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第一幕・第三話 魔王軍の人々

 魔王城の地下牢に幽閉されて早五日。何の飾り気のない地下牢の中で、私神谷えりは丸椅子に座り目を閉じて集中していた。

 魔王城は昨日の朝に再び魔界から人間界へと移動したため、牢の外から見える景色は白い雲と晴れ渡る青い空だ。

 狭い地下牢の中に閉じ込められてはいるが、城全体に強力な魔法がかけられており、地下牢といえど温度管理がきちんとされている。一か所設けられている明かり取り用の隙間からも、一切外から風が吹き込まないようになっていた。

 私は深呼吸を数度すると、ゆっくり顔を上げて目を開いた。

「よし!大体自分の力について分かってきたぞ。そろそろ部屋からの脱出にチャレンジしてみてもいいかも」

 私は地下牢に幽閉されてからの数日で試してきた己の能力に、ようやく自信とコツを掴んできた。星の戦士に選ばれた者は、この星ラズベイルからその者に適した特別な能力を授かるようなのだが、私に授かった能力は正にオタク女子の私向けだった。

「さて、私の能力『妄想を現実にする力』を使って、どうやって脱出しよう。やりようは色々ありそうだけど…」

 私は腕組みをして部屋を見回した。

(う~ん。第一に考えたのは、空間を一瞬で移動してこの城を脱出する方法だけど、ちょっとリスキーすぎるんだよなぁ)

 顎に左手を当てて思わず唸る。妄想を現実にする力。言葉だけ聞くととても魅力的で夢のある能力だが、実はかなり使い勝手が悪いことがここ数日検証してわかっている。

 まず第一に一日三回という使用制限付き能力で、しかも能力発動に失敗しても一回分をきっちり消費する。第二に薄っぺらい妄想、想像の仕方だと能力が発動しない、もしくは弱い効力しか発生しないということ。

 一度火の玉を放つような魔法を妄想して能力を使ったが、火は出はしたがすぐに霧散して掻き消えてしまった。

 検証した結果から、この能力には強い妄想力と強い想い、とりわけ現実に起こるのだという信じる心が必要になってくる。何の疑いもなく、現実に起こって当たり前ぐらいの気持ちがいいようだ。

 逆に、一度目にしたものや現象だと現実にしやすいことがわかっている。メリィから毎日差し入れられている水差しが一度減った時、その水差しが元通り満杯になるようイメージしたら問題なく能力が発動した。

 たとえ一度失敗した妄想でも、何度か見たり体験すれば能力を使って現実にできる可能性がある。それこそ誰かに火の魔法でも見せてもらえば、それを妄想して今度こそ成功するかもしれない。

(空間転移魔法はこの城につれて来られた時に魔王の魔法で体験したけど、あれを妄想して使うのにはちょっと勇気がいるなぁ。失敗して一回分消費するならまだしも、変に成功してとてつもない場所に投げ出されたらたまったもんじゃないし)

 しばらく唸って考えたが、リスクが高いことを考え空間転移魔法での脱出は諦めた。

 次に目を向けたのは明かり取り用の隙間だ。

(空間転移は無理だけど、瞬間移動でこの壁の向こう側に行くのはおそらく可能…)

 私は壁の隙間から城の外を眺める。

 おそらく先日この城の庭から見下ろした限り、この城はかなりの高度を飛行している。検証中に自分の目に見えている場所に瞬間移動する妄想は、失敗せずに発動させることができたので脱出は可能だが、残念ながら空を飛ぶ妄想はまだ完璧に成功したことがなかった。

 この星の力を授かりまず一番初めに試した妄想が、空を飛ぶという妄想だった。誰しもが一度は願うことではないだろうか。しかし結果は、その場で空中に浮くことができた程度だった。おそらくまだまだ細部まで具体的な妄想ができておらず、空中に浮くという第一段階のところしか現実化しないのだろう。

(でもこの牢屋から出れたとしても、今の私じゃ空中に浮くことしかできないから、その後身動きがとれなくなる。しかも一日三回しか使えない能力なのに、一気に2回分使い切っちゃうのはよくない。いざという時に使えなかったら自分の身も守れなくなっちゃう)

 はぁ、と小さくため息をつくと、最後に私はこの牢唯一の扉の前へと移動した。

 木製の簡素な扉は、内側からドアノブを引っ張ろうが椅子で無理矢理壊そうとしようがビクともしない。鍵穴のようなものは見当たらないが、いつもメリィが扉を閉めると鍵がかかった音がしている。素人の自分には分からないが、おそらくこの扉には特別な魔法か何かがかかっているのだろう。

(……やっぱり、脱出するとしたらここだよね。一番リスクが低いし、鍵開けて外に出ればいいだけ。それから見つからないようにして城を探索。地上へと脱出する手段を見つける、と。こんな感じかな?)

 私は頭の中で作戦を確認し、抜かりがないかをチェックした。

 そして胸に手を当てて心を落ち着けると、いよいよ扉の鍵の解除へと取り掛かった。

(まずは妄想のイメージを頭の中で膨らませる。扉の鍵が音を立てて開くイメージ。鍵が開く時に聞こえる音まできちんと妄想して…)

 私は扉に両手を当て、目を閉じて眉間に皺を寄せながら強く念じていた。

(1ミリも疑わず、強く信じる、思い込む。この扉は開く、鍵は開く、今音を立てて開く!)

 私はカッと目を見開いて扉を見つめた。

 星の力の能力が自分の身体全体に満ちているのがわかる。今や私の体は青白く発光していた。すでに能力を使う時に体全身が青白い光を放つことは知っていた。初めは驚いたが、星の戦士はきっと力を使う時はそうなのだろうと今は勝手に結論づけていた。

 私は身の内に宿る力が最高潮に達した瞬間、声に出して妄想を解き放った。

『扉よ、開け!!!』

 ガチャリッ。

 私が自信を持って叫ぶと、目の前にあった扉は大きな音を立てて鍵がはずれると、キィッと軋みながら小さく開いた。私は待ちに待ったその瞬間に思わず大声で叫び出しそうになったが、寸でのところで踏みとどまった。

「危ない危ない。ちゃんと成功したもんだから我を忘れて叫び出しそうだった。こんなことで喜んでる場合じゃない。問題はここからなんだから」

 私は気を引き締め直すと、一つ深呼吸をしてからドアノブを握った。

(とにかく誰にも見つからないよう隠密行動。この間クロロに聞いた話だと、この城には一般の兵の他に幹部クラスの強い奴がいるらしいし。下手に出くわしてまた牢に逆戻りならまだしも、襲ってきて殺されでもしたら大変。あと考えられる最低の結末は、魔王にエンカウントすることかなぁ)

 私は想像した最低の結末を振り払うと、意を決して五日ぶりに部屋から出た。



 恐る恐る扉を引いて一歩廊下に出た私は、まず右手を見て人影がないことを確認した。ほっと息をついたのも束の間、すぐ背後で幼い子供の声が私を呼び止めた。

「どこ行くの、お姉ちゃん。勝手にお部屋から出たらいけないんだよ」

 私はビクッと体を飛び上がらせると、驚きのあまりそのまま硬直した。

(……一歩目にして隠密行動失敗。早い、早すぎる!メリィは忙しそうだから絶対見張ってなんかいないだろうと思ってたけど、代わりの人がいた!やっぱり人生そんなに甘くないか)

 私は体の硬直を解くと、しょんぼりしながら声のした左手を振り返った。

 そこには、小学校に上がったばかりくらいの小さな男の子が、クリクリした大きな瞳で私を見上げていた。

(な、何この可愛い子!それにあのモフモフした耳は何!後ろには尻尾まで見える!)

 男の子は黒髪のショートヘアで、頭のてっぺんには犬にそっくりな獣の耳がついている。グレーのノースリーブには不思議な紋章が描かれており、下は黒の半ズボンを履いている。ズボンのお尻からは立派な尻尾が三つ出ていた。首には可愛い男の子には似つかわしくないゴツゴツした厳つい首輪をしていた。むき出しの両手首、両足首にもお揃いのものを付けている。

(思わずギュッと抱きしめたくなる可愛さだけど、ここはグッとこらえて平静を装わなければ)

「ごめんね、たまたま鍵が開いてドアが開いたから。お姉ちゃん、ずぅ~っとお部屋に閉じ込められてるから外の空気を吸いたくて。このままだと病気にでもなっちゃいそうだから」

 私は腰をかがめて男の子に目線を合わせると、優しく笑いかけた。

「病気になっちゃうの?大変!」

 慌てた様子でそう言うと、男の子は手と耳をバタつかせた。そのしぐさを見て、また私の胸は興奮で高鳴った。

「あ~もう可愛いなぁ。お持ち帰りしたい。…お姉ちゃん、えりって名前なんだけど、君の名前は?」

「ケルはケルだよ。魔界の番犬!」

 私の問いかけに元気に答え、ケルは腰に両手を当ててえへんと胸を張った。

「そっか~、ケルね!魔界の番犬、ケル……。魔界の番犬?」

 私は名前を復唱しながら、徐々に頭の中に膨らむ疑問に首を傾げた。

(魔界の番犬ケル?ちょっと待って、ものすごく似たような響きを連想させる名前だなぁ。もしかしてよく地獄の番犬とか冥界の番犬とか聞くケルベロスと同じじゃ…。ゲームや漫画であるあるの。見た目すごい犬だし。可愛い見た目で油断させ、実はいきなりガブリと噛みついてきたり!?)

 私は一気に冷静になると、警戒を強めて半歩ケルから距離を取った。ケルはその行動に?マークを浮かべて小首を傾げたが、すぐに笑顔で話しかけてきた。

「お姉ちゃん、上のお庭で遊んだらきっと元気になるよ!ケルが案内してあげる!」

 ケルは三つの尻尾をパタつかせて屈託なく笑った。あまりにも無垢な笑顔に、警戒は薄れて逆に罪悪感が沸き上がってきた。

(うぅ。純粋に私を心配して元気づけようとしてくれている~。こっちはどうにか誤魔化して脱走しようとしているのに~。ずいぶんと自分が穢れた心を持っているように感じる…)

 嬉しそうに私の手を引いて歩き出したケルをよそに、私は一人己を省みて遠い目をするのだった。



 ケルと手を繋ぎながら城の中を歩く私は、改めて魔王城の広さを実感していた。

 地下牢があるフロアを抜け、そのまま地上階へと繋がる階段を上っているが、地下にはその他にも別のフロアに繋がる通路があった。そもそも外観すら見ていないため、どのくらいの規模の城なのかもわからなかった。どこかで城の見取り図を入手できれば脱出するのも容易になるだろうが、ゲームや漫画と違いそう簡単にいくとは思えなかった。前回地下牢に連れて来られた時と逆向きに道を辿りながら、駄目元でケルに聞いてみる。

「ねぇねぇケルちゃん、このお城の見取り図とかってどこかにないかな?」

「…みとりずってなぁに?」

 疑問に疑問で返され、私は望みが薄いことを察した。

「う~ん。見取り図ていうのは、どこに何のお部屋があるか分かりやすく図にしてあるの。ケルちゃんのお部屋がどこで、台所がどこにあって、玄関はどこにあるよ~って」

「ふ~ん、便利だね~。…でもケル、見たことない。お城にはないと思うよ」

「そっかぁ~…」

 予想はしていたが落胆の声が出てしまう。

 階段を上り終え、以前立ち寄った庭に向けて歩を進める。ケルに従い今は大人しくついていっているが、できればこの先の庭に行くのは避けたいと考えていた。

 牢屋を出て早々ケルには見つかってしまったが、幸いそれからはまだ誰にも見つかっていない。ケルさえ上手く誤魔化せれば、まだ十分隠密行動が取れる。

 それに、今向かっている庭は遮蔽物があまりなく見通しが良すぎるため、すぐに発見されるリスクもあり、いざという時に身を隠す場所もない。

(問題はどう誤魔化して別の道へ行くか…)

 思考の海へと沈んでいく中、不意に左手にある部屋の扉が開き誰かが廊下へと出てきた。私は考え事をしながら歩いていたため、反応が遅れて出てきた相手とぶつかってしまう。

「わっとと…!す、すみませ……!?」

 態勢を立て直して顔を上げた私は、ぶつかった相手を見て氷ついた。そこにはこの城の主が悠然と立っていた。

「貴様、こんなところで何をしている」

 魔王はぶつかってきた私を見て一瞬驚きに目を見開いたが、すぐに鋭い目で睨みつけてきた。

(ぎゃあーーー!!!また魔王とエンカウントしてしまったーー!!最低の結末一直線!もうゲームオーバー、よくて牢屋に逆戻りだぁ!)

 声も上げず半泣き状態の私に、魔王は再び同じ問いを投げかける。

「おい女、何をしていると聞いている」

 魔王は鋭い目つきから少し小馬鹿にした目となり、声色も偉そうだがいくらか和らいだものになった。ほんの少しだけ柔らかくなった雰囲気に安堵し、私はとりあえず無難な答えを選んだ。

「え、え~と、気分転換に散歩、ですかね」

「…貴様、ナメてるのか」

「ぎゃあー!ごめんなさいごめんなさい!!」

 顔色を窺いビビりながら答えたが、すぐさま魔王に一刀両断された。私は全力で謝ると、逃げるようにケルの後ろに回り込んだ。男の子を盾にして怯える私に小さくため息をつくと、魔王はケルに問いただした。

「おいケル、この女を逃がさないよう見張っておけとメリィに言われていただろう。どうして牢から出した」

 魔王の問いかけに、ケルは不思議そうに首と耳を傾げた。

「ケル逃がしてないよ、ちゃんと見張ってる。今も一緒だもん」

 嬉しそうににこにこ答えるケルに、さすがの魔王も呆れた表情を作った。

「ケル、逃がさないよう見張っておけというのは牢屋からだ。この城からではない。牢から出してしまったら見張っていようが駄目だ」

「で、でも、このままじゃお姉ちゃん病気になっちゃうって言うから」

 困った顔でケルは後ろの私を見上げる。

 自分に矛先が向けられ、魔王はまた私を睨みつけた。純粋なケルを私が騙しているなど身内相手ならすぐにわかることで、もはや観念してその場から逃げることもしなかった。

「フン、まあいい。むしろこちらが思っていたより遅かったくらいだ。……女、あの地下牢の扉には封呪の魔法がかけられている。無理に開けば呪いを受け、こちらの意のままに動く操り人形になるのだが……。貴様、かかっていないな」

 魔王は私を無遠慮に上から下まで観察する。地下牢の扉にかけられていた魔法の真実を知り、私は密かに己の能力に感謝した。

(良かったぁ~。無理矢理強硬突破で扉を壊したりしなくて。扉を爆発で吹っ飛ばす妄想も考えたんだけど、さすがに爆発させたら騒ぎになって隠密行動できなくなるからやめたんだよね)

「呪いにかからず牢から出れたということは、貴様の能力は『あの小僧』同様、魔を打ち払い無効化する能力か?」

「こ、小僧?魔を、無効化…?」

「フン、とぼけるか。まあいい。ケルベロス、後はお前に任せる」

 そう言うと、魔王はマントを翻し庭とは反対方向へと廊下を歩いていった。あっさり見逃してくれる魔王に拍子抜けしてしまう。

「あれ?見逃してくれるの?」

「貴様の出番はまだ先だ。それまでは自由にしているがいい。ケルを傍におくのが条件だがな。……ケルベロス!泳がせている間に頼むぞ。知っておくにこしたことはない」

 魔王は隣のケルに意味深なことを命じると、今度は足を止めることなく行ってしまった。

(ケルちゃんのことケルベロスって呼んでたけど、やっぱり正式な名前はケルベロスなのかな)

 廊下に取り残された私は、近くに誰もいないことを確認してから隣に立つケルにこっそり尋ねた。

「ねえねえケルちゃん、最後に魔王が言ってたことって何?何か内緒で頼まれてるの?」

 素直なケルなら、もしかしたら尋ねたら教えてくれるのではないかと期待を寄せる。

「む?ケルは見張ることしか頼まれてないよ。さっきのはケルベロスへの頼み事」

(……素直に答えてはくれたけど、言っている意味が全然わからん。ピュアなだけでなく不思議ちゃん属性なのかな)

 相変わらずにこにこして尻尾を振っているケルに私は頭を抱える。

「じゃあ、そのケルベロスへの頼み事は何かな」

「む~。ケルベロスに誰にも言っちゃダメって言われてるから言えない」

「……ケルベロスに?」

 うん、と頷くケルに、私は何となく目の前の男の子に隠された真実に気が付いた。

「……もしかしてケルちゃんて、二重人格だったりする?」

「にじゅう、じんかくって何?」

 にこにこ顔が一転、難しそうに顔を歪める。これからも多発しそうなこのやり取りに少々覚悟しながら、ケルにかみ砕いて説明してやる。

「ん~と、ケルちゃんの他に、もう一人別の人が中にいないかな。ケルちゃんの頭の中というか、心の中というか」

「……もう一人?一人じゃないよ。二人だよ」

「二人!?」

 二重人格どころか三重人格という事実に驚く。ケルの話が事実ならば、ケルの他に魔王が呼んだケルベロスという者とあともう一人いるということだ。

「ケルたちは三人で一つ。ケルとケルベロスとケロスだよ」

「ケルちゃんとケルベロスとケロス……。他の二人とはいつ会えるかな?」

「む~。わかんない。でも、ケロスは戦うときに出てくるよ!ケルベロスは~、困った時や大事な時にならないと会えない」

 ケルは人差し指を顎に当てて首を捻りながら答える。

(ケルベロスって三つの頭を持つってよく聞くけど、この世界では一つの身体に三つの人格が宿ってる設定なのか…)

「ねえお姉ちゃん、お庭行かないの?」

 よくあるお話やゲームの設定を思い返していると、焦れたようにケルが私のスーツの袖を引っ張った。

 魔王から直々に許可も下りたため、城の構造を頭の中に入れるためにも今日一日城中を歩き回ってみることにした。ひとまず私はケルを伴い、庭へと向かって歩き出すのだった。




 人間界の空をゆっくり漂う魔王城。空の上にも関わらず、庭には二つの噴水が以前見た時と変わらず勢いよく水を噴き出していた。近くの草花には元の世界では見たことのない柄の蝶々が飛んでおり、それを見たケルは一目散に蝶々目がけて走り出して行った。

 地面が途切れる庭の端沿いには、以前はゆっくり見ることのできなかった実のなっている木が何本か植えられている。近づいて見上げてみると、これまた見たことのない実がなっていた。見た目は葡萄の粒が全部くっついて一つの塊になっており、枝から伸びる茎に近いほど濃い赤色で、茎から遠ざかるほど色が薄まり白くなっている。私が興味津々で身を眺めていると、蝶々との追いかけっこを中断してケルが駆け寄ってきた。

「アマナン食べたいの?取ってあげようか」

「アマナンって、コレのこと?これって果物の仲間?」

 そうだよー、と返事をすると、ケルは一飛びで高いところにある実をもぎ取った。見た目が小さな男の子だからついつい油断してしまうが、とんでもない跳躍力だった。普通の人間の子供とは違い、改めて全く別の生き物なのだと認識させられる。

「赤いほうがシャリシャリで甘いよぉ。白っぽくなればなるほど固くて甘くない」

 ケルは私にアマナンを手渡すと、すぐにまたジャンプして自分の分を確保した。服でゴシゴシ拭いてから噛り付いたケルを見て、私も彼の真似をして未知の果物に噛り付く。

「…んん!甘~い!噛めば噛むほど果汁がジュワッと出てきて美味しい!このシャリシャリ食感はリンゴに似てるね」

 アマナンは形がゴツゴツして不格好だが、特に種も無く食べやすい。私はあまりの美味しさに赤色の部分をあっという間に平らげ、白色の部分に突入した。

「んん!か、固くなってきた…。しかも果汁も無くなってきたし、なにより酸味が出てきた。お、美味しくない…」

「む~。だから食べる前にケル教えたのに。白い部分は美味しくないって」

 ケルは私の手から食べかけのアマナンを取り上げると、自分の食べ残しと一緒に城の外に向かって放り投げた。果物は綺麗な放物線を描くと、そのまま遥か遠くにある地上へと落下していった。

 何の迷いもないその動作に、私はすぐに反応できず、空に投げ出されたアマナンをただ目で追うだけだった。一呼吸置いて我に返ると、まずは心の中で全力でツッコミを入れてしまった。

(こんな空の上から何の躊躇もなくポイ捨て~!?どれくらい上空を飛んでるのか知らないけど、地上に向かってゴミ投げ捨てていいの!?いくら果物でそんなに大きくないからって、こんな上から落としたら危ないよ!もし運悪く下の人に当たったらどうするのさ!?)

 私は落ちないよう注意しながら、軽く身を乗り出して下を覗き込む。しかし、相変わらず見えたのは雲だけだった。

「ねえケルちゃん、誰に教わったか知らないけど、ここから下に物を投げ捨てるのは良くないよ。もし下に誰か人がいて、その人に物が当たったら大怪我しちゃうよ」

 屈んでケルの目線に合わせて語りかける。真剣な表情で話す私に、彼は不思議そうに目を丸くした。

「でも魔王様はいつもポイポイ投げてるよ」

 ケルの発言に私はピシッっと固まった。

(あ、あんのクソ魔王~!!小さい子の前で何てことしてんのよ!悪いことでも平気で真似しちゃうじゃない。ただでさえこの子は純粋なのに)

 私は心の中で魔王に悪態を吐きながら、ケルに再度注意徹底を促すのだった。



 魔王に会うため一人の魔族が魔王城内にある庭の前を通り過ぎようとしたところ、庭の端でケルと見たことのない人間の女が話し込んでいる姿が目に入った。魔族は悪戯っぽい笑みを浮かべると、気配を消しながらこっそり二人へと近づいた。



「いいケルちゃん、もうポイ捨て禁止だからね」

「む~、わかった。悪いことならもうしない」

 聞き分けよく頷くケルの頭を、よしよしと私は撫でる。撫でると獣耳が掌に当たり、モフモフして気持ちがいい。私が笑顔を浮かべ和んでいると、ふいにすぐ真横から少年の声が聞こえた。

「へぇ~、もうケルを手懐けたんだ。見かけによらず恐ろしい女だね」

 私はビクッと体を跳ねさせると、いつの間にか斜め後ろに立っていた少年を振り返った。

(び、びっくりしたぁ~!いつの間にこんなに近くに立ってたの!?全然気づかなかった…。近づく足音も聞こえなかったし)

 驚く私をよそに、ケルはさして驚いている様子はない。そもそも私の正面にいたのだから、近づいてきている少年は目に入っていたのだろう。もしかしたら私が真剣にお説教をしていたので、あえて特に反応しなかったのかもしれない。

「なあに?驚いて声も出ない?気配消して近づいて大正解だったネ~」

 少年はそう言うと嬉しそうに笑った。少年は襟を立てた黒いマントを羽織っており、中は白い長袖シャツに黒い半ズボンをサスペンダーで留めていた。黒の厚底ロングブーツを履いているため私の口元ぐらいに目線があるが、本来はその厚底分目線が下に下がるだろう。

「君が魔王様の言ってた星の戦士だよね?ボクは七天魔が一人、『吸血鬼界の王子ドラキュリオ』だよ」

「吸血鬼界のプリンス?きゅ、吸血鬼って、あの吸血鬼だよね。若い女の人の血を吸う」

「そうそう、その吸血鬼!ボクは由緒正しき吸血鬼一族の王子なんだ」

 誇らしげに胸を張るドラキュリオに、ひとまず私も自分の名を名乗って挨拶をする。

「私はえりだよ。とりあえずよろしく、ドラキュリオ君」

 相手が吸血鬼ということで、内心警戒しつつもニコッと笑顔を浮かべて友好的に対応した。

 だがしかし、当の吸血鬼はいきなり不機嫌さを露わにしていた。私の何が気に食わなかったのか、魔王に負けず劣らず鋭い目つきで睨んでくる。ドラキュリオが内なる魔力を開放しつつあるのか、急に一帯の温度が下がり、ものすごいプレッシャーが迫る。

「え、えっと~、何かすごい、怒ってる?」

「ねぇ君、もしかしなくても、ボクのこと下に見てるでしょ。言っておくけどね、見た目は君より若いけど、ボクの方が君より長く生きてるからネ!」

 ビシっと人差し指を目の前に突き付けてくる少年を見て、私はきょとんとした表情を作る。何度か瞬きを繰り返し、言われた言葉を頭の中で反芻する。

(つまり、この子は見た目中学生ぐらいに見えるけど、私より年上ってこと…。もしかして三十すら超えてたり!?)

「ち、ちなみに、生まれてからどのくらい経ってるんでしょうか?」

 思わず敬語になりつつ、私は恐る恐る聞いてみた。

「ん?41かな。…ホント、何にも知らないんだね君は。魔族と人間じゃ、寿命や体の成長速度も全然違うんだよ。その調子じゃあ、ケルが君より年上だってことも知らないでしょ」

「エッ!!ケルちゃんすら私より年上なの!?」

「君がどれくらい生きてるか知らないけど、ケルはもう30だよ。まぁ、人間と違って魔族の世界では全然お子ちゃまの部類だけど」

 ケルの衝撃事実に驚きつつも、その理屈でいったらドラキュリオもまだまだお子様ではないのか、というツッコミは入れないでおくことにした。まだ少ししか会話していないが、どうやら王子というだけあってプライドが高く、何より子供扱いされるのが嫌いなようだ。

「キュリオ、こんなところで何してるの?魔王様から用事頼まれてなかった?」

 ひとまず会話の区切りがついたところを見計らって、ケルはドラキュリオに尋ねた。高まっていた魔力を正常に戻しつつ、ドラキュリオはかったるそうに答える。

「あぁ~、そんなの眷属に頼んどいたよ。別にわざわざボクが動く必要ないしネ。そのかわり、ボクが暇になっちゃったから、魔王様でもからかって遊ぼうかと思って今日は来たんだ。あと、人質の星の戦士がどんな子か気になってたしネ」

 そう言うと、ドラキュリオはニヤニヤして私を見た。品定めでもするような嫌な目つきだった。

 見た目は少しヤンチャな可愛い童顔少年に見えるが、私は先ほどより警戒心を強めた。

「む~。また魔王様に意味もなくちょっかい出すの?それでしょっちゅうお城が壊れちゃうんだから止めなよ。そろそろメリィに貫かれるよ」

 ケルは尻尾を逆立てると、ドラキュリオをたしなめた。

 どうやらこの吸血鬼は日頃から魔王をおちょくって遊んでいるらしい。自分の中で魔王最強説が出来上がっていたのだが、案外魔王と魔王の配下には力の差がそこまでないのだろうか。それとも特別親しい間柄なのか、謎が深まっていく。

(色々気になることはあるけれど、ひとまず聞き逃せないことがあった…。メリィに貫かれるって何!?貫くって何で!うぅ、知りたいけど怖くて詳しく聞けない…。やっぱ暗殺人形怖い~)

 私が心の中でメリィについて考えていると、ドラキュリオがケルを軽くあしらって、再び私に話を振ってきた。

「それで、君はこんなところで何をしてるのさ。牢屋に幽閉されてるんじゃなかったっけ。もしかして、魔王様の目を盗んで脱走しようとしてるとか?」

 ニヤッと笑って上目づかいで見上げてくる少年に、私は全力で否定した。

「ちがうちがう!無断で出歩いてるわけじゃないよ。さっきちゃんと魔王本人から許可を得たもの。お城の中を自由に探検していいって。ケルちゃんが同伴することが条件だけど」

「ふ~ん。泳がせてボロ出すのを待つ作戦なのかな。……ま、いいや。それならボクが城の中を案内してあげようか。特別に一噛み一吸いで引き受けてあげてもいいヨ」

「ひ、一噛み一吸いって何!?もしかしなくてもソレ、私の血を吸うってことじゃないの!?」

「もっちろん☆吸血鬼の王子であるこのボクに血を捧げられるなんて、とても光栄なことだよ。しかも、それで城の案内までしちゃうんだから、至れり尽くせりだネ」

 右手の人差し指を立てながらウィンクをしてアピールするドラキュリオ。

 ここが元の世界で、吸血鬼のコスプレをした可愛い少年が今のしぐさをしたのなら、オタクの私は確実に大興奮していたことだろう。だがしかし、ここは異世界で目の前の少年は本物の吸血鬼。いくら可愛いしぐさで誘惑されようとも、そう簡単に騙されたりはしない。

「そんなお得感を醸し出したって騙されないんだからね!そもそも王子だろうが私には関係ないし。光栄どころか、一噛みされたら被害しかないから!見るからにその鋭い八重歯痛そうだし。穴開くよね、絶対」

 私が矢継ぎ早にまくし立てると、その勢いに若干気圧されたのか、ドラキュリオは一歩後ずさる。大きな瞳を見開いて、少し面食らった様子だった。

「……クッ、アハハハハ!面白いねぇ君!ビビッてたかと思ったら、案外言いたいことははっきり言うんだ」

 突然大声で笑い出したドラキュリオに、今度は私が驚く番だった。彼は新しい玩具でも見つけたように、楽しそうに笑っている。

「よぉし!今日は魔王様と遊んでいくけど、機会があったら今度は君で暇潰そうかな。とりあえず、今日のところは血は勘弁してあげるヨ」

 上機嫌にそう言うと、ドラキュリオは後ろ手で右手を振りながら去っていった。

「なんかよく分かんないけど、気に入られたのかな…。まぁ、嫌われて警戒されるよりかはいいか」

 私は気を取り直すと、城の探索へと気持ちを切り替えた。

 隣に立つケルは、不安そうにまだドラキュリオの去っていった方を見ている。おそらく、ちょっかいを出されるであろう魔王の身を案じているのだろう。私が心配して顔を覗き込むと、いつものことだから大丈夫、と首を横に振って誤魔化した。

 先に歩き始めたケルを追って、私は綺麗な庭園を後にするのだった。




 庭園を抜け、窓のない相変わらず暗い通路を進むと、一番初めに訪れた大広間に出た。前回同様、天井のシャンデリアやふかふかのレッドカーペットを見て感動の声を上げてしまう。

「うわぁ~。何度見ても豪華だなぁ。さすがお城って感じ」

「ここの大広間は色々繋がってて、ケルたちが今きた庭園とは逆の向こうの通路は、厨房や食堂、大浴場があるよ。こっちの大きな扉は正面玄関に繋がってて、そのままお外に出られる。それでこの目の前の階段を上がると、作戦会議室やケルのお部屋とか色々ある」

 指で指し示しながら丁寧に説明してくれるケルに感謝しつつ、私は脳内会議を開始した。

(ケルの言う通り色々あるみたいだけど、個人的に一番興味がそそられるのは大浴場!ここ数日シャワーすら浴びれず、濡れタオルで体を拭くのみ。いい加減お風呂に入ってさっぱりしたい!………がしかし、脱出のことを考えると、正面玄関をまずチェックするべきか。そのまま外に出られるって言ってるし)

 私がうんうん唸って悩んでいると、ケルがスーツの袖を引っ張って正面玄関へと歩き出した。

「せっかくだからお姉ちゃんに紹介してあげる。この魔王城の門番、優しくて強くてとっても頼りになるんだよ」

「も、門番?」

 ケルに手を引かれながら大広間の大きな扉をくぐり、さらにその先の短い廊下を突き進むとまたも同じ作りの大きな扉があった。その扉を開くとエントランスホールに繋がっており、大広間ほどではないがそこそこの広さがあった。両脇の壁には等間隔で悪魔の石像が飾ってあり、まさにラストダンジョンに相応しい魔王城の雰囲気を醸し出していた。窓ガラスは全てステンドグラスになっており、暗い色合いでこれまた悪魔や死神などがモチーフになっていた。

 私はお化け屋敷の中を歩いているような感覚で、怖さを和らげるためケルの手を握って歩いた。エントランスホールの扉は一際大きく、重厚でとてつもない威圧感だった。扉は黒一色で、試しに両手で扉を押してみたがビクともしなかった。

「お、重い……。開く気がしないんだけど」

「だめだよお姉ちゃん。魔法がかかってるから、魔族じゃないと開かないよ。魔族と人間の識別魔法がかかってるんだって」

 私は扉の前をケルに譲ると、彼は難なく扉を開けた。

「ほ、本当だ。簡単に開いちゃった。すごい仕組みだね。魔法でどうやって人間と魔族を識別してるんだろ」

 玄関扉を開けて外に出たケルを追い、私も城の外へと踏み出した。



 城の外は先ほどの庭園以上の広大な敷地が広がっており、城の玄関に続く中央の大きなメインストリートを挟むように小さな水路が流れている。水路は途中で枝分かれしており、敷地が途切れるところまで続き、その先にある空の彼方に向かってそのまま流れ落ちている。雨と同じ感覚でそのまま地上まで落ちていくのか、そもそも上空になぜ水路が存在するのか、外に出た途端疑問が多発している。

 私が扉の前で固まっていると、近くで硬い何かが擦れ合う音が響いた。慌ててそちらに顔を向けると、漆黒の甲冑を着た騎士がじっとこちらを見下ろしていた。今まで出会った人物の中で一番背が高く、ゴツイ甲冑を着ている分とても大柄に見える。兜は目元以外全て保護しており、表情を窺い知ることはできない。

「……こんなところで人間が何をしている」

 甲冑に気圧されてっきり怖い人物なのかと想像したが、耳に届いた声音は思いのほか柔らかく、落ち着いた大人の男性を思わせた。

(そう言えばケルちゃんが紹介したい人がいるって言ってたけど、この人かな。優しくて頼りになるって話だったけど、確かに見かけによらず優しそう、かな)

「えっと、今お城を探検中なんです。魔王から自由に見て回っていいって許可を得たので」

「ケルが一緒についていく条件付きなんだ」

 いつの間に移動していたのか、騎士の黒マントの後ろからひょっこり顔を出してケルが言った。

「……そうか。俺はこの魔王城で門番を仰せつかっている『魔騎士のジークフリート』だ。よろしく頼む」

 ジークフリートが挨拶と同時に軽く会釈をしてきたので、私も慌てて頭を下げた。

「私はえりって言います。どうもご丁寧に、こちらこそよろしくお願いします」

(さすが騎士。騎士と言うだけあって礼儀を重んじる人みたい。今までの魔族の中で一番信用できる人かもしれない。それにジークフリートって名前、いかにも強そう)

 ジークフリートは背に大剣を背負っており、その油断なき立ち姿を見るだけでもかなりの実力者だと分かる。

 今まで何人かの魔族と相対してきたが、今のジークフリートからは妙な威圧感やプレッシャーは感じられない。少なくともこちらに敵意はないようだ。

 私が顔を上げると、ケルがにこにこしながら寄ってきた。

「ケルの言った通り、ジークは優しくて頼りになりそうでしょ。しかもとっても強いんだよ。もし何か困ったことがあったら、ジークに相談するといいよ」

「うんうん。ケルちゃんの言った通り、優しそうですっごい頼りになりそう。何かあったらケルちゃんかジークフリートさんに相談しよう!」

 私が胸の前で両手を握りしめ言うと、私たちのやり取りを見守っていたジークフリートが小さい笑い声を上げた。

「フッ。俺のことはジークと呼んでくれればいい。敬語もいらん。…それにしても、人間が素直に魔族の言葉を聞き入れるとは、お前は面白い人間だな。ケルと同じで心が無垢なのか、それともそう思わせる演技なのか…」

 兜のせいで表情は見えないが、隙間から見える瞳は優しく細められているように感じた。

「なんかさっき会った吸血鬼にも面白いって言われたけど、そんなに私面白いつもりないんだけど」

 わたしが不服そうな顔で申し立てると、ジークフリートは目を丸くしてケルを見た。

「さっきまた懲りずに魔王様に会いに来たと言っていたが、お前たちもあの後キュリオに会ったのか」

「そうそう、庭園でね。またお城壊さなきゃいいけど」

「……そろそろ出禁にしろとメリィに言われそうだな」

 うんざりした声でジークフリートは目を閉じた。

 どうやらドラキュリオは皆の悩みの種らしかった。魔王と遊ぶと言うほど怖いもの知らずで、悪戯好きのヤンチャ王子なのかもしれない。

「…キュリオは置いといて、半端者の俺がどこまで力になれるか分からないが、もし何か困ったことがあれば言ってくれ。できる限り協力しよう。…お前は、悪人には見えないからな」

「ジーク…、ありがとう…」

 この世界に来て初めてかけられた優しい言葉に、私はじぃんと心が熱くなった。

(なんて騎士道精神に溢れた良い人なんだろう。魔族の中にもこんなまともな人がいるのね)

 私がジークフリートの人柄に感動すら覚えていると、彼が思いだしたようにメインストリートの先を指し示した。

「そうだ。ここまで来たのなら、俺より頼りになる人がこの先にいる。せっかくだから顔合わせしていくといい」

「ジークより頼りになる人?」

「…あぁ。とても優しいご老人だ」

 ご老人、と呟くと、私は綺麗に舗装されたメインストリートに目を向けた。

 ケルは私を導くように走り出すと、枝分かれする水路に向かっていった。

 軽くジークに別れを告げると、私は見失わないようすぐにケルを追いかけるのだった。



 魔王城に続くメインストリートは白一色で統一されており、等間隔で建っている石柱もすべてが白だ。メインストリートを抜けた先にある魔王城が全体的に黒なので、より城が際立つような設計なのかもしれない。

 水路があちこちに枝分かれしているので、小さな橋や飛び石がそこかしこにある。少し前を進むケルより先に視線を向けると、敷地の一番端に小さな橋がかかっているのが見えた。その手すりも何もないただの橋に、一人誰かが腰掛けている。

(あの橋に座っている人が目的のご老人かな…)

 私が心の中でそう思っていた矢先、ケルが大声でその人物に呼びかけた。

「お~い!おじいちゃ~ん!ケルが会いに来たよ~」

 ケルが手を振って近づくと、橋の上の人影はゆっくり立ち上がりこちらを振り返った。

 老人は茶色いローブを着ており、前ははだけぬよう全て留めてあるようだった。ローブのフードを目深に被っているせいで顔はよく見えないが、サンタクロースのような立派な白髭の持ち主だった。手には杖を持っているが、今はそれを何故か糸を付けて釣り竿代わりにしているようだった。

「フォッフォッフォ。よく来たのうケル。今日は可愛いお嬢ちゃんも一緒か」

 ケルに追いつきようやく老人の前までやって来たが、老人は背が低く、ローブに隠れて見えないがだいぶ腰が曲がっているようだった。大体私の肩くらいの背だろうか。

「この人がすっごい頼りになるみんなのおじいちゃんだよ!」

 ケルが両手を広げて紹介してくれたので、例により私は名乗って自己紹介をした。

「フォッフォッフォ、えりちゃんか。遠路はるばる異世界よりよく来たのぉ。突然星の戦士にされ、見知らぬ世界に放り出されて不安じゃろう。儂でよければいつでも相談に乗るぞ」

 髭を撫でながら老人は優しく笑った。ジークフリートに引き続き、人間に友好的な魔族のようだ。

 この城から簡単に脱出はできそうにないが、心を許せる相手が増えたことにより少し私は安心した。おじいちゃんに笑顔でお礼を言うと、私は気になっていた杖兼釣り竿に注目した。

「ところで、その釣り竿って何ですか。こんな空の上じゃお魚なんて釣れないと思うけど」

「あぁ、コレか。雰囲気だけでも楽しんでるんじゃよ。人間界にこの城が漂っている間は釣れないが、魔界だとこの釣り糸に魔力を流し込んでおると、魔力に釣られた愚かな魔族が食いつくんじゃ」

「魔界には野心家の魔族が多いから、強い魔力を見つけるとげこじょおを狙って襲ってくるんだよ」

「……え~と、多分ケルちゃんが言いたいのは下剋上かな。…それにしても、ずいぶんとスリリングな釣りですねソレは。結局おじいちゃんは、魔族と戦うために釣りをしてるってこと?」

 下剋上という言葉を覚えようと必死に復唱しているケルの頭を撫でながら、私は疑問を口にする。

「フォッフォッフォ。戦うのが好きなわけではないが、ボケ防止にちょうどいいんじゃよ」

 そう言って愉快に笑う老人に、私もつられて苦笑した。

 ジークフリートと同じく老人の纏う空気は穏やかで、特に敵意は感じられない。私は意を決して、おじいちゃんに核心を突いてみた。

「おじいちゃん、この魔王城から脱出する出口ってどこでしょうか」

 もしもの時に備え警戒をし、緊張した面持ちで尋ねる私に、おじいちゃんはあっさり出口を釣り竿で指し示してくれた。

「出口ならあっちじゃ。あの中央の道を端まで進んだ先に階段があるじゃろう。あの階段を上った先、四方を石柱に囲まれた舞台に特別な転移魔法陣があるんじゃ。そこから地上や魔界の各領域に移動できるようになっておる」

 釣り竿が向けられている先には、確かに石柱に囲まれた場所が見えた。老人の話が本当ならば、あそこまで逃げることができれば安全に地上まで脱出することができる。

 私が期待に胸を膨らませていると、おじいちゃんはさらに話を続けた。

「じゃがあの魔法陣は特別製でな、魔族にしか反応せんぞ。識別魔法がかけられておるからのぅ」

「ま、またしても識別魔法…。お城の扉と同じってことか。じゃあ人間の私じゃあそこからの脱出は無理ってことなのね」

 明らかに落胆の表情を見せる私に、おじいちゃんは気の毒に思いながらも追い打ちをかけてくる。

「ついでに言っておくと、この先から空に飛び降りて脱出するのも不可能じゃよ。元々この城全体に儂の魔法で防御結界が張ってあるんじゃが、念のため転落防止機能もついておるから、飛び降りてもすぐ下で見えない結界に頭をぶつけるだけじゃ」

「クロロの言ってた城の周りに結界が張ってあるって、アレおじいちゃんのことだったんだ。……待てよ。おじいちゃんの話が本当なら、数日前にメリィから庭園から落ちたらそのまま死ぬって脅されたけど…」

「フォッフォッ、メリィが意地悪して嘘をついただけじゃろう。魔王城にいる者なら誰でも知ってることじゃよ」

(くっそ~、アサシンドールめぇ!さては、怖がる私を見て面白がってたなぁ)

 悔しさに拳を握りしめていると、おじいちゃんがポンポンと励ますように腕を叩いた。

「まぁあまり気を落とさんことじゃ。魔王様は冷たくぶっきら棒な印象を与えているかもしれんが、本当は根は優しい子なんじゃよ。理由無くお嬢ちゃんを傷つけたりはせんじゃろう」

「や、優しい…?あの人が…?とてもそうは見えなかったし、そんな片鱗さえも感じ取れなかったけど…。会う度怖い印象しか植え付けていかないし」

 私の感想を聞くと、おじいちゃんはまたしても楽しそうに笑った。

「フォッフォッフォ。長く付き合えば、案外分かりやすい子だと分かるようになる。気長に付き合ってみることじゃ」

「気長って…。魔族の皆さんと違って私は人間だから、あんまり気長に待ってられないんだけど」

 困った反応をする私をよそに、またもケルちゃんがスーツの袖を引っ張って移動を促してきた。

「次、行かないと!のんびりしてたらお昼の時間になっちゃう」

 ケルの指摘を受け、私は無意識に空を見上げた。日がだいぶ高いところまできており、確かにもう一時間ほどで昼食の時間だろう。

 私はおじいちゃんにまた会いに来ることを告げると、足早にその場を後にした。




 ケルと共に城の玄関まで戻り、再びジークフリートと二、三言葉を交わした後、私たちは再び大広間まで戻ってきた。

 ケルは一段飛ばしで階段を駆け上がると、踊り場で振り返り私を手招きした。

「次はね~、クロロの研究室に案内するよ!」

 レッドカーペットの敷かれた階段を上っていた私は、不穏な単語を聞き足を止めた。

「今、研究室って言った?しかもクロロって、あのネクロマンサーのクロロだよね」

 もはや嫌な予感しかしない場所に、私は気が引けた。案内する気満々のケルはにこにこ顔だ。

「そうだよ!魔王軍の頼れる参謀、クロロ専用の研究室。不思議な物が色々あって面白いんだよ」

「へ、へえ~。お姉ちゃんはあんまり面白そうに感じないなぁ。どっちかっていうと危険な感じがする」

 二の足を踏んでいる私の背を無理矢理押すと、ケルはそのまま二階の一室にあるクロロの研究室まで案内した。



 何の変哲もない扉の前まで来ると、ケルは二回扉をノックした。そのまましばらく待っていると、中から部屋の主人が顔を出した。

「おや。誰かと思ったらケルとえりさんじゃないですか。どうしたんですか、わざわざこんなところまで」

「ケルが今お城の中を案内してあげてるの」

 嬉しそうに耳と尻尾を忙しなく動かしているケルを、偉いですね、と言ってクロロは頭を撫でてあげている。私はその間にそっと研究室の中を盗み見た。

 研究室の全体像は見えないが、色々な薬品や見たこともないホルマリン漬け、化学の実験や手術に使うような器具などが目に入った。一番近くにある机には、幾つかの作りかけの電子部品のようなものが見えた。

(なんか、色々な分野が混ざった研究室だなぁ)

 部屋の中を熱心に覗き見ている私を見て、興味を持ったと勘違いをしたクロロは、扉を開け放って中へと誘ってきた。

「そんなにご興味がおありなら、どうぞ遠慮せず入ってくださって結構ですよ。ちょうど私も星の戦士であるあなたに興味がありますし。お近づきの印に採血を少しさせていただければ、あとはご自由に研究室内を見てくださって構いませんから」

 クロロはどこから出してきたのか、いつの間にか左手に注射器を構え、私の腕を掴もうと手を伸ばしてくる。私は声にならない悲鳴をあげると、ケルをその場に残して一目散に廊下へと駆け出した。

 突然走り出した私を慌ててケルは追いかけてくるが、ついでに余計なクロロまで一緒について来ていた。

「待ってよお姉ちゃ~ん。お姉ちゃんと一緒にいないと、ケル魔王様に怒られちゃう」

「そんなに全力で逃げなくても。注射なんて少しチクッとするくらいなんですから、大げさですよ」

「どこが大げさなのよ!見ず知らずの人にいきなり血を抜かれるなんて怖すぎるわ!」

 後ろを振り返りながら私がそう叫んだ瞬間、頭上で大きな破壊音が聞こえた。ズズンッという振動が城中に響き、何事かと私は足を止めた。私とほぼ同時に、後を追っていた二人もその場に立ち止まって頭上を見上げた。

「これはもしかして、恒例のアレですかね」

「そうだと思う。多分、どっか壊れちゃったかな」

 二人の呟きに、私はずっとケルが懸念し続けていたことに考えが至った。

「今の音って、まさか魔王とドラキュリオがやり合った音…?」

「そのまさかです。すでにキュリオをご存知とは、本人と会いましたか」

「さっき庭園で。魔王をからかいにきたって言ってたけど」

 やっぱりか、と納得の表情を浮かべるクロロ。彼は左手の注射器をしまうと、面倒くさそうに歩き出した。

「あの構って君にも困ったものですね。仕方ありません。仲裁に向かうとしますか。魔王様大好きのメリィまで加わった日には、城がボロボロになってしまいますからね。それでは残念ですが、採血はまたの機会に」

 クロロを無言で見送ると、私は心配そうに耳を垂らしているケルに耳打ちした。

「今、魔王様大好きって言ってたけど、メリィってそうなの?」

「そうだよ。魔王様は強くてかっこいいからね!ケルも大好きだけど」

 ふ~ん、と私が相槌を打つ間も、断続的に振動と破壊音は続く。時折どこからか怒声や少年の高い笑い声も聞こえ、その光景を想像し何ともいえない気持ちになった。

(魔王って、意外と苦労人なのかなぁ)

 私は昼食が近づいてきていることもあり、一度探索を切り上げて地下牢に戻ることにした。

「魔王軍の人たちって、個性的な人たちばかりだね」

「む?うん!みんな違うから色々できて、魔王軍は最強なんだよ!苦手なことも誰かができて、みんなで補えるから最強なんだって!」

 誰かからの受け売りなのか、ケルは自慢げに話す。

 まだまだ分からないことだらけだが、魔王軍の中でもなんとかやっていけそうな、そんな収穫のある探検だった―――。


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