第三幕・クロロ編 第二話 救いたかった命
私が目覚めてから数日後、この世界の戦争は一進一退の攻防を繰り広げていた。私はクロロと共に人間界と魔界を飛び回り、各地の援軍や情報伝達を続けている。
私たちはいつものように魔王城にいる魔王に定例報告に来ていた。作戦会議室の椅子に座る魔王は、心なしか疲れた表情をしている。クロロに聞いた話では、魔王城襲撃時に強力な結界が破壊され、さらに城の浮遊移動を支える術式も少し損傷してしまったのだという。術式が破れてしまったことで、浮遊移動の動力に使っている歴代魔王が溜め込んだ魔力の結晶の消費量が著しく、魔王が日々魔力を注いで補っているという話だった。術式自体はもう復元されたらしいのだが、減った分の魔力を補充しておかないと有事の際に今度は墜落しかねないとのことだ。
クロロの定例報告を聞いた魔王は、頭の中で少し考えを整理してから口を開いた。
「ドラキュリオの話だと、やはりサキュアの様子は普通じゃないんだな」
「えぇ。クロウリーの魔力の残滓は見られないようなので精神魔法をかけられてはいないようなんですが、上手く会話が成立しなくて言動もおかしいとのことです」
「洗脳されてはいないが、奴が何かしているのは間違いないだろう。サキュアが理由もなく俺の命令を無視するとは思えん」
魔王大好きっ子のサキュアが命令に背くなど、私も普通じゃあり得ないだろうと首を縦に振った。
「何か弱みでも握られているとか?」
「それはないでしょう。サキュアの弱みなど魔王様しかないですからね。この通り魔王様はピンピンしてますし」
「おい。勝手に俺が弱みだと決めつけるな」
魔王は不機嫌そうな声で意見してきた。サキュアにいつも猛烈アタックされている時の迷惑そうな顔が出た。
実際私も二回しか見たことがないが、サキュアの魔王に対するアタックの仕方は凄まじい。とにかくスキンシップが激しく、魔王が半ギレでも全然臆さないのだ。私は二回とも呆気に取られて助けなかったが、どこからともなくメリィが現れてサキュアを追い払っていた。
「とにかくだ。精神魔法を使う以外の方法で洗脳しているに違いない。その手がかりを見つけるのを含め、お前たちには潜入任務を与える」
「潜入…。場所はクロウリーの治める領域、奴の根城ですね?」
「さすがは俺の参謀。話が早いな。クロウリーの居城に潜入し、洗脳の手がかりを探れ。精神魔法を使っていないのなら、魔機士としての腕を使ったはずだ。それらしい機械魔族を探せ」
「魔機士って~、何だっけ?」
私は隣にいるクロロに解説を求めた。確かクロウリーの二つ名が禁魔機士だったはずだ。
「魔機士というのは職業としての呼び名ですが、そもそも魔機士としての技術を持っているのは三つ目族という魔族だけです。三つ目族は魔力の扱いに長けた一族で、自分たちの魔力の一部を込めて、意のままに動く兵器を造り出すのを得意としています。魔界統一前の戦争期からその数は莫大に増え、今や機械魔族という括りさえできたほどです」
「え!?ということは、機械魔族って三つ目族が全部造り出したものなの!?」
魔王とクロロが揃って頷き、私は驚きのあまり口を半開きにしたままだ。そもそも生物じゃない機械魔族がどうやって生まれるのかと思っていたが、まさか魔族がせっせと造っていたとは思わなかった。
「三つ目族の長であるクロウリーは一族の中でもずば抜けた才を持っていまして、禁術を使って機械に心を宿すことや、死者の魂を機械に宿すこともできると聞いています」
「死者の魂を機械に宿す…。何だかネクロマンサーのクロロにちょっと似てるね。クロロも機械強いし」
「な!?あんなのと私を一緒にしないでもらえますか!?言っておきますが私の方が数百倍機械に詳しいですし、もっと時間をかければいずれ死者さえ生き返らせることすら可能ですから!」
「ご、ごめんごめん!悪人のクロウリーとクロロが似てるって言ったわけじゃなくて、何て言ったらいいのか~、タイプがね」
私があたふたしていると、疲れた表情の魔王が小さくため息をついた。
「お前の言いたいことはなんとなく分かるが、もう余計なことは言わずに口を閉じたほうがいいぞ」
私は魔王の助言通り口を噤んでクロロを見た。彼は瞳に変な闘争心を宿してやる気を漲らせている。ここが研究室だったら早速何かを造り出しているところだろう。
「……話を戻すが、クロウリーが今戦場に出ている隙に、洗脳に関係していそうな機械魔族の捜索をしてこい。合わせて今後の戦争に影響を及ぼしそうなものがあれば、見つけ次第回収もしくは破壊してくるんだ」
「了解しました!私の頭脳でどのような機械の仕組みも丸裸にしてあげましょう!見つけ次第全て解体です!」
モノクルの奥の金色の瞳を怪しく輝かせながらクロロは元気よく返事をした。私は一歩二歩と彼から距離を取る。
「今のクロロと一緒に行動したら命の危険しか感じないんだけど!」
「…気のせいだろう。解剖じゃなくて解体と言っていたからな。理性はちゃんと残っている」
「そういう問題!?やだぁ~!一緒に行きたくない~!」
「さぁえりさん!早速今から行きますよ!あなたに技術者の格の違いが何たるかを教えてあげましょう!」
クロロは強引に私の腕を引っ張ると、嫌がる私を無視して城の魔法陣へと向かうのだった。
フォードたち空賊に大半が破壊された魔王城を進み、私たちは魔法陣を使って一度クロロの領域へと転移した。この魔法陣はその領域を治める七天魔の許可がないと転移できないため、今回はクロウリーの領域までスカルドラゴンに乗って行くことになった。幸いクロロの領域とクロウリーの領域は隣同士のため、距離はそれほど遠くない。私はスカルドラゴンで移動している間に領域について色々聞いてみることにした。
「魔界の領域って七つあるんだよね。それぞれどんな領域でどことどこが隣り合ってるの?」
「簡単に言うなら、魔界という丸い円の中に中心を除いて七等分になっているのを想像していただければいいです。それぞれ二つの領域と隣り合っている感じですね。私が治める領域は湿地帯や沼地で、サラマンダーとクロウリーの領域と隣り合っています。そして今から行くクロウリーの領域は異常気象地帯で、常に雷雲が立ち込め気候変動が激しい場所です。竜巻や雪、豪雨などが各地で発生し、人が住むには適さない土地ですね」
「えー。そんなこと聞いちゃうとますます一緒に行きたくない」
私はげんなりした顔をする。ただでさえクロロの変なやる気スイッチが押されているのに、これ以上リスクは抱えたくない。
「心配ありませんよ。スカルドラゴンごと既に結界を張ってありますので、たとえ雷が落ちてきても問題ありません」
先回りをして準備を完璧にしておくあたりはさすが参謀といったところか。抜け目がない。
「クロウリーの領域はあとキュリオと隣り合っています。キュリオの領域はもうご存知ですね。暗黒地帯で一日中闇に閉ざされた領域です。その隣がネプチューンの治める海辺と氷河がある地帯。その隣がレオンの治める草原と荒野が広がる地帯。その隣がジャックの治める森林地帯。そして最後に私の反対隣のサラマンダーが治める谷や火山が広がる熱地帯です。魔界の中央は代々の魔王が治めてきた地で、今空を飛んでいる魔王城も元々はその地にあったものですね」
「へぇ~。魔界って人間界より広そうだね」
「そうでもないですよ。1.5倍くらいです。それに、魔界での戦争が長かったせいで荒れて住めない土地も多いですし。生活圏としての広さで考えると同じくらいじゃないですか」
「ふ~ん」
元々は人間だったはずなのに、クロロは魔界のことも普通に詳しい。魔族になってから自分で色々勉強したのだろうけど、それでも一から別の文化や歴史を学ぶのはすごいと思う。学生時代日本史は好きだったが世界史が苦手だった私とは雲泥の差だ。
「そろそろクロウリーの領域に入ります。注意してください。クロウリーはアレキミルドレア国でガイゼルと一緒にいるはずですが、配下の兵は幾らか残しているはずです。最悪戦闘になったらこれで迎撃してください」
私はクロロに手渡されたものを見て固まった。どこからどう見てもショットガンだった。
「いやいやいや!銃で迎撃すんの私!?ゲームならまだしも現実で撃ったことないですけど!?当たらないよ!?」
「大丈夫です。的の小さい小型のスライム相手なら外れるでしょうが、大抵の機械魔族は動きも遅いし的もデカイです。よほど才能のない者じゃなければ当たりますよ」
「才能のない者って…」
「それは私が開発した魔晶銃です。弾込めの必要はありませんが、七発撃つとフルチャージしないと撃てなくなりますので注意してください。フルチャージには一分かかります」
敵と遭遇したぐらいで私の能力は使えないということで、くれぐれも銃を使って戦うようにと念を押されてしまった。
銃の細かい使い方や狙いの付け方を教わっているうちに、私たちはクロウリーの領域へと到達した。
聞いていた通り空は真っ黒い雲で覆われており、ゴロゴロと低い音があちこちで鳴っていた。結界を強い雨が打ち付け、話し声をかき消すくらいだった。
「私もクロウリーの城に行くのは初めてですが、魔王様から地図で場所は聞いています!寄り道せず一直線で向かいましょう!」
雨音と雷の音に負けないようクロロが声を張り上げて言う。私は大きく頷き返すと、スカルドラゴンが進む先を見据えた。
途中竜巻を迂回して雷を躱し、雹をやり過ごした私たちはようやく目的の城へと辿り着いた。城の入り口付近には機械魔族やスライム、ローブを被った魔族が数人守備兵として詰めていた。私たちを乗せたスカルドラゴンは上空を旋回して次の指示を待っている。
「どうするのクロロ。メッチャ敵が待ち構えてるけど。おじいちゃん直伝の私の魔法でぶっ倒す?」
「駄目です。さっきも言いましたが、あなたの能力は回数制限があるので使えません。ここは私とスカルドラゴンだけで十分です。あなたは大人しくここにいてください」
クロロはスカルドラゴンから飛び降りると、浮遊魔法を使って敵目がけて下りていく。
「なにもおじいさんの弟子はあなただけではないんですよ!喰らいなさい!!」
クロロがあっという間に術式を組み立てて展開すると、炎の魔法が炸裂した。城の入り口付近にいた魔族たちが大きな火の玉に包まれていく。
クロロは地上に降り立つと、両手にメスを構えてスライムとローブを被った魔族をすれ違いざまに切っていく。流れるようなメス捌きに感心してしまったが、解剖で鍛えた腕なのかもしれないと考えたら少し恐ろしくなってしまった。
「元人間風情が魔法を使って生意気な!」
ローブを被っていた魔族は頭のフードを取ると、クロロに向けて両手を構えて強力な魔法を撃ちだした。
「あの魔族、目が三つある!あれが三つ目族!?」
三つ目族は魔力の扱いに長けているという情報通り、クロロに連続で強力な氷魔法を見舞ってくる。効果範囲が広く、クロロは簡易結界を何重にも展開してなんとか防いでいる。
「結界で防いだとしても、元人間のお前ではすぐに魔力切れを起こすだろう。本当の魔族の恐ろしさというものを思い知らせてやろう」
三つ目族二人が魔法を途切れさせないよう交互に浴びせる。スライムや機械魔族たちもクロロを囲うように周りを固めた。
「スカゴン君!君のご主人様メッチャピンチだ、よぉ!?」
私が言い終わらぬ間に、スカルドラゴンは大きく口を開けて魔力を溜めた。口元に渦を巻いた炎がどんどん膨れ上がっていく。異常な魔力の高まりを感じ取り、地上にいる敵魔族たちもスカルドラゴンの攻撃準備に気づいた。
「別に私は一人であなた方全員を相手にするつもりはありませんよ。そんなこと非効率的ですし。そもそも私の本領は頭を使うことですから。荒事は配下に任せます」
「グアォォォォォ~~~~!!!」
スカルドラゴンが咆哮し、クロロに群がる敵に向けて高火力のドラゴンブレスが放たれた。敵はクロロを殺そうと包囲していたため、一か所に向けてブレスを放つだけで敵を一掃することができた。スライムや三つ目族はもちろん、機械魔族までもスカルドラゴンの炎で一部焼け溶けていた。
「す、すごい…。スカゴン君超強いじゃん!竜人族だけはあるね!ていうか骨だけなのに口から炎とか出せるんだ」
私は大興奮しながら褒めるようにスカルドラゴンの背を撫でた。言葉は喋れないが、なんとなく褒められて嬉しい気持ちが背中から伝わってくるような気がした。
スカルドラゴンはクロロの近くに着地すると、主に向けてご機嫌に鳴いた。
「グァオ♪」
「ほう。珍しいですね。いつもは無口なのに」
こちらに歩いてきたクロロは怪我一つしていなかった。どうやら最初からクロロが囮となってスカルドラゴンの炎で一掃する作戦だったようだ。頭の良い彼らしい作戦だ。
私は慎重にスカルドラゴンから飛び降りると、前に回ってスカルドラゴンの頭を撫でた。
「クロロ、スカゴン君てすごい強いんだね!ビックリしちゃった!」
「……まぁ、彼は元々あのサラマンダーの末弟ですからね。子供でも竜化した姿はかなり強いですよ」
「エッ!?スカゴン君て生前はサラマンダーの弟だったの!?…そりゃあ強いはずだよ」
私は大人しく撫でられているスカルドラゴンを見て納得する。一度サラマンダーと戦ったからこそ、その強さは誰よりも分かっていた。
「……あなたは本当に子供を手懐けるのが得意ですね。ケルやドラキュリオに始まりスカルドラゴンまでもですか。あなた自身も子供みたいなものですから、仲間意識が芽生えるんですかね」
「ちょっと!また喧嘩売ってんの!」
「ガァア!?」
私が怒ってクロロを睨みつけると、何故か私に同調してスカルドラゴンも一緒にクロロを睨みつけてくれた。さすがのクロロも少しビビった表情を浮かべる。
「言っておきますがあなたの主は私ですよスカルドラゴン。えりさんの味方をしても無駄です」
気を取り直して告げるクロロに、スカルドラゴンは面白くなさそうにそっぽを向いた。こういう仕草は子供らしくて可愛いかもしれない。
「それにしてもあのブレスを喰らってよく無事だったねクロロ。結界張ってたの?」
「えぇ。最後にくるスカルドラゴンのブレスに合わせて魔力を練り上げておきましたから。それに、なるべく私を避けてブレスを吐いてくれましたし。……スカルドラゴン!これから私たちは城に潜入します。あなたは敵の増援が城に侵入しないようここで見張っていてください」
一声鳴くと、スカルドラゴンは城に背を向けて陣取った。私たちは頷き合うと、クロウリーの城へと潜入を開始した。
魔法で封印されていた城の扉をクロロが難なく解除し、私たちは無事に城の中へと侵入した。上空から見た城は魔王城よりかは一回り小さい三階層の城に見えたが、中に入って見ると外からは想像がつかない機械仕掛けの城だった。
今私たちは玄関と廊下を抜けてメインホールにいる。壁のあちらこちらでは大小の歯車が回っており、何かの機械を動かし続けていた。空気圧で動くポンプや電気信号に反応する光のラインが壁を走り、耳には休むことなく機械が発する音が聞えてくる。
私は右から左に首を巡らせながら感想を漏らす。
「うわぁ~~~。何なのこの城~~。機械ばっかり。壁とか機械のパイプ剥き出しだし」
ふと横にいるクロロに顔を向けると、彼は今まで見たこともないわくわくした笑顔を浮かべていた。
「まさか機械仕掛けの城だったとは!さすが魔機士の城!これは調べがいがありそうですね!どうやら見たところ進むにはギミックを解かなければならないようですが、私には簡単すぎるようですね~!」
高笑いしながらギミックを解き始めるクロロに、早くも私はドン引きしていた。
(メッチャ生き生きしてるクロロが怖すぎる…!私に解剖を迫る時のテンションと同じだよ!あまり刺激しないようにしよう)
私が距離を置いて見守っていると、壁の端末を操作していたクロロの手が止まった。それと同時に二階への階段を塞いでいたシャッターがゆっくり上がっていく。天才の彼からしてみれば本当に朝飯前の仕掛けだったようだ。
「おぉ~!さすがクロロ!本当にすぐ解除しちゃったね!」
「仕掛けを解く方法を忘れた間抜けな配下魔族のために、このメインホールには解除コードのヒントが散りばめられていましたからね。私にしてみれば答えが目の前に掲示されているのと同じですよ」
「へぇ~、ヒント?例えばどれ?」
私は興味本位で聞いたが、すぐにそれを後悔することになった。
「例えばアレです。あの壁に走る光のラインは全部で三つ見えると思いますが、あれは全てある文字列を現しており、一定周期にある法則で流れているんですが、それは~」
そこからクロロの饒舌は止まらず、途中ちゃんと息継ぎをしているのかと疑うくらいに説明が途切れなかった。しかも分からない単語があってそれを少しでも表情に出してしまうと、懇切丁寧に解説までする始末。私はクロロの天才っぷりを初めて身をもって知ったのだった。
(目をキラキラさせてまぁ、オタクが夢中になって好きなものについて解説するのと同じだね。まぁクロロの場合、熱量というか知識量の深さがハンパじゃないけど。今度からは不用意に質問するのは止めておこう)
地獄の説明量をなんとか聞き終え、私はクロロと共に城の二階へと上がった。クロロの提案で、とりあえず上の階まで行き、全ての部屋を調べ終えたら下の階に下りて行く流れになった。
一番上階にある玉座の間には目ぼしいものは置いていないだろうと予想し、それ以外の部屋を調べていく。クロロが手当たり次第にギミックを解き、各部屋の中を協力してしらみ潰しに探していく。洗脳の手がかりとなる機械について探すよう言われたが、私の頭じゃ何が怪しいものなのか全く分からず、その都度クロロに気になった物を見せて判別してもらった。
三階では特に収穫のないまま、私たちは一つ下の階へと下りた。
「う~ん。せっかく敵の本拠地に来たのに何も見つからないね。クロウリーの弱みとか切り札を見つけて一気に追い詰めたいのに」
「そう簡単に弱みなんて握れませんよ。今まで何年アイツは平気な顔をして私たちの前で七天魔をやっていたと思ってるんです。そもそもなかなか尻尾を出さずに手がかりを掴ませなかったからこんなに戦争が長引いてるんですよ」
「隠し事は大得意ってことね。も~、つくづく嫌な奴!……て、アレ?ねぇクロロ。この先の通路を塞ぐ扉、あからさまに部品が欠けてる感じがするんだけど。開くことできる?」
私は二階の奥に通じる扉を指さした。機械仕掛けの頑丈そうな扉は、見るからに中央部分が不思議な形で凹んでいた。おそらくその形のパーツをはめ込むと扉が開く仕組みなのだろう。
クロロは扉の造りをつぶさに観察すると、清々しいほどキッパリ言い切った。
「これは無理ですね」
「エッ!?クロロでも無理なの!?神智の天才なのに!?」
「ちょ、ちょっと!いつの呼び方をしてるんですか!…まったく、聖女ですね。余計なことまで吹き込んだのは」
クロロは何故か少し照れくさそうに顔を赤らめる。自分が優れていると自負している彼のことだから、その二つ名は当然だと認識しているのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。プイッとそっぽを向いて目を合わせようとしない。
「あれ。実は気に入ってなかったんだ」
「……何でもできる、自分に分からないものは何もないと驕っていた愚かな頃を思い出すので。まぁでも、若かりし頃の自分を忘れないよう戒めるという意味では忘れてはならない二つ名ですね」
扉の凹み部分を手でなぞりながらクロロは言う。
(何でもできると思っていた、か…。当時のクロロは本当に弟さんを生き返らせる自信があったんだな。……でも、結局全てを注いでも願いは叶わず、禁忌に手を出した代償として魔族になった、か。……クロロは自分の人生を後悔してないのかな)
私が視線を下に落として考え込んでいると、クロロが不意打ちでおでこにデコピンをお見舞いしてきた。
「イタッ!?」
「えりさん、人の話全然聞いてないですね」
「え!?ご、ごめん!聞いてなかった!最初からお願いします!」
クロロは呆れたため息をつくと、閉ざされた扉を後ろ手でノックしながら聞き逃したことをもう一度言った。
「ですから、この状態ではどうすることもできませんが、ある程度の材料を調達すれば代わりにはめ込むパーツくらい私なら造れます」
「…ということは、材料さえあって代わりの部品を造れればこの扉を開くと?」
「そういうことですね」
さすが元技術者なだけあって、部品がなければ造ってしまえという発想らしい。この城に来てからずっと頼もしい彼に、私は小さな拍手と歓声を送った。
「問題は材料なんですが、…っと。ちょうどいいところに材料が向こうから来てくれましたね」
「エ!材料って、機械魔族じゃん!敵ですけど!?」
通路の反対側から両手に武器を持った機械魔族が二体向かってきていた。こちら側は扉で塞がれているため、追い詰められてすでに逃げ道はない。私は焦ってクロロを見るが、彼もニッコリ私を見ていた。
「ちょうど良い機会です。えりさん、さっき渡した魔晶銃を撃ってみてください。そこそこ的がでかいので当たると思いますから」
「えぇ!?私が戦うの!?この銃で!?」
「せっかくえりさん用にと私が持ってきたんですから、遠慮せずバンバン撃ってくださいよ。ほら!早くしないと相手の間合いに入っちゃいますよ!」
「そんなこと言われたってぇ~!クロロが魔法で攻撃してよ!」
渋っている間に機械魔族が武器を振り回しながらどんどん距離を縮めてきたため、私はもうヤケクソになりながら一番当たりやすい胴体を狙って銃の引き金を引いた。
すると、魔晶銃の銃口から紫色の光が尾を引きながら発射された。紫色の光は敵に当たると、バチバチと音を立てて敵を貫く。まるで敵の体に稲妻が駆け抜けたようだった。二体の内一体の機械魔族はそのまま制御不能に陥り、黒い煙を上げて動かなくなった。
「な、何今の…?見た目はショットガンだけど、スパークショット?」
「ふむ。まぁまぁの仕上がりですね。やはり機械魔族には雷の魔晶石をベースにした銃がよく効きますね。一撃でショートしてしまうとは。……う~ん。ですが撃った時の反動がまだ少し大きいようですね。それに銃口にエネルギー熱が思いの外残っている。これでは連射後のフルチャージの際に充填を阻害してしまい、当初の予定より一分以上かかるかもしれない」
「……あの~、クロロさん?まだ戦闘中なんですけど。銃の考察は後にしてくれません?」
「う~~ん。まだまだ改良の余地がありますね。ついでに初心者でも扱いやすいようエイムの自動調節機能も付けますか。魔力と熱感知を搭載してテストを重ねれば格段に性能が上がるはず」
私の注意も耳に入らず、クロロはずっとブツブツ呟いている。今はもう何を言っても無駄だと悟った私は、彼を放置して残りの機械魔族の相手をした。
銃をぶっ放して無事に敵を倒した私は、自分の世界から戻ってきたクロロをじとっと睨みつけた。
「私のために銃を持ってきてくれたのかと思いきや、本当のところは銃の性能を試す実験だったのね~」
「いやいやそんな。七割はえりさんのためにと思って持ってきましたよ。三割ほどは試し撃ちして性能を見て改良したい気持ちがありましたが」
「意外と実験の割合多いな。普通だったらもっと申し訳なさそうに思って9:1ぐらいで言ってもいいのに」
クロロは睨みつける私の視線から逃れるように、そそくさと倒した機械魔族を見に行く。そして白衣の内ポケットやベストのポケットから特殊な工具を取り出すと、次々に機械魔族を解体し始めた。
「さっき言ってた通り、その機械魔族から扉にはめ込む部品を造るの?」
「えぇ。解体していけば大小様々なパーツが揃うので、十分可能だと思いますよ。すみませんが警戒しながら少し待っていてください」
クロロは手を休みなく動かしながら言った。
私は銃を構えて警戒しつつ、迷いなく流れるような手さばきでパーツをバラしていくクロロを見守った。
(…こうやって黙って真剣な顔をしている時はかっこいいとも思わなくもないんだけど、クロロの場合性格がなぁ~。一応手を引いてくれたりとかそういう気遣いはしてくれるけど、何せ二言目には解剖とか危険なワードが飛び出してくるからなぁ。それがなければ色々頼りになって理想なんだけど)
私は頭の中で会社の頼れる理想の上司像を作り上げる。クロロが会社の上司ならば、何だかんだ言って手取り足取り仕事を教えてサポートしてくれそうな気がした。
私がそんなくだらない妄想をしている間に、クロロは無事にあり合わせのパーツから扉の部品を造りあげてしまった。
「よし。おそらくこれで上手く仕掛けが作動すると思います。早速試してみましょうか」
クロロは扉の凹みに即席部品をはめ込んだ。扉は光の信号を四隅に走らせると、ゆっくり左右に口を開けた。
「おぉ~!一発成功!さすがクロロ!すごぉ~い!!」
私がその場で飛び跳ねそうな勢いで喜ぶと、少し照れた様子でクロロは答えた。
「大げさですよ。このくらいのこと、私にはできて当然です」
「凡人の私からしたら当然じゃないんだって。そもそもないなら一から部品を造ればいいなんて発想思いつかないもの。さすが技術者だね!」
「そりゃあ技術者は探求心を失ったら化石ですから」
「…うん、ごめん。もう何言ってるか意味わかんないや」
さも当然のことのように返ってきた言葉がもう分からず、私は苦笑いをしながら扉の先の通路へと進んだ。
私たちは通路の先の部屋を一つ一つ黙々と調べる。扉にはめる部品を持たない者は進めない通路の先にある部屋なので、今まで調べてきたところより機密性は高いはず。そう思って私たちは念入りに調べていった。
「……クロロってさぁ、お兄ちゃんぽくないよね?」
「な、何ですか突然!?」
探し物が見つからず少し集中力が切れてきた私は、気分転換に他愛もない話題を振った。クロロは突拍子もない話に、思わず目を通していた本から顔を上げた。クロロは速読も得意なので本や資料に率先して当たっていた。
「私この前までずっとクロロは一人っ子だと思ってたよ。我が道を行くって感じだし、研究一筋で他を顧みない感じが一人っ子特有の我儘に通じるものがあったから」
「……ずいぶんと好き勝手に私を考察していたようですね。でも…、確かに私はクリスに兄らしいことはあまりしてあげられませんでした」
クロロは本の速読を再開すると、独り言のようにポツポツと続けた。
「元々私たちは十も離れた兄弟で、子供時代は一緒に遊ぶような年でもありませんでした。クリスが大きくなってからは、私はもう研究に目覚めてしまっていたから、自分の研究に時間を割いてクリスの相手をする余裕もなかった。うちはあまり裕福な家庭ではないうえに、クリスはご存知の通り昔から病弱でしたから、何かと薬代にお金もかかって。両親は共働きでしたが、無理が祟ってどちらも早くに亡くなりました。そのため、私の頭脳をアレキミルドレア国に売るしかなかったのです…」
「……それでも結局、国を脱走したんでしょ。セイラちゃんに聞いたけど、今も昔もろくな王様じゃないらしいじゃん」
「えぇ。アレキミルドレアは昔から王が国民を虐げて、まるで自分の所有物のように扱っていますからね。私も留学して外の世界に触れていなかったら、あの国で洗脳された考えのままだったかもしれません」
クロロは読み終えた本を棚に戻した。
セイラの話だと、幼い頃から王に絶対服従だと教育されるという。閉鎖された国でずっとそれが当たり前だと教え込まれると、洗脳にかかったように抜け出せなくなるのかもしれない。
「ガイゼルの父である先代の王は、私の弟を盾にして強い兵器の製造を私に強要しました。新しいものを造る度に、もっと強力で、増産の可能なものを造るように言われ続けました。もう欲望にキリがありませんでしたね。そうこうしている間にクリスの容体が急変して、私は良い医者に診てもらえるよう王に頼みましたが、最新の兵器を造るのが先だと突っぱねられ、これ以上付き合いきれないと弟を連れて脱走したんです」
「…まさかそんな経緯だったとはね。本当に最っ低な王様だ!もし私がその場にいたら、おじいちゃん直伝の魔法で懲らしめてやったよ!」
両手の拳を握りしめていきり立つ私に、クロロはふっと笑って優しい目を宿すと私の考えに賛同した。
「そうですね。もしあの場に今の私がいたなら、私も魔法で殺した後にネクロマンサーの力で蘇らせ、一生アイツをボロ雑巾の如くこき使ってやったことでしょう」
「フフフッ。いいね、それ。因果応報ってやつだ」
私とクロロは珍しく笑い合った。
「でも、あんまり兄らしいことしてあげられなかったって言ってたけど、弟さんのために毎日頑張って研究してたんだし、ちゃんと分かってくれてたと思うよ」
「……そうでしょうか。毎日寂しい思いをさせてたと思いますが。留学中なんか特に。戻ってきてからも、時々空いた時間に勉強を教えたり、本を読んであげたくらいですし」
「なんだ。ちゃんと勉強を教えたり本を読んであげたりしてたんじゃん。私もお兄ちゃんに昔勉強を教えてもらったり、紙芝居読んでもらったりしたよ。ちゃんとお兄ちゃんしてるしてる!」
「あなたも確かお兄さんが二人いるんでしたっけ。…それにしても、あなたの兄の定義は簡単ですね」
良い気分転換になった私は探し物を再開する。クロロも次の本を手に取った。
「今まで昔の話をしたのは魔王様とおじいさんだけだったんですけど、何故か乗せられて話しちゃいましたね。……不思議ですね。そうやってあなたはケルたちを味方につけたんでしょうか」
「人聞きの悪いことを。普通に人当たりが良いとか言えないの?クロロって本当に意地悪というか捻くれてるよね。……それより、他に思い出話とかないの?」
私は探し物をしている間、クロロをせっついて昔の思い出話を聞くのだった。
順調に探索を続けていた私たちは、一際厳重に電子ロックされた部屋を見つけた。クロロは例の如く周辺の機器を触り、たいして時間をかけずにロックを解除した。
クロロに続いてこじんまりとしたその部屋に入ると、中には数十体の小さな蜘蛛型の機械が棚の上に安置されていた。
「何この悪趣味なデザインの機械は。これももしかして機械魔族なの?動かないけど」
虫嫌いな私は、距離を取って蜘蛛型の機械魔族を見る。
何でもかんでも仕組みを知りたいクロロは、ひょいっとそれを手に取るといつの間にか手にしていた工具でバラし始めた。五分と経たずに蜘蛛はバラバラに解体されてしまう。彼の解剖するところは見たことがないが、おそらく解剖もこの速度でやってしまうのだろう。そう考えるとちょっとゾッとしてしまうのだった。
「…な、何か分かったクロロ」
「どうやらこれが私たちの探していたもののようです。この蜘蛛型の機械魔族には、対象の感情を増幅させる力が付与されているようです。特に負の感情を」
「負の感情を増幅させる、機械魔族?」
バラした機械魔族をもう一度組み立て直すクロロを見ながら私は訊ねた。
「簡単に言うと、都合のいい感情をどんどん増幅させていき、自分でもコントロールできないぐらいに暴走させて、それと比例して魔力も暴走させて最終的には自滅させてしまうものですね。ちゃんとクロウリーにとって都合のいいように動くよう、増幅させる感情を選ぶよう術式でプログラミングされてますね。さらに対象に一度取りついたら離れないよう、八本の足でガッチリ固定できるようにしています。しかも透過魔法が自動的にかかるほどの周到性です。簡単に見つけられないわけですね」
「それじゃあ、サキュアにもこの機械魔族がくっついてるってこと?」
「洗脳されていない以上、十中八九そうでしょうね。とりあえず一つは魔王様にサンプルとして持ち帰って、後は全て処分してしまいましょう。できればデータや設計図の類も全て処分したいところですが」
「おやおやおや!ワタシの留守中にとんでもないネズミが入り込んでるじゃありませんか!ねぇ、参謀殿?」
突如現れた気配に驚き振り返ると、一つしかない部屋の入り口に黒いローブを羽織った男が機械魔族を率いて立っていた。
「クロウリー!?どうして今あなたがここに!お友達の人間と仲良く戦争中じゃなかったのですか」
クロロはサンプル用に蜘蛛型の機械魔族を白衣のポケットに入れると、素早く私を庇うように前に立った。
「グフフフ。ガイゼルはなかなか性能の良い兵器を持っていますからね、少しぐらいワタシが抜けても平気ですよ。それに星の戦士としての能力も優秀ですしね」
「性能の良い兵器、ね」
クロロは静かな怒りを滲ませて呟く。きっとその兵器を造り出したのは昔のクロロなのだろう。まるで黒いローブの男はそれを知っていて、わざと挑発するように言ったようだった。
(これが最後の七天魔、禁魔機士クロウリーか。裏で操って魔王の両親を殺した張本人で、この戦争のきっかけを作った元凶!)
私は黒いローブのフードを取った男を睨みつけた。事前に聞いていた通り、三つ目族の男は額に第三の目を持っており、今はその瞼は閉じられていた。見た目は四十過ぎ位で、両手の指には怪しい魔力のこもる指輪をしていた。そして宙には分厚い魔法書のようなものが浮かんでおり、そこにも魔力が溜められているようだった。
「ずいぶんとこの城を好き勝手に荒らしてくれたようですねぇ。さすが参謀殿。神の叡智を与えられし者です。グフフフフ」
「なぜその名を…!困りましたね。近頃は人の過去を好き勝手調べる輩が増えて。一体私の過去を調べてどういうつもりです」
クロロは油断なく構え、クロウリーから目を離さずに問いただす。私もいつでも能力を使えるよう集中力を高めた。
「いえね、ワタシはこれでも昔からあなたを高く評価しているのですよ。元人間にしては高い知能を持っていますからね。その証拠に魔族になったあなたはすぐに魔力を使いこなし、ある程度の魔法を習得してしまった。それに魔族に堕ちた時に手に入れたネクロマンサーの力、それも大変素晴らしい。ぜひともあなたには、ワタシが魔王になった後も参謀として支えていただきたいのですよ」
「何をふざけたことを…!我らがリアナ姫と先代様を殺しておいて、よくもそんなことが言えたな!今ここで殺してあげてもいいんですよ!」
クロロは私が手に持っていた銃をひったくると、クロウリーに銃口を突き付けた。
「グフフ。未来の主にそんな態度を取っていいんですか。ワタシの機嫌を損ねると、またあなたの大事なものを目の前で失くすことになりますよ」
「…どういう意味です?」
引き金に手をかけたままクロロは訊ねる。
クロウリーは下品な笑い声を上げると、手で合図をして部下を一人呼び寄せた。廊下の陰に控えていた三つ目族の部下は、十二歳くらいの男の子を連れて私たちの前に現れた。その男の子を見た瞬間、クロロの様子が一変した。
「ま、まさか、その少年は…」
「さすが参謀殿、話が早い。ネクロマンサーの力を身に付けた時に得たその右目、どうやらその金色の瞳で魂を見分けることができるというのは本当のようですね」
「魂を、見分ける?」
状況についていけていない私はクロロの様子を窺うが、彼は見るからに動揺していた。心なしか顔色も優れない。
「この男の子の魂は前世であなたの弟だった者だ。あなたがずっと救いたくても救えなかった命。あなたは生まれ変わった者は別人だと割り切り探しもしていなかったようですが、さすがに魂が見えるからもう割り切れないんじゃないですか。グフフフ」
クロウリーは魔法で氷の刃を出すと、男の子の首筋に当てた。男の子はビクッと体を震わせ小さい悲鳴を上げる。
「ヒッ!た、助けて…」
「止めてください!」
「ちょっと!男の子を人質に捕るなんて卑怯だよ!」
私とクロロは続けて叫んだ。クロウリーは私たちの慌てふためく様を見て愉快そうに笑う。
(まさか生まれ変わったクロロの弟くんをあらかじめ人質に捕られてるなんて、いくら何でも都合良すぎじゃない。……まさか始めから計算されてたんじゃ)
私は一層警戒を強め、男の子を救うべく急ピッチで妄想を膨らませる。
「おっと、あなたも下手な真似は許しませんよ星の戦士の小娘。どんな能力か知りませんが、力を使った瞬間この子供の命はないと思いなさい」
「う!どんだけ卑怯なのよあんた!」
私は悔しさで奥歯を噛みしめる。私とクロロはもう迂闊に動けなくなってしまった。
「グフフ。小娘がしゃしゃり出たおかげで、ワタシの当初の予定が大幅に崩れてしまった。魔王と星の戦士が手を組む事態になるほどね。ちょうどいいから、あなたにはここでワタシの予定を狂わせた責任を取ってもらいましょう。……参謀殿、その銃で小娘を撃ち殺してもらいましょうか」
「な!?」
「エッ!?冗談でしょ!?」
クロロと私はクロウリーの要求に固まった。もちろん相手は冗談のつもりなどなく、チラッと人質の男の子に目を向けた。
「参謀殿は賢い者だ。従わなければどうなるか、簡単に未来が予測できるでしょう。さぁ、ワタシはこう見えて気の短い方だ。今度こそその手で弟を守りたいのなら言う通りにすることですね」
「ぐっ……!」
クロロは銃を持つ手を震わせながら、心の中で苦しい葛藤をしているようだった。
私の方でなんとか状況を打開したかったが、能力が使えない以上どうすることもできなかった。せめて能力を使う時に蒼白の光が出なければ密かに力を使えたのに、と心の中で悪態を吐いてしまった。
「イ、イタイッ!」
男の子の悲鳴に、私とクロロは弾かれたように声の方を向いた。首筋に当てられていた氷の刃が男の子に食い込み、一筋の血が流れていた。
それを見た瞬間、クロロは少し俯き、目を瞑ったまま背後に立つ私に銃口を向けた。
「………すみませんえりさん。あの少年はもう私の弟ではありませんが、弟の魂を持つ命を、目の前で見捨てることは私にはできません」
「……ッ。クロロ…」
震える銃口。悔しさの滲む声。そして俯き哀しさの宿る表情。裏切られたという感情はない。その彼の姿を見るだけで、私の心も同じ哀しみに満たされ、ただ彼の名を口にするだけで精一杯だった。
両手で銃を構え直した後、クロロは私に向かって引き金を引いた。
「キャアァァァァ~~~!!!」
紫色の光が腹部に当たり、全身に雷が駆け巡った。私は痛みに悲鳴を上げると、お腹を押さえながらその場に崩れ落ちた。
「グフフフフ。これは愉快愉快。肉の焼け焦げた匂いもしますねぇ。……ですが、ズルはいけませんよ参謀殿。ワタシは殺せと言ったはず。両手で銃を持ち替えた時に細工をしましたね。想定より銃の威力が落ちているようでした。……まだワタシに逆らう気があると?」
クロウリーは氷魔法を発動させると、躊躇なく男の子の片足を凍らす。
「ウァァァ!!イタイィ!!」
「止めてくださいクロウリー!!」
「グフフフ。ならば無駄な抵抗はせず小娘を殺しなさい。そもそもワタシたち魔族にとって星の戦士は敵なのだから。変な情は不要ですよ」
動かない体で目線だけクロロの姿を追うと、彼は私に手をかざして魔力を高めていた。その目は追い詰められ、トラウマが蘇ったような表情をしていた。
(……もしかして、こんな顔をしながら、昔も兵器を造り続けていたのかな。弟さんを人質に捕られて、誰にも頼れず、一人で背負って………)
私は自然と込み上げてくる涙で視界を濡らしながら、最後に彼からの別れの言葉を聞いた。
「……キュリオを助けるお人好しのあなたですから、絶対弟を守るために無抵抗でいてくれると思いました。さっきまで私の思い出話を散々聞いていましたしね…。あなたの能力があれば、いくらでも自分の身を守る方法もあったでしょうに。弟を見殺しにすれば、あなたが死ぬ必要などなかったのに…。……ありがとうございます。そして、ごめんなさい、えりさん。さようなら」
クロロは魔法を発動させると、いつかおじいちゃんに見せてもらった風の魔法を私に放った。最初の銃の一撃で相当なダメージを負っていた私は、もはや痛みで叫び声を上げる体力さえも残っていなかった。体中を見えない風の刃が引き裂いていき、私の全身からは血が流れて床には血だまりができた。
ピクリとも動かなくなった私を見て、クロウリーは部屋中に下品な笑いを響かせた。私はその声に深い憎しみを覚えながら、意識を暗闇へと手放した。
ひとしきり笑い終わったクロウリーは、背を向けたまま動かない参謀に話しかけた。
「グフフ。これで仲間を裏切る予行演習はバッチリですね。では、次は魔王城に戻って魔王を暗殺してもらいましょうか」
「な、何だと!?」
クロロは目に怒りを宿しながらクロウリーを振り返る。
今無抵抗な何の罪もない女性を手にかけ、それを命じたクロウリーや自分自身にも怒りを感じているところだった。そこへ更に追い打ちをかけるように魔王を暗殺するよう命じられ、怒りはもう爆発寸前だった。
「大事な弟を守るために働くのは得意でしょう。昔も今も、ね。グフフフフ」
クロウリーは乱暴に男の子の頭を撫でると、部下に命じて別室に移動させる。
「どうせあなたはもう後戻りできませんよ。その小娘を裏切ったんですから。大人しくワタシの右腕になりなさい。魔王を殺した後は、ちゃあんとあなたを使ってあげますから」
ずっと救いたかった弟を人質に捕られ、仲間を裏切り、もう昔の自分より悪い状況に陥っていた。しかし、クロウリーの言葉通りもう後には引けないところまできていた。どれだけクロロの身が怒りと哀しみで苛まれようとも。
「特に魔王から信頼を置かれている参謀殿なら、不意をついて暗殺するなど造作もない。楽しみにしていますよ」
クロウリーはそう言って表情の死んだクロロを送り出した。全てが計画通りに進んでおり、クロウリーの顔には自然と笑みが零れる。
「あぁ、そうだ。その小娘も一旦別室に運んで置きなさい。虫の息ですからもうじき死ぬでしょう。死んだら新しい機械魔族に魂を使わせてもらいましょう。星の戦士の特別な魂ですから、きっとかなりの性能になるでしょうねぇ。グフフフ」
城の主が部屋を立ち去った後、機械魔族は命令通り、瀕死の重傷を負っている星の戦士を別室へと運ぶのだった―――。




