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第三幕・クロロ編 第三話 裏切りの果てに

 どこまでも暗い闇の中、遠くから少年の切ない泣き声が聞こえてくる。何の目印もなく闇を彷徨う私は、その声がする方向に自ずと足を向ける。

 私には声の主が泣き続けている理由など分からないはずなのに、何故かその切ない声を聞いているだけで痛いほど少年の心が理解できた。

(…泣かないで。あなたの気持ち、私にもわかるよ。あなたも、助けたいんだよね)

 私は声を上げて少年に呼びかけたかったが、不思議なことに声を出そうとしても声は闇に溶けて発することができなかった。

 そのまま歩き続けていると、やがて遠くにぼんやりとしゃがみ込む少年の姿が見えてきた。少年は私のよく知っている人物と同じ銀髪をしており、青い瞳にまだ幼さの残る顔立ちをしていた。

 こちらに気づいた少年は、涙を拭ってゆっくり立ち上がる。十七ほどの少年だが、年の割には華奢で体が小さかった。長年病気を患っていたせいかもしれない。聡明で優しい雰囲気を持つ少年は、涙が込み上げてくるのを我慢しながら呟いた。

『僕の声…、もう兄さんには届かない……。今度こそ兄さんを助けてあげたいのに…。このままじゃ、また兄さんが僕のせいで………!』

 少年は苦しそうに胸元を掴むと、俯いてまた涙を零した。

(……っ。自分を責めないで!大丈夫!まだ間に合うよ!今度は一人じゃない!あなたも、お兄さんも!…必ず、必ずあなたの心も、お兄さんの心も、私の力で救ってあげるから!)

 私は声が出ないまま、必死に心の中で叫び続けた。

 少年は私の想いが届いたのか、顔を上げると微かに微笑んだ。

『お願い…。兄さんを助けてあげて……。待ってるから…』

 少年の声が闇に消えると同時に、その姿から強烈な蒼白の光が放たれる。闇の世界が突如蒼白に塗り替えられ、私は眩しさから強く目を閉じた。そしてそのまま私の意識はプツリと切れたのだった。




 重たい瞼をなんとか開けた私は、近くですすり泣く男の子の声に気が付いた。私は上手く頭が働いておらず、ろくに考えもせずに声の主を探そうと寝ている体を動かそうとした。

「イッ!…ツ、ゥ……!」

 直後全身に激痛が走り、口から呻き声が漏れた。私が出した声に気が付いたのか、男の子の泣き声がピタッと止まり、すぐに気配が近づいてきた。

「お姉ちゃん!大丈夫!?」

 私は心配そうに顔を覗き込んできた男の子を見た瞬間、一気に思考が回転し始めた。

(…そうだ。この子を人質に捕られて、私確か、クロロに…)

 私は首を動かして自分の状態を確認した。体中服ごと風の魔法で切り裂かれ、かなり出血の跡が見られた。所々不格好な止血がされており、目の前の男の子の服が破れてボロボロなことから、彼が一生懸命私を助けようとしてくれたようだった。それでも最初に腹部に喰らった銃の電撃やそれに伴う全身の火傷が重く、体を少しでも動かすだけで激痛が体を襲った。

(全身、超痛い……。それでも死なずに済んだのは、魔王が選んでくれた服だったからかな。確かそんじょそこらの防具よりかは防御力があるって言ってたっけ。本当だったら、あのままクロロに殺されてたはず…)

 私は以前ドラキュリオが用意した洋服を全部返品され、勝手に魔王が選んだ服に変えられていた事件を思い出した。

 ドラキュリオの用意したものは色々な種類の普通の服だったが、魔王の用意した服は全部魔力が練り込まれた防御力も兼ね備えたものだった。サラマンダー級の相手ならばかなりのダメージが通ってしまうが、元人間のクロロの魔法だったためある程度ダメージを軽減できたようだ。

(今度会ったら魔王にお礼を言わないと。あと、この子にも)

「し、死なないよね。星の戦士のお姉ちゃん」

 泣いて目を真っ赤に腫らした男の子は震える声で言う。

「…ありがとう。あなたが手当てしてくれたおかげで、なんとか死なずに済みそうだよ」

 私は痛みを堪えながら、男の子を安心させるように笑顔を作った。

 男の子は私の言葉を聞いて少しほっとしたのか、強張った表情を和らげた。

「お姉ちゃん、さっき突然青白く光ってたから、もしかしたらそのまま死んで星に還っちゃうのかと思って心配してたんだ」

「え?青白く…?もしかして無意識に能力を使ってたのかな。でも何も妄想なんてしてなかったと思うけど。…今、何時かわかる?」

「えっと、ついさっき日付が変わったとこ。夜中の0時過ぎだよ」

 私は目を閉じて自分の感覚を研ぎ澄ます。

(………うん。特に使用回数は減ってない。三回分残ってる感じがする。…それとも一回分使っちゃったけど、ちょうど日付が変わってリセットされたのかな)

 これ以上考えても仕方がないので、私はとりあえず目の前の問題に集中することにした。

「私はえりって言うんだ。異世界から来た星の戦士。君は~、…クリスって名前ではないよね?」

「うん?クリス?違うよ。オレの名前はツヴァルクだよ」

「ツヴァルク…。やっぱり全然別人か。そうだよね。もう生まれ変わってるんだもんね」

 私は意識を失う前のことを思い出した。

(クロロとクロウリーの様子から、この子が前世でクロロの弟くんであったことは間違いない。私が意識を失ってからクロロがどうなったのか知らないけど、とにかく今はこの子と一緒に脱出することを考えないと。見たところまだクロウリーの城の中みたいだけど)

 私が今倒れている部屋は、窓が一切ない壁に囲まれた部屋で、光源は天井に吊るされている電球一つのみ。壁にはあいかわらずむき出しの歯車や機械の部品が見え、部屋には何も物が置かれていない。そして唯一の出口は機械仕掛けでロックされているようだった。

「ツヴァルク君。私が倒れた後、私と一緒にいたお兄さんはどうなったか知ってる?……イツツッ!……まさか、あの場にいた悪い魔族にやられちゃったりしてないよね?」

 私は歯を食いしばって上体を起こすと、しゃがみ込む男の子と目線を合わせた。

「あの、モノクルをした兄ちゃんだよね?あの人だったらここにはもういないよ。オレが人質に捕られてるせいで、あの三つ目の魔族に逆らえなかったから、あいつの命令通りに魔王を殺しに行ったんだと思う」

「ま、魔王を殺しに!?」

「うん。なんかよく分からないけど、あの人たちオレをあの兄ちゃんの弟だと勘違いしているみたいで。兄ちゃんはオレの命を守るために魔王を殺しに行ったんだ」

 ツヴァルクは困惑している顔で話してくれた。

 この子にしてみれば、まさか自分の前世の話をしているとは夢にも思わなかっただろう。それに、きっと今説明したとしても信じてくれるかもわからない。事態は最悪の方向へ向かっていた。

「父さんやカイト兄ちゃんがいれば、あんな魔族すぐにやっつけてくれるんだけど…」

「え?カイト、兄ちゃん?カイトと知り合いなの?」

「うん!カイト兄ちゃんはオレの父さんの部下だからね!オレの父さんはユグリナ王国で騎士団長をしてるんだ!人望も厚くてすっごく強いんだから!」

 話を振った途端、ツヴァルクはパッと顔を輝かせて話し出した。さっきまで泣いていたのが嘘のように元気を取り戻している。父親とカイトの存在が心の中で大きな支えとなっているのだろう。

「まさかユグリナ騎士団の団長様の子供とは。世間は狭いなぁ。会ったことはないけど、ツヴァルク君が言うなら立派なお父さんなんだね。……ところで、ツヴァルク君はいつからここに連れ去られてきたの?」

「二日前だよ。戦場に行く父さんを見送った後、普通に屋敷でいつも通り過ごしていたら、突然夜中に寝ているところを襲われたんだ。すぐに叫び声を上げようとしたんだけど、眠くなる魔法をかけられて眠っちゃったんだ。それで、気づいたらもうここに」

 ツヴァルクが再び沈んだ表情をしたため、私は元気づけようと優しく頭を撫でた。まだ十二ほどの子供が突然魔族に連れ去られ、見知らぬ地で監禁されたらトラウマものの恐怖だろう。よく今まで頑張って耐えたものだ。

 なるべく早く二人でここから脱出し、魔王暗殺を命じられたクロロを止めねばならない。

(魔王暗殺だけは絶対阻止しなきゃ!いくら油断していたとしても、あの魔王が簡単に殺されるはずはない。だけど、魔王に殺意を向けたが最後、あの二人は元の関係に戻れなくなっちゃう!魔族になった後にせっかく作れた居場所なのに、このままじゃクロウリーのせいでクロロはまた自分を犠牲にしちゃう!絶対、救ってあげなきゃ!!)

 心の中で強い決意を固めた時、私はふと先ほどまで見ていた夢の内容を思い出した。

 暗い闇の中で、クロロに似た少年が涙を流しながら助けを求めていた。今度こそ兄を助けたいと。

 私はツヴァルクをじっと見つめ、今はもう見ることができないその中の魂を想った。

「ど、どうしたの。お姉ちゃん」

 無言のまま見つめてくる私に戸惑い、ツヴァルクは居心地が悪そうにそわそわした。

 今を生きる男の子と、過去の人生に囚われた少年の魂。

 私はしばらく逡巡していたが、クロロが前に進むために、そして夢の中で助けると約束した少年のためにも、自分の能力の可能性に賭けてみることにした。

「ねぇ、ツヴァルク君。大事な話があるの。私の話をよく聞いて」

「……なに、お姉ちゃん」

 ツヴァルクは私の纏う雰囲気が真剣さを帯びていたため、自然と背筋を伸ばして聞く態勢を取った。さすがはユグリナ王国の騎士団長の息子。きちんと教育が行き届いているようだ。

「今から私が話す話は全て本当の話。突拍子もない話で、信じるか信じないかはあなた次第だけど、それでもちゃんと最後までよく聞いて」

 私の目を見て黙って頷いたツヴァルクに、私は自分が知っている今回の真実を全て打ち明けた。相手はまだ子供で、クロロの事情を聞いても半信半疑だろうが、これから私がしようとしていることを考えたら、最初にきちんと説明しておかなければならないと思ったのだ。

「……というわけで、敵はクロロを味方につけたいために君を誘拐したの。生まれ変わって新しい人生を生きているツヴァルク君にとっては完璧なとばっちりだと思うけど、それでもクロロを嫌わないであげて。今もあなたのために一生懸命になってるはずだし」

「……………」

(やっぱり、いきなりこんな話されても信じられないか…)

 ツヴァルクは無言で床を見つめ押し黙っている。話をしている最中も、特に途中で口を挟んだりせず黙って話を聞いていた。

 私は傷の痛みで脂汗と熱が出てきており、そっと額の汗を拭う。ちょうどその時、それまで口を閉ざしていたツヴァルクがおもむろに口を開いた。

「……嫌ったりしないよ。兄ちゃんがオレを人質に捕られてるせいで仲間のお姉ちゃんを傷つけちゃったのを見てたし、今さら自分だけ被害者面しないよ」

「ツヴァルク君…」

「でも、すぐにはそんな話全部信じられない。オレは、オレだから。………でも、もしお姉ちゃんの話が本当なら、オレが父さんや母さんと違って生まれつき体が弱いのはそれが原因なのかな」

「え?体が弱い?」

 私は予想もしなかった反応が返ってきて首を傾げる。

「うん…。昔っからすぐ風邪ひいたりして、しかも他の子みたいにすぐ治らないし。何とか体力つけようと運動するんだけど、ちょっと激しく運動すると気分が悪くなっちゃうんだ。将来は父さんみたいな騎士になりたいのに、父さんと違ってちっとも丈夫じゃないんだオレ」

「……魂が前世の体質に引っ張られちゃってるってこと?う~ん。あるのかなそんなこと。…でも、もしそうなら全てを克服してきっちり清算しないと!ツヴァルク君、今回あなたに全て打ち明けたのはね、これから私の能力であなたの前世の記憶を蘇らそうと思ったからなの」

「ヘ?前世の記憶を、蘇らせる?そんなことできるの?」

 信じられないとツヴァルクは私を疑いの眼で見る。

 実のところ、私も全くもって自信がなかった。記憶喪失の者の記憶を取り戻すとかとは訳が違う。魂が持つ前世の記憶、それも一緒に過ごしていたわけでもない、話で聞く限りの情報しか持ち合わせていない人物の記憶だ。いくら私がオタクで鍛えた妄想力を持ってしても、実現はかなり厳しいと思っていた。

「……ここまで来たらできるできないじゃない。やるしかないんだ!クロロとクリス君二人ともを救うにはそれしかない!ツヴァルク君!もし成功して前世の記憶が戻ったら、あなたはきっと二人分の記憶を抱えることになる。もしかしたらそれで今までと違う自分になっちゃうかもしれない。でも!心配しないで!記憶が戻せるということは、また記憶を封印することも可能ってことだから!私を信じて、私に任せてくれない?」

 懇願の眼差しを注ぐと、ツヴァルクは困ったように目を逸らした。私は同意を得られなかったと落胆する。

「……すごく不安だけど、今はカイト兄ちゃんと同じ星の戦士のお姉ちゃんを信じるよ。父さんにも、困っている人がいたら率先して助けろって言われてるし。それに…、そんな傷だらけの状態で他人の心配をしてるお姉ちゃんに協力しないなんて言えないもんね」

「ツヴァルク君、ありがとう…!」

 私は気持ちが高ぶって泣きそうになるのを堪えながら、能力発動のために集中力を高めた。

「それで、オレはどうすればいいの?ここでじっとしていればいい?」

「うん。そこでそのまま座ってて。あと、できればさっき私が話した前世の時の話でも思い浮かべてて。少しは記憶を戻す手助けになるかも」

「わかった。……ところでお姉ちゃんの星の戦士の能力って何?」

「妄想を現実に変える能力だよ」

「ふ~ん…。エッ!?何それ!?」

 納得しかけたところでツヴァルクが驚きの声を上げた。私は集中したいので静かにするよう彼に注意する。

(……さて、ここからが正念場だね。何としても一発で成功させなきゃ。貴重な一回分だからね。まずは妄想のイメージ。私は一緒に過ごした記憶もない。とにかくクロロから聞いた思い出話を含めて妄想を広げていこうかな。そして、さっきの夢で出会った少年をイメージ。あれが本当にクリス君なのかは知らないけど、このタイミングで見たリアルな夢なんだ。きっと意味があるはず!あれが前世のクリス君なんだ!)

 私は目を閉じて妄想力を高めていく。体からは今まで見たことがないほど蒼白の光が溢れ出していた。目の前に座っているツヴァルクは、光の眩しさに目を瞑った。

(……魂に宿った記憶を解き放つ妄想を!…妄想が足りない分は、信じる力、想いの力でカバーして!もう一度、死に別れた兄弟に再会の機会を!!お願い、記憶よ!!!)

『蘇れ!!!』

 強い想いと共に、私は妄想を解き放った。

 能力が発動した瞬間、ツヴァルクの体の内側から強い蒼白の光が外に向かって溢れ出した。目を閉じていても瞼に強い光を感じるほどで、私は妄想の成功を祈りながら光が収まるのを待った。



 三十秒ほど経ち、光がようやく収束したのと同時に、ツヴァルクはその場に倒れ込んだ。

「ツヴァルク君!?」

 私は慌てて抱き起そうとしたが、強烈な眩暈に襲われて自分の身を支えるので精一杯だった。おそらく能力を使った反動だろう。ただでさえ重傷も負っているので、まさに満身創痍だった。

「成功したかどうか分からないけど、これでとりあえずこの子を連れて脱出し、クロロと引き合わせれば全て解決だね。魔王の暗殺なんて、馬鹿なことをさせずに済む」

 私は乱れる息をなんとか整えながらこぼす。

(あれから数時間経ってるけど、頭の良いクロロのことだから何の作戦も立てずに魔王を殺しに行ったりしないはず。まだきっと間に合うよね…!)

 そうあってほしいと願う私は、この部屋に近づく敵の気配に気が付いていなかった。

 入り口の扉から機械の作動音が聞えたかと思ったら、次の瞬間、機械魔族と三つ目族の二人組が扉を開けて入って来た。

「妙な力の高まりを感じたと思ったら、やっぱりまだ生きてやがったか星の戦士!しぶとい女だ!おい!今度こそ頭でもかち割って息の根を止めろ!そっちのガキは殺すなよ。ネクロマンサーに言う事をきかせるための大事な人質だからな」

 三つ目族は両手に斧を持った機械魔族に命令した。

(う~!まさか力を使ったことがバレて敵が確認しに来るとは。どうしよう。能力はあと二回しか使えない)

 機械魔族が両手の斧を振り上げて近づいて来る。

 考えている時間はなかった。傷ついた両手を前に突き出し、急速で攻撃魔法の妄想を固めていく。一度に二人の敵を倒せるよう、直線上に高火力の魔法をイメージする。

「二人を助けるって決めたから、約束を果たすまで、こんなところで死ねないよ!『跡形もなく、焼き尽くせ!!』」

 目の前に振り下ろされる斧を睨みつけ、私は膨らませた妄想を解き放った。

 両手を突き出した直線上に、荒れ狂う炎の龍が獲物を喰らおうと襲い掛かる。炎に飲み込まれた機械魔族は、分厚い装甲にもかかわらず溶けてバラバラになり、背中を見せて逃げようとした三つ目族も骨ごと溶けて倒れた。あまりの妄想の威力に、私自身も少々驚いてしまった。

「ちょ、ちょっとやりすぎちゃったかな…。この前間近で見たサラマンダーの炎のブレスを参考にしておじいちゃんの魔法を使ってみたけど、妄想のイメージが強力すぎたみたい…」

 私は能力を使った反動なのか、怪我が悪化して体調が悪いのか分からないまま、息を荒くして目を閉じた。

(残すは一回分のみ。これで何とか脱出しないと…)

「…大丈夫ですか。えりさん」

「!?」

 横から聞こえてきた声に驚き、私は閉じていた目をパッと見開いた。

 隣には、いつの間にか目を覚ましていたツヴァルクが気遣うような目で私を見ていた。

「ツヴァルク君、…良かった。目を覚まして。突然倒れちゃったから心配したよ」

「ごめんなさい。ご心配をお掛けして。僕ならもう大丈夫です。えりさんが助けてくれましたから。本当に…、僕まで助けていただいてありがとうございます」

「え…、もしかして……!」

 私は口調が全然変わっているツヴァルクに、自分でもまだ信じられず、その先の言葉が出てこなかった。

 優しい雰囲気を纏う男の子は、にっこり笑うと改めて自己紹介をした。

「初めましてえりさん。僕はクロロ兄さんの弟で、クリスと言います。今は十二の子供ですが、前世では十七まで生きてました。もう一度兄さんと話す機会を与えてくれて、ありがとうございます」

「クリス、君…。本当に、前世の記憶が戻ったんだね!成功したんだ!」

「はい!えりさんのお力のおかげです!」

 私は一安心して脱力する。気が抜けてしまったせいか、一気に眩暈がぶり返して上体が倒れそうになる。それを咄嗟にクリスが支え、なんとかその場に踏みとどまることができた。

「えりさん!もう体調が限界ですよ!早くお医者様に見てもらわないと!あ、それか、えりさんの星の戦士の能力で治せたりしないんですか?妄想を現実にする能力なんでしょう。怪我が治る妄想とか…」

「…ダメ。もう自分の手当てに能力を使う余裕はない。私の能力は一日に三回しか使えないの。本当は脱出してから怪我を治そうかと思ってたんだけど、今戦闘で一回使っちゃったから、もう脱出する用の一回分しか残ってない」

「そんな!……じゃあ、明日になってから脱出するのはどうですか。そうすれば体調も万全になるし、明日になればまた三回分能力が復活するんですよね」

「ダメだよクリス君。一刻も早くクロロと合流しないと。明日まで待って、その間にクロロが魔王暗殺を決行しちゃったら、いくらクロロでも御咎めなしってわけにはいかないかもしれない」

 そうでした、と肩を落とすクロロの弟の頭を、私は優しく撫でながら無理矢理笑顔を作った。

「私なら大丈夫。さっきも言ったけど、ここまできたらやるしかないんだから。安心して。私に考えがあるの」

「考え、ですか?」

「一気に魔王城まで空間転移するんだ。この方法なら、最悪能力を使ったあとぶっ倒れても、魔王か誰かが気づいて助けてくれるからね。魔王城にはジャックさんって言う人が調合したすごい薬も置いてあるからきっと大丈夫!」

 クリスは何か言いたそうな顔をしていたが、言葉を飲み込んで私の意見を尊重してくれた。もう色々言い合う体力を失っていた私は、心配する彼のせめてもの気遣いに感謝した。

 私は深呼吸して再び意識を集中させると、最後の妄想に全力を注いだ。

(空間転移…。自分では一度も使ったことがないけど、今までおじいちゃんと一緒に空間転移で色々な場所に行った。何度も体験したあの感覚を体は覚えてる。あの感覚を思い出しながら、私なりのイメージで空間転移を作り上げる。妄想のイメージを作りやすいように魔法陣をベースにして…。移動先にも魔法陣を展開して場所と場所を繋ぐイメージを…。そして、移動先は魔王城の大広間、私が初めて魔王城を訪れた時と同じ…)

 妄想が固まるにつれ、私の全身から蒼白の光が立ち上る。足元にゆっくり魔法陣が描かれていく様を、クリスは息を呑んで見守った。

(さぁ、これが最後の一回!絶対成功させる!!)

『空間転移!!』

 私の声と共に、狭い部屋中に蒼白の光が満たされ、妄想が勢いよく現実に解き放たれた―――。




 クロウリーの城からスカルドラゴンに乗って自分の領域に戻った私は、抜け殻のようになった体を無理矢理動かし、沼地にある研究所に入った。幸い部下たちは今回の作戦で各所に配置しているため、研究所内で部下と鉢合わせることはない。

 私は真っ直ぐ自分の研究室に向かうと、そのまま備え付けのソファに頭を抱えて座り込んだ。

「はぁぁ~~~。……………最悪だ。何もかも」

 私の顔は血の気が引いており、時間が経つにつれて自分の犯した罪の重さを否が応にも認識させられた。今日ほど自分の頭の良さを呪ったことはない。

(何故、何故、あの時私はえりさんを殺すことを選んだ!合理的に考えて、あんな見ず知らずの子供を助けるより星の戦士であるえりさんを生かしたほうがいいに決まっている!えりさんの能力は使える用途も幅も広い。今後戦局を有利に進める上で、必ず助けになる人だったのに!むざむざこちらの切り札を捨てるようなことをするなんて、私はなんて愚かなんだ!)

 私は何度も膝に拳を振り下ろし、情に流された自分を非難した。

(確かにあの子供の魂はクリスのもの。ですが、生まれ変わってしまえば全くの別人。だからこそ、私は今まで生まれ変わったクリスの魂を探さなかった。私が救いたかったのは弟のクリスだから…。それなのに、私は……、結局弟の魂を持つ者の死を見たくないために、何の罪もないえりさんをこの手にかけるとは!)

「……はっ。最低な男ですね、私は。あんなに弟の話を聞いてくれた彼女を殺すなんて…。わざわざ異世界からこの世界のために来てくれた無関係な人を殺すなんて……」

 私は目を閉じて、脳裏に浮かぶ彼女が見せた切なげな表情を思い返す。私の心情を慮り、無抵抗でただ私の名を呼んだ彼女。

 私は最後に、彼女の優しさに甘えてしまった。

 もし彼女がもっと抵抗していれば、あの子供を見殺しにして彼女の命を守ることができたかもしれないのに。彼女の優しさに甘え、弟の魂を守ることを選んだ。

 咄嗟に銃に細工をしてなんとか彼女を生かそうとしたが、結局は見破られて最悪の結末になった。

 私は右手を見つめ、風の魔法で切り裂かれていく彼女の最後の姿を思い出す。床に血が舞い、彼女の持つ魂の光が薄れていく。

(……そんな最悪な選択肢を選び、行きついた未来がこれとは。また人間の時と同じ、操り人形生活に逆戻りですか)

 私はひと時でもいいからこの悪夢から逃れたいと思い、そのままソファに身を横たえて目を閉じた。今日起こった全てが夢であってほしい。そう願いながら。



 どのくらい寝ていたのだろうか。私は今世界で一番聞きたくない人物の声で目覚めさせられた。

『おい、参謀殿。ちゃんと首尾よく進んでいますか』

「………わざわざ念話を飛ばして進捗確認ですか」

 私は苛立たし気に答えながらソファから体を起こした。

『おやおや。ご機嫌斜めですね参謀殿。まさか小娘を殺したことをまだ引きずっているのですか』

 私はクロウリーに答えず、顔を洗うため実験用に使っている蛇口のところに行く。

 今の精神状態では、会話を重ねれば重ねただけ普段の自分と遠のいていくことが容易に予想できた。できるだけマシな思考を維持するには、クロウリーとの会話は最小限に抑えるべきだった。

『…無視ですか。まさかそんなに意気消沈しているとは。そんなにあの小娘がお気に入りだったんですか。まぁでも安心なさい。あの小娘は特別にワタシの機械魔族として蘇らせてあげますから。またすぐに会えますよ』

「なん、だと…!」

 顔を洗っていた私は、手を止めて怒りの形相を浮かべる。気持ちを乱せば相手の思う壺だと頭で分かっていても、内から湧き上がってくる怒りは抑えられなかった。

『グフフフ。ワタシの機械魔族じゃお気に召しませんか。ならばあなたの配下として迎え入れます?ネクロマンサーよ。…ただし、魔王暗殺の報酬の引き換えとなりますが』

「クロウリー!どこまで汚い奴なんですか!弟の魂だけでなく、えりさんの魂までも人質に捕る気ですか!」

『グフフ。何とでも言えばいい。どうせあなたはもうワタシに一切逆らえないのだから。さぁ、早くワタシのところに魔王の首を持ってきなさい。あまり待たせると弟の命はおろか、小娘の魂も機械魔族に宿してしまいますよ!グフフフフ』

 耳につく下品な笑い声を残して念話は終了した。

 寝て頭がスッキリするどころか、寝る前よりも気分は最悪になってしまった。

「クソッ!えりさんを殺しただけでなく、機械魔族の魂として使うだと!?そんなこと、絶対にさせません!」

 顔を拭いてモノクルを付け直した私は、壁に掛けてある時計に目を移す。

「0時前ですか…。そういえば、領域に戻ってきたというのに魔王様への報告もせずに眠ってしまいましたね。こんな時間です。何かあったのではと魔王様なら心配しているはず。えりさんを連れずに私だけ戻れば怪しまれるのは必至。ならばえりさんを餌に油断を誘うしか方法は……」

 私は何通りものパターンを想定して念入りにシミュレーションし、覚悟を決めて魔王城へと赴くのだった。




 魔法陣を使って魔王城へと移動した私は、夜の月明かりに照らされながら重い足取りで城の玄関を目指した。

(……今の私があるのは、先代様とリアナ姫、おじいさん、そして魔王様のおかげ。人間から魔族になって右も左も分からない私を拾って色々教えて下さったおじいさん。居場所のない私に参謀という地位を与えて下さった先代様。優しい心遣いでいつも私を気にかけて下さったリアナ姫。そしてご自分もハーフという生まれで苦しんでいるのに、昔から元人間ということで魔族から嫌がらせを受ける私をいつも庇って守って下さった魔王様…。私は、この御恩を無下にするほど堕ちてはいない!この私が導き出した最適解で、せめてえりさんの魂と弟の命は守ってみせる!)

 私は決死の覚悟で玄関の扉をくぐると、大広間へと足を運んだ。



 大広間に続く扉を開けると、そこには予想に反して魔王様が待ち構えていた。私の予想では作戦会議室にいるものと思っていたのだが、読みが外れた。しかし別段作戦に影響はない。私は用意していたシナリオ通りに行動する。

「魔王様!大変です!」

「…大変なのは分かっている。お前がこんな時間になるまで一切報告をよこさない時点でな。一体クロウリーの城で何があった?」

「申し訳ありません。潜入任務のため少人数で行動したことが裏目に出てしまいました。えりさんがクロウリーに捕らえられてしまって…。何とか救出しようとしたんですが、私一人の力では歯が立たず…」

 私は悔しさを滲ませて俯いた。どうやら魔王様は私たちの身を案じ、クロウリーの城へ乗り込むかどうか迷って大広間をウロウロしていたようだ。

「フン。やはり不測の事態が起きていたか。実はレオンから、戦場から突如クロウリーが姿を消したと報告があってな。もしや自分の城に戻ったのではないかと思っていたのだ」

「…まさかこちらの動きが読まれていた、と?前回城を襲撃されたのと同じですね」

「あぁ。こちらの陣営に情報を漏らしている奴がいるな。立て続けに二度も起これば疑いようもない」

 魔王様は表情を歪め、奥歯を噛みしめる。魔王様にとって、数少ない信じている仲間を疑うのは辛い事だろう。

 私はそんな彼をこれから裏切らなければならない現実に、胸が押し潰されそうだった。

「女は使い勝手の良さそうな能力を持っていただろう。なんとか自力で逃げ出せる可能性は残っていないのか」

「いえ、無理ですね。彼女の能力は妄想を現実にする能力らしいのですが、回数制限があって一日に三回だけしか使えない能力なんです。集中して能力を使わなければ失敗もするようで、失敗分も回数に数えられると言っていました。たった三回しか能力が使えない状況で、それも敵陣の真っ只中にいる。えりさんが自力で逃げれる可能性はないに等しいと思います。妄想によっては能力発動までに時間がかかるみたいですし、せめて前衛を張るものがいないと」

 いつものように冷静に分析している風を装い、私は対峙する魔王様の隙を窺った。袖口に隠し持つメスにゆっくり手を伸ばす。

「仕方ない。こうなったらじいを呼び戻して救出させるか。じいの実力なら無理矢理どうにかするだろう」

 そう言って魔王様がおじいさんに念話を飛ばそうと無防備になった瞬間、私は目にも止まらぬ速さでメスを魔王様の頸動脈目がけて振り抜いた。

 大広間に赤い血が舞う。しかしそれは、首元を庇った魔王の腕から流れた血だった。

「………クロロ。お前ほどの優秀な男がクロウリーなんぞに洗脳されたか。まさかミイラ取りがミイラになるとはな。例によってクロウリーの精神魔法にやられたわけではないようだが、原因はやはり機械魔族か何かか」

 私の様子を上から下まで観察する魔王様に、私は冷たく言い放つ。

「私は洗脳されてなどいませんよ。ただ……、昔と同じで操り人形に戻っただけです。さぁ、魔王様。これ以上命を狙われたくなければ私を殺すことです。息の根を止めない限り、私は何度でもあなたに刃を向けます。死なない限り、何度でも」

「昔と同じ、か…。今度はクロウリーの操り人形にでもなったか。いつも冷静なお前らしくもない。えりが人質に捕られているのなら心配するな。すぐにじいに頼んで助け出す。お前はえりが助け出されるまでどこかに身を隠しておけ」

 私から一旦間合いを取った魔王様は、切られた腕の血を拭いながら言う。

「………もう、手遅れですよ。先ほど言いましたよね、昔と同じだと。私はまた弟を人質に捕られました。そして、えりさんはもうこの手で殺してしまった…。私はすでに後戻りできないところまできてしまったんですよ。もはや、あなたの手で殺してもらうほかありません。それが、愚かな私を止める唯一の方法です」

「クロロ…。まさか本当に、えりを…!?」

 魔王様は私の苦悩に満ちた顔を見て真実を悟ると、舌打ちをしてから魔力を解き放った。

(これでいい。恩人に刃を向けるくらいなら、さっさと殺されたほうが周りの被害が少なくて済む。クリスの生まれ変わりは、おじいさんに救出していただけるのを祈るしかないですね)

 私はメスを構えると、魔王様が正当防衛で殺しやすいよう、もう一度襲い掛かった。

「クッ!この愚か者が…!」

 魔王様が右手に魔力を宿したちょうどその時、大広間に蒼白の光が突如発生した。私たちは無意識に手でその光を庇う。

「止めて!兄さん!」

 光の中心地から子供の叫び声が聞こえてくる。声は丸っきり別人だったが、本能的に何かを感じ取った私の心臓はどくんと跳ねた。

 声に釣られて光の止み始めた方向を向くと、人の気配が真っ直ぐこちらに向かって走ってくるところだった。

「この、大馬鹿者ぉ~~~!!!」

「え、なんで…」

 バチーーーンッ!

 大広間に響き渡る渾身のビンタ。私は避ける間もなく彼女のスナップの利いた強力なビンタを喰らい、あまりの威力に後ろによろけて無様に床に倒れる。ビンタの衝撃でモノクルも吹っ飛び床に転がった。

「クロロって、頭良いのかと思ってたけど、とんだ大馬鹿野郎だったんだね。人質がいるからクロウリーの言う通り魔王の命を狙うのは分かるけど、何もメスなんかで挑まなくても。いくら油断とかしててもそんなメスなんかで魔王を殺せるはずないじゃん!自殺行為だよ!死ぬ気!?」

「…どうして、生きて……」

 不意打ちのビンタの影響でまだ思考回路が正常に働かない私は、仁王立ちで私を怒る彼女を幽霊でも見るような目で見上げた。

「クックッ、クハハハハッ!魔王軍の参謀ともあろう者が、無様だなぁクロロ!女のビンタ如きでぶっ倒れるとは!クククッ。なかなか面白かったぞ女。特別にお前に免じてクロロの謀反は許してやってもいいぞ。……あとビンタ一回でな!」

 魔王様は高ぶらせていた魔力を引っ込めると、私を見ながらお腹を抱えて笑った。その目は意地の悪い光を宿し、口も怪しく笑っている。これほどツボにハマって笑う魔王様も珍しい。それほど私のやられ具合は間抜けだったのだろう。

「……冗談はやめてくださいよ。首がもげるかと思いました。モノクルも…、おかげでヒビが入ってしまいましたし」

 ようやく冷静さを取り戻してきた私は、床に落ちたモノクルを拾って立ち上がった。

「…クロロ。魔王があとビンタ一発で許してくれるって言ってるんだから、大人しく喰らっておきなさい。私もさっき、クロロに銃と魔法で二回喰らったんだからさ!」

 彼女はニコッと笑って右手を振り上げたが、直後足元から崩れ落ちてそのまま倒れてしまった。

「えりさん!?」

「大変兄さん!傷口が開いちゃったのかも!」

 彼女を抱き起すと、先ほどは気が付かなかったが、額には脂汗がびっしり浮かんでいた。体温も異常に高く、よく見ると全身火傷と裂傷だらけだった。

 彼女と共におそらく空間転移でやって来た男の子は、私の隣にしゃがみ込んだ。

「ごめんなさい兄さん。僕がまともな止血ができていなかったから。それに、僕を助けるのを優先して自分の怪我の手当てをする能力分を使い切っちゃったせいだ。どうしよう…。僕たち兄弟を助けるためにえりさんが死んじゃったら!」

「…クリス、なんですか?生まれ変わったのにどうして記憶が」

「えりさんが能力を使って前世の記憶を蘇らせてくれたんです。死に別れた僕たち兄弟を再会させるために…。でも、そのせいでえりさんが……!」

 大粒の涙を流す弟の頭に私は手を置いた。

「大丈夫です!絶対に彼女は死なせません!」

「…俺のやった洋服を着ていたから辛うじて命が助かったみたいだな。だが、それももうギリギリだろう。どうするんだクロロ。ジャックの手当てでも助けられるかどうか」

 私は彼女を抱き上げると、迷いなくこう告げた。

「聖女の力を借ります。えりさんを助けるには、もうそれしかありません」

「お前自ら行くのか?聖女に頼みに」

 私の過去を知る魔王様は、聖女の家系との因縁を案じて私に問いかける。それでも私の答えはもう決まっていた。今は過去など関係ない。彼女を救うために私自身が動かなければ意味がなかった。

「過去のトラウマなど気にしている余裕はありません。えりさんの命がかかっていますから。クリス、あなたは魔王様の傍にいてください。魔王様の傍が一番安全ですから。さすがにここまでクロウリーは手を出してこないでしょう」

「うん、わかった。えりさんをお願いね、兄さん」

 私はクリスと魔王様に頷いて見せると、聖女がいるであろうアレキミルドレア国の戦場へと急いだ。




 魔法陣を使ってアレキミルドレア国の戦場にやって来た私は、彼女を抱き抱えながら人間側の野営地に急いだ。なるべく彼女の体に負担をかけないよう、浮遊魔法で迅速に移動する。

 時刻はもう夜中の1時に近づいており、見張りを残して大半の兵が寝静まっていた。

 私は数分かけて野営地に辿り着くと、入り口で見張りに立つ二人の兵に急ぎ用件を伝える。

「む!?なんだ貴様は!?」

「魔王軍の参謀クロロです。こちらに聖女がいるはずです。急ぎ聖女のところまで案内してください。異世界から来た星の戦士が瀕死の重傷なのです」

 見張りの兵たちはぐったりしている彼女を確認すると、すぐに一人が陣内へ駆け出した。

「あまり動かさないほうがいい!聖女様をこちらに連れて来る!ちょっと待っていろ!」

「…酷いなこれは。一体どこの戦場で戦っていたんだ?」

 松明に照らされた彼女の傷を見ながら、その場に残った見張りの兵士は訊ねてきた。

「……魔界にあるクロウリーの根城に潜入していたんですよ」

「クロウリーって言えば、今我々が戦っている敵の親玉じゃないか!そうか。それは大変だったな」

 私はいらぬ不信感を与えぬよう、当たり障りのない返答をした。馬鹿正直に本当のことを言えば、皆私を警戒することは目に見えていた。それどころか、彼女を引き取られて私だけ追い返される可能性も十分ある。ひとまず聖女にも下手なことは言わない方がいいだろう。

「ところで、あんたのその左頬の手形も敵にやられたのか?」

「………これは味方による目覚めの一発です」

「ハ?はぁ…」

 私はまだ少しビンタの感触の残る左頬を気にした。

 入り口でしばらく待っていると、聖女ではなく輪光の騎士が先に現れた。

「参謀クロロ!えりさんが瀕死の重傷だと聞いたぞ!一体何があった!」

 急ぎ走って来たカイトは彼女の状態を確認すると、すぐにその表情を歪めた。

「全身真っ赤じゃないか…。火傷か?それに切り傷も。確かえりさんはお前のサポートとして一緒に行動していたはず。一体誰にやられたんだ?」

「カイト副騎士長、それが彼らは魔界にあるクロウリーの根城に潜入していたそうで、そこで敵にやられたそうです」

「クロウリーの根城に!?…もしかしたら魔王からもう聞いているかもしれないが、今日途中でクロウリーが突如戦場から姿を消したんだ。ずっとその意図を図りかねていたんだが、どうやらあなたたちを排除するために離脱したようだな」

 カイトはようやく腑に落ちたと頷いた。

「…そのせいでこっちは散々な目に遭いましたけどね。それで、聖女はまだですか」

「今兵が呼びに行っている。今日も1日力を使いっ放しで、ついさっき寝たところだったはず。すぐに準備して来ると思うが…」

「聖女には能力制限とかはありませんか?力の使い過ぎで疲労し、能力が上手く発動しないとか」

 私は自分の腕の中でどんどん弱々しくなっていく命を不安げに見下ろした。もし聖女の力が頼れなかった場合、確実に彼女には死が訪れてしまう。過去の悪夢が蘇るようだった。

「大丈夫だ!セイラならちゃんとえりさんを治してくれるさ!セイラはとても真面目な子だ。たとえ自分の身体がどんなに辛くても、仲間を見捨てるようなことはしない。この戦争が始まってから、セイラは多くの星の戦士の死を体験してきた。別々の戦場で戦っているが故に、治療が間に合わずに同じ星の戦士を救えなかったなんてざらにある。だからこそ、間に合う仲間は絶対に助ける!それが、今の彼女の誓いだ」

「………さすが、聖女に惚れているだけはありますね。そんなに熱く語るとは」

「な!?だ!?誰が惚れてるって!?」

 カイトはさっと顔を赤くし、ニヤニヤ見てくる見張りの兵士をついでに小突いた。

 軽口を叩いて平静を装うとするが、時間が経つにつれて彼女の呼吸が浅くなっていくのを感じ、心の中は取り乱す寸前だった。

「そういえばお前、その左頬はどうしたんだ。うっすら手形が残っているぞ。まさか魔王にやられたのか?」

「まさか。魔王様に平手を喰らったら、そもそも首が吹っ飛んで無くなってますよ」

「そ、そんな威力なのか!?恐ろしいな魔王…」

 カイトは魔王の力の脅威を再認識し、見張りの兵士もビビッていた。

 待っている一分一秒がとてつもなく長く感じられたが、実際は短い時間だったのだろう。聖女はカイト同様、駆け足でやって来た。

「はぁ、はぁ…。お、お待たせしました…。えり様を、見せて、ください……」

 息も絶え絶えに呟く聖女に、カイトはまず息を整えるよう言った。私は聖女が呼吸を整えている間に、自分に言い聞かせるように心の整理をつけた。

(相手が孫だからといって、私たちが過去に受けた仕打ちを水に流すつもりはない。ですが、えりさんの命を救うためには聖女の力を借りるしかもう方法はない。自分を犠牲にして私たち兄弟を救ってくれた彼女を、ここで失うわけにはいかない!)

「聖女よ、私の過去を調べたなら、私がどれだけアイツの血を引く一族を嫌っているかお分かりでしょう。…ですが、今は私情を挟んでいる余裕はありません。あなたの能力でえりさんを治していただけますか。昔と同様払う金はありませんが、今回は治せないという選択肢は受け付ける気はありません。何としてでも治してもらいます」

「…もちろんです!えり様は必ずわたくしの力でお治しします!当然お金もいりません!今度こそ、クロロ様の大事な方をお救い致します!」

 私が冷たい眼差しで言い放つと、聖女は私を真正面から見据えて毅然と言い返した。

 私はそれ以上何も言わず、無言で傷ついた彼女を聖女の目の前に差し出した。

「ッ!?なんという酷い怪我…!えり様、すぐにその痛みから解放して差し上げます」

 聖女は両手を胸の前で組むと、気を集中して祈りを捧げた。祈りが高まるにつれて、徐々に蒼白の光が周囲を満たしていく。小声で祝詞を捧げ終わると、聖女の指定した領域に癒しの光が降り注いだ。キラキラ光る蒼白の粒は彼女の体に吸い込まれると、まるで最初から火傷などなかったように綺麗さっぱり怪我がなくなった。みるみるうちに怪我が完治していく彼女の体を、私は安堵の表情で見守った。

 能力発動が終わり、彼女の怪我が治ったのを確認した聖女はほっと胸を撫で下ろした。

「無事間に合って良かったです。かなり危険な状態でしたから…。怪我は完治しましたが、失われた血は戻らないので注意してください。しばらくは安静が必要です。…それにしても、かなりの疲労が蓄積していますね。私の能力でも本来は癒せるはずなのですが」

「あぁ。それはお気になさらず。えりさんが能力を使った反動ですので。さすがにそれは治癒できないのでしょう」

 首を傾げる聖女に私は答えた。

 私は熱が下がり呼吸が安定した彼女を確認すると、魔王城に戻るため聖女たちに背を向けた。

「えりさんも無事回復したことですし、私はこれで失礼します。聖女よ、あえて礼は言いませんよ。心が狭くて申し訳ないですが、私は一生あなた方一族を許すつもりはありませんから」

「な…?許さないってなんだ!?助けてもらっておいてセイラに一言も礼を言わないなんて!」

「いいんですカイト様!クロロ様は、いいんです…。クロロ様のご期待に添えただけで、わたくしは満足です」

 瞳を閉じて胸に手を当てるセイラを見て、カイトは戸惑った表情をする。私の過去を知らない者には、私がただの生意気な恩知らずの魔族に見えたことだろう。だがそれでも、私は自分を曲げるつもりはなかった。

 いまいち納得がいっていない輪光の騎士の小言を無視し、私は彼女を連れて魔王城への帰路につくのだった。




 魔王城へと帰還した私は、魔王様とクリスに出迎えられた。心なしかクリスは眠い顔をしている。本来なら子供はとっくに寝ている時間だろう。

「兄さん!えりさんの怪我、聖女様に治してもらえたんだね!」

「えぇ。血を流し過ぎて少し貧血状態ですが、もう大丈夫ですよ」

「良かったぁ。僕ら兄弟を助けたせいで、えりさんにもしものことがあったらどうしようかと思った」

 安心して気が抜けたのか、クリスは瞼が閉じそうになる目をゴシゴシこする。

「フン。まったく人騒がせな。全て貴様のせいだぞクロロ。俺と女に作った今回の借りは高くつくぞ。覚えておけ」

「はっ!全ては私の心の弱さが招いたこと。この借りは参謀の働きでお返しします」

「フンッ。期待しているぞ。今度は俺を失望させるなよ。…おい、弟。ついて来い。寝床を用意してやる」

 魔王様は寝落ちしそうなクリスに声をかけると、特に待つ素振りをせず歩いて行ってしまう。

「あ、待ってください!…それじゃあ兄さん、とりあえずまた明日。おやすみなさい」

「えぇ。おやすみなさい、クリス」

 私は笑顔で小さい背中を見送る。家族におやすみの挨拶ができる。何十年ぶりに訪れた小さな温かい喜びに、私の心は幸せに満たされた。

 私は弟の背中が見えなくなると、彼女を部屋へと送り届けるのだった。




 彼女をベッドに寝かせた私は、それから自分の部屋に戻るでもなく、そのまま椅子に座って彼女の傍に居続けた。

 いつもの私ならば、参謀として次の策謀を巡らせたり、クロウリーの城から持ち帰った機械魔族について対策を講じたりと色々考えることがあるのだが、何故だか今はそんな気分にはなれなかった。今はただ、彼女が意識を取り戻すのを見て安心したいというのが本音だった。

(……私がここにいたってえりさんが早く目覚めるわけでもない。むしろこの疲労度なら今日の昼頃まで眠り続ける可能性が高い。それなのに…、私は何を無駄な時間を過ごしているんでしょう。そもそも聖女の力でもう命の危機は脱していますし、容体が急変するわけでもない。放っておいたって勝手に元気になります。これ以上私がここにいたって、時間の無駄……)

 頭の中では理論的な思考が働いているというのに、私の体はそれに反してその場から動こうとしなかった。

 私は小さくため息をつくと、懐からスペアのモノクルを取り出した。新しいのを付ける代わりに、右目に付けていたヒビ割れたモノクルを外す。

(それにしても、さっきのビンタは効きましたねぇ。あの体でよくあんな威力のビンタをぶちかませたものです。完璧に油断していたとはいえ、この私がよろけてこけてしまうとは。魔王様には大笑いされてしまうし)

 私は壊れたモノクルを見つめて少し考え、それを大事に懐にしまった。今回のことを忘れず、自分自身への戒めとするために。



 朝の5時を過ぎてだいぶ経った頃、何の前触れもなく彼女は目覚めた。私は目を閉じて浅い眠りについていたため、夢現な彼女の声を聞いて慌てて飛び起きた。

「あ、れ…?私……?」

「えりさん!?気が付かれましたか!?」

「クロロ…?ここは……」

 彼女は薄く目を開けてまだぼんやりとしている。まだまだとても本調子ではなさそうだった。

「ここは魔王城のあなたの部屋です。力の使い過ぎと怪我の悪化で倒れてしまったんですよ。怪我については聖女の能力で治してもらったので、もう何も心配いりません」

「…そっか……。弟さんとは、お話しできた…?」

「えぇ。時間も時間だったので、まだあまり話はできていませんが」

 良かったぁ、と優しく微笑む彼女を見て、自然と私の表情も柔らかくなる。私は自分でも無意識に横になる彼女の頭を優しく撫でていた。

「今回の件、あなたにはいくら感謝してもしきれません。私は弟のためにあなたを殺そうとしたのに、あなたは自分の身を犠牲にしてまで私とクリスを助けてくれた。もしあなたが今回私のせいで命を落としていたら、私は一生後悔するところでした。本当に、ありがとうございます。そして、……本当に、すみませんでした。いくら謝っても、足りないかもしれませんが」

「………大丈夫。あの時のクロロの苦しい気持ちは、見ているだけで十分伝わってたから。昔の話も聞いてたし、クロロがどれだけ弟さんを大切に思ってるか知ってたから、別に怒ってないよ。…メチャクチャ痛かったけど」

 怒っていないと言いつつ、最後の一言にはやはり少し怒りが混じっていた。しかしその怒りも本気の怒りではなく、拗ねたような可愛い言い方だった。

 ここにきてようやく私は、いつかジークフリートが言った彼女の魅力に気づく。


『俺は、えり殿は十分魅力ある女性だと思う。優しく、思いやりがあり、いつも話すと元気をもらえている。先ほど参謀殿は聖女に一つも勝るものがないと言っていたが、内面の美しさで十分えり殿は勝っているさ』


(私も知らぬうちに彼女の優しさに甘え、ケルたち同様、彼女に手懐けられてしまったようですね。まぁ、えりさんは優しいだけでなく、かなりお人好しすぎますが。それもジークが言うところの内面の美しさなのでしょうか)

 少しむくれた表情をしている彼女に、再び私は謝罪した。彼女はうとうとしながら、声を弾ませて体調が回復した後のことを話し始める。

「別にいいよ。私にはあと一回ビンタの権利が残ってるし。魔王にも許可はもらってるもんね。その新調したモノクルも吹っ飛ばしてあげる」

「エッ!?……本気で遠慮します。もうスペアはないので。本当にさっきは首がもげるかと思ったんですよ。全くなんという破壊力を持った右手を隠し持っているんですかあなたは。もはや凶器ですよそれは」

「えへへ。嫌がっても無駄だよ。逃げても魔王に捕まえてもらうから。いつも注射から逃げていた私の気持ちを少しでも味わうがいい~」

 彼女は私をからかって楽しそうに笑うと、もう限界だったのか、すぐにまた小さな寝息を立てて眠ってしまった。

「私の注射とあのビンタが同列とは、恐れ入りましたね。……私が逃げ回るためにも、早く元気になってくださいね」

 私は布団をかけ直すと、念話で魔王様から呼び出しがかかるまで彼女の寝顔を飽きずに見続けるのだった―――。


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