第三幕・ジークフリート編 第五話 聖騎士の務め
クロウリーとの決戦前夜。私は明日の戦いに備え、早めにベッドに潜り込んでいた。おそらく明日は今までで一番激しい戦いになるだろう。早く体を休めて体力を蓄えようとするのだが、目を閉じて数十分、一向に睡魔が訪れる様子はない。
「だめだ~。明日ついに決戦なんだと思ったら、色々不安でなかなか寝付けないよ」
仕方なく私は身を起こすと、温かい飲み物でも飲もうと食堂横のキッチンへと向かった。
夜の魔王城はシンッと静まり返っており、私の歩く靴の反響音がいやに大きく響く。途中私の気配を察知して厳重警戒中の警備魔族がやって来たが、私だとわかるとほっと胸を撫で下ろして巡回に戻って行った。
戦争が激化する前は、おじいちゃんが常に城に常駐しているため、夜間警備に人員を割いたりはしていなかった。しかし最近はおじいちゃんが不在なことが多く、襲撃される可能性があるため、夜間でも城勤めの兵士が交代で見回りを行っているのだ。
キッチンにやって来た私は、ミルクを火にかけてホットミルクを作る。
(これを飲んで体を温めれば、直に眠くなってくるよね)
私はコンロの上で温められていくミルクをじっと見つめながら、昼間魔王に聞いた訃報を思い出す。
クロウリー討伐に同行することを命じられた後、魔王は他の兵の配置について説明してくれた。
『さっきも言った通り、じいは小僧たちの援軍へと向かわせる。この城の守りは、クロロとケロスに任せる。魔界の各地でまだ起こっているいざこざについては、レオンの軍で対処させるつもりだ』
『ふ~ん。ねぇ、さっき言葉を濁してたけど、キュリオに何かあったの?本当はキュリオをカイトたちの援軍に向かわせたかったんだよね』
魔王に問いかけると、彼は表情を暗くして小さく息をついた。どんなに面倒事や辛い事があっても滅多に顔に出さない彼がこんな顔をするのは珍しい。私とジークフリートは顔を見合わせた。
『ドラキュリオはしばらく動かせん。あまりの怒りで魔力が暴走してな。今は領域で療養中だ。念のためジャックもつけて看てもらっている』
『怒りで魔力が暴走!?一体何をそんなに怒ってたの?』
『あのキュリオがそんなに本気で怒るなんて、よっぽどのことだな』
私もジークフリートの言葉に同意して頷く。
基本ドラキュリオは悪戯っ子なので、どちらかと言うといつも怒られる側だ。彼自身が怒っているところは普段あまり見たことがない。それこそ、従弟のドラストラに対して怒っているところだけだ。問題児ではあるが、明るく人当たりは良い方である。
『実は今日、サキュアが死んだ。突如戦場に現れたクロウリーの盾にされてな』
『『!?!?』』
魔王の突然の告白に、私とジークフリートは衝撃で言葉を失う。
サキュアは戦争が激化してからというもの、何故か魔王の命令を無視してメルフィナ軍と戦い続けていたが、一体今日何が起こったというのか。
『サキュアには再三停戦命令を出していたんだが、何故か俺の命令を無視し続けていた。当初はメルフィナ軍の援軍にじいを行かせていたが、途中からドラキュリオに変えていたんだ。じいとドラキュリオの報告では、サキュアを説得しようにも上手く話が噛み合わず、毎度はぐらかされていつの間にか押し切られて戦う羽目になってしまうと聞いていた』
魔王は背中を向けて歩き出すと、作戦会議室の上座に置いてある魔王専用の椅子へと腰掛けた。肘掛けに肘を乗せると、頬を預けて眉間に皺を寄せる。
『クロウリーの精神魔法に掛かっている様子はないが、明らかにいつもと様子が違う。ドラキュリオには警戒を怠らないよう伝えておいたんだが、今日突然クロウリーがサキュアの戦場に現れたんだ。そして、どういう訳かサキュアの魔力が暴走し、クロウリーと結託してドラキュリオ軍とメルフィナ軍に襲い掛かった。大した被害が出る前に迅速にドラキュリオがサキュアを無力化してくれたんだが、問題はその後起こった』
そこから先の話は正に悲劇だった。クロウリーの相手をしていたのは従弟のドラストラだったのだが、仲間の眷属たちと協力してかなりクロウリーを追い詰めていた。そして渾身の一撃をお見舞いしようとした時、あろうことかクロウリーは意識を失っているサキュアを魔法で引き寄せ自らの盾にしたのである。そのままドラストラはサキュアの命を奪ってしまい、放心状態に陥った。事態に気づいたドラキュリオがクロウリーとドラストラの元に向かったが、クロウリーは魔法でさっさと退却してしまったのだと言う。
『え、じゃあ、同士討ちでサキュアは死んじゃったってこと……?』
私はサキュアが死んでしまったことにも動揺していたが、味方同士で命を奪う結果になってしまったことにもショックを受けていた。
『そうだ。しかもそれだけで話は終わらない。実はサキュアほどではないが、ドラストラも度々命令を無視してドラキュリオを困らせることが続いていてな。興奮すると話が噛み合わなくなることがあったらしい。だからドラストラについても注意するよう伝えておいたんだが…』
『まさか、ドラストラもサキュア殿のように暴走を!?』
『そのまさかだ。クロウリーが戦場を離脱した後、放心状態だったドラストラが突如暴走してな。サキュアの死に動揺しているところに、従弟の暴走。今回はあいつにかなり無理をさせてしまった。ボロボロになりながらなんとか殺さずドラストラを無力化してくれたようだが、しばらくドラキュリオの奴は使い物にならんな』
先ほどまではいよいよ明日決戦だと息巻いていたのに、今はずいぶんと疲労感を湛えている。本当に明日は大丈夫なのだろうか。
『キュリオの魔力も暴走したと言っていたが、それは?』
『あぁ。ドラストラを倒した時に妙な機械魔族を見つけてな。たまたま壊れずに残っていたんだが、クロロの話だと寄生型の洗脳魔族ではないかということだ。それがドラストラやサキュアの体に取りつき、負の感情を増大させて魔力暴走に至ったのではないかというのがクロロの見立てだ。今研究室で解体して詳しく調べてもらっている』
『機械魔族ということは、十中八九クロウリーの仕業か。なるほど。それでキュリオが暴走したと』
『そういうことだ。その事実をクロロから聞かされた途端、馬鹿みたいな魔力を出してな。俺が傍にいなければクロロの身が危うかったところだ』
魔王は深いため息をつく。どこまでも苦労人な王だ。
結局魔王がドラキュリオの魔力を抑え込み、自分の領域へ強制送還したのだと言う。沸き上がる怒りの感情でまた暴走しないよう、精神ケア治療要員としてジャックが派遣されているそうだ。
『そういうわけで、ドラキュリオとジャックは動かせん。クロロもその機械魔族の調査をさせるために城の警備要員へと回す。実際は研究室に閉じこもるから、ケロスが守りの要だな』
ようやく兵の配置に納得がいき、ふむふむと私は頷いた。
私はホットミルクをちびちび飲みながら、魔王を人一倍好いていた可憐な少女を思い出した。
度々城で出会うとやれ魔王に気安く話しかけるなとか、やれ魔王の視界にすら入るなとか理不尽なことを言って私を牽制してきた。挙句の果てには一度私の部屋に突入して来て、魔王がわざわざ用意してくれた洋服を強奪していった事件も過去にあった。それほど彼女は魔王のことが大好きだった。
「魔王も口ではいつもうっとおしいとか言ってたけど、今日のあの暗い表情を見る限り、ずいぶんと落ち込んでたみたいだな…。まぁ、仲間を失ったんだから当然だけど。私もさすがに仲良しってわけじゃなかったけどショックだもんね」
私はマグカップのホットミルクを見つめ、しばし死者に想いを巡らせた。
その後ホットミルクを一気に飲み干した私は、今度こそ眠りにつこうと自室へと歩き出した。
(……キュリオは怒りで魔力が暴走しちゃったらしいけど、ジークは明日大丈夫かな。クロウリーは故郷の人々を殺した仇。今日魔王に同行するよう命じられた時も、なんだかいつもと様子が違ってた。明日我を忘れて無茶な行動しなきゃいいけど…)
私はその場で立ち止まると、腕を組んで唸る。
「う~ん。一度様子を見ておいたほうがいいかな。でも、こんな時間にさすがに部屋を訪ねるのは女性としてはしたないかな」
紳士で若干天然が入っているジークフリートならそこまで気にする必要はないと思うが、そこは一応常識的に考えてみる。
「でも待てよ。ジークのことだからこんな時間ならまだ部屋で休んでないかな」
考えを改めた私は、針路を自室から玄関へと変更する。真面目なジークフリートならば、もしかしたら城の正面扉で決戦前夜にも関わらず仁王立ちしているかもしれない。私は足を速めると、エントランスへと急行した。
魔王城の正面扉は魔族にしか開けられない。私が一人の場合は、いつも内側から扉を思い切り叩いて外に知らせることになっている。大抵門番としてジークフリートが常駐しているので、気づいた彼がいつも開けてくれるのだ。
(さて、果たしてジークは外にいるか。ここにいなかったら多分もう部屋で休んでいるはずだから、大人しく自分の部屋に帰ろうかな)
私は拳を作ると、扉を思い切り二回叩いた。反応を窺ってじっと待っていると、ゆっくりと扉が開かれて外の空気が入り込んできた。背景に月を背負って現れたのは、黒い鎧に身を包んだ騎士だった。
「こんな時間にどうしたんだえり殿。俺に何か用事か?」
ジークフリートは驚いた声を出すと、扉を更に開いて私を外へと誘った。
やはり予想通り彼は門番をしていた。決戦前夜だろうと仕事人間には関係ないようだ。もはや門番の鏡だ。
「用事と言うほどでもないけど。明日のことを考えたらちょっと眠れなくて、今ホットミルクを飲んできたところだったんだ。それで、ジークはどうしてるのかなって思って」
私はさりげなくジークフリートの様子を観察する。昼間は少し禍々しいオーラが出ていたが、今は特に何も感じない。いつも通りの彼だ。
「そうか…。俺も今日はすんなり眠れる気がしない。ついに明日、長年願って来た日がようやく訪れるのだから」
「ジーク……」
兜に阻まれ、ジークフリートの表情を読み取ることはできない。声音は平静さを保っているようだったが、彼の過去を考えるととても安心はできなかった。
(大事な人や守るべき人を失ってたくさん傷ついたんだもん。仇を前にして平静でなんていられないよね。でも、怒りに我を忘れてジークが傷つくことになったら嫌だし、私がしっかり見ててあげないと!)
私はまた心の中で勝手に決意をすると、隣で星空を見ているジークフリートを見上げた。
「ねぇねぇジーク、一つお願いがあるんだけど」
「ん?なんだ」
「ちょっとだけでいいから兜取ってほしいな、なんて。ダメかな?」
私は声音だけで精神状態を把握するのは難しいと考え、表情を見るため兜を外すよう依頼した。幸いジークフリートは二つ返事で了承し、兜を取ってくれた。これで彼の揺れ動く今の心をちゃんと読み取れる。
「……ねぇジーク。明日は一人であまり無茶はしないでね。ジークとクロウリーの因縁は知ってるし、許せない気持ちもよくわかるけど、もし万が一ジークにもしものことがあったら、一緒にいる魔王がとても悲しむよ。もちろん、私も」
「ふっ。この間俺が佐久間殿にいった台詞がそのまま返ってきてしまったな。すまない。心配させていたか」
「うん…。だって、昼間に命令を受けた時のジーク、先代の魔王に勝負を挑んだ時と似てたもん。纏う空気が、ちょっと怖かった」
私が不安に表情を曇らせると、ジークフリートは困ったような笑みを見せた。
犠牲になった人々のために復讐を果たしたい彼からしてみたら、私の心配は大きなお世話で、気遣われても迷惑だろう。それでも、私はジークフリートには復讐心ではなく守るために剣を振るってほしかった。いつか見た聖騎士の頃のように。
「………どんなに抑えようと思っても、この胸に宿る激しい憎しみの炎は簡単には治まってくれない。きっと、アレンもずっとこの苦しみと戦っていたのだろうな」
「ジーク…」
「この間、散々偉そうに佐久間殿に言ってしまったからな。頭ではちゃんと理解しているつもりだ。復讐に囚われすぎれば、最終的に自分の身を滅ぼすことになる。俺は淡々と、いつも通り自分の仕事をするまでだ。結局のところ、俺の力ではクロウリーに敵わないことは知っているからな。明日クロウリーを倒すのは魔王様にお任せするつもりだ」
そう私に告げたジークフリートの目は、哀しみの色を湛えていた。自分の手で決着がつけられないことを不甲斐なく思っているのかもしれない。何か言葉をかけてあげたいが、復讐心など今までの人生で抱いたことのない私には、今の彼にかけるべき適当な言葉はすぐに出てこなかった。
私がうじうじ悩んでいる内に、ジークフリートの方から話を振られた。
「そういうえり殿も、明日はあまり無茶をしないようにな。あの筆で少しは戦えるようになったとは言え、能力自体は一日三回のみなのは変わらない。しかも現実化する妄想によって体に負担もかかるんだ。今まで通り極力使用しないほうがいい。もしもの時はこの俺が必ず守るから心配するな」
先ほど瞳に宿っていた哀しさは消え、もういつも通りの騎士の顔に戻っている。他人を守り、思いやるばかりで自分の胸の内に溜め込んでいる心をないがしろにしている彼に、私は少し腹を立てた。それと同時に、今現在彼に無理をさせているのは私自身なのだという事実にも腹が立った。
(ジークは過去の時もそう。自分一人で全て抱え込んで、ウィンスくらいにしか相談できずにいた。周りに頼られてばかりで、騎士として常に全力で他者を守ってる。……でも、そんな彼の心を支えて守ってあげる人がいない。ジークが弱音を吐ける相手や相談相手が)
「…えり殿?どうしたんだ。明日のことが不安になったか?」
私が無言でずっと俯いているので、ジークフリートは心配した様子で私の顔を覗き込んできた。そんな彼に、私は怒った表情で軽く睨みつけた。
「ジークは人の心配し過ぎ!今までずっとジークの優しさに甘えてた私が言うのもなんだけど、ジークは他人を気遣い過ぎです!それ自体はとっても良い事だけど、そのせいでジーク自体のことが疎かになりすぎてるよ!過去の時も思ったけど、ジークって昔から一人で色々溜め込む癖があるよ。しんどいことを一人で抱え込んでても、絶対良い事ない。たまには周りに相談するとか、弱音を吐いてもいいと思う」
ジークフリートは何の前触れもなく突然始まったお説教タイムに面食らっている。私を見ながら目をパチクリさせていた。そんな状態の彼に構わず私は偉そうにお説教を続ける。
「私なんかじゃ頼りなくて相談相手なんか務まらないだろうけど、魔王やおじいちゃん辺りなら相談できるでしょ。…私が過去を見てジークに言った言葉、覚えてる?現在ではいくらでも力になれるからいつでも頼ってって。あれは過去を見て、ジークに必要だったのは相談相手や他者の力を借りることだと思ったから。だから、もっとジークは周りを頼ったほうがいいよ。今も、私の心配じゃなくて、何か溜め込んでるものがあるなら吐き出しちゃったほうがいい。また一人で溜め込んだせいで、大事な明日の決戦に支障が出たらマズイでしょ。私に言い難いことなら、今からでも魔王に突撃しちゃってもいいよ。何だかんだ言っても優しいからきっと聞いてくれると思うし」
私はジークフリートの目を正面から見据えて言った。
人々のためにいつも心を砕いて働いている彼に対して、年下の女、ましてや異世界の人間が何を偉そうなことをと思われたかもしれない。けれど、決戦となる明日がきっとジークフリートにとって人生の転機になる日だ。あの全てを失った日のままの彼では、きっと前には進めない。たとえクロウリーを討ち取ったとしても、過去に囚われたまま彼の時間は進まないように思えた。彼自身も変わって、明日の決戦で気持ちに折り合いをつけた上で仇を倒さなければ。
私の真剣さが伝わったのか、ジークフリートは聞き流すことなく私の言葉を聞いて考え込んでいた。
どれくらいの時間が経っただろうか。実際は三分にも満たない時間だったかもしれない。しかし、静かな夜の自分自身を省みる大切な時間。私は彼が口を開くまで、その場でじっと静かに見守っていた。
「………えり殿は、覚えているだろうか。ずいぶん前に俺が口にした礼の言葉を。初めて凪殿や佐久間殿に会った日のことだ」
「…え?それって、魔王に頼まれてネプチューンと凪さん両方に伝言を届けに行った日のことだよね?」
私は全然予想もしない話に話題が飛び、戸惑いながら自分の記憶を遡る。確かあの日は帰りにジークフリートをずっと追及していた気がする。
「確か帰りにジークからありがとうって言われたんだけど、その意味がわからなくてずっと教えてって追及し続けたやつ」
「そうだ。よく覚えていたな。あのありがとうは、大切なものを奪われ、憎しみを抱く者の心に寄り添い、自分のことのように考えてくれたえり殿に対して礼を言った言葉だ。同じ復讐心を持つ俺にも、えり殿は共感して寄り添ってくれたのと同じだったからな」
あの時の私はジークフリートの過去など何も知らなかったが、彼からしてみれば、凪や佐久間たちは自分と同じ境遇の者たちだ。その二人の気持ちに共感した私を見て、ジークフリートは同じように自分の気持ちに寄り添ってくれたという認識をしたらしい。それはあの時点の私では気づきようもない話だ。
「そういう意味のありがとうだったんだ。さすがにそれはわからないよ」
彼の拡大解釈に驚き苦笑いをすると、ジークフリートは籠手のついた手でそっと私の頬に触れた。自然と顔が上向き、彼の顔をじっと見つめてしまう。
「えり殿はいつも俺に甘えてばかりいるとよく言うが、その認識は間違っているぞ。俺がえり殿によく甘やかされているんだ」
「え!?嘘!ジークを甘やかしたことなんて一度もないけど!?」
私は心底驚き、夜だというのに思わず大きな声を出してしまう。いつの間にか彼は、今までにないくらい穏やかな表情をして私を見ていた。
「俺は復讐心に囚われないよう常に心を律し、騎士としての自信を取り戻そうと毎日門番の仕事に固執していた。過去の失敗や自信を取り戻すのに必死で、日々心に余裕などなかった。先代の魔王様とリアナ姫が亡くなってからは特にな…。そんな時だ。えり殿がこの世界にやって来たのは。えり殿はよく俺のところに顔を出しては、色々な話をしてくれただろう。異世界の話はもちろん、その日あった出来事から疑問に思った話まで。えり殿にとっては他愛ないお喋りの時間だったかもしれないが、俺にとっては十分心休まる時間だった」
この世界に来た当初は、話しかけやすい人物はケルとジークフリート、おじいちゃんしかおらず、私はそれこそ毎日ジークフリートに会いに行っていた。内心仕事の邪魔をして気分を害しているかもしれないと思っていたのだが、今の話を聞く限りそうではなかったようだ。
「まさかジークがそんな風に思ってくれてるなんて思わなかった。ジークは仕事真面目人間だから、いつも話しかけたら迷惑かなって心配してたんだけど」
「迷惑だなんてとんでもない。これも前に言ったが、えり殿と話すと元気が貰えるんだ。沈んでいた気持ちが自然と上向いてくる。過去の夢を見て気分が最悪な日でも、えり殿と話した後は気分が落ち着いていた。今までどれだけ俺がえり殿の優しさに救われてきたか知らないだろうな。……えり殿が思っている以上に、俺はえり殿に今まで支えられている。俺がこうして決戦前にも関わらず正気を保っていられるのは、守るべき相手であり、支えられている相手でもあるえり殿がいてくれるからだ」
私の頬に触れていた手は頭へと移動し、優しく一度頭を撫でた。
ジークフリートの本心を初めて耳にし、今や私の心臓は破裂しそうなほど速く動いていた。全身の血が沸騰し、顔も耳も真っ赤だろう。
(じ、ジークのこの発言は、まさか私を好いてくれているという認識でいいのだろうか。いやでも、ジークの天然ぷりはヤバイからな。素で恥ずかしい台詞でもサラッと言えちゃうし。ここまで言っておいて、ラブじゃなくてライクの可能性も十分あり得る。私とジーク、時々会話の認識のズレが生じるからなぁ)
私はまだドキマギしつつ、彼から目線を外したまま口を開いた。
「私の存在で少しでもジークのことが支えられてたのなら良かった。ジークって、自分のことを二の次にしちゃうように見えるから、我慢して色々溜め込んでるんじゃないかと心配で。明日も何かあったら私を頼ってね。そのためにジークの隣で戦えるように筆の武器も生み出したんだし」
「!?あの武器は、俺の傍で戦うために生み出したのか?この前は回数制限がある能力の弱点を補うためだと言っていたが」
「あ……」
墓穴を掘ったと悟り、私は更に顔を赤くする。
確かに能力の弱点を補うために武器を生み出したことも嘘ではないが、一番の理由はジークフリートの足手まといにならないためであり、彼の窮地の時に傍にいられるようにするためだ。
「本当に、えり殿は今まで俺の周りにいなかったタイプの女性だな。それとも、異世界の女性はみんなえり殿のような人ばかりなのだろうか」
「わ、私のような人って?」
「ただ守られるのではなく、隣に立ち、支え、一緒に歩もうとする女性だな。今まで俺の周りにいた女性は守られる対象ばかりで、俺と近い目線に立とうとする女性はいなかったから。なんだかとても新鮮だ」
ジークフリートが楽しそうに笑うのとは対照的に、私の浮かれていた心は冷めていった。どうやら彼の恋愛対象にはそもそも私は入っていないらしい。おそらく仲間、戦友に近い位置づけになっているようだ。
(さっきまで私は何をドキドキしてたんだか。今まで周りにいないタイプだったから特別視してくれてるみたいだけど、完璧恋愛対象じゃなくて戦友ポジションになってるじゃん!いやまぁ、この間までケルちゃんとセットで弟・妹扱いされてた時よりは昇格したかもしれないけどさ。……もう別にいいけどね。戦友として明日は全力で支えてあげますとも!)
私は心の中で割り切ったが、それでも悔しいので少し意地悪な返しをしてジークフリートを困らせた。ささやかな乙女の仕返しだ。
「…………私も一応はか弱い女性です」
「す、すまない!何か勘違いをさせたか!?もちろんえり殿も守る対象だぞ!俺が言いたかったのは」
「クシュンッ!!」
ジークフリートの言葉を遮り、私はくしゃみを一つした。ホットミルクでせっかく温まった体も、夜風に触れてすっかり冷えてしまったようだ。
ジークフリートは私の真横に立つと、自分のマントを広げて私を包み込みそっと体を引き寄せた。
「どうやら俺の言葉が足りなかったせいで不快な気持ちにさせたようだな。すまない」
「……もういいよ。ジークがあったかいから許す」
私は嬉しそうに彼のマントを掴むと、甘えるように後ろに立つ彼に背中を預けた。
やっぱりジークフリートより私の方が甘えていると思う。こんな恋人同士のように甘えても、優しい彼は嫌がる素振りなど一切見せない。
(だからこそ男に免疫のない私のような人間は騙されるのかもしれないな。まるで両想いみたいだなって)
私はマントでぬくりながら星空を見上げる。
「明日、もし俺の心が憎しみで暴走しそうになったら、えり殿の言葉で正気に戻してもらえるか。えり殿の言葉なら、暴走していても俺の心に届くような気がするんだ」
「うん、もちろん。大丈夫、今度は一緒に乗り越えよう。クロウリーのやつがどんな汚い手を使ってきたとしてもね」
少しだけ不安を覗かせたジークフリートに、私は間髪入れずに答え勇気づけた。
私とジークフリートは互いの体温を感じながら、しばらくの間決戦前夜の穏やかな時間を過ごすのだった。
決戦当日。私たちは魔界にあるクロウリーが治める領域へと来ていた。
クロウリーが治める領域は異常気象地帯と呼ばれ、クロウリーの住む城周辺以外は常に不安定な天候にある領域だった。ある場所では雷雨、またある場所では猛吹雪。竜巻もあちこちで発生している。時間帯で刻一刻と天候が変わるため、とても住みにくい土地なのだそうだ。
この領域にはクロウリーと同じ三つ目族という魔族と機械魔族、スライム系の魔族が主に住んでいる。三つ目族というのはその名の通り、三つの目を持つ魔族で、魔力が豊富で魔法の扱いに長けている一族だ。
ジークフリートと一緒にウィンスに乗っている私は、粉雪が舞う空を見上げながら自ら先陣をきる魔王に声をかけた。
「ねぇ魔王、本当に彼らは私たちの味方になったんだよね?クロウリー軍と挟み撃ちにされたりしないよね」
「なんだ。まだそんな心配をしていたのか。案ずるな。サラマンダーとも直接会ってすでに和解している。竜人族はもはや我らの味方だ」
魔王は四方を固めて飛んでいる竜を見ながら答えた。
今私たちはクロウリーの居城を目指して移動しているが、今回は私たち以外に竜人族が十名ほどついてきている。さすがに私たちだけではクロウリー軍全員を相手にすることはできないので、サラマンダー軍から精鋭を借りてきているのだ。何でも命令に背き好き勝手暴れた罰なのだそうだ。
「竜人族がいれば、大抵の魔族は打ち払えるだろう。俺たちは魔王様の立てた作戦通り、クロウリー捜索に集中できる」
「確か機械仕掛けのお城なんだっけ。魔王は外から無理矢理城を破壊して捜すから、私たちは城に潜入して中から捜せばいいんだよね」
「そうだ。お前たちはあの城に行くのは初めてだから知らないだろうが、実にイライラする城だぞ。あそこは。機械好きのクロロなら一日中いても飽きないだろうがな」
うんざりした顔で魔王は言う。よほど以前嫌な思いをしたようだ。
いつの間にか粉雪を降らしていた雲は無くなり、雷雲が立ち込めていた。ゴロゴロと雷が鳴り、すぐ近くで空も光った。私がビクビクしていると、ジークフリートが私の肩に手を乗せて話しかけてきた。
「大丈夫だえり殿。直接雷が落ちてきたりはしない。もし雷が落ちてくるとしても、ウィンスがその前に察知して避けてくれるさ」
「本当…?ジークの鎧ってすごい雷落ちやすそうな素材に見えるからさ。少し心配で」
「ククク。避雷針か。もし落ちてきたら仕方ないから結界でも張ってやる。お前のせいで女が丸焦げになったら大変だからな」
「ま、魔王様」
笑ってからかってくる魔王に、ジークフリートは少し不満げな抗議の声を上げた。
「魔王様!見えてきました!クロウリーの城です!案の定城の周囲は敵で溢れかえってますよ」
話に突然割り込んできた竜人族の男は、竜化している仲間の背に乗りながら、前方に見えるクロウリーの城を指さした。
前方にそびえ立つ城の周囲には、男が言うように機械魔族やスライム、他にもちらほら各種族の者たちが見えた。
「どうやら洗脳されている種族の者たちも混ざっているようだな。竜人族よ!お前たちは予定通り外の連中の相手を頼む!洗脳されている者たちはくれぐれも殺すなよ!魔法が解ければ正気に戻る」
了解、と魔王の言葉に竜人族たちは声を揃えて答えた。そして一斉に散開すると、眼下に布陣するクロウリー軍に突っ込んで行った。
「よし。それじゃあ俺たちは当初の予定通り城を攻略する。お前たちは中からクロウリーを捜せ。俺は外の上から捜す。もし奴を見つけても早まった真似はするなよジークフリート。えり、お前が気を付けて見ていてやれ」
「任せて!いざとなったら私がジークを守っちゃうから!」
「…えり殿、さすがにそれは男として俺も複雑なのだが」
私とジークフリートの様子を見て安心したのか、魔王は一足先に城へと向かって行った。雨が降り始めてきたため、私たちもすぐに気候が安定している城を目指した。
クロウリーの城は外観からは三階層くらいの普通の城に見える。外からは機械仕掛けの城には見えないが、魔王の話によると中はギミックだらけらしい。
上に向かう魔王と二手に分かれ、私たちは城の正面扉がある地上に降り立とうと下へ向かおうとした。しかしその時、猛スピードでこちらに向かってくる強い殺気の塊を感じ取った。私とジークフリートは同時にその方角を見たが、その向かってくる人物を見た瞬間、二人して思考が停止してしまった。
「な、何で、アレンが……。ジークがこの間倒したって…」
私は戸惑い、ジークフリートは信じられない目で赤髪の騎士を見る。ダークブルーの甲冑を身に纏った騎士は、以前見た時と同様、馬型の空飛ぶ機械魔族に乗っていた。
私たち二人がいつまでも戦闘態勢に入らないので、ウィンスが大きく嘶き注意を促してきた。
「ッ!?すまないウィンス!えり殿、しっかり掴まっていてくれ!」
私が鞍に強くしがみつき直した直後、双剣を抜いたアレンが真横を駆け抜けざまに斬りつけてきた。私は恐怖から目をギュッと瞑ってしまったが、ジークフリートが大剣で難なくそれを受け流した。
アレンは空中で旋回すると、再び標的を私たちに定めて殺気を放った。
「あれって、アレンなんだよね?なんか前よりあからさまに機械化が進んでるけど」
「あぁ。おそらくクロウリーがアレンの死体を回収したに違いない。アレンは瓦礫の下敷きになっていたから、遺体の損傷が激しかったはずだ。だから以前より機械化してしまったのだろう。……まさか、また星に還ったアレンの魂を禁術で呼び出すとはな。どれだけ人の命を弄べば気が済むんだ、クロウリー!!」
激昂するジークフリートは、姿が見えぬクロウリーに今すぐにでも斬りかかって行きそうな勢いだった。
そんな時ふいに上空で轟音がしたので首をめぐらすと、ちょうど魔王が城に大穴を空けて潜入するところだった。
「ジークフリート!クロウリーは俺に任せろ。お前は奴の最後の嫌がらせであるソイツの相手だ。負けることは許さんぞ。今度こそきっちり星へと還してやれ」
それだけ言うと、魔王は機械仕掛けの城へと入って行った。
魔王に声を掛けられていくらか冷静さを取り戻したジークフリートは、変わり果てたアレンへと大剣を構え直した。アレンは溜めていた力を解放し、今や黒いオーラを全身に纏っている。以前見た時よりだいぶ呪いが進行しているようだ。
「あの黒いのに攻撃されちゃうと呪われちゃうんだよね、多分。あれはもう二度と喰らいたくないな」
私はトラウマになった悪夢を思い出し表情を硬くする。
「大丈夫だ。もう同じ轍は踏まない。えり殿には俺が指一本触れさせん」
強い決意を感じさせる言葉だったが、私は彼の声に含まれる哀しみを僅かに感じ取った。もう命のやり取りはすぐ目前で、迷っている暇など微塵もない。本当の気持ちを心の奥底に隠して剣を振るおうとしている。
(ジークはもう二回も自分の手でアレンを殺している。大事な部下を。この間私を助けるために殺した時だって、本当はアレンを助けたかったはずなのに。それなのにまたアレンと戦うことになるなんて……。平気なはずない……)
私はどうにか救いの糸口を探ろうとしたが、切迫したこの状況ですぐに良い考えなど浮かばなかった。
ジークフリートとアレンの三度目の戦いは正に死闘だった。一瞬の判断ミスが命取りになるような戦いで、お互い全く隙が無い。攻防の入れ替わりが激しく、わざと隙を見せて相手の攻撃を誘いこんだりと色々戦略も駆使しているが、なかなかどちらも一撃すら入れることができない。
私を狙ってジークフリートの動揺を誘ったりもしてくるが、ハンデ扱いされたくないのでその時は私もアレンではなく馬の機械魔族を狙って筆で攻撃をする。すると馬の機械魔族が反撃してくるので、今度はウィンスが機械魔族に対抗する。という具合になかなか拮抗した戦いを繰り広げていた。
「距離を取った時にジークが声を掛けてるけど、全然反応しないね、アレン。この前まではすごいお喋りだったのに」
「機械化が進んだ影響もあるかもしれないが、一番の原因は強い呪いのせいだろう。呪いに感情を支配されて言葉を発することすらできないんだ。今のアレンは憎しみに任せて剣を振るうことしか頭にない。せめて会話ができればいくらかやりようもあったのだが」
私たちはまるで獣のように低い唸り声を上げているアレンを見た。もう機械化していないところを見つける方が難しく、顔は口元と右の眼球以外は鉄でできている。過去の記憶で見た凛々しい青年の面影は見る影もなかった。
「ジーク、このままじゃ一向に埒が明かない。私は能力で浮遊魔法を使うから、ここは二手に分かれよう。私が一緒に乗っていないほうがもっとジークも攻められるでしょ」
「それでは前回の時の二の舞になる恐れがある。えり殿は俺から離れては駄目だ。守れるよう傍にいてくれ」
「大丈夫!そこまで離れたりしないよ!ジークがすぐ駆け付けられる範囲にいるから。二方向から同時に攻撃できたら隙だって生まれやすいでしょ。それに……、こんな哀しい戦いは長引かせないほうがいいよ。お互いに辛いだけでしょ」
「えり殿……」
私は能力を使って空を飛ぶと、ウィンスとジークフリートから離れた。幸いアレンがロックオンをしているのはジークフリートのようで、離れた私に注意が向くことはなかった。
そこからは私は馬型の機械魔族に筆で攻撃し、ジークフリートはアレンとの一騎討ちに集中した。先ほどまでは私がいるため防御に重きを置いて戦っていたが、今は本来の実力が十分出せている。加えて私が魔法で援護しているため、少しずつアレンに攻撃が通り始めた。
「アレン!しっかりしろ!俺の声が聞こえないか!」
ジークフリートは戦いながら諦めずにアレンに呼びかけるが、やはり呪いのせいで彼の反応はない。
(クロウリーめ!どこまでジークやアレンを苦しめれば気が済むのよ!絶対後でぶん殴ってやるんだから!)
私は青色の少し大きめの円を描くと、機械魔族に向かって氷魔法を撃ち出した。私の魔法の直撃を喰らった機械魔族は、半身を氷漬けにされて身動きができなくなる。効果範囲が大きかったため、アレンの左腕と足も氷漬けに巻き込まれた。一瞬怯んだその隙を見逃さず、ジークフリートは歯を食いしばりながら大剣を振り下ろした。
しかし危険を察知した機械魔族が咄嗟に身を引いたため、アレンの左腕だけが斬り落とされた。私はその光景を横から見ていたが、斬り落とされたアレンの左腕の断面を見て思わず声を失った。血が噴き出すのではなく、そこからはオイルや機械の部品、切れた配線や電気の火花が散っていた。その部分は以前見た時は機械ではなかったはずなのだが、今はもう血の通わぬ機械になりさがっていた。
正面から対峙していたジークフリートも私同様ショックを受けたのか、大剣を振り下ろしたまま固まっている。かつての部下が機械化してしまった現実を目の当たりにしてしまったら、さすがに動揺せずにはいられないだろう。
ジークフリートが隙だらけになっているのを見逃すほど敵も甘くはない。痛みを感じていないのか、アレンはすぐに反撃に転じてきた。
「危ないジーク!」
ジークフリートより先に我に返っていた私は、鋭い声で彼に呼びかけた。守りに入るのが遅れたが、先にウィンスがフォローしていたため寸でのところでアレンの攻撃を躱すことができた。
私は心が大きく動揺しているであろうジークフリートの下へ、急ぎ駆けつけた。
「大丈夫ジーク!?」
「俺は、大丈夫だ。俺は………。機械化しているのは理解していたつもりだったが、……くっ!」
兜を被っていても、悔しさから彼が歯を食いしばっているのがわかる。大剣を持つ手が震え、抑えきれないほどの怒りや哀しみが傍にいるだけで伝わってくる。
「せめて俺に聖騎士の力があれば、殺すのではなく、浄化して苦しみなく星へと還してやれるのに…!機械化までされ、憎しみに心を染められたまま殺されるしかないとは!どうして、あいつばかりそんな目に!」
肩を震わして胸の内を吐き出す彼の言葉を聞き、私の頭にある可能性が過ぎった。
(ジークに聖騎士の力があれば……。私は過去の記憶を見て聖騎士だった頃のジークを知っている。闇に染まる前の聖剣も見ているし、浄化の力がどんなものかも実際見た。私の妄想の力があれば、聖騎士だった頃のジークに戻すことも可能かもしれない!要領としては、前に毒を受けたキュリオを治した時と同じでいいはず。あの時とは難易度が段違いかもしれないけど、やってみる価値はある!)
私は大剣を握るジークフリートの手に自分の手を重ねると、覚悟を決めて真っ直ぐな瞳を彼に向けた。
「ジーク。上手くいくかどうかわからないけど、私の能力でジークを聖騎士に戻してみる」
「な!?そんな、無茶だ!いくらえり殿の力でも、魔騎士に堕ちた俺を聖騎士に戻すなど」
「疑っちゃダメ!私の能力は信じる心と強い想いが大事なんだから!私の妄想だけじゃきっと上手くいかない。当事者であるジーク本人も強く願って!アレンを救うために!聖騎士だった頃の自分を思い出して!」
「聖騎士の、自分を……」
私たちが何かしようとしているのを感じ取ったのか、アレンはこちらの動きを邪魔しようと片腕にも関わらず猛攻を仕掛けてきた。
ジークフリートはすぐさま私を背に庇うと、アレンの攻撃を大剣で受け止める。
「………他ならぬえり殿がその可能性を信じるならば、俺もえり殿を信じよう。今度こそアレンを救うため、えり殿の力を頼ってもいいか」
「もっちろん!そのために今私はここにいるんだから!」
今度こそ彼の力になるため、一緒に過去を乗り越えるために、私は今までの記憶をフル活用して妄想に集中した。
(まずは聖騎士のジークを鮮明にイメージ。過去で見た、温かい空気を纏った優しい雰囲気。近くにいるとみんなが安心して、自然と心が開いてしまうような。……そして神より授かりし強力な浄化の力。眩い黄色の温かな光。聖剣エクスカリバーは透き通る刀身に浄化の光が宿った最強の剣。………ウィンスが私に過去の記憶を見せたのは、きっとこの時のため。私の力でジークを救ってほしいと。この妄想には、私以外にも色々な願いや想いが詰まってる。絶対に失敗しない!聖騎士になって、今度こそジークはたくさんの人を救うんだ!!)
ジークフリートが時間を稼いでいる間に、私の妄想は最高潮に達した。全身から眩いほどの蒼白の光を発する。ジークフリートとアレン、城の周囲で戦っていた竜人族やクロウリー軍までもが、その強い光に顔をしかめて動きを止めた。
「いくよ!ジーク!私を信じて願って!『聖騎士に戻れ!!!』」
妄想が現実に解き放たれた瞬間、ジークフリートの体が蒼白の光に包まれた。そして蒼白の光は次第に黄色い光へと変化していく。神の加護を受けた浄化の光だ。
アレンは本能的にその光が危険だと察したのか、ジークフリートから素早く距離を取る。
私は連続で力を使用し、ウィンスにも元の白馬に戻るよう妄想を発動させた。
上空は温かな黄色い光で満たされ、いくつもの視線が集まる中、ジークフリートとウィンスはかつての姿でその場に現れた。聖騎士と神の使いである白馬ペガサスだ。
「力が、漲る…。間違いない。失われた聖騎士の力だ。それに聖剣も、かつての力を取り戻している」
ジークフリートの声に答えウィンスも嬉しそうに鳴くと、額に輝く聖なる角を誇示した。
「良かった。無事、成功して……」
私は成功したことに気が抜け、更に力を使い果たしたせいもあり、ふらふらと地上目指して落ちていく。覚束ない浮遊魔法で落ちていく私に気づき、ジークフリートはウィンスを操りすぐに私を受け止めてくれた。
「えり殿!大丈夫か!?すまない、俺たちのために無理をさせてしまった」
「えへへ。平気平気。ようやくこれでジークの力になれたね」
疲れすぎて上手く笑えていない私を見て、ジークフリートは大きく被りを振った。
「なにを言うんだ。えり殿は十分いつも俺の力になってくれている。……ここからはゆっくり休んでいてくれ。あとは聖騎士である俺の役目だ」
ジークフリートに優しく撫でられた私は、心なしか体力が少し回復した気がした。暖かい何かが体を包み込み、疲れを癒してくれたようだ。聖騎士ともなると簡単な回復魔法的なものが使えるのかもしれない。
私はなんとか空中に留まると、ジークフリートとアレンの最後の決戦を見守った。
聖騎士の力を取り戻したジークフリートを、アレンは遠巻きから警戒心剥き出しで観察している。獣のような唸り声はそのままだが、見るからに及び腰になっていた。それほど神の浄化の力を恐れているようだ。
「待たせたな、アレン。これでようやくお前を救ってやれる。呪いの苦しみから解放してやれる」
ジークフリートは聖剣エクスカリバーに浄化の力を注ぎ込むと、真っ直ぐアレンへと構えた。その剣に迷いはなく、アレンを殺すことに躊躇していた過去の聖騎士はいなかった。今はただ、目の前の命を浄化することのみ考えている。
「俺の力を恐れて萎縮しているのはお前ではなく、呪いそのものだな。聖騎士から魔族へと堕ち、この長い年月で俺も色々な経験をした。光の中でしか生きていなかった俺は、闇の中を生きたことで以前よりも内包する光が強くなった。魔族という遠回りも、今思えば無駄ではなかったようだな」
エクスカリバーはジークフリートの気持ちに呼応し、強い光で明滅を繰り返す。刀身は徐々に光を纏って分厚くなっていった。
「闇の力を知った俺に、払えない闇はない!この一撃で、跡形もなく浄化してやる!!」
その聖なる力に恐れをなしたのか、アレンと馬型の機械魔族は背を向けて逃げ出した。だが逃亡を許すような真似を神の使いがするはずもなく、ウィンスは聖なる角から浄化の光を撃ち出した。見事機械魔族の胴体に命中し、逃亡の足は止まった。
その隙に、聖剣を上段に構えたジークフリートが背後に詰める。
「来世では幸せになれ、誰よりも。お前に神と星の加護があることを祈っている」
聖剣が機械魔族ごとアレンを一刀両断した瞬間、アレンを覆っていた黒いオーラは神の浄化の光を浴びて瞬く間に消えていった。声を発することすらできずずっと無表情だった彼は、死の際になってようやく自我を取り戻した。
「まさか、また聖騎士の団長を目にすることができるなんて…。星の、戦士の彼女に感謝、です、ね……」
「本当に長い間苦しませてしまったな。俺が聖騎士として不甲斐なかったばかりに」
ジークフリートは光の粒子となって消えゆく部下を、数十年前の時のように傍で見送る。私はその切ない光景に、涙が溢れて止まらなかった。
浄化することでしかもう彼の魂を救うことはできないが、過去の時と同じで、浄化することはすなわち死を意味する。ジークフリートとアレンにとってはこれが三回目の別れだ。しかし今回こそはもう、永遠の別れを意味する。
「せっかく、聖騎士に戻ったんですから、もっと、自信を持ってくださいよ。でないとまた、大切なものを失いますよ。…団長と一緒に、戦場に立って支えてくれる人、なんか、もう二度と現れませんよ。今度こそその手で、守り通し、て……」
「アレン!!」
ジークフリートに微笑みながら、アレンは星の輪へと還っていった。
私は邪魔をしないよう少し離れた場所から二人を見守っていたが、ほんの短い間ではあったが、最期に二人が少しだけでも会話ができたことに安堵した。
(良かった…。せめて少しでも話ができたようで。聖騎士の浄化の力がなかったら、ただ殺すことしかできなかったもんね)
私は頬を伝っていた涙を拭うと、アレンを形成していた粒子を見つめるジークフリートの下に移動しようとした。
ちょうどその時、クロウリーの居城が大きな音を立てて揺れ始めた。その振動は地上で戦う竜人族やクロウリー軍の者にも伝わった。
「な、なに急に!?お城が、崩れ始めた?」
理由はよく分からないが、クロウリー城は外壁からボロボロと崩壊し始めた。おそらく城内も崩れ始めているに違いない。
「まだ中には魔王様が!」
ジークフリートが焦った声を出した直後、城の上層部分が内部から破壊されて吹き飛んだ。魔王が入る時に破壊した部分とは別の個所だ。
私が穴の開いた壁部分を見上げていると、中からあちこち破れている黒いローブに身を包んだ男が飛び出してきた。私はその男の装いを見て、すぐさま過去の記憶と照らし合わせた。
(あのローブの男…。間違いない!過去でセイントフィズ王国を襲った魔族だ!あいつが七天魔のクロウリー!!)
「全く、ハーフの癖に加減の知らない男だ。まさかこのワタシがここまで追いつめられるとは。何とかここを脱してしばらく身を隠さなければ」
私がクロウリーを睨みつけていると、ちょうど視線を落とした本人と目が合った。クロウリーは背筋がゾクッとするような怪しい笑みを浮かべると、私に向かって一直線に浮遊魔法で飛んできた。
「グフフフ。どうやらワタシの運はまだ尽きていなかったようですねぇ。あの小娘を人質に捕れば上手く逃げおおせるでしょう」
(マズイ!狙われてる!)
私は急いで筆を構えて円を描こうとしたが、それより早くジークフリートとウィンスが私たちの間に割り込んだ。
「まさかそちらから滅されにやって来るとはな。それはそうと、お前は今、一体誰を狙っていた?」
全身から浄化の光を立ち上らせ、ジークフリートは怒気交じりの声で言った。
クロウリーは白い鎧姿のジークフリートと白馬のペガサスを見て、たっぷり五秒ほど時間が止まっていた。今まで色々と策謀を巡らせてきた彼でも、この展開は全く予想していなかったのだろう。すぐには言葉が出てこなかった。
「………な、何故だ。何故貴様が浄化の力を手にしている!?魔族へと堕ちたはずだろう!」
「死にゆく者に教える義理などない。お前には、ずいぶんと借りができてしまったな。セイントフィズ王国の人々、騎士団の部下たち、王様、姫様。そして、三回もアレンの命を弄んだ!」
全身から発せられた浄化の光は、みるみるうちに聖剣エクスカリバーへと吸収されていく。聖なる力を溜め込んだ聖剣は、先ほどのアレンの時とは比べものにならないくらいの浄化の威力となっていた。これは仮に魔王が喰らっても、ただでは済まないのではないかという位だった。
「ま、待て!早まるな聖騎士よ!そ、そうだ!ワタシの禁術で再びあなたの大事な部下を蘇らせてあげましょう!肉体は消滅していますが、機械魔族の器に宿らせればまたアレンに会えますよ!」
クロウリーは必死にジークフリートを説得しようと試みるが、その口から出た言葉は全て逆効果だった。
「お前はどこまで言っても救いようのない男だな。お前だけには、一切の慈悲もない。アレンだけに止まらず、お前はえり殿を呪いにかけ、今再び彼女を襲おうとした。もうこの一振りで、跡形もなく消し去ってやる!!」
「チィ!下手に出ていればつけ上がりやがってぇ!人間如きが魔族に逆らおうなんて百年早いんですよぉ!!」
クロウリーは真正面から聖剣エクスカリバーを結界で受け止めたが、ジークフリートの長年の想いが詰まった渾身の一撃を防げるはずがなかった。魔力で形成された結界は神の力で払われ、クロウリーは聖剣によって穢れ切った魂ごと浄化されて消滅した。後には炭の燃えカスのような白い粉が空を舞って消えていった。
遠い過去から続いた因縁がついに決着し、ジークフリートは長い息を吐いて聖剣を鞘にしまった。
「ようやくこれで、聖騎士としての務めが果たせただろうか…」
「ジーク!お疲れ様!これでセイントフィズ王国のみんなの仇が取れたね!」
私は疲れているのも忘れて喜ぶと、笑顔でジークフリートに声をかけた。
「えり殿、無事で良かった。……こうしてこの手で仇を取れたのは、全てえり殿のおかげだ。もし聖騎士に戻れていなかったら、クロウリーを倒すことはおろか、アレンも救えていなかっただろう。本当に感謝している。ありがとう」
「そ、そんな!私は大したことしてないよ!私の妄想が成功したのだって、ジークが聖騎士の力を取り戻したいって強く願ったからだもん!今回こうして戦いきれたのは、ジーク自身の実力だよ!あと…、優秀な相棒のおかげかな」
私はウィンスに向き直ると、頭と首をギュッと抱きしめて優しく鬣を撫でた。ウィンスは嬉しそうにご機嫌で鳴いた。
「俺の獲物を横取りしておいてずいぶん楽しそうだな、お前たちは」
頭上から聞こえてくる不機嫌な声にビクッと反応した私たちは、そろそろと視線を上に上げる。案の定そこには虫の居所が悪そうな魔王が浮いていた。
「まさか散々俺が弱らせたクロウリーを、足止めすることなくその手で葬るとはな。主である俺を待たずにおいしいところだけ持っていくとは。ずいぶんと良いご身分になったものだなぁ、ジークフリート」
ギロッと睨みつけてくる魔王に、ジークフリートは気まずそうに身を縮こませる。
「しかも俺の許可なくジークフリートを魔族から人間に戻すとは。本当に貴様の能力はデタラメな力だな」
ジークフリートの次は私に標的を移して魔王は睨んできた。
戦いに勝利したというのに、私たちは揃って肩身を狭くして怒られた。
「フンッ。まあいい。お前が騎士としての自信を取り戻せたのなら、お前を心配していた父上や母上も喜んでいることだろう。今回だけは大目に見てやる」
「魔王様!ありがとうございます」
「ふふ。何だかんだ言って優しいんだから」
「何か言ったか!?」
苛立たし気に睨んでくる魔王に、何でもありませ~ん、と私はおどけて答え、ジークフリートと笑い合った。
「こっちは無事に片付きましたが、ガイゼルの方は大丈夫でしょうか。あちらも片付かなければ戦争終結とは言えません」
ジークフリートはもう一つの決戦地であるアレキミルドレア国を案じた。
「小僧だけでは頼りないが、あっちにはじいも付けている。他の星の戦士もいるし問題ないだろう。案外あっちも今頃片が付いているかもしれんぞ」
そう言うと、魔王はクロウリー軍を相手にしている竜人族を加勢しに地上へと下りていく。
能力の使い過ぎでくたくたになってしまった私は、ジークフリートにお願いしていつもの場所に納まった。
「俺は、幸せ者だな。一時は絶望の淵にいたが、多くの人に支えられ、再び聖騎士として生きることができるとは。……今日この瞬間、あの日止まった俺の時間は動き始めた。あの悲劇を繰り返さぬよう、俺は人間と魔族双方の幸せのため、聖騎士としてこの力を振るおう」
「……うん!人間と魔族、どちらの生も経験したジークなら、きっとこれから色んな人を助けてあげられるよ!」
私は温かい空気を纏う優しい聖騎士に微笑みかけた。
こうして、私の異世界での戦いの日々は無事幕を閉じたのであった―――。




