。今のフェンリスもこのくらい笑えばいいのに」
私は映像を見ながら独り言を呟く。
幼いフェンリスはプリンを一掬いすると、父親に向けて食べさせていた。とても仲睦まじい見るからに幸せそうな家族だ。これから近い未来に悲劇が起こるなど、この時誰も想像していなかったことだろう。
『フェイラス。あまりサボってクロロを困らせては駄目よ。いくらクロロが優秀だからって、いつも甘えてばかりでは彼に悪いわ』
『そうは言ってもなぁ。愛する姫と息子が気になって仕事が手に付かないんだ』
『そんなこと言って、事務作業が苦手なだけでしょう。頭より体を動かすほうが好きだものね。剣を振っているあなたは誰よりも輝いているから』
『リアナ…』
情熱的な眼差しを妻に向ける魔王を見て、画面の向こうのメリィは空気を呼んで立ち去ろうとする。
『でも、フェンリスは父上のようになっては駄目よ。周りの配下に甘えて困らせる王は、とても良き王とは言えません。いつでも周りを気遣い、配下を大切にしてね。書類仕事もちゃんとやること』
『リ、リアナ…。わかったよ!息子の手本になるようさっさと仕事を終わらせてこよう!』
魔王は名残惜しそうにしながら、妻と息子、メリィに見送られて庭園を後にして行った。
その後も途中途中時系列が飛びながら、映像はメリィの視点で流れ続けた。
メリィが『私のメモリー』と言っていたので、これは人形の彼女が今まで蓄積してきた記憶なのだろう。
メンテナンスの時に使う道具の一つなのか分からないが、こんなものをクロロが前から開発していたとは、彼の研究と頭の良さは侮れない。
私はその後も映像が終わるまで、まるでホームビデオを見るようにモニターを見続けるのだった。
機械のモニターが砂嵐になり、私はモニターと機械の電源を落とした。私はメリィに差し込んであるコードを全部引き抜いたが、彼女が目を覚ますことはなかった。
私は近くにあった丸椅子に腰掛けると、今見た過去の映像を頭の中で振り返った。映像はほとんどフェンリス一家の日常ばかりで、メリィがフェンリスの成長過程を大事に見守っていたことがよくわかった。本当に彼のことが大好きなのだろう。
私は目を閉じて動かない暗殺人形の衣服を整えながら、彼女が最後に言った言葉を思い出す。
『せめて、私のメモリーが、えりの能力の助けに、なれば……』
メリィは私の能力がどういったものかは知らないが、自分なりにある程度予想を立てていたのだろう。目にしたことがあるものを能力として活かせると思って、今回自分の記憶を私に見せてくれたようだ。
(メリィは裏切者なんかじゃない。何か、事情があるんだよね。……メリィの見せてくれた過去の記憶、絶対無駄にはしないから!私の妄想で、一気に戦局を塗り替えてやる!)
私は頭の中にどんどん膨らんでいく妄想を整理し終えると、研究室を飛び出して作戦会議室へと向かった。
会議室に入ると、椅子に座って報告書に目を通していた魔王が顔を上げた。息を切らせて走って来た私を見て驚いた顔をする。
「なかなか帰って来ないから、風呂に入ってそのまま寝たのかと思っていたぞ。こんな時間にどうした。何があった」
私は息を整えながら魔王の前に立つと、たった今考えた妄想を提案した。
「みんなを驚かせる妄想を考えたの。生き返らせるとかはさすがに無理だから、私とフェンリスをリアナ姫とフェイラスさんの姿に変えちゃうってのはどう?」
「………は?」
突然何を言い出すのかと、魔王は珍しく目が点になっていた。私はそんな彼に構わず話を続ける。
「リアナ姫とフェイラスさんの姿で各戦場を回って、みんなをどこか広い一つの戦場に誘き出すの。今は戦力を分散させている状態だから、あえて一つの戦場に集中させて、総力戦で一気に片を付ける作戦。相手の戦力も集中しちゃうけど、こっちはちゃんと同盟結んで連携が取れている軍だし、目的意識なく好き勝手暴れてる敵よりかは勝機があると思う」
「ちょ、ちょっと待て!話を進め過ぎだ。父上と母上の姿になって誘き出す?そもそもお前は父上と母上に会ったこともないだろう。妄想の実現性が皆無だ」
「直接会ったことはないけど、今メリィの記憶で見てきたもの。十分妄想できると思う」
「メリィの記憶?どういうことだ」
私は魔王に一から説明した。メリィの様子がおかしかったこと、一緒に研究室に行き、そこでメリィの記憶を見たこと。
私の話を聞き終わった魔王は、まず最初に思い切り私の頬を引っ張った。
「貴様は本当に馬鹿で間抜けでお人好しで学習能力のない考えなしの女だな。警戒心をどこに落っことしてきた。それとも貴様の辞書にはそもそも存在しないのか」
「ひぃ~た~い~!ほっぺがもげるぅ~~!!」
「いっそのこともげたらどうだ。そうすれば心を入れ替えるかもしれん」
私が腕をバシバシ叩いてもしばらく魔王は解放せず、やっと手を放してくれた時にはもう頬は赤くジンジン熱を持っていた。私は我慢できず涙目になっている。
「全く。俺がメリィを疑っていたことは知っていただろう。何故ついて行く。理解に苦しむな」
「うぅ。だって、すぐに襲って来る気配とかなかったし。やっぱりメリィのこと信じたかったんだもん」
私は左の頬を押さえながらご機嫌斜めな魔王に述べる。
「何事もなかったから良かったものの、本当に貴様は目を離すとどうしようもないな」
「そこまで一気に評価下げちゃう?」
私は若干ショックを受ける。
魔王は気を取り直すと、当初の話へと話題を戻した。
「それで、父上と母上に成りすまして誘き寄せる作戦だったか。…そもそも、二人とももう死んでいるのは周知の事実だからな。誰も誘き寄せるなんてできないんじゃないか。変身魔法だと一発でバレるぞ」
「変身魔法…。ちなみに、おじいちゃんも変身魔法って使えるの?今まで見せてもらったことないけど」
「じいは得意中の得意じゃないか。普段から使っているようなものだ」
「え?」
なんでもない、と魔王は即座に否定した。私は?マークが三つほど頭上に浮かんでいたが、魔王は無視して話を進める。
「変身魔法は悪魔族とスライム族が得意としていてな、よく悪戯や陽動に使われている」
「悪戯…。キュリオが好きそうだね」
「変身魔法の弱点は、その人物に成りすますことはできるが、その人物の能力はコピーできないこと。術者はあくまで自分の持っている力しか発揮できない。だからたとえスライム族が父上に化けようが、強さは普段と変わらず弱いままということだな。しかも変身している間にダメージを受けると魔法が解けてしまうというのも難点だ」
「ふ~ん。結構不便だね、変身魔法」
「あぁ。だから普通は陽動や攪乱くらいにしか使われない。使い勝手が悪い魔法だからな」
私は変身魔法の特徴を聞き、それを逆手に取った妄想イメージの構築を考える。魔王は変身の案を却下しようと話しかけるが、目を閉じて妄想に集中している私を見て口を噤んだ。彼は私の考えがまとまるまで静かに待ってくれる。
ある程度イメージと付与する効力を決めた私は、魔王に口頭でイメージと自分の考えを伝える。
「…という感じにしようと思うんだけど、どうかな?この妄想なら相手にされないってことはないでしょ」
「ふむ。いくら攻撃を受けようとも変身が解けない。そして、自分と相手の記憶によって強さが底上げされるか。通常の変身魔法だと思っている奴は確かに勘違いするだろうな。しかも種が分からないから混乱もする」
「まずフェイラスさんに変身する時は、そのまま変身しちゃうと強さや魔力で偽物だってすぐバレちゃうから、肉親でよく知ってるフェンリスが記憶の中のフェイラスさんを忠実にイメージする。その状態で能力を発動させ、強さや魔力を変身に反映させる。そんでもって付与効果として、戦う相手に偽物だって思われないよう、戦う対象の記憶に合わせてフェイラスさんの強さが合うように調節する機能をつける。この妄想によって、対象の記憶とズレが生じないようにすることができる。どう?完璧じゃない?」
私は自分が考えた妄想を少し自慢げに話す。私の得意な顔を見て少しちょっかいを出したくなったのか、無言で魔王は頬に手を伸ばそうとしてきたので、私はすかさず後ろに下がってそれを躱した。
「変身後、各戦場を回って大将首を挑発し、こちらが指定する戦場に誘き出す、か…。クロウリーの思惑通り進んでいるこの盤面を一気に変えられることを考えれば、一つの戦場に全戦力を集めるお前の考えは悪くない。他の連中を一気に集めれば、孤立することを恐れて隠れているクロウリーも自分から出てくるだろう。ただ……、問題は妄想の実現性と上手く誘き出しができるかどうかだな」
「う~ん。こればっかりは試してみないと分からないね。とにかく繰り返し妄想してイメージを定着させるよ。明日一日集中して取り組むから、明後日一度試してみよう」
「時に、もし妄想が成功したとして、持続時間はどれくらいなんだ?」
妄想や作戦を立てるのに夢中で効果時間まで考えてなかった私は、目を閉じて腕組みをすると体ごと傾けて考える。
私の能力は妄想によって体にすごく負担がかかる。その負担量の妄想基準はまだ明確に分からないのだが、実現性が難しいものは総じて負担が大きい。更に、難しい妄想を大雑把なイメージで現実化すると尚負担が増すことが分かっている。故に、難しい妄想はできるだけ細部まできちんとイメージした方が体に負担をかけずに済むのだ。
「体への負担を考えると~、半日ぐらい?いや、その後動き回ることを考えると六時間くらいかな?」
「その体への負担というのも、能力を使ってみないとわからないのだろう。実際はもっと短くなるかもしれんな」
「さ、三時間くらいかも?」
自信がなくなってどんどん時間が削られていく。結局明後日試す時に効果の持続時間もテストしてみることになった。この妄想の成否によって、同盟軍が反撃に転じられるか否かが変わる。
私は両拳を握りしめると、もう夜の遅い時間だというのにやる気を漲らせた。
「…メリィは眠ったまま動かないんだったな」
魔王は表情に影を落としながら呟いた。先ほど魔王にはメリィの言葉を全て伝えた。
『きっとこれで私はしばらく目覚めない。この選択が、魔王様の助けになればいいのだけど…』
隠していることを口には出せないが、メリィは魔王の助けになるために行動していた。
疑っていた魔王も本心では信じたかったのだろう。何かを耐えるようなとても辛そうな顔をしている。
「うん。メリィの部屋に運ぼうかとも思ったんだけど、ものすごく、その、私じゃ持てなくて。クロロの研究室に寝かせたまんまだよ」
人形とはいえ一応女の子なので、私は咄嗟に重いという単語を使うのを止めた。女にとって体重の話はデリケートな問題だ。それにメリィは魔王のことが好きなので、口が裂けても重いなどと言ってはならない。
「メリィは女の力じゃ運べん。オーバーヒートしてしばらくは目覚めないだろうから、明日クロロが戻って来たら事情を話しておく」
「う、うん。わかった」
女の力じゃ運べないとあっさり言われ、私は拍子抜けした。さすがに子供の頃からの付き合いだから重いのは知っているようだ。
私は明日一日部屋で妄想に取り組むことを伝えると、すっかり行き慣れた魔王の自室へと引き上げるのだった。
一日妄想のイメージに費やしたその次の日。作戦会議室には私と魔王、クロロ、ケル、ジャックが集まっていた。成りすまして敵を挑発することを考えると、複数人の目で演技指導が必要になってくると思い、忙しい中今日は多めに集まっている。
今回の作戦について、クロロには昨日事前に説明済みだったので、ケルとジャックには今説明し終えたところだ。
「え、えりさんの能力で、そそ、そんなことまでできちゃうんですか」
「またリアナ姫に会えるの!?」
「あ、会えるって言っても、正確には私が化けてるだけだからね。それに、実は昨日一人で試してみたんだけど、姿を直接変えるのは厳しいみたい」
「ん?どういうことだ?」
疑問を示す魔王に、私はなるべく分かり易く説明する。
「私の妄想だと、変身魔法と違って周囲の見る認識を変える妄想になっちゃうみたい。例えば私がリアナ姫になる妄想をしても、私自身の体が本当にリアナ姫になることはない。肉体はあくまで私のまま。ただ、私以外の人には私がリアナ姫の姿に見えるようになる」
「なるほど。視覚の認識を変える妄想になっているわけですか。変身魔法は実際姿も変わりますからね」
「うん。多分私が実際にリアナ姫とフェイラスさんに会っていないからそんな妄想の現実化になっちゃうんだと思う。あ、ちなみに、鏡を通せば私も自分がリアナ姫になってるように見えるんだ」
なるべく噛み砕いたつもりだが、ケルだけ説明が理解できなかったようで、ジャックが頑張って更に簡単に説明している。
説明を聞き終わった魔王は、何故か私のことをじとーっとした目で見ていた。
「昨日一人の兵から母上の幽霊を見たとくだらない報告を受けたが、やはり貴様が原因か。一人で勝手に試しおって」
魔王の刺さるような視線に、私は苦笑いで誤魔化す。
実は昨日人前で試す前に一度感触を確かめたくて能力を使ってみたのだが、鏡に映る姿でしか確認できなくてちょっと城内を歩いてみたのだ。そうしたら城勤めの兵にちょうど出会い、私を見た途端、驚いた顔で走り去っていったのだ。リアナ姫の幽霊が~、という叫び声を残して。
「まさか幽霊と思われるとは予想してなくて」
「とにかく妄想としては十分成功しているのでは。リアナ姫は戦ったりしませんので、演技さえきちんとできれば騙せます。あとは能力の持続時間ですが」
「リアナ姫は四時間経っても効果が切れなかったよ。一応六時間持続する妄想にしてやってたから。体の負担はそこそこだったけど、少し休めば全然普段通り動けたよ」
「ならいけそうですね。問題は先代様ですか…」
クロロは魔王に視線を移し、他のみんなも魔王に注目する。
「…お前の妄想だけじゃなく、反映させる俺の記憶も大事なんだったな」
「うん。それがそのまま強さのベースになるから。まぁでも、素のフェンリスとそこまで強さが変わらないならあまり問題ないかもしれないけど。実際どうなの?メリィの記憶で見たフェイラスさんは確かに強くて剣捌きとか超かっこよかったけど、今のフェンリスの実力的に」
超かっこよかったの部分で魔王の眉がピクッと動き、私以外の全員がその一瞬の反応を見逃さなかった。少しだけ不機嫌になった魔王に、配下の者たちは温かい目を向ける。
「父上がかっこよかったのは確かに認めるが、それは強さには一切関係ない。………お前たちに見栄を張っても仕方がないから正直に言うが、今の俺の実力では遠く父上に及ばないだろうな」
「そうでしょうね。先代様は本当にお強かったですから」
「強くて優しくて、みんなが大好きだったもん」
「たた、戦いになるとスイッチが入って、圧倒的なオーラを持ってた。先代様がいるだけで、味方にとってすごい安心感だった」
(おぉ!大絶賛!やっぱりすごい人望だったんだなぁ)
先代魔王の高評価に感心する中、その息子であるフェンリスは思い詰めたような顔になっていた。とても苦しそうで、それでいて悔しさが滲んでいる。
私が心配そうに見つめていると、その視線に気づいて魔王はすぐに表情を引き締めた。
「とにかく、俺と父上の実力に開きがある以上、強さがちゃんと反映された妄想を成功させなければならない。ひとまず効果の持続時間は後回しだな」
「とりあえずまずは試してみましょうか。一日三回しかチャンスはありませんし、その都度細かい調整をしていきましょう」
クロロに促され、私は妄想の準備に取り掛かった。深呼吸をすると、両手を魔王に向けて構える。魔王には私の能力が発動するまで、頭の中で父親をイメージし続けてもらう。
(よし。まずは映像で見たフェイラスさんを思い浮かべて、戦っていたシーンからまず強さや魔力のベースを作る。そこにフェンリスのイメージを上乗せするようにして…。そして敵と戦う時には敵が認識している強さと差異があったら調整するよう効果を付与。ただし強さが下方修正されないよう考慮して。う~ん、最後に攻撃を受けても解除されず、大体六時間くらい効果が続くようにっと)
目を閉じながら表情を歪め、私は蒼白の光を強くしていく。普段より念入りに、尚且つ色々付加効果をつけているので、自然と時間がかかり集中力も相当なものになっている。
私は妄想を固め終わると、留めていたものを一気に解放するように妄想を現実に解き放った。能力発動の対象になっていた魔王は蒼白の光に包まれていく。眩しさにみんなが目を背け、光が止んでから再度魔王を見ると、そこにはかつて魔界の戦争期に大暴れした先代魔王フェイラスの姿があった。
「おぉ!すごい!成功です!ちゃんと先代様になっています!」
「わぁ~!先代様だぁ~!」
ケルが喜び魔王に飛びついた直後、私は強い眩暈と頭痛に耐え切れずバランスを崩した。幸い隣に立っていたジャックが体を支えてくれたため、後ろに倒れずにすんだ。
「だだ、大丈夫ですかえりさん!」
「う、ぅぅ。大丈夫。ちょっと眩暈と頭痛がひどいだけ」
「そ、それ。全然大丈夫じゃないです。とりあえず椅子に座って」
ジャックに支えてもらって歩こうとすると、前に立っていた魔王が私の横に移動して屈んだ。何だろうと私が考える間に、魔王は私の足と脇に腕を差し入れお姫様抱っこをしてきた。頭痛と眩暈で羞恥心を感じる余裕はなく、私の口からこぼれたのは目に映るフェイラスの姿の感想だった。
「わ~。本当にフェイラスさんの姿になってる~。フフフ」
先代魔王は当然だが、今のフェンリスより大人びており、頼もしい大人の男性という印象が強い。メリィの記憶のフェイラスは妻を心から愛し、子煩悩でもあった。強くて優しく人望があり、結婚相手としては理想だろう。おまけに長身で容姿もイケメンなので、三次元だが十分目の保養になる。
私が今まで魔王に向けたことのない笑みを浮かべているので、彼は私を運びながらどんどん眉間に皺を刻んでいた。
「想像以上に体に負担がかかったようだな」
ケルが椅子を引くと、魔王はそこに私を座らせる。
私は片手で頭を押さえながら、不機嫌な顔をしている魔王にダメ出しをした。
「ブッブー。全然ダメ。フェイラスさんはそんな眉間に皺を寄せたりしません。もっといつも明るい顔してたよ。減点1」
「む。うるさい。今はまだ演技の段階ではないだろう。まずは強さが伴っているかが先だ。それが成功していなければそもそも挑発して誘き出すなどできん」
「話し方も全然違う。もっと砕けた喋り方だもん。減点2。これは成功してても演技が大変そう」
「お前なぁ~!だから演技は後だと言っているだろう!息子なんだから父上の真似くらいすぐできる!」
興奮して私に声を荒げる魔王。能力が発動しているので、みんなの目には滅多に声を荒げない先代がムキになって私に言い返している珍しい図になっている。声もちゃんと先代の声になっているので、みんなからしたらただただ違和感しかない。
クロロたちは呆れたり苦笑したりそれぞれ楽しんでいたようだが、効果時間も限られているのでさっさと検証に入った。
私のことをジャックに任せ、魔王たちは外に模擬戦をしに行った。たっぷり一時間ほど経過した頃、三人が会議室に戻って来た。魔王は涼しい顔をしているが、人格が交代したケロスとクロロはくたくたになっている。
「おお、おかえりなさい。大丈夫?二人とも。顔が死んでるけど」
「文句なしに強いです。魔力量も先代様と同じですし、魔法の威力も桁違い」
「本気のオーラも超やべえし、暗黒剣の強さも一緒」
相当付き合わされたのか、二人は魔力切れで、椅子に座ると揃って机に突っ伏した。
ケロスが言った暗黒剣というのは、赤黒く明滅している刀身に真っ黒な柄をしている剣だ。剣の周りには半透明の黒い鎖が浮かんでおり、フェイラスがいつも戦う時に愛用していた。私もメリィの記憶を通して何回か目にしている。
ジャックは疲れている二人のために、すぐさま回復効果のある薬草を生やし煎じ始める。
「まぁ一つ気がかりがあるとすれば剣捌きでしょうか。魔力や筋力などは妄想で反映できても、剣の腕前までは現実化できませんからね。よく手合わせしていたサラマンダーにはすぐバレてしまうかもしれません」
「それでも奴ならば大して気にせず挑発に乗りそうだがな。強い奴と戦えるのならば細かいことは気にせんだろう」
「それもそうですね。とにかく……、疲れました…」
「同じく~…。そういやねーちゃんの体調はどうなんだ?治ったのかよ」
濃い紫の毛並みのケロスは、耳と尻尾をだらんとさせて向かいに座る私を見た。
「眩暈はだいぶ治まったけど、頭痛はまだ続いてるかな。完全回復するにはもう少しかかりそう」
「う~ん。各戦場を回って挑発して誘き出すならば、途中で足止めされたりすることを考えると三時間はやはりほしいですね。少し余裕を持って」
「なら明日持続効果を三時間にして仕切り直すか。体の負担がどれくらい軽くなるかを見る。母上役をやるつもりのお前が動けなかったらどうしようもないからな」
先代の姿になっている魔王は私を見て言った。今の自分より力を持っている父親の姿で暴れてきたせいか、とてもすっきりした顔をしている。さっきと違い眉間に皺も寄っていないので、黙っていれば十分フェイラスに見える。
(やっぱりフェンリスのお父さんはかっこいいなぁ~。人間で言えば結構年なのに、普通に見た目年寄りじゃないもんね)
目の保養に私が見ていると、またも次第に魔王の顔は不機嫌になっていった。私はむくれて表情を明るくするよう注意する。
「その、リアナ姫役って、えりさん以外の人がやるわけにはいかないんですか?それか、体調が悪いようならそもそも先代様お一人で誘き出すとか」
私と魔王がまた言い合いをしている横で、ジャックがクロロに訊ねた。
「策の成功率を上げるなら、先代様お一人で誘き出すのは止めたほうがいいでしょうね。ネプチューンを刺激するならリアナ姫の方が適任ですから。クロウリーに対しても二人セットの方が効果ありそうですし。えりさん以外がリアナ姫役をやるというのは別に構いませんが、誰がやるんです?ジャックですか?」
「えぇ!?ぼ、僕は無理です!え、えっと、クロロさんは?」
「俺は野郎を守る趣味はないぞ」
「だそうです。私も自分の鏡に映った姿が女性になるのはちょっと。それに女性特有の仕草や振る舞い方とかがありますから、男が代役をやるのはキツイでしょう。歩き方だけでも結構違いますからね。アレでも一応えりさんは女性なので、少し私たちで気づいたところを修正すれば大丈夫でしょう」
「アレでも一応って何!?失礼なんですけど!」
二人で言い合いをしながらこっちの会話にも入ってくるので、クロロは結構似た者同士で気が合うのではと思った。
その後何故か私は会議室を追い出され、男性陣だけでフェイラスの喋り方や演技指導を行うことになった。一人除け者にされた私は、魔王の自室で頭痛が治まるのを待ち、回復するとリアナ姫に成りすます特訓をするのだった。
次の日、仕切り直しで私たちは再度作戦会議室へと集まった。面子は昨日と同じだ。
今日はまず体への負担が少ないリアナ姫の妄想からやることにした。私は意識を集中させると、本日一回目の妄想を使ってリアナ姫へと変身する。
今の私の恰好がそのまま反映するので、栗色の髪を巻いて一つ結わきにした姿の姫になった。映像ではいつもドレス姿だったので、前もってドレスを着ていたらもっと再現度が高かったかもしれない。
「うわぁ~!姫様だぁ~!」
ケルは私の姿を見ると嬉しそうにピョンピョン跳ねる。クロロとジャックも表情を緩め、懐かしそうにしている。魔王はというと、久々に母親の姿を目にし、何も言わずじっとこちらを見つめていた。さすがに泣きはしないが、胸にくるものがあるのだろう。
「効力を三時間の妄想にしたから大して疲れてないし、それじゃあ続けてフェイラスさんの妄想をするね。昨日みたいに準備して、フェンリス」
「あ、あぁ」
名前を呼ばれて我に返った魔王は、昨日同様父親を頭の中に思い浮かべる。
私は昨日と同じ要領で妄想すると、効力だけを三時間に短縮して能力を発動させた。
「すご~い!先代様と姫様が揃ったぁ~!」
「どうですかえりさん。体への負担の方は」
「うん…。やっぱり軽い眩暈と頭痛はするかな。でも昨日と比べたら全然平気。倒れるほどじゃないから」
私はジャックに支えられながら答える。
どのくらいで体調が回復するかを検証したところ、五分で眩暈が治り、更にその十分後に頭痛が治った。
「大体十五分休めば問題なく動けますかね。逆算すると、作戦遂行の制限時間は余裕を持って二時間半ということですか。各戦場の幹部や星の戦士たちと協力し、なるべくスムーズに事が運ぶようにするしかないですね」
「そそ、それじゃあ、当日不自然に思われないよう、お二人でそれぞれ演技しながら会話をしてみましょうか」
「会話?……例えば何を話せばいい」
せっかくフェイラスの姿になっているというのに、魔王は昨日に引き続き仏頂面だった。
「えっと、世間話とか、何でもいいと思います」
困っているジャックの代わりに、私から話題を振って話し始めた。
それから二十分後。私と魔王はいつもの調子で言い合いになっていた。私が一度ダメ出しをした途端、一気に魔王の機嫌が急降下し、そこからはもう言い合い合戦になってしまったのである。
配下三人はため息をついて頭を抱えている。
「はぁ。…お二人とも、夫婦喧嘩はそろそろ終わりにしてください」
「「誰が夫婦だ!」」
「わぁ!すごい!ハモリましたよ!さすが先代様と姫君です」
本人は全く悪気のない一言だったようだが、私と魔王は揃ってジャックを睨みつけた。
「そのお姿だったら誰がどう見ても夫婦喧嘩にしか見えませんよ。実際のお二人は夫婦喧嘩などしたことはありませんが」
「いつも先代様が先に折れてたもんね」
「先代様の方が姫様にベタ惚れでしたから」
ヒートアップしていた私と魔王は一旦休戦にしてお互い息を整えた。
「はぁ~。フェンリスってばすぐ怒るんだもん。眉間に皺寄せるし」
「フン。俺のことばっかり指摘するが、お前も全然母上とは程遠いぞ。母上はお前と違って育ちがいいからな。所作や言葉遣いからして全然違う」
魔王は負けじと言い返してきたが、私はいつも彼がするようにそれを鼻で笑うと、ケルに向かって微笑みかけた。
「いらっしゃいケル。いつもみたいに久しぶりに頭を撫でてあげるわ」
「姫様!」
ケルは耳と尻尾をピンと立てた後、尻尾を激しく振りながら両手を広げる私に飛びついてきた。私はメリィの記憶で見た通り、リアナ姫の仕草を真似て優しくケルの頭を撫でた。
「少し見ない間に大きくなったわねぇ、ケル。キュリオともちゃんと仲良くしている?」
「む~。喧嘩は、してないよ。キュリオは相変わらず悪戯ばっかしてるけど」
「まぁ。それは困ったわね。キュリオはやんちゃさんだから、フェンリスを困らせないようにケルがよく見てあげてね」
「うんうん!ケルがちゃんと見張っておくよ!」
ケルは本当にリアナ姫と話しているように、嬉しそうに私の腰に抱きつく。私はケルをあやしながら、勝ち誇った目で魔王を振り返った。魔王は案の定口を開けて固まっている。
「これは驚きましたね。仕草も言葉遣いも姫様そのものです。何の違和感もありませんでしたよ。えりさんにしては上出来です」
「ちょっと!えりさんにしてはって何!?」
「これは失礼しました。誰しも取柄の一つや二つありますからね」
馬鹿にした満面の笑みを浮かべるクロロを私は睨みつける。夢から覚めたようなケルは、すごいすごいと私を褒めてくれた。
「妄想が得意ということは、すなわち、あらゆるシチュエーションを頭の中で想定できるということ。リアナ姫がどんな時にどんな行動を取り、どんな言葉を口にするのか。想定問答はバッチリなのだ!」
人差し指をビシッと突き付けてポーズを取ると、ジャックとケルがおぉ~っと歓声を上げながらパチパチ手を叩いた。
魔王だけが気まずい顔をしている。
「このままではどうやら、魔王様の方が足を引っ張ることになりそうですね」
「な、なんだと!?」
「さぁ、あなたも恥ずかしがってないで真面目にやって」
「だ、誰があなただ!!」
魔王は私の『あなた』呼ばわりに動揺していたが、私はお構いなしに続ける。
「まずは言葉遣いから。昔はそんな硬い喋り方をしていなかったでしょう。子供の頃みたいに少し砕けた喋り方をして」
「い、言われなくてもわかっている!」
魔王はそっぽを向いて距離を取ると、一旦クロロ相手に練習し始めた。
「どうしてフェンリスはあんな喋り方になっちゃったの?」
「た、確か、魔王に即位してからだと。まだお若いので、威厳をつけて軽んじられないようにするためだと思います」
「あぁ~。なるほど。確かに今の喋り方は偉そうだもんね」
その後効力が切れるまでの間スパルタ教育をしたが、結局ぎこちないまま終わった。
「も~。このままじゃ成功しないよ~。やっぱり母親相手に息子が旦那さん役やるのは無理だったかな。こうなったら代役立てる?」
「代役?」
元の姿に戻った魔王が不機嫌全開で口にした。
「ん~。剣が扱えるジークフリートとか」
「却下だ」
「どうしてよ~!挑戦してみたら意外と上手くいくかもしれないでしょ」
「俺意外ではそもそも暗黒剣を使えることができん。暗黒剣を使える者が絶対条件なのだ」
「暗黒剣って、フェイラスさんが使ってた見るからにヤバそうな剣だよね。変な鎖が纏わりついた」
私が記憶を頼りに言うと、実際にフェンリスが目の前に剣を召喚してくれる。赤黒く明滅を繰り返すその刀身を見るだけで、ものすごい力が宿っているのを感じられた。
「この剣には歴代の魔王の血と魔力が宿っている。代々魔王に受け継がれ、魔王にしか扱えない特別な剣だ。俺も父上が死ぬ前に譲り受けた。クロウリーたちを挑発をする際に、父が愛用していた暗黒剣を使わずに別の剣で戦っていたら不自然だろう」
「そりゃあ…、仰る通りだね。じゃあ必然的にフェンリスがやるしかないのかぁ」
私があからさまにガックリすると、魔王はますます不機嫌オーラを出した。参謀はまた喧嘩が勃発しないうちに、私たち二人を遠ざけた。
「それじゃあ続きはまた明日にしましょう。魔王様が本気を出せば明日には完璧にマスターできるはずです。ケル、えりさんを部屋まで送ってあげてください」
「はぁ~い」
私はケルと手を繋ぎ、今回の作戦に不安を感じながら部屋に戻るのだった。
次の日、作戦の打ち合わせも兼ねた演技の擦り合わせが終了した。前日クロロやジャックとかなり特訓したのか、何とか魔王はまともな演技ができるようにはなっていた。
「う~ん。あとは自然な笑顔とちゃんと目が合って話せれば完璧だね」
元の姿に戻った私は、机に肘をつきながら魔王を見て言う。会話中何故か微妙に目線が合わず、それが無性に気になるのだ。
(母親相手に目線を合わさないとは何て息子だ。今まさに思春期!?反抗期なのか!?)
私は責めるような視線を思わず送り続ける。
「魔王様は本番に強いお方ですから、あれだけできていれば作戦当日も大丈夫でしょう」
「さ、作戦決行は明日ですか?」
「いえ。ロイド王や各幹部たちに今回の作戦を通達して色々調整しますので、明後日にするつもりです」
クロロは手元の書類で各方面に伝達する事項を確認しながら答える。
「それにしてもお姉ちゃんが発案した今回の作戦はすごいね!よくこんなこと思いついたよ!」
「クロウリーの意表をつけて一気に戦局を変えられる妄想はないかなぁってずっと考えてたんだけど、メリィの記憶を見せてもらったらたまたま閃いちゃったんだよね。全部メリィのおかげだよ」
「えっと、メリィは当分目覚めないんでしたっけ」
ジャックはまだ書類に目を通しているクロロに訊ねる。クロロは一度書類から顔を上げると、モノクルに指を押し当てて言った。
「かなり過去のメモリーまで遡っていましたからね。記憶と情報の回路はもちろん、そこに接続されている回路も合わせてオーバーヒートしていまして…。私の手で一応メンテナンスをしておきましたが、当分起きないでしょうね。……ですが、魔王軍としては好都合かもしれません」
「好都合?どうして??」
ケルは椅子に座りながら足をブラブラさせて首を傾げる。身長がまだ低いので、会議室にある椅子に座ると当然のことながら足が床につかないのだ。
「口に出して言ってはいませんが、魔王様が内通者として疑っておられたのはメリィでしょう?」
「エェ!?そそ、そうなんですか!?」
初耳だったジャックとケルは揃って目を丸くして驚いている。魔王はもう隠す気はないようで、やっと自分の考えを口にしてくれた。
「あぁ。えりから話を聞いた時から怪しいと思っていたが、今回のことで確信した。メリィは俺たち魔王軍のために、自ら戦線を離脱した。オーバーヒートすることでな」
「え?どういうこと?全然わかんないんだけど!?最初から説明して」
私は上座で肘掛けに寄りかかって座る魔王にせがんだ。
「魔王城が襲われたあの日、メリィはお前にこう言ったのだろう。『自分はこれから買い出しがあるから』と。この城に住んでいるからお前も知ってるとは思うが、買い出しは本来クロロの配下が全て担当している。メリィが買い出しなどに行くはずがない。そもそもあいつには外出許可を与えたこともない」
「い、言われてみればそうだった…。メリィが城の外に出るところは今まで一度も見たことない」
メリィと話している時は全く疑問に思わなかったが、指摘されれば確かに不自然だった。
「メリィを怪しんでいた理由はそれだけじゃない。お前以外の全員は周知の事実だが、メリィは元々先々代の三つ目族の長が造り出した暗殺人形だ。現三つ目族の長はクロウリーだが、その前の前だな」
「み、三つ目族が造った人形…。なんかそう聞くと、一気に怪しさが増しちゃったんだけど」
「だろうな。だから俺も最初から少し疑惑は持っていた。いくら子供の頃からの付き合いだとしてもな」
魔王は一度説明を区切ると、メリィについての詳しい説明をクロロに丸投げした。慣れない演技練習で疲れているようだ。
「先々代の三つ目族の長は、他の三つ目族と違って機械に人一倍強い愛情を持っていたと聞いてます。下手したら同じ血の通った魔族よりも愛していたのではないかとも言われています。早い話が変人ですね」
「へぇ~。クロロと気が合いそうだね」
「……話を続ける前にえりさんの細胞でも採取しましょうか?」
「いえ!何も聞かなかったことにして進めてください!」
私はビクッと背筋を伸ばして手をお行儀よく膝の上に乗せる。まるで模範となる生徒のような態度を取った。
クロロは一度咳払いをすると話を続ける。
「その三つ目族の長は、愛するが故に従来の機械魔族のような性能を重視した機械魔族は一切造りませんでした。今よく目にする腹部にレーザーがついているやつや手に大きな武器を持ったやつとかですね。その代わり彼が世に生み出したのは、生きている人に似せて造った人形タイプです。正にメリィがそれで、その中でも彼女は最高傑作と言われています」
「す、少し前まではメリィの他にも人形タイプの機械魔族が結構いたんですよ。でも、メリィのような感情を持った者はいなかったですね。全然喋らなかったですし」
「そうなの?…人形、だから?」
私は自分の世界のロボットを思い浮かべる。技術の進歩でロボット産業も最近増えてきているが、AIが膨大な知識を蓄え、その知識を使ってあらかじめどう答えるか選択しているのだろう。逆に想定していないことを聞かれると返事は返ってこない。
漫画である便利な道具を出してくれるロボットは間違いなく感情を持つ者だろうが、現実では感情を持つロボットと出会ったことはなかった。それこそきちんとこちらの言ったことを理解し普通に会話ができるロボットに出会ったのはメリィが初めてだ。
(そもそも機械でできているロボットだって知らなかったし。見た目はマリオネットみたいな人形だからなぁ。まさかお腹や頭がそんな精巧な機械でできているとは思わなかったよ)
「先々代の三つ目族の長はある禁術を生み出したんです。その禁術によって、感情を持つはずのない機械が感情を持つようになった。今の長であるクロウリーも受け継いでいる術…。死んだ魂を直接機械に宿らせるものです」
「死んだ魂を、機械に宿らせる?え…?ちょっとよく、意味がわからない」
私は衝撃を受けすぎてとても理解が追いつかなかった。まず最初の死んだ魂の時点でついていけない。
「死者の魂を無理矢理自分の作った機械に定着させる禁術です。生身ではなくて、新たな機械の器を与えるんですよ。以前先代様に聞いた話だと、どうやら相性もあるらしく、器と相性が悪いと魂が宿っても喋ることもできず、感情も死んでしまうそうです。メリィは奇跡的に定着したんでしょう」
「え、てことは、メリィの魂は元々人間…かもしくは魔族のものってこと!?」
「そうなりますね。さすがに私も元の魂までは知りませんが」
私はもう驚き過ぎて口を半開きにしたまま間抜けな声を出してしまう。私以外のみんなはその事実を知っていたようで、私の驚く様をただ見ていた。
「………メリィの魂は元々、生まれてすぐに死んだ赤子の魂だ。それから時間を重ねながら、少しずつ機械の器の中で自我を成長させていった」
「エッ!?魔王様、メリィの魂の元をご存知だったんですか!?」
「あぁ。前に父上から聞いた」
この情報はみんなも初耳だったらしく、興味津々で魔王に訊ねる。
「ちなみにどこの種族の魂を使ったんですか?まさか人間の魂ではないでしょう。あのメリィの度胸と強さを考えると」
「そんなことを知ってどうする。後々付き合いにくくなるだけだぞ」
「む~?付き合いにくくなるってことは、……三つ目族?それとも魚人族?」
クロロとケルは揃って首を捻る。
ジャックは争いを好まない気の弱い性質なので、種族にはあまりこだわらないようだ。興味はあるが、特に知っても知らなくてもいいというスタンスだ。
「私も知りた~い!」
元気よく手を上げると、魔王が面倒くさそうに私を見て答えた。
「…メリィの魂は、父上の亡くなった妹にあたる人だ。生まれて一か月も経たんうちに死んだらしい」
「「「エェッ!?先代様の妹!?!?」」」
クロロ、ケル、ジャックが声をハモらせて叫んだ。私も驚きはしたのだが、三人の声に簡単に掻き消されてしまった。
「ホントホント?メリィって先代様の妹君だったの?」
「なるほど。確かに知ってしまうと接し方が変わってきますね。まさか魔王様と同じ種族の方とは。胆が据わっているはずです」
ケルは飛び跳ねながら魔王の椅子まで行くと、肯定する魔王に頭を撫でてもらっていた。
私はというと、心の中である事実と勘違いにぶち当たっていた。
(メリィがフェンリスのお父さんの妹ということは、フェンリスの叔母ってことじゃん!いつもいつもフェンリスの世話を甲斐甲斐しくして、あのツン要素の強いメリィにしては愛情を持って接しているなとは思ってたけど、まさか叔母だなんて!私が恋バナをするといつも顔を赤らめて全力で否定してたけど、そういうことだったのか!大事な甥っ子として心配してたってこと!?)
私は夢を壊されたような、勝手に突っ走っていた自分が悪いような微妙な気持ちになった。
(だってケルちゃんが最初にメリィがフェンリスのこと大好きって言ったから。いやまぁ、実際甥っ子大好きで間違いないけどさ。…でも、まだ本人に直接確かめてないし。叶わぬ恋だとしても、本気で甥っ子のフェンリスのことがライクじゃなくてラブかもしれないし!その時は応援してあげよう!)
私は一人勝手に妄想を膨らませていくと、恋の応援団長を決意するのだった。
みんなが落ち着いたところで、かなり脱線した話をクロロは元に戻した。
「結局メリィ以外はあまり魂が定着せず、メンテナンス事態も大変なので次第に個体数が減っていったんです。今では人形タイプの機械魔族はメリィしかいません。きっとメリィの魂が上手く定着したのは赤子の魂だったからなのかもしれませんね。真っ白でまだ何にも染まっていない魂のほうが、拒絶が少なそうですから。……長くなりましたが、そういうわけでメリィのことは前々から注視していたということです。三つ目族が生み出したものですから、クロウリーが何か細工をしてメリィを操る可能性もゼロではありませんから」
私は合点がいったと深く頷いた。
私が納得する傍ら、ジャックは魂話にまだ食いついていた。
「せせ、先代様はよく妹君の魂を提供しましたね。メリィの見た目は可愛らしいけど、一応機械の体だし、抵抗はなかったんでしょうか」
「俺もその件については深く聞かなかった。だが……、どんな形でもいいから救いたかったのかもしれんな」
魔王の言葉に、みんなしんみりとして押し黙った。機械の体になったとしても大事な人に生きていてほしい。別れが辛ければ辛いほど、人はそう考えるかもしれない。
会議室の雰囲気が自然と悲し気な空気になっていくので、私は明るい空気にしようとガラッと話を変えた。
「そういえばフェンリスの好物ってプリンだったんだね!私作り方見て覚えたから、今度作ってあげるね!」
「!?……お前、まだ詳しく聞いていなかったが、どこまで知っている。場合によっては記憶がなくなるようにクロロに薬を作ってもらわねばならん」
「薬!?何怖いこと言ってんの!?いーじゃん別に。小さい頃のフェンリスは生意気じゃなくて可愛かったよ。記憶を消すほどの醜態とか見てないから」
私の可愛い発言に、魔王はゆらっと立ち上がると、私の両頬目がけて手を伸ばしてきた。すかさず私は頬をガードして全速力で逃げ回る。
「待てえり!逃げるな!記憶を消す前にその両頬を引き千切る!」
「イヤァ!ついに引き千切るって言った!あんな可愛い子がこんな凶暴になるなんて詐欺だ!」
「ッ!?その可愛い発言をやめろ!存在ごと消されたいのか!」
「イヤです~!クリームたっぷりのプリン作ってあげるから許して!」
「ぷ、プリンなど好物ではない!昔の話だろ!そんなものに釣られるか!」
私と魔王は会議室の長机を反時計回りにぐるぐる追いかけっこを繰り広げる。私たち二人のやり取りを、またも配下の三人は夫婦喧嘩のような暖かい目で見守っている。
「えぇ!?じゃあもうプリン好きじゃないの?」
「……別に嫌いとは言っていない」
(その反応、絶対大好きなやつじゃん!)
素直じゃない彼の反応に私は思わず笑う。
それから当然のことながら私の体力が先に尽き、後ろから捕獲された私は両頬をガードする手の甲をつねられた。
「全く。メリィは目覚めたら仕置きが必要だな。勝手に人の過去を見せた罰だ」
「もう~。そのおかげで今回の作戦が実行に移せるんだから、むしろメリィに感謝しなきゃなんだよ」
「ほう。だったらお前が代わりに仕置きを受けるか。手始めにクロロの薬を飲んでもらおうか。クロロ、記憶を消す薬を用意しろ」
「記憶を消す薬、ですか?う~ん。ピンポイントでその過去の記憶を消すのは難しいかと」
クロロが真面目に魔王に受け答えするので、私は全力でもがく。
「だから記憶消すのは無しだってばぁ!」
「フン!ならば今度貴様の能力で貴様の過去を見せてもらおうか!俺の時と同様子供の頃からな!そうすれば対等だろう」
「エェ!?それはちょっと…!恥ずかしいから…!」
「クロロ、薬をよこせ」
「わーわー!わかったよぉ!見せればいいんでしょう!見せれば!世界が平和になったらね!」
仕方なく私が降参すると、みんなが私の子供の頃を見るのは楽しみだとはしゃいでいた。何故か魔王だけでなく全員で観賞することになっているらしい。
私は肩をがっくり落とすと、走り疲れた体を休めるために椅子に座って机に突っ伏すのだった。




