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第三幕・ジークフリート編 第三話 囚われの魂

 日が西の空に沈んだ頃、ガイゼル軍とユグリナ騎士団のその日の戦いは終わった。両軍とも兵を退き、ガイゼル軍は王都シャドニクスへと撤退、ユグリナ騎士団は後方まで退き野営の準備へと入った。

 ユグリナ騎士団が用意した大きな天幕の一つで、俺とカイト、サイラス騎士団長は顔を突き合わせていた。

「………すみませんジークフリートさん。えりさんが敵に攫われたのは俺の責任です。ジークフリートさんに頼まれたのに、みすみす無防備にして攫われるなんて……」

 輪光の騎士カイトは昼間からずっとこの調子だ。

 今日の昼間、突如死んだはずの元部下であるアレンが姿を現し戦闘になった。アレンは聖騎士の力で浄化しそのまま星へ還ったと思っていたのだが、魂は呪いを受けたままで魔族へと堕ちてしまっていた。呪いはとても強力で、人間の頃のアレンの憎しみや嫉妬など、負の感情を増大させているようだった。

 昔の自分ならいざ知らず、魔剣士となった今では闇に呑まれた魂を救うことはできないだろう。

「カイトのせいではない。全ては聖騎士の時に浄化を果たせなかった俺の責任だ」

 俺は二人にセイントフィズ王国が何故滅んだのかを説明した。説明している間、二人は口を挟まずじっと最後まで聞いていた。

 アレンの呪い、聖騎士の力を失った経緯について全て話し終わると、カイトはとても悔しそうな表情で興奮しながら話し出した。

「まさかそんなことがあったとは…!その黒ローブの魔族は許せないですね!呪いをかけて人間の負の感情を暴走させるなんて!そいつの正体はもう分かってるんですか?なんなら俺の能力でそいつごと払ってやりますよ!」

 先ほどはあれほど落ち込んでいたというのに、今はもう鼻息荒くやる気満々だ。その目から、俺の役に立ちたいという熱意がひしひしと伝わってくる。彼は本当に聖騎士だった頃の俺に強い憧れを抱いているようだ。

「その気持ちは嬉しいが、奴相手ではお前でも一筋縄ではいかないだろう。何せセイントフィズ王国を滅ぼした元凶は、あのクロウリーだからな」

「クロウリーって、あの七天魔の一人のか?あんたらのとこの裏切者の」

「あぁ、そうだ。奴はセイントフィズ王国だけでなく、先代の魔王様とその姫君であるリオナ姫の仇でもある」

「なるほど。そこかしこで恨みを買って真っ黒なわけだ。だが、それにもかかわらず未だ罰せられておらず野放し状態と」

 サイラスは腕組みをして難しい顔を作った。

「なんでそんな悪い奴を魔王は野放しにしておくんです?さっさと処罰してしまえばいいじゃないですか。親の仇なんでしょう」

「……処罰するほどの確たる証拠がないのだ。セイントフィズ王国の時も自分が関わった痕跡を一切残していない。先代の魔王様にいたっては、無理が祟ってご病気が悪化したからだ。リオナ姫を唆したのはクロウリーだろうと先代の魔王様は言っていたが、それも推測にすぎない。確かな証拠がないまま強引に処罰を行えば、逆に魔王様の御立場が悪くなる。ただでさえハーフである魔王様を軽んじる者がいるのだ。迂闊なことはできない」

 俺は悔し気に唇を噛みしめた。

(人間から魔族になった俺には大した魔力が宿っていない。真正面から魔剣で勝負を挑んでも、多彩な魔法を扱うクロウリー相手では分が悪い。元の聖剣と聖騎士の力が揃っていれば太刀打ちできたのだが…)

「これからどうするんだ?いくら星の戦士と言えど、カイトの話じゃかなりヤバそうな攻撃を喰らったんだろう彼女は。助け出しに行ってやらないとまずいんじゃないのか」

 サイラスは離れた戦場にいたため、彼女がアレンの攻撃を受けたところは直接見ていない。ただ、アレンが彼女を連れ去って逃げたところは地上から見ていた。

「アレンが言っていた。あの攻撃でえり殿も同じ呪いを受けたと。となれば……、彼女の魂はもう闇に囚われ、カイトの力でも容易に浄化できなくなっているかもしれない」

「同じ呪い!?…ジークフリートさんでも完全に浄化しきれなかった呪いなんですよね。それじゃあえりさんは近い内に魔族化しちゃうってことですか!?」

「おいおい。まだそうと決まった訳じゃないだろう。あまり悲観しすぎるな。聖騎士の力は神が与えた浄化の力。お前の力は星に与えられた全く別の力だ。試しもしない内から諦めるな。お前の力で意外と浄化できるかもしれないぞ。黒いオーラってやつは浄化できたとさっき俺に報告していただろう」

「そ、そうですね。やる前から諦めるなんて、自分から可能性を捨てるようなものですよね…。星の戦士のリーダーとして、もっとしっかりしないと!」

 サイラス団長が副騎士団長である若いカイトを諭し鼓舞する姿を見て、俺はかつての自分とアレンをその姿に重ねた。上司と部下であり、時には師弟関係のような、兄と弟のような関係でもあった。サイラスとカイトを見ていると、もう取り戻すことができないその絆がとても羨ましく思える。

「俺はひとまず魔王様に報告に戻る。魔王様ならば、連れ去られたえり殿の行方を捜すことができるかもしれない。助け出すにしても、まずは居場所がわからなければ始まらないからな」

「わかりました。もしえりさんの行方がわかったら教えてください。俺も救出に手を貸しますよ!」

 カイトは今回の件を挽回しようと意気込んで志願してくれたが、俺はその申し出を断った。

「いや、救出には俺だけで行こう。カイトは本来ここでガイゼルを倒すのが役目だろう。今は我々連合軍と反逆者軍のどちらが勝つかの大事な戦。カイトは自分の役目を果たしてくれ。えり殿を救出できたその時は、改めてお前の浄化の力を貸してくれ」

「……わかりました。俺はここで戦って待ってます。その代わり、えりさんを助けたその後は、俺が必ず呪いを浄化してあげますから!」

 ニカッと笑うカイトに、俺も微笑んで大きく頷いた。

 俺は兜を被ると、二人に戦場を任せて魔王城へと帰還するのだった。




 ウィンスに乗って魔王城に帰還した俺は、真っ直ぐ作戦会議室へと向かった。夜になると各戦場から戦況報告が届くので、大抵魔王様は作戦会議室にいる。

 俺は今回の失態で激怒されることを覚悟しながら、作戦会議室の扉を叩いた。

「失礼します。ガイゼルの戦場からただいま戻りました」

 作戦会議室に入ると、魔王様のほかにメルフィナの戦場に派遣されていた老魔法使いの姿もあった。おそらく本日の戦況報告に来たのだろう。

 魔王様は入って来た俺の姿を見ると、すぐに視線を彷徨わせて彼女の姿を探した。

「ジークフリート、一人か。女はどうした。戦場に置いてきたか」

「いえ、それが…」

 俺は面と向かって報告するため、一度言葉を濁して兜を取った。

「なんじゃ。お嬢ちゃんはジークのところにおったのか。それじゃあ今度は儂にお嬢ちゃんを貸してくれんかのう。魔王様に明日からサラマンダー軍の戦場に行くよう言われてのう、激しい戦闘で心が擦り減りそうじゃからお嬢ちゃんの元気をもらいたいんじゃ。一緒にいれば癒されそうじゃからのう」

「…………」

 何も答えられず俺が無言でいると、二人はサッと顔つきを変えて真剣な空気を纏った。

「どうした。何があった」

「申し訳ありません魔王様。実は…」

 俺は今日の出来事をありのまま話した。話すにつれ魔王様の顔色は険しくなっていき、ただでさえ鋭い目つきに殺気が帯びていく。俺が話し終わると、案の定怒りに満ちた表情になっていた。

「この大馬鹿者が!ジークフリート、貴様は人間だった頃に経験した失態から何も学んでいないようだな。守るべきものを自分の手の届かないところにわざわざ置いておくとは。よりにもよってまだ未熟な小僧にえりを任せるなど、愚の骨頂だ」

「申し訳ありません。全て、俺の判断ミスです」

「全くだな。貴様のせいでこちらの戦力は削られ、これからの作戦にも支障が出ることになる。どう責任を取るつもりだ、ジークフリート」

 魔王様の容赦ない殺気を受け、さすがの俺も背筋に冷たい汗がつたう。彼女を助けるために居場所を探ってもらえるよう頼みに来たのだが、とてもそんな話ができる雰囲気じゃない。

(俺のこの命で責任が取れるのならいくらでも取る覚悟だが、せめてえり殿を救出してからでないと)

「まぁまぁ魔王様。もう起こってしまったことをそんなに時間をかけて責めても仕方ないじゃろう。今は連れ去られたお嬢ちゃんを助けることが優先じゃ。責めるのは全てが終わった後でいくらでもできるじゃろ」

「……助ける、か。まだ無事だと思うか。ジークフリートの話だと、クロウリーのかなり強力な呪いをかけられたんだぞ。もう呪いに心が支配されているかもしれん。そうなれば、敵の言う通りもうえりを助けることはできないだろう」

 魔王様は楽観的に物事を捉えず、常に最悪を想定して動く。もし手遅れのようなら、貴重な戦力をわざわざ割く訳にはいかない。今まではこの世界を救うためにわざわざ無関係な異世界から来た者なので、色々と配慮をした部分はあったが、この世界にとって今は大事な時期だ。無駄な戦力も時間もない。厳しい判断をしなければならないだろう。

「もし呪いが完璧に発動してしまっていたなら助けられないじゃろうが、お嬢ちゃんは普通の人間と違って星の加護を受けた者じゃ。いくらか耐性を持っているじゃろう。常人より呪いの進行は遅いはずじゃ。急げばまだ間に合うかもしれんぞ」

「それは誠かおじい殿!ならば、俺が必ず助け出す!俺の落ち度でまた誰かが不幸になるなど絶対にあってはならん」

「フォッフォッフォ。ようやく目に力が戻って来たのう、ジーク。よし、お嬢ちゃんの居場所を見つけるのは任せよ。儂と魔王様にかかれば明日の朝には見つかるじゃろうて」

 勝手に数に入れられ魔王の眉がピクッと反応したが、それでも反対の言葉は出なかった。二人がかりで夜通し居場所を調べてくれることになった。

「フンッ。この俺自ら失態を犯した貴様のために力を貸してやるのだ。必ず女を救い出すのだぞ、ジークフリート。これ以上俺を失望させるなよ」

「ハッ!お力添え感謝致します。魔王様、おじい殿」

 俺は二人に騎士の礼をして感謝を伝えた。

 彼女を救出する際におそらく戦闘は避けられないだろう。居場所が分かり次第伝えるから部屋で休んでいろと言われ、俺は明日の戦いに備えて自分の部屋へと戻った。




 魔界にある機械仕掛けのとある一室。そこではアレンと黒いローブを着た男が、捕らえて来た星の戦士を囲んで立っていた。

「グフフフ。まさか星の戦士を捕らえて来てくれるとは。しかも既に私の呪いを仕込み済み。この終盤で実に良い手駒が手に入りました。この小娘の能力がどんなものかは知りませんが、私の呪いで負の感情が増幅されればかなりの威力になるでしょうねぇ。グフフ。これでまた魔王に一歩近づきました」

 下品な笑い声を上げる七天魔クロウリーを、アレンは隣で冷ややかな目で見ている。その視線に気づいたのか、クロウリーは笑い声を引っ込めると不機嫌そうなアレンに話しかける。

「そんなに待機命令が不服ですか。せっかくなのですから、この小娘の呪いが完璧に発動してから魔騎士を殺しに行けばいいでしょう。その方が、魔騎士の絶望に染まった顔も見れて一石二鳥ですよ。かつて姫を守れなかった時のあの顔を思い出しますねぇ」

 クロウリーの言葉に反応し、無意識にアレンの体が動く。目にも止まらぬ速さで双剣を引き抜くと、クロウリー目がけて斬り込んだ。しかし、その剣がクロウリーに届くことはなく、結界に阻まれてガキンッという音を鳴らした。

「グフフフフ。完璧に呪いが発動しているというのに、大した精神ですね。姫に対する想いだけは消すことができませんか。記憶を操作しても無意識に体が反応するとは」

 クロウリーはアレンに片手を向けると己の魔力を注ぎ込んだ。途端、アレンにかけられた呪いが強く反応し、黒いオーラが彼を包み込む。苦し気に呻くアレンを一瞥し、クロウリーは床に倒れる星の戦士を見下ろす。

「彼の呪いを強めるついでに、この小娘の呪いの進行も早めてしまいましょうか。魔騎士を殺したくて待てないみたいですからねぇ、アレンは」

 クロウリーは星の戦士にもアレン同様の処置を施そうとするが、魔力を注いだ瞬間、見えない何かに弾かれて魔力が霧散してしまった。

「………何ですか一体。今のは。星の戦士の加護か?」

 クロウリーは嫌な予感を覚え、先ほどとは比べものにならない位の邪悪な魔力を手元に集めた。それを一気に星の戦士に向けて放ち、反応を見る。

 すると、星の戦士の周りに黄色い光の膜ができ、悪しきものに侵されないよう聖なる加護が現れた。それはとても見覚えのあるもので、忌々しい神の力だった。

「何故こんな小娘が神の加護を。星の加護だったらまだ…ん?あれは……」

 星の戦士の胸の辺りに、白い羽根のようなものが透けて見えた。それを見て、クロウリーは加護の正体を理解した。

「なるほど。ペガサスから借り受けた神の加護ですか。……しかし、何故この小娘がペガサスの加護を。あの魔騎士のペガサスはとっくの昔に力を失っているはず。今はもう聖なるペガサスの力を得る機会などなかったはずですがねぇ」

 クロウリーはしばらく聖なる加護を睨みつけていたが、やがて興味を失くし、膝をついて荒い呼吸を繰り返していたアレンに向き直った。

「アレン、魔騎士と決着をつけに行きたければいつでも行っていいですよ。もうこの小娘は使えないので」

「どういう、…ことだ」

「この小娘にはペガサスが付与した神の加護と元々持っている星の加護がついています。その二つがある限り、この小娘の呪いは完璧に発動しません。どちらか一方のみだったならまだ無理矢理どうこうできたのですがねぇ。…いや、その二つだけでなくもう一つの要因もあるか。……とにかく、今のままではずっと悪夢を見せ続けることしかできませんね」

 使えない駒に用はないようで、クロウリーはアレンを部屋に残してどこかに去って行った。

「……このままずっと目覚めない、か。それだけでも十分だ。あの人を苦しめ、絶望させるにはな。オレのように、もっともっと堕ちてもらいますよ、団長」

 アレンは怪しく笑うと、星の戦士を抱えて決着に相応しき舞台へと移動するのだった。




 次の日の朝。戦いに備えて魔剣の手入れをしていると、魔王様が部屋にやって来た。

「準備はできているだろうな、ジークフリート」

「魔王様!では、えり殿の居場所が掴めたのですか!?」

「フン。俺を誰だと思っている。…まぁ、じいの協力もあってこそだが」

 魔王様は逸る俺を落ち着かせ、今朝突き止めた彼女の居場所を教えてくれる。

「先ほどまで全く居場所が探れなかったのだが、ついさっきようやく割り出せた。おそらく昨日はずっとクロウリーの居城にいたのだろう。あそこの領域は異常気象地帯で元々探りにくい。その上クロウリーの結界も張ってあるから分からなかったのだろう。ついさっき領域の外に出たおかげで位置が割り出せた。あいつは今お前の因縁の場所にいる」

「因縁の、場所…。まさか、セイントフィズ王国跡地ですか」

「フッ。あいつを取り戻すには相応しい場所だろう。ついでに過去の部下とも蹴りをつけてこい」

 ニヤリと笑う魔王様に、俺は自然と硬い表情を作ってしまった。まだ自分の心の中で、アレンが魔族として生きていた事実を受け止めきれていない。そして、アレンも何とかして救ってやれないかという甘い考えも残っている。

「……ジークフリート。中途半端な心構えで行けば命を落とすぞ。まぁそれが自分の命ならば自業自得で済むが、お前のせいで女の命まで危ぶまれては困る。手間ではあるが、俺自ら女を救出に行くか」

「お、お待ちください!ここは、……俺にお任せください!必ずえり殿を助けて参ります!」

「…ジークフリート、一つ忠告してやる。俺やじい並に強くなければ、一度に複数の命を守ることなどできん。それは、聖騎士の力を持ってしても困難だったと過去で痛感しているだろう。魔族に堕ちたお前には尚更無理だ。今一番守りたいものだけを考えろ。もう、人間の時のように守れず後悔はしたくないだろう」

 魔王様の目は真剣で、俺を気遣うようなものまで感じられた。きっと俺が同じ失敗を繰り返し、後で傷ついて後悔しないよう心配しているのだろう。

(昔から魔王様は本当に心優しい方だ。母君であるリアナ姫によく似ておられる)

 口に出して言うとすこぶる不機嫌になるので言わないが、俺は魔王様の気持ちに感謝した。

「聖騎士の力がない今、魔族になってしまったアレンを救うことができないのは頭では理解しているつもりです。ただ、それに気持ちが追いついていない。今しばらく瞑想してからセイントフィズに向かいます。失敗は許されないので」

「それがいいな。時間的余裕はないが、心に迷いが生じて女の命を危険にさらすくらいなら、瞑想でもして心の整理をつけてから行った方がマシだろう」

 あとは任せたぞ、と言い残して魔王様は部屋を出て行く。

 俺はあらかた手入れの終わったかつての聖剣に目を落とし、その刀身を撫でた。

(透き通るような刀身は、もう見る影もないな。呪いを吸い取って穢れてしまった聖剣。俺の未熟さ故に、聖なる力は永遠に失われた…。あの日、クロウリーの策略により、全てが失われた。聖騎士としての力、聖剣、ペガサス、そして俺の守るべき人々。王様、姫様、アレン、騎士団の部下たち、セイントフィズ王国の国民…)

 俺は魔剣を胸の前で構えると、静かに目を閉じる。

(アレンよ。お前は俺に絶望や苦しみを与えたいと言っていたが、俺は毎日絶望を噛みしめている。王国が滅んだあの日からずっとな…。あの日から、俺の中の時間は止まっている。おそらくクロウリーが死なない限り、俺はあの日から前に進めないだろう。全てに絶望したあの日から……。俺と同様、お前があの日に囚われたままなのなら、せめて俺の手でもう一度呪いから解放してやろう。死によって、今度こそ苦しみから救ってやる)

 目を開き、魔剣の黒い刀身を見つめると、俺はアレンとの決着に向けて気持ちがぶれないよう精神を高めるのだった。




 ウィンスに跨った俺は、セイントフィズ王国跡地へと向かった。

 セイントフィズ王国はあの日以降誰にも手入れされておらず、朽ちるがままになっている。あちこちで火災が起こったため家屋は焼け落ち、城も老朽化やあの日の戦闘でボロボロになり、元の原型を留めていない。緑があちこちに侵食し、よそ見をしていたら足元を取られそうだ。

 俺は上空から彼女とアレンの姿を探す。アレンが俺との戦いを望んでいるのなら、どこか目につきやすいところで待ち構えているはず。ウィンスの目も借りながら、俺は隈なく緑に覆われた廃墟に目を凝らした。

「えり殿……」

 俺が彼女の名前を呟いた時、ウィンスが崩れかけた城の屋上を見て嘶いた。そこには、馬型の機械魔族に跨るアレンの姿があった。

「アレン!」

 俺はウィンスの手綱を引いて急降下すると、真っ直ぐアレンの下へと舞い降りた。

「絶望に臆することなくよく来ましたね団長。呪いに魅入られた彼女を見る覚悟はできたんですか」

 今にも崩れそうな足場に着地すると、アレンが挑発するように言ってきた。俺はアレンに注意を払いながら、辺りに目を走らせて彼女の姿を探す。

「あぁ、お目当ての女ならあそこに寝かせてありますよ。昨日からずっと悪夢を見続けて苦しそうにしていますけど」

 アレンが首で示した方に目を向けると、緑の蔦が生い茂る場所に、彼女がぐったりと倒れていた。アレンの言う通り悪夢にうなされているのか、苦しそうな表情をしている。

「えり殿…。すぐに助けるからもう少しだけ待っていてくれ。俺は、もう一度アレンを救ってやらなければならない」

「……オレを、救う?団長にしては珍しいですね。冗談を言うなんて。聖騎士でもない団長がどうやってオレを救うんです?」

 俺は一つ深呼吸をして覚悟を決めると、背中の大剣を一気に引き抜いた。

「絶望に染まって苦しめられているお前を救うために俺ができることは、もはやこれしかない」

「…オレを、殺すんですね。一度ならず二度までも。そうやってまた自分一人だけ助かろうとするんですね。あの日のように。…聖騎士という称号に胡坐をかき、あなたは誰一人として救えなかった!姫様も!王様も!国民も!…俺一人を悪者にして、あなたは被害者ヅラしてまた安穏と生き残るんだ!許せない!全部!気に食わない!全部!姫様の気持ちを奪い、俺を憎しみに染めるあなたの存在が!!」

 アレンは徐々に気持ちを高ぶらせ、負の感情を爆発させていく。呪いの効果により黒いオーラが体全身から噴き出し、一時的に魔力も増大していく。

 警戒を強めてウィンスが一鳴きし、俺に注意を促してくる。

「あぁ、大丈夫だ。今日はもう迷わない。迷っていられない。えり殿には時間がない。呪いが完璧に発動する前にアレンを倒さなくては」

 アレンは双剣を引き抜くと、黒いオーラを剣に纏わせていく。昨日彼女を貫いた、相手に同じ呪いを付与するものだ。

「ウィンス、あまり無茶をして前に出過ぎるなよ。いくら元聖なるペガサスでも、お前もあの攻撃を喰らえば呪いにかかる。危ない時は俺が魔剣でいなすからその瞬間に退いてくれ」

 ウィンスが俺の言葉を理解し鳴いて頷いたのを確認すると、俺は魔剣を構えてアレンに向かって行った。



 地上で何度か剣を交えた後、俺たちの戦場は空中戦となった。地上では足場が脆く、いつ崩れてもおかしくなかったからだ。

 アレンの黒いオーラに対抗するため、俺は魔剣に魔力を通して大剣を強化して振るう。聖なる力は失われたが、俺の魔力を通すことで魔剣は闇属性の力が強化される仕様になった。強力な聖なる力を宿していた聖剣と打って変わって、魔剣は強力な闇の力を宿している。アレンの呪いの力を宿した双剣も強力だが、魔力を通した魔剣で十分対抗できる。あとは互いの剣技の実力勝負だろう。

(アレンの剣技は相変わらず冴え渡っているな。さすがの剣才だ。一瞬の油断が命取りになる)

 攻防一体となっているアレンの双剣を巧みに受け流し、ウィンスの位置取りの助けも借りながら緩急をつけて攻めにも転じる。

 戦う前は迷いやアレンに対する自責の念で心がかき乱されていたが、不思議と今は集中して戦えている。剣を握って敵と対峙した瞬間、自分の中でスイッチが切り替わった。

 昔からそうだが、自分は剣での立ち合いが好きで、朝から晩まで父に剣の稽古をつけてもらっていた。一度集中するとのめり込んでしまい、特に強者と戦うのが何よりも楽しく、自然とギアが上がって実力以上の力を発揮していく。

 父や王様にもよく言われたが、俺は長期戦になればなるほど、相手が強く逆境に陥るほど真価を発揮するのだと。

(だが今回は長期戦は避けなければならない。俺の魔力はそこまで多くない。魔力を通した魔剣でなければアレンの攻撃を凌ぐことはできないだろう。俺の魔力が切れる前に倒さなければ!)

「さすがは団長。相変わらず一度戦いに入るとキレッキレですね。小回りのきく双剣が有利なはずなのに、大剣でも全然引けをとらないんですから」

「お喋りをするなんて随分と余裕だなアレン。昔訓練で手合わせしていた時は話す余裕なんてなかったのに」

「団長を負かすために長い間剣技を磨いてきましたからね。……それなのに、何で差があまり縮まっていないんでしょう」

 剣を交えるアレンの瞳は、戦い始める前より禍々しさが消えていた。あれほど荒々しく纏わりついていた黒いオーラも、時間が経つにつれて薄まっていく。それに伴いアレンの心も落ち着いてきたのか、普通に会話を交わせるようになる。

「お前と同じように、俺も同じ時間だけ剣技を磨いてきたからな。お前や姫様、セイントフィズ王国の民たちの仇を取るために」

「…団長。さっきから不思議なことに、こうして剣を交えていると、まるで昔に戻ったみたいに心が落ち着いています。団長によく手合わせしてもらったあの頃みたいに」

「アレン…」

 詳しい理由はよく分からないが、確かにアレンの言う通り呪いが弱まっているのは事実だった。目に見えて黒いオーラは弱まり、霧状になりつつある。

 憎しみの対象である俺を殺そうとしていたが、剣を交えるにつれて昔の良き思い出が思い起こされ、憎む気持ちが和らいだのかもしれない。

 アレンは殺意ではなく、師を越えたいという気持ちで休まず剣技を繰り出す。

「すみません、団長。あの日、せっかく浄化してもらったのに…。気づいたらオレ、魔族になっていて。それからは記憶がなんだか朧げで…。よく分からないんですけど、団長がオレを裏切ったような。いや、オレだけじゃなくて、姫様を傷つけて、オレの前で姫様を…?」

 アレンは口に出しながら首を傾げる。話しながら自分でも疑問に思ったようだ。

「記憶を操作されたのかアレン。俺は姫様を傷つけたりはしていない。それはクロウリーに植え付けられた偽の記憶だろう。しっかりするんだアレン!俺たちの日常を壊したのはクロウリーだ!お前はおそらく死してすぐに魂を奴に捕らえられ、再び呪いと偽の記憶を与えられたに違いない!これ以上奴の思い通りになるな!」

 俺の叫びに反応し、アレンは頭を抱える。必死に抗おうとしているのか、低い呻き声を上げる。

「だめ、です。団長…。偽の記憶が邪魔しているのか、振り払えない…。あの優しい団長が姫様を傷つけるなんてあり得ないと分かってはいるんです。でも……」

「くそっ!俺に今、聖騎士の力があれば!」

 魔剣を強く握りしめ、俺は自分の無力さに怒りを覚えた。力を失ったあの日から今まで何度思ったことだろう。聖騎士の力があればと。

 悔し気に奥歯を噛みしめている俺に、アレンはあの日口にした言葉を再び俺に言った。

「団長、オレを殺してください」

「ッ!?……アレン!」

「最初に団長も言っていたじゃないですか。殺してオレを救ってくれるって。今日はそのつもりで来てくれたんでしょう。それなら何も迷うことはないはずです」

「それは、そうだが……」

「さすがのオレも、もう死ななきゃこの呪いからは逃れられないとわかっています。呪いが弱まっている今の内に、お願いします」

 アレンは双剣を構え直すと、最後の手合わせというように、笑顔で俺に向かって来た。その姿は本当に俺のよく知る副騎士団長そのもので、胸が締め付けられる思いだった。

(お前は本当に誠実で、剣技の才もあり、責任感が強く決断力もある。俺の頼れる自慢の部下だ。そんなお前を、この手にまたかけることになろうとは…!)

 歯を食いしばって剣を振るう俺を心配し、ウィンスが哀し気な声で鳴いた。

「すまないなウィンス。弱気になってしまった。…もう大丈夫だ。始めからわかっていたことだ。アレンを救ってやるにはこれしかない!行くぞ、アレン!!」

「はい、団長!!」

 互いに一定の距離を取ると、必殺の一撃を繰り出すために息を整え集中する。

 二人の間を弱い風が吹き抜け、決着の瞬間を演出する。通り抜ける風が止んだのを合図に、二人は一斉に動き出した。

 先に間合いへと到達したのは俺で、大剣を横薙ぎに払おうとした。しかし、これまでずっと静観していた馬型の機械魔族が突如口を開けてレーザーを放とうとしたため、いち早くそれに気づいたウィンスが咄嗟に間合いを外した。

「隙ありです!」

 機械魔族の援護を受け、アレンは一気に間合いを詰めた。大剣を振るには近すぎるその間合いは、双剣使いの独壇場だった。

 目にも止まらぬ速さで突きと斬りを交互に繰り出す。俺はウィンスのサポートを受けて防戦一方になりながら、逆転の瞬間を探る。

「この連撃すら防ぐなんて。本当に団長の強さは化け物じみてますね」

「その化け物に挑むお前も大概だけどな!」

 俺は大剣に残りの魔力を全部注ぎ込むと、一気に魔剣の力を解き放った。黒い刀身に灰色のオーラが宿り、周辺の大気を震わせる。

「それが聖剣から魔剣へと姿を変えたエクスカリバーの力…」

「これで決着をつける!受けてみろ!」

 俺は魔剣から灰色の剣圧を飛ばすと、間髪入れずアレンとの間合いを詰める。

 アレンは双剣で剣圧を受け止めるが、魔剣の力を帯びた特別な剣圧は簡単に受け流すことはできず、完全に態勢を崩されてしまう。

 俺はその隙を見逃さず、上段から大剣を振り下ろして袈裟斬りにした。魔力を注ぎ込んだ魔剣の切れ味は鋭く、アレンの乗っていた機械魔族の腹をも斬り裂いた。

「やっぱり、団長がオレの知る中で最強の剣士ですね…」

 アレンは血を流しつつもどこか嬉しそうに呟くと、浮力を失った機械魔族と共に地上へと落下していく。

「アレン!!」

 俺はウィンスを操り落下していくアレンを追いかける。手を伸ばしその腕を掴もうとするが、アレンはそれを拒絶した。

「団長…。星の戦士の彼女、すみませんでした…。彼女なら、きっとまだ助かります。目が覚めたら、謝っておいて、ください…」

「アレン…!すまない!」

 俺の謝罪の言葉に、アレンは無言で首を振った。そしてそのまま城の屋上へと落下すると、強い衝撃から床が外れて瓦礫と共に遥か下へと落下していった。

 俺は白い土煙を手で仰ぎ、床が抜けた穴を覗き見る。そこはもう大小の瓦礫で埋め尽くされ、アレンの遺体を確認することはできなかった。

「こんな方法でしかお前を呪いから救ってやれない俺を許してくれ…」

 俺は兜を被ったまま涙を流すと、束の間アレンのために黙祷を捧げるのだった。



 黙祷をすることで気持ちを落ち着かせた俺は、倒れたまま動かない彼女に急ぎ駆け寄った。抱き寄せて呼びかけるが、苦し気な表情のまま目覚める気配はない。

「やはり呪いに心が囚われているか…。アレンがまだ救えると言っていたから、呪いは完璧に発動していないのだろう。急ぎカイトの力で浄化すれば助かるかもしれない」

 俺は彼女を抱き上げると、ウィンスに全速力を出すよう指示し、アレキミルドレア国へと向かうのだった。




 アレキミルドレア国上空へと辿り着いた俺は、空から戦場を見渡しカイトの姿を探した。幸い彼はとても機転が利く男で、地上から俺の姿を確認すると、自分の居場所を知らせるために浄化の光を真上に向けて解き放った。

「助かった。あそこだな」

 俺はすぐにウィンスをそちらに向けて走らせる。

「ジークフリートさ~ん!えりさんを助けられたんですね!仲間に任せて一旦後方に下がりますから、先に行って待っててください!」

「戦闘中にすまないカイト!先に行って待っている」

 俺はカイトに謝罪すると後方へと下がった。

 ガイゼルとの大事な戦中に戦線を離脱させるのは心苦しかったが、彼女に残された時間があとどれくらいか分からない今、一刻も早く呪いを解く必要がある。呪いが完璧に発動したが最後、アレンのように二度と救えなくなってしまうからだ。今のところ魔族化している気配はないが、呪いを解くまで油断はできない。

 俺は時折小刻みに震える彼女の肩を強く抱き、呪いが解けることを強く祈った。



 後方の怪我人の治療にあたる陣地まで下がった俺は、彼女を抱き抱えながらカイトの到着を待った。

「申し訳ありませんジークフリートさん!お待たせしました!」

 三十分ほど経った頃、馬に跨ったカイトが猛スピードで陣地に駆け込んできた。一番前線で戦っていたため、逆走して後方に下がるだけでもかなりの体力を消耗するだろう。カイトは肩を上下させて額は汗に濡れていた。

「すまないなカイト。一軍の指揮も任されているというのに呼び出して。後方に下がるだけでも大変だっただろう」

「いえ!指揮は別の隊長に任せてきましたから。それに、今日は敵の攻めもそれほど激しくないので大丈夫です。おそらく昨日えりさんが城壁上部の大砲を破壊してくれたおかげで、そっちの後処理に人手を割いているんだと思います」

「なるほど。それは不幸中の幸いだったな」

「それじゃあ早速えりさんを見せてください!俺の浄化の光で呪いを払ってみます!」

 カイトは馬から下りると、俺が抱き抱えている彼女を覗き込んだ。

「……確かに、心臓の辺りに魔の気配を感じますね。これがえりさんを蝕んでいる呪い…。とりあえず、やってみますね」

「あぁ、頼む」

 カイトは意識を集中すると、両手に蒼白の光を集め始めた。戦闘中だといつも剣に力を溜め込んで飛ばしているのだが、今回は両手を胸の前で構え、その中心に力を集めている。

 遠くで剣と剣がぶつかり合う音や叫び声などが響く中、カイトは見事な集中力を発揮して濃度の高い浄化の光を溜め込んでいく。

「よし!これで、魔を払え!」

 カイトは自分の顔を強く照らすほどの浄化の光を溜め込むと、それを一気に彼女の胸元へと押し当てた。その瞬間、彼女の体から大量の黒い靄が吹き出し、そして霧のように消えていった。カイトの力で浄化されたようだ。

「……無事、呪いは浄化できたか?」

「…いえ、残念ながら……」

 カイトは彼女の心臓の辺りを見ながら表情を曇らせる。

「彼女の心を覆っていた魔は全て払えたのですが、呪いの核自体は浄化できませんでした。彼女の魂に楔のように打ちこまれているのか、まるで小さな火種のように残っていて。あれではまたすぐに元の状態に戻ってしまう」

「そんな……。もう一度、もう一度浄化してみてくれないか!?」

「…はい、やってみます」

 俺に頼まれカイトは再び浄化を試みるが、結果は同じだった。彼女の魂は呪いに囚われ、目覚めることはなかった。

「すみませんジークフリートさん!俺、お役に立てなくて……」

 カイトは昨夜の時と同じように責任を感じているのか、肩を落として暗い表情をしている。

「そう自分を責めるなカイト。お前はよくやってくれた。あと少しで呪いが解けることには変わりないんだ。そう悲観することはない」

「…ですが、浄化の光で解けないのに、何かまだ方法があるんですか?」

「一つだけな。魔族がかけた呪いは魔族の力を以って制す。魔王様に相談してみるさ。あの方ならどうにかできるかもしれない。魔界を統べるお方だからな」

「そうですか…。もしそれでもだめだったなら、もう一度来てください!今度は俺だけじゃなくて、セイラの力も借りて試してみましょう!セイラの癒しの力と俺の浄化の光は相性が良いので、もしかしたら呪いにも効くかもしれません!」

「わかった。その時はまたお願いしよう」

 俺は彼女を抱え直すと、カイトに別れを告げてウィンスに乗って飛び立った。

(聖騎士の力があれば、今すぐこの手で彼女を救えるというのに…)

 自分自身に対する苛立ちともどかしさを覚えながら、俺は魔王城へと急ぐのだった。




 魔王城へと帰還した俺は、彼女を抱えながら城の中へと入った。会議室に向かおうと思っていたのだが、大広間に入ったところで偶然魔王様と出会った。

「魔王様、ただいま戻りました」

「無事戻ったか。魔族化していないところを見ると、どうやら呪い発動前に助けられたようだな。……ん?なんだ。まだ小僧に呪いを解いてもらっていないのか」

 魔王様は一目見ただけで呪いが解けていないことがわかるのか、怪訝そうな声を漏らした。

 俺は今日の報告も兼ねてカイトの浄化の件を伝える。

「フン。まったく肝心な時に使えぬ小僧だ。この程度の浄化もできんとは。それでよく輪光の騎士など名乗れたものだ」

「……それで、魔王様。えり殿の呪いを解くことはできますか」

「誰に言っているジークフリート。この俺がクロウリー如きの呪いを解けないはずがなかろう。…まぁ、じいにも可能だろうがな。今回は特別にこの俺自ら解いてやろう。感謝しろよ」

 魔王様はそう言うと、彼女に手をかざして見知らぬ術式を展開させた。黒い文字で描かれた術式に魔力を注ぐと、彼女にかけられた呪いが具現化する。黒い邪悪な靄が彼女の胸元に現れた。

「実に趣味の悪いアイツらしい呪いだな。……ん?」

 魔王様の不思議そうな声につられて視線を黒い靄の一番下に移動させると、そこには黄色い光を微かに放つ白い羽根があった。

「あの羽根は…」

「なるほどな。星の加護だけでなく神の加護もペガサスから借り受けていたとは。道理で呪いの進行が遅いわけだ。おまけに俺の魔力を付与してある服を着ていたおかげで、呪いの効きも弱かったのだろう。運の良い女だ」

 魔王様は呪いの核となっている部分を握り込むと、己の魔力を流し込んで内側から無理矢理破壊した。黒い靄は完全に消し飛び、後には白いペガサスの羽根だけが残った。ペガサスの羽根は温かな黄色い光を放つと、再び彼女の中へと消えていく。

「これでもう大丈夫だろう。すぐに目を覚ます」

「ありがとうございます、魔王様!お手を煩わせて申し訳ありません」

「全くだ。この借りは高くつくぞジークフリート。…それにしても、いつの間にペガサスの加護など得たんだ。それほど仲が良かったか」

「先日ウィンスの力を借りて過去の記憶を見たと言っていましたから、おそらくその時に加護の力を授かったのかもしれません。あれ以降、ウィンスとかなり打ち解けていましたから」

「この女は誰にでもすぐに打ち解けるというか、心を許す習性があるな」

 魔王様はどこか呆れたような、少し心配するような目で彼女を見下ろす。

「それがえり殿の長所の一つだと思います。だからこそ、彼女は人間と魔族の間を取り持てるのですから」

「………ん、んぅ…」

 話している最中、彼女が俺の腕の中で身じろいだ。

 俺はしゃがみ込み彼女を片腕で支え直すと、もう片方の空いた手でそっと彼女の頬に触れた。

「えり殿、えり殿!しっかりするんだ!」

「……う、ん…。ジー…ク……?」

 俺の呼びかけに応じ、彼女はゆっくりと目を開けた。まだ頭がぼんやりしているようだが、どうやら呪いの影響はなさそうだった。

「良かった、気が付いて…。今度は助けられた…」

 俺は心の底から安堵し、彼女の体を優しく抱きしめた。

 誰一人救うことができなかったあの日を境に、俺は聖騎士以前に、『騎士』としての自信をすっかり失くしていた。弱き者を守り、悪しき者を正す。それが騎士としての務め。

 先代の魔王様に魔王城に連れて来られてからも、俺は鎧だけ着ている空っぽの騎士だった。それを見かねて先代様は、抜け殻のようになった俺に城を守る門番の役目を与えてくださった。何とか自信を取り戻そうとする俺は、休みもなくその仕事にこだわるようになった。

 それでも結局自信は取り戻せず、挙句の果てに世話になった先代様も、その姫君であるリアナ様もお守りすることはできなかった。

 だからこそ、今度は、今度こそは、必ず助けようと誓っていたのだ。魔王様と仲間たちに、もしもの時は彼女を守ってくれと頼まれていたのだから。

(これでようやく、騎士としての務めは果たせたか…)

 ほっと一息ついていると、そこで初めて俺は彼女が小刻みに震えていることに気が付いた。

 慌てて身を離して彼女の顔を覗き込むと、彼女は何故か怯えた様子で俺を見ていた。

「え、えり殿…?どうしたのだ?」

「…ジ、ジーク。怒って、ない……?」

「…怒る?何を怒るのだ?」

 彼女の問いかけの意味が分からず、俺は首を傾げた。

 彼女は極度に緊張しているのか、体を硬直させて恐怖でじっと動かない。

 その様子をずっと観察していた魔王様はもう原因に思い至ったのか、強張った表情の彼女に問いただす。

「おい女。貴様寝ている間どんな悪夢を見続けていた。趣味の悪いアイツのことだ。現実ではあり得ない内容の悪夢を繰り返し見続けていたのだろう。あの呪いは記憶を操作し、悪夢を見せ続け、やがて対象に憎しみを植え付けるような呪いになっていた。呪いが発動する前だったから、軽い記憶操作と悪夢止まりだったはずだが」

「あ、悪夢…?あれは、夢…だったの?それにしてはすごいリアルで、怖くて、……うぅ。ジークがぁ……!」

 軽くパニックを引き起こし半泣きする彼女に、俺は動揺しながらなんとか落ち着かせる。

 どんな悪夢を見ていたのかは分からないが、彼女の怯えようから夢の俺が何かしでかしたらしいことは分かった。

「…良かった。元の優しいジークに戻って。あの優しいケルちゃんやおじいちゃんまでも、暴言吐いて襲い掛かってくるし。本当に怖かったぁ…」

「かなり物騒な夢を見ていたようだな。…大丈夫。俺はえり殿を傷つけるようなことはしない。絶対にな」

 俺は安心させるために兜を取ってから、彼女の頭を優しく撫でて微笑みかけた。

「ジークぅ…!やっぱり優しいジークが一番だ!」

 彼女はやっと警戒心が解けたのか、脱力すると俺の胸にもたれかかってきた。これで本当に一件落着だろう。

「普段お前に甘い人間が悪意を向けて襲い掛かってきたわけか。……俺も夢に出てきたのか」

「あぁ、魔王とクロロは通常運転だったから大して怖くなかったよ。普段から二人にはよくイジメられてるし」

「ほう。ならば、現実の方がもっと恐ろしいと分からせてやろうか」

 魔王様が魔力を強めた途端、彼女はガシッと俺にしがみついてきた。魔王様も全然本気ではなく、彼女を脅かしてからかってやろうというのがありありとわかる。

「魔王様、一応彼女はまだ病み上がりなのですからそのへんで」

「フン。助けてやった俺に感謝の一つもないのでな、少しくらいイジメてやらんと割に合わん」

「エッ!?魔王が助けてくれたの!?」

「あぁ。カイトが浄化してくれた後に、魔王様のお力で呪いを解いてくださったのだ」

「…そうとは知らず、ありがとうございました」

 彼女は素直にぺこっと頭を下げる。その殊勝な態度に気を良くしたのか、魔王様は高めた魔力を引っ込めた。

「深く感謝することだな。本来なら呪いを無理に破壊すると、それが自分に跳ね返ってくるため普通じゃまずやらん」

「え!?大丈夫なの!?」

「魔王様!御身体は!?」

 その事実は俺も初耳で、平然としている魔王様を心配げに見つめる。

「俺をそこらの凡人と一緒にするな。アイツの呪いなどかかるはずもなかろう。ハーフと言えど、俺は魔王なのだからな」

 いつものように鼻で笑う魔王様を見て、俺は彼をとても羨ましく思った。いつでも自信に満ち溢れ、ハーフとしての辛さを微塵も感じさせない。騎士の自信を失ってずっと立ち止まっている俺とは大違いだ。部下の見ていないところでは苦悩しているのかもしないが、人前では常に王として振る舞われている。

 王に仕えるのは彼で三人目だが、若くても他の王同様尊敬できる方だ。

「女よ。俺に感謝するのは当然だが、ジークフリートにも感謝しろよ。連れ去られたお前を苦労して助け出したのはそいつだからな」

 魔王様はそれだけ言うと、俺たちを置いて城の外へと出て行った。

「ジークが私を助け出してくれたんだね!ありがとう!やっぱりジークはいざという時頼りになるね!」

 彼女は満面の笑みを浮かべて俺に言った。

 そのいつもの笑顔を見ると、今日の苦労が全部報われた気持ちになる。モニア姫にお仕えしていた時にもこういった幸福感を味わうことがあったが、彼女の場合はそれと少し違う気がする。言葉で上手く説明することができないが、無条件で信頼を寄せてくる彼女に対する一種の使命感だろうか。彼女の信頼と笑顔を裏切りたくないという何かが芽生えている。

 城で生活している彼女と接している内に情が移ったのだろう。彼女はケルに似て人懐っこい性格をしているせいかもしれない。

「お礼を言われるほどではない。元々こちらの事情に巻き込んでしまった形だからな。とにかく、えり殿が無事で本当に良かった」

 俺はまた彼女の頭を一撫ですると、目を細めて笑う。

(騎士とは忠誠を尽くし、高潔な精神を持って、己の信念を貫き、弱き者を助けて悪を正す。常に寛大な心を持ち、他者の手本となりて、その勇気と強さにて人々を導く者。……今回のことで、少しは自信を取り戻せただろうか)

 俺は初心に立ち返り、騎士としての自分を見つめ直すのだった。




 辺りが夜の闇に包まれた頃、黒いローブを纏った七天魔は亡国の廃墟を訪れていた。

「なかなか戻って来ないと思ったら、まさかあの魔騎士に敗れているとは。聖騎士の力を失くしているからと少々侮りすぎていましたかねぇ。私が魔界、ひいては人間界さえも支配する上で、聖騎士は後々邪魔になるからと早々に排除しましたが、まだまだ詰めが甘かったようで…。今度こそ、その存在ごと消し去ってあげましょう」

 クロウリーは重力を操る魔法を使い、瓦礫の下敷きになって潰れている手駒を掘り起こす。

「フム。機械の割合を増やして修理すれば、まだこの器は使えそうですね。面倒ですが、また星の輪に戻った魂を捕まえてこなければ。今度は会話もできないほど強めの呪いをかけてあげましょう。自我が吹っ飛ぶくらい強烈なのをね。グフフフフ」

 クロウリーは不気味な笑い声を夜空に響かせると、対魔騎士の手駒を回収して夜の闇へと消えていくのだった―――。


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