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第三幕・ドラキュリオ編 第二話 己と向き合う時

 強制的に深い眠りにつかされていたボクは、突如プツンと糸が切れたかのようにハッと目を覚ました。視界には見慣れた天井があり、ここが自分の城の自室だということがわかった。ボクはずっと酷い悪夢を見続けていたようで、夢から覚めても気分が優れなかった。加えて先ほどから体中が熱く、魔力がとても不安定になっている。熱さで鈍った思考のまま寝ているベッドから身を起こそうとしたその時、ボクは初めて自分が本来の姿に戻っていることに気がついた。

「あれ……、どうして、ボク…」

 熱に浮かされた呟きを聞き、部屋の中に控えていたと思われるセバスがベッド際にやって来た。

「お目覚めになりましたか坊ちゃん。どうやら神の子の能力の効き目が切れたようですね。ご気分はいかがですか」

「爺や…。気分は……、最、悪…。この体の感覚、前に力が暴走した時と全く同じ…。ボク、またやっちゃったんだネ………。しかも、さっきまで見ていた悪夢…、もしかしたら悪夢じゃなくて、本当に……」

 ボクはだんだんと震えてくる自分の声を聞いて、その予感が恐らく当たっているのだろうと気づいてしまった。

 体の内は大量の魔力で溢れ、熱を帯びているというのに、ボクは顔が青ざめていくのを感じた。

「…まんまとドラストラ様の策略に引っかかりましたな。その場に神の子がいなければ、えりお嬢様を失い、永遠に坊ちゃんは立ち直れなくなるところでした。神の子には感謝してもしきれません」

「え……。爺、や…、えりちゃん、生きてるの…?」

 ボクは震える声と込み上げてくる涙を堪えながら訊ねる。

「生きておりますよ。坊ちゃんが血を吸い切る前に神の子が能力で眠らせてくれたおかげです。それに、その後も回復の出目でお嬢様の止血を迅速に行ってくださったそうで、失血死するのも未然に防いでくださいました。ただ、それでもかなりの血が失われたので、今は貧血で体調を崩し、お嬢様は部屋で休まれております。本当だったら魔王城にお移しするのがお嬢様のためなのかもしれませんが、今は魔王城も立て込んでいるようで」

「そ、そうだったんだ……。~~~っ、~うっ、…よ、良かった……っ!!!」

 ボクは片腕で両目を覆い、流れる涙を隠した。

 セバスは王子の涙する姿を見て、心の底から神谷えりが命を落とさなくて良かったと安堵するのだった。もしも命を落としていた場合、王子は再起不能になり、吸血鬼一族は内輪の混乱で動けなくなる。そうすればクロウリーと敵対している魔王にとって大きな足枷となったであろう。先代から七天魔の肩書を受け継ぐ王子として、それだけは避けたかった。

「坊ちゃん。血抜きは施しましたが、それでもまだ血に酔ったままで魔力は不安定なはず。完全に落ち着くまで今しばらくお休みください。戦場から戻って来た眷属や配下には、わたくしの方から事情を説明しておきます。もうこうなっては、隠し通すこともできませんからね」

「ごめん、爺や…。ボクが、ずっと目を背けて先延ばしにしてきたから…」

「お説教は本調子に戻ってからで結構です。今はもうお休みください。休んで、気持ちに整理をつけるのです」

 セバスはボクの頭に手を置くと、ずっと幼い頃に寝かしつけてくれた時のようにそっと撫でてくれた。子供の時からやんちゃで悪戯好きのボクと根気よく付き合い、どんなに腐っても見捨てず傍で支え続けてくれる執事に感謝しながら、ボクは再び眠りにつくのだった。




 神の子の戦場から帰って来て二日後、ボクはようやく魔力の暴走が治まり、魔力の制限をかけて仮の姿へと戻った。

 セバスの計らいで、今城内には眷属や配下はいない。セバスと代々王族に仕えてきた古参の吸血鬼の説得により、眷属や配下たちは今は大人しく待機している。

 ボクはセバスの用意してくれた食事を取りながら、自分が眠ってからの報告を一から聞いていた。

「お嬢様に坊ちゃんを託した後、我が軍は神の子たちと協力し、ドラストラ様魔族軍を一部捕縛、掃討しました。捕縛した兵は魔王城に送り、おじい様とクロロ様が検めました。ドラストラ様が連れていった吸血鬼一族や配下の悪魔族は特に洗脳されていなかったとのことです。ただ、共に従軍していたクロウリーの配下については一部洗脳されていたと」

「ストラの奴、いつどこでクロウリー軍と接触したんだ。血の気が多い眷属や悪魔族を中心に声をかけて姿をくらましたと思ったら、いきなり神の子の軍を襲うなんて。…クロウリー本人と直接接触してはいないと思うんだけど。戦った時に確認したら、ストラも洗脳されてはいなかったから」

 ボクはいちごジュースを飲みながら、爺やが作ってくれたサンドイッチを受け取る。

「洗脳されていなかったからといって、クロウリーと直接会っていない証明にはなりませんよ。洗脳せずとも十分使える駒と判断すれば、そのまま奴は泳がせるでしょう。実際こうして我々は大きな痛手を被っているのですから」

「…………」

 セバスの指摘に、ボクは黙ってサンドイッチを口に運ぶしかなかった。

 魔力が安定せずずっとベッドで休んでいたため、まともな食事を取るのは久々だった。それなのに、先ほどからちっとも食べ物が美味しく感じられない。その原因は、全て自分が抱えている問題にあるということは分かっていた。

「…ねぇ、えりちゃんはどうしてる?体調の方は」

「先ほどお嬢様の部屋に様子を見に行きましたが、もうだいぶ回復されておりましたよ。ただ……、心に負った傷はそう簡単に癒えるものではありません。まだ坊ちゃんに会わせるのは控えたほうがいいと判断しましたので、お食事は部屋にて取っていただくことにしました」

「そっ、か……。そうだよね、ボクのせいで死にかけたんだもん。怖くて、顔も見たくないよネ……。ホント、ピンチの時はすぐ駆け付けるとかほざいてたのに、サイッテーだなボクは」

 ウィンナーにフォークをブスッと刺すと、ボクは己の不甲斐なさに怒りで震えてきた。その様を見ていたセバスは、ただ目を伏せて淡々と報告を続けた。

「ドラストラ様は戦場から姿を消してまた行方知れず。現在捜索をしておりますが、まだ見つかっておりません。各地の戦況ですが、サラマンダー軍が攻勢を強めており、魔王様とフォード軍が連携して当たっております。そのため、魔王城の守りはおじい様とクロロ様がついている状況です。サキュア軍とメルフィナ軍は相変わらず拮抗しており、ガイゼルとクロウリー連合軍にはカイト軍とセイラ軍、レオン様率いる獣人族の一部が当たっております。ネプチューン軍も激しさを増しており、凪と佐久間軍、ジークフリート様が戦っております」

「レオンが人間の援軍に?じゃあ魔界のいざこざの鎮圧は今ジャックの軍に任せっきりの状態ってこと?今はボクの軍もあまり動かせてない状態でしょ」

 本来ならボクの軍も魔界の領域争いの鎮圧を任されていたのだが、指示を出すボクがこんな状態になってしまったために今は軍として機能していない状態だった。魔王様の数少ない頼れる存在のはずなのに、つくづく自分が嫌になってくる。

「ジャック様にあまり負担をかけられませんので、古参の者にだけ命じて対処してもらっている状況です。クロウリーとガイゼル連合軍と戦っている軍の被害が拡大しているため、仕方なくレオン様の軍が援軍に入ったのです。代わりに少数の獣人族が残り、ケルベロス様の指揮の下魔界で活動を続けております」

「クロウリーめ、人間界でも魔界でも好き勝手暴れやがって」

 ボクは味の分からない食事を早く済ませようと、口にどんどん詰め込んでいく。もしここに『彼女』がいてくれれば、どんな食事も美味しく感じられるのにとボクは思う。

「…坊ちゃん。もうお分かりだと思いますが、これ以上引き延ばしにすることはできません。今こそ己と向き合い、弱点を克服する時です。もうそれしか今の状況を打開する術はありません。もし克服できなかったその時は、王子としての地位は奪われ、七天魔の肩書も先代に戻るでしょう。そして、お嬢様とのご縁も失われます…」

「……もし、ボクが血を克服できたら、えりちゃんと元の関係に戻れるかな?」

 食事を取り終えたボクは、空になった皿を見つめながらポツリと呟く。完璧に自信を失っていたボクは、少しでも自分にやる気を起こさせる材料を無意識に探していた。

「……そればかりはお嬢様次第だと思いますが。ですが、血を克服しないことには一族にも認められませんし、お嬢様に面と向かって謝罪することもできないと思いますよ。謝罪ができなければ、坊ちゃんの想いも伝えることができません」

「………。わかった。本調子に戻ったばかりだから、試練を受けるのは明日にしよう。明日…、何としても克服してみせる」

 ボクは自分に言い聞かせるように言うと、明日に向けての準備をセバスに命じるのだった。




 次の日、朝食を取り終えたボクは彼女の部屋へと向かっていた。これから血を克服するための試練を受けるにあたって、できるだけ心の整理をつけておきたかったのだ。

 これから受ける試練は精神状態がかなり左右されるもので、生半可な気持ちで受けると必ず失敗する。そのため、今までは精神が成長し、血に対して抵抗感がなくなってから試練を受けようと先延ばしにしてきたのだ。しかし、今となってはそれが完全に裏目に出てしまった。こんな形で一族や配下たちに弱点が知れ渡り、王族のくせに力のコントロールもできない情けない王子だと露呈してしまった。そればかりか、命の恩人である心優しき人間の娘の信頼を裏切り、取り返しのつかないことまでしてしまった。いくら悔やんでも悔やみきれない。

 昨日は一日自室に籠り、試練に向けてモチベーションを高めた。今こそ一族や配下たちを認めさせるため、自分自身に打ち勝つ時。今こそ血を克服し、彼女に謝罪して再び一緒にいられる未来を掴む。ひたすら自分を鼓舞した結果、ボクは区切りをつけるために彼女の部屋の前へと来ていた。

 ボクは控えめに扉を二回ノックすると、部屋の中にいる彼女に呼びかけた。

「えりちゃん。ボク、キュリオだけど、このままの状態でいいから少しだけ話を聞いてほしい。返事も特にいらないから」

 ボクの声に反応し、中で人の動く気配がした。彼女が聞いてくれているのを確認し、深呼吸をしてから話を続ける。

「…この間は本当にごめん。血に呑まれて魔力が暴走し、正気を失って君を傷つけた。危うく、永遠に君を失うところだった…。いくら頭を下げても、いくら言葉を重ねても、君の受けた心の傷は一生癒えるものではないと思う。ボクも、正気を失ってはいたけど、あの時の君の恐怖を浮かべた顔、泣き叫ぶ声、流した涙、全部記憶として残ってる……」

 ボクは頭の中でその時の彼女を振り返りながら、歯を食いしばって間を取る。改めて自分の犯した過ちを自覚し、言葉を選びながら彼女に自らの決意を語っていく。

「血が飲めないことを黙ってずっと王子をやってきたことのツケがこんなところで回ってくるなんてネ。そのせいで、えりちゃんを傷つける結果になってしまった…。今更もう遅いって思うかもしれないけど、ボクはこれから血を克服するために鏡の試練を受けてくる。成功するかどうか分からないけど、もしこの試練を乗り越えることができたら、ボクはもう血を飲んでも暴走しなくなる。もう、この間のようなことがあってもえりちゃんを傷つけることはない。………だから、もし、試練を乗り越えることができたら、今度は面と向かって謝らせてほしい!もう一度、ボクに君に会うチャンスをください」

 ボクは扉に両手をつき、祈るような想いで扉に語りかけた。最初に返事はいらないと断ったので、もちろん彼女からの答えはない。けれど、自分の想いを彼女に伝えることができたことで気持ちの整理はできた。これから試練に臨むうえで、試練を乗り越えた後の目標を設定しておくことはとても重要なことだった。

 ボクは扉に額をつけ、心の中で彼女に再び会う誓いを立てると、静かにその場を離れて試練へと向かうのだった。




 城内にある秘宝の間へと足を踏み入れると、中で待っていたセバスがボクを迎え入れた。

 秘宝の間は蝋燭の青い炎に照らされ、正面の壁に掛けられている真実の鏡を不気味に浮かび上がらせていた。

「気持ちの整理はつけられましたか坊ちゃん」

「ウン。何が何でも試練を乗り越えて、ちゃんとえりちゃんに謝るんだ。もう一度、えりちゃんの笑顔が見たいから…!」

 ボクが力強く言うと、セバスは少し呆れた表情を作る。

「弱点を克服する動機がお嬢様とは。それも悪くはありませんが、眷属や配下の者に認めてもらいたいというのもあると尚いいですね」

「や、やだなぁ!もちろんそれもあるよ!これ以上爺ややみんなを不安にさせたくないもの!」

 ボクが苦笑いして答えると、セバスは口髭を撫でながら小さくため息をついた。

「本当に、そういうところは王様にそっくりですね。王様も王妃様にゾッコンでしたから。何度それで我々配下が振り回されたことやら。配下より王妃様第一でしたから」

「アハハ。親父は母上大好きだったからねぇ。そういう意味では確かに、ボクは親父に似てるのかもネ。初めて心惹かれた人間の娘に夢中だから」

「そのえりお嬢様のためにも、鏡の試練を乗り越えなければなりませんね。このままでは傷心旅行中の王様を呼び戻さなくてはなりませんし」

 セバスの言葉に、ボクはぎょっとした顔をする。

 今ボクの父親は傷心旅行と称してずいぶん前から行方知れずになっている。妻を病気で亡くし、そのショックで王としての務めをボクに全て放り投げてフラフラしている。夫婦仲が良かったのを見ていたので、ボクも父の失ったものの大きさは分かっていた。そのため、少しの間だけならと王子として父の代わりを務めていたが、いつの間にか少しどころか長い間父は領域を空けている。

「エッ!?爺や親父がどこにいるのか知ってるの!?ていうか、魔界も人間界もこんな状況なんだから、フラフラさせとかないで呼べるならサッサと呼んでよ!」

「試練に失敗したらお呼びしますよ。せっかく坊ちゃんが大きく成長する良い機会ですから、その機会を奪って王様をお呼びしたら、わたくしが王様に怒られてしまいます」

「何が成長だよ!あのクソ親父!ボクがもう何年親父の代わりに領域治めてると思ってんの!隠居気取るの早すぎるから!これ以上貴重なボクの青春を奪わないでほしいんだけど!」

「何が青春ですか。青春し始めたのはつい最近のことでしょう。いつもハメを外して問題ばかり起こしていただけでしょうに」

 セバスのボヤキに、ボクはブーブーと口を尖らせた。

 セバスと言葉を交わして大分肩の力が抜けたボクは、良い精神状態で真実の鏡の前へと立った。真実の鏡は見た目が十四歳ぐらいのボクの姿を映し出している。

 鏡の横に立っているセバスは、試練に挑むボクに最後のアドバイスをくれる。

「坊ちゃん、もし自分が不在の間に試練を受けるようなら伝えてほしいと王様から言伝を預かっております」

「親父から?何?」

「鏡の試練は、油断していると命を落とすことも十分にあり得る。魔力の暴走を抑えるためには、自分自身をきちんと理解すること。己でも気づいていない力や眠っている想いと向き合い、自分を見つめ直し認めることが乗り越える第一歩だと。苦境に立たされ、心が折れそうになった時は、自分の心の拠り所に立ち返り、それをバネに跳ねのけろ、とのことです」

「……わかった。覚えておくよ」

 ボクは大きく深呼吸をすると、覚悟を決めてから真実の鏡に手を当てた。一族の秘宝である真実の鏡に魔力を流し込むと、ボクは一度セバスに頷いて見せてから鏡に叫んだ。

『真実の鏡よ!ボクが乗り越えるべき試練を映し出せ!!』

 魔力と呼びかけに反応した鏡は、鏡面から白い光を放つとそのままボクを鏡の中へと引きずり込んだ。

 秘宝の間には執事が一人取り残され、青い炎にゆらゆらと照らされている。セバスは白い輝きを放ち何も映さなくなった鏡を、主の無事を祈ってただ見つめるのだった。




 ドラキュリオが部屋を訪ねて来て一時間後、私は彼のくれた言葉を心の中でずっと繰り返していた。

 当初部屋の扉がノックされて数日振りにドラキュリオの声を聞いた時、不思議と恐怖より彼の身を案じている自分がいた。セバスから魔力が暴走したせいで体調を崩し、ずっとベッドで休んでいると聞いていた。そのため、動けるほどに回復したようで安心したのだ。

「はぁ~~~。……鏡の試練って、何だろう。前にお城を案内してもらった時に見せてもらった鏡のことかな。……さっきのキュリオの声、すごい思い詰めた声だった」

 私は何度めかになる回想を頭の中で行う。

『いくら頭を下げても、いくら言葉を重ねても、君の受けた心の傷は一生癒えるものではないと思う。ボクも、正気を失ってはいたけど、あの時の君の恐怖を浮かべた顔、泣き叫ぶ声、流した涙、全部記憶として残ってる』

(あんな状態になってても全部覚えてるんだ…。……さっきは扉越しだったから平気だったけど、正直、面と向かって会うのは怖い…。本来の姿に戻ってなくても、あの時の事が頭によぎって、きっと今までのようには接せない)

 私はベッドの上で膝を抱えて丸くなる。

 セバスから事情を聞き、ドラキュリオを責め続けても仕方がないことはもうわかっていた。

 魔星送りの儀という二十五の誕生日に行う吸血鬼の儀式。人間でいうところの成人の儀は五十の時に行うらしく、その半分を迎えた時に行うのが魔星送りの儀というらしい。儀式では生まれて初めて血を口にし、吸血鬼として祖先や周囲に認めてもらうものだという。

 ドラキュリオはかつてこの儀式で魔力を暴走させ、血を提供した魔族の娘を失血死させてしまった。セバスの話では、元々その魔族の娘は罪人だったため、内々で罪により処刑したことにしたらしい。

 しかし、その時のことがトラウマとなり、それ以来ドラキュリオは血を口にできなくなったのだ。だが彼は吸血鬼の王の一人息子であり、いずれは吸血鬼界の王となる存在。吸血鬼のくせに怖くて血が飲めないとは口が裂けても周りに言えなかった。

「試練、もう終わったかな…」

 私はベッドから下りると、少し考えてから部屋を出た。




 記憶を頼りに城内を歩くと、私は以前案内された秘宝の間へとやって来た。

 扉を開けてすぐにドラキュリオがいるかもしれないので、私は恐る恐るそっと扉を開いた。畳三畳分ほどしかない狭い部屋なので、中にはセバスしかいないことがすぐにわかった。少ししか扉を開けていないにもかかわらず、扉に背を向けているセバスは気配だけで私に気づいたようで、遠慮せず中に入るよう勧めてきた。

「さっき、キュリオが部屋まで会いに来て…。鏡の試練を受けるって言ってたから気になって来てみたんですけど…。えっと、キュリオは?」

「坊ちゃんなら、今この鏡の中におります。真実の鏡の中で、今頃己と向き合っているところですよ」

「えっ…。この、鏡の中ですか!?」

 私は白い光を放ち続ける鏡を凝視した。さすが異世界なので何でもありだなとつくづく思う。

「鏡の試練って、具体的にはどんなもの何ですか?」

「うぅむ。詳しくご説明するのは難しいですね。なにせ人によって試練の形は様々ですから。…ですが、坊ちゃんの場合は恐らく本来の自分自身が相手でしょう。歴代の王族の中でも抜きんでた才能の持ち主。己の力を御する精神を身につけるのが今回の試練でしょう」

「……確かに、この間のキュリオは魔王に匹敵するぐらいの力と威圧感でした。いつものキュリオと違って、すごく、怖かった……」

 私は両腕で自分を抱きしめると、表情に暗い影を落とした。その様子を見て、長年王子の教育係を務めてきたセバスは申し訳ない気持ちだった。

「申し訳ありませんお嬢様。大変辛い思いをさせてしまいました。坊ちゃんの気持ちを慮り、少しずつ自信をつけていくことをお勧めしたわたくしにも責任があります。…坊ちゃんは死なせてしまった娘のことでずっと自分を責め続け、食事も喉を通らないほど塞ぎこんでしまわれました。しかし王子として、ずっとそのままの訳にはまいりません。わたくしの指導の下、少しずつリハビリを重ね、今では赤い飲み物を飲めるまでになりました」

 赤い飲み物と聞き、私は今までドラキュリオが口にしていた飲み物を思い出した。

(言われてみればトマトジュースやアセロラドリンク飲んでたな。てっきり好きな飲み物なのかと思ってたけど、血と同じ赤い飲み物を飲んで、血に対する恐怖心を克服するためだったんだ)

 私は説明を聞いて納得すると、セバスに疑問を投げかける。

「赤い飲み物を飲めるまでになったってことは、それまではそれさえ飲めなくて、血を見るのもダメだったの?」

「えぇ。かなりのトラウマになっておりまして、血に関わらず、赤い液体全般が駄目でしたね。全て血に見えてしまうそうで。今では大分緩和されましたので、血を口にしない限りは心を乱されることもなくなっていたのですが…。まさかドラストラ様があんな強硬手段に出られるとは」

 セバスは私に聞こえるほどの大きなため息をついた。

 従兄が一生懸命弱点を克服しようと頑張っていたのに、それをあんな形で台無しにするとは、本当にドラストラは許せない男だった。

 私はいつの間にかドラキュリオに裏切られた悲しみより、ドラストラに対する怒りのほうが上回っていた。次第にいつもの調子を取り戻してムカムカしてきた私は、セバスに試練がいつ終わるのかとせっつき始めた。

「ねぇセバスさん!キュリオの試練はいつ終わるの?」

「いつ、かはお答えできませんね。全ては坊ちゃん次第ですから。突然意気込んでどうされたのです?」

「キュリオが弱点を克服したら、すぐにドラストラをぎゃふんと言わせてやろうと思って。努力し続けてきたキュリオに散々当たってきて、尚且つ仲間の前でキュリオはあんな醜態曝されたんだよ!ぎゃふんと言わせないと気が済まないでしょ!」

 私が強気に言い放つと、セバスはきょとんとした顔をしてから声を上げて笑い出した。

「フフッ!お嬢様らしい発言ですね。理由はよくわかりませんが、お元気を取り戻したようでなによりです」

「アハハ。私もよくわからないんだけど、今はキュリオより、キュリオを嵌めたドラストラに対する怒りの方が増さってて。…でも、実際キュリオに会ったら怯えて何も喋れなくなっちゃいそうな気もするけど」

「……大丈夫です。坊ちゃんならきっと試練を乗り越えて帰ってきますよ。そうしたら、もう二度とお嬢様を傷つけることなどないですから」

 セバスの言葉に、私は小さく頷く。私は光り輝く鏡を見つめながら、ふと気になったことを訊ねた。

「鏡の試練って、失敗することもあるの?」

「えぇ、もちろんです。坊ちゃんのおじい様が鏡の試練を受けられた時は、一度失敗して死にかけたこともありますよ」

 サラッと物騒な発言をしたセバスに、私は思わず大声を上げた。

「ちょっと!キュリオ大丈夫なの!?もう一時間は経ってるんじゃない!?」

「坊ちゃんなら大丈夫ですよ。おじい様の時と違い、かなり良い精神状態で試練に臨まれましたから。ちょっとやそっとじゃ心も折れないでしょう。わたくしたちはただ、無事を祈って帰りを待ちましょう」

 迷いなく主を信じて待つ執事を見習い、私も両手を組んで祈りながらドラキュリオを待つことにした。どんな辛い試練でも、必ず乗り越えて帰って来てくれると信じて。




 真実の鏡に吸い込まれたボクは、見慣れた風景の中にいた。そこは領域内にある林の中で、城の先にある魔法陣が設置されてある場所に続く林道だ。

 ボクはいつ試練に襲われてもいいように、鏡の世界を警戒する。すると、すぐ前方から軽い足音が二つ駆けてくる音が聞こえた。ボクはすぐさま構えを取ると、前方から来る敵に備えた。

『待ってよキュリオ~!本当に洞窟に行くの?』

 どこかで聞いたことのある声に、ボクは緊張を解いて構えを緩める。足音を響かせて目の前に現れたのは、幼い頃の自分とドラストラだった。

『そーだよ!ボクは王子だからネ!洞窟を通って隣の領域に行くのなんて怖くも何ともないさ!』

『で、でも、洞窟を抜けた先は魚人族たちの領域だよ。魚人族は魔族の中でもすっごく気性の荒い乱暴者だって聞いた。もし見つかったら、オレたち吸血鬼なんてすぐに殺されちゃうよ!』

『だーいじょうぶだって!このボクがついてるんだから!ボクは歴代王族の中でもすっごい才能を秘めてるんだって爺やが言ってた!だからもしもの時はボクの全魔力を開放してでもストラを守ってあげるヨ!』

 幼い二人はボクのことが見えていないのか、その後仲良く林道の先にある洞窟へと向かっていった。

「今のは、幼い頃のボクとストラ…。昔はすっごく仲が良かったんだけどな。あれから、ボクが魔星送りの儀を失敗してから、少しずつ仲が悪くなっていった…」

 ボクはそう呟くと、忘れることのできない過去を思い返した。

(あの頃のボクは、自分の魔力が暴走したことで手一杯で、心配して会いに来てくれたストラを構う余裕さえなかった。素っ気ない態度を取り続けるボクを不審に思ったストラは、その後誰かからボクが儀式を失敗したことを聞いた。…それでもまだ最初の内は、ストラの態度に変化はなかった。変化があったのは、三年後ストラが魔星送りの儀をした後。その後妙にボクに付きまとうものだから、少しキツク当たってしまったんだ確か。カッとなっていたからもう何を言ったのか覚えてないけど…)

『もう覚えてない、か…。ずいぶんと都合のいい頭をしているのだな。それでゆくゆくは吸血鬼界の王を名乗る気とは、我ながら聞いて呆れる』

 ボクは心の声を読み取られたのにも驚いたが、気配なく突然目の前に現れた本来の姿の自分に狼狽える。


 圧倒的魔力と余裕のある佇まい、その威圧感は正に王となる存在のものだった。これが本来の自分のあるべき姿なのだと知り、彼女が恐怖で動けなかったのにも納得した。

「ボクのくせにずいぶんと可愛げのない奴だネ。ボクは将来もっと親し気のある王を目指してるんだけど、その感じじゃ恐ろしくて魔王様ぐらいしか寄ってこないよ」

『…軽口を叩き、心に余裕がないのをごまかそうとしているのか。それでは到底我を乗り越えることなどできん。ましてや道を外れた身内を救うことなどもっと不可能だろう』

 そう言うと、本来のボクは右手をかざした。手の方向に目を向けると、白い光に包まれてドラストラの幻影が姿を現した。ドラストラは憎悪に満ちた瞳でじっとボクを睨みつけている。

『ドラストラは幼い頃から我の後ろを歩き、我が強さに憧れ、我を目指して己を鍛えていた。全ては、我に認められ、我の隣を歩きたいがため。それなのに、……軽率な言葉で我はドラストラの全てを否定した。今まで積み重ねてきたもの全てを。もはや覚えていないでは済まされぬ』

 本来のボクは怒りで魔力を膨れ上がらせる。ボクも対抗して纏う魔力を増大させるが、相手はとても比べものにならない魔力量だった。

『教えてあげようか。お前があの時オレに何て言ったのか。自分の膨大な魔力に翻弄され、自信を失いかけているお前を励まそうと、魔星送りの儀を終えたオレがお前に話しかけた時、何て言ってオレの存在を否定したのか』

 幻影のドラストラが生気のない暗い瞳で問いかける。本来のボクもプレッシャーを増しながら迫ってくる。

『頭の奥深くに眠っている記憶を呼び起こし教えてやろう。我はドラストラにこう言ったのだ』

『『分家筋のお前に、ボクの苦しみが分かるものか!所詮分家のお前はボクら本家の足元にも及ばない!同じ王族のくくりでも、天と地ほどの差なんだよ!いくらボクの真似をしたって、お前はボクのように強くはなれない!魔星送りの儀に成功したからって、生意気にボクの気持ちを分かったような口をきくな!!』』

 本来のボクとドラストラの幻影は声をハモらせて言った。

 かつてボクが言い放ったその言葉は、冷静な今でならどれほど酷い言葉なのかよく分かる。当時のボクは精神的に追い詰められていて、他者を気遣う余裕など皆無だった。その時のボクはドラストラの励ましの言葉など全く心に届いていなかったのだろう。ただ感情を爆発させて傷つけただけだった。

「そうだ…。確かにあの時、ボクはストラにそう言った。無責任な言葉を口にするストラについカッとなって、感情が溢れて止まらなかった…」

『無責任な言葉、か…。オレはただ、こんなオレにも魔星送りの儀ができたんだから、キュリオにもきっとできる。オレの憧れの王子なんだから、絶対にできる。自信を持てって励ましただけだ。それが無責任な言葉なのか…』

 ドラストラの憎しみを抱いていた瞳が悲しみに変わり、ボクを切なげに見つめる。

『それまで我に憧れるドラストラに、同じ王族なのだからきっと自分のように強くなれると、鍛えれば自分と肩を並べられる男になると励まし続けていたというのに、我はあの瞬間、ドラストラの信じてきた言葉全てを否定したのだ。いくら憧れても、分家のお前は我のようにはなれぬと。お前のしてきた努力は無駄だったのだと、分家の存在価値を否定した』

「ち、ちがう!ボクは何もそこまで否定したつもりは…!グァッ!!」

 ボクは堪らず反論したが、本来のボクに思い切り魔力をぶつけられ、体を吹っ飛ばされた拍子に林に激突した。強い衝撃を受け、木の幹は途中からボッキリ折れて倒れた。

 完璧に不意を突かれたボクは、お腹を押さえながらフラフラと立ち上がる。想像以上の威力に、そう何度も攻撃を受けれないと瞬時にボクは悟った。

(さすがはボク。メチャクソ強いな…。何とかして早く突破口を見つけないと、このままじゃ確実に試練失敗だ)

『突破口など有りはしない。もう後はひたすら懺悔の時間だ』

「ちょっと、気安くボクの心の声聞かないでくれる。プライバシーの侵害なんだけど」

 本来のボクに心を読まれ、今の状況が極めて不利なのを再認識する。ボクは本来のボクが繰り出すデタラメな威力の魔力攻撃を紙一重で避けながら、何とか試練に打ち勝つ手がかりを探る。

(クッソ!向こうにボクの考えが筒抜けなのが痛い。ていうか反則でしょ!何その試練、勝てっこないじゃんそんなの)

『己に我を乗り越える資格などない。守るべき大事な眷属を傷つけ、更には傷つけた己の言葉さえも記憶の彼方に忘れ去る愚かな男だ。いくら優れた力を持っていようと、守るべき者を守れぬ男に王たる資格はない。このまま我は王位から退くのが一番良いのだ』

「勝手なことばかり言わないでくれる!そう簡単にボクは諦めるわけにはいかないんだ!例え不甲斐ない王子でも、親父が不在の間はボクがみんなを守るって決めたんだから!暴走してるストラのことも、今度こそボクの手で止める!そのためにも、絶対試練は乗り越えてみせる!」

 ボクは本来のボクと激しい攻防を繰り返す。しかし、引き出している力が違い過ぎて、ボクの方が圧倒的に不利だった。次第に押され始め、やがて防戦一方に追い込まれていく。

『もう諦めろ。己の弱さを悔いながら、潔く逝くがいい』

 ボロボロになって血反吐を吐くボクに、本来のボクは大技の構えを見せる。

(マズイ。どう足掻いても勝てない。一体どうすればいいんだ…!)

 ボクはぎゅっと目を瞑ると、自分の中に答えを求めた。


『苦境に立たされ、心が折れそうになった時は、自分の心の拠り所に立ち返り、それをバネに跳ねのけろ』


 ボクは鏡の中に入る前に聞いた父からの伝言を思い出した。

(自分の心の拠り所…。今のボクにとっての拠り所はえりちゃん…。もう一度、えりちゃんに会うんだ!)

『私に会う?それ、本気で言ってるのキュリオ』

 ボクはすぐ隣から聞こえた声にビクッと体を飛び上がらせると、ゆっくり首を横に巡らせた。そこには、首筋から大量の血を流した彼女の幻影が立っていた。

「え、り、ちゃん……」

 首からドクドク流れる血で服を真っ赤に染めていく彼女を見て、ボクは瞬く間に血の気が引いていく。あの日の光景が頭の中で蘇り、罪悪感がどんどん胸を押し潰していく。

『私に噛みついてたくさん血を吸っておいて、今更どんな顔して私に会うつもりなの。私を裏切ったくせに…。私の気持ちを踏みにじったくせに…。私のピンチに助けてくれるって約束破ったくせに…。あなたにはもう、私に会う資格なんてない』

「あ、あ、あ……。ごめ、…ボク、は……」

 氷のように冷たい瞳でボクを責め続ける彼女に、ボクの根底にあった心の拠り所は見事に砕け散った。

 後退って言葉の続かないボクに、本来のボクが言葉で追い打ちをかける。

『あの時の娘の血は甘くて極上だった。気に入っている娘の血だから尚更だ。もう一度会って、今度こそ最後まで吸い尽くしたい。全ての血を我の糧とするのだ』

「ち、ちがう!ボクはそんなこと思ってない!血なんて、飲みたくないんだ!」

 ボクは取り乱すと、いやいやと首を横に振る。動揺するボクの手を彼女は握ると、そっと自分の首元に持っていく。幻影だと分かっているのに、彼女の首筋から流れる血に触れた途端、ボクの心臓は早鐘を打ち始めた。

「ち、血が…。あぁ……」

『すごく、痛かった…。怖かった…。苦しかった…。悲しかった…。いくら謝ってもらっても、私はもう、絶対にあなたを許さない。あなたはきっとまた、私のこの血を吸うんでしょ』

 真っ赤に血塗られた手を突き出してくる彼女に、ボクの心は完全に折れてしまった。へたり込むと、両手で耳を塞いで目を閉じてしまう。

「もう、もう、もう止めてくれぇぇぇぇ~~~!!!」

 鏡の世界に、ボクの絶叫が木霊した。




 ドラキュリオの帰りを待っていた私は、真実の鏡が突如不吉な赤い光を放ち始めるのを目にした。私が驚きの声を上げる中、隣にいたセバスは急に慌て始めた。

「これは、マズイことになったかもしれません」

「ま、マズイことって?この赤い光のこと?」

 私は赤い光を放ち続ける鏡を指さした。

「かつて坊ちゃんのおじい様が試練に失敗した時、鏡から赤い光が出たのです。もしかしたら、坊ちゃんも試練に失敗するのでは…」

「そんな!何とかならないの!?」

「何とかと申されましても、今坊ちゃんがどんな状況なのか、鏡の外にいるわたくし共には知る術がありません。それに坊ちゃんが乗り越えるべき試練なので、他の者が手助けするというのは…」

 セバスの言う通りではあるものの、私は居ても立っても居られなかった。鏡の中できっと苦戦しているに違いないドラキュリオを、そのまま放っておくなんてできなかった。

 私の部屋を訪ねてきた時、始めはとても消え入りそうな声で、本当は私の部屋に来るのにもきっと勇気が必要だったに違いない。それでも彼は謝罪し、自分の正直な気持ちを伝えるために会いに来てくれた。試練を乗り越えたらもう一度会うチャンスをくれと。

(苦戦してるって知ってて、このままキュリオを放っておけるわけない!どうにかして援護しないと!でも、セバスさんの予想だと自分自身が相手じゃないかって言ってたけど、それってどうやって助ければ……。己の力を御する精神を身につける試練とも言ってたっけ。う~ん、とりあえず鏡の中の相手に魔法をぶつけるなんて無理だし。……鏡の中に声援だけでも届けられないかな。そしたらちょっとは頑張れるかも!)

 私は考えをまとめると、早速鏡の前に立って精神を集中し始めた。蒼白の光を放つ私にセバスは何か言いたげだったが、そのまま何も言わず口を噤んだ。

 私はドラキュリオを頭の中に思い浮かべると、遠くの相手に想いを届けるテレパシーを妄想した。しっかりイメージを膨らませ、信じる心と強い想いを込めていく。

『お願い私の声よ、届いて!』

 私は片手を鏡に当てると妄想を現実に解き放つのだった。




 完璧に心を折られたボクは、もう抗うこともなく本来のボクの大技を喰らった。魔力を乗せた本気の拳と蹴りの連撃を喰らい、ボクはもう地面に倒れ伏して起き上がることもできなかった。そんな無様なボクを、彼女は相変わらず血を流しながら冷たい顔で見下ろしている。

(やっぱり、どんなに気持ちに整理をつけても、根っこは無理して強がったままのヤワな精神じゃあ、試練なんて乗り越えられるわけないか。えりちゃんの扉の前で誓ったのに、試練に失敗するなんてかっこ悪いなボク…)

 ボクは痛みで顔をしかめながら自嘲気味に笑った。自分の耳を疑う優しき彼女の声が届いたのは、そんな自分自身に絶望していた時だった。

(『キュリオ…!私の声が聞こえる!?』)

「……え?えり、ちゃん?」

 ボクは顔を上げると、自分を見下ろす彼女の幻影を見た。彼女は変わらずボクを冷めた目で見ている。ボクはついに幻聴でも聞こえてきたのかと、己の心の弱さを恥じた。

(『ダメだ。初めてのテレパシーで上手く妄想できなかったのかも。…キュリオの声は聞こえないけど、能力は発動しているみたいだから、私の声があなたに届いていると信じて話すね』)

(え、これ…。もしかして、本物のえりちゃんの声?どうして…)

 不思議に思っていると、いつの間にかボクの体が蒼白の光に包まれているのに気が付いた。星の戦士の力が発動している証だった。

(『さっきは部屋まで会いに来てくれてありがとうキュリオ。きっと、私に会いに来るのもとても勇気が必要だったと思う。それでも、自分の気持ちを伝えるために来てくれて、ありがとう』)

(そんな…、ボクにはえりちゃんにお礼を言われる資格なんてない。元はと言えばボクが全部悪いのに)

 ボクは彼女の優しさに涙を流す。幻影の彼女に責められて折られた心が、少しずつ繋ぎ合わされていく。

(『本当は、あの時声を掛けてあげたかったんだけど、何も言葉が出てこなくて……。私、あの後ずっと、部屋でキュリオの言葉を繰り返し思い返してた。セバスさんからキュリオの事情は聞いてたから、私を傷つけたのは自分の意志じゃないって。でも……、正直な気持ち、あの時は本当に怖くて、痛くて、あのまま死んじゃうのかと思った』)

 彼女は胸に抱えていた本音を、ポツポツ語り始める。ボクはそれを一言も聞き漏らすまいと、噛みしめるように聞き入る。

(『…キュリオは試練を乗り越えたら、もう一度私に会って面と向かって謝りたいって言ってたけど、きっと私、あの時の恐怖が頭をよぎって、怖くて動けないかもしれない。………でも、私を傷つけて同じように精神的に傷ついたキュリオが、自分の弱さを克服しようと試練を受けてるから、私も勇気を出して、今鏡の前で帰りを待ってるんだよ』)

(えりちゃんが、鏡の前で…。怖いはずなのに、それでも勇気を出して。……それなのに、ボクは何で地面なんかに倒れてるんだよ!)

 ボクは傷ついた体に鞭を打ち、なんとか両の足で立ち上がる。

(『キュリオ…。今あなたがどんな状態なのか私には分からないけど、でも、最後まで諦めないで!弱い自分に流されないで!絶対弱点を克服して、ドラストラを見返してやらなきゃ!セバスさんもキュリオを信じて待ってるよ!』)

「確かに、このままじゃストラにやられっぱなしだもんネ。爺やにもこれ以上心配かけたくないし」

『我よ、まだ抗うか…』

 目に力が戻ったボクが睨みつけると、本来のボクは再び魔力を高め始めた。

(『キュリオが宣言通り試練を乗り越えたら、謝るチャンスをあげる。だから……、私にもあなたを許すチャンスをください!』)

「ッ!」

 彼女の紡ぐ言葉がボクの胸を激しく打った。あれほどボロボロになっていた心が嘘のように立ち直っていく。ボクは顔に生気を漲らせると、懐から小さな瓶を取り出した。

『正気か…。自ら血を口にするなど』

「どっちみち今のボクじゃ、到底本来のボクには勝てないからネ。最初っからどこかのタイミングで飲もうとは思ってたさ」

『弱い精神力では、血に呑まれて我を倒すことなど不可能だぞ』

「まだまだボクの精神力は弱いかもしれない。血に、強大な魔力に呑まれ、自分を失うかもしれない。それでも…!」


『魔力の暴走を抑えるためには、自分自身をきちんと理解すること。己でも気づいていない力や眠っている想いと向き合い、自分を見つめ直し認めることが乗り越える第一歩だと』


「好きな女にあそこまで言われて奮い立たないようじゃ男じゃねぇよ!!魔力の暴走なんて、彼女に対する想いだけで捻じ伏せてやる!!絶対、負けない!!」

 ボクは父の伝言を思い出し、自分の弱さを認め、それでも絶対に試練を乗り越える気迫を見せた。瓶の中に入っている血を躊躇いなく一気に飲み干すと、瓶を投げ捨てて体内の魔力を爆発させる。

『魔力の暴走、か…。いや、ちがう!?……まさか、本当にコントロールを』

 爆発させた魔力は収束し、本来の姿に戻ったボクの周りに落ち着いていく。ボクは宙に浮きながら、自分が纏う濃縮な魔力を改めて実感した。

「今までコントロールしたくても全然できなかったのに、ついに、魔力が!」

『…フム。まだ完全にコントロールはできていないな。まぁ及第点といったところか』

 一瞬喜びに沸いたボクだったが、鏡が生み出した本来のボクにすぐに否定された。

「エッ!?どうしてさ!?ちゃんと魔力も暴走してないし、自我も保ててるよ!?」

『愚か者め。己のことなのに分からないのか。娘との約束を果たすために絶対に暴走したくないという強い想いが、己の力の在り方を無意識に変えたのだ。コントロールできる分だけの魔力を体内に留め、それ以上は己が周囲一帯に魔力を放出するようにしたのだ』

 ボクはその説明を受け、確かに自分の魔力が周りを覆っていることを確認した。ようやく完全にコントロールできるようになったかと思ったのだが、人生はそんなに甘くないようだ。

『だがしかし、今は無理だとしても、体と心の成長に伴い、いずれは潜在能力を含めた全魔力をコントロールすることができるだろう。……今回の試練に関して言えば、現時点で十分成功と言える。もう血を飲んでも我は暴走しないだろう』

 もう血を飲んでも暴走しない、その一言を聞いてボクは両手でガッツポーズをして喜び叫んだ。長い間苦しんできたトラウマからついに開放された瞬間だった。

「ヤッタァァァーーー!!!やっと、やっと、血を克服した!!これでえりちゃんに謝ることができる!!テッ、イテテテテッ!」

 大はしゃぎして喜んでしまったが、自分がかなり重傷を負っていることを忘れていた。体中が痛みに悲鳴を上げている。

 鏡の試練である本来のボクはそんな己を見て呆れてしまったのか、白い光に包まれながらドラストラと彼女の幻影と共に消えていなくなった。それに続き、ボク自身も白い光に包まれていく。こうして、辛くて長い鏡の試練が終わったのだった。




 鏡の世界から現実の城に戻ると、彼女とセバスが心配した表情で出迎えてくれた。

 しゃがみ込んでいるボクの体はあちこち傷だらけで、始め彼女はすぐに駆け寄ろうとしたが、本来の姿に戻っているボクと目が合った瞬間、その場に縫い付けられたように動かなくなった。体が無意識に怖がっているようで、その姿を見てボクは胸が締め付けられる想いだった。

「失礼致します、お嬢様」

 その様子を見ていたセバスはおもむろに彼女の左手を取ると、持っていたナイフで手の平を傷つけた。

「イツッ!?」

「爺や!?えりちゃんに何してんの!?」

 ボクは手の平から滴り落ちる血に動揺して声を荒げた。しかし、当のセバスはいたって冷静だった。

「見事鏡の試練を乗り越えたか、今ここで証明していただきます」

「証明って、もしかして今ここでえりちゃんの血を飲めと!?そんなことのためにえりちゃんを傷つけたの!?何も彼女の血じゃなくても、ストックの血が他にもいっぱいあるでしょ!ただでさええりちゃんはボクに怖い思いをさせられたばかりなのに!」

「だからこそです!ここでお嬢様の血を飲んで暴走しなければ、お嬢様も今後安心して坊ちゃんのお傍にいられるでしょう」

「それは、そうかもしれないけど…。でも……」

 セバスの言い分に、ボクは曖昧に口を濁す。セバスが言うことも一理あるが、それでも今は彼女を気遣う気持ちの方が強かった。これ以上人間の彼女に精神的負担はかけたくなかった。

「えりお嬢様。万が一の時はこのセバスが命に代えてもお守り致しますので、どうか坊ちゃんを信じてその血を提供してくださいませんか」

「…………」

 彼女は硬い表情のままセバスを見つめ返していたが、一度俯いて心の中で葛藤してから揺れる瞳をボクに向けた。覚悟を決めたのか、ゆっくりボクに頷いて見せる。

「えりちゃん…」

 ボクはそっと彼女の手を取ると、手に唇を近づける前に約束の言葉を口にした。

「約束通り、面と向かって言うよ。この間は傷つけてしまって本当にごめん。ボクがいつまでも不甲斐ない男だったせいで、えりちゃんにとても怖い思いをさせてしまった。……えりちゃんはボクの命の恩人で、今回の試練でも、えりちゃんの激励があったから乗り越えられた。今、君の血に誓うよ。もう二度と、君を傷つけるようなことはしない。試練を乗り越えたこの力で、どんなピンチの時も、今度こそ君を守ってみせるから!」

 ボクは彼女の手に唇を寄せると、手の平から溢れる血を吸った。彼女はビクッと体を震わせたが、恐怖から抵抗するということはなかった。ボクは切り口から流れる血を舌でペロッと舐めとると、いつもの調子で彼女にニコッと笑ってウィンクした。

「正気を失っててあの時言えなかった感想がやっと言えるネ。えりちゃんの血はとっても甘くて最高だよ。さっすがボクのお気に入り☆」

「!?…もう。すっかりいつもの調子なんだから。ちゃんと反省してる?」

 硬い表情をしていた彼女はボクの笑顔を見て緊張が解けたようだ。表情を崩すと少し困ったような顔をする。本来の姿が彼女のトラウマにならないよう、ボクはなるべく普段通りの笑顔を浮かべるよう努めた。

「たっくさん反省してるよ。今えりちゃんの血にも誓ったもの。もう絶対、今の約束は違えないから」

「……わかった。じゃあ私も、今回だけは許してあげる。でも次はないからね!次裏切ったら、もう二度と口きいてあげないから!」

 ビシッと人差し指を突き付けられ、ボクはコクコクと頷いた。

 こうしてボクたちは無事仲直りを果たすことができた。ずっとボクらを黙って見守っていたセバスは嬉しそうに微笑んでいる。

「アレ?いつの間にか手の傷が塞がってる」

 彼女はさっきまで血が流れていた手の平を不思議そうに見つめていた。

「あぁ。それならさっきボクが血を吸った時に治したよ。ボクら吸血鬼は舌に少し治癒能力がついてるんだ。血を吸った相手の傷口を治せるようにネ。だからもしえりちゃんがどっか軽い怪我をした時は、ボクに言ってくれればペロペロしていつでもどこでも治してあげちゃうよ☆」

「ど、どこでもって……!?ぜ、全力で遠慮しときます!」

 ニヤッと笑って舌をペロッと出すボクを見て、彼女は顔を真っ赤にして狼狽えた。年の割に少女のような可愛い反応をする彼女が、ボクは堪らなく好きだった。いつも抱きつく度に面白いほど動揺するので、おそらく男に対する免疫があまりないのだとボクは思っている。

「それにしても、よくぞ試練を乗り越えましたな坊ちゃん。途中失敗の兆候が表れた時には、正直もう駄目かと思いました」

「いやぁ~、ボクも途中で心が折れてもうダメかと思ったよ。えりちゃんが能力で声を届けてくれなかったら絶対失敗してた」

「あ、よかった。ちゃんと声届いてたんだね。キュリオの声が聞こえないから、ちゃんとテレパシーできてるか不安だったんだ」

 ボクはセバスに傷の手当てを受けながら、彼女に声援のお礼を言った。本当に彼女には救われてばかりで、少しずつでも返していかなければと思った。

「よっし!弱点も克服したし、後はドラストラをぎゃふんと言わせなきゃだね!」

 勢い込む彼女に、ボクは手当てをするセバスに小声で耳打ちをする。

「…どうしたのえりちゃん。なんかすごい気合入ってるけど」

「それが、坊ちゃんを許せない気持ちから、次第に坊ちゃんを嵌めたドラストラ様に対する怒りへと変わっていきまして、今は怒りの矛先が全てドラストラ様に向いているのです」

「アハハッ!いつでも気持ちに正直な一直線のえりちゃんらしいネ~。まぁ元気になって良かったよ」

 ボクは普段通りの彼女に笑顔を浮かべる。

(試練を受けたことで、ボクも大事なことを色々思い出した。今度はストラにも謝らなくちゃいけない。あの時のことを謝って、暴走するストラを止めるんだ!)

「王子として、大事な従弟として、今度こそお前の目を覚まさせてやる」

 ボクはどこかに身を隠すドラストラを思い、己の決意を小さく呟くのだった―――。


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