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第三幕・魔王編 第一話 度重なる裏切り

 夢を見ないほど深い眠りに落ちている私に、誰かがそっと手を触れる。始めは手の甲で頬に軽く触れていたが、それはやがて手の平全体に変わっていく。そして頬に手を添えていたかと思ったら、あろうことかその人物は何を思ったのか私の頬を思い切り引っ張り始めたのだ。いくら深い眠りに落ちていようとも、容赦なく引っ張るその悪意が続けば嫌でも目が覚めるというもの。

 私の意識は無理矢理覚醒され、重い瞼を開いて憎き犯人の姿を捕らえた。

「ようやく目覚めたか寝坊助が。一体いつまで寝ているつもりだ」

「………ひゃっぱりアンタか。犯人は。わたひの頬を引っ張るのはフェンリフしかいないもんね」

 恨めしそうに睨む私を鼻で笑い、魔王はようやく私の頬から手を放した。

 私は寝かされていたベッドからゆっくり体を起こすと、キョロキョロと辺りを見渡す。見たことがない広い部屋で、置かれている調度品は全て高価そうだった。今まで寝ていたベッドもダブルベッドで、とても寝心地の良い高級品だ。

 私は額に巻かれている包帯に気づき、手で触りながらベッドの上に腰掛ける魔王に問いかけた。

「ここ、魔王城だよね?」

「あぁ、俺の部屋だ。メリィに怪我の手当てをさせ、最も結界の強固な俺の部屋を提供してやっていたんだ。有り難く思えよ」

 魔王の部屋と聞き、私は目を瞬かせる。お城を探検した時にケルに魔王の部屋に案内されたことはあるが、実際部屋の中に入ったのは初めてだ。アンティークや大きな本棚が置いてあり、とても落ち着いた雰囲気の部屋だった。

(まさかフェンリスの部屋だったとは。…ということは、今まで寝ていたこのベッドもフェンリスのベッド!)

 私は何となく気恥ずかしくなり、目を逸らしながら謝罪する。

「ご、ごめん。どれくらい寝てたのか知らないけど、ずっとフェンリスのベッド占領してたんだね」

「ん?あぁ。どうせ寝る暇などなかったから別に構わん。貴様がのん気に寝ている間に戦局が大きく動いたのでな」

「…別にこっちも好きでのん気に寝てたわけじゃないんだけどね。……というか、私どうして寝てたんだっけ。確か~、魔王城が襲撃にあって…」

 私が目を閉じて記憶を掘り起こそうとしているのを見て、魔王が少し眉間に皺を寄せる。問題なく会話ができていたので、今まで怪我の具合は大したことないと思っていたのかもしれない。彼は私が自分で思い出せるまで口を出さずに待ってくれる。

「そうそう。おじいちゃんたちがサラマンダーの攻撃を喰らってピンチになってたから助けようとしたんだ。そしたら途中でフォードに会って、話している間にサラマンダー本人がやって来て……。逃げられそうもないから戦ったんだけど、結局負けちゃって城から落っこちちゃったんだ」

「フン。記憶のほうは問題ないようだな。…それにしても、お前なんかがサラマンダーに勝てるはずがないだろう。犬死する気か」

「しょうがないでしょう!あんなやる気満々の彼女を前にして背中向けて逃げられるはずないじゃん!魔王とやり合った後でメチャクチャ好戦的だったし」

 私はあの時のサラマンダーを思い出して今更ながら身震いする。あのドラゴンブレスは二度と喰らいたくない。

「群がる竜人族を蹴散らして城の崩壊場所に行ったら、お前が間抜けに落ちていくのを見てな。俺が拾ってやらなかったら今頃あの世で目覚めていたぞ。感謝するんだな」

「間抜けにって…。私なりにメチャクチャ頑張って戦った結果なんですけど。まぁ、ありがとう。フェンリス」

 私が素直に礼を言うと、魔王は少しだけ表情を柔らかくしてから立ち上がった。

「昨日、当初の予定通り星の戦士たちとの同盟を世界に公表した。これから連携して敵対勢力にあたるため、まずは我が軍内でこの後軍議を開く予定だ。でもその前に、確実に白であるお前に話が聞きたくてな」

「…白?」

 魔王は首を傾げる私を見ると、頭に巻いている包帯が気になったようで、包帯を取るよう言ってきた。落下中に瓦礫に頭をぶつけて軽く出血していたそうだが、ジャックの薬でもう治っているので問題ないと言う。

 私がクルクルと包帯を外している間に、魔王が詳しい理由を話す。

「今回星の戦士たちと手を組むことを決めたのは、お前と共にスターガーデンに行った時だ。そこでロイド王と作戦決行の日取りを決め、クロロを通じて各主要幹部に連絡した。幹部級の者以外、そもそも人間と手を組むこと自体知らかなったはず。となると、先の魔王城を襲撃したサラマンダー軍に情報を漏らした者は、身内の幹部級の者になる。…まぁ、もっと正確に言うなら、サラマンダーに情報を伝えたのはクロウリーだが、そのクロウリーに情報を漏らした内通者がいるということだな」

「…やっぱり内通者が。私もおかしいと思ったんだよね。タイミングが良すぎるもん。カイトたちと大っぴらに手を組むって発表する前日に城が襲撃されるなんて。サラマンダーもクロウリーから有益な情報をもらってるって言ってたし。クロウリー側に情報が筒抜けなのは間違いないと思う」

 魔王は厳しい顔つきになると、腕を組みながら私にあの日の記憶を振り返らせた。

「あの襲撃があった日、お前はケルと共にいたな。何か思い返して気になることはなかったか。いつもと違う行動を取っていた奴とか。一応クロロとケルベロスには訊いたんだが、念のためお前からも話を聞きたい。星の戦士で異世界から来たお前ならば確実に内通者ではないからな。情報操作される心配もない」

「あぁ、だからさっき私のことを白って。…でも、さすがにクロロやケルベロスだって内通者ではないでしょ。あの二人がクロウリーと通じてるなんて考えられないよ。クロロに至っては参謀だし。参謀が裏切ってたらもう詰みでしょ魔王軍」

「俺もあの二人は白だと思っているが、一度は全て疑ってかからねばならん。魔王軍だけでなく、今や同盟を組んだ星の戦士たちの命運にも関わってくる事案だからな。早急に内通者を特定せねば」

 深刻に捉えている魔王を見ながら、私は取り終わった包帯をクルクル巻いて片付ける。

(戦国時代でもよく内通者とかいたからなぁ。調略で寝返るとかあるあるだし。現代でもスパイ漫画とか映画とかあって珍しいことではないけど、私のよく知る幹部級の人たちの中にいるってことだよね。それはちょっと…、疑いたくないなぁ)

 私は何とも言えない気持ちになる。

(もし親しい人に裏切られたら、私でもショックを受けるくらいなのに、フェンリスが知ったらショックどころじゃないよねきっと)

 布団を握りしめて唸っていると、魔王が襲撃のあった日について時系列順に話すよう促してきたので、私は視線を斜め上に向けながら記憶を遡った。

 午前中はレオンと共にアトリエで過ごし、その後ジャックと短い言葉を交わした後に昼食を取った。その後メリィに用事を頼まれ、西の庭園でアマナンを収穫。作業中にジークフリート、収穫後にドラキュリオとおじいちゃんと会話。夕食を取る前にクロロと会い、魔王とドラキュリオの仲裁を依頼。そして寝る前に魔王と会話をしたのが最後だ。

 魔王は一通りその日のやり取りを聞くと、しばらく考え込んでから二つだけ質問をしてきた。

「その日、サキュアには会っていないんだな。見かけてもいない」

「ん?うん。サキュアには会わなかったね。向こうも私を見かけたら必ずいつも嫌味を言いに絡んでくるはずだから、いたら絶対わかると思うよ」

「そうか。じゃあもう一つだけ確認したい。メリィはお前にこう言ったんだな。自分はこれから買い出しがあると」

 硬い声音で真剣な表情で訊いてくる魔王に、私は慎重に頷き返した。

 そうか、と呟いた彼の瞳には哀しみが宿っており、私の心臓は嫌な音を立てて鳴った。

(え……。嘘でしょ、まさか…。メリィが内通者とか言うんじゃないよね…?ないない!だってメリィは魔王のことが好きなんだし!魔王のことを裏切るはずないじゃん!)

 心臓の鼓動が早くなり、私は嫌な想像を頭を振って振り払う。

 魔王は聞きたいことは聞き終えたというように、重い足取りでゆっくり部屋の出口へと向かう。

「ま、待ってフェンリス!もしかして、メリィが内通者だと思ってるの?そんなの絶対あり得ないって!あの日はメリィもボロボロになりながら戦ってたし、私の怪我の手当てだって彼女がしてくれたんでしょう。何より……、メリィはフェンリスのことを本当に大事に思ってるよ」

「…………」

 魔王は眉間に皺を寄せて辛そうに表情を歪める。私はそんな彼をじっと見つめていたが、マントを翻すと彼は再び扉へと歩き出してしまう。

「フェンリス…」

「……まだ確信は持っていない。が、用心するに越したことはない」

 ドアノブに手を掛けた魔王はこちらを振り返らずに喋る。

「さっきも言ったが、この部屋は一番結界が強い。体の調子が戻るまではここにいろ。くれぐれも一人で出歩くな。食事はメリィに用意させるが、絶対に部屋の中には入れるなよ。分かったな?」

 有無を言わさぬ勢いで私に言い聞かせると、魔王は部屋から出て行った。

 一人部屋に残された私は、ふかふかのベッドにまた倒れ込んだ。心の中に広がる疑心が胸を締め付けていく。

(そんな、嘘だよ……。メリィが裏切るなんて。いつも口調は冷たいけど、それでも仲良くなったんだもん。メリィが裏切るような人には見えない)

 私は布団を目深に被ると、これ以上嫌なことを考えないよう無理矢理思考を中断させて再び眠りにつくのだった。




 魔王城の作戦会議室に、七天魔と主要幹部が集まっていた。昨日星の戦士との同盟が世界に公表され、これから本格的に連携して動き始める。今日の集まりは軍の配置と今後の作戦について話し合うためだ。

「ねぇねぇ、魔王様はまだ来ないの~?ボク飽きてきちゃったんだけど~」

「飽きてきたってオメェ、今さっき来たところだろう。俺たちは時間通りにもっと前から集まってるが」

 獣人族の長レオンは、遅刻してきた我儘な吸血鬼の王子を呆れた様子で見る。

「いつも当然の如く遅れてみんなを待たせているんだから、たまには待つのも良い経験だと思うよ」

「何が良い経験だヨ!ていうか、今日はケルベロスたちも参加するんだ」

 ドラキュリオはレオンの隣に座るケルベロスを見る。

 今作戦会議室にいるのは、七天魔のドラキュリオ、レオン、ジャック、クロロ、幹部クラスのジークフリート、老魔法使い、ケルベロスだ。他の七天魔のネプチューンとサラマンダー、もちろんクロウリーはいない。

「戦局が大きく動いたから、僕たちも今回は話に参加するよ。魔王軍にとって、一番重要な局面だからね」

 この面子では一番最年少なケルベロスだが、クロロの次に一番しっかりしているだろう。レオンは頼りにしているぞ、と言って肩をポンッと叩いた。

「それで、肝心の魔王様はボクたちを待たせてどこで何してる訳~?」

「えりさんの様子を見に行くと言っていましたが。サラマンダーとの一戦以後、彼女はまだ意識を取り戻していませんから。口には出していませんが心配なのでしょう」

「えりちゃんのところ!?エェ~!ズル~イ!だったらボクも今会いに行ってくる!ボクの愛のパワーで目覚めさせてあげるから」

 ドラキュリオは周りの制止を聞かずに会議室から出ようとする。こういう時だけ彼は行動が早い。

 ドアノブに手を掛けようとした直後、外から扉を開けて魔王が入って来た。寸でのところでドラキュリオは扉の直撃を避ける。

「……そんなところで何をしているドラキュリオ。どこに行こうとしていた」

「え、えっと~、えりちゃんのところ☆」

 下をペロッと出すドラキュリオに、魔王は容赦なく拳骨を喰らわせた。

「イタ~!殴ることないでしょ!自分はえりちゃんに会ってきたくせにぃ!ボクもえりちゃんに会いたい!」

「もうそこまで心配する必要はない。あいつならさっき目を覚ました。記憶もしっかりしていて会話も問題ない」

「本当!?良かったぁ!なら尚更会いに行かないと」

 会議室から出て行こうとするドラキュリオのマントを引っ掴むと、魔王はそのまま隣の席に位置するジャックに面倒を任せる。ジャックはおろおろしつつも、植物を駆使して椅子にドラキュリオを縛り付けた。

 魔王は会議室の一段高い場所に座ると、蔦でぐるぐる巻きにされて抗議の声を上げるドラキュリオを無視して早速会議を始めた。

「待たせて悪かったなお前たち。……やはりサラマンダーは招集に応じなかったか」

 魔王は会議室を見渡して顔ぶれを確認する。

「…ネプチューンはどうした。何故いない」

「それが、ネプチューンも招集に応じず。先ほど念話で出席するよう求めたのですが、星の戦士たちと手を組むなど聞いていない。今更弱い人間と手を組んでどうする、の一点張りで。とても会話になりませんでした。あの調子ではこれからもヤマトの国を攻めるでしょうね」

「フォッフォッフォ。ちなみにそれを聞いて儂がさっき確認してきたところ、ネプチューン軍はすでにもう今ヤマトの国を攻めてる最中じゃったぞ」

「なんだと!?」

 魔王は驚きに目を見開くと、怒りで青筋を浮かび上がらせる。

「じいよ。それなら何故力ずくで黙らせてネプチューンを連れて来ない。もう人間たちとは手を組んでいるのだぞ。人間側に不審を抱かれるではないか」

「そうは言ってものう。儂一人でネプチューン軍全軍を相手にするのは酷じゃぞ。一応軽く加勢して、隠密殿様には命令違反で暴走しておると伝えてある。とりあえずいきなり同盟破棄はされんじゃろう」

 老魔法使いのフォローを聞いても、魔王の怒りの形相は晴れなかった。

 会議が始まって早々魔王の機嫌が最悪になってしまったが、それに構わず古参のレオンは進言する。

「魔王様よぉ、ネプチューンの肩を持つ訳じゃねぇが、俺も星の戦士と手を組むことにまだ納得してねぇぞ。人間どもはリアナ姫の仇だろう。なんでその仇と手を組むんだ。仇と手を組んだらそもそもこれから誰と戦うんだよ」

 一切事情を知らないレオンは、ネプチューンと同様の考えを示した。声音や口調から魔王を責めている訳ではないようだが、納得のいく説明をしなければ同意できないという強い意志は感じられる。

「ここにいる中で何にも事情を知らされていないのが俺とジャックだけって言うのも気に入らねぇ。まぁ、面子を見ればなんとなくわかるがな。教育係に守り役、忠臣に遊び友達。昔から自分と近しい者にだけ相談していたか。あのドラキュリオより信用されてないってのはちょっとショックだったぜ」

「ちょっとぉ~!それってどういう意味!?ボクは昔っから魔王様の良き兄貴分ですけど!?こう見えてメチャクチャ信頼度高いんだから!」

 どこか自慢げに言うドラキュリオに、魔王本人はもちろんケルベロスやレオンは呆れ顔だ。

「誰が良き兄貴分だって?兄らしく振る舞ってもらった記憶などないが」

「いつも魔王様に迷惑しかかけていない問題児がよく言うね」

「どうせお前が事前に知らされていたのは腐れ縁のよしみだろう。キュリオに話すぐらいだったら俺にも言っておいてほしかったぜ」

「そんなよってたかってボッコボコに言わなくたって。ジャックはボクの味方だよネ?」

 縋るような目で見つめられ、隣の席のジャックはとりあえずコクコク頷いた。

 ジャックがドラキュリオを慰めている間に、魔王はレオンにこれまでの経緯を説明した。先代魔王から聞いたリアナ姫の死の真相。クロウリーと星の戦士ガイゼルの共謀。二人の野望について。

 全ての話を聞き終えたレオンは、腕を組んで毛並みを逆立てていた。

「クロウリーの野郎。まさか魔王の座を狙っていやがったとはな。そのせいであの優しい姫さんが犠牲になったとは…!どうして今の今までこんな大事な事黙ってやがったんだ!もっと早く知らせてくれていれば、俺とジャックだって色々協力したぜ」

「…説明の途中でも言ったが、どこまでクロウリーの息がかかっているか分からなかったからな。奴は精神魔法が得意で洗脳されている魔族もいる。下手に情報を持つ者を増やしたくなかったのだ。現に今回星の戦士たちと手を組む作戦の前日、魔王城は襲撃された。サラマンダーはクロウリーから情報を得たと言っていたから、奴に情報を流した者が身内にいることは明白だ」

「だからってよぉ…」

 古参で先代魔王とも親しく、一緒に戦場を駆け抜けていたレオンは、先代魔王とリアナ姫への思い入れが強い。初めて死の真相を知らされ、今まで故意に知らされなかった事実に納得がいなかないようだ。

「まさかケルの奴まで俺に黙ってるなんてな。族長としてショックだぜ」

「申し訳ありませんレオン様。ケルには僕と魔王様からくれぐれも黙っておくよう釘を刺しておいたので」

 耳をへにょんと垂れさせてケルベロスは謝罪する。

 レオンは最後まで納得がいかない様子だったが、これ以上時間を費やしても無駄なので話を進めるよう魔王を促した。


「これから魔王軍が目指すべきものは二つ。母上と父上の仇であるクロウリーの討伐。そしてクロウリーの協力者である人間側の裏切者ガイゼルの排除。こちらは同盟を結んだ星の戦士主体に行う予定だ。うちはあくまでクロウリー優先でいく」

「今朝入った私の眷属からの報告では、クロウリーは今ガイゼルと共にいるようですね。王都シャドニクスを見張っていたところ、クロウリーが空間転移してきた痕跡があったそうです」

 魔王の説明を引き継ぎ、参謀クロロが具体的な話を進めていく。

「それを踏まえ、明日以降の軍の配置をこれから説明させていただきます。まずガイゼルとクロウリー連合軍がいるアレキミルドレア国には、レオン軍とジークフリート。同盟軍からはユグリナ騎士団と星の戦士のリーダー、聖女が派遣予定です。ケルベロスもレオンに同行してください」

「うし!大本命の戦場だな!このレオン様自らクロウリーの首を討ち取ってやらぁ!」

 力こぶを出して毛皮に包まれた太い丸太のような腕を見せつけたレオンは、牙を剥き出しにしてやる気を漲らせた。高揚する族長とは対照的に、叡智のケルベロスは冷静に戦力分析をする。

「ガイゼルの強制武装解除があるので、基本的にはいつも通り肉弾戦ですね。ただ、クロウリーの加勢があることを考えると、魔法攻撃にも十分注意を払わなければ。僕たち獣人族は魔法耐性が高くありませんから、精神魔法を喰らったら一気に形勢が不利になることも予想されます。輪光の騎士の浄化能力があるとはいえ、単純なゴリ押しだけで攻めるのは止めたほうがいいかと。今回はある程度作戦を立てるべきでしょうね」

 テンションが上がりかけていたレオンだったが、ケルベロスの冷静で的確な分析を聞いてすぐに高揚感は萎んでしまった。

 戦闘に関しては豪快で大雑把なレオンは、普段から特に作戦などは立てずに戦っている。作戦を立案して戦うようになったのは、ケルベロスが戦場に立つようになったここ最近だ。今はケルベロスが作戦を立てて戦うほうが良いと判断した時だけ作戦を立てて戦っている。

 難しいことを考えずに本能の赴くままに戦うほうが性に合っているレオンは、作戦と聞いてすっかり大人しくなってしまった。しかし、被害を抑えるうえでは仕方のない事だ。

 ジークフリートにレオン軍の補佐を依頼したクロロは、次の戦場の説明に移る。

「次に城を襲撃して来たサラマンダー軍ですが、現在は再びマシックリック近郊に陣取っており、星の戦士フォード率いる空賊団が交戦中です。ここの戦場は数年前から膠着状態なのであまり心配はしていません。星の戦士の神の子が援軍に来る予定にもなっています。ただ、先日城を襲撃されたばかりなので、私が一応援軍がてらサラマンダーの様子を見てきます。緊急性がないようでしたらしばらく放置で大丈夫でしょう」

「緊急性があった場合どうするのだ?」

 常に最悪を想定して動くジークフリートは参謀に疑問を投げかける。

「空賊が蹴散らされマシックリックに危険が及びそうな場合、早急におじいさんを援軍に派遣する予定です」

「む。儂か。できることなら竜人族の相手はしたくないのう。戦闘狂に付き合っていたら夜通しでも戦い続けさせられそうじゃ」

 老魔法使いは白い髭を撫でるとフードの奥で唸る。魔王はそれを鼻で笑うと、意地悪な笑みを浮かべて幼き頃からの守り役を顎で使う。

「フン。その時はせいぜい昼夜問わず戦い続けろ。この間の襲撃ですでに俺は散々奴らの相手をしたからな。サラマンダーはもちろん、配下の連中どもも疲れ知らずだ。あれほど戦いに目をギラつかせる連中は竜人族しかいまい」

「そう聞くとますます嫌なんじゃが。儂だってこの間相当戦ったぞ。確かに魔王様のほうが囲まれてブチ切れながら暴れておったが」

「ボクも見た見た~。魔法陣使ってボク結構後から来たんだけど、それでも魔王様ずぅ~っと竜人族相手に暴れてたよネ。珍しく元気だなぁって思ったんだ。普段ボクとやり合う時は怒ってても適当に切り上げるのに」

 ジャックに慰められて復活したドラキュリオが会話に混ざってきた。もう逃走する意思がないようなので、植物による蔦の拘束は解かれている。

「あぁ、それはお嬢ちゃんが怪我をして意識がなかったからじゃろ。あの時はすごく心配しておったからのう。それがそのまま怒りとなって竜人族にぶつけられたんじゃ」

「あ、そうだったの?へぇ~。普段はえりちゃんに魔王らしく振る舞って鋭く睨んだり意地悪言ったりしてるのに、何だかんだ魔王様もえりちゃんのこと気に入ってるんだぁ~」

 ドラキュリオはニヤニヤ笑って冷やかすように言う。その場にいる幹部全員が心の中で呆れたため息を吐き、煽られた魔王は眉をピクピクさせて怒りが爆発するのを寸でのところで抑えていた。

「どうやら貴様は戦場に赴く前に今ここで死にたいようだな。貴重な戦力が失われるのは避けたいところだが致し方ない。ドラキュリオ亡き跡はまたドラキュロスに現場復帰してもらおう」

「ちょちょ!?ボクを殺して親父を七天魔に復帰させるなんてヒドイ!そもそも親父は今傷心旅行中で行方不明だから見つからないヨ」

「じいにかかれば一日足らずで見つかるわ。さぁ、最期に何か言い残すことはあるか」

「………ごめんなさい。真面目に会議に参加します」

「分かればいい。……念のため否定しておくが、俺は別にじいの言うように女が傷つけられたから暴れていたわけではない。この俺に喧嘩を売り、代々受け継ぐ魔王城を破壊されたから虫の居所が悪くなっただけだ。断じて女は関係ない」

 念を押すように言う魔王に、幹部たちは何も言わず納得した振りをした。だが彼の分かり易すぎる反応に、全員が保護者のような暖かい目で魔王を見ていた。

 見た目は十分ドラキュリオやケルベロスより成長しているが、実は二人より魔王は年下だ。体の成長スピードは人間の血が色濃く出たようで、寿命の長さに反して体の成長スピードが速かったのだ。

 全員が幼い頃から知っているので、たとえ魔王と言えどついつい保護者のような目線になってしまう時がある。

 クロロは一つ咳払いをすると、気を取り直して軍の配置について話を進めた。

「では、サラマンダー軍は私が様子を見てきます。次に命令違反をしてヤマトの国を攻め続けているネプチューン軍ですが、こちらも今すぐに援軍を出す予定はありません。我々の目的はあくまでクロウリーとガイゼル討伐ですので、あちらの戦場を優先します。ヤマトの兵の被害が拡大するようでしたら、途中ジークフリートを派遣する予定ですので、そのつもりでいてください」

「了解した」

「ジャック軍とドラキュリオ軍両軍は、協力して魔界の治安維持をお願いします。実は星の戦士との同盟を発表した直後から、魔界のあちこちでいざこざが起きています。私の配下からの報告によりますと、どうやら裏でクロウリーが糸を引いているようです。洗脳されている者がちらほらいるようで、その者が中心となって他種族の領域に攻め込んでいます」

「本来領域の治安維持は各領域の七天魔が行うものだが、戦争中の今、そんなことをしている余裕はない。ドラキュリオとジャックで協力して各領域を見回り、魔界が荒れないよう上手く治めてくれ」

 ジャックは魔王に頷いてみせたが、ドラキュリオは戦場派遣じゃないと知り少し不満そうだった。戦場だったら目の前の敵を相手にすれば済む話だが、魔界の治安維持となると勝手が違う。未然に争いが起きないよう巡回をしたり、いち早く現場に駆け付け鎮圧して被害が広がるのを防ぐ任務だ。戦場と比べると情報収集をして頭を使うことになる。

 ドラキュリオはレオンを羨みながら渋々了承した。

「それで、最後に一つ気がかりなことがありまして…」

 クロロの視線を受け、魔王は一つ頷いてから口を開いた。

「実は戦場に待機させていたサキュアと音信不通になってな」

「音信不通!?サキュアと?サキュアって確か星の戦士の踊り子と戦ってたよネ?同盟を結んだからもうあそこの戦場は撤退していいんじゃないの」

「はい。そのつもりでもう何度か伝令を送っているんですが、未だに撤退の気配がありません。それどころか誰一人伝令に出た者が戻って来ていなくて」

「なんだってぇ!?それはちとマズイんじゃねぇか。……まさかサキュアの奴もサラマンダー同様裏切ったんじゃ」

 裏切りというレオンの一言に、その場が緊迫した空気に包まれる。

 重苦しい雰囲気の中、元上司であるドラキュリオはすかさずかつての部下を庇った。

「ちょっと待って!サキュアが魔王様を裏切るなんてあり得ないヨ。顔を合わせる度に付きまとうほど魔王様のことが大好きなんだから。きっと何かあったんだよ」

「何かって何だよ。洗脳でもされたかぁ?でも悪魔族は精神系魔法の耐性が高いだろう。そう簡単に洗脳はされねぇと思うがな」

「あ、あ、あの、伝令を出してもダメなら、念話で直接話してみてはどうでしょう」

 遠慮がちに提案するジャックに、その手があるじゃん、とドラキュリオが声を弾ませる。しかしすぐに老魔法使いが首を横に振った。

「魔王様に頼まれてすでに念話は試した。儂と魔王様、クロロの三人で念話を試みたが、誰もサキュアに繋げなかった。何かに妨害されているようでのう」

「何かに妨害されてるんだったら絶対サキュアは無実じゃん!裏切ってなんかないよ!何とかして助けなきゃ!今サキュアはどうしてるの?」

「報告によると、今日も撤退を無視してメルフィナ軍と戦っていますね。このままではせっかく結んだ同盟も危ういです。サラマンダーやネプチューンに続き、ここでも魔王軍が暴れているんですから」

「じい。サキュアの戦場に直接様子を確かめてこい。もし洗脳されていたとしても、じいだったら魔法を解くことができるだろう」

「本当に洗脳されていたら、の。まぁ、とりあえず探ってみるわい。踊り子に最近のサキュアの様子を聞いてみるのもいいしの」

 サキュアの件に関しては、ひとまず老魔法使いを派遣することで様子を見ることになった。

 一通り軍の配置説明と情報共有が済み、皆の視線が自然と魔王に集まる。魔王は椅子から立ち上がると、全員を見渡してから声を発する。

「約七年かかったが、ようやくここまで来た。後はクロウリーを追い詰めてその首を討ち取るだけだ。だが、相手も大っぴらに動き始めたということは、向こうの準備も整っているということ。ここからは一瞬の隙も許されん。後手に回ったほうが最後に負ける」

 ずっと前から簡単に尻尾を掴ませなかった、用意周到で狡猾な男クロウリー。厳しい戦いになるのは目に見えていた。

「ハーフである俺を蹴落とし魔王の座に納まるつもりらしいが、そう簡単にやられるつもりはない。父から受け継ぎ規模の大きい魔王軍だが、情けない話俺が信じられる者は限られているのが現実だ。ここにいるお前たちは背中を預けられる者だと思っている。魔界の平和とクロウリー打倒のため、お前たちの力を貸してくれ」

「へっ!そうやって最初から頼ってくれれば良かったのによ!こっからは隠し事はなしだぜ魔王様!この豪爪のレオンがいくらでも力になってやるからよ!」

「ああ、争い事は苦手ですが、怪我人の手当てとか、できる限り頑張ります」

 レオンとジャックは笑顔で答える。

「クロウリーを討ち果たすためなら、いくらでも魔王様の剣となり盾となりましょう」

「僕らは何があろうと最後まで魔王様の味方です。必ずや魔界に平和を取り戻しましょう」

「たまには可愛い弟分のために、本気を出して頑張っちゃおうかな~☆」

「たまには、じゃなくていつも真面目に全力で取り組んでよ」

 ケルベロスは間髪入れずにドラキュリオにツッコむ。二人が言い合いをしている間にクロロと老魔法使いが魔王に言葉をかける。

「参謀として、勝利を迎えるその瞬間までお支え致します」

「ジジイは労わってほしいところじゃが、こんな状況じゃそうは言っていられんからのう。困った時は儂を頼っていいぞ。フォッフォッフォ」

「あぁ。じいは容赦なくこき使う予定だからそのつもりでな」

「フォ?…前言撤回しようかのう」

 老魔法使いがぼやく中、魔王は会議を終了させた。解散して各自自分の持ち場へと移動していく。こうして同盟軍対反乱軍の本格的な戦争が始まった。




 次の日の朝。私は魔王が部屋を去ってから結局次の日の朝まで眠り続けてしまった。やはり無理矢理起こされただけで、体は完全に回復していなかったようだ。今回は自然と目が覚めたので気分が良い。

「んぅ~。よく寝た。昨日の目覚めは最悪だったからなぁ」

 私はベッドから出て体をほぐした。すると、大きな音を立ててお腹が鳴った。二日も食事を摂っていないので体が食べ物を欲している。

「そう言えばメリィに食事を用意させるって言ってたけど…」

 私は廊下を窺うようにそっと部屋の扉を開ける。廊下には一度に料理をたくさん運ぶ用のカートが一台置かれており、その上には朝ご飯が乗っていた。幸いまだそこまで冷たくなっていない。

「メリィが持ってきてくれたのかな。勝手に出歩くなって釘を刺されたし、とりあえず朝ご飯を食べてから色々考えよ」

 私はカートの上から朝ご飯の乗ったトレーを回収すると、部屋に運び込んで朝食にありついた。

 フカフカで高級なソファに座りながらパンを食べつつ、私は昨日魔王と話した内通者のことを思い出した。

(私の話を一通り聞いたらフェンリスはメリィを疑ってたけど、何でメリィを疑ってんだろ。怪しいところなんかあったっけ。………そう言えばこの食事メリィが持ってきたけど、毒とか入ってたりしないよね)

 私自身メリィを疑っていないが、魔王が疑っている以上警戒はしてしまう。暗殺を避けるために前々から城で使われている食器は全て銀食器だ。毒が入っていたら食器が変色するので一目でわかる。もう半分ほど食べてしまっているので、今更警戒しても遅いのだが、今頃気づいてびびってしまう。

(食器が反応してないし大丈夫だよね。でもまぁ、もし毒が入っていてもキュリオの時に毒を治す妄想したことあるし、即効性の毒じゃなければ能力でなんとかなるか)

 お腹が空いていたのでペロリと朝食を食べ終えた私は、トレーをカートの上に戻すと廊下をキョロキョロ見回した。

「う~ん。部屋にいろと言われたけど、さすがにずっと寝間着のままでいるのは嫌だし。こっそり部屋に戻っちゃおうか。着替え終わったらすぐにまたこの部屋に戻って来れば問題ないでしょ」

「問題大アリだな」

「うひゃあ!」

 私は突然背後から聞こえてきた声に飛び上がる。振り向くと、魔王が腕を組みながら仁王立ちしていた。私が廊下の左に注意を払っていた間に右側から気配なく近づいていたようだ。

 心臓を押さえながら私は魔王を睨む。

「気配を消して後ろから近づいて来ないでよ!危うく心臓が止まるところだった」

「言いつけを破って部屋から出ていた貴様が悪い。俺が敵だったら今頃死んでいるところだぞ。内通者が一人だけとは限らん。常に警戒を怠るな」

「う、うぅ。そう言われると正論だけど。…内通者が複数人とか考えたくないなぁ」

 睨むのを止めて私はシュンと肩を落とした。

 私が気落ちしているので、魔王はさっさと話題を変えた。

「それで、どこに行こうとしていた」

「自分の部屋。着替えようと思って。もう体調も良くなったし、できることがあれば私も色々手伝うよ。昨日あれから作戦会議もしたんだよね。どうなったの?」

「そうだな。お前の部屋に向かいながらひとまず昨日の会議の内容を話すか」

 私は自室への道すがら、魔王から昨日の会議の詳細を聞いた。



 自室で身なりを整えた私は、魔王と共に作戦会議室へとやって来た。

 魔王から詳しい戦況を聞いた私は、当初自分たちが想定した戦況とかなり違っていることに思わず唸ってしまった。

 本来であれば同盟発表後、全戦力をクロウリーとガイゼルに集中させて短期決戦に持ち込もうと思っていたのだが、予想に反して敵対勢力が残ってしまっている。襲撃があったことからサラマンダーはある程度予期していたが、まさかネプチューンやサキュアの戦場まで丸々残ってしまうとは思っていなかった。

「戦争終結まであともうちょっとだと思ってたのに、まさかこんなに戦力が分散することになるなんてね。それで、サキュアの様子がおかしい原因はわかったの?」

「いや、まだだ。サラマンダーの戦場に行っているクロロがじいの戦場を経由してもうすぐ戻ってくる予定だ。そうしたら報告が聞けるだろう」

「そっか。……私もサキュアがフェンリスを裏切るなんて思えないな。きっとクロウリーの奴に洗脳されてるんだよ」

「だといいがな。それなら対処しようもある」

 魔王は会議室の机に置いてある人間界と魔界の地図を見比べる。どちらにも色と形の違う複数の駒が置かれていた。おそらく魔王軍と敵勢力の駒なのだろう。

 私も魔王の隣でそれに目を向けながら自分の今後について提案した。

「私もどこかの戦場の助っ人に入ろうか?長期戦向きの能力じゃないけど、使いようによっては一気に戦局を変えたりできると思うけど」

「そう言えばまだお前の能力を聞いていなかったな。ある程度の当たりはつけているが」

「私の能力は一日三回だけ妄想を現実にする能力だよ。頭の中で妄想を固めて、それを現実に反映させるの。きちんと細部まで妄想ができていないと、失敗したり威力が弱くなったりするから注意が必要なんだけど」

 それから私は妄想の仕方や失敗した場合の回数消費、使用回数を増やす妄想は不可であることを説明した。

 魔王は顎に手を当てると、私の能力の有用性を思案しているようだった。

「目にしたものは妄想がしやすい、か。だから魔法の心得もないお前がじいの魔法を容易に真似できたのだな。確かに魔法は強力だが、戦場で戦うには不向きな能力だな。回数制限が邪魔すぎる。どちらかと言うと支援や工作向きか。お前の言う通り妄想によっては戦局を大きく変えられるだろう」

「でしょでしょ!妄想次第で活躍できると思うんだよね!」

「戦場に派遣するにはまず何を妄想するかを考えねば始まらんがな。とにかくお前の能力については後回しだ」

 魔王は近づいて来る気配を感じ取ったようで、扉に目を向けて入ってくる人物を待ち構えた。

 早足でやって来た参謀は扉を開けて入って来ると、一緒にいた私に気づいて体調を気遣ってからすぐに報告に入った。

「サラマンダー軍の様子を見てきましたが、特に急を要するほどの攻めではありませんでした。魔王様とやり合った時の怪我が完治していない者もいるようで、数日は放置していても問題ないかと。一応一部私の配下を残してきましたから、随時報告を入れるよう指示してあります」

「ふむ。それで、じいの方はどうだった」

「探った様子を聞いてきましたが、どうやらサキュアは精神魔法にかかっている様子はないとのことです。クロウリーの魔力の残滓はなかったと。ただ、会話がいまいち上手く成立しないそうで、言動も少しおかしかったと言っていました。何かしら様子がおかしくなった原因はありそうです」

 クロロの報告を聞いて魔王の顔つきは険しくなる。洗脳されているのであれば話が早かったのだが、他に原因があるとなると特定するのに時間がかかる。それまで戦力を割かなければならなくなるのは同盟軍にとってはマイナス要素だ。

「引き続きおじいさんにはサキュアを探ってもらうことにしました。サラマンダーの戦場が激化するまでは今の配置で大丈夫でしょう」

「ねぇねぇ、サキュアを残して他の兵を退き上げることはできないの?様子がおかしいのはサキュアだけなんでしょ」

「難しいですね。そもそもほとんどがサキュアの魅了で強化された兵たちですから。それに…、元はクロウリーの領域に住む兵たちですし」

「え、そうだったんだ!?」

「だからずっとじいにもサキュアの戦場は警戒してもらっていたんだがな。こうなってはもう仕方があるまい。原因が特定できるまでは引き続き踊り子の軍には相手をしてもらおう」

 魔王は人間界の地図をトントンと人差し指で叩いた。思い通りに事が運ばず心なしかイライラしてきているようだ。

「他の戦場からは何か気になる報告はありましたか?」

「いや。アレキミルドレア国の戦場からは、クロウリーが一時間ほど戦場に姿を現した後、さっさとシャドニクスの城に引き上げたというくらいだな。ドラキュリオやジャックからも特に気になる報告は受けていない」

「そうですか。ではしばらく兵の配置は現状維持で問題ないですね。えりさんはどうします?」

 クロロは回復した私に向き直ると、探るような視線を魔王にチラッと送る。

「あぁ。そいつは戦場に放り出すには能力が適していない」

 魔王はついさっき私から聞いた能力の詳細を参謀に説明する。クロロは私の能力に興味を持ったようで、久しぶりに実験対象を見るような目で私を見てきた。すかさず私は魔王の後ろに移動して安全を確保する。

「なかなか研究し甲斐のありそうな能力ですね!できることなら色々試したいところですが、とてもそんな余裕はありませんね。では、えりさんの能力を活かせそうな策を考えてみます。聞いてもらって実現できそうな妄想だったら早速実践してみるという方向で」

「そうだな。えり、お前も自分で何ができるか考えておけ。時間ならいくらでもあるんだからな」

「戦場でみんなの役に立つ妄想だよね?う~ん。実際戦場を見たほうが色々と妄想が湧きそうだけど、この城にいながら考えるとなると大変だなぁ」

「できればクロウリーの裏をかくようなものが望ましいな。今のところこっちは予想外の展開で後手に回りつつある状況だ。逆に奴は予定通りに事が進んでいるはず。奴の予定を狂わせることができれば、俺たちの勝機がぐっと上がるはずだ」

「クロウリーが絶対予想できないような妄想ねぇ……」

 魔王の難しい注文に、私は人差し指を顎に当てて首を捻る。

 私が悩んでいる中、クロロは細かい打ち合わせをすると再び会議室から出て行く。

「それでは私はロイド王と報告の擦り合わせをして来ます。報告には別の者を寄こしますので、私はそのままネプチューンの戦場を見回って明日また戻ります」

「あぁ、わかった。よろしく頼むぞ」

 その後、作戦会議室に定期的に各方面からの報告が届いた。魔王は報告を聞きながら地図と睨めっこをしたり、紙にメモを取ったりしていた。

 私は一人で行動することを制限されていたので、魔王の隣で必死に戦況を変えられるような妄想を捻り出していた。




 それから一週間あまり、私は今日も魔王の隣で妄想にうんうん唸っていた。あれから魔王と一緒に会議室に籠るのが日課になっており、私は意表をつく良い妄想が浮かび上がると魔王に提案していた。しかし、何度提案しても魔王の賛成が得られない。いつも冷たい却下の一言でバッサリ切られていた。

(フェンリスの求めるハードルが高すぎる!この間の敵の武器を破壊する妄想はいいと思ったんだけどなぁ~。体への負担を考えると多分範囲指定になっちゃうって言った途端、即却下だもんなぁ。私の妄想の能力はそんな万能じゃないっつーの!)

 私はバタッと机に突っ伏す。頭の使い過ぎで力尽きていると、久しぶりにおじいちゃんが会議室に顔を出した。サラマンダーが襲撃して来た日ぶりの再会だった。

「おじいちゃん!久しぶり~!」

「お!お嬢ちゃん!しばらくぶりじゃのう。怪我はもう大丈夫そうじゃな」

「うん!もうすっかり元気だよ!報告しにサキュアの戦場から戻って来たの?」

 おじいちゃんは頷きながら私の頭を撫でると、近づいてきた魔王に報告した。

「時間をかけて探ってみたが、何かが仕掛けられているとしか分からなかったわい。魔法の形跡がないことから、もしかしたら三つ目族お得意の機械魔族かもしれんのう」

「三つ目族お得意の機械魔族?」

 私はオウム返しにそっくりそのまま口に出して訊ねる。

「クロウリーは三つの目を持つ一族の長なんじゃが、三つ目族は昔から魔力と機械の扱いに長けていてな。魔界の戦争期にはたくさんの機械魔族を生み出したんじゃ。今いる機械魔族はみんな三つ目族が造ったものなんじゃよ」

「そうだったの!?まぁ、言われてみれば機械だしね。誰かの手で造り出さなきゃ生まれないよね。人とは違うんだし」

「魔法でないならそれぐらいしか考えられんか。となると、すぐに特定するのは困難だな。あの戦場にはそれなりの機械魔族がいる。どいつがサキュアに影響を及ぼしているのか分からんな」

「手当たり次第壊して回ろうかと思ったんじゃが、サキュアの魅了が凄すぎて簡単に攻め込めなくてのう。周りの妨害が酷いんじゃ。広範囲の雷魔法も使ったんじゃが、三つ目族が結界で邪魔してきてのう。もう少し時間をかけなければ無理じゃな」

 魔王は大きなため息を吐くと、一度会議室にある自分の椅子に腰を下ろした。肘掛けに腕をついて寄りかかると、眉間に皺を寄せて目を閉じる。

 ここ最近魔王はろくに寝ていない。彼はいつもこの作戦会議室で過ごし、すぐに報告が受けられるようにしている。

 その代わり、結界が一番強固な彼の自室が私にあてがわれている。いくら身内に内通者がいると言っても過保護すぎるのではないかと思い始めている。私がベッドを占領しているから寝られないのではと思いこの間訊ねてみたのだが、配下が戦場で血を流して戦っているのに呑気に寝ていられるかと言われてしまった。

(そういうところは王様として尊敬できるよね。…でも、さすがにちょっと顔色悪いな。食事はまだ食べてるほうだけど)

 私は心配で次第に表情を曇らせる。

 よくイライラすることも増えてきており、睡眠を取るよう気遣っても鋭く睨まれることが多々あった。最初の頃は逆切れして無理矢理仮眠させることもできたのだが、今はイライラ度が増し過ぎて強く言えなくなってしまった。付き合いが長くなったとはいえ、やはり本気で睨まれると恐怖心から身が竦んでしまう。

 私が無言で魔王を見つめていると、隣にいるおじいちゃんが何かを察して私の代わりに魔王を叱ってくれた。

「それにしてもずいぶんと顔色が悪いのう、魔王様。ちゃんと食べて寝ておるのか。そんな状態じゃもしもの時にサクッとやられてしまうぞ」

「…誰がサクッとやられるか。俺の首をそこらへんの雑魚と一緒にするな」

 魔王は鬱陶しそうにおじいちゃんを睨みつける。

「いやいや、油断は禁物じゃよ。疲れている時は隙が大きいし集中力も掻くからの。定期的にきちんと休息を取るのは必要じゃよ。何だったらお嬢ちゃんに膝枕でもしてもらって寝るといい。きっと身も心も一瞬で疲れが吹き飛ぶぞ」

「エェ!?ひ、膝枕!?」

「じい。無駄口を叩く暇があったらさっさとサラマンダーの戦場に行け。竜人族がじいと戯れるのを今か今かと待っているぞ」

「嫌な事を思い出させてくれるのう。なるべく考えんようにしておったのに…。それじゃあ魔王様が眠りについたら戦場に行こうかの」

 フォッフォッフォ、と笑うおじいちゃんに魔王は実にウザそうに目を細める。

 そこから魔王とおじいちゃんの激しい会話の応酬が始まった。さっさと行くよう命じる魔王と寝るまで梃子でも動かないおじいちゃん。テンポよく続く会話の応酬に、私は首を左右に振って二人を見守る。

 いつまで続くかと思われた戦いは、最終的に苛立ちより疲労が勝った魔王が折れる形となった。

「いい加減行けと言っているだろうが…!………はぁ。寝ればいいんだろう、寝れば」

「フォッフォッフォ。やっと折れたか。最初から素直にそう言えばそこまで疲れずにすんだのにのう」

「フン!もうお前はサラマンダーを倒すまで帰ってくるな」

 魔王はすっかりへそを曲げたようで、おじいちゃんが魔法で出した毛布を被ると、そっぽを向いて椅子に座りながら目を閉じた。それを見て、私とおじいちゃんは顔を見合わせるとクスクス笑う。

 やはり相当疲れが溜まっていたようで、魔王はしばらくしてすぐに寝息を立て始めた。おじいちゃんは魔王が寝たのを確認するとにっこり笑う。

「それじゃあ儂はクロロの指示通りサラマンダーの戦場に向かうとするか。後のことは頼んだぞ」

「ありがとう、おじいちゃん。フェンリスのこと、無理矢理にでも寝かせてくれて。最初のうちは私も頑張ったんだけど、最近は睨みが凄くて」

「フォッフォッフォ。このくらいお安い御用じゃよ。また魔王様が寝ないと駄々をこねたら魔法の一発でもぶちかましていいぞ。たまにはお灸を据えねばの」

「アハハハ。参考にするね」

 私はおじいちゃんを笑顔で見送った。

 ここ数日で戦況が少し変わり、サラマンダー軍が攻勢を強めてきていた。おじいちゃんはサキュアの戦場からサラマンダーの戦場に移動になり、サキュアの戦場にはドラキュリオ軍が行くことで今調整している。

 アレキミルドレア国の戦場からはクロウリーが姿を消し、クロウリーは現在自分の領域に身を潜めているらしい。アレキミルドレア国にはレオン軍とジークフリートが援軍に行っていたが、ネプチューンの戦場が激化して被害が拡大しているため、ジークフリートがヤマトの国に行っている。

 刻一刻と戦況が変わり、その度に魔王の眉間に皺が刻まれる。私は仮眠を取る若き魔界の王の力になるため、ペチンッと一度両頬を叩いて気合を入れると、再び妄想のアイデアを練るのだった。




 それから二日後。事態はまた大きく動き出した。日替わりで各戦場を回って情報の吸い上げを行っているクロロが悪いニュースを持ち帰って来たのだ。

「報告致します。キュリオの眷属であるドラストラが、一部の吸血鬼一族と悪魔族を率いてオスロの街を攻めています」

「なんだと!?」

「オスロって確かニコ君の出身地だよね!?今は戦場じゃなくなって誰も配置されてないはず」

 オスロは以前まではドラキュリオと神の子がよく戦っていた戦場だが、同盟と同時に戦場は解体されている。

「とりあえず念話でおじいさんに報告し、いち早くサラマンダーの戦場にいる神の子をオスロの街に空間転移してもらいました。サキュアの戦場に今日派遣予定だったドラキュリオ軍も、急遽オスロに向かうよう指示を出しました」

「そうか…。ドラキュリオからドラストラが身をくらませたことは報告を受けていたが、まさかそう裏切ってくるとはな」

「オスロに潜ませている配下の報告によりますと、機械魔族も一部投入されているそうです。クロウリーと繋がっていることは濃厚かと」

 魔王は地図に置いてある駒を移動させると、片手で顔を覆い深いため息を吐く。クロウリーによる裏切り工作で精神的に参ってきている。

 何と声を掛けたらいいか分からずその場で立ち尽くしていると、慌てた様子で城勤めの兵が一人会議室に入って来た。

「緊急のご報告です!」

 緊急という言葉を聞いて急ぎ振り返ると、城勤めの獣人族は私の首目がけて鋭い爪を光らせた。咄嗟に体が反応できなかった私は、ただ痛みに目を閉じることしかできなかった。

 痛みが訪れると思った次の瞬間、バァンッと大きな音が響き、続いて壁の壊れる音が聞こえた。恐る恐る目を開けると、私を襲おうとしていた獣人族は会議室の外まで吹き飛び廊下の壁に激突して伸びていた。よく見ると私の周りには結界が張られている。

 どうやら私と同時に振り返った魔王とクロロは、一目見ただけで兵の異常を感じ取ったようだ。クロロが念のため私に結界を張り、魔王が敵の攻撃が届く前に撃退してくれたようだった。

 私がほっと息を吐き出した直後、魔王の鋭い声が飛んできた。

「この馬鹿が!いつも警戒を怠るなと言っておいただろう!なんだ今の無防備は!」

「ッ!………ご、ごめんなさい」

 すごい剣幕で怒られ、私は震えて萎縮するしかなかった。最近溜まっていたイライラがついでに一気に爆発してしまったようだった。

 その様子を見たクロロはさすがに気の毒に思ったのか、珍しく私の味方になってくれた。

「まぁまぁそのへんで。えりさんも突然のことで気が動転しているようですし、それ以上責めたら恐怖で動けなくなってしまいますよ」

 クロロが間に割って入って殺気を受け止めてくれたことで、私の体は少しずつ震えが治まった。魔王の方も、クロロに諭され冷静さを取り戻したようだった。

「……微かにクロウリーの魔力の残滓があったな。精神魔法で洗脳されていたか」

 魔王は罰が悪いのか、私に目を合わせないよう倒した兵に近づいていく。私もクロロの後ろをくっついて歩いた。

「そのようですね。ここにきて立て続けに裏切り攻撃とは」

「…クロウリーがこの城に潜入してるってこと?」

 私は白衣の影から倒れた兵を覗く。城の食堂で一緒にご飯を食べたことのある見知った顔だった。

「いえ、潜入された訳ではありませんよ。さすがにそしたら気づきますので」

「じゃあ、どうやって洗脳されたの?」

「今回はおそらく、機械魔族か魔道具を介して精神魔法をかけられたのでしょう」

「機械魔族はわかるけど、魔道具って?」

 私は生徒と先生のように質問を重ねる。

「魔道具と言うのは、あらかじめ魔法をかけてある道具のことです。ある動作をすると、前もって掛けてある術式が発動するようにしておくんですよ。例えば分かり易く説明するなら、ランタンに火を付けると精神魔法が発動して、ランタンを付けた相手を洗脳するようにしておくとかですね」

「ら、ランタン!?じゃあラン君が危ないじゃん!すぐにランタンを取り上げないと!」

 私はお城の蝋燭を定期的につけて回ってくれている下位魔族のラン君を心配する。

「あ、いえ、今のは分かり易いたとえ話ですから。とにかくそういった類のものがいつの間にか城に持ち込まれていた可能性があるということです。魔道具の場合、魔法が発動していない状態では判別が難しいので、魔法に長けた幹部クラスでやっとわかる程度です。とても城勤めの兵では見破れないでしょう」

「ふむ。魔道具か、あるいは内通者の仕業か…」

「内通者…。もう目星はついているんですか?えりさんにも聞き取りをしたんですよね」

 クロロの問いかけに、魔王は私の方をチラッと見た。私は無意識にクロロの背に隠れる。

「確信は得ていないからな。まだ話す段階ではない」

「…そうですか。ではしばらく要警戒ということで。私は一度城内を見回ってからロイド王の下へ向かいます」

 クロロは隠れている私を魔王に差し出すと、気絶している兵を担ぎ起こす。ついでに魔法を使って洗脳状態を解いたようだ。

「あぁ。余裕があるならケルを戻して女に付けたいところだが、そうも言っていられんな」

 魔王は私に向き直ると、ちゃんと目を見て話しかけてきた。

「おい。俺の傍から離れるなよ。死にたくないならな。もう貴様に警戒を期待するのはやめておく」

「ごめんなさい…」

 先ほど怒りすぎたことを幾分反省したのか、もう魔王は怒気を纏っていなかった。代わりにその表情は呆れている。

(そんな呆れなくたって。警戒しててもさっきのは突然すぎてどっちにしろ対応できなかったよ)

 魔王の怒りが治まった途端、今度は私がムカムカし始めていた。

 クロロを見送った私たちは会議室へ戻ると、再び地図に目を落とす。

 ドラキュリオ軍をサキュアの戦場に送り込む予定が、新たな戦場が発生しオスロへ兵を割くことになった。対応が後手後手に回り始めている。

 サラマンダーから始まり、ネプチューン、サキュア、ドラストラ、そして身内に潜む内通者。裏切りの連鎖で軍全体が弱体化していく。このままではクロウリーの思うがままだろう。何かで戦局を変えるきっかけを作らなければならない。

「えり。引き続きクロウリーの裏をかく妄想を考えろ。あいつが予想もしないとっておきのやつをな。思った以上に、俺たちに残された時間はあまりないのかもしれない」

「…了解」

 深刻な表情で地図を睨みつける魔王の横で、私も今までの人生で一番真剣になって妄想に取り組むのだった―――。

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