第三幕・ドラキュリオ編 第一話 曝された弱点
深い深い眠りについていた私は、夢の中でサラマンダーと対峙していた。魔王城にある訓練場の上空で彼女は竜化しており、私に狙いを定めて大きな口を開けている。どんどん高まる魔力に恐怖を感じながら、私は必死になって結界の妄想を固めていく。しかし、私が妄想を解き放つ前にサラマンダーの強力な攻撃が繰り出され、灼熱の炎が眼前にまで迫った。私はどうすることもできず、目を固く閉じてただ叫ぶことしかできなかった。
夢の中だけでなく現実でも絶叫していた私は、自分の大きな声で目を覚ました。かなり心臓に悪い夢を見ていたせいで、鼓動は早く、嫌な汗をかいていた。
私は見慣れない天井を見上げながら、ゆっくり深呼吸をして鼓動を落ち着かせていく。
「……ふぅ。とんでもない夢を見たな。危うくサラマンダーの炎で溶かされるところだった」
私はフカフカのベッドから身を起こすと、改めてキョロキョロと自分が寝ていた部屋を見回す。
部屋には以前見たことがあるドレッサーが置いてあり、ベッドから見える窓の外の景色も見覚えのあるものだった。
「ここってもしかして…」
「えりちゃん!!大丈夫!?」
私が窓の外を見ていると、突如バンッという大きな音を立てて部屋の扉が開かれた。驚いて扉に顔を向けると、ひどく血相を変えたドラキュリオが慌てた様子で入ってきた。
「キュリオ…?」
まだ起きたばかりで全然頭が働いていない私は、心配した顔を浮かべるドラキュリオにただ首を傾げる。
「今すごい叫び声が聞こえたから慌ててきたんだけど、大丈夫?何かあったんじゃ…」
「叫び声…?あぁ!それ、悪い夢を見たからだよ!思わず夢の中だけじゃなく現実でも叫んでいたみたいで。私も今自分の声にビックリして目が覚めたところだったんだ」
私は頭に左手を当てて苦笑いをする。
ドラキュリオは安心したようにホッと息をつくと、ベッド際まで来て私の顔色を確認する。
「良かった。顔色はそんなに悪くないみたいだね。あれからずっと目が覚めないからずいぶん心配してたんだよ。ジャックからもらっていた薬を使って怪我は治ったはずなのに、ずぅ~っと眠ったままなんだもん」
ドラキュリオは本当に心配していたようで、私の髪を撫でながら気遣わし気に見つめてくる。
普段無邪気に笑顔を浮かべている彼を見慣れているせいか、どこか不安げな表情をしている姿を見るととても心が落ち着かなかった。私は妙な罪悪感に襲われ、殊更明るい声を出して元気さをアピールした。
「ごめんねキュリオ。すごい心配かけちゃって。たっくさん寝たし、薬のおかげでもう完全回復したよ!大丈夫!」
「……本当?無理してない?」
「無理してないよ!何その疑いの眼は。確かに起きてすぐは状況が呑み込めなくてボーッとしてたけど、もう大丈夫だって!……ところで、私どれくらい寝てたの?確か、訓練場でサラマンダーと戦って、その戦闘で足場が全部崩れちゃったところまでは覚えてるんだけど」
私はベッドに座ったまま、左手を顎に当てて気を失う直前の記憶を掘り起こす。
「ボクが駆けつけた時には、えりちゃんはもう瓦礫と一緒に落下していたところだったよ。あの時はさすがのボクも心臓が止まるかと思った。急いで助けたんだけど、えりちゃんてばボクが呼びかけてもうんともすんとも言わないんだもん。あのまま死んじゃうのかと思ったよ。人間は、魔族と違って弱い生き物だからさ」
ドラキュリオはベッドの端に腰掛けると、片手でそっと私の手を握った。まるで、私が生きているのを確認するように手の体温を感じているようだった。
「……大丈夫だよ、キュリオ。もう体のどこも何ともないから。私が意識を失う前、誰かが私を呼んで助けに来てくれたのには気づいたんだけど…。あれって、キュリオだったんだね。ありがとう、助けに来てくれて。今こうして笑っていられるのもキュリオのおかげだよ。本当に、ありがとう」
私は自分の手を握るドラキュリオの手に、もう片方の手を乗せて微笑んだ。
私の感謝の気持ちを受け取ったドラキュリオは、みるみるうちに顔を朱色に染めていく。普段から私に抱きついたりしても顔色一つ変えたりしないのに、今はもう照れて耳まで赤い。
「そんな、お礼を言われるほどの事じゃないよ!えりちゃんだってボクが死にかけた時助けてくれたんだし、ボクだってえりちゃんを助けるのは当然さ!」
「フフフ。私のピンチの時はすぐ駆け付けてくれるって言ってたもんね、王子様は」
「!ウン!ちゃ~んと有言実行したでしょ!これからもえりちゃんのピンチの時には、必ず助けてあげるからネ☆」
話している間に照れと緊張が解れたのか、もうドラキュリオはいつもの調子に戻ったようだ。私は重ねていた手を離したが、ドラキュリオはまだ嬉しそうに手を握っている。
「そうだ!えりちゃんが眠っていた間の出来事を話しておくネ。今世界がどんな状態なのかを」
私は顔を引き締めて頷くと、ドラキュリオの説明に耳を傾けた。
「まず、サラマンダーたちに魔王城が襲撃されてから三日が経ってる。あの日の魔王城の被害はかなりのものだったけど、このまま敵の思い通りにさせる訳にはいかないってことで、予定通り次の日に例の作戦は決行されたんだ。だから一応星の戦士たちとは共同戦線を張れてる…。一部だけは」
ドラキュリオが苦い顔をして最後に言葉を付け加える。すかさず私はオウム返しでその言葉の真意を問いただした。
「一部だけは?それってどういうこと?」
「実は……」
ドラキュリオの説明によると、魔王とロイド王、カイトによる声明演説を映像通信を用いて各地に発信したものの、一部の街にしか今回の協力関係は浸透していないのだという。その原因というのも、各地で反魔王派が人間軍相手に派手に暴れているからだった。クロウリー軍はもちろん、ネプチューン軍、サラマンダー軍、サキュア軍が人間相手に戦っているため、魔族は敵だという固定観念が消えないのだという。
そういうわけで、今きちんと連携が取れているのは、クロロとセイラ軍、ドラキュリオとニコ軍ぐらいらしい。メルフィナと凪・佐久間たちは引き続きサキュア軍とネプチューン軍の対応に当たっており、クロウリー軍はカイト軍が対処に当たっている。
クロウリーは表立ってガイゼル王と組み始めているらしく、補佐としておじいちゃんとジークフリートが交互についているという。
ここまで聞いただけでも、私の頭は若干混乱し始めていた。
「なんか、私が寝ている間にすごい状況が動いてたんだね…。それにしても、せっかく協力関係になって一気に反撃開始する予定だったのに、先に相手に暴れられちゃってその対処に追われるばかりになっちゃったね。本当だったら暴れる前にみんなで一気に叩くはずだったのにな」
「現状の対応を優先したからうやむやになったままだけど、おそらく何者かがボクたちの作戦を漏らしたに違いないよ。でなければこんなに後手後手に回るはずがない。さっき説明したのは人間界についてだけで、実は魔界でも今問題が発生中なんだ。魔界の各領域を攻めてる輩が多発してて、今そっちの対処をジャックとレオン、ボクとで行っているんだ」
「エェッ!?人間界だけでも大変なのに、魔界の対処まで!?」
私は驚きの声を上げると、ドラキュリオもうんざりした顔を作った。
「絶対クロウリーの差し金だヨ。このタイミングで魔界を荒らし回る奴が各地で現れるなんておかしいもん。きっと洗脳した手駒を使ってるんだ。魔界でも騒ぎを起こして、少しでもこっちの戦力を分散させる作戦なんだよ」
「汚い手を…。それで、魔王は今どうしてるの?」
「魔王様はボロボロんなった魔王城で戦況分析と指示出ししてるよ。一人じゃ危ないから、メリィとジークフリートかじーちゃんが交互についてる。あのクソ空賊のせいで魔王城はボロボロになっちゃったから、魔王様の許可を得てえりちゃんはウチの城で預かることにしたんだ。次何かあったら今度こそあの城墜落しそうだからさ」
私はこの城に来た経緯を知り、納得して頷いた。
「結局あの日の襲撃は、サラマンダー軍が退いて終わったの?」
「あぁ。魔王様がブチ切れて、手当たり次第竜化した竜人族を打ち落としてたヨ。それにえりちゃんが説得してくれたおかげで、途中で空賊たちも竜人族を追っ払うのに手を貸してくれたから、思ったより早く事態は収束したよ。まぁでも、城を盛大にぶっ壊した貸しがあるからね、空賊たちには今魔王城周辺の空域の警備をしてもらってる。一部はサラマンダー軍の対処もしてもらってるけどネ」
ちゃっかり空賊を顎で使ってるなぁ、と私は苦笑いした。
ドラキュリオの説明を受け、あらかた現在の状況は把握できた。
私はベッドから出ると、身支度を整えようと自分の身なりを改めて確認する。そこで初めて気を失う前と衣服が違うことに気が付いた。サラマンダーの攻撃を受けてボロボロになっていたので、当たり前と言えば当たり前なのだが。問題は誰が着替えさせたのかということだった。
「…ねぇキュリオ、傷の手当てと着替えって誰がしてくれたの?」
「えぇ~?…もっちろん、ボクだヨ☆ボクが隅から隅まで怪我の手当てをさせていただきました!」
「………へぇ~。それ本当?本当だったら、どうしようか?」
私は怖いほど満面の笑みを浮かべながら、右手を強く握り込む。私の笑みを見てドラキュリオはビクッと肩を震わせると、慌てて両手を前に突き出して訂正した。
「ウソウソウソ!ごめんなさい、冗談だって!病み上がりなんだから落ち着いて!怪我の手当てや着替えは魔王城ですぐにメリィがしたから、ボクは何にも見てないよ!」
「…もう!始めからそう言って!」
私は機嫌を損ねながら、身なりを整えるため一度ドラキュリオを部屋から追い出した。
ふぅっと息をついて気を取り直すと、見覚えのあるドレッサーの前に腰を下ろす。このドレッサーは以前ドラキュリオが私の部屋に置いてくれたものだが、後日それを知った魔王が勝手に返品してしまったものだ。その時はドレッサーだけでなく揃えてくれた洋服も全て返品してしまったので、後で魔王とドラキュリオがそれは盛大な大喧嘩をしていた。周りの者は、またくだらない喧嘩をしているなぁ、と呆れた様子で見ていたのだが、それが今ではとても昔のことのように思える。どうやら結局ドレッサーは、前にドラキュリオが私専用の部屋を用意したと言っていたので、ここの部屋に置かれることになったようだ。
私は引き出しの中に入っていた櫛で髪を梳かし、可愛いシュシュが入っていたのでそれを使ってポニーテールに結った。
「さてと、とりあえず…」
洗面所に行ってみると、私が妄想で出した化粧品グッズ一式が魔王城から移されていたので、手早く準備を済ませた。その後、部屋に置かれていたワーグローブから見たことのある洋服をチョイスすると、サッと着替えて外で待たせているドラキュリオと合流した。
廊下の壁にもたれて待っていたドラキュリオは、部屋から出てきた私を見ると途端に笑顔ではしゃいだ。
「わ~い!ボクが選んだ洋服~!その服えりちゃんにすごく似合ってるよ!いや~、やっぱり魔王様よりボクの方が服のセンスいいと思わない?」
「はぁ~。またそんなこと言ってると魔王との喧嘩が勃発するよ。あの時散々やり合ったでしょうに」
「あの時は全面的に魔王様が悪いんじゃん。せっかくボクが用意したものをボクの許可なくセバスに返品しちゃうんだから」
その時の怒りを思い出したのか、ドラキュリオはむくれた表情で歩き出した。私は困った笑みを浮かべながら彼の後についていく。
私は城内を歩きながら、ずっと疑問に思っていたことを訊ねた。
「そういえばキュリオ、あの日どうやって魔王城に駆け付けたの?突然の襲撃で混乱してたから、とても援軍なんて呼べる状況じゃなかったはずだけど」
「え?あの日?……だからそれは、ボクがえりちゃんの王子様で、ピンチの時は離れていても分かるからだヨ☆」
ウィンクで答えてくるドラキュリオを、私はシラーッとした目で見返す。
「またそうやって調子に乗った嘘をつく。さっきのこと全然懲りてないね。で、本当のところは?」
「…えりちゃんて、時々すごい反応がドライだよね。あ~あ、本当は悔しいから言いたくなかったんだけど。実はあの日、魔王城から戦場に戻った後、夜遅くに危険を顧みず神の子がボクにわざわざ会いに来たんだ。本陣深くにいるボクのところまでね」
「ニコ君が?どうしてまた。作戦の前の日だったから、まだ表向きは敵同士のはずだよね。陣中に行くなんて危険でしょ」
「そーそー。だからボクの部下と軽くやり合っちゃったわけよ。騒ぎを聞きつけて慌てて駆け付けたんだけど、結局神の子は物騒なこと言い残してさっさと帰っちゃって」
ドラキュリオはその時の短いやり取りを思い出す。
『ようやく来た。ねぇ、嫌な予感がするからすぐに大事な者のところに行ったほうがいいよ。もう今回の僕らの作戦は失敗したみたいだ』
『ハァ?急に本陣まで奇襲を仕掛けてきたと思ったら、なに訳わかんないこと言ってんのさ』
ドラキュリオは少し離れたところでダイスを掲げているニコに叫ぶ。
彼は子供らしからぬ憂いた表情を浮かべると、再度忠告するように告げる。
『明日の作戦は予定通り行うしかないだろうけど、でも、もう当初予定していた成果は得られないだろうね。…僕ら星の戦士じゃ助けられないから、早く行ってあげて。でないと、もう二度と彼女と会えなくなるよ』
『え、ちょっと!意味わかんないだけど!コラ!言うだけ言って勝手に撤退するなぁ~!』
ドラキュリオが止めるのも構わず、ニコは不吉な言葉を残して自軍に帰ってしまうのだった。
「神の子の危機管理能力はすごい高いんだって聞いてたからさ、無駄足でもいいやと思って一応魔王城に戻ってみたんだ。そしたら魔王城は神の子の言う通りとんでもないことになってて、魔王様はドラゴン相手に上空で戦ってるし、ケロスたちは満身創痍。とりあえずえりちゃんを探そうと思った時、訓練場に向かってサラマンダーが攻撃ぶっ放したのを見たんだ。それを蒼白の光が防いだのを見たから、すぐにそこにえりちゃんがいるって分かったんだ。群がる竜人を片付けながら訓練場に向かったんだけど、ボクが着く頃にはもう崩れ始めてて、えりちゃんも瓦礫と一緒に落ちた後だった」
「なるほど。それでその後落下している私を助けてくれたわけだね。ようやく話が繋がった。じゃあ今回私が助かったのは、ニコ君のアドバイスのおかげってことね!今度会ったらちゃんとお礼を言わないと」
合点がいったと納得して頷く私に、ドラキュリオはいやいやとすぐさま首を振る。
「お礼なんて別にいいって。実際えりちゃんを助けたのはボクだし。ボクが気を回して魔王城に戻ったからえりちゃんは助かったんだヨ」
残念すぎるほど自分勝手な言い分に、私は呆れてため息をついた。
(キュリオは根は良い子なんだけど、自分大好きというか、自分を一番見てほしいというか、極度の焼きもち焼きさん過ぎるね)
他の男じゃなくて自分をもっと褒めろと推してくるドラキュリオに、私は急いで別の話題にすり替えることにした。
「ところで、私が見た時おじいちゃんすごい怪我で倒れてたんだけど、魔王城と戦場の往復をしてるってことは、もう怪我は大丈夫なの?」
「じーちゃん?じーちゃんならピンピンしてるよ。確かに見つけた時はボロッボロだったけど、意外と見かけによらずタフだから」
ドラキュリオの話を聞いて、私は安心して胸を撫で下ろす。
あの日最後に見たおじいちゃんは倒れたまま動かなかったので、もしそのまま死んでしまっていたらどうしようと思っていたのだ。先ほどの説明で普通におじいちゃんが色々仕事を割り当てられていたのを聞いて、本当にそんな動ける状態なのかと疑っていたが、どうやら本当にタフな老人だったようだ。
「ねぇねぇ、ボクもえりちゃんに聞きたいんだけど、さっきまでどんな夢見てたの?あんな絶叫するほどの夢って、よほど怖い夢だったの?」
ドラキュリオに興味本位で聞かれ、私はさっきまでの夢がどれほど怖かったかを力説する。
「怖いなんてものじゃないよ!あの日を再現した夢で、夢の中でまでサラマンダーのあの強烈な炎のレーザービームを喰らうところだったんだから!ドラゴンになって口からあんな攻撃出すの反則じゃない!?竜人族は強さが規格外すぎるよ!」
「あぁ~。よほどトラウマになっちゃったんだネ。夢にまで見るなんて。サラマンダーの攻撃じゃあ、絶叫して当然だね。人間のえりちゃんには刺激が強すぎるもん」
ずっとドラキュリオについて歩いてきたが、ようやく彼はある部屋の前で立ち止まった。そこは前に城を案内された時に、領域内の会合の時に使う会議室だと教わった場所だった。
ドラキュリオは扉を開けると、中で待っていた眷属や部下たちに声をかけた。私も遠慮がちに部屋の中へと入る。
「おぉ!王子!良かったですね!無事に姫様が目覚められて」
「ほんとほんと!お気にちゃんにもしもの事があったら、怒り狂ってそのままサラマンダー相手に突っ込みそうですもんね、キュリオ様」
わいわいと私とドラキュリオを囲む吸血鬼と悪魔族たち。私の予想と反して歓迎されているのはよかったが、聞き逃せない単語がいくつかあった。私は引きつった笑みを浮かべながら、横にいるドラキュリオを問い詰める。
「ねぇキュリオ。今『姫様』とか『お気にちゃん』とか聞こえたんだけど、もしかして私のことじゃないよね?」
「エヘヘ。どうせだからこの機会に既成事実作っちゃった☆この間の戦でえりちゃんは多くの吸血鬼や悪魔族を救ってくれたから、えりちゃんがボクのお姫様でもみんなすんなり受け入れてくれたヨ」
「な、な、な、何て既成事実を!?!?」
あまりの動揺に私は上手く言葉が回らなくなる。可愛く舌を出してテヘペロッと誤魔化すドラキュリオに、私はあまりの衝撃を受けすぎてもはや怒る気力を失くしてしまった。
思考が止まりかけている私に代わり、傍に控えていたセバスが調子に乗っている主をたしなめる。
「坊ちゃん。あまり無理に自分の都合を押し付けると、嫌われるどころか一生振り向いてもらえなくなりますぞ。あまりお嬢様を困らせないことです。…申し訳ありませんお嬢様。わたくしも途中で気づいて止めたのですが、時すでに遅く。あっという間に周りに伝え広まってしまったもので。後でもう一度わたくしがきつく叱っておきますので、どうかご容赦ください」
丁寧にお辞儀をして謝罪され、私は一気に思考が回り始めた。
「いやいやいや。セバスさんが頭を下げることじゃ。…もうキュリオ!私とセバスさんを困らせないの!いっつも問題行動ばっかりするんだから」
「だってぇ~、ボクのものだって言ってたほうが色々と都合がいいんだもん。いいじゃない。きっと近い将来そうなるし」
「何を根拠にそんなことを…」
私がいい加減怒って睨みつけていると、周りにいた配下たちは楽しそうに笑い出した。私は訳が分からず頭の上に疑問符を浮かべる。
「あははは!本当に仲がいいな、王子と姫様は」
「キュリオ様は気分屋で自由奔放なので、振り回されないように気を付けてくださいよ、お気にちゃん。キュリオ様のことで困ったことがあったら言ってください。オレたちいつでも力になりますから」
ドラキュリオを慕う配下たちは、人間の私相手に親し気に話してくれた。特に吸血鬼一族はプライドの高い一族と聞いていたが、今のところ全然壁のようなものは感じられない。とても友好的だった。
「ちょっと!王子のボクよりえりちゃんの味方するわけ。ボクの味方をしてもっとえりちゃんとラブラブになれるように手伝ってよ」
「な~に言ってるんですか!俺たちから見たら十分仲良いですよ!」
そうそう、と相槌を打つ配下たち。ドラキュリオはそのまま席に着くと、一旦中断していたらしい会議を再開させた。
私はセバスに声をかけられると、数日振りの食事へと案内されるのだった。
私が目を覚まして二日後。ドラキュリオやその配下と共に昼食を取っていると、私たちの下に思いがけない報告が飛び込んできた。
「王子!ずっと行方をくらませていたドラストラたちが姿を現しました!」
「何!?ストラが!」
ドラキュリオは思わず椅子から立ち上がり、伝令にその先を促した。
「ドラストラたちは今、よりにもよって我々と協力関係にある神の子の軍に攻め込んでいる模様です!」
「チッ!アイツ、どこまでボクに迷惑をかければ気が済むんだ」
私は忌々しそうに舌打ちをするドラキュリオを心配そうに見つめる。
昨日ドラキュリオに聞いた話によると、従弟のドラストラはずいぶん前から吸血鬼一族と悪魔族数十人を連れ行方知れずになっているという。それが今、協力関係の人間を襲っているということは、明らかな反乱行為だった。
「坊ちゃん。至急援軍に駆け付けなくては、我々人間と魔族の同盟軍にまたしても不信感を抱く人間が増えます。それに、これ以上ドラストラ様を野放しにして問題が発生すれば、他種族にも示しがつきません。早急に対応が必要です」
セバスの進言に、ドラキュリオは大きく頷いた。
彼は部屋にいる配下たちを見回すと、その可愛らしい少年の姿には似つかわしくないほど威厳と貫禄に満ちた声で命令を出す。
「お前たち!これ以上ドラストラの凶行を見逃すわけにはいかない!ボクの大事な眷属や配下を唆し、この領域の勢力を二分して混乱を招くだけでなく、今や同盟相手である神の子の軍を襲う始末。いくら従弟いえど、もう庇い立てはできん。皆、これより神の子の援軍に駆け付ける!戦場でドラストラと対峙しても、もはや情けは無用!容赦なく叩き伏せろ!いいな!」
「「「おぉ!!」」」
王子の言葉に、全員が一斉に答える。私は威厳と自信に満ち溢れたその姿に、なんとなく本来の姿のドラキュリオを思い出した。今は少年の姿だが、前に見た本来の姿がダブって見える。
(魔王とはまた違った王族の貫禄が出てるなぁ。自分で吸血鬼界のプリンスって言うだけあって、やっぱりちゃんと王子としてしっかりしてるわ。……普段は我儘の問題児でどうしようもないけど)
私はそんなことを考えながら、一緒について行くために食べ残していた昼食を急いで口の中にかきこむ。
「魔界を荒らす輩の対処もあるから、一部戦力は残していく。魔界の対処はボクの代わりに頼んだよ、爺や」
「かしこまりました、坊ちゃん。どうぞ油断なさらず、お気をつけくださいませ」
その後あっという間に部隊の編成をしていくドラキュリオに、私は邪魔にならないよう用件だけ伝えてそっと離れることにした。
「キュリオ。私も一緒について行くから、準備ができたら声かけてね」
「ウン、わかった。………エェ!?」
条件反射で了承したドラキュリオは、冷静に考えてから驚き私を振り返った。
「ちょっと待って!えりちゃんもついて来る気!?危ないからダメだよ!ついこの間まで眠り続けてたの忘れたの?戦場に出るなんて絶対ダメだからネ」
「もう!しつこいなぁ。体調ならもう治ったってば。元々作戦実行後は、仲介役として各地に顔を出して力を貸す役目だったんだから、私がついて行くのはむしろ当然だよ。それに、私の力なら魔法陣を経由しなくても一気にニコ君のところまで行けるかもしれない。助けに行くなら早いほうがいいでしょ」
私の提案に、ドラキュリオだけではなく周りの配下たちも首を傾げた。
正真正銘人間と魔族が協力関係になった今、私の能力を秘密にする必要はなくなった。ずいぶん前から名ばかりの人質だったため、もっと早いタイミングでバラしてもよかったのだが、なかなかみんなが忙しくて結局今になってしまったのだ。
「えりちゃんの星の戦士の能力って、なんか色々できる便利な魔法みたいな能力じゃないかってクロロに聞いたけど」
「なんか、ずいぶんふわっとした予想だね。あながち間違いでもないけど。私の能力はね、『妄想を現実にする能力』だよ!一日三回だけっていう制限はあるけど、私が頭の中で妄想したことを現実化できるんだ!」
「妄想を、現実に…?それって、かなりヤバイ能力じゃない?」
意外に真面目に受け取っているようで、ドラキュリオは真剣に能力について精査している。配下たちはというと、妄想と聞いて色々夢を膨らませているようだ。
「その能力を使って、ボクが毒に侵された時も治してくれたんだよね」
「うん。この能力は意外と使い勝手が悪くてね、きちんとイメージを固めて妄想できていないと不発に終わってしまうの。しかも一回分は消費されてね。だからあの時は毒を治したりする回復魔法なんてきちんと妄想できなかったから、元気な時に会ったキュリオをイメージしたの。その時の健康体に戻るように妄想して、それを現実化させた。一度目にしたことがあるイメージは失敗しにくいことは色々試して実証済だったから。だから毒を治すじゃなくて、どっちかというと肉体の時を戻すのに近かったのかな、アレは」
「肉体の時を、戻す…。妄想を現実に干渉させるとは、とても脅威的な能力ですね。いくら一日三回という制限があるにしても、他の星の戦士に比べかなり規格外な力です。星が最後に召喚した戦士なだけはありますね、坊ちゃん」
セバスは珍しく難しい顔をする主に言った。
「確かに色々できて使える幅は広いけど、失敗する可能性があるのはもちろん、成功しても妄想や想いが弱ければ威力が落ちたりすることもあるから。万能って訳じゃないよ。使い続けてわかったけど、精神状態がかなり作用する能力で、妄想するだけじゃなくて、強く信じる心や願う気持ちや想いみたいなのも必要なんだ。それに、詳しくはまだ分かってないんだけど、現実化したものによって体に大きな負担がかかるものもあって」
「やっぱり、ボクの肉体を健康な時に戻すなんて荒技使ったからあの時体調崩したんだ。なんて無茶な妄想を…」
ドラキュリオは難しい顔から少し怒ったような顔をする。彼は私に向き直ると、怒った表情のままこう宣言してきた。
「えりちゃん、もうその能力使うの禁止!その妄想の力は色々危険すぎる!」
「…え?エェ!?何言ってんの急に!?むしろこれからニコ君助けに行くのに早速使うつもりですけど!?」
私は急に何を言い出すのかとドラキュリオに言い返す。しかし彼は断固として能力を使うことを反対してきた。
周りにいる配下たちは戸惑った様子で私たちを見守る。
「その能力は色々問題点がある。確かに自分のした妄想を現実にできるなんて夢みたいな力だけど、今聞いた限りだとかなりのリスクがある。回数制限はあるし、不発のリスク、何より体への負担。この間一緒に戦場に行って雷の魔法でボクたちを救ってくれたけど、あの時もし長期戦になっていたらどうなっていたと思う?えりちゃんはあの時の雷魔法が一回目だとしたら、あと二回しか実は能力が使えなかったということだよネ。…えりちゃんの能力は強力だけど、回数制限を敵に知られてしまったら途端に不利になるよ。三回凌げばもうえりちゃんに打つ手はないんだから」
普段の悪戯っ子なドラキュリオとはかけ離れ、冷静に分析して私の能力の弱点をついてくる。私はいつもの調子で自分の意見を言い返したかったが、今のところ正論しか言われていないので何も言い返すことができない。
「むしろそんな危うい能力でよくサラマンダーと渡り合えたネ。あのサラマンダーの攻撃を結界で受け止めてたみたいだけど、それも妄想で現実化させた結界だったんでしょ。おそらく妄想のベースはじーちゃんの結界なんだろうけど、下手したら炎に溶かされて即死していてもおかしくなかったよ」
「うっ。それは、大いにあり得たから何も言えない…」
「でしょ!?もし不発だったら一発アウトだよ!戦闘において、攻撃のミスは致命的。能力が不発したらえりちゃんの場合隙だらけですぐにやられちゃう。すぐに対処しようとしても回数制限があるから、ここぞという時にしか使えないでしょ。能力を使い切る前に相手を倒せないとその時点でえりちゃんの負けは確定する。しかも能力を使えば体に負担がかかって体調を崩す。とても危なっかしくて戦場になんて連れていけないよ」
反論する足掛かりがどこにもなく、私はあえなくドラキュリオにフルボッコにされた。こんなことになるのなら能力をバラさなければ良かったと、今更ながらに後悔をする。
しょぼんと肩を落とす私を見て、ずっと周りで見守っていた配下たちは私に同情して助け舟を出してくれる。
「王子、そこまで姫様に意地悪言わなくても。王子の仰る通りデメリットは多いですが、姫様の能力は貴重ですよ。戦場でも実際助けられたこともありますし、連れて行ってあげてもいいのでは」
「そうですよ!仲間はずれにしたらお気にちゃんが可哀想じゃないですか!お気にちゃんが危ない時はオレたちが助けますから!」
配下の人たちは口々に私を援護してくれ、肩を落としていた私はキョトンとしてしまう。
みんなが私の味方をするので、ドラキュリオは面白くないと頬を膨らませる。
「どうして王子のボクじゃなくてみんなえりちゃんの味方をする訳?おかしくない?」
「そりゃあ、だって、可愛い娘の味方をした方が気分いいじゃないですか」
「誇り高き吸血鬼は弱き者の味方ですから。どう考えたって王子より姫様の味方です」
「何だよソレー!爺や!みんながボクに口答えするー!爺やはえりちゃんを戦場に連れて行くの反対だよネ?」
ドラキュリオは頼れる執事兼元教育係に同意を求める。
セバスは私の顔を見つめてから、祈るように見つめてくる主に視線を移した。少し迷った末、セバスは結論を出した。
「坊ちゃんが心配していることは、戦場にてお嬢様が命を落とすこともそうですが、一番はお嬢様の能力が敵に伝わり、お嬢様の利用価値に気づいてクロウリーが洗脳しようと狙ってくるかもしれないと思ったからではないですか。万が一お嬢様が敵の手に落ちれば、妄想の力でどんな攻撃を仕掛けてくるかわかりませんからね。能力が失敗するか成功するかは別にして」
「え?そんなことまで考えてたの?」
私はずいぶんと先読みしているドラキュリオに驚くと同時に感心した。今まで私は自分が敵に洗脳されるなど考えたこともなかった。しかしセバスが言った通り、もし洗脳されたら自分の能力が敵にいいように利用される恐れがあるのだ。それは確かに危惧することかもしれない。
「坊ちゃんはこう見えて大変賢いですからね。お嬢様の能力を聞いた時点であらゆる可能性を考えたはず。我ら同盟軍にとって一番危険な可能性は、お嬢様を洗脳されて敵に寝返られることでしょうな。……しかし、かと言ってお嬢様の自由を奪う権利は我々にはないかと。お嬢様が戦場について行くと言うのならば、わたくしはお嬢様を支持致しましょう」
セバスが出した結論を聞き、ドラキュリオは思わずずっこけた。
「なんでだよ!結局ボクの味方じゃないのかよ爺や!話がちがう!ボクの考えに共感していたくせに」
「それとこれとは話が別ですからなぁ。早い話、坊ちゃんがお嬢様を守れば済むことですし。それに、お嬢様一人守れないようでしたら、とてもこの先吸血鬼界の王にはなれませんぞ」
セバスに説き伏せられ、最終的にドラキュリオは私が戦場に同行することを渋々認めてくれた。私は味方をしてくれた配下の人たちやセバスに礼を言う。今回戦場に同行してくれる配下の人たちは、危険なことがあったらすぐに守ります、と力強く私に言ってくれた。
その後部隊の編成が終わった後、私たちは早速援軍に駆け付けるため、城の広場に部隊を招集し整列させた。色んな事態に対処できるよう、吸血鬼族と悪魔族が半々の部隊になっている。
私はドラキュリオと共に配下たちの正面に立ち、今回の移動手段を説明した。
「キュリオには先ほど事前に説明しましたが、ニコ君の軍はもう既に襲われている状態です。そのため、魔法陣を使って援軍に駆け付けるとなるとかなりの時間がかかりますし、敵が魔法陣の前で待ち構えている可能性も大いにあります。なので今回は、私の能力で一気にニコ君の目の前に空間転移する作戦で行きたいと思います」
「おぉ!姫様の妄想の力で!」
「確かに待ち伏せされている可能性が高いから、お気にちゃんの能力で一気に移動できれば相手の裏をかくことができますね」
私の説明を受け、配下たちは期待と士気を上げていく。そんな彼らを見て、私はみんなの期待に応えられるよう一段と気合を入れた。
「……えりちゃん、本当に大丈夫?空間転移の妄想なんて今までしたことないんでしょ。失敗して一回分無駄になる可能性が高いんじゃ」
力の入っている私を心配し、ドラキュリオは気遣わし気に訊ねてきた。
彼の言う通り、今まで空間を移動する妄想はしたことがない。この世界に来た頃は妄想できるほどの確固たるイメージがなく、失敗したらという気持ちが強くて試すこともしなかった。しかしあれから魔法陣での空間移動に加え、おじいちゃんの空間転移魔法を何度も経験したため、妄想のイメージは格段にしやすくなっている。おそらく今なら落ち着いて妄想を膨らませれば成功できると私は確信していた。
「大丈夫!魔法陣も空間転移ももう経験済だし、妄想できる材料はちゃんと揃ってる。必ず成功させて、みんなを戦場に送り届けるから!」
笑顔でガッツポーズをする私を見て、ドラキュリオもそれ以上は何も言わず、笑顔で頷き返してくれた。
「それより、空間転移したらもう戦場だからね。すぐに戦えるように準備しておいてよ。みんなも、心の準備はいい?」
「オッケー!」
「「おぉ!」」
「「いつでもどうぞー!」」
私の呼びかけに、ドラキュリオや配下たちは元気に答える。
私は一度大きく深呼吸をすると、目を閉じて精神を集中させた。
(今回は空間転移…。でもおじいちゃんがいつもやっているような空間転移だと、この人数を移動させるにはちょっとイメージがしづらい。だから私流の空間転移の妄想をしないと。どちらかというとイメージは魔法陣で、発動能力自体はおじいちゃんの空間転移な感じ。……まずは、全員で移動できるように大きな魔法陣を地面に描く)
私の全身が蒼白の光を放ち、足元に大きな魔法陣が浮かび上がり始める。配下たちが歓声の声を上げるが、即座にドラキュリオが手で静かにするよう命じた。
(…魔法陣に空間を移動する魔法をイメージ。移動先はニコ君の傍。以前会ったニコ君を強く思い浮かべて、彼のところに一瞬で移動する!いつもおじいちゃんが使ってた空間転移の感覚を思い出して、強く、強く、ニコ君を思い浮かべて!)
頭の中の妄想は最高潮に達し、眩しいくらいに体は蒼白の光に包まれていた。私はカッと目を見開くと、溜めた妄想を一気に解き放つ。
『ニコ君のところへ!空間転移!!』
足元の魔法陣は蒼白の光で一帯を覆うと、そのまま魔法陣ごと一瞬で消失した。広場に大勢いた吸血鬼と悪魔族は、星の戦士に導かれて戦場へと旅立ったのだった。
能力が無事発動し蒼白の光に包まれた私たちは、光が止むと何故か空中へと投げ出されていた。私はすぐさま『失敗』が頭をよぎったが、最近経験した落下体験を思い出してすぐにそれどころではなくなった。
「え、嘘、しっぱ…、キャアァァ~~~!!!」
「えりちゃん!!!」
今回はすぐ傍にドラキュリオがいたため、落下し始めてすぐに救助された。私はすっかり落ちる感覚がトラウマになったようで、抱きとめてくれたドラキュリオにガッシリしがみついた。
「だ、大丈夫えりちゃん?」
珍しくしっかり抱きついてくる私に、ドラキュリオは落ち着かせようと頭にポンポンと手を置いた。
「すっごいやお気にちゃん!本当に一瞬で戦場に着きましたね!」
「さすがは王子が選んだお人だな。では王子、我らは人間に手を貸しドラストラ様たちの鎮圧にかかります」
「あぁ!頼んだぞ!ボクらは先に神の子と合流する」
配下たちは部隊ごとに散り散りになり、各所の救援へと向かった。
私はドラキュリオに掴まりながら眼下をそっと見下ろす。足元の雪原地帯では、人間とドラストラが率いる魔族軍が戦っていた。
「私、ちゃんと成功してたんだ。…でも、何で上空?」
「多分、ボクたちが現れるほどのスペースがなかったからじゃない?大人数だったし。だから転移場所はそのままで位置だけ上にずれちゃったんだよ。幸いボクの軍はみんな浮遊魔法が使えるから問題なかったけどね」
ドラキュリオの分析を聞いて、私は体を固くした。
(それってつまり、浮遊魔法を使えない人ばかりだったら大惨事だったってことだよね)
「ごめんキュリオ。私が自分で提案したことなのに、上空に転移しちゃう可能性なんて考えもしなかった。たまたま怪我人が出なかったけど、下手したら救援どころじゃなくなってたよね。ごめんなさい…」
私がズゥーンッとした空気を醸し出しているので、ドラキュリオは笑い飛ばして励ましの言葉をくれる。
「アハハ。そんなに凹まなくても。初めての空間転移だったんだし、むしろ今回は上出来でしょ!それにこの程度の高さだったら、もし落ちたとしても魔族は死にはしないから大丈夫だって!」
ニッコリ笑って頭を撫でてくれるドラキュリオに、少しだけ凹んだ心が浮上した。
私たちは地上に向かうと、真下にいたニコと早速合流した。さすがの神の子も突然援軍に現れた私たちに驚いていた。
「まさか突然上空に現れるとは思っていなかったよ。蒼白の光を放ってたってことは、さっきのは神谷さんの能力?神谷さんって、雷の使い手じゃなかったんだ」
三つのダイスを手に浮かべながらニコは私たちを出迎えた。
周りにいるオスロの兵たちは協力関係のはずの魔族に襲われてピリピリした空気を纏っていた。
「えりちゃんは万能魔法使いだからネ。まぁ詳しい能力についてはコレが落ち着いてから説明するよ。今はまず暴走しているストラたちを止めるのが先決だ」
ニコは一つ頷いて同意すると、今の戦況を説明し始めた。
「今日昼過ぎにオスロの街近郊に現れた魔族たちは、警備兵の制止を振り切り突然攻め込んできた。数はそれほど多くはないけど、魔族は個々の力が強いから今のところ不利ではないけど有利でもないかな。上空から見えたかもしれないけど、敵は吸血鬼と悪魔族だけでなく、機械やスライム系の魔族も含まれてる。つまり、僕たち同盟軍の敵の一人、クロウリーが一枚噛んでるってことかな」
「あぁ、ボクも上空から確認した。おそらくストラたちはクロウリーに唆されたに違いない。最悪洗脳もされているかもしれない。厄介だな」
ドラキュリオが眉根を寄せて考え込む。
「もし洗脳されていたらボクが一目見れば分かるけど、洗脳されていた場合、魔王様やじーちゃんくらいじゃないと洗脳を解くことができない。そうなったら、とりあえずボコボコにして黙らせるしかボクたちには手がないネ」
「ボ、ボコボコ……」
最後は明るくフルボッコ発言するドラキュリオに、私は苦笑いした。
私たちが情報のすり合わせをしていると、遠くから聞き覚えのある声がどんどん近づいて来るのがわかった。進路に立ち塞がる人間や魔族をことごとく打ち倒し、敵軍総大将であるドラストラが一直線にドラキュリオに向かって走ってくる。ドラキュリオは目をギラつかせている従弟を視界に捉えると、迎え撃つべく地面を蹴って飛び出した。
「ドラストラァァ~~~!!!」
「死ねぇぇ!腰抜けぇぇ~~~!!!」
雪原の真ん中で、大きな魔力二つがぶつかり合った。拳と拳を突き合わせたドラキュリオとドラストラは、魔力がぶつかった衝撃で互いに弾き飛ばされる。しかし、二人とも地面に着地すると同時に攻撃へと転じていた。距離を詰めると、激しい拳と蹴りの応酬が始まる。
二人の目にも止まらぬ速さの攻防に、私は瞬きすることも忘れて見入ってしまう。
(ス、スゴイ…。二人とも速すぎて全然見えない。やり合ってる音だけは聞こえてくるんだけど。……まるで有名な格闘漫画の世界だわ)
私は二人の戦闘から目を離さぬまま、横にいるニコに一応訊ねてみた。
「ねぇニコ君。二人が戦ってるの見えてる?どっちが勝ってるかな?」
「いえ、僕は普通の人間だから全く見えないよ。とりあえず嫌な予感とかはしないし、大丈夫なんじゃない。あいつは吸血王子に任せて、僕は周りの雑魚を片付けるかな」
ニコはダイスを振ると、周りの兵たちの援護に回った。私は敵に狙われないよう味方の兵たちの近くに身を寄せながら、大将同士の一騎討ちを見守った。
ドラストラに従っていた魔族軍は、人間とドラキュリオ連合軍に次々と倒され次第に兵力を減らしていった。順調に勝利へと近づいていく中、大将同士の一騎討ちは佳境へと差しかかっていた。
「さぁストラ!いい加減もう降参したらどうだ!お前の実力じゃ、このボクに勝つなんて到底ムリだからネ。それに、洗脳はされてないみたいだけど、クロウリーの奴に何か余計なことでも吹き込まれて利用されてるんだろ。誇り高き吸血鬼一族の名が廃るぞ」
「どの口が誇り高き吸血鬼一族を語る!一族を欺き続ける腰抜け王子が!今こそお前の無様な姿、一族配下全員に曝してやる!!」
あちこち打撲や血を流しているドラストラは、隠し持っていた血の小瓶を一気に煽ると、瓶を投げ捨て魔力を開放した。血によって潜在能力が開放されたドラストラは、先ほどより纏う空気が一段と禍々しくなっている。
彼は憎しみを込めた瞳でドラキュリオを睨みつけると、一瞬にして間合いを詰めた。持ち前の反射神経で攻撃に反応したドラキュリオは、かろうじてドラストラの攻撃を受け止める。しかし、血を飲む前と比べて明らかにドラストラの身体能力は格段に上がっていた。先ほどまでと違い、ドラキュリオは防戦一方になってしまう。
「オラオラどうした!オレの実力なんてたいしたことないんだろぉ!さっさと反撃してみろよ!まぁ、そんなに長い時間本来の姿を維持できないだろうけどなぁ!」
「クッ!この馬鹿ストラめ!そんなにお望みなら一撃で片付けてやるよ!」
ドラキュリオは魔力を開放して本来の成長した姿に戻ると、右拳に魔力を集中させて、渾身の右ストレートを繰り出した。ドラストラは両腕でそれを防いだが、あまりの威力に体ごと後方へ吹っ飛ばされた。
「我が眷属たちよ!」
ドラキュリオの魔力の呼びかけに答え、彼の纏うマントが途端にコウモリの大群へと姿を変える。コウモリたちは主の指示に従い、吹っ飛ばされたドラストラに追い打ちをかける。倒れ込むドラストラはコウモリたちに噛みつかれたり、鋭い羽で切り裂かれていく。誰の目にも勝負は完全に決着したように見えた。
動かなくなった標的を確認し、コウモリたちは主のマントへと戻って行く。ドラキュリオは小さく息をつくと、再び己の力に制限をかけて少年の姿へと戻った。
「よし。後は拘束して、他の魔族たちも黙らせれば終わりかな」
大将同士の戦いが無事終わったのを確認した私は、あちこち怪我をしているドラキュリオの下へと急ぎ駆け寄った。
「キュリオ~!大丈夫?」
「えりちゃん!…ッ!?」
私を振り返ったドラキュリオは四方からの殺気にすぐさま反応したが、敵の攻撃の方が数秒早く、機械系魔族が放ったワイヤーに手足を拘束されてしまう。すぐに力ずくで引き千切ろうとするが、電気を流されて膝をついてしまう。ドラストラとの戦闘で相当体力を削られてしまった影響もあるのかもしれない。
「キュリオ!い、今すぐ敵の魔族を倒してくるから、少し待ってて!」
私が踵を返して機械系魔族を倒しに行こうとした時、倒れたはずのドラストラから不気味な声が聞こえてきた。
「ククク。ようやくこの時が来たな。これでお前の王子としての面目は丸潰れだ」
ドラストラはゆらりと立ち上がると、傷ついた体で空中を飛びながらドラキュリオに近づく。ドラキュリオの渾身の一撃を喰らい、しばらくは絶対に動けないほどのダメージを負っていたはずなのだが、彼は怪しく笑いながら拘束されて動けない王子に向かっていく。
「クソ!そうか、回復魔法か!…クロウリーの入れ知恵か」
ドラキュリオは先ほどまでドラストラが倒れていた場所にスライムたちがいるのを見てカラクリを悟った。どうやらこの世界のスライム系魔族は回復魔法が得意なようだ。
私は身動きが取れないドラキュリオを助けようとドラストラに攻撃を仕掛けようとしたが、背後からニコに話しかけられ中断されてしまう。
「神谷さん!大丈夫ですか?」
「ニコ君!大変なの!キュリオが敵に拘束されちゃって」
私が事情を説明している間に、ドラストラの魔の手は確実に王子を捉えた。
「さっきの言葉、今果たす」
ドラストラは膝をつく王子の腹を思い切り蹴り上げると雪原に倒れさせた。ドラキュリオは痛みに大きく咳き込み腹を押さえようとしたが、敵のワイヤーに拘束されてできなかった。
「早く助けないと!ニコ君のダイスでどうにかできない!?」
「僕のダイスではもう間に合わない。もう、最悪の結果が確定してる。今すぐこの場から離れて神谷さん!嫌な予感しかしない!」
「え、どういうこと!?」
ドラストラは仰向けに倒れる王子を見下ろすと、懐からスキットルを取り出した。その見た目から最初はお酒でも入っているのかと思ったが、開けた蓋からこぼれた液体を見てすぐにお酒ではないことが分かった。
「これで本性を曝し、一族配下全員にお前の弱点を知らしめてやる!!」
「ングッ!?ガハ、ガハ、ガハッハァ」
蹴りを喰らって腹の痛みから口を開けていたドラキュリオは、突如頭上から降ってきた赤い液体を口にして咳き込んだ。それが彼にとって何を意味するのか瞬時に理解し、液体から逃れようと口を背けようとするがドラストラがそれを許さない。無理矢理顎を掴んで口に血を流し込む。
「もしかしてあの赤いのって、血……?何でドラストラの奴、無理矢理キュリオに血なんか飲ませてんの?血を飲むと吸血鬼って強くなっちゃうはずなのに」
意味が分からない、と私は首を捻っていたが、隣にいるニコの顔色はどんどん血の気が引いていっていた。
「さぁ、準備は整った。ちょうどいい機会だ。一族に見限られるだけでなく、そこにいるお気に入りとやらもその手にかけて存分に後悔するといいさ!」
そう叫ぶと、ドラストラはサッサとその場から撤退した。
私はとりあえず様子を確かめようとドラキュリオに駆け寄ろうとしたが、咄嗟に私の手をニコが掴んだためそれは叶わなかった。
ニコに抗議の声を上げようとした直後、すぐ傍で強大な魔力が跳ね上がった。全身の身の毛がよだち、本気の魔王と対峙しているかのようなプレッシャーだった。魔力の源を見ると、そこには本来の姿に戻り、自分を拘束していたワイヤーを纏う魔力だけで弾き飛ばしたドラキュリオの姿があった。今まで感じたことのない彼の膨大な魔力に、私は自然と体が恐怖で震えているのに気がついた。ドラキュリオはゆっくりこちらを振り返ると、真っ直ぐ私を見つめて呟いた。
「人間の、女…。その血、吸血鬼の王子である我に全て捧げよ…」
「え……?」
まるで別人の声と空気を纏うドラキュリオに、私は疑問の声しか上げることができなかった。
「神谷さん!!!」
危機管理能力に長けているニコは即座に私の身の危険を感じ取ると、咄嗟に私を突き飛ばして庇ってくれた。そのまま雪原に倒れ込んだ瞬間、私の代わりにニコがドラキュリオの一撃を喰らい、遥か後方に吹っ飛ばされてしまった。
「ニコ君!!」
私が身を起こしてニコの下へ向かおうとすると、邪悪な気配を漂わせるドラキュリオが目の前へと立ち塞がった。
(一体、何がどうなってるの!?さっきまでのキュリオとは全然別人。この威圧感、魔王と同等レベルだよ。これが、本気の吸血鬼の王子の実力ってやつなの…!?)
私は後退ろうとしたが、恐怖で足がすくんで動けないことに今更気がついた。
「娘よ、その血が我の力となることを光栄に思って逝くがいい」
「イ、イヤッ!」
私は伸ばしてきた手を払いのけようとしたが、いとも簡単に掴まれてしまう。私の体を引き寄せ牙を見せてくる彼に、私は必死になって抵抗した。
「なに血迷ったことしてるんですかキュリオ様!お気にちゃんを放してください!」
「王子!それ以上の血の摂取はお止めください!もう十分魔力は満たされておりますぞ!」
王子の異変に気付いた悪魔族の配下や吸血鬼の眷属たちが、私を助けようと数人がかりで向かって来た。しかし、王子の強力な魔力の前では誰も敵わなかった。
ドラキュリオは周囲一帯の魔族や人間を魔力の圧だけで吹き飛ばすと、邪魔者が入らないよう空中に私ごと移動した。
「さぁ、お前の極上の血を味わわせろ」
「やだ、キュリオ…。正気に戻って!しっかりしてよ!私のピンチの時、助けてくれるんじゃなかったの!?」
私は恐怖のあまり目から涙が零れた。
ドラキュリオの腕の中でもがくが、人間の抵抗など魔族には大した問題ではなかった。星の戦士の力で対抗しようとも考えたが、この精神状況ではとても妄想する余裕などない。
「嫌、止めて!お願い、いやぁぁぁぁ~!イッ!?イタァ!?」
泣き叫ぶ中、非情にもドラキュリオは私の首筋に鋭い牙を突き立てた。牙は私の柔らかい肌を突き刺し、あっという間に彼の喉を潤す血を体内から溢れさせた。
私は痛みにもがき、力の限りドラキュリオを押しのけようとするが、次第に血を失っていき力が入らなくなってくる。泣き叫ぶ体力もなくなり、涙がポロポロと頬を伝うだけになる。
「ッ。だ、れか。たす…け……」
最後の私の言葉が届いたのか、地上で蒼白の光が放たれる。
「まったく。世話の焼ける吸血王子だね」
ニコの呟きと共に、ダイスの出目能力が発動する。強運が引き寄せたのは一発系の出目で、その名の通り一発逆転が発生した。ニコが敵と認識していた周囲一帯の魔族たちが強制的に眠り魔法をかけられ眠ってしまった。もちろんドラキュリオも例外ではない。
「クッ!なんだ!?急に、眠気が…」
口を血で真っ赤に染めたドラキュリオは、そのまま上空でバランスを崩すと深い眠りに落ちていった。彼は落下する際咄嗟に私を上にすると、地面に叩きつけられないよう庇ってくれた。
ドラキュリオに抱えられたまま地上に落下した私は、彼がクッションになってくれたおかげで怪我をせずに済んだ。しかし、血は大量に失われ、顔からは血の気が引いていた。
お腹を押さえながら現れたニコは、私の無事を確認するとホッと胸を撫で下ろした。
「良かった。ギリギリ間に合ったみたいだね」
私は少ない体力を使ってドラキュリオの腕を無理矢理どけると、体を引きずって彼の傍からできる限り離れた。ニコを見上げると、口から血を吐き出した後が残っており、先ほどのドラキュリオの一撃がかなり強力だったことが窺えた。
「ニコ君も、無事、だったんだね」
「えぇ。一瞬死ぬかと思ったけど。攻撃を喰らう瞬間にダイスを振って、奇跡的に回復の出目が三つ全部揃ったから、ダメージを負ってすぐに連続回復ができたんで致命傷は避けられたってわけ。僕じゃなかったら死んでたかもね」
サラッと言ってのけるニコに、さすがは神の子だと感心してしまった。
「お気にちゃ~ん!大丈夫!?生きてる!?」
悪魔族と吸血鬼一族は私とドラキュリオを囲むと、素早く現状を確認した。
「姫様!噛まれた首筋を見せてください!……あぁ、やはり。さすがは王子。他を傷つけることなく目当ての血管を一突きしてますね。急ぎ止血せねば姫様のお命が危ない」
古参と思われる年配の吸血鬼は怪我の状態を確認すると、私の首筋を強く圧迫して止血を試みた。
「僕に任せて。僕のダイスで回復の出目を連発して治す」
「おぉ!さすがは神の子!いざという時は頼りになるな~。敵の時はただただ憎かったが、味方になると何とも頼もしい!さっきもあっという間に敵を眠らせてしまうしな」
「これでも伊達に神の子とか言われてないからね。…それより、さっきの姫様って何?」
宣言通り、イカサマでもしているのではないかと思うほど回復の出目をバンバン出すニコに、私は疲れた表情で答える。
「あぁ~。それは、キュリオが勝手に都合良く広めたもので。あまり気にしないで大丈夫」
「勝手に広めたって。つくづく最低男だな、吸血王子は。敵の術中に嵌まったからって神谷さんの血は吸うし」
淡々と冷めた声で言うニコに、ドラキュリオの配下たちは一斉に殺気立つ。
「それ以上王子を愚弄するなら、いくら同盟関係と言えど黙ってないぞ神の子」
「そうだ!キュリオ様のことをロクに知りもしないくせに!キュリオ様はこの若さでとても優秀なお方なんだぞ!」
「あっそ。その割には我を忘れて神谷さんを傷つけるわ、味方相手にも魔力をぶっ放すわで大暴走だったけど。敵の大将の口ぶりだと、この力の暴走自体が吸血王子の弱点みたいだね。これをどうにかしない限り、こっちは安心して背中を任せられないんだけど」
ニコの適格な指摘を受け、魔族たちは一様に口を閉じた。
私はようやく塞がった首筋から手を離し、フラフラとその場に立ち上がる。しかし、多くの血を失ったせいで貧血状態になっており、眩暈と気持ち悪さからすぐにへたり込んでしまった。
「大丈夫神谷さん?傷は塞がっても失われた血は戻らないから、水分を取ってなるべく安静にしていたほうがいいよ」
「うん、ありがとうニコ君。今回のことも、この間キュリオに私を助けに行くよう助言してくれたことも。本当にニコ君のおかげで命拾いしたよ」
「……別に。僕は嫌な予感を感じて助言しただけだから」
あまり表情を変えない頼もしい少年に、私は血の気のない笑みを向けた。
ドラキュリオの様子を観察していた配下たちは、不安げな表情を浮かべるとポツポツと呟き始めた。
「でも確かに。あの程度の血を飲んだからって普通我を忘れるほど暴走しないんじゃないか。ましてや王族の血を引くお方なのに」
「実はオレ、ずいぶん前に噂で、キュリオ様が魔星送りの儀の時に暴走して、血を捧げる役だった魔族の女を失血死させたって聞いたことがある。しかもその時のトラウマで、暴走が怖くて一切血が飲めなくなったって」
「マジかよ!吸血鬼のくせに血が飲めないって致命的じゃないか!?別に血を飲まなくても生活に支障はないけど、王族として周りに示しがつかないんじゃ」
悪魔族や一部の吸血鬼たちが次第にざわつき始める。眠ったままの王子を見下ろす彼らの目が、段々と不信感を帯び始めていく。雲行きが怪しくなってきたのを感じ取り、古参の吸血鬼が彼らの言葉を一蹴する。
「先ほど自ら神の子に言っていただろう!王子のことをロクに知りもしないくせに、勝手に周りに不安感を煽るでない!魔星送りの儀の件は、古参である儂は事情を知っておる。その後、王子がどれほど苦労されてきたのかもな。この戦を収束させたら、王子を慕うお主らにはきちんと説明してやろう。だから今は、王子を信じて己の為すべきことを為すのだ」
古参の吸血鬼の迷いなき目を見た配下たちは無言で頷くと、すぐに戦場に散って眠りについていない敵魔族の対応にあたりにいった。
そして、古参の吸血鬼はへたり込んだままの私に目線を合わせると頭を下げてきた。
「申し訳ない姫様。どうか姫様の空間転移で、王子と共に一足先にセバスのところへ帰ってはくれませんか」
「えっ。キュリオと一緒に、城に?」
私は不安な顔を浮かべると、近くで倒れているドラキュリオを見やる。今はまだニコの能力が効いていて眠っているが、いつまた目を覚まして襲ってくるかわからない。
私の不安を感じ取ったのか、ニコが横から口を挟んでくる。
「襲われた被害者と襲った張本人を一緒に行動させるなんて馬鹿なんじゃないの。王子は自分たちで城に連れて帰りなよ。神谷さんはしばらくオスロで保護してもいいし」
「それはならん!王子には姫様が必要なのだ!己の弱さと向き合うためにもな!姫様、無理を言っているのは百も承知です。ですが、王子のためにもお願いします。とりあえずセバスのところに連れて行き、血抜きをすれば王子は正気に戻りますので。この通り!」
おそらく私の何倍も生きている吸血鬼のおじさんが、主君である王子のために頭を下げている。私は己の中に芽生えた恐怖を無理矢理押し込むと、作り笑いを浮かべてその頼みを了承した。
こうして私は本日二回目の妄想を使い、城で待つセバスの下へと空間転移をする。心に負った消えない傷と恐怖心をその胸に抱きながら―――。




